熟れた苺が腐るまで( Strawberry & Death) ◆GOn9rNo1ts



はあ、はあと。荒い息遣いは、どちらの物だっただろう。
ごくりと唾を飲み込んだのは、どちらの方だっただろう。
頬を赤く白く染め上げたのは、どちらの側だっただろう。

ただ一つだけ、分かるのは。


負けたのは、私だということ。


――――死ぬ。

ひんやりとした病院の床。
ズキズキ痛む背中とお尻。
頭を打たなかっただけ良かった、と。
未だ現実を受け入れていない頭のどこかが呑気に呟いている。

――――どうしてこうなっちゃったんだろう。

地図に示された病院という施設ならば目立つから『あの子』がいるかもと思ったからだろうか。
焦りを隠せぬまま、不用心に足音を潜ませ切らなかったからだろうか。
銃という強力なアドバンテージを持っているから自分は狩人の側だと思っていたからだろうか。
遠距離から近距離までが自分の距離だと、勝手に思い込んではいなかっただろうか。

――――至近距離からってのは予想外だよ。

今、倒れこんだ私に馬乗りになっている彼女は、丁度曲がり角のところで音をたてぬよう獲物を待ち受けていたのだろう。
もう少し耳をそばだてていれば、コツコツと響く私の足音に隠れるようにして小さな息遣いが聞こえていたかもしれない。
結果として私はそれに気づかぬまま、角を曲がったところで体当たりを食らい、無様な状況に陥っているわけだが。
映画に出てくるようなプロの殺し屋じゃないんだから、人影に気付いて0.1秒での早撃ちなんて望むべくもなく。
わけがわからないうちにタックルで押し倒され、アイスピックを突き付けられて。

――――絶体絶命ってやつですか。

かろうじて武器である銃は手放していない。
安全装置を外し、狙いを定め、引き金を引けば。
その弾丸は躊躇なく敵の胸を貫き、頭を撃ち抜き、命を奪う。
だけど今回に限って言えば、その三行程をこなす前に私は目の前――正しく瞳の十数センチ手前にある切っ先の餌食になるだろう。

――――でも、まだ、終わりじゃない。

この状態からどのくらい経ったのか、全然分からなかった。
もう一分は経っているよ、と言われれば納得できるし、まだ数秒も経っていないよと言われても、驚きつつも「これが極限状態での人間の力ってやつですか」と納得してしまいそう。
どっちにせよ、このままの状態から何もせずに状況が好転する可能性は万に一つもない。
だけど、まだ私は生きている。鋭い針が一瞬後に私を仕留めることになろうとも「今は」まだ生きている。
これは僥倖だった。何も分からないまま死ぬよりも、百倍マシな状況だ。
ならば、せめてもの抵抗を行うのが最善手であるだろう。
暴れれば、狙いは定めにくくなるだろうから仮に顔面を刺されても致命傷となる傷は避けられるかもしれない。


――――アイドルは顔が命、なんていってられないよね。

覚悟は決まった。後は実行に移すだけ。


足掻け。


愛する彼のために。


動け。


生き残るために。



…………あれっ?



動けなかった。

相手の武器を振り払うはずの腕が、彼の大好きな鍋物にいつも入れている糸こんにゃくのようにふにゃふにゃになっている。
相手の背中を蹴り上げるはずの脚が、立て付けの悪くなった網戸のようにギシギシと軋んだまま止まってしまっている。
相手の身体をどかすための腰が、お腹が、全身の筋肉が、一斉に「実家に帰らせていただきます」したみたい。


おかしいな。

――――腕が、ブルブルと。

おかしいな。

――――足が、ガクガクと。

おかしいな。

――――身体が芯から、震えていて。


ああ、

そうか。


わたし、


こわいんだ。



自覚した途端に、ソレは全身から、髪の毛の先から心臓の奥の奥まで、私の心に一斉に襲い掛かってきて。
ガチガチ、ガチガチと。歯が噛み合わなかった。
目頭が熱くなる。世界が霞んで、ぼやけて、上から下へと一筋に涙が流れていく。
声がかすれて、情けない悲鳴未満の音を喉が絞り出していく。

――――ナターリアを殺しに行かないといけないのに。

頭に浮かんだ私の目的も、今は場違いな現実逃避でしかなくて。
そんな現実逃避も、永遠に続くような死の恐怖から私を遠ざけてくれるわけではなくて。
終わらない恐怖は、私の持つ自信を、活力を、希望を、ギリギリと搾り取っていくようだった。

