遣慶使

かつて大慶帝国薫桜ノ皇国を年に数回程度行き来していた不定期船。

光道の祖父の時代に皇自らが提唱し、実行された計画。
サイレヌス海を抜ける航路は北方方面にしかない為、皇国から見て北に位置するカタルガイオウ王国・大慶帝国と国交を結んで諸外国の技術や学問を取り入れようとしたようだ。

しかし鎖国的なカタルには拒否され、ガイオウ王国も王政が混乱しているとの事から国交の樹立には至らず、残る大慶帝国とは細々とした貿易のみ許された程度であったと言う。

だが先代の皇である楽道公の時代になると大慶帝国との関係は大幅に進展。
従来よりも比較的安全な大慶~薫桜間航路の確立がされると共に遣慶使は廃止、官民ともに正式な交流が許され文化が一気に花開く事となる。
(これにより遠く離れた諸外国にも薫桜ノ皇国の存在が広く知れ渡った)

今代の皇王である泰斗公からは舶来冒険者も受け入れる事になったが、それを息子の海外逃亡手段として使われてしまった。


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最終更新:2023年02月27日 04:00