1979年に103系の後継車として、国鉄では初めての制御方式である電機子チョッパ制御を装備し、中央快速線に颯爽と登場した101系以来始めての大幅なモデルチェンジ車。 103系に代わる国鉄の次世代標準型通勤電車として期待されたが、制御方式である電機子チョッパの製造コストの高さが仇となり、最終的には中央快速線・中央総武緩行線・東海道緩行線用に1018両が製造された。 JR東日本に継承された車両の内、既に中央快速線からは殆どの車両が引退し、2編成20両を残すのみとなった。 逆に、中央総武緩行線からの転属車である京葉線用車両は試作車が廃車された後も全車健在。 一方、JR西日本では東海道緩行線から大阪環状線・大和路線へと活躍の場を移しながらも全車が現役で活躍中。これに合わせ、車体塗装はスカイブルーからオレンジバーミリオンとウグイスに変更されている。 この結果、それぞれ登場時とは正反対の塗装がJR東日本・JR西日本に残る事になった。また、201系は国電標準色の内、エメラルドグリーン以外の4色を纏った事になる。 A列車では、オレンジ・スカイブルー・カナリアイエローの3種類が存在する。
当初は初音線(現在の初音環状線)及び紅世線にて運用していた。 第01回当時、3ヶ月間という非常に短い期間ではあるが、初音〜矢部野間にて運用された。また、初音線開業前に紅世線で運用していたという記録もある。 その後、初音線は205系に置き換え、201系は初音から郊外へ運行する路線へ転換された。(この路線が後の紅世線である。) しかし、第07回にて紅世線ローカル化計画により、全てキハ58系に置き換えられ勇退した。 路線経営の方針とはいえ、昭和50年代に製造された電車が昭和30年代に製造された気動車に置き換えられるというのは、珍しいようである。
混雑が慢性化する富竹線の輸送力増強及び南千秋延伸用として導入された。 富竹線の南千秋延伸が決定した当時、孔明車セには波動用として2編成が籍を残していた。 これに白羽の矢が立てられ、某日の白昼に孔明から水樹電車区まで回送された事で注目を集める。 転属に合わせ、水樹電車区で保安装置の改良及び塗装の変更を実施。 車体カラーは富竹線のラインカラーである、カナリヤイエローに変更された。 その後、2本が新しく他支社より転属して来て現在の4本体制となる。 現在は富竹線普通と、上りのみ快速運転となる日野線杉田発着の普通で使用されている。
幻想郷支社の基幹路線である、幻想郷線に当時は導入された。 その後、2500番台への改造を実施。尚、詳しい改造内容についての詳細は不明。 現在は更に堀江線へと転属。同線普通の主力車両として活躍中。
鹿縞線から退役してから来栖車両基地に保管されつづけ、計画中の永栖線(仮称)への導入が検討されていたが、その路線の開業のメドは全く立っていなかった。 そんな路線に先立って来栖中央線が開通し、201系は当初の予定を変更しこの路線に導入される運びとなった。 その先駆けとして同路線に快速列車として登場。2079年には113系に代わる普通列車としても活躍し始めた。
最初はキハ40系であったが、客の増加によって高速化された それは2032年のことであった
短い間ながら、初音線で運用されていたときの写真。(初音行きの列車を撮影)