自信があった。彼を一番愛しているというという自信が。
彼のためならば、それこそ人殺しもいとわないという活力があった。
恋する乙女は無敵なのだと。絶望的な状況の中でも皆殺しという希望を持って良いのだと。二人のアイドルを見事に殺してみせたことで証明したつもりだった。

私は気付いておくべきだった。

人は簡単に死んでしまう生き物で、私もそうなのだと。
昨日までアイドルをしていた私が、簡単に死という恐怖から逃れられるわけがないのだと。
殺す側の覚悟はちひろさんのおかげでばっちりと決まっても。
殺される側になるということに対して、私はあまりに、それこそ意識的に、考えていなかったということに。

おかしいよね。
さっき千夏さんに銃を向けられた時の方が、客観的に見れば危ない状況だったというのに。
銃という、現代日本ではまずお目にかかれない「人を殺す道具」の脅威にさらされていたというのに。
ものすごいスピードで迫りくる銃弾は、私がそれこそ漫画のキャラクターでもないと避けられない。
当たり所が悪ければ即死。そうでなくとも手足に受けてしまえば、お医者さんなんていないこの島じゃ絶望的だ。
それでも私は、冷静に彼女と話を出来ていたような気がする。
それに比べれば、まだ今の方が。
探せばどこかのホームセンターで見つかりそうなアイスピックを突き付けられている、今の方が。
どう考えても現実的で、まだどうしようもありそうな状況だというのに。
今回の方が、死を近くに感じている。それこそ動けなくなってしまうほどに。

そのギャップはさながら、光り輝くステージから、ドジを踏んで雰囲気の悪くなった楽屋に引き戻された気分。
嘘のような、悪夢のような、愛を試される舞台の上で孤軍奮闘するヒロインチックなアイドルから。
味気なく、色あせた灰色の現実で、今にも殺されそうになっている一人の女の子に戻ってしまったよう。

だって、仕方ないじゃないか。
焼けるよう、と形容される拳銃で撃たれた時の痛みよりも、全然。
お裁縫で針を誤って指にプスっと刺してしまった時の痛みの方が。
あの鋭利な切っ先で肉を抉り取られる時の痛みの方が。
分かってしまう。理解できてしまう、想像できてしまう。
分かるというのは、こわい。
理解できるというのは、おそろしい。
時間が経てば経つほど想像が膨らんでしまって、どうしようもなくなってしまう。
先端恐怖症の人の気持ちが、今だけならほんのちょっと分かるような気がする。
アイスピックという名の現実の仮面をかぶった死神が、私を木偶の坊に変えてしまっていた。



「どうして」


そんな死の化身が。


今にも襲い掛かってきそうな現実的な凶器が。


私を舞台から降ろそうとする小道具が。


「どうして、あなたなの……?」


からんと、床に投げ出された。



♪   ♪   ♪



「どうして、あなたなの……?」

ようやく、殺せると思ったのに。
私だって出来るんだってことを、証明できると思ったのに。
丁度廊下の角を曲がろうとした時に、誰かが病院に入って来る音が聞こえて。
混乱して、焦って、どうしていいのか分からなくて。
それでも、なけなしの知恵を絞って「待ち伏せ作戦」を決行して。
緊張で漏れそうになる、吐き出しそうになる息を必死の思いで殺して。
口から飛び出しそうなくらいバクバクと鳴っている心臓の音が、相手に聞こえていないか不安で不安でたまらなくなりながらも。
あの人のことを、大好きなあの人のことを想って、死ぬ気で集中して。
一か八かの作戦は、見事に成功を収めることが出来たというのに。
あと少し頑張れば、どこかで監視しているのであろうちひろさんに私のやる気を見せることが出来るのに。

無理でした。

どれくらい時間が経ったのでしょう。
私は未だに、彼女を殺すことが出来ません。
物理的な理由ではありません。
彼女は怯えているのか、涙を流して、全身を震わせて、無抵抗のままです。
あと少し手に力を入れて、尖った針を振り下ろしてしまえば。
難なく殺してしまえるでしょう。呆気なく命を奪うことが出来るでしょう。
それでも、無理でした。
遂に、私は自分の武器であるアイスピックを、廊下に放り出してしまいます。

「殺せ、ないよ」

だって、私が馬乗りになって殺そうとしているアイドルは、五十嵐響子ちゃんだから。
本当に数少ない、残り少ない『殺してはいけない』アイドルだったから。
神様は、ほんとうに、ほんとうに、意地悪です。




