◾︎


 ルクレツィアは明らかに衰弱している。
 にも関わらず、触れるもの全て破壊せんとする両腕が脅威であることに変わりない。
 目前に迫る腕鞭をやり過ごし、前髪を揺らしながらちらりと銃を見る。
 銃弾は残り二発、無駄遣いは出来ない。

 疲弊する身体、限られた残弾。
 相手は手負いの獣。少しでも気を抜けば、瞬時に肉塊と化してもおかしくない緊張。
 銀鈴はそんな時間を苦とは思わず、むしろ終わりが近付くことを惜しいとさえ思う。

 そんなことを思うということは。
 死の舞踏を、終わらせにかかっているということ。

「──っ、ぐ」

 ──銃声が響く。
 猛進するルクレツィアの右脚が撃ち抜かれ、盛大に体勢を崩した。
 転びながらも不格好に体勢を立て直し、廊下の中央で佇む銀鈴へ向かう。

 そんなルクレツィアが捉えたのは。
 眼前で回転する、円形の物体。

「贈り物よ、ルクレツィア」

 血の令嬢は瞬時に理解する。
 この贈り物は、一度味わったことがある。
 新人類を殺す為に開発された、悪意の塊。
 極限まで鍛え上げられた肉体ならいざ知らず、可憐な乙女の身体など瞬時に焼き尽くす火薬兵器。

 この距離で爆破すれば、間違いなく即死。
 回復能力が追い付くよりも早く、ルクレツィアの命は潰えるだろう。
 ならば、かの令嬢が黙ってそれを受け入れるはずもなく。


「────ア゛ァ゛ァァア゛アア゛ッ!!」


 凄絶な獣声を上げ、無茶な体勢のまま〝それ〟を拾い上げる。
 勢い余って片足が折れることも構わず、手榴弾を投げ返した。
 驚きの表情を見せる銀鈴。
 タッチの差で爆破の間に合った悪意の塊が、彼女の足元に転がる。

 銀鈴の回避能力を諸共殺す範囲攻撃。
 遮蔽物のない廊下では、身を隠すことも出来ない。
 彼女の威圧感も、気配遮断も、全てがこの小さな手榴弾の前では意味を成さない。

 ────さようなら、銀鈴さん。

 そんな言葉を告げようとして。
 デイパックで顔面を覆う銀鈴の姿を捉えた。



 球体は爆発しない。
 代わりに、上部の穴から勢い良く煙が噴射された。
 薄ピンク色の煙は瞬く間に廊下中を充満し、視界すら覆い尽くしていく。
 けれどルクレツィアの世界は、煙とは違う真っ黒な色で塗り潰されていた。

「──ッげほ!? っ、──こ゛ほッ!」

 目の奥が熱い。
 熱された鉄を眼底に押し付けられたような鋭い灼熱感。
 瞼は瞬時に腫れ上がり、目を開けるなど考えることもできない。
 喉は締め付けられ、不愉快な息苦しさが呼吸をも制限させる。
 痛みに鈍感なルクレツィアであっても、生物である限り逆らえない苦痛が無防備を晒させた。

 咳が止まらない、目が開けられない。
 立っていることすらままならず、床に這い蹲る。
 この瞬間、ルクレツィアの思考は真っ白に染め上げられた。

「可哀想に、とっても苦しそう」

 耳奥に艶やかな声が響く。
 藻掻くように振るわれた腕が、優しく取られた。

「今、解放してあげるわ」

 と、ルクレツィアの咥内に硬い何かが押し付けられた。
 反射的に嘔吐きながらも、ルクレツィアの脳に〝死〟のイメージが送られる。
 今押し付けられているモノが銃口であると理解すると同時に、くぐもった銃声が響いた。





 脳幹が破壊される。
 記憶が明滅し、急速な眠気が来る。
 これまで触れて、感じて、見てきた景色が歪な形で蘇ってゆく。
 意思に反して繰り返される走馬灯が、どこか他人事のように見えた。




私が殺したのは全て『人間』ですよ。白い肌も、黒い肌も、赤い肌も、黄色い肌も、亜人も異形も、すべて等しく動物を殺した事は有りませんニケと同じですか。私は私の行いを、正しいとは言いませんし、私はまともだとも『ローマの休日』。他人のものを擬似体験するのとは比べ物に首を折るとは流石に酷いですね。好きなんですよ、命と向き合うことが私の身体では、難しいんですよね血の匂いというものは身近すぎて、ご静聴、感謝いたします。虚勢を張って恐怖を隠し、意地の為に痛みをあの方に惹かれ焦がれるのは、仕方の無い事だと思い私は人間にしか興味は無いんですよ特等席でご覧になって下さい。人は粗末に扱いませんけど、本は知っている方が、誰も亡くなられていないのは、喜ぶべき事でしょう。悪魔と、踊りませんか?




