地図上でC-5に当たる地区に建つ病院の地下二階。
他所の喧騒が及ばぬこの場所に霊安室はある。
皆様は覚えているであろうか。
かつてこの霊安室が
初山実花子という少女の出発点であったことを。
そして彼女がこの部屋を後にした瞬間、室内から謎の轟音が響き渡ったということを。
音に驚いた少女が逃げ去った後、霊安室は再び元の静けさを取り戻していた。
しかしその室内は、一箇所だけ音が響く前と異なっている。
薄汚れた霊安室の床に、先程まで室内にいなかった筈の一人の男が倒れていた。
男の身体にはナイフが突き刺さり、それを電灯が冷たく照らしている。
今は動かないその男こそ、轟音を立てた張本人だった。
最初にこの部屋にいたのは初山実花子ただ一人だった。
そしてこの部屋の唯一の出入り口である扉の前には、中から音がするまで実花子がおり、他に出入りする者はなかった。
ならば、どうやって男は霊安室の中に出現したのか?
それにはこの男が辿った数奇な運命について語らなければならない。
♔
何度目になるかわからない悪態を吐きながら、
イヴァン・デ・ベルナルディは床に倒れたまま麻痺する体を芋虫のように動かして
苦心の末にようやく近くに転がっているトカレフを回収することができた。
このような醜態を演じるなど屈辱の極みだが、この状況では命があるだけましと言えよう。
アサシン、やはり怖るべき手練だった。暗殺の腕前は間違いなく自分が属する『組織』の全ての殺し屋より上だろう。
だから最初に奴と接触できた時はラッキーだと思った。
アサシンが自我というものに乏しい、一種の異常性格であることを、イヴァンは鋭くも見抜いていた。
奴ならば、『他の参加者を抹殺した後で自分の命も絶て』と命じてもその通り依頼を遂行するだろう。そう踏んでいた。
しかし奴はアホだった。支給品の説明書きを依頼書と勘違いするとは。
きっと今頃は次の獲物を探して、妖刀という名のサバイバルナイフ片手にそこらを飛び回っているに違いない。
「フン――、ならばそれでいいさ」
まだ起き上がれないので寝転んだまま、イヴァンは冷笑する。
アサシンが勘違いして妖刀を振るい続けるのなら、それはそれでいい。
あの説明書きには二十人斬るとスペシャルな報酬が与えられると書いてあった。おそらくアサシンはこの部分を読んで勘違いしたのだろう。
つまり奴はあと十九人を妖刀で斬る。奴ほどの腕前ならしくじる事はないだろう。
故にあと十九人、イヴァンと同じようなマーダー病の感染者が生まれる。
つまり十九人の参加者が無差別に他の参加者を襲うようになる。
実際は麻痺してる間に殺されたりしてもっと少なくなるだろうが、無差別殺人者が大量生産されることは間違いない。
そしてその事を知っているのは元凶であるアサシンと、この説明書きを読んだ自分だけなのだ。
ならば自分はどうすればいいか。簡単だ。
殺し合いに参加せず、ずっと隠れていればいい。
放っておいても勝手にマーダーは増え、勝手に殺し合ってくれる。
ならばその事を知っているイヴァンは他の参加者から身を隠し、彼らが殺し合う様を高みの見物と洒落込めばいいのだ。
増えたマーダー達は無差別に殺し、殺され合い、勝手に消耗して数を減らしてくれる。
そうやって殺し合って疲弊した所を、イヴァンは狙い撃てばいい。
『組織』最強の殺し屋である
ヴァイザーや、当のアサシンですら、何人ものマーダーと戦えば流石に草臥れる筈だ。
それならば自分でも勝てる。
いや、勝たなければならない。
勝ち残って、この島から生還しなければならない。
『組織』のトップに立つために。
そして、闇の玉座に坐るために。
『組織』の次期首領に選出されるよう、既に手は回してある。
