琉球神話
概説
現在の沖縄県に伝わる諸々の神話。琉球は固有の歴史を持つためヤマトの神話とは大きな違いを持っている。
琉球王国時代に『中山世鑑』のような書物に記されたものや現在でも口伝でのみ伝わるものがある。同じ沖縄県といっても、島や村落ごとに独自の神話を持っているが、ここでは沖縄本島に伝わるものに重点をおいて項目をたてた。
開闢神話
琉球の歴史書『中山世鑑』によれば琉球の開闢は以下のように説かれている。
天帝の配下に
アマミキヨという神がいた。彼は天帝から琉球の国作りをするように命じられて、琉球に降りていったが海ばかりでなにもない。それで天から土木草石を持ってきて、それでもって琉球の島々を作っていった。
島を作ったが、人間がいないので、アマミキヨは天帝に請うて、天帝の男女の子供を貰い受けた。
その子供たちは交じることはなかったが、三男二女を設けた。
長男は国王、次男は諸侯、三男は百姓のはじめとなり、長女は
君君?の、次女は
ノロ?のはじめになった。
それから
キンマモン、
ヲボツカグラ?、
ギライカナイ?の神、
キミテズリといった神々が出現し、人民等を守護するようになった。
先史時代
琉球は奄美・沖縄諸島の「北琉球圏」と宮古島・石垣島を中心他する「南琉球圏」の2つの文化圏に分かれていた。
北部地域では、縄文時代まで日本列島と同じような文化を持っていたことが考古学などの成果から判明している。弥生時代以降も甕棺墓や弥生土器など弥生文化の強い影響を受けており、宗教も日本列島と同じようなものを持っていたと思われる。
南部地域ではポリネシアなどの熱帯地方の文化に強い影響を受けていた。
文献上では『日本書紀』には奄美などの記述が見え、遣唐使などの中継地のひとつになっていたことがうかがえる。また中国上の文献では『隋書』に「流求国伝」があるが、これが沖縄のことをさすか台湾のことをは不明である。
古琉球
古琉球は島津侵攻以前の琉球のことをさす伊波普猷の造語。
11,12世紀ごろになると
グスク?を本拠地とした各地の豪族(按司)が台頭しはじめてきて、グスクが乱立し争いが起きるグスク時代に入る。
この按司達が淘汰され14世紀中期には沖縄本島を山北・中山・山南と3つに分けた三山時代が始まる。
その中でも本島の中央を占めた中山が15世紀初めに本島を統一して、首里に王府を置いた統一政権 ができる。これを第一尚氏という。
1470年尚円が第一尚氏を滅ぼして、第二尚氏が始まる。第二尚氏は17世紀の島津侵攻後も生き残り、1872年の明治政府による琉球処分まで19代400年にわたって琉球を支配し続けた。
宗教について
琉球には隣接するヤマトや中国とも違った独自の宗教を持っていた。
首里にいる
聞得大君を頂点として、その直属の高級神女である
三平等大アムシラレ?、その下につき各村落の祭祀を掌握する
ノロ?というようなピラミッド型の宗教支配構造を持ち、首里王府で琉球の宗教を管理していた。これを
ノロ制度?と呼ぶ。
琉球王国が滅び、ノロ制度が崩壊した現代でもノロはおり、
御嶽と呼ばれる聖所を管理し続けている。
また世襲制のノロとは違い、個人的な神秘体験からなる
ユタ?と呼ばれる聖職者もいて、琉球の人々の精神的支えになっている。
仏教
『琉球国由来記』によれば
禅宗と
真言宗が伝わっている。
習合されている仏教としては、『琉球神道記』にて
キンマモンを始めとして海から来る神をすべて
弁財天としている例がある。
また、『遺老説伝』第35には普天間の洞窟に観音像を祭っている記事がみえて、観音信仰が受け入れられていた様子がわかる。
他にも琉球は熊野から出発した
補陀落僧?が流れ着く地でもあり、琉球に帰化した補陀落僧の記事も諸書に見られる。
道教(風水)
風水をはじめとした中国の民間宗教の影響も多い。
王府であった首里城の配置は風水にしたがったものであるし、
亀甲墓?と呼ばれる琉球独特の墓も風水にかなった作りになっている。
ほかにも
石敢当?といったものも、中国の民間宗教からのものである。
これら中国的なものは中国との折衝役を務めた久米村の華僑たちによって取り入れられるようになった。
主な祭り
琉球にはヤマトの現存しているものよりも古層を残した祭りが伝わっており、民俗学、文化人類学、古代文学といった研究者のフィールドワークの対象になっている。
イザイホー?
