インド神話


 インドの神々や神話は歴史時代よりはるか古くにさかのぼることができる。

 前2600年から1800年にかけて、インド北西部にインダス文明が栄えた。
しかし、使用されていたインダス文字はまだ解読されていないので、どのような神話が知られていたかはわかっていない。出土品からは、「角への信仰」とくに「牡牛崇拝」や「一角獣」、「沐浴」(水で身体をきよめる)、「あぐらをかく男神」(後のシヴァ神)などの、インド伝統の要素がすでに見られていたことがうかがえる。

 前1800年から1200年にかけて、インド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派に属すインド・アーリヤ人が北西部からインドへとやってきた。このアーリヤ人たちがインダス文明を滅ぼす原因になったのかどうかはわかっていない。しかしながら、彼らはインダス文明や土着の信仰に多くの影響を受け、ギリシア人がオリエント文明に影響を受けたのに劣らず複雑な神話体系を創り上げていった。

 アーリヤ人の本来の主神は天空神ディヤウス?であったと考えられている。なぜなら、ディヤウスはギリシアの主神ゼウスやローマの主神ユピテル?、北欧の重要な神ティールと起源を同じくするからである。
しかし、前1200年ごろに成立した『リグヴェーダ』の中では、すでにディヤウス?は一線を退いており、単に「天空」を意味するだけのことさえあった。

 主神になったのは、「縛る神」ヴァルナと契約神ミトラ?である。そしてその下に戦闘神インドラと風神ヴァーユ?、そして最後に「人間の仲間」であるアシュヴィン双神が存在した。
この計3対が『リグヴェーダ』成立直前のインドでもっとも重要だったと考えられている(イランとミタンニにもヴァーユ以外知られていた→イラン神話)。
 ヴァルナミトラ?のもとにはバガ?アリアマン?などのアーディティヤ神群?がそろっていた(ヴァルナはイランにいくと最高神アフラ・マズダーになり、ミトラ?ミスラになったとされる)。
インドラとヴァーユのもとにはマルト神群?ルドラなどの嵐=破壊神が待ち受けていた。
また、火の神アグニは祭礼で最初に呼びかけられる神として知られていた。
しかしヴァーユは歴史時代になる前に主要位置から脱落し、インドラだけが残った。
インド最古の聖典『リグヴェーダ』本集が成立するころにはインドラはもっとも崇拝される神となっていたのである。この神には1000余りの賛歌のうち1/4が捧げられた。
しかしながらヴァルナミトラ?の勢力は弱まり、とくにミトラ?に至っては1篇の賛歌しか捧げられなかった。ミトラ?は、ヒンドゥー教の時代になるとほとんど消えてしまう。
またアシュヴィン双神の重要性も下がっていったが、深層ではヴァーユとともに深い影響を保ち続けていた(たとえば『マハーバーラタ』)。

 この時代のインドでは、北欧神話のように、対立し相補しあう2つの神族が知られていた。一つがアスラ?神族であり、ヴァルナミトラ?アーディティヤ神群?を含む。もう一つはデーヴァ神族で、インドラやヴァーユなどその他の神々はここに入る。アスラ?はイランではアフラ・マズダーとして最高の尊崇を受けていたが、それは実は古代インドでも同じであった。ただしイランで悪魔だとされたダエーワ?(デーヴァ)はインドでは依然として神々のままだった。
 最高神のヴァルナミトラ?アスラ?と呼ばれていたように、初期はかならずしもアスラ?は悪い存在ではなかった。しかし、時代が下るにつれて厳格で天上的なアスラ?神族の恐ろしく悪魔的な側面が強調されていき、現世利益的なデーヴァ神族と対立する魔族になってしまった。結果的にイランとは正反対になってしまったのである*1

 『リグヴェーダ』は詩であって物語というわけではないので、かならずしも統一したストーリーは見つけられない。創造神話も複数存在する。当時のインド人が世界について深く思索した結果なのだろう。

