2020年。
折しも、世界が未知のウイルスに恐れ慄いているその裏で。
人類種そのものの存亡を脅かす、より根源的な、宇宙的な災厄が、音もなく忍び寄っていた。
あるいは、あの全世界を巻き込んだパンデミックすら、真の破滅の予兆にすぎなかったのかもしれないが。
各国の当時の指導者たちは、その事実を各々の独自の情報網にて掴んでいた。
たった16光年先で起きた超新星爆発。
地球に襲い掛かるガンマ線バースト。
地球環境の激変、そして文明の崩壊。
それはあまりに非現実的。
それはあまりに荒唐無稽。
頭を抱える者。
おとぎ話だと一笑に付す者。
そして、今こそ我が国が世界に覇を唱える好機であると野望を露わにする者。
世界各国の指導者たちは国力と野心に応じて様々な顔を見せたが。
世界の多くを占める中小国は、おしなべて国力も人材も決定的に不足していた。
来たる破滅にどう抗うか、暗中模索するしかなかった。
その過程で精神を病み、病に臥せった指導者も一人や二人ではなかった。
東欧の南端。
グランリード治世下、旧ハルトナ王国も例外ではなかった。
2020年とは、ヤマオリという言葉が歴史の表に現れるよりさらに過去。
各国が各国独自のZ計画を秘匿して推進していた時代。
10年後の文明崩壊の危機は、たとえ王族に対してもおいそれと語られるべきではなく。
だが、迫る戴冠の儀は、そんな事情を考慮などしてくれない。
セルヴァインの強硬路線は国民の支持こそ厚かったものの、周辺国からは当然疎まれていた。
グランゼルの協調路線は国民受けこそいまいちだったが、周辺国を含んだ地域の安定を目指すならば確かな理があった。
世界崩壊が迫る中、グランリードが願ったのは地域一丸となっての世界の危機への対処であった。
セルヴァインの気質が『統治者に不向き』であるという表向きの理由を掲げ。
王室と関係の深い国家中枢のごく一部の幹部――ハルトナ王国のZ計画推進チームにのみ真意を伝え。
そうして、グランリードは選択を誤ったのだ。
グランリードだけではない。
王冠の重さと共に人類存亡の危機を知らされたグランゼルも。
なまじ優秀であったが故に、グランゼルが動き出す前にクーデターを起こせてしまったセルヴァインも。
皆、選択を間違えたのだ。
このような出来事は、何も珍しいことではなかった。
■
この世界は間違っている。
表面的には繁栄を謳歌しているように見えても、ほんの些細な選択ミスで命は容易く失われる。
僅かなすれ違いが致命的な断裂を生む。
それは、現代にいたるまで変わらない。
それどころか、命の価値はますます軽くなっている。
"王の子供たち"が大通りを闊歩する欧州や、乱世と化した中国はもちろんのこと。
比較的平和な日本においても、惨劇は枚挙に暇がない。
渋谷スクランブル交差点の惨劇。横須賀ドームライヴの惨劇。光の豊島事件。
ただ歩いているだけで。
ただ愉しんでいるだけで。
ただ暮らしているだけで。
闇の中から現れた理不尽が人々に牙をむく。
■§■
七年前のその日も、一つの小さな田舎町が死地と化した。
とある町で起きた、とある大災害。
惨劇は新聞に載り、ニュースとなって民衆を震え上がらせる。
だが、あり得ない話ではない。
むしろ、よくある話だ。
世界はあらゆる形で民衆に牙をむく。
カルト宗教や犯罪組織、自警団崩れの連中、開闢後に現れた凶暴な野生動物、あるいは純粋なる開闢後世界の自然災害。
惨劇を引き起こす要因などいくらでもある。
ただ、この件については特筆すべき点が一つだけある。
瓦礫と化した町で、たった一人の生き残りが見つかったのだ。
彼女が見つかったのは、瓦礫と化した小学校の校舎だった。
将来の夢を語り合う特別活動の授業中に悲劇は起き、未来に想いを馳せていた子供たちから未来は奪われた。
そして彼女は死体となった子供たちに囲まれ、震えていた。
八歳程度の女の子だった。
血のように赤い瞳が印象的なかわいらしい少女だった。
身体中が血だらけで、しかし傷は一切なく、千切れた布一枚で身体を覆い隠していた。
あまりにショックだったのか、記憶は混濁し、名前すら定かではなかった。
だが、救助隊は彼女に必死に声をかけ、手を差し伸べた。
人を少し勇気づけるだけの超力しか持たない、ただただか弱く手を伸ばすだけの小さな子供。
それが、滅びた町の唯一の生存者であった。
そして後から判明したことだが、その少女は、学校にも、その町にも、戸籍にも存在しない少女であった。
■
唯一の生存者である少女。
誰しもが死に絶えるほどの災害で、どうして少女だけが生き残ったのか。
何も難しい話ではない。
生き残りなど、一人もいなかった。
少女は、町の生き残りではない。
町が滅びた後に生まれたのだ。
アビスの秘匿受刑囚の中に、イシュルーンという個体がいる。
種族は不明。
人の姿をしているが、10年前、20人の死刑囚の遺体の山から生まれた、新しい生命だ。
彼女は元の記憶を不確かに受け継ぎ、誰の人格でもない新たな人格を携えていた。
『異能人格論』――超力そのものに意思が存在するのではないかという、魂の実在が未証明であった超力社会黎明期の学説――
その発端でもあるイシュルーンのケースは、『あり得ない』がまかり通る現代においても例外中の例外であろう。
あるいは、直近の例ではエンダ・Y・カクレヤマも近しい例かもしれない。
死に至る傷を別の魂が埋め、肉体が復活した特殊個体である。
近年、魂の実在によって科学的な説明が可能となったこれらの事例は、現代において少ないながらも確認されている。
――生まれてきてくれてありがとう。
そんな、赤ん坊を包み込む祝福の言葉すら知らない彼女は。
――つらかったろう。だけど、もう大丈夫だ、よくがんばった。
救助隊の人々から温かな言葉を差し伸べられ、零れ落ちる大粒の涙と共に産声をあげたのだ。
特殊個体『Reincarnation』
大災の犠牲者たちの肉体と魂から生まれた、新しい生命。
魂たちのリンカネーション。
彼女は丁重に保護され、りんかと名付けられた。
人類をさらなる発展に導く可能性を見出されたのだ。
その可能性とは、特殊事例『ノーブル』を生み出す可能性であった。
オールドでもネイティブでもネクストでもない例外。
前例はただ一人。
複数の魂の善意によって、死から蘇った女から生み落とされた個体、ただ一人。
りんかのケースではどうだろうか。
人の肉体と魂によって構成された存在。
ここから、第二のノーブルは生まれるのか。
葉月りんかは広義的な意味での被験体であった。
研究員たちは、きわめて人道的に彼女を観察した。
ノーブル誕生の先例が、平和な家庭であったということもあるが、
シエンシアの非道な実験の末路を他山の石としたということも多分にあるのだろう。
大災害の町に縁ある一人の学者は事情を承知の上で彼女を引き取り、我が子のように愛情を注いだ。
夫も娘も、りんかを本当の家族の一員として迎え入れた。
呪われたような状況で生まれ落ちた彼女は、まずはじめに人々の曇りなき善意を"すりこみ"のようにインプットした。
そして、愛し愛される父母ときょうだいを得た。
生まれに拘らず、彼女は確かに世界に祝福されたのだ。
■
――ねえお父さん。私はよその子なの?
