『立憲主義と日本国憲法 第3版』 (高橋和之:著 (2013年)) | |
高橋和之 は、故・芦部信喜(東大憲法学の最大の権威)門下の現代左翼を代表する憲法学者。 |
実定法秩序は、社会が依拠する理念・原理を強制力により担保することを目的とする。 憲法はこの実定法秩序の頂点に位置する。 では、頂点に君臨し、実定法秩序との関係でどのような役割を果たすのか。 伝統的な立憲主義の論理によれば、その理念は自然権としての人権の保障であり、憲法は国家が理念の実現を目指して実定法を制定し改変していく手続を定めると同時に、その際に尊重すべき「人権」を確認するものである。 その意味で、憲法は実定法が展開していく「法のプロセス」を定めた法規範であり、実定法秩序は、この法のプロセスの算出として存在するのである。 これが本書の立場である。 この憲法イメージに対して、最近その修正を迫る見解が唱えられている。 憲法は実定法秩序の頂点にあって、全実定法秩序が実現すべき基本価値を実定法的価値として定めるものだというのである。 ここでは憲法の定める権利は、国家の法制定を枠づけ《制限》するだけでなく、その《具体化》を要求する規範となる。 二つのイメージの違いがいかなる相違を生み出すに至るのかは、現段階では明確ではないが、立憲主義そのものの修正に向かう可能性も秘めている。 その射程を正確に測るためにも、伝統的な立憲主義が何であったのかを理解することが重要である。 |
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<目次>
Ⅰ 国家とは何か1 国家の歴史的成立 - 社会学的意味での国家
人間は、社会を形成して生活するが、その社会が一定の特徴を備えているとき、それを国家と呼ぶ。
近代国家は、ヨーロッパの歴史においては、それに先行した封建制社会を解体しつつ登場したため、その特徴の理解は、通常、封建制と対比することにより行われる。 封建制社会においては、封建諸侯(領主)が地方の支配権を握っており、政治権力は国王の下に集権化されることなく地方分散的な状態にあった。 国王権力は、王国全土を直接的に支配することはできず、地方領主との封建契約を通じて間接的に統治しえたにすぎない。 しかも、地方領主の中には、国王より強力な者も存在し、国王権力の優越性の保証もなかったし、また、ローマ教皇や神聖ローマ皇帝など外部の勢力からの干渉も受け、対外的な独立性も存在しなかった。 したがって、国王の支配権が直接的に及ぶ領域という意味での「領土」の観念も、国王の支配権に直接に服する「臣民」の集合としての「国民」の観念も、なかった。 こうした状態から出発し、国王は、この封建的な構造を徐々に解体し、領土と国民に直接的支配権を及ぼす中央集権的な最高・独立の統治権(主権)を確立していくが、それが「絶対王政」と呼ばれる体制であり、国家は絶対王政とともに始まるのである。 この国家は、絶対王政の段階では、王国の隅々にまで張り巡らされた国王の手足としての官僚機構を中心に観念され、国王の支配のための道具として国王に帰属する王家の「家産」と捉えられていた。 そこでは、国民は、国家を通じて国王に統治される客体にすぎなかったのである。 その国民が、近代市民革命により国王の統治権を奪取し、統治権の客体から主体へと転化するとき、国家が「一定の領土を基礎に統治権を備えた国民の団体」として観念されるようになる。 領土・国民・統治権(主権)が国家の三要素といわれるのは、このためである。
国家の成立により、国際社会は、相互に独立の「主権国家」から成るものと理解されるようになる。
主権国家が典型的に成立するのは、まずヨーロッパにおいてであったが、国際社会の行動主体が主権国家ということになると、国際社会で独立の主体として自己を確立したい集団は、主権国家性の実現を余儀なくされ、かくして多くの主権国家が叢生することになったのである。 2 法学的国家論
このように成立した(社会学的・歴史的)国家を、法的にいかなる存在として説明するかが、法学的国家論の課題となる。
これまでに社会契約をはじめとして様々な学説が唱えられてきたが、ここでは、我が国の憲法学に大きな影響を与えた国家法人論およびケルゼンの学説を簡単に紹介しておこう。 (1) 国家法人論
複数人から成る団体に一つの法人格を認めて、権利義務関係を扱いやすくするという法技術は、私法における財産関係の処理の場面では普通にみられるところであるが、これを統治権の帰属・行使の説明についても応用しようというのが、国家法人論の眼目である。
たとえば、株式会社は法人格を有し、会社の機関である代表取締役が表明した意思(たとえば、契約を締結する意思)は、代表取締役個人の意思ではなく、法人の意思とみなされ、その法的効果(たとえば契約による財産取得や支払義務)は法人に帰属するものとして扱われる。 同様に、国家法人論は、国家に法人格を認め、統治権はこの国家=法人格に帰属すると考える。 そこでは、統治権を行使するための意思表明(法律の制定、行政処分、判決等)は、国家=法人格の機関(国会、内閣、裁判所等)により行われる。 機関とは、法人格の意思を表明する地位を指すのであるが、その地位に誰がどのようにして就くのかは、憲法によって定めされる。
国家法人論にも様々なバリエーションが存在するが、代表的な見解はドイツの国法学者ゲオルク・イェリネック(Georg Jellinek, 1851-1911)が唱えたもので、日本の美濃部達吉(1873-1948)はこれから大きな影響を受けた。
戦前に「国体の異説」として弾圧を受けた美濃部の天皇機関説とは、この国家法人論に基礎を置くもので、明治憲法の解釈として、天皇を「統治権の主体(主権者)」としてではなく、「国家法人の機関」として捉えることを主張した学説である。 そのねらいは、統治権を天皇ではなく国家法人格に帰属するものと捉え、天皇は帝国議会と同じく国家法人格の機関であるとすることにより、天皇と帝国議会との格差を狭めることにあったと言われる。 弾圧を受ける以前は、この天皇機関説は学界の通説であった。
ドイツの国家法人論は、統治権(主権)を君主でも人民(国民)でもなく、国家に帰属すると構成することにより、君主主権論と人民主権論の歴史的対立の決着を回避し棚上げする意味をもつものであった。
君主・貴族階級と市民階級(ブルジョワジー)の対立の中で、市民階級が革命によって支配権を確立するだけの力をもちえなかった19世紀後半ドイツの状況を反映した理論であり、その意味で保守的性格をもつと一般に評されている。 その理論が、日本においては、天皇機関説にみられたように、民主的役割を果たしたことは興味深い。 一つの理論、学説がどのような機能を果たすかは、その社会の置かれた歴史的・国際的等の状況により異なりうることを示しているのである。 (2) ハンス・ケルゼンの理論
