◆
空の蒼。海の碧。湖の青。
世界が、鮮明な色彩に染まる。
絵画のような景色が、呆然と広がる。
澄んだ情景の中に、少女達は取り残される。
彷徨い歩く魂は、風景の原色に溶け合えない。
葛藤と動揺に揺れ動く“異物”と化すことしかできない。
罪を背負う少女達は、無我夢中で往く。
前へ。前へ。前へと、進み続ける。
その先にある“終着点”を目指すように。
道筋の果てにある、救いを探るように。
「うみゃあ――――」
少女の腕の中で、幼い子供が泣いている。
脇目も振らず、泣きじゃくっている。
「みゃあ、みゃああ――――」
守りたかった誰かを傷つけてしまった後悔。
満たされることのない飢えと乾きへの恐怖。
「みゃああああ――――」
そんな感情が綯い交ぜになりながら。
幼い子供は、ただ無我夢中で哭き続けている。
「みゃああああ――――っ」
どうしようも出来ず。
どうすればいいのかも分からず。
幼子は、悲しみと恐怖に身を委ねることしかできない。
「みゃあ、みゃあ、みゃああああ――」
「ねえってば、泣かないでよ」
幼い子供――アイを抱える少女は、どうしていいのか分からない。
広々とした大海が見える平野を、ただ歩き続けながら。
腕の中で泣き喚く悲嘆を前にして、困惑することしかできなかった。
「そんなに泣いてたらさ」
困惑と憐憫が、胸の内から込み上げてくる。
だけど、どうやって宥めればいいのかも分からない。
「もっと、疲れちゃうでしょ」
偶像の少女は、戸惑いの中で迷い続ける。
その脳裏で、先ほどの放送が反響し続ける。
死刑を宣告され、未来は閉ざされていた。
救いの道筋となるはずの恩赦を、今なお得られていない。
そんな少女の目の前に、蜘蛛の糸が唐突に垂らされた。
どうすればいいのか。
その答えは、明白であるはずなのに。
彼女の頭は、思考を導き出してくれない。
行動を共にする少女達が、後ろ髪を引いてくるような気がする。
何をやっているんだろう、と。
偶像の少女は自らに戸惑い、自らを嘲って。
それでも青い世界の中で、彼女は歩き続けている。
なけなしの心を握り締めて、ただ進み続けている。
氷月蓮。ギリギリの綱渡りで出し抜いた“危険人物”。
奴の魔の手から逃れて、廃墟からの離脱を果たした筈なのに。
それでも少女の中で、奇妙な胸騒ぎが続いていた。
果たして、本当に決着がついたのか。
「ねえ……叶苗は、大丈夫?」
それから偶像の少女は、振り返った。
すぐ後ろから着いてくる、亜人の少女へと。
亜人の少女――氷藤叶苗は、苦悶を堪え続けていた。
包帯替わりにした囚人服の一部は、既に血が滲んでいる。
止血されている両腕から、赤い雫が微かに漏れ出る。
両腕の負傷。つい先程、取り乱すアイを抑え込もうとして刻まれた痕。
ルーサー・キングの鋼鉄すら打ち砕くアイの怪力は、叶苗の両腕に深い裂傷を与えていた。
腕の肉を抉り取り、骨すらも顔を覗かせたほどの傷。
即席の止血では足りず、更には飲まず食わずでの消耗が伸し掛かっていて。
それはネイティブの少女にとっては、決して無視できない事柄であり――。
「ごめん。日月ちゃん」
叶苗の表情に、余裕はなかった。
仄かな微笑みに、力は篭っていなかった。
「やっぱ、あんま大丈夫じゃなさそうかも」
やがて叶苗は、その場で膝をついた。
偶像の少女は、思わず彼女の名前を呼び。
そのまま叶苗の傍へと、駆け寄っていった。
もう少し、もう少しだけ頑張って、なんとかなるから――。
そんなふうに鼓舞して、まるで友達のように支えて。
宛ても根拠もない励ましを手向けながら、偶像の少女は揺れ動く。
出血は未だに止まらず。
叶苗の雪のような体毛を、じわりと穢していく。
「叶苗、叶苗ってば――――っ」
動揺を抱きながら、少女はただ呼びかけるしか出来ない。
手探りの道筋で立ち止まって、茫然と喉から言葉を吐き出すことしか出来ない。
自分はいったい何をしているんだろうか、と。
