廃工場の内部に有る休憩室に、男が一人、椅子にかけていた。
 巨きい、男だった。
 頭頂部から爪先まで、苛烈な鍛錬の果てに鍛え終えた肉体は、190cmの長身と合わさり、齢千年を超え、見る者に“神”を感じさせる大樹を思わせる威風を放っている。
 大樹の名は、呼延光。
 中国黒社会に於いて、知らぬ者無しとまで謳われた巨大幇会『飛雲帮』の凶手だった男。
 絶世の武功と、武功を更なる高みへと導いた超力を以って、飛雲帮の敵を葬り続け、その力のあまりの“強”の故に、帮会により謀殺された筈の男である。
 その呼延光は、椅子に掛けて以降、微動だにしなかった。
 まるで石か鉄で出来た像と化したかの如くに。
 刑務に乗る意思を持たない呼延光は、此処で刑務の終わりを待つつもりだった。
 かつて、己が手で、生死を共にすると天地に誓った義兄弟を殺し尽くし、そして先刻、死に損なっていた亡霊に引導を渡し。
 心身共に鍛え抜いたな武人といえども、疲弊を覚えるには充分な運命。
 何をする気にもならず、人目につかない場所を求めて、適当な工場に入り込み、椅子を見つけて腰を下ろした。
 それ以降、呼延光は、呼吸の為に胸を上下させるだけの存在と化していた。



 静寂が支配する空間に、変化が生じた。
 瞼を閉じたまま、微動だにしなかった呼延光が、僅かに目を凝らして、床へと注意を向けたのだ。
 床を注視する呼延光の視線の先で、床に積もった埃が、僅かな量ではあるが、舞った。

 「…………」

 僅かに感じる振動。
 誰かが、此処へ近づいている。
 この建物に入った時に、周囲には人の姿も気配も無かった。
 それが、近づいてきているという事は、相当な索敵能力の持ち主という事か。
 呼延光は立ち上がると、全身の力を抜く。
 どの様な敵が現れても、即座に応じて鉄掌を叩き込める様に、気迫と意志を総身に巡らせた。
 少しの間を置いて、引き戸が開かれる。
 立っていたのは、2mを超える人影。
 呼延光と同じく、全身遍く鍛え終えた肉体は、千年を超える時間を風雪に晒されて、砕ける事無く存在し続けた巨巌の様な存在感を放っていた。

 「……貴殿は、飛雲帮の“鉄塔”呼延光」

 「そういうお前は“怪力乱神”」

 大金卸 樹魂。それが巨躯の名であった。
 かつて日本で、複数の武術家を比武(武術の試合)の果てに撃ち殺した怪人。
 日本に進出していたチャイニーズマフィアの手練れ達もまた、何人かが手に掛かり、報復の為に複数の帮会が金を出しあって、高額の懸賞金を掛けた猛者。
 懸賞金と江湖での威名とを得る事を目論んだ飛雲帮の帮主により、命を受けた呼延光が日本に赴いて戦い、決着する前に官憲の乱入により、別れる事となった相手である。

 「俺に何の用だ」

 「貴殿に各別用があるわけでは無い…が、あの時の続きをしたい」

 「この悪趣味な刑務に協力するのか」

 「余人の思惑も、天象も、神意すらも、一切が関係のない事。
 我と貴殿が天地の間でこうして向かい合っている。
 ならば、闘うしかあるまい」

 「…………ハハハッ」

 最初は呆気に取られた呼延光だが、じきに笑いが込み上げてきた。
 何と単純な事か。
 一個の“強”に支えられた、図太いまでの蒙昧さ。
 これ程までに至っては、いっそ清々しいとさえ言える。
 愚直と言えばそれまでだが、それだけに、眩い程に羨ましかった。

