真実にどのような意味があるのか。
イグナシオ・"デザーストレ"・フレスノは未だに自分の中で確固たる答えを持てていなかった。
自分が知っていることに価値があるのか。
残酷だろうと、恨まれようと他人に伝え広めるべきなのか。
場合によるとしかしいようがない。
しかし確かなことは。
真実を抱えている者の価値は、その内容だけで決まることはありはしない。
――――――そう、彼は信じていた。
――――――――
◇
――――――――
北鈴安里がスプリング・ローズを見逃したことについて、咎める気はなかった。
自分が彼女を止めるための手段は、あのまま戦い続け辛勝し半殺しにして刑務作業終了まで放置するくらいしかなかっただろう。
そんなことができる保証はない、できたとしても彼女にもこちらにも負担もその後の危険も大きすぎる。
戦闘欲求を除いた冷静な目線で見ると、見逃すという選択肢は全く合理的な部類ではあった。
まだ私は倒れるわけにはいかない。死闘は避けて体力は温存するべき。
まだ私には、やるべきことがある。
すなわち彼女の説得は、自分には無理だと思っていた。
自分と同じように、暴力に囲まれた中で生きてきたということは分かっている。
しかも彼女は若くして超力を使いこなし、それ一本でのし上がり生きてきている。
彼女がストリートギャングのボスになったのは9歳のころ。
そこから4年間――加えてそれ以前にも、おそらくそれ以外の世界に触れることすらなく同じ生き方を続けている。
その歳のころ、自分は。ほとんど超力を使いこなせていなかった。
暴力に囲まれた中で、何とか暴力を使えなくても生きていかざるを得ない。
ひ弱で無力な"ナチョ"ちゃん。
それが当時、周りから見られていた"僕"の姿。
今の彼女の年齢、13歳の頃まではそういう生き方をしていた。
自分が本当の意味で戦闘ができるようになったのはその後。
本格的に戦いに充足を感じるようになったのも。
荒れた世界こそ、自分の居場所であると信じるようになったのも。
今は刑務作業の場でも、探偵行為という選択肢を取っている。
自分は彼女の倍も生きて、様々なことを振り返ることができるから。
それを長々しく言ったところで共感されない。聞いてもらえないし伝わらないだろう。
刹那的に戦いが好きという面で繋がりはあれど、それ以上には広がらない。
彼女を見張る、そして自暴自棄な行動をしないと約束した安里。
生きてきた世界はまるで違うが、同じ身体変化系の超力を持つ彼ならば。
彼女を説得できる可能性があるかもしれないと、僅かな期待が無かったわけではない。
自分で考えて欲しいと言ったのも、彼の純粋な感情に頼りたいと思ったからでもある。
しかしここは、戦闘にならなかっただけでも良しとしなければならない。
そういう場面。
それなればやるべきことは、今までと変わらない。
刑務作業の中で、子供や冤罪を訴える人々を護る。
そして探偵として、刑務作業の目的について調査する。
全てを満足に達成できるとは、最初から思ってはいなかった。
安里の言った、スプリングには生きていてほしいという意志。
安里ほどの気持ちは込められないかもしれないが、同じ思いは抱いている。
彼女が子供や冤罪の人々を殺さない形で、それを達成してくれることを願うしかない。
さて、刑務官オリガ・ヴァイスマンがある程度収監者の思考をどれだけ離れていても読み取れるというのは周知の事実だ。
全員を同時に常に意識して監視しているということはないだろうし、休憩中など注意を払ってない時間も幾らでもあるだろう。
だからこそ他の刑務官などのスタッフにも思考が漏れないようにという意味で盗聴にも気を付けていた。
しかし開始後数時間以上経った今、もはやそれを警戒する意味はなくなった。
刑務開始地点の近くで早々に主催の下に辿り着くというような幸運すぎる偶然は、無かった。
もう自分の行動指針は主催側に完全に漏れている、そう考えて動くほかない。
それでも自分が処分されないのは、結局この殺し合いの盤上の駒に自分は過ぎないと扱われているからだろう。
よほどのことが無い限り、参加者を刑務官側の意志により途中で処分はしないということだ。
その上で、自分はどうするのか。
子供や冤罪の収監者を護るという行動指針は、刑務作業の目的には反するかもしれないがルールには何も反することはない。
これが原因で刑務官側から咎められ身の危険が迫るということは、恐らくは無いはずだ。
しかし安里に協力を要請したことはこれだけ。
もう一つの行動指針、この刑務作業の目的を調査しようとしていること。
安里とスプリングの2人に、このことを伝えるべきか考えていた。
誰かに話した上で協力を頼めば、自分に巻き込んで監視側から目を付けられてしまう可能性がある。
スプリングに至っては、正しく恩赦が得られないことを恐れ反発する恐れや、統制が取れない存在である以上このことを周りに吹聴してしまう可能性もある。
刑務官に素直に従いたくない存在がここには多いにしても、間違いなく良いことにはならないだろうと思っていた。
しかしスプリングが去った以上、残るのは安里。
お互いに支え合うと言った以上、必然的に一緒に行動することにはなる。
調査の事を隠し通して行動するのは難しく、流石に何か怪しまれはするだろう。
彼の事だからこちらに気を遣って、深く問い詰めたりして来ることも無いだろうが。
今だってそう。
思案している自分を安里は時々気にしながらも、何かを話しかけようとしてくることはない。
それでも、彼は思考を停止しているような人間ではないことはわかっている。
スプリングを見逃した経緯もについて、自分の中でどのように考えたのか詳しく説明してくれた。
こちらの質問にも詰まることこそあっても、考えた上で誠実に答えてくれた。
頭の中に残っているのは、安里から聞いた言葉。
"暫くは、生きてみたい"という言葉。
自分の意志でしっかり考えて、この刑務作業の場でどうするか考えたいということ。
ならば。
自分は、私は。
どう考えてどうしたいんだ。
――――今まではいつも、こうしてはいなかったんじゃないか。
――――こんな相手に関わったことも、無かったんじゃないか。
自分が過ごしていた場所。
誰もが、明日はないかもしれないと思っていた。
ラテンアメリカでも最悪に治安の荒れた地域。
誰もが、生きるのに必死だった。
僅かにそうではない人間はいて、自分もそっち側ではあった。
犯罪組織に探偵として依頼を受けても、その扱いはだいたい鉄砲玉を兼ねている。
真実を暴く過程で災害のように派手に暴れて、相手の力を削ってくれたら有り難いと。
誰かと一緒に動くことがあっても、それはある程度戦う覚悟を決めている戦闘力のある人間。
そして必要とあれば、自分は最前線で暴れて彼らを逃がす捨て駒、しんがり。
あるいは戦闘の不得手な、一般の人々に依頼される場合も偶にあった。
そういう場合はもっと単純。
危ないから、巻き込まれたくないならついて来ないで下さいと言う。
それは事実であり、そして戦闘にあまり横入りされたくないという、自分の戦闘欲求を満たしたいがための理由付け。
彼に協力を要請したのは、なぜだったか。
強い生きがいもなく、引きこもっていた彼。
しかしそのままでいれば、穏健でない参加者に発見されていつか襲われていただろう。
氷の檻が外部への脅しとなるかは怪しく、むしろ敵対者をおびき寄せる目印として機能していた
アビスが凶悪な犯罪者の巣窟である以上、比較的平和な世界で生きてきた彼の常識は通用しない。
運よく逃れ続けることができても、禁止区域の設定が行われる以上自分から動かざるを得なくなる可能性は十分にある。
彼に協力を要請して、生きがいを与えたのは自分だ。
無駄に死んでほしくなかったという思いがあったからなのか?
上手いこと協力者として彼を利用したかったからなのか?
どちらも理由を構成してはいる。
しかし完全な理由には――――不十分。
「アンリ君、私の行動目的についてですが」
目線を交わしてから、口を開いていく。
安里は、ようやっと話すことができたことに、詰まった空気が崩れて安堵しているようで。
スプリングの事についてまだ引きずっていて、悩んでもいるかのようで。
考えることでまだ頭がいっぱいなのか、あまり感情をこめず返してくる。
「なんですか?」
「子供や冤罪の人々を護りたいということは、既に伝えました。
――――もう一つ、目的があります。
――――どうか、真剣に聞いてください」
よく自分は怪しげだとか、ミステリアスだとか他人から言われるものではあるが。
そういう雰囲気を可能な限り抑えて、真剣に伝えようとする。
安里は、自分の中で考えていた様々なことを落ち着けて一度中断しなければならず戸惑う表情。
しっかり聞いてくれる状態になるのを待って。
そして、悉皆りこっちを見つめてきた彼に話を続けていく。
「これを伝えたら、そして君がこれに協力するならば。
君は主催者達からきっと目を付けられることになる。
私としては、無理にそこまで協力していただきたいとは考えてはいません」
安里に対して、できるだけ気を遣ったように話していく。
大事なのは彼の意志。
「行動指針について、聞きますか?