そんな困惑に対する答えさえも、浮かんではこない。
――――ちゃんと最後までがんばってよ。
――――ぜんぶ終わったら、好きなだけ謝っていいって。
――――私、あんたと話したじゃない。
偶像の少女、鏡日月。
今の彼女は、もはや仮面の姫君ではない。
ひとかけらの繋がりと、舞台へと返り咲く未来。
ふたつの道の狭間に立つ、ただの少女である。
◆
――――氷月のデジタルウォッチ。
――――小さなランプが、赤く点滅していた。
――――それは“受信の通知”だった。
氷月蓮。彼はジョーカーである。
主催者の意思に沿って動く“尖兵”であり。
特別な任務を遂行する役割を与えられた“駒”だった。
彼には特別製のデジタルウォッチが与えられている。
主催陣営からの連絡を受信する機能が搭載され、有事にはメッセージが送られてくる。
あくまで受信のみ。こちらから自発的にメッセージを送信することはできない。
とはいえ、これまで一度も主催からの伝達が送られてくることもなかったが――。
第二回放送直後。刑務開始から半日を過ぎた頃に、ようやく特別製の機能が日の目を見ることになったのだ。
氷月はデジタルウォッチを操作し、メッセージ機能を展開。
送られてきた内容を、迅速に確認する。
連絡は、ひどく簡潔だった。
送られてきたメッセージは、たった一言。
――――“当初の任務を完遂せよ”。
ただのそれだけ。余りにも率直な文言。
共に送られてきた映像は、三名の受刑者の現在位置。
拡大されたマップ。A-7からA-6の方角へと緩やかに動く点たち。
それが鑑日月たちを示すものであることを、すぐに察した。
まるで今すぐに彼女達を追い込めと促されているような伝達。
それを目の当たりにして、静かに声を零す。
「……やれやれ」
何を求められてるのか。
何を促されているのか。
それを理解したように、氷月は苦笑する。
氷月は日月達への追撃を行わず、次なる任務へと移ろうとしていた。
土壇場の知恵比べで日月に敗北したことは既に認めている。
そして廃墟へと潜伏していた間に、盤面は次の局面へと動き出していた。
故にあくまで自分もその流れへと向かうことを選ぼうとしたのだ。
だが、ヴァイスマンの超力はあらゆる者の思考や指針を見透かす。
どうやら釘を刺されることになったらしい。
この期に及んで試合を放棄するのかと、念を押されているのだ。
禁止エリアの配置からして、ブラックペンタゴン内の受刑者が廃墟へと向かう可能性は少なくない。
そうして移動してきた者達を待ち受ける“狩人”。それが自らの役割だろうと氷月は考えていた。
だが――――それはあくまで“第二プラン”程度のものなのだと察した。
ヴァイスマンが己に望むことは、当初のプランにこそある。
氷月はそれを察した。
現状の刑務における台風の目は、あくまで被験体Oという存在であり。
ブラックペンタゴン内の受刑者達と門番である被験体の激突という展開が、まず念頭に置かれているのだろう。
施設からの脱出を目指す上で被験体との交戦は避けられず、複数の受刑者の脱落は必至。
より極端に言えば――被験体が受刑者を殲滅するか、受刑者が被検体を討つかの二択。
だからこそ受刑者達が施設からの離脱に成功したとすれば、それは被験体の撃破を意味する可能性が高い。
つまり自分が廃墟で受刑者達を待ち構えていたところで、それは単なる残飯処理でしかないのだ。
「人使いが荒いものだな、ヴァイスマン」
結局それは“当初の任務が不発に終わった際のサブプラン”でしかない。
盤面を動かす能力の低い“殺人鬼”に、大それた役割など求められていない。
氷月蓮に求められていることは、あくまで最初から何も変わらないのだ。
「集団への潜伏、そして殺害。
望まれた役目を遂行せずして……」
だからこそ、可能性が残っているのなら途中放棄は認められない。
こうして主催陣営が直々に行動を促してきたのだ。
