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*ポケモン対戦史【第1世代】 機種:ゲームボーイ タイトル:赤/緑/青/ピカチュウ [[ポケモン対戦史【第2世代】]] [[ポケモン対戦史【第3世代】]] [[ポケモン対戦史【第4世代】]] [[ポケモン対戦史【第5世代】]] [[ポケモン対戦史【第6世代】]] ---- #contents ---- **1996 -2/27 ポケットモンスター 赤・緑 発売 -10/15 ポケットモンスター 青 通信販売開始 ポケモンのメインが収集で 対戦という概念があまりなかった時代である。 そんな時代、当時KTCから出版されていた「遊びつくす本」「極める本」はケーブル対戦にも焦点を当てた、 当時としては珍しい攻略本であった。(というより今の時代から見ても珍しい本だが) 今となっては色々疑問符の付く本ではあったが、 ネットなども普及していなかった当時のプレイヤー達には大いに参考になったのではないだろうか? これらの本などから出た対戦の重要要素は… ・相手に先手を取れるか否かが分かれるため すばやさが重要 ・事実上弱点の存在しないエスパーが強い ・無抵抗にする眠りが強い。加えて眠らせつつ体力を回復できるゆめくいが強い ・3割で永続で凍るふぶきが凶悪(加えて当時は命中90だった) これらの要素より、エスパータイプですばやさが高く、 技マシンでふぶきも覚えられるミュウツーは文句なしの最強ポケモンと言う結論に至った。 当然すばやく先手で眠らせられるゲンガーは強力で、 タイプ一致でゲンガー以上に強力なゆめくいが使えるスリーパーも凶悪ポケモンの一角であった。 こおりポケモンはタイプ一致で強力なふぶきを繰り出しつつ、 なおかつこおり属性は凍らないと言う事もあり、フリーザー・ラプラスなども強力なポケモンとして扱われた。 現在でこそ弱点の多さが目立つ氷タイプだが、鋼はまだ存在せず、格闘はエスパーにより抑えられ、 炎、岩もメジャー水タイプにより・・・と当時は殆ど気にならなかった。 今尚公式、非公式問わず 催眠に対する厳密なルールが敷かれることがあるのは これらの時代からの教訓であろう。 (実際制限がかかってからは当時の催眠はあまり見なくなった) 他の戦術として凶悪なものにどくどくやしびれごななど相手を猛毒、麻痺にさせる→まきつくといった拘束系の技のコンボが挙げられる。 当時、麻痺状態は (素早さ1/4)+(20%の確率で行動不能)になるものであった。 また、拘束系の技も今の仕様とは違い、技が続いている間相手は全く行動できないという凶悪な性能を誇っており、 (ただし、今と違ってポケモンを入れ替えることは可能だった。また、技が発動しているときはあばれる同様他の技が使えなかった) 一度ハマれば相手の行動を全く受けずに撃破することができた。 これらのことがあったから金銀以降は麻痺や拘束系の技の性能が変化したと考えられる。 ちなみに当時麻痺状態になったとき、高速移動などで素早さが上がると麻痺状態のときに低下した素早さが元に戻る現象が起きていた。 **1997 初代公式大会開催。いわゆる「ニンテンドウカップ97」である。 ルール上ミュウツーとミュウ以外は(たぶん)出場できたが決勝リーグで出てきたのは22種だけ。 出場ポケモンはLV50~55で出場ポケの3体の合計は155まで。 当時放送されていたマリオスタジアムでは実際にこのルールを用いての対戦が毎週放送されていた。 初期はまだまだ手探り状態で、ルール無しの頃から強いといわれていた ゲンガーやフーディンやフリーザーなどが使われていたが ケンタロスやスターミー、小さくなるラッキーなどはこの番組からメジャーになったものである。 やはり強かったのはLv55ケンタロスで、優勝者も使っていた。 後のポケスタでも対策必須、というか生半可なメンバーでは3ターンキルされる事もある。俺はあった。 ちなみにある雑誌では「闘神」と評されていた。 他にはかげぶんしん戦法も鬼で、回避率が壊れ性能だった事を物語る。 どくどくや再生技と合わせられるとほぼ手が付けられなくなる。 余談だが、今なお印象深いニックネームも見受けられる。 また、出場ポケの中にゴローニャはいてブースターはいなかった。 