その為に邪魔になる者は懐柔し、脅迫し、始末した。始末した者の中には彼の実父も含まれている。
『組織』の現在のボスは病のためにもう長くはない。後幾許もせず、『組織』のトップの座はイヴァンのものとなる。
だがイヴァンの野望は『組織』だけで終わるものではない。
イヴァンのボス就任と時同じくして、闇の世界で大きな抗争が勃発する。否、勃発するようにイヴァンが仕組む。
既にアサシンに依頼した幾つかの暗殺によって、抗争のための火種は撒かれている。
大規模な抗争、その混乱に乗じて、イヴァンは他の組織を乗っ取り、合併し、傀儡にして、暗黒世界に一大勢力を築く。
その規模は嘗てのアル・カポネやラッキー・ルチアーノのそれを凌ぐものとなるだろう。
そうすれば、もう闇の世界でイヴァンに逆らえる者は誰もいなくなる。
いや、闇の世界だけではない。彼らの属する闇とは、詰まるところ社会の陽の光が当たる部分の影である。
光ある限り影もあり続けるように、一見平和に見える社会とイヴァン達の住む闇の世界は不可分であり
社会が立ち行くためには『組織』のような闇の存在が必要不可欠なのだ。
素人目には同じ「悪の組織」だとしても、『組織』はブレイカーズや悪党商会のような
社会に真っ向から対立しようとする馬鹿どもとは性質からして全く違う。
『組織』はあくまでも社会の一部分であり、表の社会の欲望を叶え、表の社会が恙無く運営されるように汚れ仕事をこなしてやる。
所詮平和など争いの作る均衡に過ぎない。イヴァンたち闇の勢力こそ、そのバランスの調整者なのだ。
闇の頂点に立つとは、実社会に対しても隠然たる影響力を持つことを意味する。
自由を蝕み、弱者を喰らい、正義を引き摺り倒し、悪徳をこの世に蔓延らせる。
その権利を持つ覇者こそ、このイヴァン・デ・ベルナルディだ。
自分にはそれだけの才覚がある。そうイヴァンは確信していた。
だから自分はこんな場所で死ぬわけにはいかない。
故に『組織』の殺し屋たちを切り捨てることに何ら躊躇は無かった。
其れ所か、これは残っている邪魔者を一掃するいい機会かもしれない、とイヴァンは北叟笑んでいた。
邪魔者――そう、例えばヴァイザーだ。
ヴァイザー……『組織』の最大戦力である殺し屋、その名前は脅威を伴って闇の界隈に広く知られている。
確かに奴は殺し屋として十年に一人、いや百年に一人の逸材と言えるかもしれない。
だが手に余る。
実際彼も父親の殺害をヴァイザーに任せたが、『組織』の権威に対しまるで忠誠を持たない奴の言動のせいで依頼交渉には非常に難儀した。
結局『実の息子が実の父親を殺す』という部分がウケて奴は依頼を引き受けたわけだが、単身で強大すぎる力を持つこの男を生かしておけば
いずれ『組織』に、つまり自分の将来に大きな禍いを引き起こすことになるとイヴァンは確信していた。
この場で奴を始末できれば、それに越したことはない。
確かに奴は優秀だ。だがイヴァンが必要とするのは優秀なスタンドプレイヤーではない。彼が求めるのは自分の命令に忠実に従う『駒』なのだ。
忠実な駒――その点では
アザレアも失格だ。
その特異な生い立ちに由来する『殺気を消す』才能を持つ少女。彼女は確かに貴重な存在ではある。
しかしあのイカレ小娘を組織の役に立つ殺し屋に仕込めるか、イヴァンには甚だ疑問だった。
『組織』の、自分の役に立たないのであれば、いかに優れた才能だろうと宝の持ち腐れだ。
将来役に立つか立たないかわからんガキに心を割いている暇などない。あの娘にもここで消えてもらおう。
バラッドに至っては論外だ――。
あの女、何処から嗅ぎつけたのか、イヴァンが老ベルナルディ殺しの黒幕だと気付いて秘かに彼の命を狙っているらしい。