その意味を理解できぬほど、氷月は愚かではなかった。
「“私”が盤面に残る価値など無いという訳か」
そして、氷月の行動指針は再び切り替わる。
いや――――有るべき形へと、引き戻される。
彼の戦場は、この廃墟の局面にこそある。
彼の求められる役割は、あの集団の中にある。
被験体Oという鉄火場の渦中にいる面々ではなく。
鉄火場の外にいる“逸れ者達”こそが、殺人鬼に用意された主食なのだ。
「君たちとまた生きて会えることを、祈っていたが――――」
何の成果も出せず、剰え消極的な受刑者を三人も取り逃す。
そのような結末が認められるほど、彼の役割は甘くない。
駒の孤立と停滞を招くような黙認を、ゲームマスターは見過ごさない。
「君たちが生きている限り、再び相見えることは避けられないらしい」
再び苦笑を浮かべて、自らの避けられない宿命を悟る。
やがて氷月は、廃墟の情景を背にして歩き出す。
与えられた任務と、腹の底で燻る衝動に突き動かされながら。
彼女達が深刻な状況に陥っていることは、既に推測していた。
半日以上の飲まず食わず。ネイティブ世代ならば相応の影響が出るのは間違いない。
そして中でも幼い少女であるアイからすれば、より死活問題となり得る。
その先で何が起きているのかは、定かではないが――まず彼女達に余裕は無いだろう。
なればこそ、試してみる価値はある。
自らの“殺人”が、何処まで通用するのかを。
日月達には、知る由もなかった。
彼が“ジョーカー”であることを。
主催側のバックアップを受けられる特異存在であることを。
◆
空は、ひどく青かった。
何処までも鮮やかで、飲み込まれそうだった。
まるで自分達を押し潰すのではないか、と。
そんな錯覚を抱いてしまうほどに、色彩は晴れ晴れと広がっていた。
湖に光が反射して、透明な蒼に輝いている。
太陽の輝き。空の色。その両方が投影されて、眩い鏡を作り出している。
監獄の中では決して目にすることの出来ない、麗しい情景だった。
そんな景色を前にして、偶像の少女はただ呆然と座り込むことしか出来ない。
意識は上の空。感慨を抱くほどの余裕など無かった。
――――A-5、湖畔沿いの平原。
忽然と立つ樹木の傍で、三人の少女が腰を休める。
樹木の幹に腰掛けて、日月は湖畔をただ見つめる。
その隣に座り込んで、叶苗は俯いたまま沈黙する。
叶苗に寄り添うように、アイは力なくもたれ掛かっている。
湖畔を沿って移動を続け、B-5から森林付近の平野を抜ける予定だった。
目指す先は港湾だったが、叶苗の予期せぬ負傷が相応に響いていた。
加えて現状を認識し切れていないアイの飢えや乾きも無視できなかった。
これ以上の強行移動は難しいと日月が判断し、休憩を取ることにした。
腰を落ち着かせたことで、叶苗は少しだけ体調が落ち着いた。
乱れていた呼吸も、僅かにでも整い始めていた。
そのことに対し、日月は無意識のうちにひどく安堵していた。
動物への亜人化などを初めとする“常時変身型超力”。
彼らは基礎的な身体能力の増強と引き換えに、エネルギーの代謝が激しいことが多い。
特にネイティブ世代の亜人系能力者は、通常のネイティブよりも更に燃費が悪いとされる。
ウサギ型の亜人であるセレナ・ラグルスのように、低カロリーの飲食で体力を賄える者ならまだしも。
高い基礎代謝を持つ肉食獣をベースとしている叶苗は、活動のためにより多くのエネルギーを必要とする。
第二回放送を迎えるまでの6時間、廃墟でじっと身を落ち着かせていた為に大きな影響はなかったが――。
アイの行動による不意の負傷と出血によって、飲まず食わすだった叶苗の消耗が顕在化することとなった。
手負いの叶苗と、乾きに苦しむアイ。
この半日間、日月も含めて誰もが飲食にありつけていない。
ひたすら一箇所に留まり、ただ現状をじっとやり過ごすだけならまだしも。
出血を続ける負傷者と現状認識に乏しい幼子を率いての移動となれば、話は変わってくる。
