2006年
POCの黎明期であり、活動が最も盛んだった。キャッシュが導入される前にこの時期のスレはほとんど過去ログから落ちているため(*1)、その様子は断片的にしか知ることができないが、それだけでも当時の雰囲気(黒歴史を含めて)を語るには十分である。
年末までの2ヶ月間で実に4万レスを数え、2007年騒動(POC40)時点で会員は15人いた。ルールも整備されており>>0は結構充実していたが、略称「POC」は2006年の時点ではまだ誕生していなかったようである。
年末までの2ヶ月間で実に4万レスを数え、2007年騒動(POC40)時点で会員は15人いた。ルールも整備されており>>0は結構充実していたが、略称「POC」は2006年の時点ではまだ誕生していなかったようである。
2006年の主な出来事
2007年
バレンタインデー間近の2月11日。この日のプラント発言はPOC内外で最も影響力のある出来事の一つに数えられるだろう。その後、7万レスを数えた3月頃、PHが猛スピードでPOCの背後に迫ってきていることがわかり、そこから10万レス争奪戦に至るまでの約一ヶ月間、PHと争い続けた。その中で「暴走」の概念が生まれ、たらこなどの活躍でその技術は大幅に上昇した。
4月に入り10万レスを目前にすると争いはいよいよ激しくなり、POC87から101までの15スレは全て1日経たずに1000レスを消化している。その甲斐あってか、2007年4月・3月は日平均レス数1位(879.10レス/日)・2位(539.74レス/日)の座に輝いている。(*2)
4月に入り10万レスを目前にすると争いはいよいよ激しくなり、POC87から101までの15スレは全て1日経たずに1000レスを消化している。その甲斐あってか、2007年4月・3月は日平均レス数1位(879.10レス/日)・2位(539.74レス/日)の座に輝いている。(*2)
しかし10万レスを突破した直後から、それまでの流れが嘘のようにスピードを急激に落とした。進学の影響もあるのだろうが、2007年6月の日平均レス数はわずか106.30レス/日である。このように過疎が進む中、発展した暴走でスレをいかに早く消化できるかという動きもたびたび見られた。現最速スレ・POC178(推定2分10秒)はその集大成といえよう。
そのほかの活動に、POCの新ホームページプロジェクトが挙げられる。最初に言い出したのは南無だが、最終的に新ホームページは彼女のあとを追って作り始めたWiiながさきのものとなる。同ページ内にWikipedia風の解説ページを作り始めた事で、メンバーのPOCの歴史への関心も高まっていった。それがやがてキャッシュの研究、ひいてはソース保存へ至るのである。
このあたりの作業は、南無が独自で効率的な方法を考案し一手に引き受けている。
このあたりの作業は、南無が独自で効率的な方法を考案し一手に引き受けている。
2007年の主な出来事
- プラント発言 - 2月11日
- 10万レス争奪戦 - 3月~4月7日
- 新ホームページプロジェクト - 5月6日~
- 「時の探検隊・闇の探検隊」発売 - 9月13日
- 2008年騒動 - 12月31日
2008年
暴走技術の発展は頭打ちになり(*3)、手順があまりにも単純化されたため「暴走」の実感をなくす結果になった。そのうえ「中身のないレスだけの暴走はいやだ」という考えも浸透し(*4)、8月24日を最後に行われなくなった。スピードはますます落ち、1スレ消化に10日以上かかる(減速スレと呼ぶ)ことも珍しくなくなった。
9月13日に新バージョン「プラチナ」が発売されるも、特に大きな変化はなかった。やはり新規会員を呼び込めないのが原因の一つだろうが、POCで余りにも長く培われてきたこの風潮は変わる事はまずない。
2月11日(奇しくもプラント記念日と同日)に20万レスを達成し、直後のPOC201からPHにならったと思われる「パスワード共有制」がスタートした。(*5)>>0の編集は今までよりも容易になったが、8月1日騒動のときのような思わぬ弊害をも生んだ。
9月13日に新バージョン「プラチナ」が発売されるも、特に大きな変化はなかった。やはり新規会員を呼び込めないのが原因の一つだろうが、POCで余りにも長く培われてきたこの風潮は変わる事はまずない。
2月11日(奇しくもプラント記念日と同日)に20万レスを達成し、直後のPOC201からPHにならったと思われる「パスワード共有制」がスタートした。(*5)>>0の編集は今までよりも容易になったが、8月1日騒動のときのような思わぬ弊害をも生んだ。
