グリーン・デスティニー ◆iDqvc5TpTI


『時間だ……』

地下の世界に反響するその声にアシュレー・ウィンチェスターは気を引き締める。

今の彼の姿は数十分前の化物染みたものではない。
セッツァーに薦められた通り地下へと潜ったことが功を奏した。
誤解から他者に襲い掛かられることを気にしないでよくなったアシュレーは心を落ち着かせることに専念できた。
ロードブレイザーが宣言どおり邪魔をしなかったこともあり、何とか魔神の意識を抑え、人の姿に戻れるに至ったのである。

だがせっかくの努力もこの放送を超えられなければ元の木阿弥になる。
放送直後の時間に押し寄せてくる大切な誰かの死を知ったことで起きる悲しみや怒り。
前回の放送時はそれら大量の負の念を喰らい力を大きく取り戻したロードブレイザーに身体をのっとられかけた。
二度と同じ轍を踏むわけには行かない。
そう心に誓い覚悟を決めていた。

無駄だった。
アシュレーを嘲笑うかのように今回の放送でも前と変わらない死者の数とARMSのメンバーの名前がまた一人呼ばれてしまった。

『良かったではないか、アシュレー・ウィンチェスター』

前回同様多くの負の念を吸収できたことで表層意識へと浮かび上がってきた焔の災厄が語りかけてくる。

「何がだ……ッ!」
『放送だよ。聞いただろ、11人もの死者の名を。その中の一人としてあの禍祓いの女の名を』
カノン……」

赤い義体に身を包んだ女渡り鳥の姿が心に浮かぶ。

『くくく……。そういえばそんな名前だったか?まあいい。
 もしも奴が生きてお前の前に現れていたら、今度こそお前も私ごと祓われていたかもしれないからな。
 かってにのたれ死んでくれたのは私にとってもお前にとっても幸運ではないか』

禍祓い。
魔を祓うことを専門としていた彼女と魔神を身に宿したアシュレーは初めはロードブレイザーの言うようにぶつかり戦いはした。
だけど、だからこそ。そこに憎みあう心は無かった。
ぶつかって、戦って、手を取り合って、共に戦うようになった。

「黙れッ! カノンは僕の仲間だ。幸運なわけがないだろッ!!」
「仲間? ふん、そうだな。そういえばあの時、奴はそれが理由でお前を殺せなかったな?
 だが果たして今回もそうだったのかな?
 奴は聖女の末裔であることの呪縛から逃れ、自らの本当の願いを知った。
 めでたい、実にめでたい話だ」

嘲りの気配を一切消すことなくロードブレイザーは続ける。

「だがな。だからこそ今度は英雄になろうとしてではなく、自らの居場所を守るために貴様を殺していたのではないか?
 自分の意思で。お前一人を犠牲にしてでも自分の居場所を、他の仲間を守ろうとな」

カノンが真に求めていたのは魔を祓い英雄になることではなかった。
スラムで生き、母からも英雄の血族たることを求められた誰に顧みられることの無かった少女が欲しかったのは居場所。
そしてやっと見つけた居場所こそがアシュレー達だったのだとスピリチュアル・ミューズの試練を超えた後ぶっきらぼうに言っていた。
その彼女が魔神の言うようにアシュレーを殺しに来るとは到底思えなかった。

魔神からしてもこの程度の言葉でアシュレーを大きく惑わせられるとは踏んではいない。
自分の起こす一挙一動にアシュレーが僅かでも怒りや苛立ちを覚えれば儲けものだと遊び感覚で罵詈雑言を浴びせているのだ。

「ああ、それとも何だ?
 お前は死にたがっているのか? なら確かに残念だったな、ハハハハハッ!」
「そんなつもりは……無いッ!! 僕は……負けないッ。お前なんかに、負けはしないッ!!」

この言葉にも大した意味は無い。
確かにそれは一つの解決策ではある。
いくらか取り戻してきたとはいえ現状ではロードブレイザーに実体化する程の力は無い。
しかし言葉通り死にたがるくらいにアシュレーの生きる気力が低下していようものなら今頃ロードブレイザーは難なくアシュレーの身体を奪えている。
すべからく戯言だった。

