第四回放送・裏 ◆iDqvc5TpTI
上下の感覚すら掴めない空間を、アシュレーは漂っていた。
そこには何もなかった。
床もなければ壁もなく、空もなければ大地もない。
人造物も自然物も一切存在しない空間を満たすのは、ただ一つの色。
身体を失ったアシュレーが知覚できるただ一つのもの。
白。白い闇。
それを決して光と称さないのは、アシュレーが自分は死んだのだと思っているからだ。
アシュレーの脳裏を、彼が覚えている最後の光景が過る。
ぽっかりと穴の空いた心の臓。
ロードブレイザーと相討ち、地に伏せる自らの姿。
断言できる。自分は確かに死んだのだ。身体がないのもその証拠だろう。
なら、ここは所謂あの世なのかもしれない。
「……ごめん、マリナ。……ごめん、みんな」
アシュレーは戦い抜いた。
戦い、戦い、死に果てた。
その選択に悔いはない。
死をも覚悟して、アシュレーは命を賭けてきた。
自分の居場所に帰るために。帰りたい日常を護るために。その日常をなす大好きな人々と笑い合える世界を取り戻すために。
何度生まれ変わろうとも、何度あの時間をやり直そうとも、アシュレーは同じ道を選ぶと言い切れる。
ただ、それでも。
悔いはなくとも、嘆きはなくとも、寂しさはある。
もう二度と愛した人達に会えない。
もう二度とアシュレーの帰りを待っているであろう人に、ただいまを言ってあげれない。
そのことが堪らなく辛かった。
だから、アシュレーは歩くことにした。
かつて訪れたアナスタシアのいる世界のように、どこかに生者の世界と繋がっている所があるかもしれない。
生き返えることができるとまでは思っていないが、それでも言葉を届けることくらいはできるかもしれない。
いや、もしもそんな都合のいい場所がなかったとしても。
「マリナ」
その名を心に灯し続けよう。
「アーヴィング。アルテイシア」
もう二度と逢えなくとも。
もう二度と我が子を抱くことがなかろうとも。
アシュレーは、どんな時でも家族と共にあるのだから。
「…………大切な、誰か」
ふと、誰もいなかったはずの世界に、アシュレー以外の声が響く。
驚き目を凝らし、誰か居るのかと返すアシュレー。
すると、白一面の世界に墨の如く黒い点が滲み出た。
代わり映えのなかった世界に突如生じた異変。
元より、外の世界との接点を探していたアシュレーは、先の声のこともあり、黒点へと駆け寄っていく。
と、黒点との距離が縮まる度に、その正体が明らかになってきた。
それは黒ではなかった。
言うならばそれは緑か。
緑色の髪の少年だ。
点に見えたのは彼が蹲っていたから。
蹲り、一人泣き続けていたからだった。
アシュレーはそのことに気づくと走る速度を上げた。
そう、走る、だ。
少年へと駆け寄ろうとした時には、失ったはずの身体が生じていたのだ。
心なしか透けてはいるが、寸分違わずその身体はアシュレーのものだった。
(霊体だから融通が効くのかな?)
