冠仏戦争

冠仏戦争


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System=yasaiシナリオ


冠仏戦争(カンタルシア=フランスせんそう、英:war、2022年 - 2022年)は、フランス領ポンディシェリに駐留するフランス東洋方面軍とカンタルシア帝国との間で行われた戦争である。
冠仏戦争
        



        目次[非表示]
 1. 概要
 2. 背景
  2-1. フランスの背景
  2-2. カンタルシアの背景
 3. 開戦
 4. 開戦後の経緯
  4-1. 駿河湾砲撃
  4-2. 北方の蜂起
  4-3. 愛知沖海戦
  4-4. 東海戦線
  4-5. 北方戦線
  4-6. 信濃の戦い
  4-7. フランスの西征
  4-8. 紀伊沖海戦と大日本反乱の失敗
 5. 終戦と講和
 6. 影響
 7. 関連項目
 8. 参考文献
主要戦闘
講和会議
戦争:冠仏戦争
年月日:2022年2月15日 - 2022年3月15日
場所:カンタルシア帝国、大日本王国
結果:白紙和平
交戦勢力
フランス東洋方面軍
カンタルシア帝国
 
冠領大日本王国
指導者・指揮官
ルイ=ナポレオン・ボナパルト
皇帝
ヤン・チャルトリスキ
提督

 概要

冠仏戦争

独自に勢力を広げようとしたボナパルト麾下フランス東洋方面軍が、フランス商人殺害事件を機にカンタルシア帝国へ侵攻した戦争である。愛知沖海戦を制し渥美半島へ上陸した東洋方面軍は、カンタルシア国内の分離独立派である北越の大熊提督を焚き付け挟撃を試みたが各個撃破され失敗した。
追撃戦を名古屋の戦いで食い止めたが、ボナパルトはカンタルシア征服を断念し、同国占領下の大日本王国で独立戦争を起こそうと模索するも、カンタルシアは紀伊沖海戦を制し補給を奪い、現地調達のため略奪を行った東洋方面軍と大日本王国は不和になり失敗した。遂にボナパルトの独断専行での戦争は瑞仏戦争を終えた本国に露見し、白紙での手打ちで合意された。
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 背景

フランスの背景

仏連=OFC戦争の結果、ルクレフ大国国領内にポンディシェリ植民地を獲得したフランスは、当地にて東洋方面軍を創設し防衛に当たらせた。司令官に任命されたのはルイ=ナポレオン・ボナパルト元帥。ヴァルキア系貴族ながら第四次欧州大戦などで活躍し、陸軍大臣を務めていたが、フランス継承戦争において、後に勝者となる現フランス摂政アルベルティーヌに対し中立でいたため、警戒されインドへ左遷されていた。
野心家の彼は東洋で独自の勢力圏の構築を模索。ほど近いベンガル地方や仏連国コロンビア等で生産された麻薬の密売で軍資金を得ようとした。
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カンタルシアの背景

欧州に負けず劣らず群雄割拠の日本列島において、主要国のひとつカンタルシア帝国は、冠北戦争など度重なる外国勢力の干渉を受けており、外国人排斥運動が起きていた。大日本王国への侵攻を成功させ権威を高めた軍部の支持も受け、とりわけ噂となっていた外国人による麻薬密売への対処のため、取り締まりを強化していた。
態度のデカいフランス商人は特に標的にされ、あちこちで揉め事が起きていた。ある日、塩売りのフランス商人を取り調べたカンタルシア騎兵が口論の末商人を惨殺する事件が起きた。フランスは大使館を通じ講義したが、カンタルシア政府は塩が麻薬であったとし取り合わなかった。
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 開戦

駿河湾砲撃

東洋方面軍司令官ボナパルトはこれを好機とみて、本国より報復の指令があったとして艦隊を派遣し駿河湾を襲撃させ、沿岸砲台を破壊させた。カンタルシア側も対抗し国内フランス人の逮捕を命じた。当時フランス本国は対スミトラント戦争を発端とする戦乱の中にあり、国外の動向へ対応ができない状態であった。本国の与り知らぬまま、両国は戦争状態に突入していった。
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 開戦後の経緯