国家法人論の説明で、法人の機関が法人の意思を表明すると述べたが、なぜ機関の地位にある自然人の表明した意思が、法人の意思とされるのか。
それは、法が機関の地位に在る者にそのような権限を授けており、その授権に従って意思表明がなされたからである。 では、なぜその法はそのような効力(妥当性)をもっているのか。 それは、その法自体が、正当な権限をもつ機関により制定されたからである。 では、なぜその機関はそのような権限をもったのか、といえば、法によりそのような権限を授けられていたからである。 このように考えてみると、あらゆる法は、自己の妥当根拠を先行する上位の法規範から得ていることが分かる。 様々な法規範が授権・受権関係を通じて上下関係を形成している様子を、ケルゼン(Hans Kelsen, 1881-1973)は法の段階構造と呼んだが、憲法は、通常その最上位に位置している。 憲法は、国家の機関を創設し、それに一定の権限を授ける。 機関がその権限内で活動する限り、その行為は法的効力(妥当性)を承認され、その法的効果は国家に帰属する。 では、憲法自体はなぜ効力をもつのか。 憲法の妥当性はどこからくるのか。 ケルゼンは、これを説明するために、憲法の上位に位置する根本規範というものを仮設的に想定した。 憲法は、根本規範によって憲法制定権力を授権された機関により制定されることによって、その妥当性を獲得するというのである。
純粋法学の創始者ケルゼンは、事実と当為を峻別する立場に立つから、憲法の妥当性を説明するのに、たとえばイェリネックのような「事実の規範力」といった観念に訴えることを事実と当為の混同として否定し、上位規範による授権という理論を延長して究極的な妥当性根拠としての根本規範を仮設したのである。
こうして、法秩序は根本規範を頂点に授権関係を基礎とする段階構造をなすものと捉えられた。 そこでは、下位規範は上位規範(授権規範)を具体化し執行・実現していくものと捉えられる。 そして、ケルゼンによれば、国家とはこの法秩序のことだとされる。 自然人の意思が国家の意思とみなされるのは、法によってであり、法なくして国家の意思は存在しない。 国家は、法秩序としてしか存在しえず、法秩序と別個に法を制定する主体として、あるいは、法に拘束される対象として国家が別個に存在するわけではない。 国家イコール法秩序なのである。 Ⅱ 憲法とは何か - 憲法の意味と種類
憲法は様々な意味に使われるので、議論の混乱を避けるために憲法の意味が区別・整理されてきた。
その中で最も重要なのは、①固有の意味の憲法と立憲的意味の憲法の区別と、②実質的意味の憲法と形式的意味の憲法の区別である。 ①は憲法の内容に着目した区別であるのに対し、②は憲法の存在の仕方に着目した区別である。 1 固有の意味の憲法と立憲的意味の憲法(1) 固有の意味の憲法
憲法とは、どのような自然人の意思が国家の意思とみなされるべきかを定めた基本法である。
国家の意思は、法律、命令、規則など、憲法の定める様々な形式で表明されるが、それが強制力の独占を正統化された国家の意思である以上、国家権力により強制される力を獲得する。 国家意思を形成し執行していく権力を統治権と呼ぶが、この統治権が誰に帰属し、どのように行使されるべきかを定めているのが憲法なのである。 この意味での憲法は、あらゆる国家に存在する。 憲法なくして国家は存在しえない。 この意味での憲法を「固有の意味の憲法」という。 絶対王政にも、固有の意味での憲法は存在した。 絶対君主は、まさに憲法により絶対的な権力を授権されていたのである。 (2) 立憲的意味の憲法
我々が憲法という語により通常思い浮かべるのは、上述のような意味の憲法ではない。
我々にとって憲法とは、人権保障を謳い、国民主権や権力分立を定めた憲法であり、それは通常一つの統一的な憲法典の形で存在している。 絶対王政期には、このような憲法典はいまだ存在せず、憲法は慣習法として存在していたにすぎなかった。 たとえば、フランス絶対王政期に王位継承のルールなどを定めていた「王国の基本法」は、そのような性格の慣習法であった。 そこでは、憲法は、人為的に制定するものではなく、自然に成るものと観念されていたのである。
これに対して、絶対王政末期になると、イギリスに中世以来存在した、国王権力をも拘束する「高次の法」(higher law)という思想と、ロック的な社会契約論の影響下に、社会構成員の合意書としての憲法典を制定しようという考えが生じた。
これを歴史上最初に実行に移したのは、イギリスから独立した直後のアメリカ諸邦であった。 独立の過程で、まず最初、1776年6月にヴァージニアのウィリアムズバーグで開催された革命評議会が、天賦・不可侵の自然権を基礎とする権利宣言を採択する。 このヴァージニア権利宣言は、直後に採択された「政府の機構」(Frame of Government)という法典と一体を成すものとされ、その後の憲法が人権部分と統治機構部分から構成されるモデルとなった。 翌月(7月)には有名なアメリカ独立宣言が出されるが、そこでも同様の自然権思想を基礎に母国イギリスからの独立の正統性が主張されている。 引き続き諸邦で同種の権利宣言を伴った憲法が制定されていくが、1787年に13邦(州)が一つの連邦国家を形成する合衆国憲法が制定される。
同じ時期、フランスでも、1789年に革命が起きると、第三階級の代表者が「国民議会」を名のって「人及び市民の権利宣言」(フランス人権宣言)を行い、国民主権、人権保障、権力分立が国家の基本原理となるべきことを宣言し、1791年にそれに基づく最初の憲法を制定した。
これらの憲法は、いずれも人権保障と権力分立原理を採用し、権力を制限して自由を実現するという立憲主義(constitutionalism)の思想を基礎にしている。 立憲主義とは、政治は憲法に従ってなされなければならないという思想をいうが、そこでいう憲法はいかなる内容の憲法でもよいのではなく、人権保障と権力分立の原理に支えられたものでなければならないと考えられたのである。 1789年のフランス人権宣言16条は「権利保障が確保されず、権力分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」と規定したが、立憲主義の典型的な宣言といわれている。 このような立憲主義を基礎にした近代の憲法を「立憲的意味の憲法」と呼ぶのである。 (3) 立憲主義の母国イギリス
立憲主義のねらいが、国王の権力を制限して国民の自由を保障することにあったとすれば、それを他国に先駆けて歴史上最初に実現したのは、イギリスであった。
イギリスは、成文の憲法典を制定することはしなかったが、立憲主義的な国家構造をすでに17世紀に実現し、立憲主義の母国といわれるのである。