よくよく見れば少年の身体もまた透けていた。
空間より滲みでた点や、現状の自分を鑑みても、もしかすれば泣いている少年も既に死んでいるのかもしれない。
だったら慰めたところで何になる。
そんな考えはアシュレーの心の中には存在しない。
一人ぼっちが寂しいと、泣いている子どものように見えたから。
それだけでアシュレーが手を差し伸べるには十分だった。
▽
当の少年――ユーリルは、誰かと会うことなんか望んではいなかった。
何故だか透明無形な存在になっていたはずが、声を出したら急に色形を得てしまったユーリルは、胡乱げに顔を上げる。
彼の目に映るのは、一人の見知らぬ男の姿。
この地にて一度も邂逅したことのない、どころか、仲間であった
クロノ達から聞いた誰とも違う人物。
正しく、名も知らない、縁の全くない他人。
今、ユーリルが、最も目の当たりにしたくなかった存在。
かつて、ユーリルが、『勇者』が、救うべき存在として自らの命を賭けた存在。
『勇者』という幻想の存在意義――だったはずのもの。
(けれど、それは違うと、さっきの男は言った)
『誰の』英雄になりたかったのかと、ユーリルに問うた男がいた。
助けたい人以外は助けなくとも仕方がないと、男は言った。
(助けたい、誰か……)
そんなことを考え続けていたせいで、ユーリルは来訪者の声に反応してしまった。
マリナ。アーヴィング。アルテイシア。
それが今、ユーリルへと近づいてくる男にとっての戦う理由なのだろう。
男のことを何も知らないユーリルだが、それでも、彼が誰かの名前を呼んだ声に込めた想いは理解できた。
あれは家族を呼ぶ声だった。大切な誰かへと向ける声だった。
それも、もう会えない誰かへの。強い想いを込めた声だった。
(僕も、あんな声を出したことがある。あの日、村が襲われ、僕が『勇者』になったあの日に)
父の、母の、
シンシアの名を泣き叫び、彼は勇者になることを誓ったのだ。
(そうさ、悩むまでもなく答えなんて出ていた。
忘れるわけがない。ずっと、ずっと覚えてた。僕が助けたかったのは、僕が護りたかったのは)
今でこそ、ユーリルは在りし日々が偽りのものだったと悟っている。
家族だと信じていた人達も、好きだと思っていた幼なじみも。
誰も彼もがユーリルを勇者としてしか見ていなくて。
世界を救う見返りとして、形だけの愛情を注ぎこまれていたに過ぎなかった。
だがそれは、あくまでも半日程前に気付いたことだ。
あの日の、勇者になると決意したユーリルにとっては、あの村の人々こそが、本当に助けたかった誰かだったのだ。
(……ああ、あいつの言ったとおりだ。救いたい誰かがいてこそ『英雄』になれる。
救いたかった誰かがいたからこそ、僕は『勇者』になった)
アナスタシアがそうであったように、ユーリルもまた特別でも何でもなかった。
勇者になる運命こそあれど、少なくとも、あの時まではユーリルはただの少年だったのだ。
世界のことなんて考えもしなかった。
ただ、大好きな人たちとずっと一緒にいたいと、それだけを考えていた。
だけど。
その願いは叶わなかった。
ユーリルは好きな人達と一緒に生きることも、一緒に死ぬことさえも許されなかった。
ただ一人、大好きなみんなの屍に護られて生き残ってしまった。
そして、そのことがユーリルに勇者になる決意をさせてしまった。
好きだった人達の犠牲を無駄なものにしたくはないと。
全てを犠牲に生かされてしまった自分は、彼らの望んだように人の為に生きなければならないと。
強迫観念に似た義務感に飲み込まれてしまった。
『皆を救って……。 あなたは……勇者なんだから……』
シンシアから零れ出た呪詛を思い返す。
何のことはない、そんなものはとっくの昔に、ユーリルの魂を侵していたのだ。
ユーリルはあの日、余すことなく聞いていたのだから。
魔物に殺されゆく両親が、村人が、シンシアが漏らす那由他もの悲鳴と怨嗟を。
いくら使命感で固めていようとも、彼らもまた当時のユーリル同様ただの人間だったのだ。
死を前にして、恐れや恨み言を残す者もいた。
いや、いなかったにしろ、隠れて震えているしかなかったユーリルには、
村人達の断末魔は彼らが死ぬ理由となった自分への憎悪としてしか聞こえなかった。
