彼女たちの心を乾かすXIX(太陽)――ナインティーン ◆John.ZZqWo
それは一瞬のことだった。
炎が閃き、炎は膨らみ、炎に包まれて、
水本ゆかりは踊る。
まるで蝋燭の炎に近すぎた羽虫のように。
今生で最後の憐れな死の舞を踊る――……
“彼”は、一言で言ってしまうと不器用な人でした。
その時はまだ小さかったこの事務所のアイドルオーディションを受けて、意外なほどに難なく合格した私の前にその人は現れました。
年齢は、もしかしたら父親よりも上かもしれないと思わせる白髪混じりの頭に、首には結びなれてないだろう曲がったネクタイ。
風采の冴えない人だというのが最初の印象で、
「……水本ゆかりと申します。幼少のころよりフルートをやっていましたから、音感は良いんですよ。
人前で歌ったことはありませんけど……プロデューサーさん、ご指導、よろしくお願いします」
などとは言ったものの、内心はひどくがっかりしていて、
これはアイドルデビューをちらつかせてレッスン料を巻き上げようという詐欺の類なのでは? とすら思っていました。
しかしそうでないことは……少なくとも、この人は私の担当を任せるに相応しいと事務所側が考えた結果なのだということはすぐに判明しました。
彼もまた音楽の経験のある人だったのです。
以前はピアノの先生をしており、その楽器教室が潰れてしまった時にここの社長と縁があったことでトレーナーとして受け入れてもらえたとの話でした。
とはいえ、元々から人には強く言える性質ではなく、音楽は好きだけれども先生としては不適格ということで今はプロデューサーをしてるとのこと。
それもまた実態とは違い、この事務所の中で彼にできる仕事はないから、
一応プロデューサーという扱いにして普段は楽器の手配をしてもらったり、もっぱら雑用をこなしているというのが正しいらしいです。
そして、私が彼にとっての最初の担当アイドル候補生であり、彼からすれば初めてのプロデューサーとしての仕事なのだとも最初に聞きました。
正直、その話を聞いた時に私が気落ちしたことは否めません。
なにもトップアイドルを目指してオークションを受けたわけではありません。
ただ、私は私自身の実力と才能で一度、社会の上に立ちたいと思ってこの事務所の戸を叩いたにすぎません。
しかしそれにしても、もう少し、なんというか……指導を受けるなら、きちんと成功している自立した大人の人が相手で欲しかった。
今思えば、大人や社会に対して高望みしすぎて――
いや、大人も子供からの成長の延長線上にあるものだという認識の不足した、それこそ子供のような私の思いでしたが、
無論、彼を前に口に出せるわけもなく……、しかし、それでも彼はなにか感づいていたかもしれません。
口数は少なくとも心の機微には敏い人でしたから。
それからのアイドル――それ以前のアイドル候補生としての日々はその心配とは裏腹に順調と言えました。
お互いに音楽という共通の話題があったおかげで、親子ほどの年の差がある彼ともすぐに打ち解けることができましたし、
彼自身が行ってくれるレッスンは、彼を独り占めしているのがもったいないと思うほど的確なものでした。
それはおそらく、私と彼がどちらともアイドルというものを意識せず、あるいはまだアイドルというものがなんなのかを掴んでなかったからこそで、
故にただの音楽を学ぶ子弟として私と彼はゆるやかで、しかし一日一日が充実した日々をすごせたのだと思います。
慣れてしまえば彼の不器用さも愛嬌で、私は少しずつですが魅力すら感じ始めていました。
いくらか月日が経ち、少しずつ実際の仕事の話をどうしようかという話になると、
事務所としても、私の適正を見てポップさやキャラクター性で推していくのではなく、音楽経験とスキルを活かした仕事をさせようということになりました。
クラシック音楽の番組でアシスタントをしてみたり、実際に地方のクラシックコンサートではMCを任されてみたり、
あるいは楽器メーカーのキャンペーンに登場してみたり、――どれもちっぽけな仕事でアイドルとしての実感はまだ遠かったけれども、
彼と一緒に事務所を出て、そして一緒に事務所に帰ってくる日々は以前にも増して楽しいものでした。
そしてまた月日が流れ、遂に私が『アイドル』としてデビューする日がやってきました。
私が、私が着るためにあつらえられた衣装を纏い、私が立つために用意された舞台に立ち、私が歌うために作られた曲を歌う。
かわいい、まるでお姫様みたいな衣装を着た私は緊張するどころか子供のようにはしゃいで、まだ少ないけれど私の歌を聴いてくれる人のために歌いました。
客席の一番奥に彼が立っていて、私が歌い終わった時に彼が私を見て頷いてくれた時、私は本当に、ああこの人でよかったと思ったんです。
私自身の適正やプロデューサーである彼の希望もあり、
