概要
オペレーションマトリョーシカとは11月4日深夜から5日朝方に掛けて行われた、日・国連合同での対BETA反攻作戦である。
参加部隊
日本軍
- 第一分隊:『ホルス』
- 第二分隊:『開闢』
国連軍
- 強襲部隊:国連軍第一戦術機中隊『テンペスト』
- 軌道降下部隊:国連軍第二戦術機中隊『アビス』
背景~ゲーム内仕様BETA習性の判明まで~
まず当時の戦況からお教えしたい。サービス開始から数日が経過した中、戦況は一進一退であった。
4日午前1時半に44%であったBETA支配率を午後8時には12%まで抑え込むことに成功。しかし度重なる大攻勢で5日の午前1時頃に85%という劣勢に追い込まれていた…といえばお分かり頂けるだろうか。更に不具合により全員がF-4J撃震かF-4ファントムを駆使してBETAと戦う(通称撃震フロンティア)状態であり、戦力の底上げが叶わないこともあって一時期は日本軍(日本人プレイヤー勢)と国連軍(海外プレイヤー勢)共同で東京と厚木に防衛線を構築・死守していた。
4日午前1時半に44%であったBETA支配率を午後8時には12%まで抑え込むことに成功。しかし度重なる大攻勢で5日の午前1時頃に85%という劣勢に追い込まれていた…といえばお分かり頂けるだろうか。更に不具合により全員がF-4J撃震かF-4ファントムを駆使してBETAと戦う(通称撃震フロンティア)状態であり、戦力の底上げが叶わないこともあって一時期は日本軍(日本人プレイヤー勢)と国連軍(海外プレイヤー勢)共同で東京と厚木に防衛線を構築・死守していた。
いよいよ横浜陥落・世界リセットかと思われていた中、当時の国連軍統率者がとある法則に気付く。
- 陥落しても赤い色づきの拠点のみがBETAを吐き出し、その一方で橙色・黄色の拠点は沈黙したままである。
当時は防衛線の負担軽減のため最前線に近い敵拠点を攻撃する「漸減作戦」が行われていたが、対象の一つであった熊谷が赤から橙色になった途端BETA増援派遣をぴたりと止めたこと、またそれより前に名古屋もBETA攻撃波を吐き出した後橙色になったことを指摘。日本軍からも同様の情報がもたらされると、国連軍は熊谷における漸減作戦のみ中断・日本軍も熊谷への攻撃を中止し共同で観測を始めた。
予想通り赤色となった熊谷がBETA増援を送り出したと同時に再び橙色になったことを確認すると、国連軍はこの習性を帝国軍へ報告――いわゆる「熊谷理論」である。
予想通り赤色となった熊谷がBETA増援を送り出したと同時に再び橙色になったことを確認すると、国連軍はこの習性を帝国軍へ報告――いわゆる「熊谷理論」である。
オペレーション・マトリョーシカ発動
この拠点が支配率が90%以下であればその拠点はBETA根拠地とならず実質味方拠点して扱われ逆にBETAが支配率を強めようと侵攻してくる特性を利用し、日本側統率者はオペレーション・マトリョーシカを考案した。
一方の国連側は一足先に名古屋に漸減作戦を展開しその間に日本軍に拠点を制圧してもらうという作戦を考案・実行していたが、日本軍側の立案を受けてこれを修正。国連軍もまた二手に分かれ、マトリョーシカ作戦に参加する強襲部隊と引き続き漸減作戦を行う軌道降下部隊を設立した。
完全に協調が取れているとは言い難い中、こうしてマトリョーシカ作戦は始まる。(余談ながら、記録によれば午前3時から本作戦が立案されるまでに国連軍側は1回、帝国軍側は2回互いの作戦に対し異議を唱えていた)
一方の国連側は一足先に名古屋に漸減作戦を展開しその間に日本軍に拠点を制圧してもらうという作戦を考案・実行していたが、日本軍側の立案を受けてこれを修正。国連軍もまた二手に分かれ、マトリョーシカ作戦に参加する強襲部隊と引き続き漸減作戦を行う軌道降下部隊を設立した。
完全に協調が取れているとは言い難い中、こうしてマトリョーシカ作戦は始まる。(余談ながら、記録によれば午前3時から本作戦が立案されるまでに国連軍側は1回、帝国軍側は2回互いの作戦に対し異議を唱えていた)
作戦推移
- フェイズ1
0453
第一分隊が「薩埵峠」へ、第二分隊は「松本」へ進攻。
テンペスト隊は「裾野」へ。
第一分隊が「薩埵峠」へ、第二分隊は「松本」へ進攻。
テンペスト隊は「裾野」へ。
この時から作戦終了までアビス隊は各地にて遅滞戦闘を開始。手薄になった東京横浜方面や東北には不安定になり次第有志の隊員を1名派遣・防衛に成功している模様。