渇望し、それでも届かなかった生への憧憬と怨恨を。
一人だけ生き延びてしまったユーリルへとぶつけているようにしか聞こえなかったのだ。
(だけど、だけども。まだあの時の僕は『勇者』になりきれていなかった。だからこそ、そこに『僕』も存在していた)
ユーリルは勇者になるべく生を受けた。
ユーリルは完璧な勇者になった。
しかしながら、何度も述べたようにユーリルにも勇者でない時はあったのだ。
勇者になろうと思えば、誰にでも勇者になれるわけじゃない。
それはユーリルにも当てはまった。
あの日、あの時、あの瞬間。
勇者として旅立つ決意をした少年は、勇者になったばかりであり、勇者としては未熟極まりないものだった。
だからこそ。勇者として未熟だったからこそ。そこにはユーリルという一人の少年が残っていた。
故郷を失い、仲間もいない一人ぼっちの時間だったからこそ、彼を勇者として見る人々の声なき声も、意識しないで済んだのだ。
ならば。
その勇者の中に残されていたユーリルは、何を想い戦っていたのだろうか。
勇者という仮面を被りきれていなかった彼は、心の中で恐怖や悲しみに震え泣いているだけだったのだろうか。
違う、そうじゃない。
(僕は、僕は。確かに自分の意思で、どこかの誰かを助けたいと願っていた)
彼は泣きはすれども、震えるのではなく、その哀しみを闘志に変換して前へと進んだ。
自分が味わった別離の哀しみ。
それをもう他の誰にも味わって欲しくないと、あの日の少年は思ったのだ。
もう誰も殺させてなるものか。無理だ無謀だと言われようとも、世界中の人間ですら助けてみせると、そう誓ったのだ。
それは、自分の意思を殺してでも正しくなければならなかった勇者が抱いた、最後の最後の我侭だった。
(でも……)
今のユーリルには、かつての勇者ではないユーリル自身の誓いですら、他人のもののように思えてならなかった。
剣の聖女の声がリフレインする。
人々は何もしてくれなかったと。たった一人の『英雄』に全てを押し付けて生贄にしただけだと。
炎のサイキッカーの言葉が追随する。
助けたい人だけ助ければよかったのだと。そうすれば『生贄』なんかにはならなかったのだと。
その二つの言葉が、ユーリルに一つの疑問をもたらす。
「価値なんて、あったのか?」
果たして、価値なんてあったのだろうか。
彼が助けようとした人々は。
自身のように辛い思いをさせたくないと思った人々は。
せめて、大好きな人達の代わりにと贖罪のままに助けた人々は。
ユーリルが失った全てのものに釣り合うだけの、価値があったのだろうか。
助けたいと、思うに値する人達だったのだろうか。
「教えてくれ。教えてくれ、クロノ。君は、どうだったんだよ。誰の英雄だったんだよ。
その誰かには、君が一度死んでまで護るだけの価値があったのかよ!?」
虚空へと叫ぶも答えは返ってこない。
返ってくるはずがない。
ユーリルが護りたい誰かになれたはずの少年は既にこの世にいないのだから。
故に。
「価値など、ありはしない」
その声は。
「君が護りたかった人間にも。クロノが救った人間にも」
何かを言おうとした青髪の男よりも先に発されたその声は。
「教えてやろう、ユーリル」
友のものであるはずがなく。
「クロノが本来進むはずだったある一つの未来を」
クロノ自身さえ知りえぬあり得た未来を語ることのできる者は。
「彼は愛した女と結ばれ玉座につく。なにせ相手が一国の……っ王女だったからだ」
時空を支配する力を持つかの魔王以外にありはしない。
「だがその王国は僅か5年で滅ぶことになる」
ただ、ユーリルにはもはや、そんなことはどうでも良かった。
「彼が、クロノがラヴォスより救った人間どもの手でだッ!」
告げられた言葉の意味。
それを理解するや否や、彼の心は大きな衝撃に襲われ、それどころではなかったのだ。
「てめええ、オディオォォォォォっ!」
よって、魔王の名前を呼んだのはユーリルではなかった。
呆然としたままのユーリルを庇って入ったアシュレーのものでもなかった。
それは熱き心のサイキッカーの魂の雄叫びだった。
強く拳を握り締め、オディオへと強烈なパンチを見舞ったアキラのものだった。
▽