不安定な状況下における補給無しの行軍は、ネイティブ世代にとっては死活問題となりうる。
それこそジャンヌ・ストラスブールのように、気力ひとつで突き進める者でもない限りは。
そうして日月は、現状を俯瞰する。
自らの置かれた状況を、沈黙の中で認識する。
会場内で水場として利用できそうなのは、南部の小さな湖。
しかし北東部にあたる現在地からの移動は大きなリスクに繋がる。
単純に距離が遠い為に、途中でアイや叶苗が力尽きる可能性の方が高い。
禁止エリアの配置からして、ブラックペンタゴンから離脱した者達と接触する危険も大きい。
ジャンヌとの合流は、もはや賭けに等しい。
ルーサー・キングも彼女も脱落していない以上、どのような状況なのかも分からない。
港湾での衝突は発生したのか。そもそも両者はまだ接触していないのか。
既に交戦を経ていたとして、何故どちらも命を落としていないのか。
ジャンヌは今どこで、どのように動いているのか。
6時間以上も廃墟に留まり続けていた日月には、ジャンヌを取り巻く状況を読み取ることができない。
ましてやジャンヌが今も港湾付近に留まっているのかさえ定かではない。
それでも今の自分達が頼れるのは、最早ジャンヌしかいないのだ。
例え可能性さえも不明瞭であったとしても、縋れる藁は彼女しかいない。
だからこそ、ジャンヌとの合流に賭けるしかなかった。
そう、賭けるしかなかった。
だが――大きな懸念があった。
日月は、気付かない筈が無かった。
果たして“あの男”が、このまま引き下がるのか。
ひたすら潜伏に徹し続けた“あの男”が、これで終わるのか。
湖畔沿いを迂回して移動するルートは、地形からして道筋が絞られる。
つまりは待ち伏せや奇襲を仕掛けるには打ってつけなのだ。
廃墟で自分達を取り逃した“あの男”にとって、これが最後の機会となりうる。
このタイミングを見過ごせば、奴は自分達を今後こそ取り逃すことになる。
こちらの数の利を警戒して、素直に諦めていれば話は別だが――。
飲まず食わずで居たネイティブ三人の限界を、“あの男”が察しているとしたら。
現状認識すらままならないアイが“我慢の限界”に陥ることを見抜いているとしたら。
自分達の疲弊と混乱を見越して、奴がこちらに危害を加える“最後のチャンス”を狙うとしたら。
そしてリスクと目的を天秤に掛けたうえで、それでも奴が目的を選ぶのなら。
――――氷月蓮は、これから“仕掛けてくる”。
その可能性に行き当たった直後。
日月は視線を動かして、アイを見た。
泣きじゃくった疲れと乾きへの苦しみから、叶苗の傍で目を閉じてぐったりと横たわっている。
続けて、樹木の根元に腰掛ける叶苗を見た。
赤い染みが広がる両腕をだらりと垂らしたまま、少しでも消耗を抑えるように動きを止めていた。
「叶苗。ねえ」
日月は、叶苗へと呼びかけた。
声を聞いて、叶苗が微かに目を開く。
「大丈夫なの」
日月の問いかけに対し。
叶苗はこくりと、僅かながらも頷いた。
「……叶苗」
心配を掛けないためにか、力ない笑みを貼り付けている。
けれどその所作が、却って傷ましさを際立たせていた。
そんな叶苗の姿を、遣る瀬ない表情で見つめてから。
「アイは、大丈夫?」
今度は、アイへと呼びかけた。
返事はなく、うわ言のような唸り声が聞こえるばかり。
疲弊ゆえか、既に半眠半覚のような状態だった。
そんな二人の有りようを見て。
日月は、諦めを抱くように苦笑いをする。
叶苗の感覚はおろか、アイの腕力を頼ることもできない。
「……やれやれ、ね」
――今すぐにここから離れた方がいい。
日月はそう伝えたかった。しかし今は足を止めるしかなかった。
下手に動けば叶苗の傷口が更に開くし、その状態では消耗も増す。
それに加えて乾きに苦しむアイを抱えたままの移動となれば、大きなリスクに繋がる。
戦力として安定しない日月が、両者を守りながら行動することになるのだ。