すぐに結論を出していただく必要も、ありませんよ。
しっかり考えてください。
どうか、自分を軽く扱わずに」
その言葉を受けて、即答はしない安里。
先延ばしにするならそう言ってほしいと伝えることもできるが。
この先何があるかわからない以上。
どうかできる限り、時間がかかっても今結論を出してほしいとも思う。
そして意を決し、彼は話し出していく。
「話してください。
お願いします、フレスノさん。
きっと悪いことじゃないって。
信頼してますから」
マスクをして口元は見えないながらも、真剣な顔の了承の言葉。
「フレスノさんの提案なら。
ボクに命を捨てようとさせることの、わけは、ないですよね。
主催者に目を付けられて危険があるとしても。
きっとそれでも、やる価値があることなんですよね。
それなら――――――――」
――――――――
――――――――
「――――そんなこと。
断るわけがないじゃ無いですか」
「ありがとうございます、アンリ君」
微笑む彼に対して、手を差し出す。
それに彼が応え、握手をする。
小賢しいことをしてしまった。
彼が自分からこのようなことを提案されて、断るわけがない。
そんなことはわかっていたはず。
自分の意志は、その上でもそうしようと考えた。
つまり"私"は、自分を任せられる協力者が欲しかった。
自分が斃れても成果だけでなく、抱える思いをも正しく託せる相手が。
戦闘欲求に支配され力ずくの解決をしがちな自分に、暴力以外の手段を与えてくれる相手が。
常に共に行動し自分の目的、指針を共有できる相手が。
今日は死ぬかもしれないと、日々の中で良く思っていた。刹那的に長らく生きていた。
しかし一度終わったと思った後の残りの人生だからこそ、少し違うことをしたいと思ったのは確かにある。
人殺しという罪を犯しながら、もう誰も殺したくないと思える精神。
それは決して自分の育ってきたような荒れた環境では、生まれ得ない物。
そんな相手に出会ったのは、運命なのか。
冤罪の人間では、いけなかった。
あの可愛らしい仔犬の看守の依頼として、冤罪の相手は危険に晒すことなく護るべき。
だからこそ殺人の罪を犯した上で、それを後悔している相手に。
私は協力者として出会いたかったのだろう。
そして、幸運にも最初に出会うことができた。
手を放すタイミングが分からなそうに、戸惑いの表情を浮かべる安里。
優しく手を放し、改めてもう一度方針を考えましょうと話してデジタルウォッチの画面を出していく。
安里も同じように、恥ずかしそうにしながら画面を開いていく。
彼の精神は未だ不安定。
何かきっかけがあれば、再び人を殺めようとしてしまうこともあるのかもしれない。
それを自分は、出来る限りは止めたいと思う。
しかし人を殺すことは、単純に悪いと言えることでもない。
探偵活動と言いながら。それを邪魔して危害を加えてきた相手を事情も汲まず数多く殺してきた自分は間違いなく凶悪犯罪者ではある。
しかし政府もまともに機能せず個人の人権すら存在しないような世界で、暴虐な相手に対抗するための殺しは悪なのだろうか。
刑務所も死刑制度も機能しない荒れた世界で、何とか協力して生きていこうとする集団の輪を乱す相手を殺すのは悪なのだろうか。
食糧すらも入手しにくい状況で取り合いとなり、生きるために仕方なく相手を殺すのは悪なのだろうか。
きっと安里が想像も及ばない海外のニュース等でしか見ていない出来事を、こちらは体験して来ている。
この刑務作業の中も殺しが避けられない状況は存在するであろうし、今後長く生存していれば出くわす可能性も高い。
刑務作業の表の目的である、犯罪者の始末という事に則ってしまっているにしても。
しかし今の彼は、明確な目的を得ている。
広い視野を得たうえで、考えても考えても相手を殺す選択肢しかないのかもしれないと彼が辿り着いたら、自分はそれを止めはしないだろう。
自分で考えて、自分を制御して、その目的のために何が必要かを考え続けて成長してほしいと、そう思う。
彼が無期懲役でアビスから出ることが難しいにしても、何かを掴んで自分よりは長生きして欲しいと思っている。
自身の超力で聴いた、彼の歩みながら悩み続ける声。
"そんなことどうでもいいだろう、生きてればどうにかなる!"
自分の中のラテン系らしい陽気な精神は、そういうことを言ってくる。
そのような強気な言葉を信じてくれるような相手なら、どれだけ楽だっただろう。
しかし、そうではないからこそ良かったのかもしれない。
自分は彼を理解することは出来やしない。
生きてきた環境があまりにも違いすぎる。
そんな彼が未だに悩み続けて、自分で生き方を探そうとし続けている。
彼は自分の中で常に悩み続けるだろうし、後悔も背負っていくのだろう。
しかしそんな機会すら得られなかったし得ようとしなかった自分は、彼にそれをできる機会を与えたいと思っている。
とある看守達に思いを託されたことは、依頼者を伏せて伝えることはなかった。
どこまであのヴァイスマンが個人の意志を読めるかは不明だ。
彼らも恐らく看守としてのルールは破っていないにしても、可能な限り彼らの顔や名前を思い浮かべないに越したことはない。
例えばAG-1は、ロボットである以上ヴァイスマンの監視から逃れている可能性もあるのだろうか。
気付かれずに何かを成し遂げる可能性も、あるのだろうか。
そもそもヴァイスマン自身は、この刑務作業に対して如何なる意識を抱いているのか。
彼の意向次第で思考が読まれても、捻じ曲げられたり情報が勝手に付加されてしまう可能性だって無くはない。
何ならばこのようなことを考察すること自体も、危険なのだろうか。
探偵として色々考えてしまうのも、また考え物なのかもしれない。
――――――――
◇
――――――――
調査で得られた内容について、イグナシオは安里に共有した。
とはいえまだ得られた情報は少ない。
例えば、この島が世界のどこなのかについてすら、イグナシオは未だにそれらしい情報に辿り着けていない。
植物以外、動物などの生物の存在は感じられない島。
植物に詳しい者なら、島に生えている植物の種類からこの島の存在する地域を割り出すことも可能なのかもしれない。
万が一この島が刑務作業の舞台のためだけに用意されたという異常事態だったとしても、島のモデルが何処の地域なのかくらいはわかるだろう。
しかし生憎、イグナシオはそちらの専門家ではない。
荒れた工業地帯のところどころに茂る草が、ナピアグラスかジョンソングラスかシグナルグラスかシルバーグラスなのかもわからない。
仕事上植物の知識が必要な時はスマートフォンのAI画像認識アプリで種類を調べたり、質問サイトを利用したりしていた。
装備しているそれらしい電子機器、デジタルウォッチにはそんな機能は搭載されてはいない。
現代人らしく情報ツールに頼りすぎていた自分について少しばかり後悔するが、知識が無い以上そこを突き詰めることもできない。
誰かその辺に詳しい参加者がいることを期待するしかないだろう。
今後の方針としては2つ考えられた。
スプリングの行った先を追って、彼女の戦いを横から止めようとするか。
先程の調査で発見した安里、スプリングとは別の人物の行動跡を追うか。
とはいえ両方の足跡は、そこまで別方向に向かっているわけではなく。
情報を得るためにも、それ以外の目的のためにも今まで遭っていない相手とは遭遇しておきたい。
スプリングの事を一度は見逃すといった以上、追えば状況次第だが余計な争いになるのも明白。
F-2方面へ二人は歩みを進めていた。
そんな二人は。
強大な何者かの"存在感"と遭遇することになる。
荒れて様々なものが散らばり、草も茂っている工業地帯の道路を強く踏みしめる足音。
新人類だからこそ感じるのか、風の感触や匂いなのか様々な感覚を基にした、気配。
明らかに、只物でない相手。
姿は見えないにしても、その存在感。
比較的平和な地域で生きてきた安里は。
その存在感を感じても、慄くことしかできない。
この気配の正体は、いわゆる殺気なのだろうか。
未だに夜闇は開けてなく、暗さも併せて人間の本能的な恐怖心に訴えかけてくる。
思考が回らなくなってくる。
逃げたいのか、立ち向かうべきなのか。
もう死は怖くないと思ったはずなのに、心の底から湧き出てくる恐れの感情。
原因は凶悪犯罪者にポイントを渡したくないという論理的判断の帰結なのか。
生物の本能的なものであるのか。
安里の姿を見かねたイグナシオ。
安里を引き連れて、気配から離れるように動く。
向こうも気が付いてはいるだろうが、できるだけ離れた距離で対面できるように。
しかし、氷竜と化そうとして身体の周りを氷で覆おうとする安里を。
手を強く握り、真剣な目線で静止させるイグナシオ。
そして、穏やかで柔らかい表情で微笑むのだった。
安里はそれが何故なのか理解はできない。
考えは巡るが、任せることにする。
イグナシオを信頼していたから。
果たして。
工場か倉庫かの建屋に遮られて見えなかった向こう側から、相手が姿を現す。
鍛え上げられそびえたつ筋骨隆々のシルエット。
そこに不思議と違和感なく調和する、柔らかく三つ編みにされた漆黒の髪が揺らめく、女性。
誰が呼んだか、"漢女"という名称で形容するのが良く似合う。
その身長は日本人男性の平均を上回る安里よりも高く、さらに大柄なイグナシオと比べても遜色ない。
不思議なことに、安里は安心したような懐かしむような普段よりもさらに穏やかなようなイグナシオの表情を見た。
一方で女はいつでもかかって来なさいとばかりに悠然と立ち、こちらに強く注視している。
先に口を開いたのは、イグナシオ。
「樹魂さん、ですよね。
変わっていない。その戦うことに向かって一心に鍛えられたその体躯」
その感情は読み取ることができない。
嬉しいのか、寂しいのか。
ただただ穏やかに淡々と話す、妖しくも聞こえる声を安里は聞いた。
「失礼。貴殿とは過去に出会った事があっただろうか」
女が口を開いた。
聞いてみれば女性らしく低音ではない声だが、そこには空気も震えそうな威厳と威圧感が詰まっている。
イグナシオはその声を聴いて、穏やかで妖しい笑みを深めていく。
「中央アメリカ地峡、砂浜のリゾート。
あの時お会いした、ナチョですよ。
思い出して頂けないでしょうか。
先代の"Desastre"」
イグナシオが相手に向けず、自分の脇へ向かって手を差し出し超力を行使する。
女は表情を険しくして身構えるが、戦闘態勢ではない。
やがて50cm程度に抑えられた範囲に再現される、工業地帯でない風景。
周りと同様の暗闇からは、轟く大気の振動、轟音。
不思議と大気が熱気を増すかのように、赤熱していく。
ほどなくして、50㎝の範囲には。
5メートルほど上までに及ぶ赤熱した巨大な石柱が、突如出現した。
岩と岩が激突するようなと例えていいのか、えもいわさぬ轟音が轟く。
石柱は、無機質に模様が無く見える。
違う、模様が無く見えるのは高速で動いているから、