私はアイドルとして硬い仕事ばかりを選んでいたのですが、
そのせいか評価はともかくとして、人気という面では同期の子らからも置いていかれていました。
彼女たちのスケジュールがいつもいっぱいなのに比べて、私のスケジュールはデビューから時が経っても白い部分が目立ちほとんど埋まらない。
私としては、その間は彼とレッスンができるのだし、私は私のジャンルの中で確かな評価を得ているのだからと、なんら気後れすることはありませんでした。
むしろ、周りの子らが私に一目置いてくれることに誇りさえ感じていたほどです。
けれど、彼はそうは思っていなかったようです。
私はもっと評価されるべきだというのがこの頃の彼の口癖だったし、彼は苦手な営業活動にも精力的になっていました。
彼が事務所にいない時は、私はひとりで、あるいは他のトレーナーにレッスンを受けていましたが、そういった時間はひどく味気なく、またひどく寂しさを感じて、
そうしてようやく私は彼に仕事のパートナーとして以上に好意を抱いているのだと……そう自覚したんです。
もしかすれば、彼もそれには気づいていて、だからこそ私をもっと大きな舞台に――自分の手の中から飛び立たせようとしていたのかもしれません。
そしてある日、事件が起きました。
あるクラシックコンサートに歌手として参加することになっていたのですが、同日同時間にまた別のコンサートにも参加することになっていたのです。
所謂、ダブルブッキングというもので、彼の手違いから起こってしまったことでした。
その上、どちらの仕事も社長の顔を使って半ば強引に取ってきたようなもので、更には専門性があることから簡単に代役が見つかるようなものでもありませんでした。
私はどうしていいのかわからず、しかしそれ以上に彼もどうしていいのかわからない様子でひどく狼狽していましたが、
結局は社長が片方に詫びを入れ、私は片方の仕事だけをするということに落ち着きました。
その後、私が舞台の上に立っている時に彼の姿はその場にはありませんでした。謝罪のためにもう片方の現場へと社長と出向いていたのです。
私は私自身より、目の前のお客様のことよりも彼のことが気がかりで、当然ながら仕事が十分にできたかというとそれは首を横に振る結果にしかならなくて、
この日に与えられた大きな機会は結局どちらも不意にしてしまいました。
その仕事の後、事務所に帰ってきた私が見たのは、床に頭をこすりつけている彼の姿でした。
彼は自分より二回りも下である私に対し土下座をして、この日のことを謝るんです。何度も、私がそんなことしなくても言いといっても、やめてはくれなかった。
私はそんな彼を見て泣きました。いたたまれなくて、どうしようもない私自身が情けなくて。
そしてもうプロデューサーを辞退するとまで言い出した彼の背を抱いて私はこの時、決心したんです。
私が守ろうって。私が彼を守れるくらいに強くなろう。高みを――トップアイドルを目指し、彼もまた私のプロデューサーであることに誇りが持てるように、と。
その翌日から私は気持ちを切り替え、今までアイドルの仕事をどこか現実的ではない軽い気持ちで挑んでいたその心構えを改めました。
『アイドル』であること、仕事をするということは責任を伴うことだと自覚し、ただ彼や事務所に用意された舞台で歌ったり踊ったりしているだけでは駄目だと。
元々は私自身が私が社会で通用するかを確かめるために始めたことなのに、私はそれを彼との楽しい時間に耽っている内に忘れてしまっていました。
それが遠因となり、彼の焦りを生み、そしてあの日の事件を起こしてしまったのだとするなら、その全ての原因は私自身でしかありません。
故に、私は『アイドル』であることを自覚する私に変わったのです。
事務員のちひろさんからは「変わったけれど、今のほうがいい」と言われました。
彼はというと、少し戸惑いがあったみたいですけど、私の決めた覚悟に応じてプロデューサーを続けてくれると約束してくれました。
それからは、私も積極的に仕事選びに意見を出し、舞台演劇の世界にも足を踏み入れました。
楽器や声ではなく、しぐさと台詞でなにかを表現するというのは単純なようでいてすごく難しいことでしたが、
新しい世界でまたそこから上を見上げると、まだこれだけ自分には成長する余地があるのだと思うことができました。
見上げ続け、私は『アイドル』として、二度と挫けず、折れず、彼とこの世界の天元へと到達してみせよう――
それが、私の『約束』。私が『アイドル』になったというお話。
なのに、炎が私の身体を焦がす。
見上げる空には白い太陽。巨大で揺るがず、どこまで手を伸ばしても遠い天元の光。
ふと、太陽に近づきすぎて羽を失った者の物語を思い出す。私もそれと変わらない愚か者だったのだろうか……?