全く理解できない。次期首領である自分に刃向かってまで死んだ老害に忠を尽くすなど。
過去に命を救われたからといってそれが何だというのか。自分に従っていればこれからも『組織』の中で生きられたものを。
……ひょっとして自分が知らないだけで父と愛人関係か何かだったのか? イヴァンは下衆な勘繰りをして勝手に顔を顰めた。
それに
サイパス・キルラ――あの男もイヴァンが父親殺しの黒幕であることに気付いているが、『組織』のために彼に忠誠を誓っている。
奴は有能な男だ。殺し屋としても、『組織』の構成員としても……
……そう、奴は有能過ぎた。
現在『組織』に属している殺し屋の半数以上がサイパスによって育成、もしくはスカウトされた者たちだ。
故に彼らの殆どがサイパスに対して好意的であり、中には次期首領としてサイパスの名を推す者さえいる。
無論サイパス自身は『組織』のボスとなる心算などないし、誘いがあったとしても断るだろう……あの男は自分の分を弁えている。
だが奴を担ぐシンパが多くいる、それが問題なのだ。殺し屋の半数といえば『組織』の中でも無視できない勢力になる。
これから勢力を拡大するにあたって足元は磐石にしておかねばならない。危険要素は排除する――それが忠実なサイパス・キルラであっても。
後はピーター――まあ奴は仕方ない。
性癖は異常だが、殺し屋としては奴程度の替わりなど幾らでもいる。
他にも組織を裏切った元殺し屋や、イヴァンが『組織』を裏切って秘密裏に依頼をした張本人であるアサシンなど
生きていれば邪魔になる連中が見事にこの島に集められている。
ワールドオーダーも中々気の利く男だ。
優勝したらあの革命キチガイと友誼を結んでおくのもいいかもしれない。奴の力はこれから先も役に立つ。
だから殺し屋達には精々、他の参加者たちを殺し回って疲れ果ててもらおう。
そうやって連中はイヴァンが優勝するために尽くせばいい。無論、最後は己自身の死を以って。
そして、誂えられた屍の荒野にイヴァンは君臨する。
唯一の問題は彼が感染しているマーダー病だが……なに、気にすることはない。
この説明書きにも書いてあった。要は強い精神力があればマーダー病は克服できる。一番重要なのはその事実を知っているか否かだ。
マーダー病について何も知らないものは、わけも分からぬまま快楽殺人者に成り果てるしかない。
しかしこの説明書を読んでマーダー病に対する心構えが出来ていれば、これを克服することができる。
そして今、説明書はイヴァンの手の内にあり、彼はこの知識を他者に分け与えるつもりは更々なかった。
彼が為すべきことは、マーダー病を堪えつつ、他の参加者が潰し合うのを待つだけである。
そうだ。走り回り、殺し合うしか能の無い殺し屋どもには分かるまい。
最後に勝利する者とは圧倒的な戦闘力の持ち主でも奇特な能力者でもない、大局を見据えて動くことのできる者だということを――――
その時、壊れそうな音を立てて山荘のドアが開かれ、イヴァンを思索の世界から現実へと引き戻した。
大きく開かれた扉の向こうには、堂々たる体躯を軍服で包んだ一人の男が立っていた。
「だ、誰だッ!?」
思わず叫び声を上げながらも、イヴァンは男の正体に見当がついていた。
実際に会ったことはないが、国際警察の指名手配写真でその顔は見たことがある。
しかし――いや、認めたくない。見当が間違っていてほしい。何故ならその男は――
「誰――だと?」
男は厳つい顔に冷たい笑いを浮かべると
イヴァンにとって絶望に等しい己の名を告げた。
「我は秘密結社ブレイカーズ大首領『
剣神龍次郎』である」
♚
ロープウェイから降りた剣神龍次郎が山荘に寄ってみたのは本当に単なる気紛れだった。