 私の声、私の言葉。
 ルクレツィア・ファルネーゼという人間の異質さ、醜さを、第三者の視点から見せつけられる。
 けれど死の淵に立たされても尚、それのどこが異常なのかが分からなかった。

 心地の良い微睡みが思考を奪う。
 母親の腕に抱かれているような、蕩けるような安心感に包まれてゆく。

 ──ああ、幸せだ。
 ──本当に、愉しかった。

 自由奔放に暴れ回って、恐怖とは何なのかを知れて。
 自分の身体で痛みを味わえて、〝生の感覚〟を貪れた。
 これ以上、何を求めることがある。

 ルクレツィア・ファルネーゼという役者がここで終わることが、舞台の終幕として相応しい。
 私という物語が、死を持って完成する。

 極上の幕引き、至高の愉悦。
 この機を逃せば、ルクレツィア・ファルネーゼという怪物は美しく死ねない。


 なら、これ以上はもう。




『────分かったわ。貴女の友人になる』




 この声は、誰のだろう。
 ぼやけた輪郭は、顔立ちすら分からない。
 黒い人影が発した言葉は、夥しく綴られる私の声の中でも鮮明に際立った。

 思い出せない。
 さっきから記憶が曖昧だ。
 なのにあるひとつの感情が、私の胸を支配する。

 ──このまま終わるのは、勿体ない。

 ここで死んではいけないと、使命感のようなものが身体を駆り立てる。
 誰かも思い出せない〝オトモダチ〟に、また会いたくなって。
 搾りかすのような未練を掴み取り、纏わりつく死を振り払う。
 ぶちぶちと嫌な音が身体中に響くけれど、関係ない。


 ただ一人のお友達が、待っているから。





「────────!!」

 人間の言葉とは思えぬ金切り声。
 それが今しがた脳幹を破壊されたルクレツィアが上げたものだと知れば、万人が震え上がるだろう。
 地の底のアビスにおいても類を見ないショッキングな光景は、死刑囚であっても気絶に値する。

 けれど、それを間近で見せられた銀鈴は。
 心底嬉しそうに両手を合わせ、爛々とルクレツィアを見ていた。

「まあ……!」
「オ゛ォオオ────ッ!」

 外れた顎をだらんと垂らし、怪物が腕を振るう。
 銀鈴は一瞬驚いた顔を見せるも、すぐさま後方へ一歩退がる。
 それだけの優雅な足捌きで、必死の反撃は空を切り────

「────っ、は……!」

 銀鈴の左腕を凄まじい衝撃が撃ち抜く。
 遅れて来る鈍い痛みを覚えた瞬間、即座に身体を捻って受け流そうと試みるも無駄な足掻き。
 したたかに壁へと打ち付けられた銀鈴は、ほんの一瞬意識を朦朧とさせた。

 戦闘技術も無いルクレツィアの苦し紛れの攻撃を、彼女が避けられないはずがない。
 そんな決め付けは、ルクレツィアが〝素手〟である前提で成り立っているに過ぎない。
 現に血濡れの令嬢の右手には、紫煙を撒き散らす煙管が握られていた。

 ルクレツィアは確かに戦闘のド素人だ。
 圧倒的なフィジカルにものを言わせて、それだけで危なげなく勝ってきたのだから、技術を必要としなかった。
 そもそもとしてルクレツィアが好むのは、戦闘ではなく一方的な虐殺なのだ。
 武術を極めたいなど、一度足りとも思ったことはなかった。

 けれど、この窮地において。
 生きなければならないと、心から思ったことで。
 銀鈴が避けたタイミングで煙管を出現させ、リーチを見誤らせるという戦闘テクニックを発揮した。