これは身の丈に余る分不相応な願いを抱いた結果でしかないのだろうか? あるいは、方法が間違っていたのか……。
しかし、そんなことは今となってはもうどうでもよくて、
私はただ、
私が死ねば彼はきっと泣くだろうから、それを慰めることができないのが、ただ辛い――
@
やり遂げたという陶酔に浸っていた
星輝子だったが、
輿水幸子が血相を変えてこちらへと駆け寄ってくると、ぱっとそれは霧散した。
「あ……、あの、…………なに、……なに? …………なにして、るの?」
輿水幸子はびくりと身構えた星輝子の脇を通り過ぎ、そして今は彼女の目の前で横たわる水本ゆかりの遺体に向けて繰り返し上着を叩きつけている。
なにをしているの? とは聞いたが、答えを聞く必要もない。未だチロチロと水本ゆかりの身体を炙り続けている火を消そうとしているのだ。
派手に吹きつけた炎だが、燃やしたものは揮発性のガスであるし、燃え移ったドレスもレースの部分があらかた燃えてしまえばもう燃える部分もそうない。
なのでそれは、星輝子が見ている前でまるで魔法が解けるようにあっさりと消えてしまった。
「ハァ……、ハァ…………」
そして火を消し終わると輿水幸子は路上に膝をついて水本ゆかりの顔を覗きこみ、僅かに身体を震わせた後、その顔に上着を被せる。
火に炙られた顔を隠し、そして輿水幸子はうつむいたまま動かない。
銃弾の雨あられを受けて乗り物が粉々に破壊されたメリーゴーランドがまた自動で動き出し、また止まってもまだ動かない。
星輝子はなにか不安を感じ取って、そして彼女のことが心配になり、おずおずと小さな声を、遠慮気味に、しかし勇気を絞ってかけてみた。
「…………大丈夫?」
小さな声は確かに届いたようだ。ぴくりと反応すると彼女はうつむいたまま聞き返す。
「大丈夫ってなにが大丈夫なんですか?」
予期せぬ棘のある口調に星輝子は怯む、すると彼女は追い討ちをかけるように言葉を重ねてきた。
「じゃあ、あなたは大丈夫なんですか?」
星輝子は素直に頷く。
「……こ、転んでおしりは打ったけど、……怪我はしてないから、わ、私は大丈夫」
へへへと息を漏らして少し強がったポーズもとってみせる。相変わらず彼女はうつむいたままなのでそんなことには――
「そうじゃありませんよッ!」
急に顔を向けて怒鳴った輿水幸子に星輝子は驚き、そのポーズのまま3歩後ずさり、目を見開いて固まった。
不安が華奢な身体の中で膨らみ始める。なにか怒らせることをしてしまったのだろうか。なにもかもはうまくいったはずなのに。
一度くらいは褒められるものだと、そんな期待すらしていたのに、自分を見つめる彼女の目に滾っているのは怒りだと星輝子は悟ってしまう。
「あなた、人を殺したんですよッ!
なのにどうしてそんな平気そうなんですか! ゆかりさんを……人を殺しておいて、どうして、そんな……どうかしちゃったんですか!?」
「え? …………え?」
口を金魚のようにパクパクとさせながら星輝子は更に後ずさる。
人を殺した? 人を殺した……、私が、人を、殺した……? それって、どういうこと……?