3月から5月にかけて、PHで人気があったオンラインゲーム「テイルズウィーバー(TW)」がPOC内でも流行をみせた。このときは後述の2009年の時ほどの大過疎を呼び込むことはなかったが、結果的に2009年の流行の基礎を作ったことになる。
その後は冬にハンゲームがPOC内で人気を呼ぶ。こちらはTWほど重くなく、POCとの同時参加も十分に可能なので過疎の要因になることはほとんどない。また、おきたァ=「つみあげます」の関係を作るきっかけにもなった。
その後は冬にハンゲームがPOC内で人気を呼ぶ。こちらはTWほど重くなく、POCとの同時参加も十分に可能なので過疎の要因になることはほとんどない。また、おきたァ=「つみあげます」の関係を作るきっかけにもなった。
2008年の主な出来事
- POCリレー小説 - 1月18日~
- パスワード共有制 - 2月11日~
- 2月22日22時22分№222 - 2月22日
- 8月1日騒動 - 7月31日
- 「プラチナ」発売 - 9月13日
- 2009年騒動 - 12月31日
2009年
上半期はオンラインゲームが大流行した。1月は2009年末からの延長でハンゲームが主流だったが、2月にTWが再び流行し始め(*6)、幹部のほとんどが熱中し、クラブホームページまで誕生するほどの大盛況だった。一方POCの本スレは最大規模の過疎に見舞われ、2月からの4ヶ月間のレス数は合計たったの6709であり、特に5月は日平均レス数わずか32.00レス/日、最遅記録まで更新し(POC267、30日19時間23分)、9ヶ月も遅くスタートしたYDMにまで追い抜かれてしまった。
6月下旬頃からTW人気は衰え、減速も解消された。8月にはYDMを再び抜き返し、9月13日に発売された「ハートゴールド・ソウルシルバー(HG・SS)」もPOCを大いに活気付けている。「3周年までに30万レス」の目標(*7)も10月7日に達成。しかし同月12日、POCの誇る化石スレだった「POC会議室」にカツ丼マンらの魔の手が及びあっけなく沈められてしまう事件(会議室滅亡事件)が起こった。
毎年恒例の年越しイベントは、WiiNaの通報が功を奏し、初めて「荒らし無し」の状態で新年を迎えることが出来た。さらにPHでは年越しと同時に60万レスを達成するという歴史的な瞬間になった。詳しくは2010年計画を参照。
6月下旬頃からTW人気は衰え、減速も解消された。8月にはYDMを再び抜き返し、9月13日に発売された「ハートゴールド・ソウルシルバー(HG・SS)」もPOCを大いに活気付けている。「3周年までに30万レス」の目標(*7)も10月7日に達成。しかし同月12日、POCの誇る化石スレだった「POC会議室」にカツ丼マンらの魔の手が及びあっけなく沈められてしまう事件(会議室滅亡事件)が起こった。
毎年恒例の年越しイベントは、WiiNaの通報が功を奏し、初めて「荒らし無し」の状態で新年を迎えることが出来た。さらにPHでは年越しと同時に60万レスを達成するという歴史的な瞬間になった。詳しくは2010年計画を参照。
HGSSに関して、12月5日・6日に「HGSS二強杯」と称してPOCとPHそれぞれの代表5人によるポケモンバトルが開催された。このような大会形式で二大スレの住民が直接バトルをしたのはこれが最初である。
2009年の主な出来事
2010年
年が明けてからPOC・PH・YDMで史上最大の慢性的な過疎が続いている。特に2月には、PHが初めて日平均100レスを割った。従来通り夏には若干回復し、その後9月にはPOCとYDMで失速したものの、BWの影響かPHが急加速を見せ9か月ぶりに3スレの日平均レスが100を超えた。それでも往時の勢いが回復する兆しはほとんどなく、9月からは減速スレ認定の基準を10日から15日に引き上げている。
9月18日に、いわゆる「第五世代」の「ブラック・ホワイト」が発売された。POCでも人気が沸騰したが、連投制限を受けやすい掲示板(*8)を避けてSkypeチャットに住民が流れている。(それでも全体的には速度は上がっている、と思い込んでいたがそんなことは無かった)
ファインはPOC342のラスト(9月25日)で「目標は新年までに350スレ」と書き込んでいる。当時は1スレ10日越えが当たり前で2か月強で8000レスはかなり厳しい状態だったが、12月に入った途端急にスイッチが入り、POC349は1000レス4日1時間12分と1年ぶりの好記録を残した。この急加速で、350で締める目標はほぼ確実に安全圏に入った。