♪   ♪   ♪



やる気のない、泣き出しそうな顔だった。

おどおどとした、腑抜けの、腰抜けの顔だった。

『あの子』のように、太陽みたいな明るさを持っているわけでもなく。

ただ、逃げて逃げて、逃げ続けてきた、臆病者の顔だった。



――――――――ふざけるな。



♪   ♪   ♪




「どいて、くれませんか」

容赦のない、冷たい声でした。

何が起こったのか理解できませんでした。
響子ちゃんが、上に乗っかっている私に拳銃を向けている。
刑事もののドラマで良く見るような、他者を害する武器を、向けている。
そんな事実を飲み込むのに数秒の時間を要しました。

「な、なんで」

「なんではこちらのセリフですよ」

涙の痕も拭わないまま、響子ちゃんは棘を隠す気もなく言葉を刻みます。
天敵に狙われた小動物のように、先ほどまで恐怖に縮こまっていたか弱い少女は、いつの間にか消え去っていました。
今ここにいるのは、怯えた心を奮い立たせ、敵意を丸出しにしている、殺し合いを是としたアイドルでした。
変貌の理由は、私がアイスピックという武器を、優位性を捨ててしまったからでしょうか。
いいえ、それだけではないような気がします。
だって私は、彼女の目をどこかで見たことがあったのです。

「どうして」

私を見下している目を。
私を見限っている目を。

「どうして、殺せないんです?」

私のことを。
使えない人間だと。
いらない人間だと。
どうでもいい人間だと。

邪魔な人間だと、思っている目を。

昔から、ずっとずっと、何処ででも。
私は、その目に晒されてきました。
それは、私がダメな子だから。
期待に応えることが出来ない人間だから。
アイドルになって、ようやく見なくなってきた「蔑みの視線」
それは相変わらず、私の心に突き刺さります。慣れることなど、有り得ません。

「あなたは、あの人のことを助けたくはないんですか?」

誤解されているのだと、私はようやく気づきました。

「ち、違うの……」

取り返しのつかないことになる前に、必死で声を絞り出します。でも、続きません。
なんとかしなくちゃと焦る気持ちとは裏腹に、私の口はパクパクと動くだけで上手く言葉を紡いでくれません。
理由があるんです。殺し合いをする気はあるんです。その一言が、言い出せません。
静かに激昂している響子ちゃんと、しっかり向き合うことが出来そうにありません。


「何が違うんですか。殺せないやる気のない貴女のせいであの人が死んじゃったらどう責任とってくれるんですか」

弱虫な私は、彼女の放つ狂気じみた熱に、気圧されていました。
やっぱりこの子は、私とは違う。
失敗して、めそめそして、ようやく動き出そうとしていた私なんかとは、全然違う。
きっと、さっき呼ばれた15人のうち、何人かは彼女が手にかけたのでしょう。
今、私を狙っている拳銃で殺したのか、それともストロベリーボムで殺したのかは分かりませんが。
既に、体験済みなのでしょう。だからこんなに、やる気のない私を怒っているのでしょう。

「違うの、違うの」

一方の私と言えば、昔の私と、同じでした。
昔の私。
失敗に失敗を重ね、言い訳さえ出来ず、見捨てられて、苛められて、逃げて、泣いて、閉じこもる。
今の私。
出会ったアイドルを殺せず、知り合いの死体の冷たさにめげて、思い出ばかりにすがって、挙句の果てにベッドの上で放送まで過ごして。
変わっていません。

私は、何もできていません。

「…………もういいです」

カチリと、安全装置を外す音がやけに大きく聞こえます。
タイムリミットだと、裁きの時間だと、そう告げている気がしました。
走馬灯のように駆け巡る想い出は、あの人のことばかりで。

あの人は、私の恋したあの人は、助けに来てはくれません。
当たり前です。今回は私があの人を助ける立場なのですから。
私が、助けなければならないのですから。

……そうです。

逃げずに。泣かずに。

助けなきゃ、いけないんです。



「しょせん、貴女の想いなんてその程度だったんですね」


――――――――そんなこと



「さよなら」



「――――――――そんなこと、ない!!!」



自分でも驚くような大声でした。
どんなライブの時よりも、お腹に力を込めて、はっきりと。
魂だといっても過言ではない熱い迸りを、叫んでいました。

「私だって、あの人のこと好きだもん!」

止まりません。恥ずかしいなんて考える間もなく、私は「告白」をしていました。
私の「好き」をその程度と切り捨てた響子ちゃんを、許せませんでした。
何も知らないくせに、私が抱く彼への恋慕を踏みにじった彼女を、許すことなど出来ませんでした。