イギリスにおける国民の権利の確立は中世のマグナ・カルタ(1215年)に遡る。
マグナ・カルタは、実際には、封建貴族(バロン)がロンドンの商人の支持を得て国王に対し封建契約に基づく権利(身分的自由)の尊重を約束させた文書にすぎなかった。 しかし、そこで約束された権利は、その後何度も国王により確認されるとともに、裁判所による判決を通じてコモン・ローの一部として発展し、特に17世紀に、絶対主義を標榜したスチュアート朝の国王とそれに対立した議会との闘いの中で、議会の勇士エドワード・クック(Sir Edward Coke, 1552-1634)がマグナ・カルタを古来より存在するイギリス国民の権利を保障した歴史的文書であると意味づけるにおよび、イギリス立憲主義の象徴的文書となるのである。 イギリス権利保障の画期をなす1628年の権利請願(Petiton of Rights)、1679年の人身保護法(Habeas Corpus Act)、1689年の権利章典(Bill of Rights)、1701年の王位継承法(Act of Settlement)などのいわゆる憲法的文書は、いずれもこのようなイギリス国民の古来から承認されてきた権利を確認するものという性格づけを与えられて成立したものである。 したがって、そこでの自由は、人が人としての資格で当然に認められる「人権」という観念ではなく、封建的な身分に認められた特権を基礎にしていたが、その身分的特権としての自由を全国民にまで拡大していったのである。
アメリカ独立期の権利保障も、権利の内容についてはイギリスの権利保障の影響を受けていたが、それを自然権思想により捉え直した点で性格を異にするのである。
(4) ドイツの外見的立憲主義
他方、ドイツでは、フランス革命の影響を受けて憲法制定の要求が生じはするが、ドイツの諸邦においては絶対君主政が強固に確立されていて、市民階級(ブルジョワジー)の力も弱かった。
そのため、立憲主義に基づく憲法を確立するには至らず、「君主政原理」(君主主権)を基礎に君主が憲法を制定し、その中で国民に一定の権利を授け、その権利を制限する場合には国民を代表する議会の同意を得た法律により行うことを約束するという展開をたどるのが一般的であった。 その典型例が1850年のプロシャ憲法であり、1871年のドイツ帝国憲法も基本的には同様の思想を基礎にしていた。 これらの憲法も、立憲主義の要素をまったくもっていなかったというわけではない。 人権という観念ではないにしても一応権利は認められ、かつ、議会が君主の権力をある程度制限することが認められていたからである。 しかし、君主政原理が出発点に置かれており、権利保障も議会による君主権力の制限も不十分であったため、このようなドイツの憲法は、立憲主義のみせかけにすぎないという批判をこめて、「外見的立憲主義の憲法」と呼ばれた。 (5) 日本の立憲主義
1889年の明治憲法(正式名称は「大日本帝国憲法」)は、このドイツの憲法思想の強い影響を受けて制定されたので、外見的立憲主義の性格を有している。
明治憲法制定過程における枢密院での審議に際して、文部大臣森有礼が「臣民の権利」に反対し、臣民は天皇に対して責任を有するのみであるから「臣民の分際」と改めるべきだと主張したのに対し、憲法制定を推進した中心人物の伊藤博文枢密院議長が、「抑(そもそも)憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり。故に若し憲法において臣民の権利を列記せず、只責任のみを記載せば、憲法を設くるの必要なし」と述べて反論したというエピソードは、当時の指導者達が西欧の立憲主義の核心を理解していたことを示している。 しかし、制定された明治憲法は、「臣民」の権利を「法律ノ範囲内」で認めたにすぎず(22条・29条参照)、かつ、君権を制限するはずの議会も限定された権限しか与えられておらず(5条・6条・71条等参照)、絶対主義と立憲主義の間の妥協的性格のものであった。
これに対し、戦後に制定された日本国憲法は、真正な立憲主義の系譜に属する憲法であり、国民主権を基礎に、自然権思想から生じた人権の観念を導入し、権力分立原理によって統治機構を構成している。
本書の目的は、日本国憲法をこの立憲主義の歴史の中に位置づけ、その特徴を理解しようとすることにある。 2 実質的意味の憲法と形式的意味の憲法(1) 区別と理由
立憲的意味の憲法は、通常は一つの統一された憲法典という形で制定されるが、イギリス憲法のように慣習法およびいくつかの法律の形式で存在する場合もあることを見た。
また、憲法とは、国家の政治のあり方に関する基本法であり、統治権を誰がどのように行使するかを定めるものであるが、このような「固有の意味の憲法」のうち、立憲主義的内容のものが特に「立憲的意味の憲法」と呼ばれた。 この区別は、憲法の内容に着目した区別であり、憲法がどのような形、形式で存在するかとは無関係である。 立憲的意味の憲法であれ固有の意味の憲法であれ、憲法典の形式で存在することもあれば、そうでないこともある。 ただ、通常は、立憲的意味の憲法は憲法典の形式をとって存在する。 この《形式》に特に着目するとき、それを「形式的意味の憲法」と呼び、形式とは無関係に憲法を観念する場合の「実質的意味の憲法」と区別している。
この区別をする意義の一つは、憲法に属すべきルールが常に憲法典の中に書き込まれるとは限らず、逆にまた、憲法典に書き込まれた規定の中には憲法には属さないものもあるという点に留意することにある。
憲法の制定は、多くの場合政治的闘争を通じて行われるのであり、合意形成過程における妥協と取引の結果、本来憲法典に書くべきことを意図的に明記しなかったり、あるいは、憲法とは関係ないことを特に書き込んだりするというとこが起きるのである。
しかし、実質・形式の区別のより重要な意義は、形式的意味の憲法が国法体系の中で最高位の、最も強い効力をもつことを示すことにある。
これは、憲法という形式に与えられる効力であり「形式的効力」と呼ばれる。 (2) 形式的効力の最高性
法は様々な様式で存在するが、大きく分ければ不文法(慣習法)と成文法(制定法)に区別される。