本来、彼が気になっていた施設は山荘とは別に二つあった。
一つは『研究所』。
現在地から大分離れた場所にあるが
ここに行けば首輪の解除に必要な道具や設備があるかもしれない。
(何より、俺と同じように考ぇた首輪を解除する意志のある奴等が集まってるかもしれねぇな。
そん中に役に立つ奴がいりゃあ話は早いんだがなァ……)
もう一つは、こちらは研究所よりは近い場所にある『放送局』。
放送局内の設備を使えば、この島中に放送を行き渡らせることも可能だろう。
つまり、この島のどこかにいる
大神官ミュートスに……そしてチャメゴンに、召集令をかけることができる。
無論、集合場所と時刻に関してはブレイカーズのメンバーにしか解らない符牒を使って伝える。
そうすれば集合を狙ったさもしい連中の闇討ちを防ぐことができる。
また、放送後に放送局の近辺で待ち伏せされる可能性もあるが――
(望むところだァ――)
ちょうど他の参加者にも会ってみたかった所だ。
襲ってきたら返り討ちにして叩き潰し、無能な弱者だったらそのまま殺す。
役に立ちそうだったら軍門に下るよう告げ、従わないのなら殺す。従えば仲間に加え入れる。
それだけだ。
『研究所』か『放送局』か。
どちらへ向かうにせよ、ロープウェイでF-7地点まで移動したほうがいい。
そう思いロープウェイに乗った龍次郎だったが、車窓からちらりと見えた山荘が彼の気を惹いた。
(あの山荘――俺の持ってたヤツとソックリじゃねぇか)
そう、偶然か、はたまたワールドオーダーが謀ったのか、ロープウェイ降り口のすぐ近くに建つ山荘は
龍次郎がG県に所有していた別荘と瓜二つの外観をしていた。
G県の別荘――ブレイカーズの大首領になってから殆ど働き通しだった龍次郎にとって、そこは数少ない癒しの場だった。
一年に一度、下手したら数年に一度の頻度でしか訪れることはできなかったが
別荘で寛ぎつつチャメゴンと遊んだり、敬愛する織田信長の伝記を読み耽ったり
連れてきた大神官ミュートスの作った料理のようなケシズミに舌鼓を打ったりした時間は
野望と戦闘と殺戮の連続である彼の人生において数少ない、心安らげる経験だった。
……もっともその別荘は数ヶ月前、龍次郎自身が企画立案し直々に陣頭指揮を執った
G県山中に配備したロケット弾で一千万都民ごと東京を焼き尽くす『東京ヘルファイア作戦』の指令基地として使用したために
計画を阻止しようとやって来たシルバースレイヤーその他のJGOEヒーローズとの戦いの舞台となった結果焼失してしまったのだが。
(ついでに作戦も阻止されて失敗した。
その上ブレイカーズ本拠地に戻った彼は大神官ミュートスから「他の幹部に相談もせず勝手な作戦を実行するな」と滅茶苦茶怒られた。)
(まさか、似てるからってェこんな所にミュートスやチャメゴンがいるわきゃあねぇよなァ――)
そう思って何となく近寄った龍次郎の目が、一瞬にして険しくなる。
(扉ァ開いてやがる――)
つまり、何者かがこの山荘から出て行ったのだろう。
扉を半開きにしたままで、まさかまだ誰かが中にいるわけじゃあるまいが、何かの痕跡は残っているかもしれない。
龍次郎は軍靴のまま山荘内に上がり込むと、その中の部屋の戸を思い切り押し開けた。
果たして、そこには彼の予想を裏切り、一人の男が床に伸びていた。
(コイツァ、確か殺し屋組織の元締めの一人だったな。
名前はイワン…イワン…イワン――イワン何とかだ、名簿に載ってたから間違いねぇ)
「だ、誰だッ!?」
床に転がったまま、イワンは叫ぶように声を上げた。
その顔には恐怖の表情が張り付いている。
ああ、矢張り弱者が恐怖し絶望しながら自分を見上げるのはいい気分だ。