――誰がそんなことを言っていたんだ、りんか?
――クラスの友達がね、りんかは外から来たよその子だって。
――ふぅむ。
――それでさ、聞きたいんだけど……私、本当の家族じゃ、ないの?
――わぁ~はっはっは!! 何を言ってるんだ、りんかは!
――でも、家族っていうのは血が繋がっているものなんだって……。
――確かにな、血は繋がってない。だがな――お父さんやお母さん、お姉ちゃんとりんかは、魂の絆で結ばれてるんだよ。血なんかより、ずっと強い絆だよ。
――魂の、絆?
――そうだ。いいか、テレビの中のヒーローを見てみろ。
――彼らは心の中に正義の炎……ヒーロースピリットを持ってる。だから、ヒーローになれるんだ。それは血で受け継ぐもんじゃない。心で、魂で受け継ぐもんなんだ。
――ヒーロースピリット……。
――正義を愛する心、弱い者を守る勇気、悪に立ち向かう強さ。りんかはどれも持ってるだろ?
――うん。
――お父さんと同じだ。魂でつながっているのさ。
――うん!
――だから、りんかは紛れもないお父さんの娘だよ。お母さんやお姉ちゃんの家族だよ。
――うん!!
――二人で何の話してんの~?
――あっ、お姉ちゃん怪人発見! やっつけろー!
――え? ちょっと……。また~?
――しゃいにんぐぅーぱーんち!
――あらあらへなちょこパンチ。 ……ふっふっふ、どうしたヒーロー? その程度のパワーで私に勝てると思っているのかな?
――パンチが効かない~~……!
――はっはっは、そりゃそうだ。いいかりんか、パンチってのはこう撃つんだ。
――おお、お父さんすごい! 本物のパンチだ、パンチ!
――そりゃあ、お父さんはいつも悪いヤツらをこうやって懲らしめてるからな。
――私もやる~!
――おう、やってみろ! 腰を入れて、体重を乗せるんだぞ!
――シャイニング……パンチ!
――ぐげっ……。
――!?
――あんたたち何やってんのよ!!
――いや、これはその……。
――うう……りんかぁ……。
――言い訳無用! 二人とも正座!
――はい……。
――ごめんなさい。
■
この世界は間違っている。
大人たちはそのように言う。
けれど、それがなんだというのだろう。
りんかはこの世界が好きだ。
救助隊の人々。迎え入れてくれた家族たち。りんかを助け出してくれたアヴェンジャーズの英雄たち。義肢を送った慈善団体の人々。
どうしようもないはずの世界で、ただ一人のために尽力してくれる人々に出会えたこの世界が好きなのだ。
この世界がよくなるなら、礎になることも厭わない。
彼らの温かさに触れたから、輝かしさを先に知ったから。
地獄のような日々を経ても、救うことを諦めずにいられる。
彼女は世界に報い続ける。
■§■
戦場に慟哭が響き渡る。
"妹"の死を前に、魂が引き裂かれるような悲鳴を少女はあげる。
存在の根源から、魂の最深部から、絞り出される叫びであった。
それは隙である。
戦場において、仲間の死を嘆き悲しむということ。
敵を目の前に、己の無防備をさらけだす、戦士としてもヒーローとしても許されざる行為である。
バルタザールの脳裏に、"兵士バルタザール"の声が響く。
隙を晒している女を今すぐ叩き潰せ、骸に変えて100ポイントの報酬をもぎ取れ、と囁いてくる。
だが、その鎖が鳴ることはなかった。
"王子セルヴァイン"は、彫像のように、その悲劇を瞳に映すままであった。
その沈黙は、いささか不可解な言動であろう。
間に立つジャンヌが、僅かに困惑の色を映している。
それを察したように、静かに"王子セルヴァイン"の声が響く。
「"きょうだい"の死を悼む姉を襲う。
私は、そんな恥知らずではない」
酷使した脳を、少しでも休ませているのだという言い訳は立つだろう。
別れを決して邪魔させぬと、ジャンヌが気を張っていることもあるだろう。
だが、そのようなことは些事に過ぎない。
"王子セルヴァインが"、離別の儀に横槍を入れる卑劣をまかりならんと戒めているのだ。
15年前に起きた第二次ハルトナ王国クーデター。
封じられたことで逆に摩耗を免れたその記憶は、今日の出来事のように鮮明だ。
裏切者のはずなのに、逃げることなく玉座の間で兄を出迎えたグランゼル。
その目は穏やかで、広い海のようであった。
弟の亡骸を前に、復讐を果たしたあの時、あの場所。
心のどこかで何かが崩れた気がした。
感慨に浸るどころか、言い知れない不快感に苛まれ、弟の亡骸から目を背けるように膝を付いた。
それは超力の過出力による発作とされているが、本当のところはどうなのか分からなかった。
いずれにせよ、もう一度己の感情に向き合う前に、セルヴァインは捕らわれて記憶を封じられた。
臆病で獰猛な目を持っていた少女。海のように穏やかな目を持っている少女。
この場で立つ者と横たわる者、ちょうど逆ではあるけれど。
あの日のフラストレーションを、この場で新たに作り出したいとは思わなかったのだ。
故に王子セルヴァインは、猶予を与える。
たとえすぐに後を追わせることになろうとも、その感情に向き合えるだけの時間を与える。
紗奈という誇り高き少女への褒美として、餞別として、慈悲として、遺された二人にそれらを授受したのだ。
■
紗奈の死に顔は勝気で、ニヒルに笑っていた。
四肢は無惨に潰され、大地に赤い血の花が咲き乱れている。
にも関わらず、その表情には一切の恐怖も絶望もない。
りんかの目から涙が溢れ出す。
心の雫が無事な眼から滴り落ちる。
それは別れを嘆き悲しむ涙であるが――それだけではない。
理解してしまったのだ。
果てしなきヒーローロードを彗星のように駆け抜け、燃え尽きていった紗奈の到達点。
世界を憎み、諦めていた少女の終着点は、凱歌を歌い凱旋した誇り高き戦士の死に顔であった。
りんかのもたらす希望は、決して人間を破滅に追いやるだけのものじゃない――それを紗奈は証明した。
絶望があふれ出し、りんかの心を覆い尽くそうとする。
このままあふれ出る絶望に身を任せ、すべて諦めてしまえば、どれほど楽なことだろう。
けれど、紗奈は確かに美しかった。
彼女の輝かしい生き様に手向ける感情が絶望だなんて、どうしても許せなかった。
だから、涙が止まらない。
悲しみと嘆きに、感謝と決意が入り混じって、雫となってあふれ出る。
自責に苛まれるりんかの心を、その生き様は確かに救ったのだ。
りんかは顔をあげる。