「これ、は…………?」

 煙管から立ち上る紫煙が銀鈴を包む。
 それを吸い込んだ銀鈴は、ゆっくりと瞼を落とした。





 薄暗い照明に照らされた無機質な部屋。
 防弾ガラス越しで、まじまじと自分を見つめる白衣の男達。
 好奇心と畏怖が入り交じった瞳で見つめる数名の男を一瞥し、目の前へと視線を流す。

「目は覚めたかナ」

 胡散臭い声が掛かる。
 銀鈴はその声に酷く覚えがあった。

「あら、マルティン」

 主任看守・第二班班長──サッズ・マルティン。
 細目の狐顔は悪趣味な加虐心を隠そうともしない。
 彼の傍らにあるキャスター付きの机には、血の気が引く程の拷問器具が取り揃えられていた。

「こんにちハ銀鈴くン。今日は君が従順になるよう、少し痛い目を見てもらうヨ」
「まあ、それは楽しみ。どうやって痛みを教えてくれるの?」

 ガチャガチャと、宙吊りにされた両腕の手錠を鳴らしながら銀鈴が言う。
 拘束台に寝かされていて、下半身に至っては身動ぎひとつ出来ない状況。
 訪れる地獄のような拷問の時間を前にしても、銀鈴の目元は楽しそうに笑っていた。

「キミがどれほど痛みに耐えられるカ、どんな顔をするのカ、とても興味があル。是非思う存分、泣き喚いてくレ」

 そこからは、この世のものとは思えぬ時間だった。
 中身がどうあれ、可憐な容姿の少女へと言葉に顕すのもおぞましい折檻が振るわれる。
 刃物、槌、電気、炎、多種多様の手を尽くして銀鈴の身体をいたぶって。
 傍らの回復能力者が、わざと歪に再生させて激痛を引き伸ばす。
 あまりの光景に、白衣の男達は顔面を蒼白に変えて嘔吐き始めた。

 だというのに。
 その拷問を受けている銀鈴本人は、退屈そうに欠伸をして。

「ねえ、マルティン」

 泣き叫ぶでもなく、発狂するでもなく。
 殺してくれと懇願するわけでもなく。

「それはもう飽きたわ」

 たった一言を零して。
 拘束具を引きちぎり、マルティンの首を撥ね飛ばした。

 崩れるマルティンの身体と共に、景色が溶けてゆく。
 ガラス張りの密室は黒い廊下へと変わり、マルティンの死体や周囲の傍観者は跡形もなく消え去った。
 まるで最初から何もなかったかのように。


「ふふ、ルクレツィアったら。素敵なネオスを隠してたのね」

 先程までの光景は夢。
 銀鈴がかつて味わった苦痛の再現。
 けれどそれは、所詮記憶の残滓に過ぎない。
 どんなに精巧な痛みも、苦しみも、夢だと自覚してしまえばただの明晰夢。
 だらりと垂れる左腕の痛みから現実を自覚し、ゆっくりと周囲を見渡した。

「ああ、でも残念。逃げられちゃった」

 ルクレツィアの姿はない。
 けれど地面に滴る血の跡からして追いつくのは容易いだろう。
 方角からしてジェイたちがいる場所だろうか。ついでに合流してもいいかもしれない。

 と、足を踏み出そうとして。
 銀鈴の鼻を異様な匂いが掠めた。

「…………ナイトウ?」

 この匂い、この気配。
 知っている、つい最近覚えたものだ。
 ルクレツィアとの激戦で気が付かなかったが、確かに内藤四葉の気配がする。

「ナイトウもここに来てたんだ。ふふ、生きていてくれてよかった! トビもいるのかしら? また二人に会えるのね」

 根拠もない第六感だが、銀鈴はそれを信じて疑わない。
 ふらりふらりと、まるでピクニックにでも出かけるように死臭の元へ導かれる。
 古い玩具から、新しい玩具へ目移りするかのような気まぐれさ。
 おぞましいほどの返り血に濡れてさえいなければ、微笑ましくも思えるであろう。

「ああ、そうそう。弾が無くなっちゃったから補充しなきゃね。ナイトウと遊ぶのなら、今のままだと心から楽しめないもの」

 先程の死闘を忘れてしまったかのような無邪気さでデジタルウォッチを起動する。
 痛む左腕に時折顔を顰めつつ、予備の弾倉を二つ転送させた。
 中々自由が利かない左腕のせいで少し苦戦しつつも、弾切れになった拳銃へ弾倉を装填。
 どこか上機嫌に鼻歌を奏でて、再び歩を進める。