北方の蜂起

駐冠フランス大使ゲロは命からがら首都を脱し、山越え川越え北陸へ落ち延びた。全裸になっていた彼を保護したのは、カンタルシア海軍北洋艦隊司令官、大熊提督だった。長らく贈賄を通じ友誼を得ていたゲロは、麻薬密売の主犯格であり、ハネていた上前を多額の献金として大熊を買収。大熊は昔越後の大部分を支配していた名家の末裔であり、カンタルシア政府からの独立を狙っていたため、これ幸いと蜂起した。カンタルシア軍はこれを受け、北伐を開始し進軍した。駿河湾砲撃事件後、海洋の守りを固めており上陸されるおそれはないと思っていたからであった。
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愛知沖海戦

カンタルシア主力が北伐のため不在の隙をつき、ボナパルトは東洋方面軍を総動員し駿河湾への上陸作戦を決行した。前哨戦となる愛知沖海戦では、戦艦主体のカンタルシア海軍に対し、油断もあって航空戦力を持つフランス東洋艦隊が戦闘を優位に進め、勝利を得た。【フランス海軍が】【航空機で】勝利を得た海戦は、地中海戦争に遡るらしい…
とはいえカンタルシア海軍も維持を見せ、続々と援軍を送り込み数の暴力でいくらかのフランス艦の撃沈に成功し、中でも手違いで出航時刻を間違えていた大砲の輸送船を撃沈できたことはのちに大きな優位を齎した。フランス東洋艦隊は上陸支援ののち、三河軍港や伊勢湾の工業地帯に艦砲射撃と戦略爆撃を行った。東洋方面軍は無事上陸に成功し、港湾を確保した。
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東海戦線

渥美半島より上陸したフランス東洋方面軍は、三河の大部分を制圧した後、カンタルシアの本隊が戻る前に東海一帯を平定しようと東へと動き出した。電撃戦はボナパルト元帥の十八番である。近くには、「高天神を制するものは遠江を制す」と歌われた、静岡東部の要衝に聳える高天神城があり、ほぼ全軍でこれの攻略にあたった。
しかし、先の海戦で大砲のほとんどを失ってしまったことは、大きな痛手であった。時間も限られるフランス軍は白兵突撃での攻略を必要とし、猛攻の末これを落としたが、被害も多かった。城の防衛指揮官も奮戦し、ボナパルト元帥は栄誉ある退却を与えようとしたが、天守にてハラキリしてしまっていた。
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北方戦線

北伐へ向かうカンタルシア軍の隊列へ、ひとりのフランス騎兵がうっかり迷い込んでしまった。あっさり捉えられた彼は伝令兵であり、カンタルシア軍は拷問の末、助命と引き換えにある仕事を与えた。それは偽の伝令文の伝達だった。
大熊が密かに建設した山岳要塞は、籠城に徹すれば難攻不落であり、配下の北洋艦隊により補給も盤石だった。しかし、届けられた命令文は出撃を促すものであった。曰くフランス軍はすでにカンタルシア軍主力を敗走せしめており、山中を北へ退却しているという。このまま野戦での勝利なき戦勝では、戦後の北陸統治の権威にケチがつくと判断した大熊は、命令に従い全軍へ出撃を命じた。知っての通りこれは罠。街道を南下した反乱軍はカンタルシア軍の包囲の只中へと突出し、反抗もままならないまま全滅した。とらえられた大熊とゲロは斬首となり、大熊のあとに切られたゲロは刀の切れ味が落ちていたために、完全に切れるまで何度も切り付けられたという。
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信濃の戦い