「夢の世界までわざわざご苦労なこった」
アキラは他の人間達と違い、この世界がどういうものなのかを理解していた。
上下のない世界をふわふわと漂うその感覚を、アキラはよく知っていたからだ。
即ち、夢。
精神世界には近いけれども違うもの。
『誰か』の世界ではない、もっと広くて曖昧な世界。
個人の意識ではなく、雑多な人間の無意識からなる集合的無意識の世界。
だからこそ、この世界は
ミネアや、ユーリルの心に潜った時とは違い、個人が反映されてなく、あやふやなまでに真っ白なのだ。
「なに、君のように気絶している人物があまりにも多くてな。
少々他の事情も重なって、今回に限り、夢の中でも放送をしてやろうと思ったまでだ」
「そうかよ。親切すぎて反吐が出るぜ」
アキラはオディオに刺さっていた拳を引きぬく。
刺さっていたとは比喩表現ではなく、そのままの意味だ。
所詮、ここは夢の世界。
アキラの身体も、オディオの身体も、虚像に過ぎないのだ。
「反吐がでるのは結構だが、精神世界でならともかく、ここは夢の世界だ。
どれだけ殴られようとも、私の身も心も傷付きはしない」
「分かってるよ、んなことは。それでも俺は、てめえのことが気に食わねえ。その顔を見たらぶん殴りたくなるくれえになっ!」
アキラは強く拳を握り締め、追撃のパンチを放つ。
彼は心底腹がたっていた。
元よりオディオのことはボコボコに叩きのめすつもりでいた。
その相手が紛いなりにも顔見知りの人間を、絶望の淵に叩き込んだなら尚更だ。
アキラはユーリルへと目を向ける。
余程のことをオディオより告げられたのだろう。
ユーリルはあれだけのことを言ったアキラを前にしても、虚空を見つめ、口を壊れた人形のように動かすだけだった。
「くそっ、くそっ、ちっきっっしょおおおおおお!」
アキラは怒りの炎を燃え上がらせ、際限なく拳を加速させるイメージを紡ぐ。
自分の声ををきっかけに自身を再認識し、偶発的に身体を得たアシュレーやユーリルとは違い、
アキラの身体は確固たる意思でイメージされたものだ。
色が透けていたりせず、外見上は、生身の身体に見劣りしない。
だが無駄だ。避ける素振りを見せないオディオだが、それもそのはずだ。
アキラが看破したように、ここはどこまでいっても夢の世界なのだ。
どれだけ拳を叩きつけようと、現実の肉体には響かない。
夢だろうが現実だろうが心を壊せる言葉に比べて、拳はあまりにも無力だった。
「気が済んだか?」
済むわけがない。
それでも、アキラはようやく拳を解いた。
「落ち着くんだ。今は、この少年を助けるほうが先だッ!」
冷静になれと、アキラを引き止める声があったからだ。
はっとしてアキラは声の主に顔を向ける。
ユーリルを背に庇いつつ、強い意思の篭った視線を向けてくる人物。
その容姿にアキラは心当たりがあった。
ブラッドからテレポートジェムを貰い受ける前に交わした情報が、思いもかけずに役に立った。
「おっとわり。先に名乗るべきだったな。俺はアキラ。あんたのことはブラッドから聞いた。
今はマリアベル……とも一緒にいるぜ」
一瞬、アナスタシアのことも告げようかと迷ったが、そこで妙案が思いつき、敢えて省略する。
事情が複雑な以上、たとえ夢の中であろうとも、オディオを前に悠長に会話してはいられない。
「ブラッドとマリアベルがッ!? なら君も」
「ああ、あんたの仲間だ。こいつを、オディオを倒そうとする仲間だ!」
アキラはそう口に出して宣言し、同時に心で語りかける。
『聞こえるか、アシュレー!』
口で話しているひまがないのなら、直接イメージを送ればいい。
ユーリルがオディオになんと言われたかまでは聞き取れはしなかったが、その前段階までの原因なら知っている。
自分が読んだユーリルの記憶や、知っている限りのユーリルとアナスタシアの今。
それをアキラはアシュレーへとテレパシーで伝えようとする。
無論、都合よくサイキッカーではないであろう新たな仲間が、情報の洪水に流されないよう、少しずつ区切ってだ。
そこまで考えて、ふと、最悪の可能性に思い至る。
「オディオ、こんなことができるなんて、てめえもまさかサイキッカーなのか?」
それは魔王オディオもサイキッカーである可能性だ。
