「なーにソワソワしてますの?」
見慣れた景色に聞き慣れた声、それでも少女はどこか落ち着かない様子で、歩き慣れた修道院の中をウロウロしていた。
声の主である麗しきお姫様は、普段通りに浮き世離れした美しさで、少女の瞳を見つめてくる。
「…なんだろう、緊張してるんだろうか」
「緊張する要素がどこにありますの?」
馴染みのある場所に、馴染みのある顔がやってくる。
言ってしまえばただそれだけのことで、確かに緊張するようなことではないのだろう。
それでも
マトリがどこか落ち着かないのは、ただそれだけのことに馴染みがないからであった。
友人が訪ねてくる。
修道院という騎士神の庭で育ったマトリにとって、周りにいる少女たちは皆、寝食を共にした姉妹であった。
これからこの修道院にやってくるのは、修道院の外で初めて出会った同年代の少女であり、初めての友人である。
実家というべき修道院に友人がやってくるのも、これが初めて。
とはいえ、それは目の前にいるヴィスタリアにとっても同じことのはず。
「キミは普段通りのようで何よりだ、図太い神経をお持ちのようで」
2歳上の姉上に思わぬ大人の余裕を見たような気がしたけれど、素直にそうは言ってあげない。
「むむ、私だってこの前は少し緊張しましたわ、でもファリスが来るのは今回で2度目でしょう」
「この前は神殿だっただろう」
「あそこも大して変わらないでしょうに」
「ザイア様に失礼だぞ、そんなんだから神の声が聞こえないんだ」
「あら、啓示を受けていないのはあなたも同じでしょう?」
「ごもっとも、返す言葉もないな」
くすくすと、二つの笑い声が広がる。
騎士神の子たるザイア神官に育てられた二人にとって、ザイア神殿は言うなれば祖父母の家。
神殿と比べられるほどのようなものではないが、修道院にも祈りを捧げる施設は用意されている。
ヴィスタリアの言い分もあながち間違っていないのだろう。
それでもマトリには、今回が初めての友人の来訪であると言いきる理由があった。
前回、ファリスはマトリとヴィスタリアの友人として招かれたわけではない。
そこにあったのは、冒険者と依頼主との関係であった。
依頼を達成した恩人に対する報酬を渡すべく、神殿に招待したのだ。
報酬というのも、ちょっと豪華な会食だとか、感謝を示す舞だとかそんなものではなく、もっと儀式めいた神聖な行いであった。
今回ファリスを呼んだ目的もある種の儀式ではあるのだろうが、依頼ではなく冒険者同士での提案に基づくもので、そう堅苦しくはないとマトリは認識している。
堅苦しくないが故に別の緊張が生じているのだが。
「どうかしら?少しは落ち着いたんじゃないかしら?」
愛らしいどや顔を浮かべ、ヴィスタリアが得意げに言う。
他愛ない会話をするうちに、確かにマトリはいつものペースを取り戻していた。
やはりこのお姫様にはかなわないな、と心の中では思うけれど、やっぱり素直には言ってあげない。
「キミほど単純ではないよ」
「あらあら、だったら落ち着くまで付き合いますわ、お姉ちゃんに甘えてご覧なさいな!」
「ふむ、ならばお言葉に甘えるとしよう」
そう告げるや否や、真剣なまなざしで、マトリはヴィスタリアに顔を近づける。
ヴィスタリアはきゅっと目を瞑る。
長いまつげが憎らしい。
こつん。
「…えっ」
おでこに伝わる軽い衝撃に、ヴィスタリアはおもわず間の抜けた声をあげる。
「なーんてな、そろそろ約束の時間だ、先に行ってるぞ」
いたずらっぽい微笑を浮かべ、軽い足取りでマトリは去ってゆく。
「…ばか」
緊張がうつったのだろうか。
ヴィスタリアは、自分の胸の鼓動の高鳴りを感じていた。
「大丈夫ー?もしかして緊張してる?」
少し時間は遡り、落ち着きのない人物がもう一人。
「そうですね、正直に言うと緊張してます」
柔らかく微笑みながら、その女性は白状した。
「シスターは何度か会ったことあるんでしょ?なんで初めて会うわたしより緊張してるのさ」
