分析心理学(ユング心理学)

概説

分析心理学(独語:Analytische Psychologie,英語:Analytical Psychology)は、スイスの精神科医・心理療法家であったカール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung, 1875年7月26日 - 1961年6月6日)が創始した深層心理学理論、心理療法理論、実践体系の総称で、元型心理学(Archetypal Psychology)とも言われる。意識と無意識の相互作用によって形成される(無意識からのメッセージ)という夢、およびその分析もユング派の分析に於いて中核をなした重要なものである。

コンプレックス

コンプレックスという用語を現在用いられているような意味で、最初に用いたのはユングであり、1906年の言語連想実験についての著作の中で、「感情によって色づけられたコンプレックス」なる語を用いた。100語のリストが読み上げられ被験者は各語を聞いて最初に思い浮かぶ言葉を順に答えるよう求められ、(被験者自身も気付かないが)情動を喚起される言葉に影響されて反応時間が遅れるという。ユングは連想実験によって無意識の心的過程の研究を行い、多くの心的内容が同一の感情によって一つのまとまりを形作り、関係する外的刺激が与えられると、その心的内容の一群が意識の制御を超えて活動する現象を認め、無意識内に存在して、何等かの感情によって結ばれている心的内容の集まりをコンプレックスと名付けた。
コンプレックスは、一つの共通な感情によって、まとまりをもったものであるが、自我によって受け入れ難かったため抑圧された経験と、その個人の無意識の中に内在していて、いまだかつて意識化された事のない内容の二種類に分けられるという。そして、精神分析を提唱し深層心理の解明を志向していたユングに大きな影響を与えたジークムント・フロイト(1856年5月6日 - 1939年9月23日)が、無意識の心的内容は抑圧されたもの、性的な欲望と関連の深いものと考えたのに対し、ユングは、フロイトの説を認めながらも、無意識の内容はそれのみではなく、建設的・肯定的・創造的な内容、側面が存在する事を強調しようとした。このような無意識に対する見方の違いが両者の別れていく理由の一つにもなった。

人間の類型

ユングは、人間には異なる二つの一般的態度があると考えた。ある人の関心や興味が外界の事物や人に向けられ、それらとの関係や依存によって特徴づけられるとき、外向的と呼び、その人の関心が内界の主観的要因に重きを置いているときは、内向的と呼び区別した。また、二つの一般的態度とは別に、ユングは、各個人は各々、最も得意とする心理機能をもっていると考えた。心理機能は、種々異なった条件のもとにおいても、原則的には不変な、心の活動形式であり、ユングはこれを四つの根本機能、思考(thinking)感情(feeling)感覚(sensation)直観(intuition)に区別して考えた。

個人的無意識と集合的無意識

無意識の階層 『ユング心理学入門』p.77より
無意識は宗教経験、夢、ヴィジョン、ファンタジー、情動、奇妙な観念等を生み出すと言えるが、ユングは、無意識の研究を続けていく中で、コンプレックスの背後にも深い層が存在すると考え到るようになり、個人的無意識(personal unconsciousness)集合的無意識(collective unconsciousness)元型(archetype)といった考えが生じてくる。無意識内を層に分けて考える事は、分析心理学の特徴とも言えるが、集合的無意識の概念は誤解をも生じさせる事となった。
ユングは、無意識の層を個人的無意識と集合的無意識に分けて考えた。まず、個人的無意識は、個人によって抑圧されて生じた(個的存在の獲得した)個人的性質の無意識であり、集合的無意識は、個人的ではなく、集合的なもので、人類に、寧ろ動物にさえ普遍的な無意識である。集合的無意識の層を考えるのもユングの特徴であり、この点もフロイトから袂別していく原因となった。なお、ユングは、人間の頭脳が世界的に似通っている事を持ち出して、集合的無意識の生理学的根拠を脳の機能の類似性に求めているが*1ケン・ウィルバーもそのような指摘をしている。

そして、意識を支配するものは言葉であると言えるが無意識に言葉はなく、ユングは集合的無意識の内容は、神話的なモチーフや形象から成り立っており、この内容は神話やおとぎ話、夢、精神病者の妄想、未開人の心性等にも共通に認められるという。更にその殆どは時代や地域を超えて、未開の部族あるいはギリシャ、エジプト、古代メキシコの神話、そして、そのような伝承を全く知らない現代の個人における夢、ヴィジョン、妄想にもそれらは同様に見出し得る。そして、集合的無意識の内容の表現の中に、共通した基本的な型を元型*2と呼んでいる。この層の存在が生まれ変わりや前世の記憶を人間が信仰する起源になっているとの指摘もある*3。因みに、1906年にユングは分裂病患者が「太陽のペニスが見える、さらに頭を左右に動かせば太陽のペニスも動くであろう、そしてそれこそが風の起源である」と述べたという事に注目しており、1910年に神話の研究に没頭している時に入手したミトラ信仰の祈禱書に書かれた内容と一致していたという。

また、元型はイメージと観念を秩序化する影響力をもっていると言えるが、元型そのものは先天的なもので無意識の世界の最も深い部分が引き起こすものであり、決して意識化される事がないという点で、仮説的であり、表象としての心像とは区別して考える必要がある。なお、このような元型には、生きられなかった自分の反面と言うべき存在である影、社会的な役割に合わせて身に着けているペルソナがある。また、夢の中に現れる異性像について、女性像の場合をアニマ(anima)、男性像の場合をアニムス(animus)と呼んでおり、他にも太母、老賢者、トリックスター等の人格を与え、その意味を探究した。
分析心理学における集合的無意識や元型といった概念は、神話学や民俗学、宗教学や文化人類学の研究者に大きな影響を与えたと言える。