他人の夢を繋げ侵入する能力。
オディオが成したその力が、人の心に意識を通わせる自身の能力に似ていると思ったからだ。
冗談じゃない。
オディオに心をよまれてたまるか。
反抗が難しくなるとか、そんな理屈以前に、アキラの感情が、オディオに心を読まれることを嫌悪して。
アキラは問わずにはいられなかったのだ。
▽
問わずにはいられない命題があるのは、オディオもまた同じだった。
本来であれば、彼が待つ城を訪れたものへと投げかけるはずだった問い。
しかし、殺し合いに招いた『勇者』が自らその疑問へと至った以上、予定を繰り越しても問題あるまい。
そう判断してオディオは口を開いた。
「……ちょうどいい。私からも君に問うとしよう。
君は、一体何のために戦ってきたのだ……?」
「てめっ、質問に質問で返してるんじゃねえ!」
「安心しろ。これは君の先刻の問いの答えにも通ずる質問だ」
嘘は言っていない。
アキラが知りたいのはオディオがサイキッカーなのかどうか。
それはつまるところ、オディオがこうして夢に介入しているのは超能力によるものなのか否かということだ。
そしてそのアキラが知りたがっている手段というのは、この質問の答えと無関係ではない。
「くそっ、しのごの言ってんじゃねー!」
「答えられないようなことなのか? そんなはずはないだろう。
君は世界を救った英雄だ。世界中の人々を護りたかったんじゃないのか?」
「違う。俺は自分の救いたかったものを救っただけだ」
同じことだ、同じことなのだ。
『誰か』を救おうとしたというのなら、お前も同じだ。
人間はいつか裏切る。人間は弱さを捨てられない。人間は他力本願に生きる。
そんな信用の出来ない他人を救う行為なぞ、『勇者』が世界を救わんとするのと同様、愚かしい行為でしかないのだ!
現に超能力者の少年が救いたいと言っている人物は、少年をずっと欺き続けてきたではないか。
「救いたかった? 理解できんな。
無法松はお前の親の仇だろう?
しかもそのことを秘密にし、罪悪感から逃れたいが為だけに、お前や子ども達を利用していた」
「っ、それでも、あの背中は本物だ。俺達を護ってくれた松の生き様には嘘偽りなんてなかった」
「それもまた幻想だ。人は裏切る、裏切るのだ」
とりつく間もない突き放すアキラの即答を、オディオは静かなる怒りで両断する。
「君はさっき聞いたな。私はサイキッカーかと。答えは否だ。
私は夢にメッセージを込めたエルフの女性の魔法に介入して、君達の夢を繋げ、言葉を届けているに過ぎない」
びくりと、ユーリルが痙攣を起こしたかのように一度大きく震える。
かのエルフはユーリルにとって、仲間のように比重の大きい存在でもなければ、アナスタシアや
ピサロのように憎むべき存在でもない。
先刻まであまりのショックに何の反応も示さなくなっていた少年を震えさせるには、本来なら不足だ。
それでも彼が反応せざるを得なかったのは、オディオの声にクロノの国が滅ぼされたと話した時と、同じ感情が滲んでいたのを感じたからか。
その通りだ。これからオディオが告げるのは、少年を更に絶望に落としかねない事実なのだから。
「彼女は、
ロザリーは死んだ。最愛の人の手にかかってだ……」
信じられないと、ユーリルが目を見開き、瞠目し、今度こそ動かなくなった。
「……っ!」
動きを止めてしまったのはアキラも同じだ。
あの時、イスラの意見を振り切ってでも、いなくなったロザリーを探しに行っていれば。
アキラは悔しさに一瞬、口をつぐんだ。
「これで分かっただろう。君達が守ろうとしているものに価値なんてない。
ロザリーやクロノだけではない。
この殺し合いへと招いた人間の中には、私が干渉するまでもなく、近い将来、人間に裏切られる者達が何人もいたのだ
それでも君達は誰かを護るというのか?」
勇者と巫女が命懸けで封印した暗黒の支配者を復活させた科学の信徒が。
人間に絶望し、命の恩人であったオスティア王を殺してのけたベルンの王が。
自らを縛る呪いから解放されたいが為に、世界を巻き込み死のうとした真なる風の紋章の継承者が。
オディオの瞳の裏を掠めては消えていく。
「そうじゃないんだ、オディオッ! お前は間違っているッ!
