もう一人の神の仔

太陽雄月と重なり黒く染まる「黒太陽」、それもかなり低い確率で起こる“完全な漆黒の太陽”が天上で輝く中、“その赤子”は誕生した。
薫桜ノ皇国実桜城の一室にて、現皇王泰斗とその側室の間に、皇の血を引く第一皇子が遂に誕生したのだ。

正室との子ではなかったとはいえ、念願の第一子、それも男児の誕生に皆一様に喜びに沸いた。
ふすまの奥から聞こえる元気で力強い産声に、誕生の瞬間を固唾を呑んで待ち侘びていた泰斗と家臣たちも顔を見合わせ笑みに綻ばせる。

しかし……直後、その産声を掻き消すかのように、絹を裂くかのような悲鳴が響き渡る。
赤子を取り上げた産婆が突如、その顔を見た途端に悲鳴を上げたのだ。

何事かと即座に部屋に押し入った泰斗も赤子の顔を確認する。

待望の直系の男児として生まれたその赤子の顔の左半分は……

無数の触手が複雑に絡み合うかのように脈打ち、その間からどす黒い眼球に赤い瞳孔の3つの眼が不気味にギョロつく明らかな異形であった。
産み落とした母と、傍に着いていた家臣たちも慌てふためき赤子の異様な顔に恐れ戦いた。

完全なる黒太陽の元で、人間の父と母から異形が生まれるという異常事態にその場の者は皆口々に
「呪われた子だ」、「不吉をもたらす忌み子だ」と捲し立ててその場で赤子を殺してしまおうとした。

…しかし、それを静止したのは他ならぬ赤子の父である泰斗であった。

彼のみが赤子の異質さに何処か心当たりを持っているかのようだったが、それ自体は話す事なく慌てふためく家臣たちに向き合い静かに説き始める。
諸外国の伝承で伝わる、極稀に産まれる神の力を宿し特異な力と容姿を持って生まれる子供の話を例に、薫桜の神々の神力を持って生まれた啓示としての神の子かもしれない。
もしくは本当に呪い子であったとしても、この場で殺してしまったらそれこそ赤子の怨霊による呪いで祟られる可能性もある、と赤子を殺す事を止めるよう庇いたてた。

無論周囲の家臣たちからは尚も猛反対され、赤子を生んだ母である側室の妻すらも気味悪がり赤子を遠ざける様に懇願した。
それでも泰斗は根気強く説得を続け、最終的になんとか赤子を殺害する事こそ免れたものの、とても城では育てられない状態だった。
ましてや皇家の跡取りとしてなど断じて認められないとして、正室の子ではない事もあり、城から遠く離れた光神山神社にてその力を正しく制御し良き力として使えるように神職の元で育て様子を見る事に決まった。
更には男児でありながら巫女として、『女』として扱い“側室から生まれた第一皇女”という跡取り問題から完全に切り離す扱いを受ける事となる。

男性が女装し巫女として働く事自体は少数の例ながら実在する。
男女両方の性別の特性を持って神に仕える彼らは性差を超越した特殊神職として通常の神官や巫女よりもさらに高い能力を持つ者が多いとされる。

事実、成長した皇子は生まれつきのずば抜けて強力な霊力からその特殊神職として大成を果たす。

幼少時は殆ど腫れものとして他の神官や巫女たちから気味悪がられていたが、当時の光神山神社の老年の神主は皇子のその悍ましい姿にも臆さずに真直に向き合った。
類稀な霊力の才覚を持った“だけ”の普通の子供として真正面から彼を受け入れ、正しく育て上げた事で皇子もその強大な力に溺れる事も精神的に驕る事もなく善良に育つ事が出来た。



……特異な顔と人並み外れた霊力を持って生まれたその実態は、薫桜の神々が関わっていたのではなく、全く別の神の力。

かつて幼き日の泰斗が神隠しに遭った際、その体ごと神に取り込まれて交わった際に泰斗自身の体内にも内包され、そのまま漠然と残留し続けた“クシュルトースの因子”。
それが泰斗と側室の肉体の契りを通して偶発的に産まれた外なる神の力を宿した半神たる『神の仔』がその正体だった。