「だから!」

堰を切ったように、溜め込んでいた感情を吐き出していきます。
それは、あの企画を聞いた時から密かに心に秘めていた、考え。
誰にも言えなかった、言えるはずもなかった、弱音です。

「もし私が死んでも、生き残った誰かがあの人を幸せにしてくれるならいいなって!」

そうです。
死は元より、覚悟の上です。想定済みです。
私は、こんなダメな自分に絶対的な自信なんて持てません。
59人を蹴落として最後の1人になれるなんて、そう簡単に思い込めるはずがないのです。
あの人さえ生きていれば良い、なんて思える聖人とは程遠いけれど。
臆病だからこそ。失敗ばかりしてきたからこそ。
失敗した時のことも、自分の死さえも計算に入れて。


もしも私が死んでも、こんな私を救ってくれたあの人には、幸せになってほしいと願っているのです。



「でも、もう2人も死んでるんだよ!?」

放送で、唯ちゃんと智香ちゃんの名前が呼ばれました。
もう彼女たちは、あの人を幸せにすることが出来ません。
一緒に買い物に出かけることも、キスをすることも、出来ないのです。

「あと3人しかいないんだよ!?」

だから私は響子ちゃんを殺せませんでした。
もちろん、最終的には殺しあわなければなりません。分かっています。
私にだって、親しい彼女を殺す覚悟くらいはとうに出来ているつもりです。
だけど、今はまだ早すぎるのです。
ストロベリーボムという強力なご褒美を持っていても、たった六時間で2人も死んでしまうこの殺し合いの中では。
まだ45人も残っている状況で。私や千夏さんが最後まで生き残れると全く確信できない状況で。
五十嵐響子という、あの人のための「幸せのクローバー」を私自らの手で摘み取るのは、早すぎると言わざるを得ません。
そんな決断をやすやすと下せるほどの自信は、持っていませんでした。

「私たちは、誰かが、最後まで、生き残らなきゃいけないんだよ。だから私は、今はまだ、響子ちゃんを、殺したくなくて……」

最後の言葉は、途切れ途切れの小さなものになってしまいました。流石に、疲れてしまったのです。
こんな限界まで大声をずっと出し続けていたのは生まれて初めての経験でした。
上手く伝えられたとは、思いません。
軟弱な意見だと言われれば、何も言い返せません。
あの場にいた残りの四人は、響子ちゃんも含めて自分こそが彼の愛を勝ち取るに相応しいと信じ切っていたのでしょうし。
私だって、あの人を想う気持ちは負けていないつもりです。
が、それでもネガティブに悪い方向に考えてしまうのです。これはもうサガとしか言いようがありません。
こんな鬱屈とした話を、愚痴にも似た感情の羅列を聞くのは、とっても意味のない疲れるものだと思います。
それでも、響子ちゃんは律儀に私の話を、叫びを、聞いてくれていました。
目を逸らさずに、耳も塞がずに、受け止めていてくれました。

「あなたなんかと、一緒にしないでください」

その上で、すっぱりと私の意見を切り捨てました。


響子ちゃんは相変わらず、怖い顔で私のことを睨んでいます。
怒っています。当然です。
私は彼女を殺しかけた張本人なのですから。一歩間違えれば殺していた相手なのですから。
いくら運が悪かったと言っても、実際には私が彼女を殺さなかったと言っても。
感情とはそういう理屈めいた、言い訳めいたところから切り離されたところに存在するのです。
それに、私にとって彼女はまだ必要な存在ですが、彼女にとって私がそういう存在であるという保証はありません。
他の二人に依存している私の保険的発想を認めてくれるとは、同意をしてくれるとは限らないのです。
既に一線を超え、ヒロインとして、戦士として、競争を勝ち抜く心づもりならば。
「相手が何を考えていようと、ライバルはここで潰しておく」という結論に至る可能性の方が高い気もします。
いつ引き金を引かれてもおかしくない状況。仕方がない状況。
今更ながらそのことに思い当たり、顔が青ざめます。
キーキーとヒステリックな獲物だと。
叫びの途中で頭に風穴をあけられていても、文句は言えなかったでしょう。

「どいてください」

慌てて彼女の上から退きました。イライラした口調は、やっぱり苦手です。
緊張と焦りからか、足がもつれてぺたんと床に尻もちをついてしまいます。痛いです。
そんな私を、響子ちゃんは呆れた半目で見下ろしながら

