エーリカ・テアンソルは、アーナック連合王国(USZR)の女性宇宙飛行士候補であり、同国の有人宇宙開発計画**「フロンティア計画」**において中心的な役割を担う人物である。物語の主人公であるレフ・レプスやイリナ・ルミネスクが所属するツィルニトラ共和国連邦(Zirnitra)の最大のライバルとして、作中では東西間の熾烈な宇宙開発競争を象徴する存在として描かれている。その卓越した操縦技術と冷静沈着な判断力から、アーナック国内では「天空の女神」とも称され、国民的な英雄として絶大な人気を誇る。
経歴
エーリカは、アーナックの著名な航空工学者であり、ロケットエンジン開発の第一人者であったヴィクトル・テアンソルの長女として生を受けた。幼少期より父親から航空力学や天文学の手ほどきを受け、空と宇宙への強い憧れを抱いて育った。彼女にとって、父親の研究室は最高の遊び場であり、そこで語られる星々の物語は、何よりも心を躍らせるものだった。
しかし、彼女が10代前半の頃、父ヴィクトルは新型ロケットエンジンの地上燃焼実験中の爆発事故により命を落とす。この悲劇は彼女の人生に大きな影を落とすと同時に、父の遺志を継ぎ、人類を宇宙へと導くという固い決意を抱かせる決定的な出来事となった。
その後、彼女は悲しみを乗り越え、父の夢を実現するために自らも空を目指すことを決意。軍の飛行士官学校に史上最年少で入学すると、在学中からその類稀な才能を開花させる。戦闘機動から超高高度飛行まで、あらゆる科目で教官の予想を上回る成績を収め、卒業後は即座にテストパイロットとして配属された。そこで数々の次世代実験機の開発に貢献し、その功績が認められる形で、国家の威信をかけて始動した有人宇宙開発計画「フロンティア計画」の宇宙飛行士候補として、数多のベテランパイロットを抑えて選抜されるに至った。
作中での活躍
物語序盤においては、彼女の存在は主にアーナック側の報道やツィルニトラ情報部の報告といった形で、間接的に語られる。レフたちが過酷な訓練に明け暮れる中、エーリカはアーナックの圧倒的な技術力を背景に、新型ジェット機による高度記録の更新や、長時間飛行シミュレーションの成功といった華々しい成果を次々と発表し、ツィルニトラ側に無言の圧力をかけ続ける。
物語が中盤に差し掛かり、ツィルニトラが吸血鬼を実験体として宇宙へ送る「ノスフェラトゥ計画」の存在が明らかになると、彼女の動向もより具体的に描かれるようになる。当初、彼女はこの計画を「非科学的で非人道的な狂気の沙汰」とメディアを通じて公然と批判。あくまで人間が、正々堂々とした科学技術の競争によって宇宙を目指すべきであるという正論を主張した。
しかし、ツィルニトラが着実に計画を進め、イリナ・ルミネスクという存在がクローズアップされるにつれて、彼女の内心には焦りと、ライバルに対する複雑な感情が芽生え始める。特に、イリナが困難な訓練を乗り越え、純粋な意志で宇宙を目指していることを知るに及び、彼女はイリナを単なる実験体ではなく、一人の「宇宙を目指す者」として強く意識するようになる。イリナが搭乗した宇宙船の打ち上げ成功の報を、アーナックの管制室で静かに見つめる彼女の表情は、悔しさだけでなく、人類の新たな扉を開いた好敵手に対する敬意も含まれていた。
レフ・レプス及びイリナ・ルミネスクとの関係
エーリカとレフ、イリナが作中で直接顔を合わせることはない。しかし、彼らは互いの存在を隔絶された壁の向こう側に感じながら、それぞれの場所で宇宙を目指すという、特殊なライバル関係にある。
エーリカにとって、イリナ・ルミネスクは当初、批判と侮りの対象であった。国家の都合で選ばれた、科学の発展におけるイレギュラーな存在としか見ていなかった。だが、計画が進むにつれて伝えられる彼女のひたむきさや、宇宙への強い憧れを知ることで、その評価は徐々に変化していく。やがて、イリナを種族や国家の枠を超えた一人の好敵手として認め、その成功を祈るような心情さえ見せるようになった。
一方、レフ・レプスに対しては、当初は「吸血鬼の監視役」という役職を冷ややかに分析していた。しかし、彼がイリナを単なる監視対象としてではなく、一人の人間として尊重し、彼女の夢を支えるために尽力していることを知り、その人間性に強い興味を抱く。自らが合理性と国家への忠誠を重んじるのとは対照的な、レフの人間的な行動原理は、彼女にとって理解しがたいものでありながらも、どこか眩しく映っていたのかもしれない。
人物
常に冷静沈着で、感情を表に出すことは少ない。いかなる状況でも客観的なデータと論理的思考を最優先する徹底したリアリストである。彼女の言動には一切の無駄がなく、その姿は周囲に「氷のように冷たい」という印象を与えることもある。
しかし、その冷静な仮面の下には、亡き父から受け継いだ宇宙への純粋な情熱と、誰よりも強い探究心を秘めている。彼女が宇宙を目指す根源的な動機は、国家の威信や名誉のためだけではない。父が夢見た宇宙の真理をその目で見届け、人類の新たな地平を切り拓きたいという、科学者としての純粋な願いに基づいている。
宇宙開発を、国家の存亡をかけた熾烈な競争と捉えているが、同時に人類全体の進歩に繋がる崇高な事業であるとも考えている。そのため、目的のためには手段を選ばないツィルニトラの非人道的な手法には強い反感を抱きつつも、その成果に対しては正当な評価を下すだけの度量も持ち合わせている。個人の感情や夢よりも、国家や人類全体への貢献を優先するその姿勢は、レフたちの在り方とは明確な対比をなしている。
物語への影響
エーリカ・テアンソルという存在は、「月とライカと吸血姫」の物語に、東西冷戦下における宇宙開発競争という歴史的背景を色濃く反映させ、作品世界にリアリティと深みを与える上で不可欠な役割を担っている。彼女とアーナックの「フロンティア計画」の存在が、常にツィルニトラ側の焦りを誘い、結果として「ノスフェラトゥ計画」を加速させる大きな要因となったことは間違いない。
彼女は、レフとイリナが織りなす「夢とロマン」の物語とは対極にある、国家間の競争という「現実と政治」を象徴するキャラクターである。しかし、物語の終盤にかけて、彼女がイリナの成功に対して抱いた複雑な感情は、この物語が単なる対立の構図ではなく、国家や体制の壁を越えて、同じ星空を見上げる者たちの間に通い合う普遍的な想いを描いていることを示唆している。エーリカは、主人公たちの直接的な協力者ではないものの、物語のテーマ性をより多層的に描き出す上で、極めて重要な存在と言えるだろう。