バルタザール・デリージュ。
紗奈を殺した相手が目の前にいる。
復讐相手なら目の前にいる――だが、りんかの心はざわつかない。
「りんかさん」
ジャンヌが問いかける。
仇を討つのか。退くのか。ポイントを得るのか。
お前は一体どうするのだと。
ジャンヌもバルタザールも、りんかの答えを待っている。
「ジャンヌさん。私は本当に悪い人間だと思います」
りんかの声が震える。
問いの答えは決まっているのに、その重さに震えている。
「紗奈ちゃんは命を投げ打ってまで、私に生きろと訴えかけてくれた」
希望をつなぎ、自分は礎となって命を終える道筋――それは、すべて光のリボンによって封鎖された。
他ならぬ、紗奈自身がその道を歩み、墓標となることで。
未来、身を呈して他者を救おうとしたとき、りんかは今の光景を思い浮かべるだろう。
紗奈の躯を、誇り高き笑みを、脳裏に呼び起こすだろう。
彼女の亡霊は、身の破滅へと向かう彼女をその笑顔で拘束し、温かな鎖で縛り付けるだろう。
「なのに私は……。
救うことを諦めたくないと思っている」
ぐっと手を握る。
力が込もり、拳が震える。
ジャンヌの目がわずかに細まる。
"洗脳派遣兵士シャイニングホープ”は、アビスの底で誰かを救い、その赦罪を以て命を終えなければならない――
そんな古い呪縛は紗奈によって引きちぎられた。
世界から確かに祝福を受け取った少女は、その続きを紡いで生を全うしなければならない――
そんな新たな呪縛が課せられたのだ。
けれども。それでも。
赦しのためじゃない。罪滅ぼしのためでもない。
りんかという存在が、魂の底から、救済の道を望んでいる。
りんかはアビスに放り込まれた悪である。
アビスの悪党は我欲を抑えることができない。
妹分が命をかけて説得してさえも、その命を自分のためだけに使うことに耐えられない。
その切り口で、葉月りんかは紛れもない悪である。
「では、命を使い潰すことを厭わず、苦難に満ちた救済の道を辿ると?」
ジャンヌが鋭く問う。
対して、りんかはふるふると首を振った。
「紗奈ちゃんは、言いました。
私は生きてアビスから出て、平和に退屈にあくびしながら過ごすのだと。
かけがえのない友人たちに囲まれて、平和を享受するのだと」
自分の命と引き換えるのでなく、ただ逃げるのでもない――それでいてこの未来を掴む。
りんかの脳裏に浮かぶのは、最も過酷な道のりだ。
「それなら、もう答えは決まってる。
救って、救って、救い尽くした先。もう救える人がいなくなった平和な世界で、穏やかに生を全うする。
私が選べる道は、それしかないです」
それは、達成できるかどうかも分からない、ハッピーエンドな夢物語。
それは、フィクションでしか起きえない、大円団。
だが、ジャンヌの険しい表情が、ふと緩む。
「傲慢ですね」
「はい」
「壮大で、果てしない」
「はい」
「アビス(地獄)の手に余るほどの我欲です」
「けれど、私が私であり続けられる道はこれしかない」
ジャンヌがふっと息を吐く。
救済を諦めるどころか、さらに覚悟が固まってしまった。
だが、りんかから強迫的な使命感がもう感じられない。
りんかからジャンヌに向かって伸びていた過剰な期待と焦燥は、もうどこにもない。
「紗奈さんは、自分は地獄に行くと言っていましたが」
ジャンヌの掌に金色の炎が灯る。
それは、道を踏み外した狂信者を来世に導いた審判の炎だ。
「貴女たちは、天国で再会するべきだ」
りんかは涙をぬぐい、うなずく。
紗奈の肉体が、金色の炎に包まれて光へと還っていく。
その灰は、ジャンヌに、そしてりんかに別れを告げるように、光の帯となり宙を舞う。
夕日の赤を背景に、金の帯が天へと昇り、星のように煌めいた。
■§■
「お待たせしました」
葬送の儀は厳かに執り行われ、光の帯は夕焼けに溶けた。
紗奈の存在はあまねく天へと上り、もうこの世のどこにもない。
そして舞台は戦場に戻る。
りんかの声に答えるように、じゃらりと鎖が鳴る。
筋骨隆々の巨体。
剥がれ落ちた鉄仮面。
手足に繋がれた金属塊。
滲み出んばかりの暴力性。
囚人というより、"死刑執行人"。
そんな形容が似つかわしい怪物が、口を開く。
「大層な決意だった」
鎖がゆっくりと動く。
「だが……その夢は決して叶わぬ」
言葉と共に、鎖の一本がジャンヌへ向けて弧を描く。
ジャンヌは炎の翼で払う――牽制だ。
「それは、あなたの手により、我々の未来が断ち切られるから、という意味ですか?」
「否」
バルタザールの鎖が再び張り巡らされる。今度は網のように。
紗奈と二人を分断した、鉄籠である。
「この世界を構成する民衆こそが、最も腐り切っているからだ」
憎しみの言葉と共に、鉄籠が二人を分断しようと落ちてくる。
対してジャンヌは炎の翼を広げ、巻き起こした上昇気流で鎖をわずかに宙に留める。
隙間を縫うようにして、領域を抜けていく。
「救って、救い尽くした先の平和な世界だと?」
バルタザールは嘲笑う。
りんかの語る未来が潰えることに確信を持っているのだ。
「馬鹿馬鹿しい。この腐り果てた世界に、そんなものは永遠に訪れぬ」
犯罪組織でなく、GPAでなく――
救済の対象たる民衆こそ、最も救う価値がないのだと、彼はその身で体験している。
「かつては、弱き民衆を導くことこそが王道だと定めてきた」
バルタザールが拳を握る。
鎖がその動きに呼応し、激しく蠢く。
次の攻撃の形を作り始める。
「弟は――」
言葉が詰まる。
最期に見た、大海のような目が脳裏に過ぎる。
バルタザールはその記憶を憎悪で塗りつぶす。
"兵士バルタザール"が思い描く、非情な人体実験を繰り返す王の姿。
"王子セルヴァイン"が受けた、施しに等しい獄中での便宜という恥辱。
怒りを呼び起こし、ノイズを鎮める。
「卑劣なやり方で王位を簒奪し、王道を投げ捨て、思うがままに振る舞い、私を侮辱し続けた」
鎖が二人へ襲いかかる。
りんかは拳で、ジャンヌは炎で払う。
だが、攻撃は止まらない。次々と、まるで憎悪の荒波が形を成したかのように。
「だから、私はこの手でヤツを討った。
ヤツの血族にも、恥辱を贖わせたのだ」
りんかとジャンヌは後退を余儀なくされる。
攻撃の勢いが、明らかに変わった。
「だが、一族を討ち果たした私を……」
ふと、鎖の動きが止まる。
だが、それは嵐の前の静けさだ。
「ハルトナの逆臣どもは、用済みの駒として捨てた!