石柱は地面の下に向かってめり込むように動いていた。
安里はその現象がどのような由来で起きているのか考えるが、理解できない。
イグナシオの超力がその土地における過去の状況の再現だという事は、すでに聞いている。
しかしこのような現象を起こす過去の地球の出来事とは、いったい何なのだろうか。
現象から発される光が2人と周囲の建物、それに加えて離れて立つ女の身体を照らしていく。
安里は女の顔を見た。
不思議がりも恐れもせず、厳ついながらも納得して穏やかな表情。
安里も彼女とイグナシオの間に、何らかの関係があったのではないかと確信する。
イグナシオが手を下げると、不可思議現象の起きていた範囲はは何もなかったかのように痕跡なく消滅する。
彼の超力は現実の地形や建物に対して、影響を及ぼすことはない。
そして僅かに息切れする様子を見せる。
あまりに太古の事象を再現するのには、それだけの体力の消耗が伴うらしい。
超力の行使を目に焼き付けた女は、優しく慈しみ懐かしむように語り掛ける。
「そうか……あの"ナチョ"が。
我と同様に監獄へ収まることになろうとはな」
柔らかな月明かりが照らす、向き合う二人の世界。
イグナシオに聞きたいことが溢れている安里。
彼女は何者か、どういう関係なのか、先程再現した現象は何か。
気を遣う以前に、割り込む気は起きようもかった。二人の心知れ合うような対面には。
「本当に良く、育ったものだ」
「ええ。あの時の貴方のお陰です」
女性の威圧感は消えていない。
安里にはわからない、これが闘志というものなのか。
イグナシオは戦いたくないから、自分の超力を見せたのではないだろうか。
違う、彼は戦いたいという欲求を心の底では抱えている。
まさか、それすらも相手は見抜いているというのか、
張り詰めた空気。
「貴方はきっと今も変わってない。
強い相手と手合わせしたいと願っている。
そうなのですね?」
イグナシオの、すでに答え知ったかのような問い。
女性は無言で、威圧感をさらに強める。
恐らくそれが肯定の意志なのだろう。
悩む安里。自分はどうすればいいのか。
しかしそれを慮るかのように、イグナシオが続ける。
「申し訳ありませんが、今の私には貴方と戦うつもりがありません。
この通り、巻き込まれたような子と二人で行動しています。
この場はお互い、引きませんか?」
これはいつものイグナシオ。
怪しげでミステリアスで、本心を隠したような穏やかな口上。
「戦いたくない――――か。
あの初めて出会った際と、同じことを言うのだな。」
色々な意味が含まれたような、女性の重い言葉。
安里はイグナシオの性質をわかってはいる。
複雑に、安心も、心配もしてしまっている。
それでも二人に注視して身体は動かないし、言葉も出ない。
「良いだろう、そちらに連れもいることだ。
言葉は不要と済ませることもできまい。
しばし、昔話に付き合うのも悪くはない」
とりあえず、すぐに戦いになることはないと知り。
この場は安心し安里は強く息を吐く。
イグナシオもそこへ向けて、告げていく。
「失礼しました、アンリ君。
彼女は、幼少期の私が一時を共に過ごしていた相手です。
命の恩人、と言ってもいいでしょうか」
――――――――
◇
――――――――
"ナチョ"が物心付く頃から9歳の時までは、彼の住む国は世界でも非常に平和な国と言われていた。
ギャング構成員など、潜在的に危険な人物を開闢の日以前にほぼ逮捕し尽くすことで混乱を乗り越えたのである。
あらゆる人間が簡単に暴力を振るえる世界になりながらも、その影響は矮小にとどまっていた。
子供同士の喧嘩もだいぶ派手になりはしたが、人類が進化したことにより耐久力も回復力も上がったので大きな傷害事件にはほぼならない。
国内にある巨大な刑務所の存在が国民に知れ渡り、凶悪事件を起こせば収監されるとあって治安が荒れそうな気配はなかった。
『昔の風景を、真実を見せて(トランスミシオン・エスセーナス)』。
開闢の日を迎え6歳のナチョに発現した超力は、周囲に過去の風景を再現する力。
過去に起きた事実を、他人も立ち会う中で明瞭に提示することができる。
学校の中で、彼は争いの仲裁役として頼りにされるようになっていった。
そう、嘘をついた相手がいても、過去に残された事実を変えることは出来ない。
言った言わない、やったやらないの話になっても、超力で提示された客観的な事実には納得するしかない。
彼の将来の夢は法曹。現場に行って犯罪の証拠を見出す検事。
誰からもその事を肯定されて、強い力は持たないながらも平和な世界で健やかに育っていた。
――――――――
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鄙びてくすんで古ぼけた、旧市街の一角。
通りからそれて薄暗い、狭くなった路地。
建物の壁には、ギャング等の縄張りを示すペイントが何重にも塗り替えられている。
薄汚れた暗い部屋。くたびれたベッドにすり減ったシーツ。
あちこちに染み着いてしまっている、まぐわい果てた人間の体液や体臭の残り香。
部屋には防虫用、消臭用としてミントの香りが漂っていた。
ミントの仲間は荒れ果てた河川敷でもしぶとく生きていて、虫を避けるためのハッカ油が細々と作られていて。
それだって時には、身体の各部に薄めず塗りたくられ拷問のように使われることすらあって。
"ナチョ"が、一時期長い時間を過ごしていた部屋の風景。
自分の身体を対価にすることで、この地域を支配する者の庇護を受け何とか居場所を得ることができる。
今の彼とは全く以って違う姿。発育の悪い細身の男子。
見た目に気を遣う役目であるから、不健康なほどやせ細ってはいない。
髪に赤色のアクセントはなく、瞳の色も淀んだワインレッド。
表情として浮かべる穏やかな笑みは、絶望と生きる意味への諦めからにじみ出てきている物。
暴力や支配に関した強力な超力を会得し使いこなし、若くして高い地位を得る者もいた。
しかし少なくとも当時のナチョは、そういう存在にはなれない側の人間だった。
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大金卸樹魂、安里がイグナシオから説明されたその日本人女性の名前。
落ち着いた姿を落ち着いて見れば、体躯による威圧感こそあれど。
その女性、漢女は淑やかにも見える立ち振る舞いも、微笑みを見せることもできるのだった。
まるで年齢相応か、もっと若い日本人女性らしさを見せるかのように。
「弟子を取ったのか、ナチョ」
「いいえ。彼はこの場で出会った同行者です」
「すまぬ、不思議と信頼し合っているように見えた物でな」
樹魂はイグナシオを愛称で呼び続ける。
彼女の中での彼の印象はもちろん過去のものとは違う。
一方で、当時からの親しみは地続きで存在している。
「私だって貴方を師匠と呼べるほど、多くの事を学ばせていただいたわけではありません。
自分なりに生き方を探して、その中で自分なりに腕を磨いたんです」
「ふっ、可愛らしさは失せているが。
数多くの戦いに揉まれて美しさを増している、今の貴殿は」
「其方こそ、長らく収監されていたのでしょうに。その体は全く衰えてもいない。
肌の色は、夜の世界で引きこもってた昔の私みたいに白く透き通ってますけどね」
「そう言うな。適度な日光浴も時々はしたい物だがな。
あの燦燦と陽が降り注いでいた海岸のような場所で」
昔の風景を想像し、懐かしむ二人。
細かい所を見ると樹魂は齢を重ね顔の彫りが深くなったりもしているが、イグナシオは触れはしない。
相手は身体を鍛えぬいた戦士であると同時に、一人の女性であると意識するかのように。
「ここまで忙しくて、アンリ君には私の出自について何も話してはいませんでしたね。
私は中央アメリカに位置する、エルサルバドルという国に生まれました」
「エルサルバドル――――――――あっ」
国名を聞いて、安里は思い浮かべる。
昔はニュース等でもで時々報道されていた、アメリカの南にある国。
開闢の日から数年経った後のGPA初期に、とある一つの大事件、不祥事が発生した国。
それに収拾をつけるかのように、GPAは根強く治安回復活動を続けていた。
そして数年前、やっと平和が取り戻されたという。
エルサルバドル経済の復興に日本の資本が協力していたらしいという話も聞く。
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◇
――――――――
中米の地峡部に位置する人口650万人ほどの小国、エルサルバドル。
他の中米諸国同様、近代には繰り返しの政変、反政府活動、そしてマフィアの隆盛に大きく苦しめられていた国。
しかし2020年以降、この国は奇跡の治安回復を成し遂げていた。
時の大統領はマフィアの脅威に対して非常事態宣言を発動、明確な犯罪の証拠がなくともマフィアの構成員と疑わしい者を即座に逮捕できる体制を整える。
それに付随して施設も大々的に整備され、特に脱獄困難で4万人を収容可能という巨大刑務所はマフィアに対抗する政府の姿勢の象徴ともなった。
政府は刺青をしているだけで逮捕、マフィアの親族というだけで逮捕というような冤罪が疑われるような事例を発生させながらも、
7万人という実に国民の1パーセント以上を逮捕収監することによりマフィアを大幅に弱体化、排除することに成功する。
結果として治安は大幅に回復し、冤罪があろうとマフィアが蔓延るよりはマシという世論もあり政権は国民から大きな支持を受けるようになった。
近隣する大国のアメリカも、アメリカでも活動する中米系のマフィアを弱体化させたこと、国内治安を安定させることでアメリカへの移民を減らしたことを評価。
独裁、強権的な政治を行いながらも、アメリカも保守的な政権であるため良好な関係を築くことに成功する。
そして始まったのが、巨大刑務所へのアメリカで逮捕された犯罪者の受け入れである。
エルサルバドル系の移民の犯罪者はもとより、それ以外のラテンアメリカ系の移民の犯罪者をも送致し収監する。
その代わりアメリカは、刑務所の維持費等として資金提供を行う。
アメリカ側の法的根拠は、アメリカ大統領による敵性外国人法の発令。
最初にベネズエラ系の移民犯罪者200人程が、刑務所へ航空機により送致された。
こちらも同様に証拠無しでの逮捕などの疑惑を発生させ人権団体から批判されたものの、アメリカが移民への反感情の強い状勢であったため差し止めには至らず。
折しも、開闢の日を前にしZ計画の露呈を発端とした騒動が世界中で広まっている状勢で、アメリカでもそれに関した事件が多々発生していた。
それらの事件の犯人たちも、アメリカは対価を払うことでエルサルバドルへの送致を進めていくこととなる。
国家事業としての刑務所ビジネスが、一つの形となっていった。
さて、開闢の日でのウイルス散布による人類の進化は当然犯罪者にも発生する。