「我は秘密結社ブレイカーズ大首領『剣神龍次郎』である」
愉悦を噛み殺し、龍次郎は外行き用の軍人口調で答えてやった。
彼は公の場では大首領としての威厳を見せるために態と堅苦しい口調を使う。悪の首領もイメージ戦略が大事なのだ。
(ちなみに彼が素の口調であるべらんめえ口調を使うのは独白する時と親しい者と話す時だけである。
だからこの秘密は現在ではチャメゴンと大神官ミュートスしか知らない)
「ひっ、ひぃぃ!」
イワンは悲鳴を上げ、逃げようとする。
が、体が言うことを聞かないのか、その場で芋虫のようなダンスを踊るだけに終わった。
(何してやがんだァ? コイツは――)
その動きに不信を抱きつつ、龍次郎はイワンの手に握られている紙片に注目した。
近づいて分捕る。イワンは指先にも力が入らないのか、あっけなく紙を奪い取ることができた。
紙片には、『妖刀無銘』なるナイフに関しての説明文が記されていた。
♔
まずい。この男はまずい。
イヴァンの体から血の気が引いていった。
暗黒街のエリートとして、イヴァンは今までに数え切れないほどの極悪人と面識を持っている。
ヴァイザーやアサシンのような殆ど人知を超えた超人魔人と言うべき存在の事も知っている。
しかし目の前の男、国際的テロリスト組織『ブレイカーズ』の大首領・剣神龍次郎はそれらの怪物たちと比べてなお規格外の存在だった。
又聞きでこの男の話を聞いた時には、世界征服なんて目的を本気で掲げている傍迷惑な誇大妄想狂だと鼻で笑っていたイヴァンだったが
こうして遭ってみると、まるで太古に絶滅したはずの巨大肉食恐竜と向かい合っているような、生物レベルでの危険信号を全細胞が送ってくる。
百戦錬磨のイヴァンすら圧倒する気力を、この大首領は発していた。
「成程、詰り貴様はこの妖刀無銘とやらを持った輩に敗北し
今は床に転がって、その様な醜態を晒しているという訳か」
既に大首領がイヴァンを見る目は、取るに足らない塵芥を見下す目となっている。
「ま、待ってくれ!話し合おう!
俺は『組織』のイヴァン・デ・ベルナルディだ!」
イヴァンは思い切って自分の身分を明かす、が、大首領の侮蔑の視線に変化は無い。
「妖刀を使って貴様を斬った者は誰だ。教えろ」
「あ、ああ、アサシンってケチな殺し屋さ。あの間抜け、その説明書を依頼書だと勘違いしたんだ」
麻痺の中で唯一まともに動く動く口で答えつつ、イヴァンは何とか目の前のこの男を殺す手段はないかと考えを巡らせていた。
得意の早撃ちはどうだ!? 駄目だ この麻痺した指では撃つ前に殺される!!
そもそもコイツは改造人間らしいが、改造人間って普通の銃撃で殺せるのか!?
「アサシンの奴、同業者のよしみで俺が油断した所を襲ってきたんだ。全く狡い野郎だよ――」
大嘘を吐きながらも、イヴァンはたった一つしかない結論を何度も頭の中で反駁する。
しかし、どうやら手はこれしかないようだった。
「そ、そんなことより大首領閣下!閣下と私で共に力を合わせましょう!
貴方のブレイカーズと私の『組織』が手を結べば無敵!あの革命キチガイなど恐るるに足りません!」
唐突に口調を変えると、イヴァンは大首領に思いきり擦り寄った。
倒すのが無理である以上、剣神に殺されないためには奴の協力者になるしかない。
無論本当に協力する気は無い。一時的にこの場を凌げればいい。そうすればまだ打つ手はある。
きっと凌げる筈だ。自分には王座の運命が味方している。四年前の自動車事故だって、本来なら死んでいてもおかしくない大事故にも拘らず
自分は片目だけを犠牲にして生き残ることができた。今回も、この殺し合いもきっと――
「閣下の偉大な御御力に、微力ながらこのイヴァンも協力致します!
