きれいなのときたないのと
「…はい、こんなもんで良いでしょ」
ベッドに眠る牢を満足げに見下ろして、黒髪の医者は言う。彼は振り返ると、椅子に座る澪に声をかけた。
「良かったね、僕がたまたま通りかかって。そうじゃなきゃ二人とも倒れてたところだったよ」
からかうように笑ってみせるが、澪は極めて無表情。…それどころか、少し不機嫌そうにも見える。けれどそんなことは意にも介さず、医者は澪に歩み寄ろうとする。
「で。お姉さんの方は怪我とかしてな…」
しかし伸ばされた手は、炎に拒まれた。澪にしてみれば小さな“ひのこ”だったが、医者を怯ませるには十分だったようだ。
「……触らないで、汚い」
「…でも一応」
「五月蝿い。汚い奴になんか触られたくないの」
「…でも一応」
「五月蝿い。汚い奴になんか触られたくないの」
それは澪にとっては、いつも通りの言い訳だった。けれどそれを聞いた医者はどうにも解せないような顔をする。
「……僕よりこっちのお兄さんの方がよっぽど汚れてるとは思うんだけどなぁ。そんなにこのお兄さんは特別…」
ごうっ、と先ほどのよりも一回りほど大きい炎が医者の眼前に現れる。これには医者も思わず慌てた。一方の澪の表情はますます不機嫌さを増している。
「あっつ!あっついよお姉さんちょっと!」
「…次余計なこと言ったら、今度こそ焼くから」
「むぅ……ねぇ。もしかしてお姉さん、今までこのお兄さんにも、おんなじ態度取ってたの?」
「…次余計なこと言ったら、今度こそ焼くから」
「むぅ……ねぇ。もしかしてお姉さん、今までこのお兄さんにも、おんなじ態度取ってたの?」
答える必要もない、とでも言いたげな炎はすぐに引っ込んだ。ふうっと息を吐いた医者はぱんぱんと白衣の裾をはたきながら、どこか呆れた調子で尋ねる。
「お姉さん達の噂は何回か聞いたことあるよ。お姉さん、随分みんなにもお兄さんにもヤリタイホーダイみたいだけど…僕にはあなたの考えてること、よく分かんないなぁ。
今日なんかこのお兄さん、死んじゃうかもしれなかったんだよ?こんなとこじゃあもしかしたら、十分も後には僕らみんな死んでるかもしれないし」
今日なんかこのお兄さん、死んじゃうかもしれなかったんだよ?こんなとこじゃあもしかしたら、十分も後には僕らみんな死んでるかもしれないし」
「ッあんたね、五月蝿いって言って――!」
眉間にしわを寄せた澪が医者の方を振り向いたが、続きは言えなかった。ついさっきまでへらへらしていたようにすら見えた医者の顔に浮かんでいた、真剣な表情。…少しだけ口調が早めになっているのは、彼が何を思っているからだろうか。
やけに語尾も強く、言う。
やけに語尾も強く、言う。
「僕はお姉さんたちのこと全部知ってるわけじゃないし、素直になって全部見せちゃいなよとまでは言わないけど、…言えることは言えるうちに言っておかないと、駄目だよ」
そこまで言って、医者は顔を俯けた。半開きの口のまま言葉を探し、やがてぐっと唇を噛んだ彼は…顔をもう一度上げた。
「死んだ人は、帰ってこないんだから。帰ってきたお兄さんはお兄さんと同じ物を持ってるかもしれないけど、そのお兄さんは“お姉さんと一緒にいた”お兄さんじゃないもの」
――澪は何故かその言葉に、ぞっとした響きを感じた。
それを誤魔化したいかのように、彼女の赤い目はますます不機嫌そうに細められる。
何かを言おうとして口を開きかけたが、それは叶わなかった。
ベッドの方から衣擦れの音が聞こえたかと思うと、医者の表情がぱっと変わる。牢が目を覚ましたらしかった。
再びベッドの方へ向き直った医者の背中を眺めながら、澪は頭の中で言葉を繰り返す。
それを誤魔化したいかのように、彼女の赤い目はますます不機嫌そうに細められる。
何かを言おうとして口を開きかけたが、それは叶わなかった。
ベッドの方から衣擦れの音が聞こえたかと思うと、医者の表情がぱっと変わる。牢が目を覚ましたらしかった。
再びベッドの方へ向き直った医者の背中を眺めながら、澪は頭の中で言葉を繰り返す。
◆
桃色の少女の手をかわしながら澪は思う。
桃色の少女の手をかわしながら澪は思う。
あの医者のせいだ、そうだ全部そうだ、そうであるはずなんだ、と。
あの言葉のせいで、何もかもが怖かった。
今まで何も怖くなかったのに、何も恐れることはなかったのに、どうしてこんなにも。
あの言葉のせいで、何もかもが怖かった。
今まで何も怖くなかったのに、何も恐れることはなかったのに、どうしてこんなにも。
『死んだ人は、帰ってこない』
……いや、最初からわかってたはずだった。だからこそ今まで何人も何人も焼いてきたのだ。
なのに、どうしてだろう。
……いや、最初からわかってたはずだった。だからこそ今まで何人も何人も焼いてきたのだ。
なのに、どうしてだろう。
その言葉は今、ひどくリアルに澪の頭の中に響いていた。
鉄パイプと刃がぶつかり合う音を聞く度に、彼女の耳は揺れてしまう。
鉄パイプと刃がぶつかり合う音を聞く度に、彼女の耳は揺れてしまう。
その耳に飛び込んできた、軽やかで鈴のような声。
「余所見してていいのかしら?」
「えっ――」
一瞬だった。
澪の身体はくらりと押し倒されてしまい、桃はその身体に馬乗りになっていた。唇はにたりと、三日月型を象る。
澪の身体はくらりと押し倒されてしまい、桃はその身体に馬乗りになっていた。唇はにたりと、三日月型を象る。
「もう終わりだなんて…案外呆気なかったわね。それじゃあさようなら、無様な女狐さん」
言った桃は、澪の首に手をかけた。
「いち、」
その一言が、彼女の表情が、冷たい手が、置かれた状況が、全てが明確な恐怖となって澪を襲った。澪の全身を、気味の悪い何かがぞわりが撫で上げる。
思わず振り払うように炎を放った。けれど、炎に包まれて尚、
思わず振り払うように炎を放った。けれど、炎に包まれて尚、
「にぃ、」
妖精は笑う、
笑う、
笑う、
笑う。
「さん、」
一人分の命を燃し尽くした炎は、やがて空に溶けて消えてしまった。笑う妖精の声に気づいた牢が慌てて刃を弾き、澪の名前を呼ぶが、…彼女には届かない。
「し、」
そして桃の唇が、
「ご」
だけ、が、
動いた。
動いた。
◆◆