このうち制定法は、さらに様々な形式に区別しうるが、日本国憲法は、憲法のほかに、法律(国会)、命令(行政)、規則(両議院、最高裁判所)、条例(地方公共団体)などの法形式を認めている(かっこ内は制定権限を有する機関)。 これらの区別は、制定権限を有する機関の違いを基礎にするものであるが、ここで重要なのは、形式間に効力の上下関係が憲法自身により設定されていることである。 すなわち、法律よりも憲法の方が強い効力をもち、政令や規則よりも法律の方が上であるというように形式的効力の上下関係が決められていて、上位の法に反する下位の法は無効とされるのである。 どちらがより上位にあるかは、原則として、どちらの法形式の制定機関が国民により近いか、および、どちらがより困難な制定手続に服しているかを基準に決められる。 たとえば、国会は議員が国民により直接選ばれるから、首相が国会により指名される内閣よりも国民に近く、ゆえに、国会が制定する法律の方が内閣が制定する政令より形式的効力が上にあるとされる。 憲法が最高の形式的効力を有するのは、憲法は国民が直接制定したものという建前であり、かつ、その改正には国会の各院の3分の2以上の多数で発議し国民の過半数の賛成を得なければならないという最も厳格な手続が規定されているからである。 先に、憲法が授権規範の資格で最上位にあることを見たが、形式的効力の観点からも最上位にあるのである。 (3) 硬性憲法と軟性憲法
憲法を憲法典として制定する大きな理由は、この形式的効力の最高性にある。
形式的意味の憲法は、通常、法律の制定と同じ手続では改正できず、より困難な重い手続を践まねばならない。 憲法改正に法律の制定より困難な重い手続を必要とする憲法を「硬性憲法」、法律の制定と同じ手続でよいものを「軟性憲法」というが、形式的意味の憲法は、通常、硬性憲法であり、それゆえに最高の形式的効力をもつ。 そして、まさにそれゆえに、人権保障のような国の政治の重要なルールは、形式的意味の憲法に規定し、安易な改正から保護しようとするのである。 ごく稀に、成文憲法が改正条項をもたないことがある(フランスの1814年憲法的シャルト参照)。 この場合には、改正を禁じたものと解するか、それとも法律と同じ手続で改正可能な軟性憲法と解するかの争いが生じうる。 なお、イギリスのような不文憲法は、法律により改正可能であるから、軟性憲法の性格をもつこととなる。 3 憲法の法源(1) 法源の意味と種類
法源とは、法の効力の根拠の意味に使われることもあるが、ここでは、法がどこにどのような姿をとって存在しているかという、法の存在の仕方を指す意味で使う。
この意味での法源は、通常、成文法源と不文法源に区別される。 憲法の法源とは、実質的意味の憲法がどこにどのような形で存在するかの問題である。 先に述べたように実質的意味の憲法のすべてが、形式的意味の憲法の中に書かれているわけではなかった。 何らかの事情で憲法典に書かれなかったものも存在する。 そういったものは、法律等の成文法源に規定されている可能性がある。 また、憲法には一般的・抽象的な原則の形でしか規定されておらず、その具体化は法律等の成文法によりなされていることもあり、選挙法をはじめその例はきわめて多い。 しかし、場合によっては、成文法は存在せず、不文の慣習法や慣例・先例によって具体化されていることもある。 また、裁判所の憲法判例は、憲法の具体的存在形態として、今日ますます重要な地位を占めるようになってきている。
以上のうち、憲法慣習法と憲法判例については若干の議論があるところであり、以下に簡単に問題の要点を説明しておこう。
(2) 憲法慣習法
慣習法は、一般に、先例が長期にわたり反復され、広範な国民がそれに法的価値を承認することにより成立する。
日本は制定法主義をとっているから、制定法に反する慣習は法的効力をもたないのが原則である。 したがって、憲法慣習法が成立しうるのは、憲法に規定がない問題についての慣習と憲法の規定を具体化する慣習の二つの場合である。 しかし、稀には、憲法に反する先例が長期にわたって反復され、国民もそれを認めるに至るということが起こりえないわけではない。 このような場合、「憲法変遷」が生じたといわれる(427頁参照)。 たしかに、事実の認識として「憲法変遷」が起こりうることは否定できない。 しかし、憲法解釈論としてそれを是認することができるかどうかについては、学説の対立があり、解釈論上はあくまで違憲の憲法慣習と考えるべきだというのが多数説である。
この問題は、日本では、特に憲法9条と自衛隊の存在をめぐって争われている(63頁参照)。
衆議院の解散は、内閣不信任の場合に限定されないという確立された慣行も(321頁参照)、憲法はかかる場合に限定しているという立場からすれば、憲法変遷の問題となりうる。 (3) 憲法判例
日本国憲法は、裁判所に法律等が憲法に違反するかどうかを審査する権限を与えたから(81条)、裁判所が判決の結論を出すのに必要な限度で憲法判断をし、判決理由の中で法律等が合憲か違憲かについての判断とその理由とを述べることになっている。
その憲法判断と結論に不可欠な理由(判決理由)を憲法判例という。 ちなみに、理由中には、結論に不可欠とはいえないものも述べられていることがあり、それを「傍論」と呼び「判決理由」と区別している。 憲法判例は、日本では、最高裁が後の裁判で変更することが認められている(裁10条参照)から、厳密には法的拘束力をもつとは言えないが、実際には判例変更は稀であり、事実上、拘束力をもつのとほぼ同じに機能している。 その意味で、憲法の法源の一つと考えてよい。 4 憲法規範の特質
憲法という法規範が、他の法規範と比較したとき、どのような特質をもつかを、ここまでの説明を整理する意味で述べておこう。
(1) 基本価値秩序としての憲法
固有の意味の憲法と立憲的意味の憲法を対比すれば分かるように、憲法はその社会の基本価値を体現している。
立憲的意味の憲法の基本価値は、後に見るように「個人の尊厳」であり、それを護るために人権保障と権力分立を規定したのである。 (2) 授権規範・制限規範としての憲法
実質的意味の憲法を他の法規範と比較すると、憲法が授権規範としての特質をもつことが理解される。
他の法規範は、自己の妥当性の根拠を憲法による授権から得ているのである。
授権することは、同時に制限することでもある。
権限を授けられた機関は、授権の範囲を超えて権限を行使することはできないからである。 この点は、固有の意味の憲法についても妥当するが、立憲的意味の憲法の場合は、自由を護るために権力を制限することを重要な目的としたから、制限規範としての性格がより強く表れる。 (3) 最高規範としての憲法
憲法は授権規範として他の法規範の上にあるのみならず、形式的効力の観点からも最高位に位置している。
憲法の最高法規性は、通常、後者の形式的効力に着目していわれる。 つまり、憲法という法形式に他の法形式(法律、命令等)に優位する効力が与えられ、実定法秩序の最高位の地位が認められるのである。 重要なのは、この形式的意味の憲法の最高法規性の実質的根拠であるが、それは、憲法が「個人の尊厳」という実定法秩序を支える基本価値を体現していることに求められる。 憲法は実定法秩序が個人の尊厳に基づく秩序を形成・維持していく際に従うべき「法のプロセス」を定めているのである。
日本国憲法は、その第10章に「最高法規」と題する章を置き、97条から99条の三つの条文を定めている。