記憶を奪われ、このザマだ!」
その言葉と同時、鎖が撃ち出される。
吹き飛ばされた網に擬態して紛れ込んでいた、本命の一本。それはジャンヌの心臓へ――
「危ないっ!」
りんかが割り込み、拳で打ち払う。
だが鎖は反動で回転し、りんかの腕に絡みつく。引き込まれる――
炎熱の一閃。
ジャンヌの炎剣が、りんかを縛る鎖を断ち切る。さらに踏み込み、殺到する鎖の群れを薙ぎ払う。
「助かりました!」
りんかは解放された腕で拳を握り、前へ跳ぶ。ジャンヌが開けた道を駆け抜け、バルタザールへ肉薄。
だが、それを阻むは鎖の壁。
りんかは後方へ跳び、ジャンヌと並び立つ。
「バルタザールさんは――復讐を望んでいるんですね?」
「……」
バルタザールは語らない。
だが、りんかは彼の瞳に宿る感情の色をよく知っていた。
洗脳派遣兵士、シャイニングホープの公開裁判。
数えきれないほど浴びせられた極刑を望む声――その傍聴人たちの目に宿っていたものと同じ、復讐の色だ。
簒奪者たちにこの手で断罪をくださんという濁った意志だ。
そして、りんかはこうも思う。
彼の言葉は復讐の決意であり、憎悪の発露だ。
だが同時に、りんかに対する予言と願望のようにも思えた。
お前も必ず民衆に裏切られるぞ、と。
そうあらねばならないと。
「バルタザールさんは、そういう人たちに出会ってきたんですね。
――否定はしないです。ひどい人もたくさんいる」
りんかが拳をぐっと握る。
「けれど、そうじゃない人たちもたくさんいる。私はそれを知っている」
りんかの脳裏に、手を差し伸べてくれた人々の顔が過ぎる。
家族や、名前も知らない英雄たちの姿が浮かぶ。
「一つ聞きます。弟さんを、今でも憎んでいますか?」
「今は……」
バルタザールの言葉が一瞬だけ途切れる。
目の前の姉妹を通して、わずかな揺らぎが思い起こされる。
死を前にした弟の表情が針のように突き刺さる。
だが、十年以上にわたって育んだ憎悪が、二十年近く堰き止められてきた無念が、その違和感を押し流した。
「今も……憎しみは晴れん」
「そうですか……」
りんかは、目の前の男に、かつて救えなかった一人の男の姿を重ねてしまう。
本心を覆い隠し、世界を憎むしかなくて、すべてを否定しようとする在りようが重なってしまう。
「ならば、私はあなたを止めます」
「ならば、私はお前たちを殺す」
りんかの宣言に、バルタザールも応える。
これまでの"饒舌"。
それは、意地を通しきった少女への敬意であった。
自ら歩むべき王道を定めたヒーローへの称賛であった。
担当刑務官から聞かされていた、"同志"に裏切られた"同士"への共感であった。
彼女らを獲物でなく、民衆でなく、一人の個として認めたからこその対応であった。
そして、民のために戦うことを選んだ彼女たちは、だからこそ相容れない敵だ。
会話の時間は、ここまでだ。
「ふぅぅうううんんん!!」
バルタザールが吼える。
再び脳のエンジンを上げる。
それは、すべてを破壊する理不尽の顕現である。
「私はもう、絶望になんて負けない! 負けるもんか!
『輝ける魂への祝福(シャイニング・ソウル・ブレス)』!」
りんかの放つ希望の光が、輝きを増して二人の肉体に集約する。
加護による身体能力の底上げ。
"救いを求める者がいる限り"、決して消えない希望の灯だ。
りんかが紗奈の死を乗り越え、新たなステージに至った証であった。
「そして紗奈ちゃん、力を貸して。
『絆が紡ぐ光の加護(シャイニング・コネクト・オーラ)』!」
宙に溶けた光の帯が集まり、りんかの拳へと集約されていく。
直後、彼女の拳には、超力を打ち砕く光の帯がバンテージのように巻きつけられていた。
迫る鉄球、強度も硬度も先までの比ではない。
そんな絶死の一撃を――りんかの拳は正面から打ち砕いた。
りんかにとって、この戦いは二重のリベンジマッチだ。
後ろで震えていた少女はもういないけれど。
彼女の生き様は、りんかの中に生き続けている。
今度は、最後まで見届けなければならない。
■
鉄が火花を散らす。黒と白が混じり合う。
バルタザールの黒鉄の球。りんかの白銀の篭手。
黒と白、粗と精、暴と巧が激突する。
バルタザールの鉄球が打ち砕かれる。その破片が地面に落ちるを待つ間もなく、すぐに次の鉄球がオーダー。
多頭竜(ヒュドラ)の首のように自在に動き回り、本体が健在な限り無限に復活する。
りんかは拳に纏ったオーラの量を器用に調節し、鉄球を滑らせ地面へ逸らす。それは地盤を抉り、めり込んでいく。
そしてジャンヌが、槍のように鋭い鎖を焼き落とす。
息が合う。まるで血を分けた姉妹のように、淀みがない。
僅かにでも油断を見せればたちまち籠により分断される状況で、的確に攻撃をさばいていく。
そんな中、りんかは違和感を覚える。
鉄球の軌道が、僅かに甘くなっている。
最初は急所を的確に狙っていた。だが今は違う。
数で補っているが、精度が落ちているのだ。
(時限付き――たぶん、バルタザールさんの強化は、長く続かない)
「ジャンヌさん!」
「ええ、分かっています」
ジャンヌも気付いていた。ならば――。
「好機です。一気に切り込みます。ご支援を」
「分かりました!」
りんかの光が、ジャンヌへと集約する。
炎剣が淡く輝く。
ジャンヌは地を蹴り、後方へと跳躍。そして、飛翔。
一度大きく距離を取って、そこから急加速。
炎翼がジェット噴射の要領で炎を噴き出し、彼女の動きを音速の領域へと押し上げていく。
バルタザールが腕を振り上げる。足を蹴り抜く。
鎖がムチのようにしなり、その先端が弾丸と化して殺到する。
鎖の一本一本が、まるで意思を持った蛇のように、少女の華奢な肉体を食い破らんと躍動する。
「速い……!」
だが、キングの鉄柵と比べれば手ぬるい。
ジャンヌは身体をひねる。一本目をすり抜ける。
炎剣で斬り払う。二本目が灰に変わる。
三本目、四本目――速度をあげてぶっちぎる。
バルタザールを真っ直ぐに見据え、剣を構える。
対するバルタザールは迎撃用の鎖を即時に再生成。
重く、不快な金属音はまるで怪物の唸り声。
多頭竜のように蠢く鎖の先端には、確かな質量を有した鉄球が形成され、ジャンヌを叩き潰さんと鎌首をもたげる。
「させません! ホーリー・フラッシュ!」
そこに、りんかが放った強烈な光エネルギーが炸裂した。
バルタザールの視界は一瞬で純白に染まり、ジャンヌの姿を見失った。
今だ。
狙うは鎖の起点。手足の枷。
炎剣を最大熱量で練り上げ。
「……!?」
ジャンヌの身体が、突然傾いた。炎翼が揺れる。
乱気流? いや、違う。
真下に引っ張られている――揚力が消えている。
地面が遠くなり、空気が下へ下へと流れている。
何が起きた?