輿水幸子の前に横たわった水本ゆかりの身体を見る。火に炙られ、路上に血を滲ませて、拳銃で撃たれたままの姿勢でもうぴくりとも動かない。
そこにあるのは人間の女の子の、『アイドル』の死体だった。
「あ、れ……?」
膝の下から震えが上がってくる。
途端に左手が重たくなった。ゾンビにでも引っ張られているのかと思ったが、そうではなく拳銃を握ったままだったことを思い出しただけだった。
輿水幸子はこちらを睨みつけたまま泣いていた。
彼女がいる場所は日の光の中にあって、後ずさった自分はいつの間にかに影の中にいて、
どうしてか、その光と影の境界線はなにか決定的なもののように思える。
「……………………ぁ」
どうして殺したんだろう? 人殺しなんかできるわけないのに。
もしかして自分の中に人殺しの本性が眠っていたのだろうか? 例えば、ジェノサイダー・ショウコだとか、キノキノちゃんだったりとか。
違う。そうじゃない。相手が、水本ゆかりじゃなくて、“カタキ”の“サツジンキ”だったから、“ユウキ”を振り絞って、“ヤッツケ”たんだ。
だからその瞬間はキノコが傘を開いた時のように、ライブで一曲終わった瞬間に歓声があがった時のように晴々としてて、達成感があって、
でも、気づけば輿水幸子は泣いていて、『アイドル』が一人死んでいて、“ワタシハヒトヲコロシテシマッテイテ”、どうしてこんなことになっているんだろう?
「いつか、ボクのことも殺すつもりですか?」
そんなわけがないと首を振る。
「でも、殺していけばいつかは最後のひとりになるためにボクを殺さなきゃいけなくなるでしょう!」
「ち、ちがう…………、ランコの、カタキ…………」
「ボクを守るため、蘭子さんの仇を討つため、それはいいですよ。ボクだってゆかりさんに向けて銃を撃ちましたから」
輿水幸子は袖で涙をぬぐい、そして言葉を続ける。
「でもね……、あなたはゆかりさんに火をつけた後、その隙に彼女の荷物から銃を抜き取って、苦しんでる彼女に向かって止めを刺したじゃないですか!
なんなんですあれは!? ドンくさそうにしてるくせにあんな……最初から計算してたんですか? あなたこそ殺人鬼じゃないですか!」
たじろぐ。あの瞬間に感じていた正しさが全て反転してしまう。
「人を……、ボクたちは人を殺しちゃいけないんです!」
ぬぐったはずの涙がまた輿水幸子の目に浮かぶ。
「ボクたちはひとりひとりじゃ脱出なんかできっこなくて、だから仲間を集めないと……、力を、あわせないといけないのに、
なのに、ボクは馬鹿なことを言って蘭子さんをひとりにして……、あなたはボクを守るためだと言ってゆかりさんを殺して……、
こんなの、きっと思うがままですよ! この企画のお偉いさんは今頃ボクたちを見て笑っていますよ! 所詮、アイドルといってもこんなものだって」
輿水幸子はぼろぼろと涙を零しながらまくし立てる。
もはや星輝子の中に勝利の余韻は、熱狂は一片も残っておらず、全身は震えに包まれ、ただ取りかえしのつかないことをしたという恐怖だけが、
冷たくて重たい水のように満ちているだけだった。
殺しあいを否定はしていたけど、それは殺す側と殺さない側という区分でしかなく、殺す側の人間は殺さない側の人間でも殺していい。
いつの間にそんな風に考えていたのか。人を殺すことができるだなんて、そんなことを。
「ボクはあなたが言ったようにボクらしくここで生きぬいてみせます!」
言って立ち上がると、輿水幸子は自分の拳銃をボロボロになったメリーゴーランドに思い切り投げつけ、遊園地の奥へと走り去ってしまう。
彼女のいた場所には預けていたツキヨタケの鉢植えが残っていて、ポツンと残されたそれはなによりの決別の証だった。
星輝子はフラフラと影から出て、鉢植えを抱え上げてまた影の中に戻る。
「だ、大丈夫……ボッチは慣れてる、し。……あなたがいるし」
けれど、ツキヨタケの声は聞こえない。
「フェ……、ヘ、ヘヘ……ヘヘヘ………………」
一生で一番勇気を振り絞ってしたことは殺人で、そのせいでトモダチはいなくなって、なのに一時でも得意げになって、自分にもできると確信してしまった。