僕らは誰かに価値を求めて戦ってきたんじゃない……。
護りたいと思う自分の意思に応えて戦ってきたんだッ!」
響き渡ったアシュレーの言葉に、今度はオディオの動きが止まる番だった。
一瞬で、オディオから表情が消え……きれていない。
僅かに苦虫を噛むような、或いはどこか懐かしいものを見た顔で、オディオは再び口を開く。
「そうだな。君ならばそう答えるだろうな。だがそれは君が勝者だからだ。
君達二人は戦いに勝って、大切なものを手に入れた……。大切なものを護りきった。
しかし私はこう思うのだ。それらも、しょせん一方的な欲望ではないのかと。
自分にとって大切なもの、それを守るためならば 他者を傷つけていいのかと」
それは、意図して感情の起伏を抑えた声でありながら、ひどく心が漏れ出る声だった。
淡々と、とつとつと、オディオは言葉を並べていく。
「それが許されるならば、何故敗者は悪とされてしまうのだ。
彼らもまた、自分の欲望のままに素直に行動しただけではないか。
だというのに敗者には明日すらもない。歴史を作るのは勝者だからだ。勝った者こそが正義だからだ!」
つまるところそれは、オディオが開いた殺し合いと一緒だ。
勝者だけが全てを手に入れられる、それこそがこの世の真理なのだ。
アシュレー達はこの殺し合いを打破しようとしているが、それが何になる。
人は果てしなく欲望を抱く。
殺し合いの輪から抜けたとしても、人が人でいる限り、その先にあるのは新たな戦いでしかないのだ。
彼らが勝者なら尚更だ。勝者は生き続ける限り、数多の戦いを繰り広げ、勝ち抜いていく。
それは、勝者の勝利と同数の敗者を生み出すことに他ならない。
だからこそ。
「己の勝利に酔いしれ、敗者をかえりみないお前達は知らなければならなかったのだ。
お前達もまた敗者足りえたのだと。お前達が否定した悪そのものだったのだとッ!!」
それが生前のロザリーが仲間と共に訝しみ、あと一歩のところまで迫っていた、この殺し合いにおける人選の謎の答えだった。
何故人間以外の種族が巻き込まれたのか? それは概ねロザリー達の推測通りだ。
足りなかったのは、どうして参加者たちは誰もが平穏とは程遠い戦いを経験していたのかという点だ。
戦力バランスを考えてなどというものではない。
オディオは殺戮劇の参加者を、何らかの戦いを勝ち抜いた者を中心に選んでいたのだ。
この世が勝者と敗者で二分されているというのなら、勝者同士を戦わせればいい。
そうすれば、数多の勝者も敗者となり、数多の正義も悪となる。
偽善は暴かれ、たった一人の、真の勝者だけが残る。
その真の勝者を、魔王オディオは心の底から祝福しよう。
たとえその者の願いが、全ての死者の蘇生であっても喜んで叶えよう。
何故なら、その真の勝者は嫌でも理解せざるをえないからだ。
自分の願いの為に、誰かを殺し、蹴落としたことを。
誰かを護るということも、結局は人を傷付けてでしか成し遂げられない罪に他ならないということを。
「お前にはピンと来ぬかもしれぬがな。
アシュレー・ウィンチェスター。最たる勝者よ」
嫌味などではなく、羨望さえ感じる声でオディオはアシュレーを評する。
最たる勝者。
彼以上に殺し合いに招いた勝者の中で、この賞賛が似合う人間もいないだろう。
彼はオディオが唾棄した、何もしないで救いを求めるだけだった人々を、自らの意思で立ち上がらせた。
皆の心を一つにして、誰一人欠けさせることなく、未来を勝ち取った。
それは、きっと素晴らしい未来なのだろう。
あくまでも推測なのは、オディオにはファルガイアの未来を知る術はないからだ。
オディオは『憎しみ』という感情の化身である。
故にこそ、強き憎しみの力を持つ者がいれば、その存在を基点とし、時空の壁を越えて干渉できるのだ。
ただ、それは裏返せば、強き憎しみを抱く者がいない世界には干渉できないこととなる。
ファルガイアの未来はまさしくそれだった。
死に際のロードブレイザーを基点とし、オディオが干渉できたのはせいぜいその前後一年。
それ以降の未来、少なくともアシュレーの存命中には、オディオの媒介になる存在は現われはしなかった。
そして、その輝かしい未来を象徴するかのように。
アシュレーはこの殺し合いの最中でも、絆と希望を掲げ、数々の勝利をその手にした。
「フフフ……、ハハハハハ……、ハーッハッハッハッハア……!!