故にアシュレーには延々と魔神から垂れ流され続けるいかなる言葉よりも同じ人間から発せられたその問いかけの方が重かった。


「てめえは、なんだ?」


フィガロ城に行き着いたアシュレーを迎えたのは、セッツァーから聞いて探していたトッシュの突き刺すような瞳だった。







薄暗い地下の世界に灯火が揺らめく。
フィガロ城の潜行が止むと同時に人の手に頼らず灯された蝋の炎。
迎えるべき主を失った光は城内の物を照らし、影を落としていく。
その影の中に一つ、明らかな厚みと質感を持つ異質な黒が紛れ込んでいた。

這うように蠢く幻影。
己が気配を一部たりとも漏らさないよう決して速くは無い動作で接近したそれは。
踏み込み一回で詰めれる距離に標的を捉えるや否や、それまでの緩慢な動作を捨て撃ち出された弩弓もかくやという勢いで襲い掛かる。
腕は弦、短刀は矢。
背後を取り、必殺の意のもと振り下ろしたアサッシンズは、

「チッ」

突如背に回された標的の剣に受け止められ首筋まで後一押しの位置で停止する。
まるで襲撃される瞬間を狙い済ましたかのような動きだった。
きっと本当に襲撃者の仕掛けるタイミングを把握していたのだろう。
暗殺者が此度命を狙ったのはそういう相手だ。

「……やはりお前には不意打ちは通用しないか、ゴゴ」

ゴゴの物真似は単に人や物の外見や動きを真似するだけに止まらない。
その性格に趣味や趣向も完全に把握し、外面だけでなく内面をも模倣する。
動きに中身が伴ってこその真の物真似だと考えているからである。
そんな彼からすれば城に潜みし襲撃者がシャドウとさえ分かっていれば、気配は読めずとも思考をトレースし襲撃に備えることは簡単だった。
そのトレースした思考の中には、シャドウが殺し合いに乗ったであろう理由も含まれている。
物真似師の口から紡がれた第一声は何故やどうしてといったものではなかった。

「エドガーが、死んだ」

刃は依然薄皮一枚で到達する距離のまま。
しかし一切の怯えも動揺も含まず、ゴゴは今一番に言うべきことを誰かの真似ではないゴゴ自身として口にする。

「……知っている」

知らないはずが無かった。
幾ばくか前に流れたオディオの声は地下の世界へも分け隔てなく届いた。
否、たとえ地上にしか声が降り注がなかったとしても、シャドウがその名前を聞き逃すことは決して無かっただろう。

「ティナも、もう居ない」

ゴゴが着込んでいる何枚もの布を重ね合わせた服。
そのうちに見慣れた、それでいて見たことの無い物が挟まっていることにシャドウも気付いていた。
魔石だ。
魔法は真似するものであり、覚える気のないゴゴがどこか大事そうに装備していることからシャドウはその魔石が誰が変じたものかを察する。

「その魔石はどうした?」
「物真似の一環として剣の礼代わりにお前とさっき戦った男から譲り受けた」
「……そうか」
「泣かないのか? ビッキーも、ルッカも、リオウもこんな時涙を流していた」

ゴゴは問う、自分の何倍も長い時間をティナやエドガーと共に過ごしてきた男へと。
自らの知らない彼らを知っている男へとほんの少しの嫉みも込めて。

「泣き方なんてとうに忘れたさ」

相棒を、ビリーを見捨てたあの日から。
クライドは誰かの為に泣くこともできない影人形となった。
だから今感じているもやもやは悲しみ等ではなく大口を叩いた割りにあっさり死んだ強敵への怒りだ。
そうに決まっている。
だというのに。

「俺は今のお前だけは真似したくは無い」
「殺し合う気がないからか?」
「……涙を流してしまいそうだからだ」

ゴゴは背を向けたまま言った。
お前の心は泣いていると。
本当は泣きたがっているのだと。
これではお前の真似をしようものなら、本物と違い身体の方まで泣いてしまいそうだと。

そうなのだろうか?
分からない。
ただ、たとえそうだったとしても皆殺しをやめる気の無い自分にその資格はない。
或いは、この泣く資格が無いという考え方そのものが、ゴゴの言うように自分の本心を押し止めているが為なのか。
考えてもせんないことだ。
シャドウは自嘲気味に吐き捨てる。

「……この三流物真似師が」
「一流すぎるのも考え物だと思って欲しい」

確かにとシャドウは心の底で嘆息する。
自らの選んだ生き方<<物真似師>>にどこまでも従事するその姿勢。
エドガーをリーダーと見定めたように、その一点ではシャドウはゴゴのことを認めていた。

