みんないっしょに大魔王決戦-魔王への序曲- ◆wqJoVoH16Y
――――はじまりは、何だったのでしょう?
――――運命の歯車は、いつまわりだしたのでしょうか?
夕暮れも深まった森道は朱く染まっていた。
風はなく、夕日に照らされた緑は暖かさだけを湛えている。
整備されているとは世辞にも言えないが、荒れ道というほどでもないその道を、一人の少年が歩いていた。
その衣類はすり切れており、本来は輝いていたであろう金の髪はくすんでいる。
だが、その足取りと表情には明確な精気が満ちていた。彼は――ジョウイは帰途にあったのだ。
犠牲にしたものの為、失われてしまったものの為、彼は魔王となる道を選んだ。
ありとあらゆる備えをし、勇者達を撃滅するつもりだった。
だが、ジョウイは、それを全て捨てた。
イスラの、アナスタシアの、アキラの、
カエルの、ピサロの――――そして、
ストレイボウの懸命な説得を受けて、目を覚ましたのだ。
亡くしたものは帰らない。だから私たちは生きなければならないのだと。
すでにねじ伏せたはずの言葉は、十重二十重と編まれより強靱な想いとなり、
ジョウイの魔剣を――“理想”を貫いたのだ。
当然、そこに何の感情もなかった訳ではない。
この島に来るまでに犠牲にしてきた人達。この島で彼を生かした者達。
己が魔法にて死を奪った英雄達。背負うと決めたそれら全てを擲つことがどれほどに恐ろしいことか。
だがその恐怖をジョウイは乗り越えた。否、ジョウイ達は受け止めると決めたのだ。
一人で背負うのではなく、ともに分かち合うのだと。彼らと繋いだ手が救ってくれたのだ。
争いを回避した彼らにもはや障害はなかった。
イミテーション・オディオを内包した魔剣は首輪の中にあった魔剣の欠片と共鳴し、
オディオの支配を遮断、首輪の効力は悉く無効化されて解除された。
そして、理想から解放されたことで黒き刃と輝く盾を失い戻った紅の暴君を手にしたイスラは、
それをグランドリオンの代替としてプチラヴォスを核とした死喰いの封印を行う。
後顧の憂いを絶った彼らは、すでに空中城への座標を突き止めていたこともあり、
聖剣にて貴種守護獣の力を束ね、参重層術式防護<ヘルメス・トリス・メスギトス>を突破。
ルーラとテレポートでオディオの元へたどり着いた。
死闘だった。
一歩手順を誤れば全滅、差配が滞れば誰かが死んでいただろう戦いだった。
なによりもオディオ――勇者オルステッドの憎悪こそが、どんな力よりも恐ろしかった。
だが、彼らは勝利した。今こうして歩く中でその戦いを追想しようとしても、
無我夢中で戦っていたジョウイには抜け落ちたように思い出せない。
だが、懸命だった。魔剣を喪い、ただの紋章使いになってしまったとしても、
自分に出来ることをしようと決意し、楯と刃を以て彼らのサポートに徹し、
オディオの最後の言葉とともに光に包まれ、気づけば終わっていたのだ。
夕日が落ち掛け、暗くなりそうになったころ、
森が開かれ、仄かな明かりが目に映る。漂う夕餉の臭いが、目的地の到達を教えていた。
ハルモニアの辺境、誰の手も届かぬ辺鄙な場所に建つ家屋。
ジョウイはその扉の前でわずかに逡巡した後、扉をノックした。
木の床を叩く音が近づいて止まり、ゆっくりと玄関が開かれる。
その前にいたのはジョウイに残されたすべて、落日の王国で皇王が最後に残した愛と希望だった。
小さな希望が、目を大きく見開き、そして花のように顔をほころばせ、ジョウイの胸に飛び込んでくる。
その背中を抱き留め、その温もりを優しく撫ぜる。その小さな肩の先には、確かにこんな自分を愛してくれた妻がいた。
そう、たとえ経過が曖昧であろうとも、決め手に関われなかろうと、彼は生きてここにいる。
二度と帰るまいと思った世界へ、それでも帰るべき場所へ、帰ってきたのだ。
「ねえ、おとうさん」
ようやく収まりつつあった嗚咽の代わりに、子供が訪ねてくる。
あやしながら、ジョウイは先を促した。
「
ナナミお姉ちゃんは……リオウお兄ちゃんは一緒じゃないの?」
日が落ちて、あたりは夜に包まれた。
もうなにも見えはしない。何も映ることはない。
そう問いかけた花の色も、そう問われた愚者の顔も。
――――時の流れのはるかな底からその答えをひろいあげるのは、
――――今となっては不可能にちかい……