 「皆が皆、お前程に単純であれば……。お前程の強さを持たぬ以上…詮無き事か」

 大きく息を吸い、吐きだして、左脚を前に、右脚を後ろに軽く開き、右脚に体重を掛けて、呼延光は大金卸と対峙する。

 「場所を移すか?」

 大金卸の言葉に。

 「俺とお前、何処で戦おうが、周りは無事に済まん」

 呼延光はこの場での開戦を告げる。

 「その通りだ」

 大金卸もまた、腰を落とし、構えを取る。

 「訊くが、何故俺が此処にいると分かった」

 「貴殿ともあろう者が、気付かなかったのか。埃に刻まれた足跡を辿ったまでよ」

 呼延光は苦笑した。あまりにも気が沈み過ぎて、そんな事にも気付かないとは。

 「次は気を付けるとしよう」

周囲に人は無く、だがしかし、見る者が居れば、二人の間の空間が圧縮され、凝縮していくのを幻視しただろう。
 二個の怪物が放つ闘志が鬩ぎ合い、両者の間の空間を押し潰していると、そう感じた事だろう。
 両者の間の空間が、軋む音すら聞こえてきそうな“圧”。
 対峙したまま動かぬ二人。唯虚しく時だけが過ぎて行く。
 流れ去った時は一分か、果ては一時間か。
 動いたのは、呼延光。
 体重を掛けた右脚の力を抜く。
 右膝が自然と沈み、前方に出した左足が浮く。
 右膝を伸ばし、身体を前方へと射出。左脚を全く動かす事なく前方へと跳ぶ。
 予備動作の無い踏み込みは、大根卸の虚を確かに突き、呼延光の間合いの侵略を、手をこまねいて許すという失策を犯させる。
 左足が床に接した瞬間に、左足を軸に体重移動。跳んだ勢いと体重を乗せた拳打を大根卸の胸板へと打ち込んだ。
 鉄の筋肉が生み出す、身体を前方へと打ち出した力。鉄の肉と皮膚と骨の重さを拳に乗せた威力。鉄の身体を持つ呼延光のそれは、常人のものとは比較になら無い。
 ましてや打ち込まれるのは、比喩でも何でも無く、文字通りの『鉄拳』だ。
 幾ら鍛えていようとも、所詮タンパク質とカルシウムで出来た人体。受ければ肉が潰れ骨が砕ける。

 「見事」

 大根卸は、半歩を退がっただけだった。
 確かに拳が命中した筈だが、身体の何処にも損傷は存在しない。

 「あれで応じるか」

 この程度で決まるとは思っていなかった呼延光は平然たるものだが、それでも感嘆せざるを得ない。
 拳が当たる瞬間に、半歩を退がって、打点をずらし、威力を殺した大根卸に対して、呼延光は称賛を惜しまなかった。

 「噴!」

 大根卸の右脚が上がる。
 直線の軌跡を描く前蹴りは、呼延光の初撃と同じく、最速最短の軌道で呼延光の胴へと奔る。
 只の平凡な前蹴りではあるが、しかし、放ったのは大根卸樹魂。
 込められた威力は分厚い鉄筋コンクリートの壁を容易く撃ち抜く。
 最早人の域を超え、兵器の域に有る威力。蹴撃というよりも大城塞の城壁をすら撃ち砕く破城槌に等しい。

 「破ッ!」

 迫り来る破城槌を、呼延光は左掌を以って迎える。
 撃ち落とすのでも無く、弾き飛ばすのでも無く、受け止めるのでも無い。
 掌と脚が接触した瞬間に、呼延光が加えた力により、大根卸の右脚は運動のベクトルを狂わされ、虚しく虚空を穿つに留まった。
 破城槌を捌いて、呼延光の動きは止まらない。
 左脚を踏み込み、体重を乗せた肘を、大根卸の胸へと撃ち込んだ。
 響いたのは、鉄塊と鉄塊がぶつかったかの様な音。
 鉄の身体を持つ呼延光と、伍する強度の肉体を有するのが大根卸。
 常人ならば胸骨が撃砕される────どころか、胸に穴が穿たれる一撃を受けて尚、僅かな負った様には見えない。
 それどころか、益々意気が軒昂となっている。
 されども、大根卸と愛対するは呼延光。超力を抜きにしても、絶世の才と無双の武威を誇る達者である。肘の一撃を入れた程度で、攻勢が止まるはずも無い。
 立て続けに繰り出されるは劈拳、蹦拳、鑚拳、炮拳、横拳の形意五行拳。
 鉄の剛強と人体の柔靱を併せ持つ肉体で技を繰れば、武功を語る事すら許されぬ三流未満の武芸者でも、拳威拳速、共に達人の域を飛び越える。
 ならば、呼延光の様に、世に冠絶する武人が、鉄の身体を以って技を繰り出せば如何程のものとなるか。
 唸りを上げて轟く拳風が、踏み込む度に砕けて破片を舞い上がらせる床が、その神威を雄弁に物語る。
 繰り出される鉄拳は、対戦車兵器をして比較の対象となる域に到達し、拳風に触れただけで、凡そ人ならば昏倒を免れ得ない。
 それらの悉くを、或いは受け、或いは捌き、或いは外して、巨虎すら一撃で四散する絶拳を、五度全て凌ぐ大根卸は人の域を超えた怪物というべきか。
 五行拳を凌いだ大根卸は、笑みを浮かべて、呼延光の水月へと正拳突きを繰り出した。
 繰り出す機。運足。体重移動。身体の回転。拳を撃ち出す動き。
 その全てが見惚れる程に完璧で、呼延光も思わず称賛の溜息を漏らした程だ。
 息を吐きつつ呼延光は、前方へと進む動きを優れた体軸と脚力により殺し切り、後方へと跳躍する。
 『開闢の日』以前の10代の時に、闘牛の頭蓋を一撃で叩き割って仕留めてのけた、大根卸の拳撃。
 刃すら通さぬ鉄の身体を以ってしても、大根卸の拳を受ける事は出来ぬと知るが故に。
 大梵鐘を突き鳴らした様な轟きを残して、呼延光の肉体が後ろへ飛び、ぶつかった壁を貫いて向こう側へと消えた。
 呼延光の後を追い、壁の穴へと飛び込んだ大根卸を迎えたのは、呼延光の鉄掌だった。
 真っ直ぐに胸へと迫る鉄掌へ、大根卸は正拳を以って応じた。
 掌と拳。人体と人体が激突したとは到底思えぬ音が生じ、押し出された空気が瞬間的な豪風となって、部屋の窓ガラスを破砕した。
 二人は僅かな停滞もせずに、攻撃し、防御を行い、回避する。
 狭く物が乱雑に転がる室内だが、二つの怪物の妨げとなる物など存在しない。
 床に転がる物は、踏み潰され蹴り砕かれて微塵となり、壁は拳脚や身体が触れる度に崩壊する。
 やがて部屋が部屋としての意味を無くす程に、壁が無くなった時。二人の姿は何処にも無かった。