 そうして気まぐれな死神は。
 一度だけ、どこか名残惜しそうに血の跡へ一瞥をくれて。
 ぽつりと、唇を動かした。

「またね、ルクレツィア」

 遊ぶ約束を取り付ける子供のように。
 それだけを言い残して、銀鈴の視線は再び逆方向へ。
 またね────なんて、再会を期待する言葉なんて久しぶりに吐いたな。と、場違いな想いに耽り。
 ふわりと舞う黒いドレスと白銀の髪が、蜃気楼のように消えた。


◾︎



 ずるり、ずるり。
 肉と床が擦れる音。
 ペンキをぶちまけたような血溜まりが、肉の筆によって引き伸ばされてゆく。
 赤黒く濡れたナニカが地面を這いずり、少しずつ北へ北へと進む。

 それは、ルクレツィア〝だった〟もの。
 可憐で美しい顔貌は見る影もなく、両目は赤く腫れてほぼ開いていない。
 外れた顎は未だ治らず、穴の空いた後頭部からは脳漿と血液の混じった液体が溢れている。
 左足は折れ曲がり、銃創が出来た右足はもう使い物にならない。

 もはやそれは、陳腐な映画でよく見るゾンビと何ら変わりない。
 どんな作り物(フィクション)よりもリアルな彼女の姿を見れば、映画評論家は卒倒するだろう。
 こんな姿になっても死ねない彼女を、遠巻きの傍聴人は憐れむだろうか。
 破壊された脳幹が中途半端に回復しているせいで、彼女の頭は正気とは程遠い状態にあった。


 ────思い出せない。


 あの時聞いた〝お友達〟の声が、顔が。
 浮かんでは消えて、手が触れそうになっては離れていく。
 ああ思い出したとスッキリしては、次の瞬間にまた忘れている。
 過去と今の記憶に整理がつかず、時系列が無茶苦茶になっていた。

 自分が自分でなくなってゆく感覚。
 殺してくれと懇願していた孤児の気持ちが、少しだけわかった気がする。
 たしかにこれは、少しだけ寂しい。

 あの人の嫌いな映画はなんだったか。
 あの人の好きな人は誰だったか。

 何も思い出せないけれど。
 ルクレツィアは、進む事をやめない。
 仮初でも、建前だとしても。
 かけがえのない〝オトモダチ〟が、自分を待っているから。

 もしかしたら、あの人はそんな風に思っていないのかもしれない。
 得体の知れない狂人だと、心の底では思っているのかもしれない。
 自分の〝夢を見せる超力〟にしか価値を見出していないのかもしれない。

 だとしても、幾らでも逃げられたはずなのに自分と一緒にいることを選んでくれて。
 撫でてくれたり、虐めてくれたり、読書をしたり。

 ああ、なぜだろう。
 してもらった事はこんなにも思い出せるのに。
 自分が何を返してあげたか、全く思い出せない。

 だからなのかもしれない。
 とうにやり尽くして、〝生〟を満喫したのに。
 綺麗に死ねたはずのブリキ人形は、無様に生き永らえることを選んだ。


 ただ一人の〝オトモダチ〟へ、恩返しするために。



【D–5/ブラックペンタゴン1F 北東ブロック 連絡通路/一日目・午前】
【ルクレツィア・ファルネーゼ】
[状態]: 脳幹破壊による記憶障害、疲労(大)、空腹、喉の渇き(極大)、複数の銃創や裂傷(大)、左足骨折、右足に銃創、血塗れ、服ボロボロ
[道具]: デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針] 思い出せない。
基本.
0.〝オトモダチ〟のところへ行く。
※度重なる消耗により回復能力が著しく落ちています。
 脳幹が不完全に回復しているせいで、記憶障害が起きています。
※極度の空腹、喉の渇きにより少なくとも一時間以内に飲食物を摂取しなければ命の危険があります。



◾︎



 銀鈴とルクレツィアが去り、無人となった廊下。
 ガチャリと重厚な扉が開き、慎重な様子で顔を覗かせる人物が居た。

「…………行ったか」

 ウルフカットの白髪を揺らす褐色の男。
 アイアンハートのリーダー、ネイ・ローマン。
 ネイティブ世代の頂点は、緊張の面持ちを見せながら視線を左右に流し、状況の把握に努めた。