我ら二人の力を以ってすれば、こんなふざけたバトル・ロワイアルなど潰ぶぶっ!!」
必死で阿ろうとするイヴァンの声は、しかし最後まで言い終わることなく途切れさせられた。
倒れたままのイヴァンの顔面を、大首領の軍靴が踏み付けた為である。
「協力するだと?
説明書と依頼書を間違えるマヌケに騙されて敗北を喫した貴様の如き敗残者が――」
「うごごごごごおおおおおお!!!!????」
塵を踏み躙るように押し付けられる靴の下で、イヴァンは声にならない悲鳴を上げていた。
(だ、駄目だ――コイツにおべんちゃらは通じねえ!こ、殺される!!)
「しかも一定時間が経過すると無差別殺人者になる精神疾患付きとはな。
敗残者の上に時限式の欠陥品とは、つくづく救い難い……」
「あがああああああああああああああ」
「弱者は死ね」
「おげええええええええええええええ」
頭に置かれた靴に篭められる力が徐々に強くなり、イヴァンの頭蓋が軋んだ。
自分の意志とは無関係に口から声が漏れた。
股間から尿が迸り、高級ブランドのズボンを濡らすが、自分では止められない。
目の前が真っ赤になり、世界が遠くなっていく。何も考えられなくなっていく。
(馬鹿な 莫迦な そんなバカな
俺はこんなところで死ぬのか? 闇の世界の頂点に君臨するはずだった俺が
運命が みかた していた筈の 俺が
こんな所で 虫けら みたいに
いやだ なにか なんでもいい
たすかる しゅだん ほうほう
ばっぐ なか
きゅう ひ )
「そうだ。殺す前に貴様にもう一つ質問がある」
急に、頭蓋に加えられていた圧力が失せた。
「かはッ」
鬱血したままでイヴァンが頭を動かすと、大首領は相変らず塵を見るような目のままで彼を見下している。
「我が部下の大神官ミュートス……白いローブを着た金髪碧眼の女だ。
そして大変愛らしくて大変賢いチャメゴンという名のオスのシマリス。
この二名に関して、この島に転送されてより何事か見聞きしたか。答えろ。
拒絶や虚偽の答えを述べた場合はより惨い最期を迎えることになると心得ておけ」
自分はこの男に殺される、だがこれはラストチャンスだ、この場から逃れる
この場から逃げる
生き残る
その為には――
♚
「――は――ねえ」
「ん?」
イワン…いやイヴァンか
ドス黒く鬱血したままのイヴァンの唇が何事か不明瞭な音を漏らした。
龍次郎が思わず聞き返した、その瞬間、イヴァンが顔を上げた。
その顔つきは一変していた。そこには先程まであった恐怖も、媚び諂う笑みもない。
絶望的なまでに生きようとする意志が、追い詰められた男の顔に張り付いていた。
「俺は死なねえ!!
俺はこんな所では終わらねえ!!
最後に玉座を手に入れるのはテメェじゃねぇッ!!このイヴァン・デ・ベルナルディだァァァァ――!!」
「――お前ェの最後の言葉ぁそれでいいんだな?」
冷めた目のまま、龍次郎は片足を上げる。
今度こそ力を篭めて、一踏みでイヴァンの頭蓋を粉砕する。
言葉が素のべらんめえ口調に戻っているが、なに、気にすることはない。
この場には彼とこの男しかいないし、どうせこの男はもうすぐ死ぬ。その運命は確定しているのだ。
龍次郎が脚を踏み下ろそうとした瞬間、イヴァンの麻痺している腕が今までの動きからは信じられないほどの速さで動いた。
イヴァンは己のバッグから、何か輝くものを取り出した。輝くもの、刃だ。
(ナイフかァ――だが無駄だ)
イヴァンの手の動きは素早いとはいえまるで本調子の速度ではない。
ナイフの刃が龍次郎に突き立てられるより先に、龍次郎の足がイヴァンの頭を踏み抜く。
また仮に斬りつけられたとしても、奴の麻痺したへな猪口の力では、いかに研ぎ澄まされたナイフを使っても
龍次郎に傷をつけることは出来まい。よくて軍服を少々切り裂く程度だろう。
ナイフを握ったイヴァンの頭に向けて、龍次郎の足が踏み下ろされる。
その寸前、イヴァンは
自分自身の身体にナイフの刃を突き立てた。
(何ィ――――!?)