本来ならば、それでも今はジャンヌとの合流に賭けるべきだったが。
湖畔付近から移動を行うだけでも、危険が伴う可能性が高い。
――氷月蓮が待ち伏せているかもしれない。
その懸念が、日月を足止めさせる。
今の叶苗とアイを連れて強引に移動し、その先に氷月が待ち受けていたとすれば。
最低でも二人のどちらかは確実に殺される。あるいは、全滅も有り得るかもしれない。
だったら、どうする。
日月の中で、既にひとつの答えが浮かんでいた。
「ほんと、損な役」
この場で一番消耗が小さく、幾らか自由が効くのは自分しかいない。
他の二人と同様に少なからず飢えと乾きはあるものの、まだ気力で動くことは出来る。
「ジャンヌの頼みなんて、聞くんじゃなかった」
だからこそ、自嘲するように呟いていた。
面倒事に呆れながらも、どこか満更でもなさそうに。
自分の性根を悟るかのように、微かに笑っていた。
やがて日月は、スッとその場から立ち上がった。
そして、安静にする二人へと呼びかける。
ごめん、少し様子見てくる――――と。
「――――ちゃんと戻るから。待ってて」
取り繕うように、日月は微笑みを作っていたが。
それが上手く出来ていたのかは、彼女自身にも分からなかった。
「……日月、ちゃん」
叶苗は、静かに日月を見上げて。
ほんの少しだけ、悲しそうな目を向けて。
それから日月と同じように、弱々しく微笑んでいた。
そんな叶苗から目を逸らすように。
日月は、背を向けて歩き出した。
日月の胸の内で、数々の感情が込み上げていた。
叶苗達と過ごしていた短い時間が、綯い交ぜになって蘇っていた。
心をざわめかせるような鼓動を抱いて、唇をきゅっと噛み締めた。
向かう先は、隣接するB-5方面。
この湖畔沿いにおける唯一の出入り口。
仮に本当に、奴が追撃に来るのならば。
その方面で待ち受けている可能性が高い。
鑑日月は、腹を括って歩き続ける。
――――私は一体、何を考えているのだろう。
――――さっさと二人を置いて逃げればいいのに。
日月は、自分を省みていた。
無駄なことでしかない。無意味なことでしかない。
叶苗とアイを捨て置いて、さっさと逃げればいいだけのこと。
二人のことを気にせず、この場からの離脱に徹するのなら。
本当に氷月が追撃に来たとしても、逃れられる可能性は十分にある。
被験体Oのポイントのことも考えれば、尚のこと動かねばならないはず。
重荷を背負っているからこそ、日月は身動きを封じられている。
叶苗とアイを含めた離脱を前提としているからこそ、相手に付け入る隙を与えている。
それでも、日月には――。
そうすることしか出来なかった。
二人の前で、日月は悪女でも偶像でもない。
ただの一人の少女でしかなった。
仮面の下の素顔を曝け出してしまったから。
もう日月は、偽ることなど出来なかった。
ふぅ、と深呼吸をした。
疲弊と葛藤。動揺と覚悟。
あべこべになる感情を、無理矢理に抱きしめて。
鑑日月は、自らの意識を整える。
もしも、その時が来たのならば。
もしも、懸念が現実となったならば。
もしも、本当に待ち受けているのならば。
その時は、やるしかない。腹を括るしかない。
氷月蓮を殺さねば、きっとこの場を切り抜けられない。
進みゆく中で、日月は景色を見た。
――空も、湖も、深い青色に染まっていた。
その光景が、酷くおぞましく見えて。
そして何故だか、酷く美しく感じた。
「やってやる」
飲み込まれそうになる色彩を背負いながら。
鏡日月は、きっと言葉を吐き出した。
◆
C-6、湖畔へと向かう川沿い。
足早に移動をしながら、氷月は思考を重ねる。
――――殺人のための最適な手順を導き出す異能。
――――文字通り、人を殺すという行為に特化した力。
氷月 蓮が超力を行使するのは、この刑務が初めてとなる。
故にその特性や欠点もまた、手探りで理解していくことになる。