その危険性を危惧する意見は当然世界中で飛び交うことになる。
巨大刑務所においても、当初は収監者をその前に抹殺すべき等の過激な意見すら存在した。
それは流石に人権を軽視しすぎるということで行われず、対策としてアメリカを始めとする国より技術や資金の支援を受け刑務所の設備を拡充した。
更に、ウイルスを刑務所へ入れないよう暫くの隔離・感染対策が行われ、一般への感染が行き渡った後にGPAの人員等も立会いの下で刑務所内へもウイルスの導入を行うことになった。
結果として看守や警察にもある程度新人類の体力や、超力に対する理解が行き渡った後に収監者は超力に目覚めることなる。
当初は常時発動型の超力等による混乱はあったものの、この時は一定の秩序を保ち続けることに成功した。
しかし無理のあるビジネスの歪みは決して解消されることなく、蓄積がさらに進んでいく。
アメリカは開闢の日以降も増え続ける犯罪者を送致、押し付け続けていく。
更には親米のラテンアメリカ諸国の中からも、同様に犯罪者を送致する国が出始めていく。
そのたびに刑務所の拡充は行われていき、超力犯罪を起こした子供向けの施設なども作られる。
そして、収監者の数もこれまでにないペースで増え続けていく。
開闢の日より3年ほどたった頃には、収監者数は30万人を超える程になっていた。
そしてある時、刑務所政策は決定的な崩壊を迎える。
超力に慣れて使い方を理解してきた、マフィアやラテンアメリカの反米組織が秘密裏に活動を始めたのだった。
彼らは一時的な連合を組み、強力な超力の持ち主たちを少数精鋭として選出し刑務所の崩壊を計画する。
目的は、巨大刑務所に収監されている同胞たちを解放するため。
当然国内の軍・警察は反応、即座にGPAや米軍にも治安維持の協力を要請する。
しかし犯罪組織の連合の勢力を小さく見積もってしまっていた軍は、接触早々に苦戦してしまうこととなる。
犯罪組織側は捕えた兵士を超力を使い洗脳したり、可能な限り残虐な方法で処刑し動画を公開したりしていった。
そして対策不足を実感したGPAの軍では、内部で意見が紛糾してしまう。
数十~百人程度の少数精鋭による行動のため初動が遅れ、兵器人員を大量に投入することができず刑務所の崩壊はこのままでは止められないとなる。
30万人以上ともなる収監者が解放され戦闘になればどうなるのか、想像もつかなかった。
アメリカ大陸以外の国は当事者意識が薄いため、この場はどうしようもないとし戦力の損耗を防ぐため兵を出すのを渋る。
アメリカも当初は抗戦の意志だったが本国からの無人機やミサイルの攻撃が超力により妨害、迎撃されたため打ち切りとなり諦め気味となる。
今後の犯罪者の流入は、メキシコまでにおいて取り締まりを強化し地道に何とか抑える方針とすることが早々に決定した。
ラテンアメリカ諸国もこうなると、超力による予想のつかない大規模戦闘を恐れ小規模な戦闘を行ったきり手を出すことができなくなってしまった。
30万人を超える、新人類と化した犯罪者達が。
その日、エルサルバドルに解き放たれた。
多くの犯罪者は自分の元居た組織に復帰していった。
一方で所属のない犯罪者、組織が消滅済みの犯罪者、アメリカから追放された犯罪者など、周辺に落ち着く者も多かった。
結果としてエルサルバドルに加え、もともと治安があまり良くなかったその周辺3国の広い地域が力が支配し血で血を洗う無政府状態に突入する事態となった。
特にエルサルバドルでは開闢の日当時は治安が安定していたこともあり、戦闘向けでない超力を発現していた者が多かったため一般人が超力で犯罪者に対抗することも困難だった。
大統領ほか政府高官も国外へ避難し、国の統制を取ることは困難となる。
これがエルサルバドル刑務所襲撃事件の顛末。
そして中米超力治安危機と呼ばれ、現在まで続く国際事案となっている。
――――――――
――――――――
その日。
"ナチョ"の日常が崩壊した日。
刑務所が襲撃され、崩壊したという報道は即座に国内を駆け巡る。
落ち着いて対処しろというニュース、即座に避難しろというニュース。
いったい何を信じればいいのか。
それを考え結論を出す間もなく、脱獄者たちの波はナチョの住む地域の近くまで押し寄せて来た。
脱獄者たちの即席で作り上げたギャングが、家の周りに押し寄せ略奪せんとする。
ナチョの家も平均的エルサルバドル人らしく、攻撃的な超力を発現したものは誰もいなかった。
内戦を乗り越え祖父の代から引き継いできた、小銃を手に父が立ち向かう。
ナチョは家の奥へ隠れ、聞こえるのは周りの音だけ。
悲鳴。人殺しと叫ぶ家族の声。
誰が殺されたのか、想像するまでもないだろう。
頭の中はいっぱいで、誰の声も聞こえなくなった。
家に乗り込んでくる女性の脱獄者らしき人間が、自分を家族から引き離す。
何処へ連れていくのと、問うこともできずに。
――――――――
――――――――
ナチョは事件直後の最も混乱していた時期を、何とか死なずに生き延びた。
しかしながら彼を囲む世界は、地上に現れた地獄として続いていく。
荒れた世界でも、人々は死にたくないから何とか生きている。
まるで群雄割拠のような、誰もが生き繋ぐために戦わなければいけない世界。
無政府状態で、力のないものがどうやって生きていくのか。
自警団に守られたコミュニティか、あるいはギャングとも言えるような暴力組織か。
どのようなものにしろ、何らかから庇護を受けて生活していくしかない。
南米から闇取引やタンカーの襲撃で、石油は時々入ってくる。
電気もまともに通っているとはいいがたく、自家発電機が所々でうるさく稼働している。
石油を略奪し、バイクや車で走り回り略奪を繰り返すギャング団もいる。
特に意味もなく苛つきを解消する程度のために、子供を加害して時には殺害する。
それを咎めるような者すらこの世界にはもういなかった。
どれだけ虐げられようと、どうしようもない。
力が無く、弱いから悪いのだ。
死にたくないならば、抵抗なんて何もできやしない。
少しでも力のある子どもは、コミュニティで戦闘をする大人の見習いのようなことをさせられる。
見張り役、小柄さを活かした運び屋など。
そうでもない子供は。
生きるか死ぬかもわからない劣悪な環境で、雑用仕事をさせられていた。
食糧が不足すれば、真っ先に見捨てられるであろう立場。
例えば、スカベンジャー的な生活をしている子供の集団がいた。
ゴミが石の代わりに敷き詰められたかのような、荒れ果てた河川敷。
洪水になれば海に流れるだろうと、適当な期待で誰かが捨て始めたのか。
まだまともな意識がある人間なら、絶対に入りたがらないであろう熱気と悪臭の淀んだ場所。
子供たちはゴミを手工業的に加工して拙い製品にして、何とか物々交換等でしのいでいた。
食物だってある。
カビのまだらに生えているトウモロコシ粉のパン。
黒く柔らかく、傷んで発酵臭のあるバナナ。
栽培中に根腐れ病にかかってまともに食べられる部分の少ないキャッサバ。
ゴミから沸いた虫やネズミを捕らえることもできる。
開闢の日を越えて進化した人類は、毒物耐性も高まってはいるからそう死ぬことはなかった。
例えば中米で流行し問題になっていた難病シャーガス病ですら、発病率も死亡率も特に治療しなくても大幅に減ったのだから。
あるいは土地の所有者もはっきりしない中での、略奪に怯えながらの農業。
子供が任されるのは特に生産性が低かったり、略奪に遭いやすく守りも固まっていない土地。
政府が機能しないので土地の所有者も境界もはっきりせず、誰もが適当に思い思いに度々争いながらも拙い技術で作物を作っている。
食糧の貯えをみかじめ料として払えなければ、芋なんかを植えても十分成長する前に略奪されてしまう。
バナナなら皮だって、バナナの樹本体の茎だって食べていた。
サトウキビの搾りかすをさらにかじったりするのは日常茶飯事だ。
キャッサバだって手間をかけて毒抜きをするような人は、もうどこにもいなかった。栄養分の流出がもったいない。
子供たちは、街中や河川敷から集めたゴミを燃やした灰を肥料として撒いたりしていた。
ゴミから発生した有害物質が植物の可食部に生物濃縮される結果になろうと、植物が少しでも良く育つならなんでもよかった。
気分が悪くなろうと体調を崩そうと、運悪く耐性を超える毒素を摂取して死の危険があろうと腹を満たす食糧が何より大事だった。
普段は隠れ潜んで、たまに来る海外からの食糧支援を頼りに生活する手もある。
ほぼ運任せだが何とか他者よりも先に得て、隠し持って何とか過ごすのだ。
それだって探知やらの超力に長けた者が強さを発揮して、争いは少ないにしても早い者勝ちの奪い合い。
ナチョは。
幸か不幸か。
彼は周りの子供の中でも、特に目を引く可愛らしさと美しさを持っていた。
彼は白人系の血が濃く、薄暗い中で過ごせば過ごすほど透き通るような白い肌となっていく。
熱気に包まれて薄汚れ荒れ果てていく世界の中で、彼の姿は一層浮いて輝いて見えた。
彼が女性の脱獄者から連れ去られた後。
まるで商品か何かのように幾人かの人々の手の下を渡り、売り飛ばされ。
たどり着いたのが、薄暗いバラックのような娼館。
治安崩壊した中では、もはやギャングやマフィアのシノギとなるほどの大きな金を生み出すことはない。
秩序は存在せず、ここを縄張りとしている者共が思い思いに、中に住まわされた人間を好きに扱っていく。
人類が進化し肉体が強化されようと、男女の性差による体力の差異は存在していた。
それでも、それに加えて超力が存在する。
戦闘に使える超力ならば、女性だろうと幾らでも男性に劣らないほど戦闘員としての役割をこなすことができた。
そうして男女問わず疲れた人々の性欲のはけ口となるのが、イグナシオら見栄えが良く生産活動にも戦闘にも役に立たない人々の仕事だった。
子供だろうと働かざるを得ない。女も男も。休まることなく、身体をを汚されていくのが永劫に続く。
白くか細い身体を、日々の生きていくための戦いで鍛えられた肉の塊が軋ませ押しつぶしていく。
新時代の人類は身体が丈夫だ。
下手なことをしても怪我をしにくいし、治療するし、死なない。
これも幸運なのか、不幸なのか。
暴力による加害欲求と性欲を同時に満たそうとする人々が、彼を叩きのめしていく。
自分の後ろから入れられた、他人の欲望を吐き出すための身体の一部かあるいは異物かが。
自分の腹を中から押しやり、膨らみ盛り上げるようにするのを。
俯くたびに、何度見てきただろう。
人間の、特に男性の身体というのはよくできていて。
分かりやすく身体の突き出た部分を適度に扱えば、脳が快感に襲われる。
だからといってこんな生き方は嫌だ。
身体は喜んでいるとしても、理性が喜んでいない。
加えられる身体の痛みも、死を身近に感じる苦しみさえも快楽に結び付けられようとしていく悍ましさが怖い。
自分は被害者だと、こんな生き方は本当は嫌だとそう訴えたかった。
