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3-3A
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【皇室検定】(3)歴史・ドラマ編3、朝廷と武家――皇室を巻き込んだ中世の激動
3-3A:源平争乱と皇位継承――朝廷と武家の対立・協調
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第1問 「上皇」と「法皇」の関係について、最も適切な説明はどれでしょう?
A. 天皇が譲位すると必ず法皇となる
B. 天皇が譲位すると上皇となり、その後出家すると法皇と呼ばれることがある
C. 天皇が出家すると上皇となり、譲位すると法皇となる
D. 上皇と法皇は時代によって呼び方が違うだけで、出家とは関係しない
B. 天皇が譲位すると上皇となり、その後出家すると法皇と呼ばれることがある
C. 天皇が出家すると上皇となり、譲位すると法皇となる
D. 上皇と法皇は時代によって呼び方が違うだけで、出家とは関係しない
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第2問 「院政」という言葉の「院」について、最も適切な説明はどれでしょう?
A. 出家した僧侶が住む寺院だけを意味する
B. 天皇の后が政治を行うための施設を意味する
C. 譲位した上皇(院)が政治を行うことを指し、その上皇の御所なども「院」と呼ばれた
D. 武士が政治を行うために設置した役所を意味する
B. 天皇の后が政治を行うための施設を意味する
C. 譲位した上皇(院)が政治を行うことを指し、その上皇の御所なども「院」と呼ばれた
D. 武士が政治を行うために設置した役所を意味する
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第3問 1155年、近衛天皇が崩御すると皇位継承をめぐる問題が生じ、後白河天皇が即位しました。このとき後白河天皇と対立する立場にあった人物として、その後の保元の乱にもつながる重要人物は誰でしょう?
A. 崇徳上皇
B. 後鳥羽上皇
C. 安徳天皇
D. 高倉天皇
B. 後鳥羽上皇
C. 安徳天皇
D. 高倉天皇
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第4問 1156年に起こった保元の乱について、最も適切な説明はどれでしょう?
A. 源頼朝と平清盛が鎌倉の支配権をめぐって争った
B. 後白河天皇側と崇徳上皇側の対立などが、武士を巻き込んだ内乱へ発展した
C. 後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとして起こした
D. 源義経が壇ノ浦で平氏を破った戦いである
B. 後白河天皇側と崇徳上皇側の対立などが、武士を巻き込んだ内乱へ発展した
C. 後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとして起こした
D. 源義経が壇ノ浦で平氏を破った戦いである
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第5問 保元の乱の後、後白河天皇は譲位して上皇となり、さらに出家して「後白河法皇」と呼ばれるようになります。この後白河法皇が、源平争乱を通じて果たした役割として最も適切なものはどれでしょう?
A. 源氏・平氏のどちらか一方に終始従属し、政治的影響力を失った
B. 朝廷政治の主体として、源氏・平氏などの武士勢力との関係を変化させながら政治的影響力を維持した
C. 1185年まで天皇として在位し続けた
D. 鎌倉幕府成立後に征夷大将軍となった
B. 朝廷政治の主体として、源氏・平氏などの武士勢力との関係を変化させながら政治的影響力を維持した
C. 1185年まで天皇として在位し続けた
D. 鎌倉幕府成立後に征夷大将軍となった
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第6問 1180年、後白河法皇の皇子である以仁王が平氏打倒を呼びかける令旨を出し、源頼政らがこれに応じました。この出来事が重要なのはなぜでしょう?
A. 源頼朝がすでに征夷大将軍に任命されていたことを示すから
B. 平氏政権に対する武士の反発が広がり、治承・寿永の内乱へ向かう契機の一つとなったから
C. 後鳥羽天皇が即位して院政を始めたから
D. 壇ノ浦で平氏が滅亡したから
B. 平氏政権に対する武士の反発が広がり、治承・寿永の内乱へ向かう契機の一つとなったから
C. 後鳥羽天皇が即位して院政を始めたから
D. 壇ノ浦で平氏が滅亡したから
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第7問 1180年、伊豆で挙兵した源頼朝は、のちに鎌倉を本拠地として東国武士をまとめていきます。この時期の頼朝について正しいものはどれでしょう?
A. 平清盛の死後に初めて政治活動を始めた
B. 後白河法皇の命令によって京都から派遣された武士だった
C. 源氏の棟梁として東国武士を結集し、独自の政治的基盤を形成していった
D. 1180年の時点ですでに朝廷から征夷大将軍に任命されていた
B. 後白河法皇の命令によって京都から派遣された武士だった
C. 源氏の棟梁として東国武士を結集し、独自の政治的基盤を形成していった
D. 1180年の時点ですでに朝廷から征夷大将軍に任命されていた
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第8問 1183年、木曾義仲が京都に入ると、平氏は安徳天皇と三種の神器を伴って都落ちしました。この後、朝廷側で新たな皇位継承が進められることになります。ここで重要な点として正しいものはどれでしょう?
A. 安徳天皇と後鳥羽天皇という、異なる皇統の天皇が長期間並立した
B. 平氏が安徳天皇を奉じて都を離れたため、皇位継承と神器の所在が複雑な問題となった
C. 後白河法皇が安徳天皇を自ら討ち取った
D. 源頼朝が即位して新しい天皇となった
B. 平氏が安徳天皇を奉じて都を離れたため、皇位継承と神器の所在が複雑な問題となった
C. 後白河法皇が安徳天皇を自ら討ち取った
D. 源頼朝が即位して新しい天皇となった
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第9問 1185年、壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡しました。その際、安徳天皇について正しいものはどれでしょう?
A. 平氏とともに都へ戻り、その後退位した
B. 鎌倉へ移され、源頼朝のもとで暮らした
C. 平氏とともに西へ落ち、壇ノ浦で崩御した
D. 後白河法皇によって退位させられ、京都で出家した
B. 鎌倉へ移され、源頼朝のもとで暮らした
C. 平氏とともに西へ落ち、壇ノ浦で崩御した
D. 後白河法皇によって退位させられ、京都で出家した
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第10問 1156年の保元の乱から1185年の平氏滅亡までの流れを、最も適切に並べたものはどれでしょう?
A. 保元の乱 → 平治の乱 → 源頼朝の挙兵 → 平氏都落ち → 壇ノ浦
B. 平治の乱 → 保元の乱 → 源頼朝の挙兵 → 壇ノ浦 → 平氏都落ち
C. 保元の乱 → 源頼朝の挙兵 → 平治の乱 → 平氏都落ち → 壇ノ浦
D. 源頼朝の挙兵 → 保元の乱 → 平治の乱 → 壇ノ浦 → 平氏都落ち
B. 平治の乱 → 保元の乱 → 源頼朝の挙兵 → 壇ノ浦 → 平氏都落ち
C. 保元の乱 → 源頼朝の挙兵 → 平治の乱 → 平氏都落ち → 壇ノ浦
D. 源頼朝の挙兵 → 保元の乱 → 平治の乱 → 壇ノ浦 → 平氏都落ち
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