 この廊下が戦場となったのは、ローマンが倉庫に入ってすぐのことだった。
 庫内の食糧と酒を煽ろうと一息ついた瞬間、二人分の足音が近づいてきたのがことの始まり。
 乾いた銃声、床と壁が崩れる音、淑女達の笑い声と叫喚。
 およそ正気の沙汰と思えぬ死闘の証左へ、ローマンは辟易しながらも注意を払っていた。

 音だけではどうしても得られる情報に限りがある。
 そこでローマンは、破壊音に合わせて極小のエネルギーを弾丸のように放ち、扉に覗き穴を作り上げた。

 片方は知っている顔、〝血濡れの令嬢〟。
 同じネイティブ世代で、かつローマンにとっては殺さなければならない存在。
 フェッロ・クオーレ────アイアンハートの組織員であり、数少ない再生能力持ちの仲間。
 ルクレツィアは敵対組織である『バレッジファミリー』の依頼を受け、クオーレを拷問の末に殺した。
 ローマンからすれば生かしておく道理など微塵もありはしないが、迂闊に飛び出せない理由があった。

「ったく、……あんなバケモンまでいるとはな」

 令嬢が相対する謎の淑女。
 情報がない相手は未知数だとか、そういう次元ではない〝なにか〟がローマンの衝動を食い殺した。
 無期懲役の囚人でありながら、死刑囚が可愛く思える程の並々ならぬプレッシャー。
 かと思えば、殺気や敵意に敏感なローマンに、それらを一切悟らせず死を振りまく異常性。

 あわよくば漁夫の利を、などという画策は銀鈴の姿を見た瞬間に掻き消えた。
 敵意や殺意に反応して衝動を浴びせる自分の超力とは、極端に相性が悪い。
 理屈で言えばメリリンや本条と同じだが、危険度は遥かに上だろう。

 ローマンが選んだのは、籠城。
 当初の目的である栄養補給を済まし、四葉から得たポイントを使ってデイパックを確保。
 交渉用、ついでに嗜好用に幾らか食糧と酒を拝借して、戦いの終わりを見届けることにした。

(エリザベート・バートリは北東に向かったか……んで、問題は────)

 催涙ガスが放たれ、咄嗟に穴を塞いだことで事の顛末は見れなかったが、ある程度の状況は推察できる。
 引き摺られたような血の跡は北へ続いており、銀鈴は〝ナイトウ〟と口にしてこの場から消えた。
 一体どうやって内藤四葉のことを知り得たかは不明だが、本条を追って南西ブロックに向かったと見ていいだろう。

(……あの狂犬、死んでからも厄介事振りまくんじゃねぇよ)

 心底面倒臭そうに頭を搔く。
 ローマンからすれば、銀鈴と本条がやり合って消耗してくれるのであれば都合がいい。
 しかし万が一にも本条が銀鈴を取り込んだ場合洒落にならない。それこそ自分だけでは手に負えない存在になるだろう。

 とはいえ、今の状態で銀鈴を追うのは、ローマンからしてもリスクが大きすぎる。
 確かに四葉の遺志は汲んでやろうとは思うが、命を投げ打って果たすべきことではない。
 ローマンの最優先事項はあくまでルーサー・キングの打倒なのだから、それを果たすまで死んでやるつもりはない。


 ならば、ルクレツィアは。
 瀕死の彼女であれば、容易に首輪を奪えるだろう。
 報復の為に殺せるならば殺してもいいが、それよりも気掛かりなのがルクレツィアの足取り。
 彼女が向かったのは北東。しかし、音が聞こえて来たのも北東から──つまり、道を引き返しているのだ。

(考えすぎかもしんねぇが……戻る理由があった、ってか?)

 ブラックペンタゴンに単身で乗り込む奴は、ローマンの予想ではそう居ない。
 ルクレツィアは助けを求めて仲間の元へ逃走した、と考えた方が腑に落ちる。

 利用出来るものは何でも利用しておきたい。
 ルクレツィアを追うにしても、すぐさま殺すよりは動向を伺った方がいいだろう。
 仲間がいたのならば、ルクレツィアを利用して情報を吐き出させるのもいいかもしれない。