「ふん。今日はよくしゃべるな。お前がそこまで口を利いたのは初めてだ」
「当たり前だ。その為にトッシュに無理を言ってお前の前に立ったんだ」

――すまない、トッシュ。リオウの仇を討つ前に少し俺に時間をくれ。俺はシャドウと話がしたい

聞き出したリオウを殺した人物の風体や特徴が顔見知りの一人に当て嵌まった時、そんな台詞を自然と口にしていた。
トッシュの方は予想通りだという顔だったが、当のゴゴ自身にとっては自分の出した要望が意外だった。
ティナやリオウ、放送で呼ばれたルッカとは違い、シャドウは既に存分に物真似をし尽くした対称だ。
たとえこの手で葬ることになっても悔いは残るまい。
だというのに。
ゴゴはけじめをつける前に僅かばかりの時でもいいからシャドウとゴゴとして話しをしたいと思った。
それが説得ならまだ理解はできた。
しかしシャドウが一度決めたなら最後までその自分を貫き通す男だということをゴゴは知っているし、リオウのことを許す気にはなれない。
よってゴゴが望んだものは意味の無い雑談以外の何物でもない。
実際シャドウと対面を果たし望みどおり話しはできたがそれで何かが変わったという気はしない。

そのはずなのだが。

ゴゴは戦う前に話せて良かったと思う。
もしかしたらシャドウもどこか同じように感じていたのかもしれない。
何故なら常に比べて饒舌なのはこの黒尽くめの男も人のことを言えないのだから。

シャドウにゴゴ。共に素顔を隠し、本心さえも別の何かで覆った二人。
物真似なんかしなくとも彼らは元よりどこか似ていた。

「そうか。だがおしゃべりはここまでだ。お前も俺も……言葉でなく自らが選んだ道で語る方が性に合っているだろう」

言葉と共に示し合わせたようにシャドウが大きく後退し、ゴゴが180度身体の向きを変えて相対する。

「いくぞ、物真似師」
「来い、暗殺者」

ここから先に言葉は要らない。
地下の城にて暗殺者と物真似師が交差する――




ゴゴからリオウ殺害犯が彼の仲間だと聞かされた時、トッシュは思いのほか動じなかった。
僅か数分後にはきつく握り締めることになる拳にもこの時点では力を込めてはいなかった。

――そうか。んで、ゴゴ、お前はどうしたい?

呆けるでもなく食って掛かるでもなく冷静に返していた。
トッシュ自身、つい先日親父と慕っていた男に裏切られ、守りたかった故郷の顔なじみ達を切り殺されたからだろう。
もっともゴゴの推測によるとその殺人犯は彼の親父とは違って100%自らの意思で殺し合いに興じたようだが。
セッツァーから聞いた情報からしても多分その推測は間違ってはいない。

死んだ親父がキラーマシーンとして蘇らされるのと、共に戦った仲間が誰に操られるのでもなく大切になりえた誰かを殺すのこと。
どっちの方がマシなんだろな。
馬鹿げた疑問だ。
どっちも最悪に決まっている。

くだらないことを考えてしまった自分に心の中で唾を吐き捨て、ゴゴの訴えに耳を傾ける。
ゴゴが口にしたのは至極当然のことだった。
話がしたい。真摯な目でゴゴはそう言って来たのだ。

そうだろなぁ。
そりゃあそうだろ。
仲間だっつうなら話したい事や言いたいこともあるよな。

モンジとの決着だけは他人の手に譲れなかったあの時のトッシュのようにゴゴにもまたシャドウとの間に譲れぬ何かがあるのだろう。

その後二つの大きなきっかけがありトッシュは心を決めた。

「行って来な」

この男が仇を他人に譲ることなんてそうそうない。
が、今回はモンジとのことに加えて二つの要因が重なり、トッシュはゴゴに順を譲った。
ゴゴは一度頭らしき部分を下げた後シャドウが退いたと思われる方に走っていった。
これでいい。
下手すれば、いや、ゴゴの奴が手早く上手くやればトッシュはリオウの仇を討てなくなってしまうがしゃあねえなあっと我慢した。
正直言えばやはりこの手でリオウの仇は取りたいという未練はある。
彼はリオウのことを気に入っていたし、ナナミのことやビクトールのこともあった。
けれども出会えば刀を交えるしかないトッシュと違って、ゴゴにはもう一つシャドウと交えるものがある。
死んでしまった人間とは二度と交えることのできない心と言葉がある。

「――――」

言葉にならない音が口から漏れた。
呼んだところで返事が返ってくる事は一生無い大切な仲間達の名前だった。
トッシュにゴゴの願いを聞き入れさせる一因となった魔王の放送で呼ばれた者達の名前だった。