突然なイヴァンの自殺に、流石の龍次郎も心の中で叫び声を上げる。
他人の手にかかって殺されるくらいなら潔く自死を選ぶ。この男にもその程度の誇りが残っていたのか。
しかし既に踏み下ろされた龍次郎の足は止まらず、自身をナイフで刺したイヴァンの頭部を今まさに砕かんとする。
その時、イヴァン・デ・ベルナルディの姿が忽然と消えた。
「何ィィィィ――――!!?」
今度こそ、龍次郎は口に出して思わず叫んだ。
それと同時に、踏み下ろした彼の足は床板をブチ破っていた。
「如何いうこったこりゃァ……」
軍人口調にするのも忘れて、龍次郎はつい数瞬前までイヴァンが横たわっていた筈の床を呆然と見つめる。
確かにそこにあったはずのイヴァンの肉体は、まるで煙か幽霊のようにこの山荘内から掻き消えてしまっていた。
何らかのトリックか、姿を消して龍次郎を狙っているのかと思って身構えたが、どうもそういうわけでもないらしい。
(ワケがわからねぇ……こいつァ奴の能力か何かなのか?
否ぁ、んな力があんならもっと早くに使ってた筈だ。それなら――――)
龍次郎はイヴァンが倒れていた辺りに抜け穴でもあるのかと、自分でもバカバカしいと思いながらも一応調べてみる。
すると彼の倒れていた陰に、一枚の紙片を発見した。
(また紙っキレか……ちゅうことはまた――――)
その紙はまたもや支給品の説明書だった。
【サバイバルナイフ・魔剣天翔】
このナイフで刺した参加者を、身につけている物品ごとバトルロワイアル会場の何処かにワープさせます。
ワープする場所は地図上内で完全にランダムです。とんでもない所に転送される可能性もあるのでご承知ください。
一度ワープさせた参加者は、もう一度刺したとしてももう二度とワープできません。
また、参加者以外は生物無生物問わず刺してもワープ効果は起こりません。
ps.このナイフは非殺傷使用なので普通に切ったり刺したりということには全く使えません。あしからず。
主催陣営より♡
「……要するに、奴ぁ支給品の力で逃げたッつーことか」
ヘッと吐き捨てると、龍次郎は説明書を丸めて投げ捨て、山荘を出て行った。
イヴァンを討ち漏らしたことは不快だが、まぁあの程度の小物など放っておいても構わない。
どうせ遠からずこの殺し合いの中でくたばるだろう。
既に興味を失った山荘に背を向けて、大首領は再び目的地に向けて歩き始める。
その恐怖が及ぶ先は、研究所か。
或いは放送局か。
もしくは、そのどちらでもない第三の場所か。
何処に向かうにせよ確かなことは、彼こそがその場を支配し、君臨するということだ。
彼の名は剣神龍次郎。秘密結社ブレイカーズの大首領である。
【F-7 山荘/深夜】
【剣神龍次郎】
[状態]:健康
[装備]:ナハト・リッターの木刀
[道具]:基本支給品一式、謎の鍵
[思考・行動]
基本方針:己の“最強”を証明する。その為に、このゲームを潰す。
1:研究所か放送局か、どちらかを目指す。
2:協力者を探す。首輪を解除できる者を優先。ミュートスも優先。チャメゴンも優先。
3:役立ちそうな者はブレイカーズの軍門に下るなら生かす。敵対する者、役立たない者は殺す。
※この会場はワールドオーダーの拠点の一つだと考えています。
※怪人形態時の防御力が低下しています。
※首輪にワールドオーダーの能力が使われている可能性について考えています。
※妖刀無銘、サバイバルナイフ・魔剣天翔の説明書を読みました。
♔
サバイバルナイフ・魔剣天翔を突き刺したイヴァンが転送されたのは
地図上でC-5に当たる地区に建つ病院の地下二階、他所の喧騒が及ばぬ霊安室の中空だった。
ちょうど初山実花子という少女が辞したばかりの室内に忽然とワープしてきたイヴァンの身体は
床から1m弱くらいの高さに出現した。
イヴァンの身体はその後当然ながら重力に従って霊安室の床に落下し
麻痺のせいで受身もとれない彼は寝そべった態勢のまま思い切り床に全身を叩きつけられた。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォン!