「お目覚め?」
瞼をあけて見上げた世界には、真っ赤に染まった酔っぱらいがいた。
まだ人間の形を保っている左眼で眼鏡の奥の瞳を見つめながら、ジョウイは仰向けになったまま尋ねる。
「どのくらいここにいました?」
「上階に上がったきり戻ってこないから見に来たのよ。15分くらいってとこかしらねぇ」
ジョウイはこめかみを押さえながら状態を起こす。
眠っていた、という実感はない。頭の中の回路がブツリと切れてしまっていた感覚だった。
その顔は精気が抜け落ち、白蝋のように窶れている。墜ちてしまったゴゴと同じ黄金の右眼だけが、爛々と輝いている。
「ずいぶん無茶をしたみたいね」
杯の酒を飲み干したメイメイは眼鏡を外し、玉座から正面を一望する。
血のように紅い絨毯は黒と白に染まっていた。
虻もわかぬほどに栄養を失った腐肉や、水気も残らぬ白骨が海のように敷き詰められている。
魔族が夢見た楽園としらず、ただ宝の山と勘違いした野盗ども。
わずかな楽園を侵させまいと王墓を守り続けた墓守の残骸。
遺跡ダンジョンに偏在する兵どもの夢の址。
なぜここにそれが集められているのか、どうやって集められたのか。
メイメイは敢えて観ていない。観る必要もなかったからだ。
「で、なにしてたのよ」
だが、それはジョウイが50階に上がる理由とは全く関係がない。
抜剣していない状態では歩くことも不自由するだろう消耗だろうに、なぜ本人が上がったのか、メイメイは尋ねた。
ジョウイはそれに答えるようにして、二枚の封筒を渡す。
丁寧に封蝋されたそれは上質な紙に華美な装飾が施されていた。まるでどこかの国書のごとき装丁の封書だった。
「……なにこれ?」
「いろいろ考えたのですが、2つと思いました。1つは、彼らに。もう1つは」
「あなたは特殊なアホなの? アタシをポストか何かだと勘違いしてない?」
メイメイは叱るような目つきでジョウイを睨む。
「貴方は自分が何をしたのかを分かっている。あのギャンブラーの言葉を借りれば、
貴方は“他人の金も場に乗せた”のよ。もう貴方は負けられない。
いいえ、負けるという発想さえ烏滸がましい。その上で、保険でもかけようっての?」
遙かな空より見下ろす龍の如き天眼でメイメイはジョウイを見据える。
だが、ジョウイは困ったように頭を下げるだけだった。
誰よりも恥じているのだろう。
何もかもを使い潰そうとしながら、それを遺さずにいられなかった自分自身に。
あのときから何も変わっていない自分自身に。
「ねえ、一つ最後に聞かせて」
眼鏡を外して眉間を揉みながら、メイメイはジョウイに問いかける。
詰問する調子はもうない。女性のやわらかさと神の厳かさを併せ持った、静かな問いだった。
「そこまで悩むくらいなら諦めちゃえば? あるいはいっそ、あたしに手伝ってほしいっていえば?」
静寂の遺跡の中で、ジョウイは黙ってメイメイを見つめていた。
「負けが怖いんだったら、ズルしちゃえばいいのよ。
あたしが手を貸せばオル様を倒すにせよ、彼等を殺すにせよ、1時間もあれば片づくわよ。
ヒトカタでよければ人手の補充だってできる。あたしが本気を出せば、それくらいは朝飯前ってね」
にゃはは、と乾いた笑いがひとりきり木霊する。その音が止むころに、メイメイは一つ小さなため息をついて、杯に酒を注いだ。
「信じられない、か」
「いいえ、信じますよ。貴女の力を今更疑いはしません」
なみなみと注がれた杯から滴がこぼれる。ジョウイはゆっくりと首を横に振った。
「この魔剣を得たからでしょうか。貴女がどれほどの力を持っているのかは分かります。
おそらく、やろうと思えばできるのでしょう。ですが、それはダメだと思うんですよ」
「どうして?」
「僕たちの戦いを、苦しみを、願いを――神や運命なんて言葉で片づけたくないから」
この剣を手にしたのは、紋章の呪いなどではない。抱いた魔法はジョウイ自身の祈りだ。
故に部外者に邪魔はさせない。
たとえレックナートであろうが守護獣であろうが幻獣であろうがエルゴであろうが精霊であろうが竜であろうが星であろうが。
この戦いは人間の、誰しもが持つ感情から始まった。
ならばその終わりまで、人間の手に委ねられるべきなのだ。たとえ、どのような結果になろうとも。
(だからこそ、私、か。観測者としてではなく、手出し無用の立会人として)