パーントゥ
マユンガナシ
神や琉球独自の言葉のリスト
琉球の史料文献
文庫化されている『おもろそうし』を除いてどれも手に入りにくいものになっている。(アマゾンで入手できるものについてはリンクを貼っておいた。)図書館で借りるのが良いと思われる。影印なら
琉球大学や
仲原善忠文庫等のデーターベースで閲覧できる。なおここに挙げたのは文学的な鑑賞に堪えられるものに限定し、『歴代宝案』などの外交文書、『使琉球録』などの中国側の報告書などは取り上げない。
書名 |
著者 |
成立年代 |
コメント |
おもろさうし |
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1531年~1623年 |
全22巻。歴代の王によって書き継がれていった。琉球王府や地方で歌われた琉球歌謡を載せる。その内容は祭祀で歌われたものが多い。琉球古語で記されているのでかなり難解。 |
琉球神道記 |
袋中 |
1648年 |
5巻。54歳のときに来琉した浄土宗鎮西派の僧袋中によって記された。ヤマトの神道集?などの影響の下、仏の由来を説き神の由来も仏事にひきつけて記す。 |
中山世鑑 |
羽地朝秀(向象賢) |
1650年 |
琉球最初の正史。全5巻。薩摩支配下の現状にあわせて日琉同祖論を強く主張する内容になっている。 |
中山世譜 |
蔡鐸・蔡媼(女偏がサンズイ) |
1697年・1724年 |
1697年に蔡鐸等が『中山世鑑』を漢文体で記した琉球第二の正史。1724年には蔡鐸の子蔡媼(女偏がサンズイ)が正附に分ける。正巻14巻、附巻7巻の計21巻。附巻には薩摩関連の記事がまとめられている。これは宗主国であった清に薩摩支配の実態を知られまいとしたための配慮。 |
混効験集 |
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1711年 |
第二尚氏第11代目尚貞の命によって編纂された琉球古語辞書。当時難解になっていた『おもろそうし』の読解のために編纂されたらしい。2巻。見出し語句1148項目。 |
琉球国由来記 |
向維屏 |
1713年 |
第二尚氏13代目尚敬の命によって編纂された。21巻。琉球の延喜式とも言えるもので宮中儀礼、官職、物品、寺社、御嶽等の由来等について記す。 |
由来記関連史料 |
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由来記編纂時に各村から報告書が提出されたが、現在残っているのは『久米中里間切旧記』『久米具志川間切旧記』『久米之君南風由来並規式位階』『慶良間島渡嘉敷間切由来記』『宮古島旧記』『八重山島旧記』『那覇由来記』などのみである。 |
琉球国旧記 |
鄭秉哲 |
1723年 |
『由来記』が冗漫に過ぎるとのことで漢文体に改めた書。正巻9巻、附巻11巻の計20巻 |
球陽 |
鄭秉哲 |
1745年 |
1745年に14巻で一旦の完成をみる。その後最後の王尚泰の29年まで書き継がれていく最終的な正史。最終的には22巻。『中山世鑑』『中山世譜』が中山王家を中心にして書くのに対し、『球陽』は琉球全般にわたって記す。 |
遺老説伝 |
鄭秉哲 |
1745年(球陽以前に成立との説もある) |
『球陽』の外巻として編纂された琉球唯一の説話集。『球陽』から漏れた奇怪な話等を載せる。 |
参考文献、研究本
書名 |
著訳者 |
価格 |
コメント |
図説・琉球王国 |
高良倉吉・編 |
¥1,785 |
豊富な図版でもって琉球王国の通史を説明する。数時間あれば読めるし、図版が楽しい。 |
琉球王国 |
高良倉吉 |
¥735 |
現在に残された文書を中心にして、琉球王国の政権制度を復元してみせる。 |
琉球王国 東アジアのコーナーストーン |
赤嶺守 |
¥1,575 |
通商国家としての側面から琉球の歴史を述べる。最終章に書かれている「琉球処分」の真相はかなり衝撃的。 |
琉球宗教史の研究 |
鳥越憲三郎 |
絶版 |
琉球の祭祀制度を眺めるときの基本図書。戦前の研究を下敷きにしたものだが、基礎研究なので今もその重要性は衰えない。 |
日本の神々 神社と聖地13南西諸島 |
谷川健一編 |
¥5,985 |
各島ごとの御嶽や、琉球王国の祭祀制度について詳しく解説してある。 |
琉球神話と古代ヤマト文学 |
永藤靖 |
¥2,940 |
ヤマトと琉球の文学の近似と相違について述べる。古事記、風土記などのヤマトの古代文学を読んだ人が次に琉球神話を読みたいと思ったときに手に取るとよい本。 |
琉球の王権と神話 |
末次智 |
¥3,780 |
琉球の王権儀礼について詳しい。『おもろさうし』を資料にしているので、そのあたりも詳しい。ヤマトンチュが琉球について研究するときの矛盾を問題意識として抱えている。 |
最終更新:2024年04月12日 08:49