その98条は、1項で「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と規定しているが、憲法の形式的効力の最高性を確認したものである。 しかし、これに先立つ97条が「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と規定していることに留意する必要がある。 この条文は、憲法11条・12条・13条と共鳴する規定であり、「個人の尊厳」(24条参照)を核とする自然権思想を背後にもっている。 かかる趣旨の規定を97条に置き、それを受けて98条で形式的意味での最高法規性を謳ったという構成の中に、最高法規性の真の理由が表現されているのである。
なお、憲法98条2項は、実定法秩序に属する法形式のうち特に「条約及び確立された国際法規」を採り上げ、その「誠実な遵守」を命じている。
このため、1項との対比において、日本国憲法が国際法と憲法の関係につきどのような立場をとっているかが問題となる。 国際法と憲法を含む国内法はまったく別個独立の法体系をなすという二元説もかつては有力であったが、今日では国際法と国内法は単一の法体系に属するという一元説が通説となっている。 そのうえで、両者が抵触したときどのように解決するかの点に関して、国際法優位説と国内法優位説があるが、日本国憲法の解釈として問題となるのは、国際法と憲法のどちらが優位すると解するかである。 この点、憲法が条約の制定手続を定めている(61条)ことから条約の効力は憲法に根拠をもつことになり、そうである以上、憲法が優位すると解すべきである。 もっとも、条約の中にはたとえばポツダム宣言や講和条約のように日本国憲法を実施する前提となったものもあり、そのような条約については日本国憲法に優位すると解する余地もある ちなみに、条約と法律の上下関係については、98条2項を一つの根拠に条約が優位するというのが通説である。 法律の制定手続(59条)と条約の承認手続(61条)を比較すると、前者の方が重くなっているが、これは法律の方が重要であるということではなく、国家の対外的責任を重視したためであると解し、条約は法律に優位するというのが憲法の立場であると解釈しているのである。 なお、条約の違憲審査との関係につき、411頁参照。 |
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<目次>
1 近代立憲主義の成立(1) 中世立憲主義
立憲主義とは、国の統治が憲法に従って行われねばならないという考えをいう。
この思想が最初に成立するのは、ヨーロッパ近代においてであるが、その淵源はすでに中世のゲルマン法思想の中に存在した。 中世においては、「国王も神と法の下にある」(ブラクトン)といわれ、国王といえども法には従わねばならないと考えられていた。 そこにいう法とは、国王が自己の意思によって人為的に制定するものではなく、国王の意思からは独立に存在する客観的な正義であると観念されていた。 それは、現実には慣習法の形で存在したのであるが、この客観的に存在する正義としての法(慣習法)が裁判において《発見》され適用されたのである。 そして、国王がこの法に違反して恣意的な政治や裁判を行えば、それに抵抗することも正当であるとされた。 抵抗権が承認されていたのである。 もっとも、誰もが抵抗権を発動しうると考えられていたわけではない。 国王が法に従うよう監視する役割は、通常は、国王の臣下を集めた国王顧問会議(後の身分会議・等族会議の前身)が担うとされたのであり、抵抗権を発動するのも、次第にこの顧問会議の役割と考えられるようになっていく。 それはともあれ、ここには中世的な「法の支配」が見て取れるのであり、これを中世立憲主義と呼ぶことができよう。 (2) ローマ法思想と絶対主義国家の形成
法は制定するものではなく発見するものだというこのゲルマン法的観念を覆したのは、ローマ法の観念であった。
12世紀にイタリアのボローニャでユスティニアヌス法典を素材としたローマ法の研究が始まるが、そのローマ法思想によれば、法とは皇帝の意思・命令により制定されるものであった。 中世的諸身分の特権・既得権を内容とする慣習法により縛られていた国王は、この呪縛をふりほどき中央集権的国家の建設を推進するために、このローマ法思想を援用するようになる。 それが最も典型的に現れるのがフランスであったが、フランス国王は主権者たる自己の意思こそが法であると主張し、これに反対する身分会議(三部会)の招集を回避して絶対王政を確立していく。 その過程で、国王権力は対内的に最高であり、対外的に独立であると主張する「主権」の概念が、ローマ法思想を基礎に形成されたのである。 (3) 絶対主義との闘いと近代立憲主義の成立
主権者(国王)の意思が法だということになると、国王が自由に法を制定しうるということになるから、臣民(*)の権利が危険にさらされる。
ローマ法思想の下では、もはや中世的な慣習法により保障された特権・既得権という論理は通用しなくなるから、絶対君主に対抗して権利保障を主張するための新たな論理が必要であった。
(ア) 統治契約論
初期の段階でこの要請に応えようとしたのは、統治契約(服従契約)の理論であった。
国王の側が主権を神から授けられたとする王権神授説を唱えたのに対し、統治契約論は、神から主権を授かったのは国王ではなく人民であり、それを服従契約により国王に委任したのであると主張した。 この理論では、国王の権力は人民との契約を根拠にするから、人民の権利(その内容は、身分的・慣習法的な既得権)を侵害すれば契約違反となり、人民は服従の義務から解放され抵抗権に訴えることが可能となるとされたのであり、多分に中世的な性格を残した理論であった。 (イ) 社会契約論
しかし、その後、ジョン・ロック(John Loche, 1632-1704)に代表されるような社会契約論が形成され、これにより権力の制限と自由の保障が理論化されるに至る。
それによれば、人は最初、社会の成立以前の「自然状態」において自然権を有していたが、その自然権をよりよく保障するために契約により社会を形成し、政府を設立して権力を信託する。 この政府の設立・信託が、憲法の制定行為にあたる。 政府の設立と権力の信託は自然権の保障が目的であるから、政府は人々のもつ自然権を侵害することは許されず、侵害した場合には、抵抗権あるいは革命が正当化されるのである。 このような論理で絶対王政に替わるべき新しい政治構造が示され、かかる思想によってアメリカの独立やフランス革命が行われ、立憲主義に基づく憲法が制定されたのである。 (ウ) 立憲主義の構成原理
かくして確立した近代立憲主義の内容は、権利(自由)の保障と権力の分立を基本原理とするものであったが、その前提として人民が主権者として憲法を制定するという原理が要求されていた。