0530
「裾野」攻略に成功し、テンペスト隊は一足先に「薩埵峠」へ攻撃を始める。
「裾野」攻略に成功し、テンペスト隊は一足先に「薩埵峠」へ攻撃を始める。
0535
アビス隊が「熊谷」に集中攻撃を開始。
アビス隊が「熊谷」に集中攻撃を開始。
- フェイズ2
0545
第一分隊が「焼津」へ移動する。その間、第二分隊は「松本」をキープ。
第一分隊が「焼津」へ移動する。その間、第二分隊は「松本」をキープ。
0549
第二分隊が「焼津」へ進攻。アビス隊は「諏訪」にて漸減作戦を開始。
第二分隊が「焼津」へ進攻。アビス隊は「諏訪」にて漸減作戦を開始。
- フェイズ3
0551
第一分隊「湖西」
第二分隊「中津川」
テンペストは「焼津」
アビスは「諏訪」へ
第一分隊「湖西」
第二分隊「中津川」
テンペストは「焼津」
アビスは「諏訪」へ
0610
テンペスト隊が「焼津」を確保する。その後、苦戦していた第一分隊援護のため「湖西」へ急行。
テンペスト隊が「焼津」を確保する。その後、苦戦していた第一分隊援護のため「湖西」へ急行。
0615
第一分隊「名古屋」へ
第二分隊「中津川」へ
テンペストは湖西へ
アビスは砺波へ
第一分隊「名古屋」へ
第二分隊「中津川」へ
テンペストは湖西へ
アビスは砺波へ
ちなみにここで第一分隊が国連軍の部隊名を羨んだ隊員によって「ホルス分隊」と名付けられた。一方第二分隊は隊長の独断で「開闢」と決まっていた模様。
0636
ホルス・開闢「中津川」へ
テンペスト・アビスは「湖西」へ
ホルス・開闢「中津川」へ
テンペスト・アビスは「湖西」へ
0645
敵の抵抗激しく中津川方面に撤退を指示されたホルス分隊だが名古屋にて奮戦中の友軍を発見。
支援の為司令部に引き返す許可を申請、受諾され名古屋戦線に戻っている。
敵の抵抗激しく中津川方面に撤退を指示されたホルス分隊だが名古屋にて奮戦中の友軍を発見。
支援の為司令部に引き返す許可を申請、受諾され名古屋戦線に戻っている。
0648
中津川の大まかな掃討が完了・安定したため、「開闢」は名古屋へ派遣された。
中津川の大まかな掃討が完了・安定したため、「開闢」は名古屋へ派遣された。
0650
諏訪が更地の危機に晒されるため、全軍急行。
諏訪が更地の危機に晒されるため、全軍急行。
0658
ここで衝撃的な事実が発見される。なんと80%以下にまで間引きされたはずの名古屋が敵増援を吐き出したという。
熊谷理論の例外となった本事例は即座に国連軍と共有され、結果「熊谷理論において更地は適用外。出雲﨑・名古屋(つまり敵の上陸・拡散開始地点)はいつでもBETA増援派遣可能)と結論付けられる。
ここで衝撃的な事実が発見される。なんと80%以下にまで間引きされたはずの名古屋が敵増援を吐き出したという。
熊谷理論の例外となった本事例は即座に国連軍と共有され、結果「熊谷理論において更地は適用外。出雲﨑・名古屋(つまり敵の上陸・拡散開始地点)はいつでもBETA増援派遣可能)と結論付けられる。
0703
事態を重く見た国連軍司令官は出雲崎方面を高田-諏訪-新潟で、名古屋方面を砺波-中津川-湖西でといった具合に隣接拠点における防衛線の構築を立案する。
アビス・テンペスト両隊を名古屋へ集中投入し、目標を名古屋制圧から次の大規模侵攻抑制へ転換する案であった。
事態を重く見た国連軍司令官は出雲崎方面を高田-諏訪-新潟で、名古屋方面を砺波-中津川-湖西でといった具合に隣接拠点における防衛線の構築を立案する。
アビス・テンペスト両隊を名古屋へ集中投入し、目標を名古屋制圧から次の大規模侵攻抑制へ転換する案であった。
0709 日本軍統率者は国連側の防衛線構築案を了承。同時に同時刻を以てマトリョーシカ作戦は完遂されたとみなし、以降は諏訪を死守する防衛戦へ移行することを決定。
結果
こうして、オペレーション・マトリョーシカは完遂。圧倒的な物量に推されながらも全世界プレイヤーの総力を結集して行われた一大反撃作戦は参加プレイヤー全員の脳裏に刻まれた――のだが、全力を出し切った合同戦線をあざ笑うかのようにBETAの襲来は止まらなかった。結果、日没前に防衛線は決壊。
折角奪還できた勢力圏は、マトリョーシカから取り出されるマトリョーシカの如く縮小していったのであった。
折角奪還できた勢力圏は、マトリョーシカから取り出されるマトリョーシカの如く縮小していったのであった。