大地が崩落した?
空洞に吸い込まれている?
眼下には大穴。
その深さは五メートルほど。
その穴の底から、獲物を待ち構えるヘビのように、鋭い鎖が牙をむく。
(誘い込まれた!?)
戦慄がはしる。
バルタザールは理性を手放してはいなかった。
ギアを上げ切ってはいなかった。
紗奈との戦いで二人に手口を見せていたことを逆手に取り、誤認を誘った。
「まだです!」
陰圧による急激な吸引、穴の底までの猶予は一秒未満。
その僅かな時間で、ジャンヌは手にした炎剣を爆発させた。
炎が炸裂し、自分の身ごと吹き飛ばす。
爆風が身を焼くが、痛みなど、気にしている場合ではない。
宙で縦回転。体勢を立て直す。穴から脱出するも、炎剣と炎翼は失った。
再生成は間に合わない。
だから、拳を握りしめる。
大地を踏みしめる。
バルタザールの顔に、焦りの色が浮かぶ。
ジャンヌは生きている。
到達した時には既に空いていた戦場跡の穴を利用し、地中にあらかじめ埋め込んだ鉄球を"破棄"して発現させた真空。
それは確かに虚を突いたが、ジャンヌはそれに対応し、逆に自身が虚を突かれる結果となった。
既に高まっていた脳負荷を抑えるための戦術が裏目に出た。
だが、相手も余裕はない。
バルタザールは無言で鉄球を生成し、構える。
その鉄球は、これまでとは異なっていた。
武器としての"頑丈さ"だけを追求した、純粋なる鈍器である。
鷲掴んだ鉄球を使ったパンチは、まさしく必殺。
人間を容易く肉塊に変えるその一撃に殺意を乗せ、バルタザールは腕を振り抜いた。
「……?」
手ごたえがなかった。
まるで虚空を殴りつけたようだった。
「……!!」
今しがた殴り潰したジャンヌは、陽炎による光の屈折だったのだ。
ジルドレイのおこなっていた、超低温による密度操作。ジャンヌがおこなったのは、その逆。
本物は、陽炎のそのすぐ外側。
すれ違いざまに、ジャンヌの拳がバルタザールの顔面に叩き込まれる。
「ぐぅっ!」
無理な体勢から撃ちだされた、速度に特化した拳だ。
ハイ・オールドの肉体は耐え抜く。
だが――。
「バルタザールさん……!」
もう一つの声。もう一つの影。
りんかがジャンヌのあとを追い、並走してきていた。
咄嗟のガードは間に合わない。
「パンチっていうのは――」
りんかの拳が光を纏う。
「こう、撃つんです!」
左拳が握りしめられる。顔の右側を守るものはない。
せめてもの抵抗に、逆の側――鉄仮面の側を正面に向ける。
そんな小手先の足掻きごと、父親直伝のパンチがバルタザールを討ち抜いた。
顔の左半分を覆っていた鉄仮面も、砕けた。
■§■
記憶がさらに呼び起こされる。
30年前、とっくに記憶の彼方に流れ去っていたはずの光景が呼び起こされる。
――王たる者、自らの王道を見つけなさい。
幼少期、姉のように慕っていた侍従から、言われた言葉だ。
セルヴァインは弱き者たちを護ることをためらわなかった。
そのために国を富ませ、兵を強くすることに心血を注いだ。
まわりに決して弱さを見せず、強い指導者像を描き続ける。
それこそが彼の描いた王冠の重さであった。
だが、それは決して、内向的でか弱いグランゼルを否定することを意味しない。
彼の調和と対話を重んじる姿勢は、セルヴァインにとっては得難き天賦の才であった。
お前にはお前にしかできないことがあるのだと。
自身を卑下しがちな第二王子を、セルヴァインは幾度も鼓舞した。
王位を譲る気はなかったが、仮に弟が選ばれようとも、兄弟で助け合って国を盛り立てていくのだと確信していた。
なのに、グランゼルは王選という最も大切な局面で対話を拒んだ。
面会を謝絶し、ごく一部の官僚たちと共に密室にこもった。
グランゼルは自身の強みを棄て、王道すら棄てたのだ。
それは正当なる王位継承者から転落し、王権を簒奪した悪と成り果てたと同義である。
故にセルヴァインは挙兵した。
最初は、義による反逆だったのだ。
――私はこれより愚弟を討ち、玉座を取り戻す。
――もしこの先、私が大義を忘れ、私欲に染まったと判断したなら、戒めてくれ。
幼少のころから信頼する侍従長に、そう言い残して挙兵した。
だが、いつからだったか。
弟への憎悪が、一族にまで向かうようになったのは。
義による反逆が、報復へと変質したのは。
自らの王道を見失い、目的のために道程を選ばなくなったのは。
それでも十年にわたって、内心をたくみに覆い隠し。
しかしセルヴァインは、どこかで道を踏み外していた。
二度目の挙兵。
反逆者の戦闘に立っていたのは、侍従長であった。
もう、終わりにしようと言いたげな、哀しげな顔であった。
■§■
バルタザールの身体は、地面を抉りながら凄まじい勢いで後ろへと押し退けられる。
進行方向の潅木はへし折られ、脆い岩が砕かれ、地面には溝が刻み込まれる。
もくもくとあがる砂煙の中、バルタザールは膝を付いていた。
呼吸は荒く、噴き出した汗は極度に高まった体温によって蒸散している。
鉄仮面の破損によって、さらに記憶が流れ込んでくる。
処理をしきれない情報量に脳が悲鳴をあげ、超力の行使がうまくいかない。
りんかもまた、呼吸は荒い。
だが、しっかりとした足取りでゆっくりと近づいていく。
「バルタザールさん」
りんかが声をかける。
俯いたその表情をはかりきれない。
バルタザールは頭痛をこらえるように、土をじゃりと強くつかんだ。
待ち伏せの合間にあらかじめ鉄球を埋め込んでおいた、トラップのポイント。それが目の前にある。
鎖に繋がらない鉄球の破棄は、最小限の負荷で実行できる。
