随伴現象説

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随伴現象説 - (2013/03/26 (火) 20:42:04) のソース

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**概説
随伴現象説(ずいはんげんしょうせつ、英:Epiphenomenalism)とは、物質的な脳と[[現象的意識]]や[[クオリア]]といった心的なものとの因果関係([[心的因果]])についての仮説で、心的なものは物質的な脳の作用に還元できないが、脳の作用に付随して生じるだけの現象にすぎず、物質的な脳に対して何の作用ももたらさない、とするものである。物理領域の[[因果的閉包性]]を前提にして主張される。

随伴現象説は[[還元主義]]的な[[物理主義]]と対立し、物質と意識は別の存在であるとする[[二元論]]の一種である。しかし同時に物理領域の[[因果的閉包性]]を認めており、従って[[現象的意識]]や[[クオリア]]の存在については、随伴現象という立場を選択する以外ないということになる。

**工場と煙の比喩
S・プリーストは随伴現象説のセオリーを「工場と煙」の例えで説明している。工場の機械類が稼動を始めると煙突からは煙が昇り、稼動を止めてしまえば煙も止まる。しかし逆に煙が出てきた事が原因となって工場の機械が動き始めたり、煙がなくなったことが原因となって機械が止まるなどということはありえない。

随伴現象説は「工場と煙」を「物質と意識」に置き換えて、同様の主張をする。つまり、
>心的なものの状態は脳の物理的な状態によって決まるが、心的なものは脳の物理的な状態に対して何の影響も及ぼさない。 
これが随伴現象説の主張である。

**利点と問題点
随伴現象説は、物理世界は物理世界だけで因果的に閉じていると考える「物理領域の[[因果的閉包性]]」を前提としているため、物理学との相性が良い。随伴現象説を採用するならば、今の物理学を改変したり否定したりする必要は基本的になく、そのため自然主義的な人々からは受け入れやすい考え方となっており、[[茂木健一郎]]や[[フランク・ジャクソン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3]]などが随伴現象説の立場を取っている。

随伴現象説には[[現象判断のパラドックス]]と呼ばれる重大な難点がある。まず、クオリアなど心的なものが物理現象にたいして何の因果的影響も及ぼさないなら、物理現象にぶら下がっているだけの「因果的提灯(いんがてきちょうちん)」であると指摘される。そしてクオリアが因果的提灯であるならば、なぜ私達はクオリアについて語れているのか? という問題がある。物理的存在としての脳細胞に「赤」や「痛み」といったクオリアの情報が現実にあるわけであるが、随伴現象説によると、クオリアからこういう情報はインプットされるはずがない。にも関わらずわれわれはクオリアについて語れているのである。また進化論的に考えれば、「赤」や「痛み」を経験できない生物が、それらを経験できる神経構造をDNAに保存することは不可能であるよう思える。

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・参考文献
デイヴィッド・J. チャーマーズ『意識する心―脳と精神の根本理論を求めて』林一 訳 白揚社 2001年
S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 1999年
・参考サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8F%E4%BC%B4%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E8%AA%AC
http://en.wikipedia.org/wiki/Epiphenomenalism

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