すまねえ。

簡単に死ぬわけねえとたかをくくり積極的に探さなかったこと。
彼らの命を奪ったのがシャドウならその仇さえも譲ってしまったこと。
悲しいのに、涙ではなくどうして死にやがったという怒りの言葉の方が先に飛び出そうなこと。
そういった感情を整理することを後回しにしてでもやらなければならないことがあること。

全部全部口に出さずにたった一言で謝って。
トッシュはゴゴを見送っていた視線をずらす。

「よお、待たせたな」

そこにはトッシュをこの場に残らせた決定打が立ちすくんでいた。

「もう一度聞く。てめえは、なんだ?」

剣と言葉を突きつけた相手は一見ただの青年だった。
だがトッシュには青年を普通の人間としてみることができなかった。許されなかった。
見えるのだ、青年のうちに流れる気の流れが。
ロマリアの四将軍さえ可愛く思えるどす黒さを含んだ気の流れが!

「僕はARMSのアシュレー・ウィンチェスターです。あなたがトッシュさ「んなことを聞いてんじゃねぇえッ!!」」

そもそもこうもくっきりと気脈が見えていること自体おかしい。
人体に流れる気を精密に見極める技術が必要なモンジが開眼した奥義の域にトッシュは未だ至れていない。
それがこうもはっきりと見えるのは中てられているからだ。
アシュレーの内に潜む魔神ロードブレイザーのあまりに禍々しき毒気に!

その毒気は否応なくモンジの身体に巣食っていたネクロマンサーの邪気のことを思い出させる。
仲間の死を告げられたばかりだったことが更に胸糞悪い想像に拍車をかけた。

「てめえはロマリアの野郎の仲間か?」
「ロマリア? すまない。何を言っているのか分からない」
「とぼけんじゃねえッ!! 俺には見えてんだよっ、てめえの心んうちから溢れ出しているどすぐれえもんがッ!!」

数々の情報を手に入れていながらも異世界の存在を当然の如く考慮していないトッシュからすれば他に考えようが無かった。
出会った人間の中にアシュレーの知り合いが誰一人いなかったのも不運だった。

そして不幸は加速する。
誤解を補強してしまう出来事が起きてしまったのだ。

「ウゥオオオオオォォォォォォォォッ!!!!」

トッシュがねめつけるアシュレーの背後。
雄たけびを上げながらそいつはやってきた。

「もう一体いやがったか!」

ぽっかりと胸部に空いた穴。
白い肌と僅かな衣服を盛大に赤く染める渇ききった血液。
何を映すでもなくただただ緑色に輝くだけの硝子球のような眼。
生気と共に色さえも失ってしまったかの如く白い肌と髪。

その全てが全て生きているもののそれではなかった。

にも関わらずそれは生者のように二本の足で立ち蠢いていた。
女。
人間という種族に無理やり当てはめるならそいつは女。
かってアティと呼ばれた教師の成れの果ての姿だった。




振り向くことの無かったセッツァー=ギャッビアーニは気づかなかった。
彼の背後、突き殺した死人同然だった女の身体に起きた異変に。
同時に彼は恐ろしく幸運だった。
一度も脚を止めることなく殺害現場から立ち去ったからこそ、そいつの標的にされなかったのだから。

ぴくりと、死んだはずの女の手が動いた。

のろりのろりと虚空へと伸ばされた腕には先程までは無かったはずの一本の剣が握られていた。
透き通る美しい碧の色に反した禍々しさを纏う剣。
碧の賢帝シャルトスである。
そしてかの魔剣には死に瀕した契約者を無理やりにでも助ける一つの能力があった。

死亡覚醒。

分かりやすい言語で名づけるならばそう表すべきか。
瀕死状態で意識の弱まった主に一瞬だが魔剣が取って代わり身体を操作し強制的に剣を召喚させその魔力で傷を癒させるのである。
棺桶に片足を突っ込んでいる状態からの回復でさえ全ての世界の始祖と想定される超常の存在から汲み上げる力をもってすれば容易い。
いや、たとえどれだけ手間がかかっても幾星霜を経て漸く見つけた自らの身体になりうる適格者を魔剣は死なせまい。

しかし、である。

アティは死んだ。
魔剣に生かされること無く死に果てた。

何故か?
非常に限定的とはいえ死者蘇生にも通じる力であることを嫌い、オディオが制限を課したからか?