自己(セルフ)の概念

ユングの自己の概念 『ユング心理学入門』p.251より
ユングは、意識と無意識の相補性に注目し、心の全体性について強い関心をもち続けたが、彼による自己(self, Selbst)の概念はその事を端的に示している。
人間の心が、内向と外向、思考と感情、ペルソナとアニマ(アニムス)等、対極の間のダイナミズムに支えられて、一つの全体性、統合性をもっている事を、ユングは注目している。そして、高い次元の統合性へ向かう働きの中心として、意識の中心である自我に対し、意識と無意識とを含んだ心の全体性の中心として自己なるものを考えた。

自己実現に於ける重要な時、心がある事に非常に集中している時などに、不思議な現象に出会う事があるが、そのような「意味のある偶然一致」を重要視し、共時性(synchronicity)の原理なるものを考え、自然現象には因果律によって、把握できるものと、因果律によっては解明できないが、意味のある現象が同時に生じるような場合とがある事も指摘している。そして、物理的な出来事とこころの状態に同時に元型が生じるという事が時々、生じるという点でも「意味のある偶然一致」と呼ぶ事態が元型に起因すると考えていたため、ユングは、元型は時空間を超えた存在であると考えたようである。*4
また、共時性の一つの現れとして、個人の心の内的世界における問題のありようと、ちょうど対応するように、外的世界の事物や事象が、ある特定の配置を持って現れてくることを、布置(独語:Konstellation, 英語:Constellation)といい、それは宇宙の秩序の中に組み込まれた運命である事を実感させるという。

死後生に対する態度

西平直は、ユング理論の地平において、自我と無意識の関係は生と死の関係であると指摘している*5。ユングの死後生に対する態度は慎重であり、この問題は科学的には扱えない(神話として話す以上のことはできない)という前置きを繰り返しながらも、夢、神話、予感を手掛かりにすることはできると述べ、死と死後を巡って個人的に重要な意味をもつ体験を 『自伝』の「死後の生命」なる随筆で事細かに報告している。例えば、溺死のイメージに囚われて不気味に感じたまま帰ると孫が溺れたのと同じ時刻であったという体験、夢の中で身内の死を予知し先祖や死者の霊と会話する話、妻の死後に夢の中で妻が研究を続けていると知って死後の魂の発達について思い巡らす事、葬式を済ませたばかりの友人がベッドの横に立ち彼に誘われるままに彼の家の書斎にまで歩いて行った話等が挙げられている。そして、ユングは『自伝』の「死後の生命」において以下のように述べている。

死後の魂の存続について、妥当な証明をおしすすめてゆく方法はないが、それについてわれわれに配慮せしめるような体験は、ともかく存在している。*6

また、死後の生の存在様式については以下のようにも述べている。

生命が「彼岸」でも続くと仮定するならば、心的存在として以外には、他の存在様式を考えることはできない。というのは、心の生命は空間も時間も必要としないからである。心的存在、とくにわれわれがここに問題としている内的なイメージは、あの世の生命についての神話的なすべての思弁の素材を供給する。そして、私はあの世での生命を、イメージの世界での連続として考えている。かくて、心というものは、その中にあの世とか死者の世界が位置している存在であるかもしれない。*7

このような発言からも、ユングは死によって時間の存在しない全体性、無意識に還ると捉えていた事が窺える。そして、西平直によれば、ユングの「ゼーレ(Seele)」という言葉は「肉体を離れた後の実体」を意味しておらず、生も死もゼーレの中の出来事であり、ゼーレの中にあらかじめ備わった内容の展開に過ぎないと捉えていた事が窺えるといい、そのように見れば、「死後も存続する魂」等はゼーレの内なるごく小さなひとつのイメージに過ぎない事になる*8。そのような意味で、ユング理論の地平において、生と死はゼーレの自己展開として理解されるべきものである事が窺える。

  • 参考文献

カール・グスタフ・ユング著、アニエラ・ヤッフェ編『ユング自伝1』河合隼雄・藤繩昭・出井淑子 訳 みすず書房 1972年
カール・グスタフ・ユング著、アニエラ・ヤッフェ編『ユング自伝2』河合隼雄・藤繩昭・出井淑子 訳 みすず書房 1973年
C・G・ユング『自我と無意識の関係』人文書院 野田倬 訳 人文書院 1982年
C.G. ユング『空飛ぶ円盤』松代洋一 訳 ちくま学芸文庫 1993年
C・G・ユング著、S・シャムダサーニ/W・マクガイア『分析心理学セミナー 1925 ユング心理学のはじまり』河合俊雄 監訳 猪股剛・小木曽由佳・宮澤淳滋・鹿野友章 訳 創元社 2019年
アンソニー・ストー『エセンシャル・ユング ユングが語るユング心理学』山中康裕監修 菅野信夫・皆藤章・濱野清志・川嵜克哲 訳 創元社 2020年
最終更新:2024年04月12日 00:40

*1 ユング 1928(邦訳 1982)p.42-43

*2 ユングは当初、普遍的な漠としたイメージを「原始心像」と名付けたようであるが、1936年のハーバード大学の講演『人間の行動を決定する心理学的要因』から「元型」という呼び名に変えたようである

*3 ストー 1983(邦訳 2020)p.238

*4 ストー 1983(邦訳 2020)p.27

*5 西平 1997 p.50

*6 ユング(邦訳 1973)p.154

*7 ユング(邦訳 1973)p.164

*8 西平 1997 p.68