本人も成長していく中で己の奇異な容姿と常人と掛け離れた力に対して度々苦悩していた。
周囲の御付の神官たち(実際は城からの監視役を命じられた者達)からは神々に選ばれし特殊な境遇として生まれ、
それ故に神々から常人とは異なる姿を、凡夫とは異なる畏怖されるべき姿としての神聖な聖躯としてその姿を齎されたのだと、尤もらしい説明を言って納得させようとするばかりだった。

しかし、皇子が15歳を迎えたある日、神主と二人で神卸しの修行をしていたその時。
神子の役目である神卸し、即ち神の力、神の存在を独自の手順と儀式でその在り所を探っていた際に皇子は気付く。

他ならぬ自分自身の中に薫桜の神々とは全く異なる巨大で名状しがたい神の力がある事に気付き、その力の一端に触れた瞬間に外神形態すらも反射的に発現させてしまう。

自身の膨大な力の源が薫桜の神とは全く異なる得体の知れないモノだった事を知り大いに混乱、恐怖する皇子だったが、
その場にいた神主が繰り返し繰り返し怯え惑う少年をなだめながら優しく、そして力強く“人間としての意思と心”がある事を諭した。
更なる異形の姿である外神形態を目の当たりしてもなお変わらず人として受け入れてくれた神主のお蔭で皇子は落ち着きを取り戻し、力の制御にも成功した。
丁度その場に皇子と神主の二人だけだった事もあって騒ぎは神主の独断で皇子の為に秘匿し、外へ広まる事も無かった。

だがこの一件で彼は自らが正真正銘の異形の存在の血を引く事と、自らが城から遠ざけられて育てられた真意を概ね察する事になる。
しかし、その後も神主の教育もあって皇子は歪む事もなく育ち、自身を城から離した両親とその家臣たちを恨む事もなかった。

それは皇子自身の優しい性格であると同時に、自身が殺されずに城から遠ざけられながらも生かされている事実に父の想いがある事を察していたからだった。
同時に、“化け物”である自身が人の血筋たる皇家には入れないのも『怪物の自分では仕方がない』という諦観の気持ちもあった為。

とはいえ、そんな心情ながらもその後も彼は神主の教えを忠実に守り、神主の死後には光神山神社の新たな筆頭神職として務める事も認められた。

それを持って彼は皇家の者としてではなく、新たな神職者として、神道に殉じる者として新しい名を授けられる。

櫻華 神寿』、それが、“第一皇女”として生きる彼の新しい在り方を示す名であった。

皇室も参加する大きな祭事の際には父と、同じ神官として修行中の妹達ともようやく対面する。
“次男”である日ノ丸が産まれ跡取りに決まった際も純粋に皇室の後継者たる弟の生誕を祝い、あくまでも第一皇女の立場を演じながらミコトは家族たちと良好な関係を続けていった。



――――――しかし、突如としてその平穏は崩れる事となる。




時は流れ、ある夜に城からの使いと申しながら神社に……一人の白い狩衣と烏帽子を纏った男が訪れる。

日ノ丸の七五三の行事の段取りと、秋の皇室の息災祈願の祭事に関わる話としての使者と名乗る男に、
まだ4歳になったばかりの日ノ丸に関わる事かと少々首をかしげながらも彼は丁寧に対応し、男は雑談を交えながら軽快に話を進める。

その時ふと、男の話題にとある『噂話』が挙がる。
それは、いま世間でもその名を耳にする皇国出身の冒険者パーティの話題。
そのリーダーたる勇者候補は、類稀なる力で並み居る猛者を薙ぎ払いながら、天下泰平を謳い覇道を突き進む若き益荒男。
聞けばその益荒男は―――――異形なる神の血を引き、暗金色の輝きと共に無数の触手を蠢かす、圧倒的な力を持つ悍ましい異形の姿を操るという。