また、権力分立や人民主権は、「法の支配」を通じての自由という中世法的理念をローマ法的観念の下で再構成するための制度原理という意味ももっていた。
以上から、近代立憲主義の基本原理として、①自由の保障、②法の支配、③権力分立、④人民主権、を指摘することができる。
以下に、それぞれについてより詳しく見ていくことにしよう。 2 近代立憲主義の内容(1) 近代立憲主義の基本原理(ア) 自由の保障a) 自由に関する二つの観念
自由には二つの観念がある。
バンジャマン・コンスタン(Benjamin Constant, 1767-1830)の区別した「古代人の自由」と「近代人の自由」に由来するが、一つは、政治への参加の中に自由を見るものであり、それをここでは「権力への自由」と呼んでおこう。 もう一つは、国家によって妨害・干渉されないことの中に自由を見る見方で、「権力からの自由」と呼ばれる。
権力への自由は、古代ギリシャの都市国家に存在した自由観である。
都市国家においては、その構成員(市民)として公共の決定過程(政治)に参加することのできる者が自由人とされた。 市民は、直接民主政の下に、自らが権力の担い手となって「自己統治」し、そのことによって自由であると考えられたのである。 この自由の観念は、ルソー(J.-J. Rousseau, 1712-1778)により受け継がれ、近代立憲主義にも一定の影響を与えることになる。 ルソーは、自由とは自己自身の意思に従うことであると考え、それを可能とする政治体制として、人民主権の下に人民が直接法律を制定し、法律に従うことが自らの意思に従うことと同じとなるような体制を構想した。
この「権力への自由」に対し、「権力からの自由」は、権力に参加し、自らが権力主体となることを目指すのではなく、権力をあくまで他者と見て、その権力から干渉を受けない私的な領域を確保することの中に自由を見る。
ここには、人の生にとって決定的に重要なのは、市民として公共的なるものに参加することより、私的な領域で自己の生を生き抜くことだという価値観の転換がある。 「権力からの自由」にとっては、権力(典型的には国家権力)は自己の私的領域を他者の干渉から防御するために必要な手段として生み出された、いわば必要悪にすぎず、その権力が私的領域に干渉するとすれば、そもそもの目的に反することなのである。 しかし、この論理は、それを徹底すれば、人々は公共心を失い、自己の利益のみを追求する利己主義へと陥る危険を内包している。 これに対し、「権力への自由」は、公共的決定への参加がもたらす教育的効果を通じて人々の公共心を涵養する長所をもちうるが、この制度を実現するには全員参加が可能な小規模の社会が必要であり、大規模社会へと発展しつつある近代国家には、徹底した分権化を構想しない限り、実現が困難なものであった。
ゆえに、近代において中心となった自由観は「権力からの自由」であり、人権保障の中心に置かれたのは、かかる意味での「自由権」であった。
しかも、財産権を中心とする経済的自由権を最も重要視した点に、近代の人権保障の特徴があった。 ただし、「権力への自由」を基礎とする市民権がまったく保障されなかったわけではない。 政治への参加そのものに独自の価値があるとは考えなかったものの、政治への参加が権力をコントロールし自由権を護る手段として有用である限度で、制限選挙ではあったが参政権が認められた。 b) 権力による自由
自由の観念としては、「権力からの自由」と「権力への自由」が基本であるが、もう一つ、「権力による自由」ということがいわれることがある。
これは、権力が自由を実現するという側面を捉えた表現であるが、自由の第三の観念というよりは、本来の自由観に付随するものという性格が強い。 というのは、ここで問題とされているのは、権力が自由の存在に必要な条件や環境をつくり出すことであり、それにより実現される自由そのものは、「権力からの自由」あるいは「権力への自由」だからである。
社会契約論によれば、国家(政治社会・政治権力)は自然権を保護するために形成された。
ゆえに、国家は、その起源からして、自然権を保護する義務を負っているといわれる。 ここから、国家が保護する自由(自然権)を「国家による自由」と呼ぶこともある。 しかし、かかる意味での「国家による自由」は、自由の新たな観念でもないし、また、原則的には、基本的人権として憲法の中に取り込まれた「憲法上の権利」でもない。 国家が自由を保護するには、通常、法律が必要であり、「国家による自由」の実現は、そのための制度を法律により形成することを通じて行われる。 ゆえに、「国家による自由」は、それが権利として主張されるときには、法律の制定等、国家の何らかの積極的な行為を要求する権利という意味をもつのであり、原則的には「憲法上の権利」ではなく、「法律上の権利」と考えるべきものである。
このように、「国家による自由」は、原則的には「憲法上の権利」ではないが、例外的に憲法に取り込まれたものもある。
近代憲法においては、「裁判を受ける権利」がその最も重要な例であるが、現代憲法になると、新たに「社会権」が憲法上の権利としての地位を与えられるようになる。 たとえば、日本国憲法25条の保障する生存権がその例であるが、国は生活保護法等の社会立法を行い、生存に必要な最低限の財貨・サービスを提供する憲法上の義務を負うのである。 (イ) 法の支配a) 「法の支配」の二つの要請
「法の支配」は「人の支配」に対する概念で、人によるその場その場の恣意的な支配を排除して、予め定められた法に基づく支配によって自由を確保することを目的とする。
法の支配により自由を実現するためには、まず第一に、自由を保障するような内容の法(正しい法)を制定することが必要であり、第二に、その法を忠実に適用し執行することが必要である。
法の忠実な執行という要請を実現するために、法を制定する権力(立法権)と執行する権力(執行権)と法の争いを裁定する権力(裁判権)を分離し異なる機関に授けるという考えが生ずるが、これが後述する権力分立の原理である。
執行権は、立法権がつくった法律を忠実に解釈適用し執行していく義務を負い、忠実に執行しているかどうかが争いになったときには、裁判所が判断するという体制である。
では、正しい法の制定という要請を実現するにはどうしたらよいか。
一つは、法律の制定に抑制・均衡(checks and balances)のメカニズムを組み込む方法がある。 チェック・アンド・バランスも権力分立の内容をなすが、たとえば議会を二院制にして法律の制定には両院の合意が必要であるとしたり、国王あるいは大統領の拒否権や裁可権を認めたり、さらには、裁判所に法律の合憲性の審査権を与えたりして、複数の機関の合意と均衡が形成された場合しか法律の制定はできないようにし、このチェック・アンド・バランスによって法律の内容が行き過ぎるのを阻止し、法律の「正しさ」を確保しようとするものである。