そうだ、お前に私達、敗者のことが分かるはずもない。
ロードブレイザーに再び勝ち、どころか
ルカ・ブライトまでも破ったお前には」
いつしかオディオはそれまでの静謐さをかなぐり捨て、大声をあげて笑っていた。
何もアシュレーを嘲笑ってのことではない。
ただ『英雄』を否定した男が、誰よりも『英雄』と呼ぶに相応しいというその皮肉に、笑わざるを得なかったのだ。
かつてオディオが目指し、ユーリルも理想とした『勇者』。
その正解像とも言える人間を前に、泣くことも、怒ることもできないのなら、笑うしかないではないか。
(だが、だからこそ。私はお前を呼んだのだ。最たる勝者であるお前こそが、敗者を顧みねばならないのだ)
勝者に顧みさせようと招いた数人の敗者達は、既に多くは敗れはしたが、それでもまだ三人、残っている。
しかもそのうちの二人はオディオと同じく魔王の名を冠する者だ。
一人は先ほど口にしたピサロ。そしてもう一人こそ――。
「そうは思わないか、魔王ジャキよ」
「――貴様がその名前で私を呼ぶな。魔王たれと私に望んだのは貴様だろう」
人の名を捨て、されど魔の王としての名も持とうとはしない者。
一番呼んで欲しい人に名前を呼ばれない以上、そこに、文字の羅列としての価値しか見いだせない者。
魔王。
オディオの呼びかけに応える様に、魔王もまた夢の世界で虚像を纏った。
▽
敗者だとか、勝者だとか、魔王にはどうとでもよかった。
彼は敗者だ。
一人ではジールにもラヴォスにも勝てず、クロノ達にも敗れた敗者だ。
彼は勝者だ。
宿敵とさえも手を組み、遂にはジールとも決着をつけ、ラヴォスをも倒した勝者だ。
(それがどうした)
魔王は負けた。負けて最愛の姉を奪われた。
魔王は勝った。勝ったところで姉は戻ってこなかった。
であるなら勝敗に意味なんてない。
一番大切なものを失ってしまったのなら、他の全てがどうなろうと意味はないのだ。
その全てには魔王自身も含まれている。
どう足掻いてもサラを取り戻せないというのなら、これからの魔王の生など無価値だ。
逆に言えば、どうにかしてサラを取り戻せるのであれば、魔王はその為に全てを賭けられる。
ならばここは境界線だ。
転がり込んできた最後のチャンス。
それが幻想か、そうでないのか、この機にオディオに確かめなければならない。
「私が聞きたいのはそんな御託ではない。確認させろ。お前は本当にどんな願いでも叶えられるのか?
