#1 我思う、故に我在り/Jem Ʒest sæst, Ic Jem Ptani sæst
まずは自分の名前も名乗れなければ話にならない。...一人称代名詞と、等式文(~は~である、英語でいうSVC)の言い方を知る必要がある。
「じゃあ...まず、『私』ってネストニア語でなんて言うの?」
自分自身を指さして、そう訊ねる。
「...Ʃiori?」
「あぁ、違う違う...」
「Ah,Jem Klenjob. 『私』はネストニア語でJemだよ。」
よし、ネストニア語の最初の語彙...Jemか。
「じゃあ...『私は詩織です』は?」
「『Jem Ʃiori』かな。」
ふむ。何かと何かが同一であることを示す語のことをコピュラ、あるいは繋辞と言う。わかりやすいところだと英語のbe動詞、少し違うが用法的に日本語の「~は」「~が」もそれに数えられる場合もある。それがこの言語にはないらしい。つまり、単純に名詞を二つ繋げればそれが等しいわけだ。私たちの世界の言語でもロシア語なんかにみられる特徴だ。
「あ、でも『私の名前はシオリです』なら『Jem þlat Int Ʃioriだね。」
「おうおう分からん分からん...スラトって何?」
わからないときは一つ一つ聞いていくに限る。そう思い、聞いてみたが...何やら難しい顔をしている。早速日本語での説明が難しい概念なのだろうか。そう思い、別の質問を考えていると
「...Xohon Dam þlat Wæhæl.」
私の隣にアルスがおいていた、私用の水を指さしてそう言い、
「Xohon Jem þlat Wæhæl. ...あ、Xohonは『それ』とか『これ』とか、そういう...」
...分析してみよう。Xohonが指示語であるなら、アルスにとって自分の水はJem þlat Wæhælで、私の水はDam þlat Wæhælらしい。アルスにとって「あなた」である私について話すときにJemからDamになっているということは、Damは「あなた」を意味するのだろう。
そして、「私の名前」はJem þlat Int、「私の水」はJem þlat Wæhælであるなら、また変わった部分...Intは「名前」、Wæhælは「水」なのだろう。だいぶ見えてきた。
ということは、「私の名前」がJem þlat Intなら、þlatは「~の」とか「-'s」のような、いわゆる所有格とか属格とか言われるものを表す語らしい。少し実験してみよう、まだ語彙力がないので日本語が混ざるが...}
「Jem þlat 手帳.」
おもむろに自分のポケットから手帳を取り出し、それを指さしながらそう言った。
それを見ると、アルスは笑いながら肯定するような仕草をした。まぁネストニア語に日本語を混ぜているのが変だったのだろう。にしても、そんなに笑うことないと思うんだけど...
「シオリ、これで自己紹介できる。ひと安心。」
そんなことを思っていると、アルスが真剣そうな、でもうれしそうな顔でこっちを見てきた。
アルス、まだ出会って数日だけど底なしに優しい人なのだろう。
「うん。ありがとう、アルス。」
「ありがとう、はNestnia語でVlasniだよ。}
「...Vlasni, Als.」
最終更新:2025年05月30日 16:21