柘榴、落花の発 - 神薙の巫女と堕ちし龍Wiki

　一体いつからだろう。
　感謝され称えられることに罪悪感を覚え始めたのは。

　一体いつからだろう。
　純真な憧れを向けてくる瞳を直視できなくなったのは。

　一体いつからだろう。
　軋む心を誤魔化すために貼り付けた笑顔で取り繕うようになったのは。

　──────────。

『助かったよ。あんたは命の恩人だ！』

　違う。

『あなたのおかげで被害はこれだけで済みました』

　違う。

『仇を取ってくれてありがとう。これで喰われた皆も浮かばれます』

　違う。

『『『あなたこそ英雄だ！！』』』

　違うっ！！

「──────っ！っはぁ……！はっ、はっ、はぁ……っ！」

　全身から汗を滲ませて飛び起きる。
　もう既に幾度となく見た夢だというのに、毎回うなされた末に最悪の寝覚めを迎える。
　否、「夢」なんかじゃない。
　あれらは全て紛れも無く自分が過去に経験した「現実」だ。

　無惨に壊された村々。
　力無く横たわる親を揺する子供。
　既に事切れた我が子を抱いて泣き叫ぶ親。
　名前を思い出せないおそらく大切であった仲間の骸。

　もっと鋭く察知していれば。
　もっと早く駆けつけていたら。
　もっと苦戦せずに倒すことが出来ていたら。
　もっと強ければ。

　全て未然に防げていた悲劇であった。

　ごめんなさい。
　弱くてごめんなさい。
　救ってあげられなくてごめんなさい。
　間に合わなくてごめんなさい。
　忘れてしまってごめんなさい。

　いつも心の中で謝っていた。
　救えず取り零してしまった全ての人々。
　忘却の彼方へと消えてしまった同胞達。
　どうせ届かないと知りながら。
　溢れそうになる涙を堪えて。

　そう、私は決して泣かなかった。

　ただでさえ不条理な災厄によって多くのものを失った人々の前で、希望の象徴である巫女の私が弱みなど見せられようか。
　彼らの多くは善良だ。
　「無能」や「役立たず」といった罵声を浴びせてくる輩は確かに存在する。しかし、それ以上に労いや称賛の言葉をかけてくれる者の方が多い。
　前者に関しても命や財産の危機に瀕して余裕を失った人間の心とは荒む物。
　平時はきっと穏やかな顔で隣人と笑い合っているに違いない。
　だから、誰もが救われる価値のある尊い存在だ。
　本来は一人たりとも犠牲が出るなど許されることではない。
　そのはずだ。そう願いたい。
　でなければ私は、私達巫女は何のために──────。

「…………………………………………………」

　世界を閉ざすように両の掌で顔を覆う。
　そして、何も見たくなくなった時のための「おまじない」を今日も唱える。

「大丈夫。まだ大丈夫」

　そう、まだ大丈夫だ。
　身体は動く。意欲は衰えていない。折れてたまるものか。
　──────だけれども。

「少し……、疲れちゃったな………………」

　──────────。

「ねぇ、いつまで続くのかな」
「唐突にどうしたというのだ」

　長年連れ添った友に意見を募ってみた。

　イリス＝A（アルター）＝イルテリアス。

　私が知る中で最も完璧に近い巫女。
　彼女は強く、賢しい。誰よりも。
　至らない私とは異なり、納得の出来る答えを提示してくれるかもしれない。

「私達の、巫女と龍の戦いだよ」
「ふむ、そうさな」

　イリスは顎に手を当てて考え込む。
　そして、しばしの間を経て淡々と持論を述べていく。

「我等巫女の使命は龍を退け、人々を守ること。しかし、龍はその人々から湧き出る信仰を求めて現れる。守るべき対象が倒す対象を呼び寄せる源を供給し続ける限り、『終わり』というものは存在しない」
「『自然の摂理』、ということ？」
「然り」

　等間隔に瞬きを刻む淀みのない金色の瞳。
　私にはその双眸が人間らしい情緒の宿っていない非道く無機質で不気味なものに見えた。

「何人たりとも取り零さずに衆中全てを救うなどそれこそ神の所業であろう。我らは神をその身に宿す巫女であれ、神そのものではない。努々思い上がるな」
「だとしても！死んでしまったらそれまでだ！全ての人を救いたいと思うことは尊いことでしょ！？仲間を、友を忘れたくないと願うことは正しいことでしょ！？」

　困惑と苛立ちから思わず声が荒くなる。

　やめろ。やめてくれ。

　私が羨望の眼差しを向けてきた「完璧な巫女」はこんな突き放すような冷たい理を説くわけがない。
　きっと、世界をより良くするための温かい希望を示してくれるはずだ。

「わからない……。わからないよ……！私には君が『仕方が無いから諦めろ』って言っているようにしか聞こえない！」
「そう受け取ったならばそう思えばいい。だが、現実から目を背けるな。汝の掲げるその尊さと正しさとやらだけでは何人も救えぬ。『もしも』などという在りもしない夢想に縋るな。幾ら悲嘆に暮れたとしても、実際に起きた結果こそが唯一にして最善という事実が揺るぎはしない」
「それでも……！…………………っ！」

　言い淀むと同時に白熱していた心が冷めていく。

　期待した自分が愚かだった。

　力と引き換えに人間性を失った目の前の友は、最早諦観の奴隷だ。
　そこにかつて共に理念を燃やし合った姿は影も形も無い。

「……………………イリス。君、変わっちゃったね」
「何が言いたい？」
「昔の君のままなら違う答えをくれると思っていた」
「ゾイ、過去を想うのはいい。だが、囚われるな。我等に出来ることは例え記憶には残っておらずとも亡くした者達の想いを背負い歩み続けるのみ。それこそが鎮魂の弔いとなるのだから」
「…………………………わかった。もういい」

　結論を告げるイリスの元を私は去った。
　虚ろなる失望と深い絶望を抱えて。
　自分より優れた存在でさえ、自らがいつか待ち受ける悲惨な宿命を「自然の摂理」の一言で片付けていた。
　力を持ちながら流れに抗わず身を任せていくだけ。
　そんなものただの思考停止だ。
　「怠惰」と呼ばずして何と呼ぶ。

　認めない。
　決して認めてなるものか。

　誰もが当たり前だと受け入れて、疑問にすら思わない不条理を。
　誰かが変えなければ永遠に続いていく地獄を。

「──────違う」

　夜空を見上げて呟く。

「『私』が終わらせる」

　そう、在りもしない「誰か」なんかじゃない。
　待つだけでは全てがこのままだ。
　自分から動かなければこの胸の内で膨らみ始めた大願を叶えることなど出来はしない。

「この宿痾の螺旋を……！呪われた運命を……！例えどんな手段を持ってしても断ち切ってみせる……！」

　冥府神の依代が立てた誓いは暗夜の帷に融けていく。

「世界から一つでも多く悲劇を失くす」。

　全ては原初に打ち立てた理想の為に。
　彼女は闇への第一歩を踏み出す。