当時は目覚めるパワーなどはないので当時のゴローニャはサンダースに対しては一方的な強さを誇った。 **1998 -8/1 ポケモンスタジアム発売 -9/12 ポケットモンスター ピカチュウ 発売 98年の公式ルールは初代ポケスタを用いる関係上 ポケスタで使用可能なポケモン33匹だけがエントリー可能であった。 レベルは30に統一。前年と違いレベル配分と言う概念はなくなったが 主流のポケモンは前年と変わらずケンタロス、サンダース、スターミーなどであった。 このマンネリ化を打開すべく 当時ポケモン対戦を放送していたマリスタでは、 「この33匹をABCのグループに分け、初手は必ずCグループのポケモンを出す」 と言う特別ルールを設けた。 Aはいわゆるケンタロスやスターミーなどの強力なポケモン BCは今風に言えば 中堅マイナーなどといわれる類のポケモンである。 しかしこのルールはエースのAグループポケモンを温存するあまり 入れ替えがしづらいと言う側面を持っており、今ひとつの相性でもゴリおすと言う光景が見られた。 これを逆手に取った戦法が「かげぶんしん+ねむる」戦法である。 シャワーズやナッシーなどの硬いポケモンで相手の攻撃を耐えつつ影分身を積み、 その回避率で眠るリスクをも減らすと言う黄金パターンである。 かげぶんしんが流行した当初は最初にどくどくを使い、相手を猛毒にする事で対策をとるプレイヤーもいたが 状態異常の回復も可能なねむるの前には意味を成さなかった。 末期は互いにこの戦略が横行し、 影分身眠る同士の泥仕合が毎週放送されると言う異常な事態が発生していた。 これらの影響からか、ポケモンスタジアム2ではかげぶんしんの効果が大幅に抑えられる事になった。 また、98年全国大会には7人中3人が当時のネットの乏しさから知られていなかった個体値・努力値システムを把握して育成したポケモンを実践投入していた。[[参照>http://www.nicovideo.jp/watch/sm3498613]] そのうちの1人は当時の捕獲難易度が今で言うXD産のサンダーに近いといわれていたラッキーにも及んでいてほかの2人よりも上の個体値を厳選したという今から見てもその根性を賞讃してもいいくらいだった。 **1999 -4/30 ポケモンスタジアム2発売 -10/10 ポケットモンスター 青 一般発売開始 次回作である金・銀が発売延期を繰り返す中、 赤・緑ベースでの開催を余儀なくされた99年大会では使用ポケモンに関して大胆なルールが設定された。 それは「ミュウ、ミュウツーおよび今までの公式大会の全国トーナメントに参加していたポケモン使用禁止」というものである。 これは97、98年の大会で使用されるポケモンのメンツが固定化されていた為にそれまでと差別化する意味と、 ポケスタ2発売による追加ポケモンにスポットを当てる為であると思われる。 これによりスターミーやケンタロスといった従来のいわゆる強ポケが軒並み姿を消し、 それまではマイナーに分類されていたポケモンの活躍が目立っていた。 当時はステータス上特攻と特防は特殊ひとつにまとめられていたため、 特殊を2段階上昇させることができた度忘れ(さすがに強すぎたのか金銀以降は特防のみ2段階上昇に調整)が異様な強さを持っていた。 (今で言うと1ターンで瞑想を2回使えるようなもの) このため、特殊が高くて度忘れ(+眠る)を使えたヤドランを愛用する人が多かった。 (初代ではエスパーの弱点はあって無いようなものだったため、度忘れをうまく積むことができればなかなか落ちなかった) 同時に当時は急所技のきりさくやはっぱカッターの急所に当たる確率が高かったため、 急所技をタイプ一致で使え、攻撃と素早さが高いペルシアンを使う人も多かった。 また身代わりの仕様もポケスタ2から変更になり 変化系や状態異常技を回避できるようになった。 硬いヤドランを突破するためにじわれなどの一撃必殺技が台頭し、 ペルシアンのきりさくへの対抗にカウンターなどが使われた。 このようにポケモンどころか戦略性までも大きく変化した。 余談だがファイヤーのみこの公式大会で使用できた唯一の伝ポケであった。 当時技マシンで火炎放射が無く火炎放射を覚えなかった為いわゆる「3鳥」の中で一番冷遇されているので当然とも言えるが。