「ぐえっ」
轟音と共に全身を衝撃が襲い、イヴァン・デ・ベルナルディはそのまま意識を手放した。
扉の前にいた少女は突然の轟音に驚き、霊安室の中を覗くことなくその場から逃げ去っていった。
こうして霊安室の中には、動かなくなった男が一人取り残された。
その身体に突き刺さったナイフ……突き刺さっているように見えたナイフは、イヴァンの身体を離れて床に転がり、乾いた音を立てた。
その様子を見守っているのは、冷たい電灯の光だけだった。
「ぐっ……が……」
どれほどの間気を失っていたのか。
イヴァンはどうしようもないほど痛む全身に呻きながら周囲を見回す。
そこは彼がいた山荘ではなかったし、あの剣神龍次郎もいなかった。
(あのナイフの効果……本物だったのか)
最初に説明書を読んだときは笑えないジョークグッズだと思って仕舞い込み、すっかり忘れていたが
妖刀と同様に、このサバイバルナイフには本物の謎の力が宿っていたらしい。
(ここは霊安室……つまり俺がいるのはC-5の病院内か……)
周囲の様子から自分のいる場所を確かめると、彼は痛む身体を引き摺って
死者を安置する寝台の下の暗がりに身を押し込める。
(どの程度気絶していたかはわからんが――
意識を失っていた俺がまだこうして生きているということは、この部屋は取り敢えず安全なのだろう。
ならば今は身体を休め、麻痺から回復するのだ……。
あと数時間……いや、立ち入り禁止区域が発表される六時の放送まではここで休もう。
今は――逃げても――俺は――必ず――――頂点に――――――――)
そして再びイヴァンの意識は闇に溶けていった。
しかし、果たしてイヴァンの思惑通りに事が運ぶだろうか。
この霊安室は本当に安全な場所なのか。
第一回放送までに、彼は再び目を覚ますことが出来るのか?
そして……剣神龍次郎の存在によって大きな恐怖を受けた彼の精神は、彼の目論見どおりにマーダー病を克服することが出来るだろうか。
イヴァン・デ・ベルナルディの運命は、彼を玉座に運ぶのか。それとも――――
【C-5 病院地下二階・霊安室/深夜】
【イヴァン・デ・ベルナルディ】
[状態]:気絶中、精神的疲労、全身に落下ダメージ、マーダー病感染中
[装備]:サバイバルナイフ・魔剣天翔
[道具]基本支給品一式、トカレフTT-33、ランダムアイテム0~1
[思考]
基本行動方針:生き残る
1:少なくとも禁止エリアが発表される第一回放送まではこの部屋に隠れる。
2:何をしてでも生き残る。
3:仲間は切り捨てる方針で行く。
※マーダー病に感染してしまいました。(発症まで残り4,5時間)
【サバイバルナイフ・魔剣天翔】
このナイフで刺した参加者を、身につけている物品ごとバトルロワイアル会場の何処かにワープさせます。
ワープする場所は地図上内で完全にランダムです。とんでもない所に転送される可能性もあるのでご承知ください。
一度ワープさせた参加者は、もう一度刺したとしてももう二度とワープできません。
また、参加者以外は生物無生物問わず刺してもワープ効果は起こりません。
ps.このナイフは非殺傷使用なので普通に切ったり刺したりということには全く使えません。あしからず。
最終更新:2015年07月12日 02:45