時空の彼方に消え去ったサラを、姉上を……。お前は見つけ出し、助けることができるのか?」
オディオに縋るしかない身とはいえ、魔王には彼の願望を成就させることがどれほど難しいか、身に染みて分かっていた。
助けるどころの話ではない。魔王は姉の居場所すら掴めていないのだ。
むしろそれこそが、魔王に立ち塞がっている最大の難関と言っていい。
時を超えることもできる。平行世界へも渡り歩ける。だがそれだけだ。
無限に広がる平行世界の、そのまた無限に綴られている時間軸。
サラが今も時の狭間を漂っているかもしれない以上、その全ての時空を探さねばならない。
それでは見つかるはずがない。
引いても引いても数が減らない無限の二乗個のくじの中から、たった一つの当たりくじを引き当てろと言うようなものだ。
「可能だ。いや、適任だと言っていい。私なら君の姉を救える」
そんな無理難題をふっかけて、すぐに解けると返されたのなら、人はどう思うだろうか。
喜ぶか。驚くか。違う。まずは疑うものだ。
「……根拠は」
「ある。彼女もまた、『オディオ』だからだ。私なら彼女が背負っているものを肩代わりすることができる」
加えて、その理由が要領を得ないものなら尚更に疑いが増す。
「彼女は今や生きとし生ける者全てを憎悪し、死を望んでいる」
オディオが語るサラが、魔王が知る心優しき姉とかけ離れていたのなら尚更だ。
崩れ行く海底神殿で彼女は魔王に言ったのだ。
彼女を生贄に捧げた母を、国を、恨まないで、と。
その彼女が憎んでいるという。人を、生命を、殺したいほどに憎んでいるという。
到底信じられるものではなかった。
だが魔王にはそれが妄言だと切り捨てることはできなかった。
どんなに優しい人でも、きっかけがあれば豹変してしまうと。
姉よりも先に、母の心をラヴォスに奪われた魔王は知っているからだ。
だから魔王にはオディオに続きを促すことしかできなかった。
▽
「サラは、魔神のペンダントを手に、星を滅ぼす災厄、ラヴォスを止められうる希望の少年たちを逃がした」
それはどこかで聞いた物語だった。
「サラは、希望の少年達を逃がしたことと引換に、一人、時空を彷徨うこととなった」
それは生贄となった少女の物語だった。
「サラの心は、たった一人で悠久の時を過ごすことに耐え切れず、日に日に摩耗していった」
それは一人ぼっちになってしまった少女の物語だった。
「その果てに、サラは、自らの願いどおりに倒されたラヴォスの怨念に取り憑かれた」
それは『憎しみ』と出会ってしまった少女の物語だった。
「そして、サラは。全て消えてしまえばいいと願うようになった」
それは生贄の少女が、人殺しになる物語だった。
(ジャキくんのお姉さんは私とおんなじなんだ……)
アナスタシアは心の中で、オディオが語る物語にそんな感想を心の中で漏らした。
オディオの説明に納得したのか、魔王と呼ばれた男はこれ以上話すことはないと、虚像を解き、姿を消した。
あくまでもアナスタシアがずっとしていたように、居なくなったのではなく、見えなくなっただけなのだろうが。
(アシュレーくんは変わってないな)
姿を隠したまま、アナスタシアはアシュレーを見つめる。
アシュレーは殺し合いに呑まれることなく、オディオに真っ向から言い返していた。
アナスタシアとは違い、アシュレーは諦めることなく、この一日を戦って来たのだろう。
大好きな人達を守るために。最愛の人達のもとへと笑って帰るために。
(眩しいなあ……)
オディオが語った少女同様に磨耗しきったアナスタシアには、アシュレーはあまりにも眩しかった。
「さて、そろそろ魔法が解ける時間だ。放送を始めよう」
だからそのオディオの言語に、アナスタシアはほっとした。
よかったと、漸く終わるのだと。
姿を消したままであるとはいえ、自分が壊したユーリルと、自分がそうなりたかったアシュレーから、早く離れたかった。
夢の中にすら逃げられないなんて、文字通り、まさに悪夢だ。
オディオが死者の名前や禁止エリアを告げる声に合わせて、夢の世界の連結が解け、消滅していく。
アナスタシア達の意識が浮上し、いずれ目覚めることを意味していた。
▽
彼ら彼女らが目を覚ました時、この夢のなかの出来事について何を想うのか。
今はまだ分からない。
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最終更新:2011年06月26日 01:10