「あなたの考えは分かりました。今は殺さないでおいてあげましょう」

銃口を、外してくれました。
ほっ、と息をつきます。
どうやら、私が殺し合いをする気がないという誤解は、解けたようです。
そのうえで、彼女が私を殺さないのは。
彼女にとって害のない人間だと思われたのかもしれません。
彼女にとって益のある人間だと思ってくれたのかもしれません。
あの人に恋する気持ちを、あの人への献身を。
ライバルとして汲んでくれたのかもしれません。
私は今、彼女を殺す気などありませんでしたから。
彼女も私を今は殺さないというのは、とてもとても助かります。
何もできずに死ぬなんて、やっぱり嫌です。


「この病院に生きている人間は?」

「た、多分いないと思います……」

「そうですか」

用は済んだとばかりに、響子ちゃんは踵を返します。
出口へと進む迷いのない歩みは、とても様になっていました。
殺し合いの場へ、向かうというのに。堂々とした物腰でした。
おっかなびっくり病院内を歩き回っていた私とは、全然違います。
私と彼女で覚悟に差は、ないと思いたいのですけど。
やっぱり未経験者と経験者には、越えられない壁というものがあるのでしょうか。

蹴落としあう運命にある相手だというのに。
羨ましいと。憧れちゃうと。
素直に、感じてしまいます。

「あ、あのっ!」

私は、急いで立ち上がりながらバタバタと彼女を追いかけます。
ちょうど、思いついた考えがありました。
ここを逃すと、もう二度とチャンスがないように感じたのです。

「なんですか」

私の方から話しかけるなんて、とても珍しいことです。
それを良く知っている響子ちゃんは、ちらりとこちらに目線を流しながら歩くスピードを落としてくれます。
どんなに悪ぶっていても、冷酷になろうとしても。
やっぱり、彼女は根が優しいのです。良い子なのです。

「えっと、ですね」

なけなしの勇気を振り絞ります。
いつもは出さない、出せない想いを叫んで、スッキリとしたせいもあるのか。
相手が、あの人以外に初めて本音を打ち明けた友人だということもあってか。
私は、これまでになく積極的になっていました。
真面目に、必死に、誠実さを伝えられるように響子ちゃんの目をじーっと見て。
お願いを、してみます。


「私もついていっちゃ、ダメですか?」


彼女と一緒ならば

頑張れる気が、したのです。




♪   ♪   ♪



「…………は?」

「私、その、一人じゃちゃんと殺せるか自信がなくて」

やっぱり、ここで殺してやろうかと思った。
無様を晒され、殺されそうになった恨みが、怒りが、ふつふつと再沸騰しそうになる。
最後の一人にならなきゃいけないというルールで、他者に殺人の助けを求める?
あまつさえ、つい先ほど殺しかけ、殺されかけた人間に対して?
馬鹿にしているのだろうか。私だっていっぱいいっぱいなのだ。
放っておけば勝手にのたれ死にそうな緒方智絵里なんかよりも。
私を殺せないと馬鹿な宣言をしている気弱な少女なんかよりも。
優先すべき対象があるから、弾の無駄遣いををしなかっただけなのだ。
得もないのに、こんな状況で足手まといのお守りなんてまっぴらごめん。
こんなダメダメ人間の世話を焼けるほど、私はお人よしじゃない。

『響子の料理は美味しいなあ!特にこの煮付け、お袋の味って感じだ』

『ぼ、僕のデスクがこんなに綺麗に片付く日が来るなんて……!』

『服がピシッとしていると心も引き締まるよ』

『……でもパンツまで見られるのはちょっと恥ずかしいかなぁ』

『響子にはいつも世話になっているね』

『ありがとう』


そうだ。世話を焼くのは、あの人に対してだけで、良いんだ。


『響子は良く気が付くし、スタッフのお手伝いをしたり、さりげなく他の皆のフォローもしたりして、いつも人一倍頑張っているね』

『僕は、君のそういうお世話好きなところ、良いと思うな』


良いはず、なのだ。


「邪魔だと思ったら切り捨てますよ」

だというのに。
私は、肯定と取られてもおかしくない言葉を返してしまっていた。


「か、かまいません」

……そうだ、弾除けだ。

成す術もなく殺されかける、という貴重な体験を得て、私の殺し合い経験値は大きく上昇した。
今回だって、先行する囮、壁がいれば不覚を取ることはなかったのだ。
攻めの姿勢だけではなく、守りも固めなければならない。
何人殺そうが、生き残れなければ意味がない。
不安げな表情で私の出方を窺っている「これ」をうまく使えば、私の生存率は大きく上昇するのではないだろうか。
我ながらグッドアイデアだと思った。
それに、このボンクラにも一つくらいスコアをあげないと、ちひろさんが「やるきなし」と見なしてあの人を危険な目に遭わせるかもしれない。
これが死ぬのは知ったこっちゃないが、何の役にも立たずに、それどころか知らないうちに頑張っている私の足を引っ張っていくのは我慢ならないことだった。