 フットワークで床を砕き、身体を動かす度に壁を崩し、何時しか二人は屋外に居た。
 正しくは、二個の怪物に内部で暴れ回られた工場が保たなかったのだ。
 柱が折れ、屋根が落ち、壁が倒れても、大根卸樹魂と呼延光、両者の死闘には些かの影響も与えなかった。
 街灯を蹴り折り、拳の一撃で電柱を砕き、アスファルトを踏み砕いて、両者は力を尽くして闘い続ける。
 大根卸の渾身の前蹴りを受けた呼延光が、凄まじい勢いで後ろへと押し退げられる。
 アスファルトに刻まれた二条の溝を見れば、大根卸の蹴撃の威力がどれほどの物か、窺い知ることが出来るだろう。 
 大根卸の蹴撃の勢いを殺す為に、呼延光が踏ん張った結果、アスファルトの路面を呼延光の鉄の足が抉った結果、生じた溝だった。

 「靴が無くなった」

 「悪い事をした」

 7m離れた場所で、呼延光が拳を繰り出す。
 遥か遠く離れた場所で、渾身の突きを繰り出すのは、愚行を超えて狂気の沙汰だが、何を察したのか、大根卸は左腕で顔を覆った。
 直後、大根卸の腕に鈍い衝撃。
 呼延光の拳風が、突風となって大根卸の顔を撃ったとは、争闘する両者にしか分からぬ事だ。
 呼延光の拳風に、眼を撃たれる事を防いだ大根卸だが、その代償に視界を僅かの間、塞いでしまった。
 当然、その隙に呼延光は乗じる。その事を卑怯と言う精神は、両者共に持ち合わせてなどいない。
 瞬時に7mの距離を零にして、呼延光の五指を揃えた貫手が、大根卸の猪首へと疾る。
 例え新人類といえども、只の貫手であれば、突いた側の指が折れる。
 だが、貫手を放ったのは呼延光。鉄の身体を持つ絶世の武人。その貫手ともなれば、名刀利剣の切先と変わらない。
 大根卸は咄嗟に仰け反りながら、込められる力の全てを乗せて、肘打ちを呼延光の胸へと撃ち込んだ。

 「がっ…」

 「グハッ…」

 両者の口から短い苦鳴が漏れ、一歩を退がる。
 そのまな一つ、息を吸って吐き出すと、両者は同時に前進。
 一呼吸でダメージを回復し、息を整え、再び激突した。

 「勢!」

 呼延光が繰り出すのは劈掛拳。腕を振り下ろす動作による動作『劈』と、下から振り上げる動作『掛』。
 この二つの動作を間断無く行う事で、反撃を許さず攻め続ける中国武術。
 鉄腕を振るい続ける呼延光の雄姿は、中国四大奇書の一つ、『水滸伝』に登場する、双振りの鉄鞭を得物とする武将『呼延灼』を思わせる。
 円を為す鉄腕が結界を形成し、呼延光の間合いへと、さしもの大根卸も近づけ無い。