 文献学的には、ヴェーダの時代に続いてヴェーダ祭儀の内容を説明するブラーフマナ文献の時代がくる。だいたい前800年を中心とした時代である。インド人にとっても難解だったヴェーダを理解するためにはある程度のまとまった注釈や資料が必要になってきたのである。
ブラーフマナ文献、とくに『シャタパタ・ブラーフマナ』などには多く散文の神話が挿入されている。なかには洪水伝説などリグヴェーダには知られていない重要な神話なども多く、まとまった物語を知ることができる資料として貴重である。
そして、前500年ごろには高度に進化した哲学であるウパニシャッド文献の時代がくる。

 このあたりまでが、いわゆるバラモン教である。

 前6、5世紀ごろになると、旧来のカースト制度や意味もわからず続けられる祭儀などに対する反感、新しい自由な思想の発展などから仏教やジャイナ教などが誕生した。これらの革命的思想によってバラモン教の影響力はだんだんと低下していった。しかしバラモン教側は、これまでも徐々に進んでいた民間信仰とのすりあわせを大胆におこなって、ヒンドゥー教として再びインド人の宗教に返り咲いた。このような融合によってヴェーダの時代とは異なった宗教や神話がうまれるようになった。

 ヒンドゥー教の主神はシヴァヴィシュヌブラフマーの3柱である。これらの神々はヴェーダの時代にはインドラヴァルナに比較すると弱小神だったりそもそも存在していなかったりした。

 シヴァは『リグヴェーダ』のルドラのことであるとされ、非常に多くの別名がある。その一つにマハーカーラ?というのが知られているが、これは日本で言う大黒さまである。またパシュパティ(獣主)という名前は、インダス文明にその信仰をさかのぼることができるものである。
ヴェーダ時代は女神はほとんど重視されていなかったが、ヒンドゥー教では女神が多く重視された。そんな中でもとくにシヴァの妃パールヴァティー?が有名で、ドゥルガーカーリーといった殺戮の女神に変身することもある。

 ヴィシュヌのほうは『リグヴェーダ』にも名前が見える。原初の海にただよう神であり、そのヘソからブラフマーが誕生したという神話もある。ヴィシュヌについての有名な神話は10のアヴァターラ?(化身)である。
妃はラクシュミー

 最後のブラフマーは仏教に入って梵天になった神格である。もとはウパニシャッド哲学における中性名詞のブラフマン?(梵)という概念で、宇宙の最高原理であるとされていた。ブラフマン?から宇宙が創造されるという思想が神格化され、宇宙を創造するプラジャーパティ?(造物主)としてのブラフマー(男性名詞)が広く受け入れられるようになったのである。とはいえもとが抽象概念だったので、今に至るまでシヴァヴィシュヌほどの信仰は集めていない。

 この3大神がそれぞれ宇宙を創造し(ブラフマン?)、維持し(ヴィシュヌ)、破壊する(シヴァ)、(そしてまた創造する)という説がトリームルティである。

 ヒンドゥー教の神話は、おもに『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ?』という二大叙事詩にある。とくに『マハーバーラタ』のほうは本編が1/5にすぎず、その他の部分には宗教的教義や神話、伝説、物語が非常に多く詰め込まれている。そのため、『マハーバーラタ』は全編で10万詩節もあり、ホメロスの両作品を合わせたものの7倍もあることになる。

 しかし両叙事詩に含まれる神話は初期ヒンドゥー教のものである。現代にいたるヒンドゥー教の間でよく知られている神話、たとえばクリシュナガネーシャのような神格の物語はプラーナ文献のなかに多く含まれている。
プラーナ文献の成立時期は一点に特定できない。その内容の核となるものはヴェーダ文献に存在するともいえるし、ブラーフマナ、ウパニシャッド、二大叙事詩の時代にもベースとなる物語や信仰が知られていたようである。なので、おおまかに前5世紀から後14世紀がその成立・増殖・発展時期であると考えられている。おもなプラーナは18あるが、他にも非常に多くの大小プラーナが存在している。

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最終更新:2005年07月18日 10:15

*1 なお、インドとイランが対立していたため、双方の信仰していた神々を悪魔に貶めたという説には妥当性がない。わかりやすい説ではあるが、わかりやすければ正しいというものではない。