「決まりだな」

 少し間を置いて、ローマンは足を踏み出す。
 ルクレツィアが描いた血痕を辿って、北東ブロックへと。


【E-5/ブラックペンタゴン1F 南東ブロック 倉庫前廊下/一日目・午前】
【ネイ・ローマン】
[状態]:額に銃創、全身にダメージ(小) 、疲労(中)、右手首にボルトによる刺し傷
[道具]:デイパック(幾つかの食糧と酒)
[恩赦P]:99pt
[方針]
基本.やりたいようにやる。
0.ひとまずルクレツィアを追う。
1.ブラックペンタゴンでルーサーを探す。
2.ルーサー・キングを殺す。
3.ハヤト=ミナセと出会ったら……。
※ルメス=ヘインヴェラート、ジョニー・ハイドアウトと情報交換しました。







 ────きりきり、からから。
 ────くるくる、ころころ。


 回る、回る。
 寂しげな鉄音を鳴らし、シリンダーが回る。
 三つの空洞に、隙間風が吹き込む。
 錆び付いた薬莢に包まれて、湾曲した弾丸たちが語り合う。

「そ、そ、……それじゃあ、第XX2回……〝弾倉会議〟を開始するよ」

 円卓を囲む三人の内、『一』の席から声が上がる。
 か細い声色に一抹の寂しさを乗せて、本条清彦が会議開始を宣言した。

「わー、ぱちぱちぱちぱち」
「あ、ありがとう四葉ちゃん……じゃあその、四葉ちゃんから…………」

 どうぞ、と言おうとしてローズの時の失敗を思い出す。
 四葉はまだ家族になって間も無いし、会議だって初めてだ。
 じとりと見やるサリヤと目が合い、大袈裟な咳払いを一つ。
 きょとんと首を傾げる四葉へ平謝りをして、緊張の面持ちで二人の顔を見回した。

「ええと、そ、その……情報共有、というか…………今回は、方針を決めようかなって……」
「そうね、場所が場所だからあまり悠長にしていられないし」

 ──それに、共有する程の人数もいない。
 言葉にせずともサリヤの意図を読み取った本条は、再び悲しそうに顔を俯かせる。

「ぼ、僕は……やっぱり、今のままだと不安だし、そ、その……」
「一度、ブラックペンタゴンを出る?」
「う、うん」

 言いづらそうに口ごもる主人格の言葉を、サリヤが補う。
 ここで異を唱えたのは、『さん』と書かれたパイプ椅子の女。

「なになに、うちら三人じゃ不安ってこと?」
「そ、そうじゃなくて……さっきの、ローマンって人、ぼ、僕たちを、追ってくる……かも」

 ネイ・ローマンと正面からぶつかった場合、四葉が認めたように勝ち目は薄いだろう。
 もしも彼が追ってきた場合、今度は何人落ちるのか。考えたくもない予感が本条の身体を震わせる。
 ローズと無銘を見送るほどの戦いをしたばかりで、かつ傍観者側であった本条は酷く気落ちしていた。

「……仮にメリリン達を見付けても、建物の構造上挟み撃ちにされたら厳しいわね。清彦さんの不安もわかるわ」
「ご、ごめん」

 フォローを挟む『5』の席、サリヤ。
 本条の謝罪の意図は、メリリンを迎えたい張本人である彼女にその発言をさせてしまったことにある。
 四葉とサリヤの合わせ技を使えば一時的に人数有利を取れはするが、相手がそれ以上の人数だったり奇襲を仕掛けてきては意味がない。

「あー、それなんだけど……多分大丈夫だと思うよ」
「え?」
「ネイってさぁ、かなり燃費悪い超力なんだよね。ずっと飲まず食わずだったっぽいし、あの消耗具合じゃすぐには来ないんじゃない?」

 頬杖を突きながら答える四葉。
 彼女の言葉に安心したのか、本条はほうと溜め込んだ息を吐き出した。

「そ、それじゃあ……!」
「うん、メリリン達を追うのにさんせー!」

 本条は目元に涙を溜めて、口をへらりと歪ませる。
 空いた三つのチャンパーの寂しさを吹き飛ばすような四葉の振る舞いは、本条を元気づけた。


「ありがとう、二人とも」

 ちらりと、サリヤの方へ視線を移す。

「私の我儘に付き合わせてしまって、ごめんなさい」

 ぺこりと、礼儀正しく頭を下げるサリヤ。
 本条も四葉も、それに返すのは心からの微笑み。
 筒抜けの本心。幾十年の時を経なければ得られない信頼と愛情が、何倍にも増幅されて楽園に蔓延する。