メイメイはジョウイの答えを含めるように酒をあおり、しばし虚空を見上げる。
実際は、運命を変えるほどの力が自分にあるとは思わない。
それほどまでに魔王オディオは、世界の憎悪は強大なのだ。
好き勝手に振る舞っているように見えるのは、その実なにもしていないから。
観る以上に直接的に干渉すれば、簡単に支配されてしまうだろう。
やはりメイメイには、何もできない。それはとっくの昔に分かっていたことだ。
ならば、なぜこうも苛立つのか。分からないまま、酒を再び煽る。
一人で全てを背負う、その在り方が、心の内側をかきむしる。
「それに、信じたいんですよ」
――――ですが、たしかにあの頃わたしたちは――――
それに口を付けたとき、ジョウイが小さく呟いた。
「僕の魔法<りそう>は、がんばればヒトの手でちゃんと叶えられるものだって」
蒼白になった顔に、ほんの僅かな笑みが浮かんだような気がした。
だが、メイメイが瞼をしばたいた時にはすでに、乾ききった無表情で、そうであったという証すら残らない。
「……真なる理想郷、か」
ふいに口ずさんだ言葉と納得を、そのまま酒で流してしまう。
全てを一人で背負い、理想の楽園を祈る王。
やり方は異なれど、それは確かにあの日見送った背中だった。
ならば此度の自分の在り方も変わらない。ただ信じ、見届けるだけだ。
――――おおくのものを愛し、おおくのものを憎み……
――――何かを傷つけ、何かに傷つけられ……
「とりあえず、預かるだけ預かっておくわ。渡すかどうかは……この後の見物料にしておきましょう?
……そういえば貴方の“それ”、名前は決めたの?」
封書を胸の谷間にしまい込みながら、メイメイは玉座から下手を見つめて尋ねた。
ジョウイは何のことかとしばし首を傾げ、ややあってああ、と気づいた。
「必要もないと、考えていませんでした。そうですね……だったらオレンジ「ヴァカなの?」
ジョウイが言おうとした名前を、メイメイはばっさりと切り捨てる。
「名前っていうのはね、物事の本質を決定する重要なファクターなの。
真名、魔名。言祝にして呪詛。名前一つでその人の運命が決まっちゃうことだってある。
召喚獣にしたって概念にしたって、それは同じ。
もし勇者が“ああああ”とかそういう名前だったらどうなると思うの?
命名神もムカ着火ファイアーでへそ曲げるってもんよ」
「僕のセンスはああああ以下なんですか……」
熱っぽく語るメイメイに、ジョウイは無表情のまま答える。
だが、そのトーンはガクリと落ちて、明らかに気分が落ち込んでいた。
「そうねえ……じゃあメイメイさんがサービスで改名相談に乗ってあげる」
とん、と柏手を打ちながらメイメイは朗らかに歌った。
一瞬、いやオレンジとジョウイが言い掛けたのを敢えて右から左に流しながら、腕を組むことしばし。
「――――ってのはどう? 名も無き世界にて“旧き輪廻を断つ剣”っていう意味。
少し歪つだけど、その方が貴方らしいでしょう」
「……なるほど、確かに“僕たちに相応しい”。ありがたく頂戴しますよ」
ジョウイはメイメイから授けられたその真名の意味を噛みしめた。
それだけで、魔剣の中の力が活性化したような気がする。
召喚獣に名をつける際に、相性のよい名をつけることで召喚獣の力を引き上げるように、
名前もまたその力を決定づける要素なのだ。“どんな召喚獣であろうとも”。
「どったの?」
「……いえ、少し」
思案に耽るジョウイにメイメイが声をかけたとき、カンと靴音が響きわたる。
シードとクルガン、ものまねによって追想された未練。
モルフと化してなおジョウイに従う懐刀達だ。
その来訪に全ての準備が終わったとしり、ジョウイは二人から装具を戴く。
一つは紅黒き外套、一つは絶望の鎌より刃を落とした棍。
いずれも彼が奪い取り、同時に受け継がれた魔王たる証。
それらを背負い、彼は再び楽園へと降りた。
「それじゃあ、始め<おわらせ>にいこうか」
もう二度と魔王<これ>を脱ぐことはないと知りながら。
――――それでも風のように駆けていたのです……青空に、笑い声を響かせながら……
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最終更新:2014年01月13日 07:07