それを証明しようと、自身の超力を使用して過去に流れた声を再現しようとしたことがあった。
貴方が無理やり僕に嬌声を吐かせているだけだ、そう強要したじゃないかと反論したことがあった。
そんな真実は、笑い飛ばされるだけ。
あるいは相手の怒りを買って、殴られて踏み潰されるだけ。
更なる痛みや苦しみと共に、自分から求めてそして吐いた言葉だろうと捻じ曲げられる。
何度も繰り返して思い知る。自分の超力は役に立たない。
力こそが真実で、力を持たない自分はどんな思いを抱えていようとそれは何もかもゴミのように捨てられていく。
時には、同じ建物にいる女の所から持って来たのか完全に女物の服を着せられ。
女の子にはないものがあるなと、女の子になれと男性器を何度も殴られ、圧し潰され、電流を流され。
意味が分からない。無理やり嘘をつかせて、それを咎めて何が楽しんだ。
真実とは。正しさとは。
若年層のモラルも目に見えて徐々に低下し、仕事に疲れた子供の性欲や暴力のはけ口になることも増えていった。
同年代や時には年下の相手から、お前は戦う必要がなくて楽だなと口汚く罵られ叩かれ汚される。
子供らしい純情な恋愛なんて物は、この環境では全て吹き飛んでいたように見えた。
こっちの苦しみの気持ちなんてわからないだろう、大変さもわからないだろう。
しかし相手の子供だってどこかで苦しんでいると思うと、言い返すことは出来なかった。
人間だから、食事は大事だ。
殴られた圧力に身体が負けて、口から出て来た吐瀉物もかき集めて再度食べなければならない。
他人が押し付ける欲望の果てに自分に向かって注がれた体液だって、養分として食べなければならない
やせ細ってみすぼらしくなれば、自分の居場所は加速度的に狭くなっていつかなくなるだろう。
末路はどうなるのか。
海外へ売り飛ばされる子供達がどうなるのか知る由もないが、一部は臓器売買や人体実験に回されたらしい。
自分もそっちへ売り飛ばされるのだろうか。
そうやって少しでも身を捨てて誰かの役に立てて死ぬのは、悪くはないかもしれない。
しかしここの辺りは治安が悪すぎて、海外からのブローカーもあまり来ないという話だ。
再生医療や人工臓器も、超力を活用した医療技術も発達して生の人体の需要は減っている。
取引のリスクリターンが釣り合わないなら、そんな話は来ないだろう。
そもそも海外に行く機会は、もう過去に消えてるじゃないか。
自分は見栄えが良いが最上位に入るほどじゃない、海外に売られなかった国内居残り組の奴隷だ。
それならばこの地で死んでいくのか。
ごみ溜めに捨てられて、その身体は虫や鼠や鳥に貪り食われるのか。
そしてその動物をまた、路上生活する子供たちがとらえて食べていく。
素晴らしい資源循環だ。生態系万歳。
あるいは人肉する食べることに抵抗の薄くなった人間に、そのまま焼いて煮炊きされ腹に収まるのかもしれない。
死はとても身近だ。生と隣りあわせだ。
生きていても絶望しかない。死後のことはいくらでも想像する。
まるで針の筵に囲まれた落とし穴で、落ちたら死ぬ奈落の底から逃れようと、風に揺れるか細い一本の上から垂れる糸にしがみ付いているよう。
風が吹くたび身体が、心が痛んでいく。
それでも彼は生きていた。自分から死にたいとまで思えてはいなかった。
死んで天国に行けるなどと信じている子供たちは、大概もう他人に踏みつぶされ糧となって死んでいた。
いつか死が訪れて苦しみから解放されることを望みながらも、生きていた。
死が訪れそうな場面を偶然にも何度か乗り越える経験をしながら、生きていた。
――――――――
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死はとても身近だ。
客として自分を汚した相手だって同じ建物に閉じ込められた人々だって、この荒れた世界では死はとても身近だ。
数が減ればどこかから攫われてきたのかまた新しい人間が新入りとして入って、汚されていったり。
ナチョは運良く生きていたが、その生命が終わる日がいつ来るかはわからない。
それはそう遠くない。
例えば、今日なのかもしれない。
ナチョが見慣れない顔の女性。最近この地域に入ってきてコミュニティに所属したばかりなのだろう。
そいつがナチョの内臓を潰すように強く痛みを与えたり、首を強く締めようとしている。
4年もこんな生活をしていたナチョにとって、こんなことは今まで無かったわけじゃない。
酷く扱われた結果、気絶したことは何度もある。
今までは運良く、死なずに目を覚ますことができていたけれど。
ただ今日は何かが違った。相手か、あるいはナチョの方か。虫の居所が悪かったとでもいえばいいのかもしれない。
永劫に続く絶望。
ナチョは。
もう全部終わってと。
いや世界なんて無ければよかったのにと。
それなら自分の苦しみも無かったのにと。
何も無かったならと。
そう強く願った。
その時、彼の身体に潜む超力がその意志に応えた。
力を放出する感覚。
眼前に出現するのは。
巨大な赤熱する石柱。
呆然とするナチョ。
自分が何かをしたのだという確信はあれど。
一体何が起きているのか把握することができない。
久々に、自分の超力を発動して。
そして、知らない現象が起きている。
その感覚は心地よく、今までにない疲れ方も心地よいものだと。
彼は不思議とそう思った。
指一本動かせず立てなくなるほどの、心地よい疲労感。
石柱が消えた後に残るのは、肉と骨と内臓と血液がはじけ飛んで高熱で焼け焦げた残骸。
――――――――
――――――――
『女がいる。
怪物みてえなムキムキマッチョの怪力野郎だ。
強い奴らをボコったりぶっ殺したりしてやがる。
そいつをぶっ殺せ』
ナチョに言い渡された、戦闘の指令。
人間をぺしゃんこにする攻撃的な超力を発現したナチョが初めて受け取る、戦闘の指令。
『そうしたらテメエも戦闘役の仲間入りだ。
もっとまともな食い物にもありつける。
舐めてかかる奴もいなくなるんだよ。
浅ましいクソ女どもの真似してるみてえな生活、テメエも卒業してえだろ』
ギャングの正式メンバーになるために、誰か一人を殺さなければならない。
よくある掟ではある。
そしてその言外の意味は。
戦わなければ殺す。負けても殺す。
体の良い鉄砲玉である。
新しい能力に目覚め、未だに使いこなせなくて危険な存在。
それが今のナチョ。
強くて目障りな奴にぶつけてしまおう。
別に死んでも構わないし、厄介者が消えるだけ。
そいつを始末できれば良いが、そこまでは期待しない。
手傷でも追わせれば御の字。
ナチョは、怖かった。
破壊的な超力を使うのは心地よい。
それでも自分を乱暴に扱い加害してきた奴らとは、自分は違うと思いたかった。
戦って生きていくなんて自分には向いてない。
治安が安定して、真実を見せれば自然とそれが保証される世界こそが彼の望み。
しかし、自分が戦わなかったらどうなるのだろう。
他の子供にそんな強い奴の、被害者にはなって欲しくないという僅かな感情がある。
自分が、やらなければ。自分に与えられた役目だ。
そう。なんとか戦って、生きるんだ。
死んでも、他の子供は助かってほしい。
でもやっぱり戦いたくもない。死にたくもない。
違う、そもそも自分は死にたかったはずじゃないのか。
自分はどうしたいんだ。
考えても考えてもわからないまま、彼はターゲットの下へ歩みだす。
――――――――
――――――――
太平洋沿いの、日光照りつける海岸とその裏に見える様々なカラフルな建物。
もはやリゾート地としての用をも為さなくなり、かつての賑わいはない場所。
通りを歩く人々の姿はほぼ見えず、皆が建物に潜んで生活している。
打ち捨てられた別荘、ペンションやホテルは落書きにあふれてしまっている。
やや乾燥した地勢だが、人々が植えた名残でヤシやバショウやプルメリアの仲間が時々薪に伐られながらも何とか生きている。
建物がツタにおおわれるようなことはないが、その分豪雨や日射によりくすんで薄汚れているのが目立つ。
澄み渡る青空に反して、砂浜は海や川の上流から流されてきたゴミが散らかっていた。
もはやそれを片付けようとする人々も存在しないのだ。
その中にまともなパラソルが一つ、開いていたのが目立っていた。
その下にいるのは筋骨隆々の女性、身体のサイズに見合った大きなビーチベッド。
その巨女は、サングラスをかけ水着姿で悠然とパラソルの下で周囲を気にせず休んでいた。
ただ一人で、自由に。誰にも邪魔されることなく。
それがどれだけ異様なことなのか。
今は外国人ともあれば、よほどの事でもない限り強盗に遭うか身代金目的に誘拐される時世である。
その有り余る力を、すでに周りに証明した後なのだろう。
向かっていくのは一人の少年暗殺者。
今までほとんど外にも出ていなかったかのような病的な色白の肌が、青黒い髪をコントラストとして引き立てている。
細く痩せていかにも戦い慣れしていなそうな姿だが、油断ならない。
新時代に誰もが手にした力である超力は、当人の見た目にそぐわない殺人の奇跡を起こしうるのだから。
「少年。我に、挑もうとするか」
只の子供ではないと見抜いたのか、巨女はナチョを強く見る。
たどたどしいながらも威厳のような凄みのあるスペイン語。
少年の身体からは、隠しようもない仄暗い殺気が未熟ながらも発されているのだから。
息を呑む少年。
しかし既に超力の間合いに、巨女を収めることに成功した。
ゆっくりと、焦ることなく超力を発現していく。
人間をぺしゃんこにする、必殺の力だ。
これで彼女のすべてが終わって、自分のすべてが始まる。
完全に満足とはいかないまでも、世界が変わる。
大地の様子が砂浜から変化する。
轟音。黒く、ところどころ赤熱した荒々しい土地。
そして程なく――――赤熱する石柱が出現した。
少年の、ナチョの視界が覆いつくされる。
終わった。
『遅いな』
轟音にも負けず、届いてくる巨女の声。
ナチョは自分の背後を見やる。
そこには立ち上がり、高速で動いた後なのか三つ編みを揺らしている水着の巨女の姿。
躱されたのだ。
驚愕と、恐怖の入り混じった声を挙げながら慄くナチョ。
超力は、解除されてしまう。
『それだけか?』
短い疑問のような声を出す巨女。
先ほどから声が聞き取れない。
恐らく彼女の母語でしゃべっているのだろう。
ナチョはその意味の分からない声に、恐ろしい威圧感と恐怖を感じ取ってしまう。
体力はまだある。狂気のような叫びと共に。
ナチョはさらに繰り返し、超力を巨女に向かって発現する。
しかし当たりはしない。
タイミングは調整してみた。
超力発現から、石柱落下のタイミングは早くなってきた。
それでも巨女は躱してくる。
『その超力に頼りきりでは、我を斃すことは出来ぬ』
諭すような巨女の声。
疲れ切っているナチョ。もう後はない、一発が限界だろう。
攻撃はしてこず、様子を見ながら近づいてくる巨女。
まだだ、最大のチャンスをうかがうんだ。
「――――――――少年、貴殿は、何故我に、挑もうとする?