「もー水臭いってばサリヤちゃん、だって私たち……〝家族〟でしょ?」
「そ、そうだよ。家族の願いは、聞いてあげたいから」

 ああ、心地いい。
 ああ、幸福だ。

「……ありがとう。本当に、あなたたちと家族になれて、よかった」

 三人に共通するのは、そんな感情。
 世界中の誰もが忌避する異形の中では、彼らだけの桃源郷がある。
 家族になった者しか味わえない、なにものにも代え難い多幸感。
 小さな小さなシリンダーの中で繰り広げられる偽りのソープ・オペラ。

「そ、それじゃあ……四葉ちゃんはな、何をしたいのか、聞きたいな」

 観客の居ない一人歌劇。
 薄暗い円卓を囲い、綴られる蛇足の物語。
 綺麗に終われなかった者たちは、終わりのない永遠を望む。

「私はねぇ、やっぱ一番は〝大根おろし〟さんと戦いたい! それにチャンピオンとも決着つけたいでしょ。トビさんも家族にしたいし────」

 そうして、そんな虚構の世界は。


「こんにちは、ナイトウ。また会えて嬉しいわ」


 唐突に、終わりを迎えた。






 肌に纏わりつく異様な空気。
 胸の奥をざわつかせる不安感。
 内藤四葉の姿を借りた何者かは、声の主へと振り返る。

「あれ? 四葉、トビは一緒じゃないのね。もしかして、死んでしまったのかしら」

 広大なエントランスホールを背にして、後ろ手を組み悪戯に首を傾げる淑女。
 幼さすら感じられる仕草を前に、四葉は冷や汗が止まらない。
 一度自分を殺しかけた存在──銀鈴との再会は、予想だにしていないイレギュラーであった。

「銀ちゃんじゃん、久しぶり! トビさんはさぁ、はぐれちゃったんだよね。これから探し行くとこ」
「まあ、そうだったのね。一緒に行ってもいいかしら?」
「それ、私も言おうとしてた。銀ちゃんも来てくれたらさぁ、私としては滅茶苦茶嬉しいんだよね」

 こうして言葉を交わせているだけでも、内藤四葉が持ち合わせる本来の狂気を物語る。
 一度出会ったことがあるからか、銀鈴の威圧感を前にしても動揺はない。
 むしろ、内藤四葉としては〝家族〟のことがなければ再戦を申し出たいくらいだ。

「ねえ銀ちゃん、一人?」

 探る。
 家族を危険に晒さない為に、動向を探る。

「ジェイと一緒に居たのだけれど、はぐれてしまったの」
「へえ」

 相手は一人。
 意識はこちらに向いている。
 トビの話を聞く限り、銀鈴はローマンのような強大な超力を持っていない。

「それじゃあ銀ちゃん、寂しいでしょ」

 銀鈴の死角にて、音もなく人影が蠢く。
 鋼の鎧『ラ・イル』が、サリヤの人格を伴って指鉄砲を形作る。
 照準は、銀色の髪に隠れた頭蓋へ。

「私たちの〝家族〟になってよ」

 ぱん、と乾いた銃声が響く。
 放たれる弾丸は的確に対象の脳へと達して。
 あまりにも呆気なく────内藤四葉の残滓は、終わりを告げた。



「私はね、生まれつき記憶力がいいの」


 ゆっくりと、スローモーションのように仰向けに倒れ込む内藤四葉。
 風穴の空いた額から、赤黒い血潮が飛び散る。
 がらりと音を立てて崩れ去る『ラ・イル』は、二度と復元されることはない。

「人間さんの名前、特徴、喋り方、癖、息遣い。愛するためには、全部覚えておきたいでしょう?」

 右手に握られた拳銃の大口が、苦い硝煙と火薬の匂いをのぼらせる。
 張り付けたような不気味な微笑みは消え失せ、ほんの少し不愉快そうに目を細めた。

「あなた、ナイトウじゃないわね」

 ばたりと、四葉擬きが倒れる。
 血溜まりの中で蠢く影は形を変え、特徴のない青年のものへと変わる。
 その様相を、銀鈴は終始無表情で眺めていた。

 銀鈴の知る内藤四葉は、自分の気に当てられても構わず飛び掛かる無邪気な愛らしさを持っていた。
 なのにこの偽物は、〝家族愛〟などというノイズに邪魔されて、抜き身のような闘争心を劣化させている。
 四葉が注意を引き付け、サリヤが奇襲するという、本物の内藤四葉であれば絶対にやらない〝無粋〟を冒した時点で、この結末は決まっていた。