*ポケモン対戦史【第1世代】 本編タイトル:赤/緑/青/ピカチュウ 機種:ゲームボーイ 連動タイトル:ポケモンスタジアム/ポケモンスタジアム2 機種:NINTENDO64 [[ポケモン対戦史【第2世代】]] [[ポケモン対戦史【第3世代】]] [[ポケモン対戦史【第4世代】]] [[ポケモン対戦史【第5世代】]] [[ポケモン対戦史【第6世代】]] ---- #contents ---- **1996 -2/27 ポケットモンスター 赤・緑 発売 -10/15 ポケットモンスター 青 通信販売開始 ポケモンのメインが収集で 対戦という概念があまりなかった時代である。 そんな時代、当時KTCから出版されていた「遊びつくす本」「極める本」はケーブル対戦にも焦点を当てた、 当時としては珍しい攻略本であった。(というより今の時代から見ても珍しい本だが) 今となっては色々疑問符の付く本ではあったが、 ネットなども普及していなかった当時のプレイヤー達には大いに参考になったのではないだろうか? これらの本などから出た対戦の重要要素は… ・相手に先手を取れるか否かが分かれるため すばやさが重要 ・事実上弱点の存在しないエスパーが強い ・無抵抗にする眠りが強い。加えて眠らせつつ体力を回復できるゆめくいが強い ・3割で永続で凍るふぶきが凶悪(加えて当時は命中90だった) これらの要素より、エスパータイプですばやさが高く、 技マシンでふぶきも覚えられるミュウツーは文句なしの最強ポケモンと言う結論に至った。 当然すばやく先手で眠らせられるゲンガーは強力で、 タイプ一致でゲンガー以上に強力なゆめくいが使えるスリーパーも凶悪ポケモンの一角であった。 こおりポケモンはタイプ一致で強力なふぶきを繰り出しつつ、 なおかつこおり属性は凍らないと言う事もあり、フリーザー・ラプラスなども強力なポケモンとして扱われた。 現在でこそ弱点の多さが目立つ氷タイプだが、鋼はまだ存在せず、格闘はエスパーにより抑えられ、 炎、岩もメジャー水タイプにより・・・と当時は殆ど気にならなかった。 今尚公式、非公式問わず 催眠に対する厳密なルールが敷かれることがあるのは これらの時代からの教訓であろう。 (実際制限がかかってからは当時の催眠はあまり見なくなった) 他の戦術として凶悪なものにどくどくやしびれごななど相手を猛毒、麻痺にさせる→まきつくといった拘束系の技のコンボが挙げられる。 当時、麻痺状態は (素早さ1/4)+(20%の確率で行動不能)になるものであった。 また、拘束系の技も今の仕様とは違い、技が続いている間相手は全く行動できないという凶悪な性能を誇っており、 (ただし、今と違ってポケモンを入れ替えることは可能だった。また、技が発動しているときはあばれる同様他の技が使えなかった) 一度ハマれば相手の行動を全く受けずに撃破することができた。 これらのことがあったから金銀以降は麻痺や拘束系の技の性能が変化したと考えられる。 ちなみに当時麻痺状態になったとき、高速移動などで素早さが上がると麻痺状態のときに低下した素早さが元に戻る現象が起きていた。 **1997 初代公式大会開催。いわゆる「ニンテンドウカップ97」である。 ルール上ミュウツーとミュウ以外は(たぶん)出場できたが決勝リーグで出てきたのは22種だけ。 出場ポケモンはLV50~55で出場ポケの3体の合計は155まで。 当時放送されていたマリオスタジアムでは実際にこのルールを用いての対戦が毎週放送されていた。 初期はまだまだ手探り状態で、ルール無しの頃から強いといわれていた ゲンガーやフーディンやフリーザーなどが使われていたが ケンタロスやスターミー、小さくなるラッキーなどはこの番組からメジャーになったものである。 やはり強かったのはLv55ケンタロスで、優勝者も使っていた。 後のポケスタでも対策必須、というか生半可なメンバーでは3ターンキルされる事もある。俺はあった。 ちなみにある雑誌では「闘神」と評されていた。 他にはかげぶんしん戦法も鬼で、回避率が壊れ性能だった事を物語る。 どくどくや再生技と合わせられるとほぼ手が付けられなくなる。 余談だが、今なお印象深いニックネームも見受けられる。 また、出場ポケの中にゴローニャはいてブースターはいなかった。 当時は目覚めるパワーなどはないので当時のゴローニャはサンダースに対しては一方的な強さを誇った。 **1998 -8/1 ポケモンスタジアム発売 -9/12 ポケットモンスター ピカチュウ 発売 98年の公式ルールは初代ポケスタを用いる関係上 ポケスタで使用可能なポケモン33匹だけがエントリー可能であった。 レベルは30に統一。前年と違いレベル配分と言う概念はなくなったが 主流のポケモンは前年と変わらずケンタロス、サンダース、スターミーなどであった。 このマンネリ化を打開すべく 当時ポケモン対戦を放送していたマリスタでは、 「この33匹をABCのグループに分け、初手は必ずCグループのポケモンを出す」 と言う特別ルールを設けた。 Aはいわゆるケンタロスやスターミーなどの強力なポケモン BCは今風に言えば 中堅マイナーなどといわれる類のポケモンである。 しかしこのルールはエースのAグループポケモンを温存するあまり 入れ替えがしづらいと言う側面を持っており、今ひとつの相性でもゴリおすと言う光景が見られた。 これを逆手に取った戦法が「かげぶんしん+ねむる」戦法である。 シャワーズやナッシーなどの硬いポケモンで相手の攻撃を耐えつつ影分身を積み、 その回避率で眠るリスクをも減らすと言う黄金パターンである。 かげぶんしんが流行した当初は最初にどくどくを使い、相手を猛毒にする事で対策をとるプレイヤーもいたが 状態異常の回復も可能なねむるの前には意味を成さなかった。 末期は互いにこの戦略が横行し、 影分身眠る同士の泥仕合が毎週放送されると言う異常な事態が発生していた。 これらの影響からか、ポケモンスタジアム2ではかげぶんしんの効果が大幅に抑えられる事になった。 また、98年全国大会には7人中3人が当時のネットの乏しさから知られていなかった個体値・努力値システムを把握して育成したポケモンを実践投入していた。[[参照>http://www.nicovideo.jp/watch/sm3498613]] そのうちの1人は当時の捕獲難易度が今で言うXD産のサンダーに近いといわれていたラッキーにも及んでいてほかの2人よりも上の個体値を厳選したという今から見てもその根性を賞讃してもいいくらいだった。 **1999 -4/30 ポケモンスタジアム2発売 -10/10 ポケットモンスター 青 一般発売開始 次回作である金・銀が発売延期を繰り返す中、 赤・緑ベースでの開催を余儀なくされた99年大会では使用ポケモンに関して大胆なルールが設定された。 それは「ミュウ、ミュウツーおよび今までの公式大会の全国トーナメントに参加していたポケモン使用禁止」というものである。 これは97、98年の大会で使用されるポケモンのメンツが固定化されていた為にそれまでと差別化する意味と、 ポケスタ2発売による追加ポケモンにスポットを当てる為であると思われる。 これによりスターミーやケンタロスといった従来のいわゆる強ポケが軒並み姿を消し、 それまではマイナーに分類されていたポケモンの活躍が目立っていた。 当時はステータス上特攻と特防は特殊ひとつにまとめられていたため、 特殊を2段階上昇させることができた度忘れ(さすがに強すぎたのか金銀以降は特防のみ2段階上昇に調整)が異様な強さを持っていた。 (今で言うと1ターンで瞑想を2回使えるようなもの) このため、特殊が高くて度忘れ(+眠る)を使えたヤドランを愛用する人が多かった。 (初代ではエスパーの弱点はあって無いようなものだったため、度忘れをうまく積むことができればなかなか落ちなかった) 同時に当時は急所技のきりさくやはっぱカッターの急所に当たる確率が高かったため、 急所技をタイプ一致で使え、攻撃と素早さが高いペルシアンを使う人も多かった。 また身代わりの仕様もポケスタ2から変更になり 変化系や状態異常技を回避できるようになった。 硬いヤドランを突破するためにじわれなどの一撃必殺技が台頭し、 ペルシアンのきりさくへの対抗にカウンターなどが使われた。 このようにポケモンどころか戦略性までも大きく変化した。 余談だがファイヤーのみこの公式大会で使用できた唯一の伝ポケであった。 当時技マシンで火炎放射が無く火炎放射を覚えなかった為いわゆる「3鳥」の中で一番冷遇されているので当然とも言えるが。

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