戦わなければならぬと、本心で、考えているのか?」
しばし小難しい顔で思考をしてから、問いかける巨女。
拙いながらも、再びスペイン語の声がナチョの頭に届いた。
ナチョの本心を突いたかのような問い。
それでも、まともな答えがあるはずはない。
今の感情に乗せて、ナチョが返した言葉は。
「嫌だ…………嫌だよ。
戦いたいく、ない。
でも、でも…………!
お姉さんを殺せば――――僕は!!」
その言葉と共に、残りの全力を出してナチョが超力を発動する。
発動の瞬間を目を開いて見届ける。
巨女から決して目を離さないようにする。
巨女は動きが遅れている、躱せない。
ナチョはそう判断した。
しかし。
巨女は気合を入れた掛け声とともに、天上に何か熱を纏ったような拳を突き出す。
同時に石柱が現れ――――ぶつかり合った。
哀れ、赤熱する石柱は巨女を押しつぶす役割を果たせず、割れて砕ける。
超力の範囲外へ逸れた破片は、境界線で消滅していく。
そのまま力を込めた拳撃を、更に虚空より迫る石柱のある天上へ巨女は繰り返し。
力尽きて気を失うナチョは。
その自分の力が完全に破れる光景を、不思議な感覚で眺めていた。
「それでも、斃したいのならば、戦い方を学べ。
かわいい、坊やよ」
ふと最後に声が聞こえたような、気がした。
――――――――
――――――――
ナチョが目が覚めたのは、レストランの店内。
割れた窓が補修され、中にも外と同じようにスプレーの落書きがあるが。
テーブルと座席と厨房が、そういう施設であることを主張している。
周りを見回すと、厳つい男たちがのされて倒れていた。
下手人は――――間違いなく、横になった自分の隣に座るこの巨女だろう。
水着から、白いシャツとスカートを合わせた服装に着替えてサングラスを外していても。
その威圧感は何も変わりようがない。
レストラン、ナチョにはまったく縁がない建物。
物々交換は主流となりつつあったが、貨幣によるやり取りが完全に機能停止していたわけではない。
もはや政府は頼りにならないが、そもそも自国紙幣の管理を諦め米ドルが流通していたような国だ。
アメリカに価値が保証される米ドルでの経済は、何とか回ってはいた。
レストランのような建物も、ギャングが居座り客に席代をせびるような環境ながらも何とか運営されていた。
レストランの残飯にたかる人々がいて、それすらも奪い合いが発生して。
弱かったり、足が遅かったりすると質の悪いものしか食べられない。
それがナチョが周りの人々から聴いていた、レストランの様子。
目が覚めたナチョを、巨女は優しく気遣い。
粗末な木の板でできた、メニューを眺めている。
そして、拙いスペイン語でナチョに反しかける。
「すまない。これは、どのような料理だ?
生憎、言葉はある程度使えるが、字は解さないのだ」
その声に、威圧感はまるでなかった。
幼少期にナチョが見た異人の旅行者のような、優しく悩むような声。
ナチョは、気が抜けてしまった。
こんなことが、あっていいのだろうか。
まるで観光案内をするガイドのようなことを、自分がしろというのか、
こんな荒れた世界で。
ただ、今までの荒れた生活をも忘れられそうな気がするこの雰囲気。
ナチョは嫌ではなかった。
簡単かつゆっくりとしたスペイン語、また数少ない日本語の語彙やジェスチャを混ぜながらナチョは巨女に説明していった。
注文が決まり、巨女はカバンから米ドル札と硬貨を出して支払いを行っていく。
運ばれてくるのは、ミヌータと呼ばれる日本のかき氷とほぼ同じデザート。
そしてもう一つはアロス・コン・レーチェと呼ばれる、コメを甘く煮て固めたいわゆるライスプディングのようなデザート。
現地の料理店で出された甘味を味わっていく巨女。
異国の味jは口に合った様で、頬を赤らめ表情を崩しながら食べ進める。
ナチョもどれだけぶりかとなる美味しい食事を、並んで食べた。
それなりに楽しい戦闘だったと、巨女がナチョの分まドル札で食事代を払ってくれた。
これが、幼きイグナシオと大金卸樹魂の出会いのあらましである。
――――――――
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戦いに挑むナチョには実は見張り役が一人ついていたが。
その戦闘の派手さ、そしてそれをいなした巨女に恐れて逃げていったと樹魂は語る。
つまりナチョは元の住処に帰るわけにもいかず。
樹魂の案内役のような形に納まり暫く行動を共にすることになる。
ナチョにとっては日常が破壊され、開けた特別な出来事。
しかし何のことはない。樹魂にとっては日常の一幕である。
この時点でも彼女はすでに様々な国を旅してきており、だからこそスペイン語も少し扱えたりするのだ。
強者との手合わせを行う中で、樹魂に見惚れる等して案内を申し出る人間は時々いた。
樹魂は現代人らしくスマートフォンなどに頼ることもあるものの、何処でも電波が確保されているわけではない。
それに現地の人間を通してでないと知りえない話なども、樹魂は結構好きなのだった。
まともな食事を食べた上で、体を動かすことは楽しかった。
体力があれば、超力を試しに色々使うことが出来る。
その性質に関しても、詳しく調べることが出来る。
樹魂は自分のトレーニングの横で訓練するナチョを眺め、言語が辿々しいのもあるが時々短く的確に言葉を述べていく。
日本の学校をそれなりの成績で出ている樹魂だから、地学に対する知識がある程度はあった。
しかし直接答えは示さず、自分で考える力を育てさせる。
ナチョの前に出現する石柱は、やはり今まで使っていたた過去の風景を再現する力の延長だった。
遠い過去、地球が開闢する頃の隕石衝突か、あるいはその衝突後に飛び散った破片の再衝突か。
ナチョの超力が効果を及ぼすのは、半径5mの円状の範囲より狭い広さに限る。
そして垂直方向に対しては円柱状に広がっていく。
垂直方向の上限も、詳しく把握していないがおそらく5m程度だろう。
現代の刑務作業の中、スプリング・ローズとの戦闘において使用した水中環境の再現でも範囲は5mを少し超える天井の近くまで。
その範囲でも隕石の質量は、数十か数百トンはあるであろう。
速度は天文学的であろう。
それをタイミングを計り打ち砕き耐えきった樹魂の恐ろしさ。
岩石流のような肉体の動き、地震のような戦闘の余波、火山のような高熱、氷河期のような冷気。
治安崩壊した中米で、湧き出てきた各所の実力者をふらっと表れて蹴散らしていた大金卸。
彼女が"Desastre(災害)"の称号を賜るのも自然なことであった。
唯一つ彼女のちょっとした要望は。
酸素濃度の高かった時代、いわゆる石炭紀なぞをを再現できないかということ。
疲労回復効果で、もっとたくさん動ける。戦える。
当時の彼には結局できることはなかったが、ちょっとした超力を使いこなす練習の目安にはなった。
ナチョが役立てるのは、樹魂の戦闘服の補修くらい。
その服は、日本の学生服を基にして戦闘に耐えるよう丈夫に作られた特製。
奴隷時代より、自分の服を自分でなんとか繕う術は心得ていた。
もちろん樹魂も長く旅をするので、それくらいは心得ていたが。
裁縫という共通した話題が話せるのは、嬉しかったものである。
そして更なる戦いを求めて、樹魂が新天地へ去っていく日。
戦い方は見よう見まねのトレーニングで、実践を目前に見て学ばせてもらった。
体を動かして戦うのは、超力を振るうのは楽しい。
そういう感覚が、未熟ながらナチョには芽生え始めていた。
それでも彼女から見て自分はまだ可愛らしい"ナチョ"に過ぎない。
今の力で挑んでも意味はない、再び一歩も及ばず実力差を知らされるのだろう。
でもきっと、いつの日か。
『強く育てよ、ナチョ』
――――――――
――――――――
彼女が去った後は積極的に、訪れる外国人の護衛などに関わるようになった。
ジャーナリストや慈善活動家などの外国人には、どうしても護衛が必要で。
樹魂から教わった礼儀正しい雰囲気の日本語を使うことで、主に日本人に気に入られ使ってもらえるようになった。
報酬として子供支援の寄付に使われる教科書を真っ先に読ませてもらったりして、真っ当な知識を蓄えた。
日本の学校を出ていた彼女程度の学力が、自分だって欲しい。
争いはどこにでも、いつでもたくさん起きる。
護衛という名目のもと、身体と超力を振るい戦うのは楽しかった。
マグマオーシャン時代の炎と、全球凍結時代の氷をを自分の力にできたことは特に嬉しかった
憧れた彼女と同じ、熱と冷気をつかさどる力。
超力を使いこなし始めてから、不思議と戦う際は目の色は太古の地球のマグマのように輝くようになった。
普段の目の色も、今までより幾段と鮮やかになった。
髪も不思議と、伸びるたび徐々に赤いアクセントが差すようになる。
成長し変貌していく。心も身体も。
でも。ああ、自分は。
どうしてこうなってしまったんだろうな。
歪んだ心は、更に歪んだ形になっていく。
歪みによる痛みを、何とか他の形で代替しようかの如く。
加害するだけじゃない。
この身体が傷つく痛みだって、限界まで戦って死が見えた時の感覚だって。
もう性的なことはしたくないと脳は考えるが、ぽっかりと性的快楽に埋められていた心の穴はあって。
戦闘によって相手を傷つけると、こちらが傷つくと。