壊れたメリーゴーランドの中の鏡に映る自分はひび割れだらけで、無様な格好で無様な表情を浮かべている。
その姿はひどく滑稽で、やっぱり自分はポーズだけなんだと改めて思って、やることなすこと裏目に出て、それは案の定で、情けなくて、笑えてきて、
泣けてきて、
でも、それでも――
「フッ、フハハハハハハ……ッ! 元より我が身は光と相容れぬ闇の眷属なれば、ジューダスと罵られようともただこの晩餐を地獄の業火で満たすものなりッ!」
なにも間違ってはいないのだ。
これは殺しあいなんだから、どうしても誰かを殺すことを避けられない場面がやってくる。
それは正しくも間違ってもいなくて、ただ悲しいだけで。
でもそれを自分が肩代わりできるというなら上出来で、むしろなにもできないと思っていたのだから、できたのだから例えトモダチに嫌われても、それでもいい。
これはきっと私には向いているから。嫌われるのも、気味悪がられるのも、ボッチなのも慣れている。
それでも、トモダチを、彼女を守ることができるのなら、
「幸子が最後までかわいいまでいられるように、がんば……ろう」
覚悟を決めて星輝子は日陰から光の中へと一歩踏み出す。頂点まで上った太陽は白く眩しく、そして化身の身を焼くように熱かった。
水本ゆかりの遺体の傍により、手をあわせて……何を言っていいのかわからないので「南無阿弥陀仏」とだけ言って拝む。
そして彼女が撃ちまくっていた機関銃を拾い上げて肩にかけ、荷物を漁ってマガジンをベルトに挿した。
「刀は……やめとこう。なんだか、怨念がこもってそうだし……、振り回すの怖いし」
星輝子は輿水幸子が走り去った方向を見る。その視線の先にあるのは、この遊園地のどこからでも見える、平凡だが大きな観覧車だ。
彼女は
神崎蘭子の元に行ったに違いない。神崎蘭子はもう……、でも最後になにか言葉をかけたかったのかもしれないし、弔いたかったのかもしれない。
その気持ちは星輝子も同じだ。星輝子もちゃんとお別れをしたいし、仇を討ったことも報告したい。
そして、輿水幸子とも仲直りを。もう越えられない壁が二人を阻んでいるとしても、その壁越しでいいから彼女と一緒にいたい。
星輝子はポケットから情報端末を取り出してスイッチを入れた。
「ヒャッハー! どれだけ離れようとも、我が魔眼からは…………って、あれ?」
しかし、地図は表示されたものの、そこに名前は――神崎蘭子の名前はどうしてか浮かんでいなかった。
「こ、こけた時に壊しちゃったかな……? で、でも……場所はわかってるし、フ、フハハー」
気を取り直すと、星輝子はツキヨタケの鉢植えを胸に抱いて観覧車の足元へと走り出した。
@
「ボクはなんて馬鹿なんでしょうか……」
この悪趣味な企画が始まってから半日。輿水幸子は後悔することばかりだった。なにもかも、一挙一動のその全てが後悔することばかり。
神崎蘭子が死んでしまったこと、星輝子が水本ゆかりを殺してしまったこと。どちらも元をただせば自分のせいに他ならない。
なのに、星輝子に対してあんなにも辛く当たってしまった。
どうして? 自分を守るため。ちっぽけな自分を正当化するためだけに責任を全て他に押しやった。
いつもの負け惜しみ、いつもの自己正当化、そしていつもの敗北。
「いい加減、情けないですよ……。もう、嫌になっちゃいますね」
走ってきた後ろを振り返る。だが遊園地の通りはがらんとしていて誰の姿もない。
「さすがにもうついてきませんか。まぁ、彼女もボクみたいな疫病神がいなければひょっとしたら最後まで生き残れるかも……いや、さすがに無理ですかね」
自己嫌悪の上に乾いた笑い声を滑らせ、輿水幸子は神崎蘭子が乗っていた観覧車へと足を進める。
ひとつだけ赤く染まった観覧車のゴンドラ。それを見ればもはや手遅れなのは明白で、行ったところで悲しい思いをするだけだろう。
しかしそれでも、輿水幸子は彼女に一言謝ってから行きたかった。
ほどなくしてその観覧車の足元へと辿りつく。
輿水幸子はずっと、回っていて、今は頂点にあるゴンドラを見上げながらだったので目の前に来るまで“それ”に気づかなかった。
「ヒ、ヒィ……ッ!」