男のその言葉に、ミコトの背筋にぞわりと悪寒に近いものが走る。
記憶に蘇るのは、かつて自分自身も一度なった事のある“あの姿”が脳裏に鮮明に描かれる。

ミコトのその姿を眺めながら、男は笑みを深める口元を扇子で隠しつつさらに話を進める。
あくまでも噂の範囲だが、その『半神』の勇者候補はかつて実桜城で感染症によって隔離されていた皇の養子ではないか、と囁かれているとの事。
感染症というのも実際は偽りで、本当は幼い頃より超人的な才覚を発揮し神童とまで謳われたその養子と、幼い跡取りの赤子を巡っての御家騒動が起こったが故の処置だったのではないか……とも。
もっとも、ただの城の使用人たちの間で広まった噂話でしかありませんが、と付け加えて男は笑ったが、ミコトは俯き…頭の中で様々な考えが浮かぶ。

かつて七五三に自分の元に訪れた養子の“弟”……
自分同様類稀なる才覚に恵まれた才児である事は聞いてはいたが……

己の中に存在する、得体の知れない悍ましい神の力。
それすらも自分とよく似た…否、同じ力を持っていたとはどういう事だ?

自分はこんな恐ろしい力を持って生まれたが故に父から遠ざけられて生きてきたというのに……
あの時、父と養子は……まるで本当に血の繋がった親子のように笑い合い、共に並び歩いていたのはどういう事だ?

自分はあのように頭を撫でてもらった事も……手を繋いだ事も……名前を呼んでもらった事すらも、なかったというのに。
そもそも、その養子が……父と血が繋がってもいない者が、何故血の繋がりのある自分と同じ力を持っている?

心臓の鼓動が早まる、様々な感情と思考がグルグルと頭を回る。
そんな彼の様子を男は深まる笑みを隠しながら、さらに思い出したかのように付け加える。

奇妙な神と言えば………『おおてさま』というモノをご存知ですかな、と―――――――

愉快そうな声色さえ含んだ男の“他愛のない雑談”。

年若い少年を好んで神隠しに合わせる異界の神格。
連れ攫われた男児は神の婿となり水泡の中に囚われながら夢現にまぐわい、産み落とされし神の子は人の枠を遥かに超えし超人となる。
人知を超えた力と才覚を宿したそれらは人の世で大成するなど造作も無い事。
しかし、それを本当に人と呼んでいいものか……仮に“父”の側だとしたら、そんな異質なる存在との間に産まれた子供……我が子として愛するともなれば、相応の覚悟が必要でしょうなぁ。

愉しげに、大げさな手振りと共に男の語る言葉に……ミコトはもはや相槌も打つ事もなく黙り込み、己の思考に没頭する。


――――本当に、“あの者”は自分と同じだったのか?
自分と同じ異形の神の落とし仔だったというのか?
自分と同じ“化け物”だったのか?

じゃあなんで………父は自分を遠ざけて、“あの者”は養子にとってまで息子として御傍に置いたのですか?
周囲の反対を押し切ってまで……自分だけは気付いていたという事でしょう?
“ソレ”が本当に自分の血を分けた息子だという事に。

私も同じなのに。

その顔と姿が人と変わらなかったから?
怪物じみた気味の悪い力も体質もあったのは“ソレ”も同じだったのでしょう?
人から生れた人の赤子の世継ぎより、神童たる養子が後継者にさせられそうになった?
私は……世継ぎを巡る波乱にすら最初から入れられなかったのに?

……本来、ミコトは聡明であり他者の気持ちも思いもわかる善良な若者であった。
奇異なる己と普通の他者を比べても歪む事のないよう育て上げた神主の教育の賜物であった。

しかし今…彼は生まれて初めて、“自分と同じ奇異なる存在”の身内を知った事で、異形の側からその者と自分を比較するようになってしまった。

同じ異様なるモノの血を宿して生まれた者同士でありながら、同じ偉大なる父を慕い敬愛する者同士でありながら……
その父から受けた愛情の、明らかな差。

自分は他人とは違うから畏怖されるのも無理はないと耐えられた。
自分は怪物だから遠ざけられてもしょうがないと我慢が出来た。
自分は化け物だからあの暖かな家族の輪の中に入れなくても仕方がないと諦める事が出来た。

………………じゃあ、なんで“ソイツ”は良いんですか?