その穴が埋まっていく。恍惚感を感じる。
楽しかった、気持ちよかった。
ああ、自分は。
どうしてこうなってしまったんだろうな。
イグナシオは日々を過ごし、力を徐々に蓄えていく。
しかしギャング組織を自力で作ろうとは決してしなかった。
そして、戦闘ができる探偵としての道を歩み始める。
自分や他者を守るための、戦う力は。
言いがかりから逃れて、真実を証明するための力として使うことが出来る。
世界が力に塗れて真実を覆い隠すなら、自分はその中で力を持つことで真実を貫き通そう。
しかし、戦いは楽しい。
あの女性に教えられて、それに自分の心の傷が合わさって。
精神にそういう感情が根付いている。
ああ。強さのない真実なんて意味がない。
僕は、真実を貫きたかった。
でも今の私は、もうそうではなくなっていた。
探偵として探り当てた真実が、自分の戦いに、生死に掛かっている状況。
何かを自分自身に賭けてこその、戦いのスリル。
それを味わいたい。
そんな風に、心が思ってしまっている。
自分だけが知ることができる確実な真実を、戦いの餌にしてしまいたいのだ。
真に自分を信じたり、他人を想っていたりする人間と、似て非なる。
そういう人たちと一緒にされたら、そういう人たちからは自分は尊厳を踏みにじるように見えるだろう。
確信できるのは、これはきっと生来の歪みではないということ。
だから、ほかの子供には。
こうなっては欲しくない。
他人の知られたくない秘密を抱えていることは、戦いを呼ぶ。
何処で誰の過去を掘っているのか、知ったものではないから。
存在自体が、怖いから。
色々な相手が自分を嫌い、敵に回っていく。
なまじ力がある、真実を押し通す力がある自分は。
嫌われ者だ。
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――――――――
その後GPAは威信をかけて、長期間の対策を練って徐々に事態の収拾を図ろうとする。
その努力にもかかわらず、結局エルサルバドルの治安が取り戻されたのは10年以上経った後であった。
システムAが超力取締りに使える程度まで充分な実用化が行われたことも、一応は治安回復の後押しとなった。
しかしこれは陸橋となっている中米において、太平洋側の狭い面積だけを構成しているエルサルバドルだからこそできたことである。
周辺3国は太平洋・カリブ海両方に接し陸橋の主要部分を構成し、不法移民や麻薬流通のルートとして重要となっている。
エルサルバドルから逃げた犯罪者も更に加わり、未だに超力犯罪が日常に遍く溢れる状態が続き人々は大きく苦しんでいる。
エルサルバドルの刑務所は復興されたが、当然警備は増強された。
それだけでなく一部の凶悪な超力の持ち主や、影響力の強い犯罪者を収めることはもうなかった。
そのような犯罪者は抹殺されるか、別の刑務所(アビス)へ送られるからである。
逮捕前のイグナシオは、治安の回復したエルサルバドルを去って周辺国で活動していた。
暗い泥底を共に過ごした人々とも、生き別れた家族とも再び会うことはなかった。
彼らは結局どうしようもなく、苦しい環境で命を散らしたか。
生き延びた者は治安と産業の回復した中で、それなりの職業で働いているか。
そんな噂こそイグナシオは耳にするが、関わりたくはないし関わってはいけないと思っていた。
自分の居場所は、もう故郷にはなかった。
この自分の心を強く動かす欲求が満たされる世界は、外の国にしかなかった。
アビスに送られる前に抱えていた案件は、保守派政権のアメリカから伝わる黒い噂。
犯罪を起こす恐れのあるラテンアメリカ系やアラブ系の移民を、何者かが注意や逮捕することもなく抹殺していると。
巨大刑務所が一度崩壊したからこそ、そのようなことが起きているのか。
アメリカに行った友人や家族と連絡が取れないと、市井の人々から相談を何度か受けていたイグナシオ。
懇意にして色々依頼を受けてる犯罪組織からも、丁度いいと利害が一致した。
個人でどうこうできることかは、わからない。
しかし戦いの匂いと隠された真実の匂いが、狂った探偵を引き寄せた。
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荒れ果てた世界で過ごした過去のことは、今でも焼け付くようでいくらでも思い出せる。
しかしさすがにこれをそのまま伝えては、衝撃的すぎるし長くなりすぎる。
イグナシオは全てを思い出しながらも、ところどころを掻い摘んで、暗すぎる部分は伏せて安理に。
そして樹魂と別れてからのことは、彼女にも話すように聞かせていった。
「探偵か――――超力を活かした、良い職業に就いたな。
人を助けようとするか」
「人助けだけしているように見えますか?」
感慨深く、成長した姿のイグナシオを眺める樹魂。
しかし探偵は、いつものように。
ミステリアスに、感情が読めない笑みを浮かべながら話す。
安理はその雰囲気に、冷や汗が流れる。
「最初は仲間と助け合ったりとか、真っ当なこともしていました。
しかし不都合な真実を暴こうとしていると。
面倒がって、嫌われて周りから皆消えていく。
必然的に、戦いと関わる運命。
僕が、私がこうなるとわかって助けたのですか?」
「そうではない。
しかし我に影響を受けた者は、結構な数存在すると話に聴く。
それも事実であるな」
イグナシオの話を聴いた安理も、この巨女が魅力的な存在であることは理解できる。
その強大な力が、単純に人を呼び寄せる。
そして可愛らしいものを好むその精神、それを受けたならば虜になるのも理解できてしまう。
しかし、それがイグナシオのような人物像を生み出してしまったのか。
「貴方は強い悪党をたくさん倒しましたが。
始末したり、警察に渡すことにまでの拘りはありませんでしたから。
今まで各地の二番手三番手くらいの奴らが台頭したり。
生き残って改心しなかった奴は、またのし上がったり。
隣国から自分の支配地を作ろうとするやつが入ってきたり。
結局荒れた世情にすぐ元通りでしたよ」
樹魂はフリーの放浪の格闘家。
強い個人でこそあるが、国一つに与えられる影響はそこまで大きくはないといえる。
「貴方は混沌の世界に現れた救世主に見えました。
しかしそれは、世界が荒れていたから偶々そこではそう見えただけでした。
結局GPAが組織的に何とかしようとするまで、あの国は変わらなかった。
貴方も、アビスに収まるに相応しい悪党ですよ」
怪しい笑み。細くなった目の奥で瞳が輝き赤い眼光が巨女を刺す。
「――――そして私も。
強くなって力を押し通せと、世の中に迎合するなと。
そう教えたのは貴方。
しかしその道に進んでしまった私も同様に、罪人に相応しい」
自嘲するような微笑とともに、イグナシオは吐き捨てる。
「――――だが、貴殿は戦い抜き成長した。
そして我の前にこうして姿を顕してくれている。
これ以上に望むことは、我にはありはしない」
そんなことわかっていると。言外に伝えるように。
泰然と佇み微笑を浮かべ、心を明るくして話していく。
彼女が望むのは、唯一心躍らせる戦闘だ。
服についた汚れも、この刑務作業中の戦闘でついたものだろう。
安理は自分の心理も想像も全く及ばない相手を、初めて眼前で意識した。
話は通じても、心根が違っている。
「私は歩みませんよ――――貴方と同じ道は。
私は子供を惑わしたくはない。
これからの世界は平和になるべきだと思います。
子供もまともに生きる道があるなら、それを選んでほしいと思っています。
この刑務作業の中でもその想いは変わりはしません」
戦い抜いて実力をつけた戦闘狂、イグナシオ。
しかしその背中に背負うのは、それとは相反する思い。
「我も可愛らしい子供が一方的に虐げられる状況は、好まぬ」
「そう言いながらも自身にも他人にも戦闘を優先させようとするのでしょう、貴方は」
「その通り。この身を焦がす戦いこそ、我が本分」
お互い心は分かりあっている。
しかし、話は通じはしない。
「貴殿こそどうなのだ?
最初に戦いたくはないと述べたであろうに。
その身体は何故、熱を帯びている?」
そう――――分かりあっている。
「はははっ。
貴方と戦いたいなんて思ってませんよ。
力を解放する快感なんて期待してませんよ。
痛みを味わいたいなんて期待してませんよ」
怪しげな微笑みをやや崩し始める、イグナシオ。
くり返し、くり返し言葉を吐く。
「まるで貴殿自身を言葉で抑えつけているようだな。
無為なことをする。
貴殿はもうあの可愛らしいナチョではないだろう。
"デザーストレ"」
「ええ。その通りです。それでも言います。
どうか矛を収めてくださいませんか。
貴方が手を出せば、私は――――応じざるを得なくなる」
巨女は――――当然の如く話を聞き入れはしない。
手合わせのため、構えを作り出す。
さて。
今まで人生のように、この戦いの果てに生き残れるのか。
運よく生き残ってきた、今までは。
彼女は命を奪うことには拘らないが、命を懸けた戦いには拘る。
こちらは一応手合わせとして、殺し合いまで行くつもりはない。
しかし戦いが楽しみすぎる。
守れるか怪しい建前。
安里くんには迷惑をかけるな。
どのような言葉を――――――――
「やめてください…………!
やめてください!
フレスノさん!
