希望だった。
一目惚れだった。
あなたはきっと、逆境に耐える一輪の花。
絶望の海に飲まれる私には、あまりにも眩しすぎる花。
私の恋はきっと、破滅への呪い。
恋に酔ってはならない。
無償の愛でなければならない。
姉を失った。
友も失った。
母も失った。
妹ならばどうだろうか。
あなたがとても愛おしかった。
希望を失いたくなかった。
だから私は、あなたの姉で在ろうと誓った。
雪降る王都の街並みに、ひとつ、またひとつと、甘い空気が漂う。
明日は主に第一の剣に属する神々を信仰する者たちが、始祖神が神格を得たことを祝う日。
祝い方は信仰する神々により多様性があり、騎士神の花園で育った私たちからすると、家族と共に過ごす日という印象が強い。
この日だけは毎年欠かさずシスターも修道院に帰ってくるので、私たちも明日は午後から修道院に帰る予定でいる。
ではこの甘い空気の正体は、というと、王都に滞在するようになってから知った、融合神の教えによる始祖神の日の過ごし方のせいらしい。
始祖神の日、および始祖神の日前日は恋人と過ごすべし。
融合神のお膝元たるこの街で、近年急速に広まった考えだそうだ。
ここ数週間の日に日に街が浮ついてゆく様子は腐っても騎士神の子である私からすれば異様な光景ではあったけれど、だんだんとこちらも乗せられてきたのか、今では悪くない雰囲気だなと思いつつある。
例えば今見ているペアマグカップ。
初めはこれみよがしにカップル向けの商品が並べられていくのは狙いすぎなようで気に食わなかったけれど、今ではこうしてまんまと手に取り眺めているのだから笑えない。
「こんなところにいたのか」
背後からの聞き慣れた声に少し驚いた隙に、声の主はひょいとマグカップを攫ってゆく。
「あら、買い物は済みましたの?」
「いや、まだ残ってる」
「だからついて行くと言ったじゃありませんの、次はどこにいくのかしら?」
「用があるのはこの店だ、用ができたと言った方が正しいか」
店の奥へと向かった妹を追いかけようか迷っていると、程なくして会計を済ませた様子で戻ってくる。
「まったく、キミは本当に単純だな」
微笑を浮かべながら彼女が差し出す袋の中身は、先程のペアマグカップだった。
「さあ、とっとと帰るぞ」
「やっぱりついて行けばよかったかしら」
「まだ言ってるのか、キミがついて来たところで特にやることもないだろう」
一緒にいる時間が長くなるでしょう?
もしそう伝えたらどんな反応をしてくれるだろうか。
邪魔なだけだな、と冗談気味に返されるだろうか。
「……値切りとか?オマケして貰うのは得意ですの」
冗談だったとしても少し傷つくのが怖くって、素直な言葉をそっと引っ込める。
「残念だったな、八百屋のおば様とは良好な関係を構築済みだ」
この人参もサービスだった、と戦利品を見せびらかしてくる。
ちょっぴり漏れ出す得意げな顔が愛らしい。
「ふむ、私でしたらフルーツのひとつふたつくらいまでいけるかもしれませんけど?」
我が最愛の妹は、昔から意外なくらい記念日などを大切にしてくれるタイプだった。
私に向けられた特別な愛の形……と言えたらよかったのにと思わなくもないけれど、決して特別なわけではない。
修道院にいた頃からずっとそうで、今日で出会ってからちょうど一年の記念日だね、と言われた時には驚いた。
「かもしれない、って確証はないのかね」
修道院では年長者である私たち三人は昔から、妹たちの誕生日、初めて修道院に来た日に合わせてそれぞれプレゼントを用意しているのだけれど、日程を最も正確に把握しているのはいつも彼女だった。
「ありませんわ、実際に試してみませんこと?」
プレゼント以外では料理にも記念日は反映され、誕生日に彼女が炊事担当だった場合には必ず好物が夕食に出されると評判だった。
今となっては料理特権をほぼ私が握っている状態なので、少し申し訳ない気もしてくる。
「機会があればご披露願おう、機会があればな」
今こうしてふたりで街を歩いているのも、今日の夕食のための買い出しに向かう彼女についてきたからだ。
本音を言うとふたりで歩けばデートのような雰囲気にならないだろうか、なんて淡い期待をしていたけれど、街に着くや否やキミは服でも見てきてはどうかね、と言われついて行く言い訳を失ってしまった。
それだけで終わればちょっぴり苦い思い出になってしまうところだったけれど、今こうしてマグカップの入った袋をぶら下げて歩いているだけで幸福を感じているあたり、良いように弄ばれているような気がしてくる。
「……あら?こっちは帰り道じゃないでしょう、まだ道を覚えてないのかしら」
「そんなわけがないだろう、予定通りさ」
疑問に思いながらも彼女について行く。
彼女の歩幅が私の歩幅になったのは何時からだったろうか。
私の歩幅が彼女の歩幅になったのかもしれないけれど。
「それで、どこに向かってますの?」
「もうすぐわかるさ」
「夕食の準備は大丈夫ですの?」
「問題ない……というかキミが言うことかそれ」
「まあそうですけども」
「さて、そろそろ目をつぶってくれ」
「はあ」
言われるがまま目をつぶると、彼女に手を引っ張られる感覚がした。
どうせ手を繋ぐなら、もっと早く繋いでくれればよかったのに。
冒険者のものとは思えない、小さく柔らかい冷えきった手。
いつだか彼女はキミの手が血に染まるのは悲しい、なんて言っていたけれど、こうして繋いだ彼女の手だって今では血に染まってしまっている。
血塗られた共通点であろうと、彼女と同じなら呪いではなく祝福に思えた。
「よし、もう目を開けていいぞ」
目を開けると、いつの間にか高台の上まで来ていたことに気がつく。
夕日に照らされた街並みが視界いっぱいに広がる。
まるで私が目を開ける瞬間を待っていたかのように、一斉に街灯に火が灯る。
「……きれい」
「キミのほうが綺麗だよ」
「ベタなセリフですわね」
我ながら下手な照れ隠し。
「お約束かと思ってな、もちろん本心ではあるが」
「あら、私を口説くつもりかしら」
とっくの昔に陥落済みですけども、と心の中で呟く。
「……昔ここに来たことがあってな、修道院に来る前の話だ」
黙って彼女の次の言葉を待つ。
「ここだけは覚えてたんだ、家族で訪れた思い出の場所」
繋いだままの彼女の手に、少し力が入った気がした。
「だからその……キミにも見せたかったというか」
少し潤んだ瞳の彼女が、自虐っぽく小さく笑う。
「ダメだな、こんな時に限って上手く言葉が出てこない、湿っぽくするつもりはなかったんだが」
「そうですわね、せっかくの景色ですもの、笑ったほうがいいと思いますわ」
彼女の手を強く握り返す。
「あなたが思ってるよりずっと、あなたの笑顔は魅力的ですのよ?」
控えめなあなたのその笑顔に今までどれほど救われてきただろう、こんな気持ち、あなたは知らないでしょうけど。
「もしそうだとしても、キミの笑顔には敵わないがね」
「相手が悪かったですわね」
ふたりだけの世界に、ふたつの笑い声が響いた。
手を繋いだまま、魔法みたいに彩られた街を家に向かって歩いてゆく。
ふたりで歩く街並みはキラキラと輝いて見えて、まるで街を彩る魔法に私たちも巻き込まれてしまったようだった。
もしこの時間が魔法なら、どうか解けてしまわないで。
そう祈りを込めて、絡めた指と指が解けてしまわないよう、強く握り合った。
最終更新:2020年12月24日 22:06