ひとつ。あくまで殺人の道筋を示すのみであり、他者の妨害などの不確定要素を完璧に防ぐことはできない。
言わば一対一の闇討ちや暗殺こそが本領。多人数の入り乱れる場において、殺人の成立は保障されない。
第2回放送までの6時間において、こちらの暗躍に感づいた日月の行動が“叶苗たちを殺害するための導線”を何度か断ち切っていたのだ。
ふたつ。この超力が提示する道標は直接的な殺人のみならず、第三者を介した間接的殺人も含む。
例えばAの暴走を引き起こして、Bを結果的に死へと追いやる――他者の行動に巻き込ませる形での殺害計画をも導き出せる。
尤も“他者の妨害などの不確定要素”によって導線が断ち切られる余地がある以上、過信はできない。
みっつ。この超力は、言ってしまえば弱小の異能ということだ。
何か念動力を発揮する訳でもなければ、現象や時空間に干渉するような超常性も持ち得ない。
使用者の力量や手際に左右されるうえ、殺害そのものも決して確約される訳ではない。
そのうえ第三者の介在によって、幾らでも可能性が変動する余地がある。
刑務開始から今に至るまで、氷月は自らの超力についての考察や理解を重ねていた。
未だ実行には移せてはいないものの、システムAからの解放を皮切りにして徐々に異能の性質を読み取っていった。
決して強力ではない。数多の欠点や制約を抱えた、ひどくピーキーな異能。
それが『殺人の資格(マーダー・ライセンス)』に下した、氷月の評価だった。
しかし氷月は、それでも構わなかった。
何故ならば、これは紛れもなく“己の力”だったからだ。
生まれながらに背負い、誰にも理解されなかった欠落。
生まれながらに背負い、誰にも理解されなかった衝動。
実の親からも否定され、憐憫の眼差しで向けられた尊厳。
孤独への哀れみなど、求めていない。
ただ氷月は、あるがままの自分を見つめていた。
屈折と憎悪が、今もなお胸の内で渦巻いていた。
だからこそ氷月は、己の超力を受け入れていた
――――“背徳”を何処までも肯定する力。
――――自らの悪性に、何処までも殉じられる力。
間違いなく、己に相応しい力だった。
型に嵌められ、哀憫に押し込まれ、苦悶の中で足掻いていた。
そんな自分にとって、あるがままの自分自身を解き放つことが出来る。
下らない“幸福”も“憐憫”も、血に染めることが出来る。
だからこそ、なのか。
氷月の中で、かつての憎しみが再び顔を擡げていた。
誰もが幸せを望む、赦しを求める――。
氷藤叶苗の言葉が、今なお脳内で反響を繰り返す。
先の放送直前と同じように、殺意が滾り続けている。
思わぬ形で、再び場は整えられた。
アビスからの指示によって、最後の機会が与えられた。
即ち、日月達を仕留めるチャンス。
生ぬるい絆に腑抜けて、希望とやらを語る、少女達へと終止符を打つ。
6時間の潜伏を経て、何の成果も挙げられていないのだ。
氷月はあくまでその敗北を認めて、次へと繋げるつもりだったが――。
この刑務を監視する看守側は、その結果に満足はしなかった。
彼女達を踏み躙らねば、舞台へと上がる資格すら与えられない。
そう告げられたも同然だった。
氷月はそのことに苦笑しつつも、改めて殺意を研ぎ澄ませる。
――――ならば、受けて立とう。
この飢えを満たすためにも、動くとしよう。
どのみち彼女達の結末は見届けたかったのだ。
自らの手で確かめるのが、道理なのだろう。
「さて」
氷月蓮は、微かな笑みを浮かべる。
ひどく冷徹で、獰猛な微笑みを作る。
「やるか」
果てなき空が、彼の宣言を見届ける。
ぞっとするほどに深く、鮮やかな蒼色だった。
◆
【C-6/川沿いの平原/一日目・日中】
【氷月 蓮】
[状態]:健康、憎悪の感情、強い殺意
[道具]:Tシャツ、ナイフ3本、フォーク3本、遠隔起爆用リモコン、デジタルウォッチ、空の金属缶(容積は500mlほど)、ロープ(使い古し)
[恩赦P]:0pt(残り特権150pt?)