………………私だって 本当は その場所にいたかったんですよ?

………………本 当 は 私 が 父 の 後 継 と な れ る だ ず だ っ た の に !? 

産まれて初めて己の胸の内に湧き上がる明確な“嫉妬”と“羨望”。
心を埋め尽くすそれは、かつて自分でも気付かずに無意識の内に芽生え、そして胸の奥底に沈めておいたほんの僅かな“後継者への執着”。

頭の中がグルグルと感情と思考がかき混ぜられる。
冷たく仄暗い感情が駆け巡り、心臓がドクドクと脈打つ。

仮面の下の顔の左側が異様に熱い。痛い。
意思と関係なく不揃いな眼球がギョロギョロと動き回る。
まるで自分が自分でなくなりそうなまでの昏い悪しき意識が己の中に充満していく。
冷静な考えが浮かばない。

それ故に――――――――

――――目の前の狩衣の男が、自分の様子を眺めながら一層愉しげに笑みを深め、“その手の不気味な腕輪が妖しく光り輝いている”事にすら気付かない。

どうやら今日は体調がやや優れないようですな、と事も無げに囁きながら、男は腕輪をそっと隠して帰り支度を始める。
社殿を出る間際、いまだに俯き無言で思考に深けるミコトに振り向き、また近い内に来ますので、件のお話が聞きたいとあらばまたいつでも、と付け加える。
長い長い間の後に、消えそうなほど小さな『そうですね』という答えを確認し、男は満足げに笑みを浮かべながらその場を立ち去って行った……。



そうして一人残った彼はなおも考える。
しかしその内容はもう“父への疑問”でも“弟への嫉妬”でもなく……。

如何にして、“異形の弟に己の怒りをぶつけ葬るか”と、如何にして“幼い人間の弟から後継の座を奪うか”………

普通に戦ったところで勝てないだろう。普通に殺したところで奪えないだろう。
大きく歪んだ道に逸れながらも、元々は聡明な頭で狂った計画を冷静に練り始める。

相手も自分と同じ異形の神の落とし仔。
だが向こうは数えきれないほどの死線を潜り抜け、自分はこの狭い神社で神楽を舞ってきただけ。

圧倒的に実戦の経験の差が違う。
補わなければならない。
何を使ってでも追いつかなければまず戦えない。

殺せない。

力を付けなければ。
奴に無い別の方面でも上回れる何かを得なければ。

大丈夫だ、時間はまだまだある。
神の力を操るアレがこれからもそう簡単に死ぬことは無い。
幼い人間のアレが元服し正式に後継となるまでまだまだかかる。

偉大なる父も強い。
途中で死んで強制的に世継ぎをする事もない。
……もしそうなってもその前に二人が消えていれば問題は無い。

力を付ける。
知恵を付ける。

この異形の力を…どんな力を使ってでも、この国での私の居場所を掴みとろう。
それまではまたいつも通りの私でいればいい。

『櫻華 神寿』として……。

……否、この名は元々この皇国を守護する神職の身としての名だ。

自身の本当の名……敬愛する父より与えられた名は『櫻華 (スミレ)』。

…しかし、これも所詮は巫女として…“第一皇女”として生きる為に着けられた“女の名前”。

国を守る皇女としての自分……国盗りを企てる皇子としての自分……
周りに悟られぬように演じ分ける為には…新たに自らを区分する為の名が必要だろう。


―――――ならば。



「私の名は……………”(トリカブト)”」



美しきこの国を想い、人々の心を癒す、野山に咲く儚い華を演じて魅せよう。


その身に全てを蝕み屠る『猛毒』を、少しずつ少しずつ蓄えながら……。





この薫桜ノ皇国が大きく揺れ動く、その時まで―――――――



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最終更新:2022年12月20日 22:27