 「良くぞ此処まで磨き上げた」

 呼延光の織りなす結界から距離を取りつつ、大根卸は静かに呼延光を賞賛した。

 「貴殿の武に敬意を表する。我も死力を尽くさねばなるまい」

 空気が変わる。
 大気の組成そのものが変わったかの様に、呼延光の全身が重たいものを感じた。
 “圧”だ。大根卸の発する『圧”によるものだ。

 「『炎の愛嬌、氷の度胸(ホトコル)』 」

 大根卸の全身が、陽炎が生じたかの様に歪んだ。
 大根卸の超力により、鉄すら溶かす温度にまで高められた、体温によるものだ。
 超力を副次的なものとして闘うのが大根卸。それでも全力を尽くすとなれば、超力を組み込んだ攻防を行うのは当然と言えた。

 腰を落とし、中段正拳突きの構えを取った大根卸に対し、呼延光も動きを止め、拳を打ち出す構えを取った。
 5mの距離を置いて、両者の動きが固着する。
 否。実際には、両者は共に動いている。
 発条に圧力を加える様に、鋼のゼンマイを巻く様に、骨に筋肉に力を蓄えるのは当然の事。
 呼吸。血液の循環。全身の感覚。それら全てを、眼前の敵へと放つ一撃の為に収束させる。

 動いたのは、同時。

大根卸が天地に轟く咆哮と共に、渾身の中断正拳突きを繰り出す。
 呼延光が先に見せた、“遠当て”の絶技。
 『開闢の日』以前に、2m離れた蝋燭の火を掻き消した拳風は、進化により更なる高みへと至り、触れずとも敵を粉砕する魔拳と化した。
 更に超力により高熱を乗せ、触れるだけで傷を負う熱風として撃ち放つ。

 呼延光もまた、拳を繰り出す。
 先の“遠当て”よりも威を込めた拳は、押し出された空気を砲弾と変え、大根卸へと撃ち出した。
 “百歩神拳”。気功術を用いて、百歩を隔てた敵を撃つ技。
 曰く、伝説。曰く、ハッタリ、曰く、虚構、
 どれも全てが真実だった。『開闢の日』を迎えるまでは。
 だが、呼延光という絶世の武人が、鉄の肉体という幻想を我が物とした時。
 虚構は現実へと顕現した。

 熱風と空気の砲弾。二つの条理を逸した人為が激突する、
 高熱を帯びた熱風が荒れ狂い、周辺の街路樹を発火させた。

 「……………」

 「……………」

 無言のままに、両者は向かい合っていた。
 双方共に、闘志に些かの揺らぎも無く。
 隙有らば渾身の一打を見舞うべく、意と気と力を漲らせて相対する。

 やがて、大根卸が手を挙げた。

 「此処までにしよう」

 「何故だ?」

 呼延光は理解出来なかった。大根卸の気質であれば、決着するまで、どちらかが死ぬまで闘う筈だ。

 「先に約束を交わした者が居る」

 「お前は、その上で、俺にあの時の続きを?」

 「浮気は良くないとは理解している。だが、貴殿を前にして抑えきれなかった」

 「……まあ良い。久し振りに昔を思い出せた」

 鉄の身体を得て以来、忘れていた感覚。
 飛雲帮を壊滅させた日以来、思い出す事など無かった記憶。
 只々己の五体を鍛え、技を練り、高みを、より高みを目指していた日々を。
 友と語らい、酒を酌み交わし、比武に興じていた日々を。
 大根卸との死闘は、久し振りにあの頃へと帰ったらようで、こころにひかりと暖を齎してくれた。
 ならば、大根卸の事情の一つも汲んでやる気になろうというもの。

 「礼を言う」

 頭を下げる大根卸に。

 「先約のある者の名を教えろ。其奴に挑まれれば、逃げに徹する」

 「重ね重ね感謝する。ネイ・ローマンという」

 「承知した。俺はこの近辺に身を隠す。約定を果たしたら、また、続きだ」

 告げて、呼延光は身を返す。

 その後ろ姿に再度頭を下げて、大根卸は新たなる闘いを求めて立ち去った。




【F-2/工場跡地周辺(東側)/1日目・黎明】
【大金卸 樹魂】
[状態]:疲労(中)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.強者との闘いを楽しむ。
1.新たなる強者を探しに行く。
2.万全なネイ・ローマンと決着をつける。
3.ネイとの後に、呼延光と決着を付ける。




【呼延 光】
[状態]:疲労(中)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.24時間生存する。降りかかる火の粉は払う。
1.言われた通り殺し合うのも億劫だが、相対する敵に容赦はしない。
2.何処かに隠れて24時間を過ごす
3.大根卸との再戦待つ。



032.風に乗りて歩むもの 投下順で読む 034.Lunatic Dominion
時系列順で読む
1536℃ 大金卸 樹魂 災害の開闢
砲煙弾雨 呼延 光 灰塵に立つは鉄塔

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最終更新:2025年04月03日 09:40