カンタルシア軍が北の反乱軍に苦戦していると、偽の情報をつかまされたボナパルト以下東洋方面軍は出撃し、北上した。しかし、戦闘は既に終わっており、カンタルシア軍総力の反撃を受けてしまった。なれない山中での戦闘に大陸軍も押し負け敗走するが、皇弟チャルトリスキ将軍麾下の騎兵隊の援護により追撃を阻止した。拠点名古屋城を背にフランス東洋方面軍は隊列を整え、カンタルシア軍と再戦。得意の平地戦とはいえ、休みなく退却し続け疲弊していたが、ここでも騎兵が活躍。カンタルシアもまた精強な騎兵で有名だが、世界最強と唄われるフランス重騎兵の突撃に圧し負けた。突破したフランス重騎兵はそのまま本陣へ突撃し戦線を破壊、敗走へ追い込んだ。間一髪突撃から生き残ったカンタルシア司令官は、あまりの恐怖にクソを漏らしたという。
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フランスの西征

名古屋の戦いに敗れたとはいえ、北方反乱軍の追撃とで軍を分けていたこともあったカンタルシア軍は、今度こそ万全を期すべく全軍を終結させ、さらに西から征服した大日本王国の諸侯軍を招集し、フランス軍を東西から包囲し攻撃する算段を整えていた。大日本王国軍も到着し、いざ総攻撃を仕掛けたが、肝心のフランス軍はどこにもいなかった。
首をかしげるばかりのカンタルシア=大日本軍へ、大日本から伝令が届く。曰く、フランス軍が四国へ侵攻している、というものだった。ボナパルトは北方反乱軍の敗北を知ると、限られた手勢でのカンタルシア征服は困難と判断し、北方反乱軍に代わる新たな協力者を求め西征に乗り出した。大日本本国へ入ったフランス軍は、現地を占領しているカンタルシア軍を攻撃し、これを撃破。大日本の独立戦争を焚き付けようとした。
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紀伊沖海戦と大日本反乱の失敗

カンタルシアは海でも大日本と共同し反抗を試みていた。陸では取り逃したが、海ではフランス東洋艦隊の補足に成功した。紀伊沖で衝突した両艦隊は激闘を繰り広げ、両艦隊ともにボロボロになりながらも、数に勝るカンタルシア=大日本連合艦隊が辛うじて勝利、フランス東洋艦隊を瀬戸内海へと閉じ込めた。カンタルシアはフランス東洋艦隊に止めを刺すべく戦艦信玄を瀬戸内海へと送り込んだが、この時点で先の三河湾襲撃で破損していた信玄は万全でなく、反撃により中破してしまう。虎の子の信玄を守るべく行動したカンタルシア海軍は結局取り逃し、占領された香川の港湾に逃げ込まれた。
一方で海からの補給を失った東洋方面軍は、代わりに現地調達に頼らざるを得なくなった。農村や都市からの略奪が行われ、反感を持った独立派の勢力は次第に東洋方面軍と対立していった。
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 終戦と講和

本国にバレた

瑞仏戦争を終え内政が落ち着いたフランス本国はやっとこの戦争に気づいた。貴重な東洋方面軍を不毛な戦争で失いたくないため、死んだ駐カンタルシア大使に代わり、駐日ノ出フランス大使を通じて停戦を呼び掛けた。現地では冠日連合軍がフランス軍を補足しリベンジを挑み、一部を敗走に追い込んでいたが、勝利まであと一歩のところで、本国より停戦合意の報せが届いてしまった。
疲弊しているフランス、統治の不安定な日本を抱えるカンタルシア双方が停戦に合意し、「不幸な事故」という結論を落としどころとした。ボナパルト元帥はまだやれると不満タラタラでインドに帰り、東洋方面軍と本国との溝は深まった。ちなみに、最初にフランス商人を斬ったのはカンタルシア騎馬隊の百人将で処罰するのは惜しい人物であったがカンタルシアはフランスをこれ以上怒らせたくないので騎兵を流刑に処した。
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 影響

フランス

カンタルシア侵略には失敗したものの、フランス本国としても東洋支配の重要性は理解しており、この戦争を通じて可能性を見出したアルベルティーヌは、後のインド戦争へと乗り出した。

カンタルシア

フランス東洋方面軍の撃退には成功したものの、戦争での疲弊、そして大日本に駐留するカンタルシア軍が撃滅されたことで、後の大日本王国独立戦争敗戦の要因となった。
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 関連項目

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 参考文献

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最終更新:2022年05月08日 03:04