さてはて、その口から出るのは自分への恨み節か、説教か。
予想される辛辣な言葉を罠への歓迎と共に嘲笑ってやろうと身構えた。
「自分で自分を苦しめるの、もう終わりにしましょう?」
だから、そのような言葉はまるで予想だにしていなかった。
「……何を言うかと思えば。
私を苦しめてきたのは、祖国と裏切者たちではないか」
相手の言葉を否定するのがせいいっぱいで、皮肉の一つも込められなかった。
背後で数本の鎖が弱々しく鎌首をもたげた。
だが、その切っ先は、あまりに無防備に近づく少女を捉えきれずに震えていた。
「そうですね。それで、弟さんを自分の手にかけたんですよね。
けれど、あなたの憎しみは晴れていない」
バルタザールは続く言葉を見つけられず、ただ荒い呼吸を繰り返す。
「あなたは、嗤うわけでも、誇るわけでも、淡々と語るわけでもありませんでした。
復讐を果たしたのに、憎んで、怒っていました。
弟さんを殺したことを、どこかで後悔しているんじゃないですか。
それを認めたくなくて、さらなる憎悪と怒りで塗りつぶしているんじゃないですか」
バルタザールの眉が僅かに上がる。
王道を誤り、玉座を汚した弟。
誤った王権の下、かじ取りを誤った祖国。
自ら手を汚し、過ちを正したはずが、栄光とは程遠かった。
勝利とはとても言えない泥のような虚無感が、再び彼を苛んでいた。
「戯言だ……! 私は私の思うがまま、信じるがままに愚弟を討ち果たした。
そこに後悔などあるものか!」
バルタザールが吼える。
だがそれは拒絶ではなく、慟哭を抑え込むための叫びだった。
りんかはゆっくりと首を振る。
「あなたは、泣き叫ぶ紗奈ちゃんを前に一度は動揺していましたから。
紗奈ちゃんの命を奪いながら、それを見つめ直せるくらい、情が深い人ですから」
バルタザールに戸惑いがあらわれる。
一度目の邂逅で、バルタザールは恩赦と幼気な子供の命を天秤にかけて、逡巡した。
二度目の邂逅で、その死に祈りを捧げ、別れの儀を静観した。
その刹那の慈悲と敬意こそが、彼がまだ修羅に染まりきれていない証左なのだとりんかは指摘する。
「そんなあなたが、弟さんに対して、何も思わないなんてあるはずがないです。
何より……!
この世界でお兄さんのことが嫌いな弟なんて、弟を憎むだけのお兄さんなんて、いるわけないじゃないですか!」
その叫びは、りんかのそうあってほしいという願いなのだろう。
バルタザールを筆頭に、この世界に兄弟を憎む者などいくらでもいる。
そんな当たり前の反論は、しかし脳裏に過ぎった弟の目によって掻き消えていく。
「私は、紗奈ちゃんに命がけで説得されるまで、何度も自分の感情を偽り続けてきました。
その結末は、あなたも知っての通りです」
りんかは、そうあらねばならないと、自分の運命を定めてきた。
そんな彼女だからこそ、バルタザールの抱える憎悪と憤怒の正体が、悲しいほどに見えてしまう。
「あなたに必要なのも、きっと復讐や虚飾じゃない。
寄り添ってくれる誰かなんです」
世界の悪意に弄ばれたりんかが家族や紗奈に救われ続けたように。
愛を諦めていた紗奈がりんかに救われたように。
擦り切れ壊れてしまった流都が、倒してくれる英雄を待ち望んでいたように。
絶望の淵に立ち、迷える人間に必要なのは、報復ではない。
手を差し伸べてくれる人間だ。
だから、りんかは手を差し伸べる。
「この手を取ってみませんか?
やり直してみませんか?」
■§■
りんかとバルタザールが対峙していたその時、ジャンヌは静かにその場を離れていた。
不躾な注視者の視線を感じ取ったのだ。
妹分の説得に横槍を入れられないように、ジャンヌは視線の主のもとへと進んだ。
そこにいたのは、ゴシックギャルとサムライであった。
二人は飯を食っていた。
岩に腰かけて、二人並んで、食事をしていた。
「征タンちょっとお肉食べさせてくんない?」
「……聞き違いか? 自分で食えばいいだろう。何のために手がついてる」
「え、だってあーしの右手ないの、見ればワカるよね?」
「なら、直接口で食えばどうだ?」
「女の子に犬食い勧めるなんてマジないわ~。
征タンはあーしの手を取ったので、あーしの手足になる義務と責任がありまぁす」
「今更ながらに後悔してきたぞ。というよりあれはお前が無理やり引っ張り起こしたんじゃないか?」
「手を失ったギャルは決着付ける前に貧血で倒れるのでした。およよ」
「……分かった分かった、じゃあさっさと上を向けて口を開けろ」
「ちょっ、小鳥じゃねんだけど」
自宅でソファに座って、テレビドラマを見るように、ギャルとサムライの二人は寛いでいた。
ギャル・ギュネス・ギョローレン。
キングス・デイと繋がる傭兵。生粋の破綻者。
ジャンヌにとっては、キングやルクレツィアに次ぐ、討つべき邪悪である。
「忠告しておきますが、見世物ではありませんよ」
ジャンヌが牽制する。
炎剣の柄を構え、冷徹に忠告する。
「うわ、いきなりお怒り?」
「だから言ったろう、覗き見なんぞ不興を買うだけだと」
「征タンも乗り気だったじゃん」
「私は古い因縁の気配を感じ取っただけだ」
話が通じていないのか。
野次馬そのものの言動だが、どこで狂気が顔を覗かせるか予測不能。
狂人の思考を常人の物差しで測ることほど危ういものはない。
ジャンヌは油断せずに二人の一挙一動を見極める。
「覗き見でないのなら、キングの刺客でしょうか?」
「全然違います~。ま~? なんつーか? あーしらが中でバタバタやってた時に、
外でぬくぬく時間潰してた待ち伏せ野郎の顔くらいは見ときたくてさ?