[方針]
基本.恩赦Pを獲得して、外に出る
0.B-5へと移動。鑑日月たちを殺す。
1.ジョーカーとして、ミッションを達成する。
2.集団の中で殺人を行う。
3.被験体:Oに対抗する為の集団を探し、潜り込む。
※ジョーカーの役割を引き受けました。
恩赦ポイントとは別枠のポイント(通称特権ポイント)を200pt分使用可能です。
また、以下の指令を受けています。
① 刑務作業に消極的なグループに紛れ込み、6時間以上過ごす。(達成済)
② 刑期に関係なく最低でも3人以上の参加者の殺害。
※特権ポイントで他にも何か確保しているかもしれません。
【A-5/湖畔の近く(東部)/一日目・日中】
【鑑 日月】
[状態]:肉体の各所に火傷、深い屈折、葛藤、飢えと乾き(小)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.アビスからの出獄を目指す。手段は問わない
0.答えを探す。
1.氷月蓮が来るのなら、此処で殺す。
2.ジャンヌと合流する、もしくは水を探す。
3.ルーサー・キングとの接触は可能な限り避ける。
4.ジャンヌに対する葛藤と嫉妬を抱えつつ、彼女の望み通りに叶苗とアイを保護する。
5.ジャンヌ・ストラスブールには負けたくない。彼女を超えて、自分が真の偶像(アイドル)であることを証明したい。
【アイ】
[状態]:疲れによる睡眠、心身消耗(中)、全身にダメージ(小)、飢え(小)、渇き(中)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.故郷のジャングルに帰りたい。
0. (おみず、のみたい。おなかもすいてきた)
1.(かなえ、ごめんなさい……)
2.(ひづきはさびしそう)
3.(あいつ(ルーサー・キング)は、すごくこわい)
4.(ここはどこだろう?)
5.(あれ? れんは?)
【氷藤 叶苗】
[状態]:多量の出血と飢えによる消耗、胴体にダメージ(中)、身体の各所に痣、両腕に裂傷(中)、罪悪感
[道具]:シャツ、鋼鉄製の手甲(ルーサーから与えられた武器)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.寂しさを持つ人に寄り添いたい。
1.アイちゃんを助けたい。
2.日月ちゃんの悩みを受け入れたい。
3.ごめんなさい、氷月さん。
4.アイちゃんに水をあげないと……
※ルーサー・キングから依頼を受けました。
①ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、恵波流都、エンダ・Y・カクレヤマ。
以上5名とその他の“目ぼしい受刑者”を対象に、最低3名の殺害。
②1人につき15万ユーロの報酬。4名以上の殺害でも成果に応じて追加報酬を与える。協力者を作って折半や譲渡を約束しても構わない。
③遂行の確認は恩赦ポイントの回収履歴、および首輪現物の確認で行う。
④第2回放送直後、B-2の港湾で合流して途中経過や意思の確認を行う。
⑤依頼達成の際には恩赦後のアイの安全と帰還を保障する。
最終更新:2025年09月28日 00:47