大金卸さん!」
第三者を排除するかのように、二人の間に張り詰めていた空気であったが。
結城を出して沈黙を破るのは、平和な日本に生きてきた青年の安理。
「フレスノさんが戦いたいと思っているの、伝わってきます。
でも――――それ以外の目的だってある。
それを大事にしたいとも思っていた。
僕が見てきたフレスノさんは、そうだった。
そうでしょう?」
イグナシオの前に立ち、二人の間に割り込む安里。
心知り合っている、2人の間に立ち塞がる。
邪魔な存在に、ならなければならない。
「それなら……!
貴方がフレスノさんを戦わせたいなら。
僕は、そうさせたくはない!」
叩きつけた言葉。
イグナシオは、笑みを崩し驚くような表情。
樹魂は――威厳を崩さないまでも、戦いを邪魔されやや不愉快そうになる。
その顔に、安里は恐れを抱くが。
言葉は続けていく。
「たぶん――貴方が何を望むのか、僕にも分かります。
力を以ってその意志を貫けって、貴方はフレスノさんにそう教えた。
力をぶつけ合いたいと貴方は思ってる」
女性らしさを逸脱した、暴力を振るうために鍛えられた塊のような猛々しい肉体。
そして武人らしく落ち着いているが、戦闘欲求が溢れている佇まい、言葉遣い。
それに対する安里の回答は。
「それなら、その相手はフレスノさんじゃなくてもいいはずだ」
氷幕が白く覆っていく。囚人服を来た陰鬱な青年を。
パキパキと音を立てて氷は徐々に肥大していく。
身構える樹魂。より驚くイグナシオ。
しかしこれは攻撃の構えではなく、変化のための準備。
氷は2mを超える塊となり――――ひび割れ。
中から、柔らかい女性の声が響き渡る。
「貴方に勝てるかはわからないし、たぶん難しいと思います。
強さを見せて、この場は引いてもいいって思ってもらえればいいけれど。
それすらできるかもたぶん怪しい。
でも僕の心が、やらないよりはマシだと言っている」
氷は徐々に崩れていく。
姿を現すのは、神話からでてきたような白さを持ったドラゴン。氷龍。
「だから貴方がこっちの事情を汲まないように。
僕も、汲まない。
戦うのはフレスノさんじゃなくて、僕だ!」
樹魂は、この場に現れた闘える新たな存在に笑みを見せる。
イグナシオは――――。
「アンリくん」
安里の変化した氷龍。
そちらへ向かって、手を伸ばして。
超力を発現した。
何事かと、誰もが思う。
氷龍の身体は、再び氷に覆われていく。
全球凍結の氷だ。
「覚悟もしっかりできていないのに戦うのは悪手です。
本気で戦わなければ、危険ですよ。
少し頭を冷やしてください」
しかし。
その氷は。
打ち砕かれていく。
氷龍の身体から生成された新たな氷が、身体を固めていた氷を打ち砕いた。
氷龍は、優しく話していく。
「フレスノさん、戦いだしたら止まらないでしょう。
また僕が止めるんですか?
そしたら、止められるかわからないですよもう。
間違いなくさっきの戦いよりも大きな戦いになりますよね。
それなら、僕が行きます。
そしてフレスノさんが控えに入ってください。
僕が何とか頑張ります、貴方が戦わなくて済むように。
だって、貴方は探偵をしなきゃ。
そのために、こんなところで傷ついちゃだめですから」
イグナシオは、心が揺れ動く。
真実を明らかにしたいという意思を、助けようとしてくれる行動。
今までの自分は、救われることなんてない。
もう遅いんだ全ては。
しかし、心の中の昔の自分は。
泣いて、彼に礼を叫んでいるような気がした。
こんな相手がいて欲しかった
純粋な心の方を肯定してくれる、優しい親みたいな相手がいてくれたら。
より善い形であの地獄から抜け出せていたら。
自分は真っ当に、例えばGPAの部隊なんかで働いていたのだろうか。
もう遅い。
こんな思い、いろいろな意味で言葉には出せない。
「可愛いな」
そんな脇で一言、氷龍へ発した樹魂。
氷龍の可愛らしさは、安里も自分で認めるところだ。
でもそんな場合ではないだろう。
「それだけではなく――――美しいな」
何故そんなことをと安理は思う。
いや。
何故って考えるほうが、おかしいのか。
彼女にとっては戦いこそが日常で。
戦いの前で相手の見た目を褒めたりすることだって、普通のことなのだろう。
もう一つの褒める言葉。
戦闘に向いた姿だからなのか。
動物としての優美さなのか。
それはきっと。
両方。
「ありがとうございます。大金卸さん」
大金卸さん。
その在り方は理解できないけど。
貴方も、僕は結構美しいと思う。
恥ずかしいし、言っても喜んでくれるかわからないから言えないけれど。
女性としての性別の垣根を越えた、男性的な姿。
自分が抱える性別の悩みを、彼女はすでに振り切ったか。
あるいは最初からなかったのか。
その悠然として自信にあふれた姿。
「不思議だ。もしかしたら。
貴方と手合わせしたいのは、イグナシオさんのためであり、僕の願いでもあるなのかもしれません」
氷漬けに一度されたせいか、冷静になって思考は回る。
自分はなんでこんな超力で生まれたのか。
わからない。
ネイティブ世代なのだから、答えなんてないだろう。
その意味を探したいと言う思いはあった。
この超力は、もともと外ではほとんど使ってはいなかった。
からかわれるのが、嫌だったから。
自室とか、極稀には夜とか、外出して自然の中とか人目につかないところで使っていた。
この能力はなんなのだろうか。
雌として生きるためなんだろうか。
殺めてしまった彼があの時、ありのままの自分を完全に受け入れてくれていたら。
それで納得できていたのか。
それなら、なぜこんなに人外として力がある。
戦うための力なのか。
殺すための力なのか。
そうではないと思いたい。
それだけのためではないと思いたい。
答えが欲しい。
それを見つけるのは、自分自身だ。
きっと、自分の自信からだ。
イグナシオは今の彼自身の、半端者の状態を受け入れてるのだろうか。
でもそれはたくさん生きてきて、自信受け入れる成熟した精神もあるからだろう。
僕はまだわからない。
どうせ一日生き延びたとしても、無期懲役で超力も再び制限される身分だけど。
それならこの刑務作業で何かが欲しい。
自分で自分の在り方を決めたい、分かりたい。
覚悟は完全にはできてない。
僕はそんな極まった人間じゃない。
だからこそ、今しかないんじゃないかって予感もある。
自分を捨てて他人を助けることで、自分の心を救うんじゃなくて。
自分の心を自分の力で救うことが。
僕にできるのかはわからない。
イグナシオは聞こうとした。
人を傷つけるのが怖くないのか。
聞くまでもなかった。
そうなったら自分が止めると、この前に言ったのだから。
自分は、見ているだけではない。
水を差す形になるかもしれなくても。
お互いやりきったと思えたところで止める。
それでも。
いつか戦いたいと願っていた相手との決戦。
そして、託された願い。
自分がこの後どうなるのかは、彼の戦いに掛かっている。
「もしや、貴殿は。
イグナシオのことが、好きなのか?」
突如問われる、鋭い問い。
雌の人外になったのだから、わるいはそういう感情があるのではないか。
単純な、大金卸の女の子らしい興味からの発言。
安里は悩み、辿々しく答えを出す。
「――――――――僕は。
誰かが好きとか、そういうことを軽々しく言ってはいけない人間です。
そういう罪を負っています。けれど。
お互いを抑え合って支え合うと約束したから。
その言葉を守りたい心は、大切にしたい」
「そうか――――良い心掛けだ」
答えになっているのかはわからない。
しかし、乙女はそれに納得を示し頷く。
安里も一つ質問を投げかける。
「一つ聞いていいですか?
僕らの前に、赤髪の小さい少女とは戦いませんでしたか?」
「いや、ないな」
スプリング・ローズと戦闘していたか。
それは知らなければならなかった。
戦いに乗せる思いが、また違ってきてしまう。
しかしその心配は無かったようだ。
「わかりました。
貴方に恨みはありません。
それでも、全力を懸けます!」
氷龍の瞳は、海王星のような青さから木星のような柔らかい褐色へと変化していた。
一粒の涙がしたたり落ち、地面にたたきつけられ広がって小さな氷の花を咲かせる。
説明のつきようのない、何がこもっているのかも透明で何も写さずわからない不思議な一滴。
彼が断片的に想像した。イグナシオの過去に同情した慈しみ。
強大な相手に立ち向かう恐れと怖さ、そして自身の選んだ現実に立ち向かうという運命への感傷。
自分で自分の心の動きも説明できない心を痛めた青年が。
それでも何かを変えたいと、立ち向かおうとする。
【F-1/工業地帯/一日目 黎明】
【大金卸 樹魂】
[状態]:疲労(中)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.強者との闘いを楽しむ。
0.北鈴安里と戦う。
1.新たなる強者を探しに行く。
2.万全なネイ・ローマンと決着をつける。
3.ネイとの後に、呼延光と決着を付ける。
【北鈴 安理】
[状態]:健康
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.自分の罪滅ぼしになる行動がしたい。
0.大金卸樹魂と戦う。イグナシオを消耗させないために。
1.暫くは、生きてみたい。
2.イグナシオの方針に従う。
3.本当に恩赦が必要な人間がいるなら、最後に殺されてポイントを渡してもいい。けれど、今はもう少し考えたい。
4.スプリング・ローズには死んでほしくない。
※イグナシオの過去、大金卸とのあらましについて断片的に知りました。少なくとも回想で書かれた全てを聞いているわけではありません。
まだ聞いていない部分について、今後間違った妄想や考察をする可能性もあります。
【イグナシオ・"デザーストレ"・フレスノ】
[状態]:腕に軽い傷
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.子供や、冤罪を訴える人々を護る。刑務作業の目的について調査する。
0.樹魂と安里の戦いを見守る。
1.自分の死に場所はこの殺し合いかもしれない。
※ラテン・アメリカの犯罪組織との繋がりで、サリヤ・K・レストマンのことを知っています。
※島内にて“過去に島民などがいた痕跡”を再現できないことに気付きました。
最終更新:2025年05月25日 13:49