ついでに邪魔な子がいたら爆っとこって思ってたんだけど、あんま意味なかったね」
「意味がなかったのなら、お引き取りいただけますか。
あなたに背後を取られると心労が増えます。仲間にも悪い影響が出かねない」
「お前、大概嫌われてるな」
「あーしも昔はヤンチャでしたね~」
サムライがすっと立ち上がる。
先ほどまで頭を抱えていた雰囲気はどこへやら、歴戦の雰囲気を醸し出していた。
「征十郎・H・クラークと申す。
フレゼア・フランベルジェを討ち果たしたのはお前か?」
ジャンヌは眉を寄せる。
この身に彼女の一部が宿ったのは確からしいが、彼女を討ったのは別の誰かだ。
「違うか。だが、何らかの縁者には違いなかろう」
征十郎の口角が上がる。
「一太刀で構わん。手合わせを申し込む」
その言葉には、有無を言わせぬ響きがあった。
ジャンヌは短く息を吐く。
ギャルとつるむほどの手練れ相手に、まったく気は乗らないのだが。
断って背中を向ければ、その瞬間に斬りかかってきそうだ。
「交換条件です。
代わりに、中で起こったことを、話していただきましょう」
「交渉成立だな」
ジャンヌは静かに柄から炎剣を燃やす。
征十郎は贋作の刀ではなく、日本刀のほうを構える。
見通しのいい平原で、鋭い剣戟の音が大きく一度、響き渡った。
■§■
差し出された手は、まるで啓示のようであった。
あまりに神々しく、眩しかった。
バルタザールの記憶が鮮明に呼び起こされる。
目の前の少女の目が、弟の最期の目とリンクする。その意味が浮かび上がってくる。
あれは、自分の死で憎悪を終わりにしてほしいという願いだったのではないか、と。
バルタザールは、夢に酔う。
その心が引き込まれる。
希望をつなぐというのがどういうことか。
彼女が為したい世界がどういうものなのか。
それを理解してしまったのだ。
だから、その腕を伸ばした。
小さく、温かい手に向かって腕を伸ばした。
だが――。
その手を掴むことはできなかった。
バルタザールの腕の先は失われていた。
バルタザールの左腕は"災害"との戦いで、すでに失われていたから。
りんかは無意識に左手を差し出していた。
右肩を負傷していたから。
先の奇襲で、バルタザールの鉄球をその部位に受けたから。
「あっ――」
りんかの目が、大きく見開かれる。
「……ふふ、ははは」
草臥れた笑みが漏れ出た。
「良い夢を見せてもらった」
その顔には、どこかやるせない笑みが浮かんでいた。
善性のままに突き進むヒーローに、柔らかな拒絶の言葉を返す。
どれほど複雑な感情に振り回されていようとも、憎悪のままに血族を地獄に突き落とした事実は消えない。
あらためて、突き付けられたのだ。
すべては因果応報。
悪は悪で、善は善で返される。
与えた害意は報いとなって、自身に返ってくる。
驚喜や恐縮と共に訪れた夢は、残酷な形でバルタザールを裁いた。
彼はもう、その道を進むしかないのだ。
りんかの足元が崩れる。
鉄球の破棄により、地面が1メートルほど崩落したのだ。
りんかは、軽やかに後ろへと跳び立つ。
だが、その僅かな間に、バルタザールは鎖を通してその場を離脱していた。
■§■
征十郎とギャルは晩餐を終え、丘陵へと移動していた。
視線の向かう先は、南部の禁止エリアだ。
被験体はおそらくその先にいるのだろう。
「征タンさあ、本当にあれだけで満足できたの?」
「そんなわけはないだろう。
だが、本格的に死合ったら、お前がふてくされることくらい分かる」
「分かってんならやるなし」
決着は一瞬だった。
ジャンヌの炎剣は、やはりフレゼアのそれとほぼ同質。
その前提の上で、熟達者が振るえば、これほどのものかと感嘆。
怪物に挑む前の景気づけとしては、最上であった。
かつて辛酸を舐めさせられた炎の魔人への胸のつかえが取っ払われ、晴れやかな気分だ。
「お前こそ、もう一人も知り合いじゃなかったのか?」
「りんちゃんは二年前に一緒にアガった仲だけどさあ、今のあの子絶対征タンとの決着に首突っ込んでくるでしょ?
だから、今回はパスで!」
「まあ、賢明だな。
私もお前との決着に観客は望まん」
もうすぐ日が落ちる。
空に星が光り出す。
「あー、絶景だねえ」
「……確かにな」
「ひょっとしなくても決戦前ってヤツ?