五度目の年越しでは「BW攻略ガイド」からの襲撃に悩まされたものの、所詮は急ごしらえの寄り合い所帯であり、POCが四年間培った結束力とSkypeでの迅速な判断・戦略には敵わなかった。
9月18日に、いわゆる「第五世代」の「ブラック・ホワイト」が発売された。POCでも人気が沸騰したが、連投制限を受けやすい掲示板(*8)を避けてSkypeチャットに住民が流れている。(それでも全体的には速度は上がっている、と思い込んでいたがそんなことは無かった)
ファインはPOC342のラスト(9月25日)で「目標は新年までに350スレ」と書き込んでいる。当時は1スレ10日越えが当たり前で2か月強で8000レスはかなり厳しい状態だったが、12月に入った途端急にスイッチが入り、POC349は1000レス4日1時間12分と1年ぶりの好記録を残した。この急加速で、350で締める目標はほぼ確実に安全圏に入った。
五度目の年越しでは「BW攻略ガイド」からの襲撃に悩まされたものの、所詮は急ごしらえの寄り合い所帯であり、POCが四年間培った結束力とSkypeでの迅速な判断・戦略には敵わなかった。
2月22日に、2年ぶり2度目となるWiiNaの誕生日イベントが開催された。
2008年1月18日に始まり、26ヶ月・110話に渡って執筆されたリレー小説第一作が4月2日に完結。WiiNaによって「幻覚の町」と命名され、4月25日からはルールの自由度をより高くして第二作を開始。2010年の間に90話(約97000文字)まで進んだが、終わりはまだまだ遠い。
2008年1月18日に始まり、26ヶ月・110話に渡って執筆されたリレー小説第一作が4月2日に完結。WiiNaによって「幻覚の町」と命名され、4月25日からはルールの自由度をより高くして第二作を開始。2010年の間に90話(約97000文字)まで進んだが、終わりはまだまだ遠い。
2010年の主な出来事
- 平成22年2月22日22時22分№222 with 322222レス計画 - 2月22日
- リレー小説第一作「幻覚の町」完結 - 4月2日
- リレー小説第二作執筆開始 - 4月25日
- 「ブラック・ホワイト」発売 - 9月18日
- 越年計画第五弾 - 12月31日
2011年
越年計画に向けての機運も年が明けてからは急速に終息に向かい、新年早々前年以上の過疎状態が続いた。3月11日14時46分に東北地方太平洋沖地震が発生した際には、東日本居住の会員らが震災の影響を途切れ途切れながらも生々しく語っている(POC353~354)。
4月に入ると会員のうち2人が大学生、5人が高校3年生になったことで多忙ゆえか過疎はますます深刻化し、POC355で約2年ぶりに最遅記録を更新した(37日5時間34分)。また、リレー小説も2010年末から2か月放置され、3月上旬には盛り上がりを見せたものの数日で長期休載状態に戻ってしまい、そのまま4月25日に開始一周年を迎えた。安価や締め切りのような縛りは無く、会員が書きたいときに書くので、結果として進行は超不定期にならざるを得ないのである。
このまま慢性的な過疎が続くかに見えたが、6月5日(POC357)にうはおkが過去ログからランダムにレスを抽出し投稿するシステムを開発した。これは後に「ぜんちゃん」と命名され、すっかり過疎化したPOCに一種の刺激を与えたが、8月7日(POC363)に管理人から不正アクセス扱いを受けPOCでの運用を断念した。
6月14日午後には一時的に500エラーのためおしゃべり掲示板全体にアクセスできないという事態が生じた。おしゃべり板の閉鎖も噂されたものの、結局21時ごろには復旧しており、管理人側からの報告も無いため事態の全容は不明。
8月28日にはおしゃべり板がURLを変更した。(詳細)
4月に入ると会員のうち2人が大学生、5人が高校3年生になったことで多忙ゆえか過疎はますます深刻化し、POC355で約2年ぶりに最遅記録を更新した(37日5時間34分)。また、リレー小説も2010年末から2か月放置され、3月上旬には盛り上がりを見せたものの数日で長期休載状態に戻ってしまい、そのまま4月25日に開始一周年を迎えた。安価や締め切りのような縛りは無く、会員が書きたいときに書くので、結果として進行は超不定期にならざるを得ないのである。