違う。
それが単にリスクの無い延命機能だったのならオディオも魔剣に細工したことだろう。
だが、魔剣による復活は剣に込められた数多の死者の念による精神侵食という副作用がある。
人間の愚かしさを知らしめんとしている魔王にとってはむしろ喜ばしい特性だ。
故に魔王は死亡覚醒については剣から流れ込む怨念の量を十数倍にした以外は一切の制約を課さなかった。

そして結果的にはそのたった一つの制約がアティの命を奪うこととなった。

魔剣の力は共界線から取り込む世界の力以外にも適格者の意志力にもよるところがある。
適格者が自らの行いや信念に迷えば急激に力を失う。
現にこの島にいるイスラ・レヴィノスの世界では精神的に揺さぶられ続けたアティの剣はあっさりと折れている。
それほどまでに剣から適格者にだけではなく、適格者から魔剣へと及ぼす影響も大きいのだ。

さて、ここで思い出してみて欲しい。
セッツァーに殺された時のアティの精神状況を。

海賊に襲われ、嵐に呑まれ、オディオの説明も聞けずわけも分からないまま殺人遊戯に巻き込まれた。

――最初から散々なものだった。次々と起こる事態に心休まる時も無かっただろう

殺人者に己が信念を否定され、守ってくれた人を見殺しにし、守りたかった生徒も彼女の目の前で殺された。

――殺人遊戯の前に彼女の寄る辺であった理想は瓦解した。後には守りたかった人達の死骸しか残らなかった

遂には怒りのままに暴走。心と言葉を捨てあれだけ否定していた武力に頼り止めようとしてくれた草原の少女を傷付けた。

――他者を傷付けるたびにアティの心も傷ついた。傷つき罅割れ、女は自他と向かい合うこと無く逃げ惑った

度重なる不幸。度重なる迷走。その果てに出会ってしまった男によって齎されたのは死。

――皮肉にも彼女の心は止めを刺された。彼女が信じて止まなかった言葉の力で

ああ、これのどこを見て強く輝く魂といえるだろうか?
罅割れて砕け散った心の破片。
暴力と言葉で蹂躙され尽くし自他の双方から否定されてしまったアイデンティティ。

そのような状態ではいかに強大な魔剣といえど力を発揮できるわけがないではないか。

砕け散ったアティの心に引きずられ力を落とした魔剣は適格者の死に間に合わなかった。


   間に合わなくとも主導権を握ることには成功してしまった。


どこもおかしくはない。
魔剣の存在した世界ではこの世に残った怨念がその想いの強さゆえに年月をかけて実体化して人を襲うこともあった。
魔剣の片割れに触れ魔神に憑依された男の世界でも狂気山脈という剣に染み込んだテロリストの首領の妄念が生前の姿をとって猛威を振るった。
上二つに比べれば実体化するのではなく単に死して間もない身体に乗り移り操ることのなんと容易いことか。
元からそういった機能が備わっていたこと。
加えて魔剣に封入されていた死者の嘆きがそれらを為すのに十分な年季を得ていたことも醜悪な奇跡を可能にする助けとなった。


それが更なる悪夢の始まり。
アティが死後見たイメージは決して幻影などではなかった。
襲い来た「ソレ」は剣の意思そのものだったのだ。

「gいぎゃh■pkl……」

人の耳では理解できない音階の声を発し、アティだったものが立ち上がる。
図らずも剣の悲願であった適格者を取り込むことには成功したが、その表情に愉悦は無い。
あるのは生きとし生ける者への憎しみのみ。

――憎いいぃ……っ
――恨めしいぃぃ……
――苦しい、よぉ……

所詮は死した身。
遠くないうちに剣から溢れ出る共界ごしの魔力により自壊するのは目に見えている。
無理したところで適格者が死んだ身ではろくな戦いもできはしない。

些細なことだ。
動ける時間が短かろうと長かろうとやることに変わりは無いのだから。

「ご”お”お”ろおおしいいいてえええやああるうううう!!」

殺してやる。
それこそが彼らの願い。
唯一にして至上の行動原理。

その決して渇くことの無い願望を叶えるために、亡霊伐剣者は命の集うフィガロ城に現れた。
或いは――それは蒼き魔剣が導いたからだったのかもしれない。


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072:曇りのち嵐のち雨のち―― アシュレー 090-2:BLAZBLUE
077-2:剣豪と影と輝ける星と ゴゴ
トッシュ
トカ
シャドウ


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最終更新:2010年07月02日 21:58