乗り場はどこかと視線を地面に下ろした時、そこにあったのは真っ赤な死の河だった。
「あ……、あ………………」
それがなにかというのはすぐに理解できた。
真っ赤な河の上に飛び石のように浮かんでいる白と黒の破片。原型は留めていないが、それは神崎蘭子の成れの果てだった。
輿水幸子の視界の中、神崎蘭子の部分だったとわかるのは観覧車のちょうど真下。彼女の視線の真ん中にある神崎蘭子の腰から下だけだ。
そしてその下半身にしても、左足のほうは膝から下が見当たらない。
震える歯をカチカチと鳴らしながら輿水幸子は上のほうで回っているゴンドラを見上げ、また視線を下ろす。
「なんで……」
落ちたのか、落とされたのか? いや、わざわざ水本ゆかりが観覧車で一周することにつきあったとも思えない。
おそらくは神崎蘭子は彼女に襲われた後にまたゴンドラの中に逃げ込み、朦朧としていたのか扉に寄りかかったまま力尽きたのか、上から落ちてしまったのだ。
「もう……、こんなのどうすれば…………」
血の気が急速に引いていくのを感じる。
立て続けに見た人の死体は、片方は炎に炙られ眉間に穴を空けられていて、もう片方は床に落としたオムライスみたいになってしまっていて、
自分が生きているこの世界はこんなにも現実味のないものだっただろうか?
眩暈を覚えて後ずさると、靴の裏がなにか固いものを踏んだ。
「ひゃ!」
ドキリとして、バランスを崩して輿水幸子はそのまま後ろに倒れこむ。
したたかに打ちつけたおしりをさすりながら見れば、そこに落ちていたのはなにか銀色の環だった。
どこかで見覚えがある。なのにぱっとは頭に浮かんでこない。これはなんだろう? まじまじを見つめ、手にとったところで彼女ははっとした。
「首輪……!」
チョーカーのように細いこの銀色の環は紛れもなく自分や他のアイドルたちに嵌められた首輪に違いない。
その首輪にはうっすらと血がついており、よく見ると細かい文字が打ってあるのが見えた。
「……RANKO KANZAKI。これって」
そしてそれは神崎蘭子の首輪だった。
どうしてこんなところにこれだけが? 想像しようとして、輿水幸子はぶんぶんと首を振って想像しかけた恐ろしい光景を頭から追い出す。
荒くなりかけた息を整え、また首輪だけをじっと見て、見続けて、それから……、
「ごめんなさい」
輿水幸子は掌の上の首輪にそう謝った。
もうなにもかが遅く、どれも取りかえしがつかないけれど、せめて自分が愚か者だということくらいは自覚できるように。
「本当に……ごめんなさい」
首輪の上に雫が落ちる。雫は首輪の上できらりと光を反射し、空を見上げればなにもかもを無常に乾かす白い太陽が浮かんでいた。
【F-4 遊園地/一日目 昼】
【星輝子】
【装備:鎖鎌、ツキヨタケon鉢植え、コルトガバメント+サプレッサー(5/7)、シカゴタイプライター(0/50)、予備マガジンx4】
【所持品:基本支給品一式×1、携帯電話、神崎蘭子の情報端末、ヘアスプレー缶、100円ライター、メイク道具セット】
【状態:健康、いわゆる「特訓後」状態】
【思考・行動】
基本方針:トモダチを守る。トモダチを傷つける奴は許さない……ぞ。
0:幸子を追いかけてもう一度いっしょにいさせてもらう。
1:ランコにカタキを討った報告を。
2:マーダーはノーフューチャー! ……でも、それでもしなくちゃいけないことなら私がするよ。
3:ネネさんからの連絡を待つ
【輿水幸子】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式×1、スタミナドリンク(9本)、首輪(神崎蘭子)】
【状態:胸から腹にかけて浅い切傷(手当済み)】
【思考・行動】
基本方針:かわいいボクを貫く。
0:と言っても具体的にはなにをすればいいのかわかりませんよ……。
※神崎蘭子の情報端末に彼女の位置情報が表示されなくなっています。
※メリーゴーランドの中に、輿水幸子の投げ捨てた「グロック26(11/15)」があります。
※水本ゆかりの死体の傍に、「マチェット」「白鞘の刀」「基本支給品一式×2」が散らばって落ちています。
最終更新:2013年05月06日 21:28