「いえ、ファリスさんと会うこと自体に緊張してるわけではありませんよ?」
「そうなの?」
まっすぐ目を見て話すその少女に、シスターと呼ばれた女性は愛しいものを見るような目を向ける。
「実はですね、レベレイションを行使するのは初めてなんです、内緒ですよ?」
唇に指を一本添えながら、シスターは答えた。
「そっか、わたしの時は使わなかったもんね」
「あの若さで啓示を受けたのですから、
ジニアさんの祈りがザイア様の心を動かすほどのものだったんでしょうね」
ジニアは少し照れたように笑った。
「でもね、修道院のみんなもちゃんと祈りを捧げてるよ、マトリもヴィスタリアも毎日ちゃんと祈ってるって言ってたし」
ジニアは昔から自分が褒められることよりも、姉妹が褒められるほうが嬉しいと思うような少女だった。
優しく育ってくれてよかったと思う反面、自分の優先順位を低くしがちであるのは少し心配でもある。
かつて共に暮らした友人には、あんたも似たようなものだけどね、と言われたが。
「わかっていますよ、皆さんの祈りはちゃんと届いていますとも」
「そういえばさ、なんでわたしたちにはレベレイションを使わないの?」
ジニア以外にも、修道院の少女たちの中でザイア神官を志す者は少なくない。
近道のようでずるいのかもしれないが、みんなの祈りは本物であるとジニアは知っている。
「それには二つ理由があるんです」
「二つ?」
「はい、一つ目は皆さんに広く視野を持ってもらいたいからですね」
修道院始動にあたって、すぐに決めた約束事だった。
騎士神の教えを突き詰めていくと、最終的には自己犠牲の精神が必要となってくるだろう。
修道院の少女たちのほとんどは、自分は救われたのだから他者の役に立たなければならないと、心のどこかで考えている。
行き過ぎた自己犠牲を、神の教えを理由に後押ししてはならない。
救われた命を投げ打つのは嘆かわしいことであるというのが、騎士神とその神官たちの共通認識であった。
ジニアに啓示があったのも、この子であれば大丈夫だろうとザイア様が考えたからに違いない、そうシスターは思っている。
「ふーん、二つ目は?」
「二つ目を説明する前に問題です、ザイア様の神聖魔法がどんなものか覚えていますか?」
「簡単に言うと人を護る力を授けてくださる魔法だよね」
「そうですね、ここまでは正解ですよ」
「わたしはまだまだだけど、シスターくらいになると完全防護の魔法が使えるんだっけ」
「その通りです、よく勉強してますね、流石ですよ」
「えへへ」
シスターがそっと頭を撫でると、ジニアは恥ずかしがりつつも笑顔になった。
「ではその魔法が使える条件は知っていますか?少し難しい話ですが」
「うーん、すぐ近くにいないと使えないんだっけ?」
「そうですね、あと一つ条件があるんです、実際に問題になることはあまり無いのですが」
「うーん、わかんない、降参」
ちょっと申し訳なさそうに告げるジニアを見て、シスターも同じくちょっと申し訳ない気分になった。
「難しいですよね、実は完全防護の魔法はザイア神官には効果がないんです」
するとジニアは合点がいったようで、嬉しそうに答えた。
「なるほどー、いざという時わたしたちを護るためなんだね」
「実際に使うかは置いておいて、手を用意しておくに越したことはありませんからね」
「でもそっか、ザイア神官には効果がないのかー、ちょっと残念」
「大丈夫ですよ、いざというときはジニアさんは私が命をかけて護りますから」
「違うの、嬉しいけどそうじゃなくてね」
首を横に振りながらジニアは続ける。
「その魔法が使えたら、わたしがシスターを護れるのにって思ってたの、それができないのが残念」
「わわっ、急にどうしたの」
今の自分はどんな顔をしているのだろうか。
娘には見せられない顔のような気がして、ロゼッタはしばらくそのままジニアを抱きしめていた。
マトリはけっこうファリスのこと好きだよみたいなこと書きたかったはずだった
最終更新:2020年12月02日 02:15