「────っは、……は……? え、えぇ?」

 慌ただしく上体を起こす本条。
 震える両手を交互に見遣り、銀鈴を見上げる。
 粛々と見下ろす銀鈴と目が合って、本条はガチガチと上下の歯をかち鳴らした。

 家族が死んだ。
 内藤四葉が死んだ。

 なのに張り裂けそうな悲しみも、嵐のような激情も、何もかもが消し飛ぶ。
 この世のものとは思えぬ〝闇〟を前にして、圧倒的な恐怖に支配される。


「ねえ、ねえ。変わった超力を持っているのね、あなた。今まで見たことがないわ」

 言葉が出ない。
 喉が詰まり、震えが止まらない。

「さっき、家族って言ってたわよね。ナイトウも家族になったっていうことかな。とても興味深いわ」

 本条清彦が。
 サリヤ・K・レストマンが。
 ──いいや、『我食い』そのものが。

 目の前の死神に、恐怖している。

「知りたいわ、あなた〝たち〟のこと」

 銀鈴の右手が、本条の頬を撫でる。
 限界まで開いた瞳孔は、釘付けになったかのように銀鈴の顔を見据えて。
 突きつけられる銃口に、短い悲鳴を洩らした。

「ねえ、教えて? ──『家族』って、なあに?」

 喰う側、喰われる側。
 世を成り立たせるにあたって、必ず存在する二対の立場。
 頻繁に入れ替わる新世界、ましてや粒揃いの地の底においても。


 銀鈴は常に、前者であった。


【E-5/ブラックペンタゴン1F 南・エントランスホール西側出入口/一日目・午前】
【銀鈴】
[状態]:左腕にダメージ(中)、疲労(大)
[道具]:グロック19(装弾数21/22)、予備弾倉×1、デイパック(手榴弾×2、催涙弾×2、食料一食分)、黒いドレス
[恩赦P]:2pt
[方針]
基本.アビスの超力無効化装置を破壊する。
0.本条から『家族』について聞く。
1.ジェイで遊びながらブラックペンタゴンを探索する。
2.人間を可愛がる。その過程で、いろんな超力を見てみたい。
※今まで自国で殺した人物の名前を全て覚えています。もしかしたら参加者と関わりがある人物も含まれているかもしれません。
※サッズ・マルティンによる拷問を経験しています。
※名簿で受刑者の姓名はすべて確認しています。
※システムAに彼女の超力が使われていることが真実であるとは限りません。また、使われていた場合にも、彼女一人の超力であるとは限りません。

【E-5/ブラックペンタゴン南・エントランスホール西側出入口/一日目・午前】
【本条 清彦】
[状態]:全身にダメージ(中)、恐怖、現在は本条の姿
[道具]:なし
[恩赦P]:18pt
[方針]
基本.群生として生きる。弾が減ったら装填する。
0.銀鈴と話をする。
1.殺人によって足りない4発の人格を装填する。
2.それぞれの人格が抱える望みは可能な限り全員で協力して叶えたい。
3.ブラックペンタゴンで家族を探す。

※現在のシリンダー状況
Chamber1:本条清彦(男性、挙動不審な根暗、超力は影が薄く人の記憶に残りにくい程度。睾丸と肛門にダメージ)
Chamber2:欠番(前2番の山中杏は無銘との戦闘により死亡、超力は口づけで魅了する程度だった)
Chamber3:欠番(前3番の内藤四葉は銀鈴に撃ち抜かれ死亡、超力は鎧を生み出す程度だった)
Chamber4:欠番
Chamber5:サリヤ・K・レストマン(女性、詳細不明、超力は指先から空気銃を撃ち出す程度)
Chamber6:欠番(前6番のスプリング・ローズはは弾丸として撃ち出され消滅、超力は獣化する程度だった)

099.スピリッツ・オブ・ジ・エア 投下順で読む 101.愛にすべてを
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We rise or fall ルクレツィア・ファルネーゼ [[]]
銀鈴 [[]]
狂犬は踊る 本条 清彦
ネイ・ローマン [[]]

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最終更新:2025年07月18日 20:49