「勝手にしなさい」

そうだ。グダグダにならないようにしっかりとルールを決めておこう。

『緒方智絵里は参加者が残り半分を切ったら消費期限が来たとして殺す』

『私の足を引っ張ったり反抗的な態度を取ったり反逆の兆候を感じたら期限内でも殺す』

さっきの口ぶりからするに、彼女のような臆病者はきっと残り人数が十人を切ったりするまでは安心して私を殺せないだろう。
私は違う。メリットとデメリット、リターンとリスクを冷静に考えて行動できる。
私の中の天秤を動かしてみるに「囮、壁」という右側に乗せたメリットは、今のところ「足手まとい、殺される危険性」という左側に乗っているデメリットを少し上回っている形になる。
特に、殺される危険性というデメリットは、今回は実際に殺されなかったのだから考えなくとも大丈夫。

(あくまでも、今はだけどね)

今は羽毛のように軽いこの分銅は、しかしアイドルの人数が減れば減るほど重みを増していく。
見積もりを甘くしてはいけない。「恐らく十人くらいになるまでは大丈夫」などという軽率な憶測は計算に入れてはいけないのだ。
厳しく見極めを行う私の頭の中で、殺される危険性を含んだデメリットが壁役、囮役というメリットを超える重さになるのは「残り30人」と算出された。
この人数を切ったならば、私の中の緒方智絵里天秤はデメリットの方にどんどん傾いていく。

「あ、ありがとうっ」

その時が来たら、私の目の前で無警戒にお辞儀しているこの頭を容赦なく後ろから撃ち抜こう。
間の抜けた彼女のようにわざわざ「残り10人」という極端な傾きになるのを悠長に待っているのは馬鹿のすることだ。
もう少しだけなら大丈夫。この発想ほど人を堕落させるものはない。
たとえどれだけ便利な消耗品として使える道具だったとしても。
爆発の危険性が0.1%でもあるのならば。加速度的に危険性が増加していくのならば。
容赦なく、捨てる。

少しでもいらないと思ったら捨てる。
これが、掃除の鉄則。

最後の一人になるのは、他の誰でもなく私でなくてはならないのだから。
デメリットを考慮せずに緒方智絵里を残すことに、必要性は全く感じない。
私は、甘っちょろい彼女とは、違うのだ。

「これから、どうするんですか?」

どうするか、なんて決まっているじゃないか。
でも、困惑する顔を見るに、緒方智絵里は本当に最優先事項を分かっていないようだった。
同じプロデューサーの元にありながら、今も『あの子』の危険性に気付いていないなんて。
私はわざとらしく溜息をつきながら、デメリットのお皿に考えなしという分銅を追加した。
こんな調子じゃ、次の放送を待たずして私の中の天秤は悪い方向に傾き続け、彼女を殺してしまうかもしれない。

一度しか言う気はありません。絶対に忘れないように。

「ナターリアを、殺しに行くんですよ」



【B-4 病院/一日目 午前】

【五十嵐響子】
【装備:ニューナンブM60(5/5)】
【所持品:基本支給品一式×1、ストロベリー・ボム×9】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:生き残り、プロデューサーに想いを伝える。
1:ナターリアを殺すため、とりあえず西へ向かう。
2:ナターリア殺害を優先するため、他のアイドルの殺害は後回し。
3:ただしチャンスがあるようなら殺す。邪魔をする場合も殺す。
4:緒方智絵里は邪魔なら殺す。参加者が半分を切っても殺す。

【緒方智絵里】
【装備:アイスピック】
【所持品:基本支給品一式×1、ストロベリー・ボム×10】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:生き残り、プロデューサーに想いを伝える。
0:とりあえず響子ちゃんについていく
1:殺し合いに賛同していることを示すため、早急に誰か一人でもいいから殺す。
2:響子ちゃんと千夏さんは出来る限り最後まで殺したくない。


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最終更新:2013年02月11日 07:41