もう一つは、法律の制定に国民の同意を得るという方法である。
これも後述の国民主権の原理と表裏の関係にある問題であるが、国民の権利を制限するような法律を制定する場合には、少なくとも国民を代表する議会の同意を必要とすることにして、法律の内容の「正しさ」を確保しようとするのである。
現実には、この二つの方法を組み合わせて、法律の内容が自由を侵害するものとならないよう配慮している。
その具体的ありようは国により異なるが、それを支えている理念は権力分立(抑制・均衡)と国民主権である。 このように、法の支配は権力分立と国民主権の原理に密接に結びついているのである。 b) 裁判所の役割
正しい法律が制定されれば、その忠実な執行を確保すればよく、このために最も重要な役割を果たすのが裁判所である。
近代において法の支配の観点から最も重視されたのは、絶対王政を倒して国王の権力を法律の下に置くことであったから、法の支配は国王のもつ執行権(行政権)を法律に従わせることの確保を中心に制度化が構想され、その結果、国王から独立の裁判所が行政の法律適合性を裁定するという体制が目指された。 この場合、この裁定の任にあたることになったのが、イギリスのように「通常裁判所」(司法裁判所あるいはコモン・ロー裁判所とも呼ばれる)のこともあれば、フランスやドイツのように、通常裁判所とは別系統の「行政裁判所」を生み出していった国もあった。
法の支配を徹底するためには、行政が法律に従っていることを確保するだけでは不十分である。
法律が憲法に違反していないかどうかを独立の裁判所が判断する制度を実現する必要がある。 しかし、それが実現するのは、一般には現代に入ってからであり、近代の段階では、このような違憲審査制度は、唯一アメリカ合衆国において採用されていたにすぎない。 したがって、国民の権利が現実にどの程度保障されるかは、どのような内容の法律が制定されるかに依存することとなった。 イギリスでは、法的には国会主権の原理がとられ、法律が最高の力をもつとされたが、法思想としては中世以来の、国王も議会も拘束される「高次の法」が存在するという観念が強固に生き残り(*)、国民の権利を侵害するような法律がつくられることに阻止的に働いた。 フランスでも、国民主権の下に国民を代表する議会が優位する体制が確立し、法律(議会)が志向の力をもったが(**)、市民階級の成熟とともに選挙権が拡大され、第三共和政期には議会が国民の意思を反映するようになり、法律が国民の権利を侵害することは少なくなったといわれる。 これに対し、ドイツでは、市民階級の成熟が遅れ議会が力をもつに至らず、「法律に基づく行政」の原理が法律の内容・実質を問わないものと理解されるようになり、たとえ権利を制約するような法律でも、行政がそれに従ってなされる限り、「法治国家」(Rechtsstaat)が存在するとされた。 これを「形式的法治国家」と呼んでいる。
(ウ) 権力分立の原理a) 権力分立論の二側面
権力分立論を定式化したのは、モンテスキュー(Montesquieu, 1689-1755)であった。
彼は当時のイギリスの制限君主制を観察し、それを、立法権・執行権・裁判権の分離の下に、立法権に君主・貴族院・庶民院の三者が参与し、そこで抑制・均衡する体制として描いた。 ここに描出された原理が、忠実な法律執行のための立法・執行・司法の「三権分立」(狭義)と正しい法律制定のための「抑制・均衡」の原理として、法の支配を制度化するメカニズムとなったことは、すでに述べた。 一般には、権力分立の原理(広義)を三権の分離と抑制・均衡の両側面を含む意味で用いている。 b) 歴史的展開図式
権力分立原理の要点は、立法、執行(行政)、裁判という国家の三つの作用(機能)を議会、国王や大統領などの執行機関、裁判所という異なる組織・機関に配分し、少なくとも一つの機関が全国家作用を独占することのないようにすることにある。
そのうえで諸権力を具体的にどのように配置するかは、国により時代により異なるが、特に立法権と執行権の関係に着目してイギリスの歴史的展開を見てみると、次のような発展図式を描くことができる。
国王が全権力を握った「絶対王政」を出発点に置くと、次にくるのが立法権を国王と議会が共有し、国王権力が議会により制限される「制限君主制」であり、これがモンテスキューが権力分立論を説くに際してモデルにした体制である。
立憲君主政も基本的には、この型に属す。 次いで君主と議会の間を調整する機関として内閣が重要な役割を果たす段階がくる。 内閣を構成する大臣は、もともとは国王の家僕にすぎず、国王の自由に任免するところであったが、議会の力が強まるとともに、議会の信任も必要とするようになり、特に議会の信任を受けた首相の指導の下に内閣が国王から相対的な独立性を獲得して、国王と議会の両者から信任を受けつつ両者の調停を行っていくようになるが、これが議院内閣制の始まりである。 18世紀末にこのような政治運営のあり方が成立するが、権力の核が国王と議会の二つにあるため、「二元型議院内閣制」と呼ばれる。 その後、民主主義の要求が次第に強まり議会の地位がさらに向上すると、国王は首相の選任権を実質上失い、議会の多数派が支持する者を任命する以外になくなり、国王の権力は名目化する。 この段階が「一元型議院内閣制」と呼ばれ、19世紀後半に実現される。 さらに議会が強くなれば、議会が内閣を完全に従属させてしまい、権力が議会に融合する体制である「議会統治制」が理論上は考えうるが、それが好ましい体制かどうかについては種々疑問もあり、現在のイギリスではこのような方向へは展開していない。
制限君主制における君主の代わりに大統領を置いたのがアメリカの大統領制である。
権力分立がもともと制限君主制の構造をモデルとしていたことから、アメリカの大統領制は厳格な権力分立体制だといわれることがあり、これに対比して、議院内閣制は穏健な権力分立の体制だといわれる。 なお、二元型議院内閣制の構造を共和政の下で採用したのが、かつてのワイマール憲法や現在の第五共和政憲法である。
(エ) 国民主権の原理
主権という概念は、国王が中世の権力分散的な封建社会を統合していく過程で、国王権力を正統化する目的でローマ法観念を手がかりに造形されたものである。
そこで、主権は、最初、国王の権力が対外的に(ローマ教皇や神聖ローマ皇帝等との関係で)独立であり、対内的に(封建諸侯との関係で)最高であることを表現する言葉として成立し、次いで、独立・最高の国王権力そのものを主権と呼ぶ用法も成立した。 そして、こうした主権の意味が、後に国家が成立すると、国家権力についても使われるようになった。 a) 対外的独立性