このまま慢性的な過疎が続くかに見えたが、6月5日(POC357)にうはおkが過去ログからランダムにレスを抽出し投稿するシステムを開発した。これは後に「ぜんちゃん」と命名され、すっかり過疎化したPOCに一種の刺激を与えたが、8月7日(POC363)に管理人から不正アクセス扱いを受けPOCでの運用を断念した。
6月14日午後には一時的に500エラーのためおしゃべり掲示板全体にアクセスできないという事態が生じた。おしゃべり板の閉鎖も噂されたものの、結局21時ごろには復旧しており、管理人側からの報告も無いため事態の全容は不明。
8月28日にはおしゃべり板がURLを変更した。(詳細)
本業であるはずのポケモンも近頃は下火気味である。それでも2009年12月に開催されたHGSS二強杯の第二弾ともいうべき「BW二強杯」を7月に開催しようと準備が進められていた。しかし選手不足や運営体制のあいまいさ(特に、ぜんちゃんが主催者に祭り上げられたこと)など、解決すべき課題を多く残したまま結局計画は立ち消えとなった。そんな中ファインとたらこによる遊戯王談義は息が長く、ポケモンの存在感が薄れつつあるPOCでは目立つようになってきている。
POCでは定期的にオンラインゲームが流行するが、3月9日のSkypeでのおきたァの発言が火種となり「トイ・ウォーズ(*9)」が一時的な流行を見せ、それに取って代わるように3月26日にベカチュウがSkype上で紹介したのをきっかけに音楽ゲーム「osu!」が流行し始めた。特に南無がペンタブの助けも借りて上達が早い。8月にはテイルズウィーバーでサンスルリアが実装され元プレイヤー会員の興味を引いたが、POC全体を巻き込んだ流行を再燃させるには至っていない。
2011年の主な出来事
- 平成23年東北地方太平洋沖地震 - 3月11日14時46分
- 「ぜんちゃん」始動 - 6月5日
- おしゃべり掲示板500エラー事件 - 6月14日
- 「ぜんちゃん」の運用を断念 - 8月7日
- おしゃべり掲示板URL移転 - 8月28日
(*1)POC初期の現存する記録は「配信時期スレ」「POC20」「POC30」「POC40」(いずれも100レスキャッシュ)と、最初の1000レスキャッシュである「POC31」の計5つ。その他POC会議室のレスも意外と参考になったりする。もちろん黒歴史満載。
(*2)1ヶ月間の平均ではないが、2006年10月(4日間)はこれらをはるかに超える1216.85レス/日(推定)である。
(*3)理論的には2分10秒を上回ることは十分に可能だが、実践されることは無かった。
(*4)PHでは10万レス争奪戦後早い段階でルールに「暴走は禁止」と盛り込まれたようである。
(*5)POC201のスレ主を担当したWiiながさきは、制度が始まった直後から早速パスミスしてしまう。
(*6)だいたいWiiNaのせい。
(*7)TW流行中の6月にWiiNaが「年末には30万レス達成したい」と言ったのが始まり。その後上方修正されることになったが、当時は「年末までに達成」すら危険な状況だった。
(*8)うはおkの説明によれば、おしゃべり掲示板の場合「一つのindex.cgi内で他の人がレスすれば自分の連投カウントは消える」ため、マナフィに遭わないためには少数が活発であるより大多数が賑わっている方が良いとのこと。
(*9)英語のイニシャル「TW」は「テイルズウィーバー」と重複するが、この時期はTWといえばもっぱら「トイ・ウォーズ」を指していた。
(*2)1ヶ月間の平均ではないが、2006年10月(4日間)はこれらをはるかに超える1216.85レス/日(推定)である。
(*3)理論的には2分10秒を上回ることは十分に可能だが、実践されることは無かった。
(*4)PHでは10万レス争奪戦後早い段階でルールに「暴走は禁止」と盛り込まれたようである。
(*5)POC201のスレ主を担当したWiiながさきは、制度が始まった直後から早速パスミスしてしまう。
(*6)だいたいWiiNaのせい。
(*7)TW流行中の6月にWiiNaが「年末には30万レス達成したい」と言ったのが始まり。その後上方修正されることになったが、当時は「年末までに達成」すら危険な状況だった。
(*8)うはおkの説明によれば、おしゃべり掲示板の場合「一つのindex.cgi内で他の人がレスすれば自分の連投カウントは消える」ため、マナフィに遭わないためには少数が活発であるより大多数が賑わっている方が良いとのこと。
(*9)英語のイニシャル「TW」は「テイルズウィーバー」と重複するが、この時期はTWといえばもっぱら「トイ・ウォーズ」を指していた。