だいぶアガってきたんだけど」
「そうだな。この緊張感が心地いい」
「流れ星とか見えたら、いいのにね。
次こそは征タンを爆れますようにってお願いするかなっ」
「はっ、ぬかせ」
談笑し、滾る血潮の一瞬一瞬を克明に味わう。
そうして、ギャルと征十郎の二人は最終フェーズに向けて心を整える。
そろそろ放送の時間だ。
新たな禁止エリアが発動し、被験体も動き出すだろう。
決戦に向けて、二人は静かに呼吸を整えていた。
■§■
ジャンヌと征十郎の手合わせは、一瞬で終わった。
――キングとの確執、エネリットの生存、ネイ・ローマンの存在、対被験体戦の顛末――
ブラックペンタゴンでの概要を、ジャンヌは征十郎から聞きだした。
それは、二人と敵対関係に変わったというキングへの牽制であることは明らかだったが、ジャンヌもそのこと自体は承知であった。
ディビットに誠実な協力を約束しながら、それを果たせなかったことには思うところもあるが。
ひとまずの現状は飲み込んだ。
そして、正直なところ、ギャルの変遷についてはよく分からなかった。
元より理解不能な相手ではあったのだが、輪をかけて意味が分からなかった。
ただ一つ言えるのは、彼女の背負っていた得体の知れない虚無感が払拭されていたことである。
隣で寄り添っていたあのサムライが何らかの役割を果たしたのは確かなのだろう。
あの女ですら、救われる道がある。
人々の救済を掲げながらも、そんなことは思いもしなかった。
ジャンヌは内心、そのことを恥じざるを得ず、
そしてりんかの掲げる救い尽くした世界への果てしなさを思いやった。
翻って。
「りんかさん……」
立ち尽くすりんかに声をかける。
バルタザールは、りんかの手を振り払ったのだ。
他の道があることを理解し、それでも哀しい顔をして、この場を去っていった。
「ジャンヌさん。
分かっていたことですけど、険しい道のりですね」
「ええ。とても」
人々を救い続ける。
誰よりも、その困難をジャンヌは理解している。
「負けません。わたし、絶対に負けませんから」
だが、彼女はもう折れない。
運命に翻弄されながらも、りんかは前を向いて歩み続けることを決めたのだ。
そんな彼女を、ジャンヌは先達として、温かく包み込んでいた。
■§■
――これでいい。
バルタザールは、夢から醒める。
ただ、最初に戻るだけのことだ。
身の丈に合わない希望を差し出され、自身を見失ったことが愚かだったのだ。
堕ちた悪党は悪党らしく、我欲のままに振る舞えばよい。
紗奈が持っていた首輪をポイントとし、奪った通信機を見やる。
血の宿命。災害の系譜。バルタザールを殺したい人間などいくらでもいるだろう。
次の戦場へ赴こうと歩み、ふと、思考にノイズがはしった。
15年間ものあいだ、仮面の下で静かに蓄積してきた憎悪。
解放の瞬間に、本来ならバルタザールを容易く灼き尽くしていたはずだ。
それでも、心は灰になっていなかった。
仮に、寄り添ってくれる者こそが必要だったとしたら。
もしかして、すでにいたのではないか。
すべての憎悪を封じ込め、親愛の情を注ぎ続け、心の器が割れないように補修していた人間がいたのではないか。
もし、そうであれば。
バルタザールの足が止まる。
鉄仮面に触れる。
道具を通して状態を把握する超力を通して、言葉を紡ごうとする。
だが、鉄仮面は、もう割れていた。
先の戦いで、割れていた。
彼女の超力を通して、礼を伝えることはもうできない。
すべては報いだ。
自嘲するように、バルタザールはゆっくりと去っていった。
【F-5/ブラックペンタゴン南 丘陵/一日目・夕方】
【タチアナ/ギャル・ギュネス・ギョローレン】
[状態]:疲労(中)、右拳欠損(即席で処置済)、出血による消耗(食事済で造血中)、胴体に打撲(中)
[道具]:デイパック(医薬品)、注射器、小瓶(医務室からくすねてきたやつ)、漆黒のゴシックパンク服、メモ帳、ジェイ・ハリックの首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.征十郎との決着をつける☆
1.横槍が入らない決着の舞台を整えたら、征十郎を燃やす。まあ整えなくても、機会があればチャレンジ☆
※刑務開始前にジョーカーになることを打診されましたが、蹴っています。
※ジョーカー打診の際にこの刑務の目的を聞いていますが、それを他の受刑者に話した際には相応のペナルティを被るようです。
※永遠は斬られたので、今後は年を取ります。
※心機一転、制服はもう卒業のようです。
※ブラックペンタゴン3Fの機密資料を殆ど閲覧していませんが、要点だけ目を通しているかもしれません。
【征十郎・ハチヤナギ・クラーク】
[状態]:疲労(中)、全身にダメージ(中)、超力第二段階?
[道具]:デイパック(医薬品)、日本刀、銘のない贋作の刀(永遠)、ルメス=ヘインヴェラートの首輪(未使用)、漆黒の喪服風スーツ
[恩赦P]:68pt
[方針]
基本.タチアナとの決着をつける。
0.被験体に仕掛ける機会はあるか
1.横槍が入らない決着の舞台を整えたら、タチアナを斬る。整う前でも、機会があれば斬ろう。
※二本の刀を腰に指しています。
※ブラックペンタゴン3Fの機密資料を殆ど閲覧していませんが、要点だけ目を通しているかもしれません。
【E-5/ブラックペンタゴン南草原/一日目・夕方】
【ジャンヌ・ストラスブール】
[状態]:疲労(中)、全身にダメージ・火傷(中)、超力成長中
[道具]:流れ星のアクセサリー
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.正義を貫く。
0.エネリットと接触する
1.ブラックペンタゴン正門前の調査を行い報告する。
2.ブラックペンタゴン内部の人間と結託し、ルーサー・キングを討つ。
3.日月やりんかを次代のホープとして守りたい。
4.刑務の是非、受刑者達の意志と向き合いたい。
※ジャンヌが対立していた『欧州一帯に根を張る巨大犯罪組織』の総元締めがルーサー・キングです。
※ジャンヌの刑罰は『終身刑』ですが、アビスでは『無期懲役』と同等の扱いです。
※流れ星のアクセサリーには他人の超力を吸収して保存する機能があるようです。
吸収条件や吸収した後の用途は不明です。
※流れ星のアクセサリーに保存されていた『フレゼア・フランベルジェ』の超力を取り込みました。
フレゼアの超力が上乗せされ、ジャンヌの超力が強化されています。
完全に肉体に馴染んだ時、更なる進化を遂げる可能性があります。
【葉月 りんか】
[状態]:疲労(小)、ダメージ(大)
[道具]:治療キット、紗奈の手錠&鍵、ハヤトの手錠
[恩赦P]:20pt
[方針]
基本.救って、救って、救い続ける。
0.紗奈のような子や、救いを必要とする者を探したい。
1. 自分を救い、命を奪われたハヤトとセレナ、紗奈の分まで戦い抜く覚悟。
2.ジャンヌたちと協力してルーサーを討つ。
3.この刑務の真相も見極めたい。
※羽間美火と面識がありました。
※超力が進化し、新たな能力を得ました。
現状確認出来る力は『身体能力強化(自他)』、『回復能力』、『毒への完全耐性』、『精神強化』、『対超力の加護』です。
その他にも力を得たかもしれません。
【E-5/ブラックペンタゴン南草原から移動中/一日目・夕方】
【バルタザール・デリージュ】
[状態]:記憶復活、鉄仮面破損、左腕喪失、頭部にダメージ(大)、腹部にダメージ(中)、右脇腹にダメージ(大)
[道具]:通信機、ルクレツィアの首輪(使用済)
[恩赦P]:245pt
[方針]
基本.恩赦ポイントを手にして自由を得て、逆臣どもに報いを
1.エネリットを探す
2.スヴィアンともう一度話し合う
※記憶をさらに取り戻しました
最終更新:2026年01月14日 21:56