国家を前提にすると、主権は、まず、対外的に独立であり他国の干渉を許さないという国家(権力)の性質を表現し、あるいは、対外的に独立な国家権力そのものを指すのに用いられる。
そして、国際社会における国家のそのようなあり方が「主権国家」と呼ばれるようになる。 近代以降の国際社会は主権国家の共存の体制として存在しているのである。 b) 対内的最高性
これに対し、対内的な最高性については、国家権力が基本的には集権的権力であることから、最高であることは当然であり、特にそれを言う意味を失う。
対内的レベルで重要となるのは、主権的な国家権力が誰に帰属するかである。 この点で君主主権論と人民主権論が対立したが、そこで争われた問題には二つの領域の区別が必要である。
第一は、権力の正統性の根拠の問題である。
国家権力は、もともと誰に帰属するものなのか。 君主なのか人民なのか。 これが、実は、「憲法制定権力」の帰属にも関係するのである。 君主主権論は、自己の権力は神により直接授かったものであり、それに基づき自ら憲法を欽定し、その憲法により、自己の権力行使を自己制限するのであると主張する。 これに対し、人民主権論は、人民が契約により社会を形成し、憲法を制定するのだと主張する。 アメリカやフランスで確立する原理は人民主権であるが、イギリスでは君主(King)主権を「国会における君主」(King in Parliament)の主権に転換して君主と国会の共有体制をつくり、さらに君主の権力を実質上名目化して国会主権を実現するという展開をたどる。 イギリスの市民革命は、君主と議会の対立として闘われ、人民が憲法を制定するという経過をたどらなかったので、君主主権と人民主権の選択という問題には直面しなかったのである。 他方、ドイツでは、君主主権と人民主権の対立の中で、いずれに決着をつけることもできないで、主権は君主でも人民でもなく国家法人格に帰属するという「国家主権」論を生み出した。
第二の問題は、人民が憲法を制定する場合、どのような内容の制度をつくるべきかに関係する。
代表制論として論じられる問題がこれである。 フランスでは、この点で「人民」(peuple)主権論と「国民」(nation)主権論が対立した。 「人民」主権論は、主権者たる人民を政治に参加しうる独立し成熟した判断能力を備えた具体的個人(市民)の集合と捉え、個々の市民が選挙権をもつべきであり(普通選挙)、かつ、選ばれた代表者は選挙区民の命令に法的に拘束されねばならない(選挙区民と代表者のこのような関係を「命令的委任」の関係という)と主張した。 これに対し、「国民」主権論は、その国民を、過去から現在を経て未来へ連綿と継続する国民の意味に理解した。 このような「国民」は抽象的・理念的な存在にすぎないから、具体的な「人民」と異なり、自己の意思をもつことはできず、代表者の意思を自己の意思とみなす以外にない。 ところが、「国民」に帰属させられる意思は、全国民の意思であるから、それを形成する議会の代表者は、自己の選挙区民の意思に拘束されては困る。 代表者は自己の良心のみに従い、討論を通じて全国民の利益となる意思を形成しなければならないのである。 ゆえに、命令的委任は禁止されねばならない。 このようなあり方の代表を「国民代表」という。 さらに、参政権も自己の利益を離れて全国民の利益を考えることのできる者に制限されねばならない。 ここから、財産に基づく制限選挙が主張された。 近代初期に勝利するのは、この「国民」主権論であった。 (2) 近代立憲主義の二つのモデル
以上の基本原理の各々は様々な理解を許容し、現実にどのように制度化されるかは各国により異なるが、全体のあり方を大きく分ければ二つの主要なモデルに整理できる。
立憲君主政モデルと国民主権モデル(立憲民主政モデル)である。 (ア) 立憲君主政モデル
立憲君主政モデルにおいては、君主政原理(君主主権)が出発点に置かれ、そこから君主が憲法を欽定して自己の権力を制限するという論理をたどる。
そこで、まず第一に、議会が設立され、これに立法権が与えられる。
ただし、君主も議会の可決した法律の裁可権を留保する。 したがって、法律を制定するには、原則として、議会と君主の同意が必要となり、少なくとも議会の同意が必要となった限りで、君主の立法権は制限されることになる。 では、議会の同意が必要とされたのは、いかなる範囲においてか。 それは、国民の権利を制限しあるいは義務を課す場合である。 このような法規範を、ドイツでは「法規(Rechtssatz)」と呼んだが、法規の制定は法律をもってしなければならないとされたのである。 これを「法律の留保」という。 法規以外の事項については、君主はそれを議会の同意を必要としない「命令」の形式で定めることができた。 もちろん、それを法律で定めることもできたが、その場合には君主の裁可が必要であり、したがって「法規」が法律事項と命令事項の分配のキー概念だったのである。
第二に、独立の裁判所が設置され、それに法律の解釈・適用の争いを裁定させた。
そして、立法権と裁判権以外の残りの全権力が行政権として君主の手に残されたのである。 (イ) 国民主権モデル
これに対し、国民主権モデルでは、国民主権を出発点にして、主権者たる国民が憲法を制定し立法権・執行権・裁判権を創設する。
立法権を授権された議会は、国民の直接的な代表者であることから、優越的地位を与えられる。 あらゆる法定立は、まず法律によってなされなければならない。 いわば憲法の下におけるあらゆる始源的(イニシャル)決定が法律に留保されるのであり、「法規」に限らず、行政組織の基本もまず法律により規定されなければならない。 執行権は法律の執行を本来の職務とするのであり、ゆえに、そのあらゆる活動につき法律の存在が常に前提となる。 法制定の権限が否定されるわけではないが、法律の存在しないところで命令を制定するということは許されない。 命令は法律の執行に必要な細目的な定めか、あるいは、法律により委任を受けたことについてのみ規定しうるにすぎない。 他方、裁判権は、法律の執行についての争いが生じた場合に、訴えを待ってそれを最終的に裁定する権力であるとされる。 3 近代立憲主義の現代的変容
現代の憲法も基本的には近代立憲主義の原理を継承しているが、近代から現代へと展開するなかで様々な変容を受けてきている。
変化を生み出した要因は、人権の単に形式的な保障ではなく、より実質的な保障を求めた国民の要求と、それを実現するための政治参加(民主主義)の要求であった。 この要求に対応して、国家の役割についての考え方も、国家が社会に介入することを避け、可能な限り私的自治に委ねるべきだと考えた消極国家観から、社会の弱者を保護するために国家は積極的に社会に介入すべきであるという積極国家観へと変化し、これに伴い、立憲主義の諸原理の捉え方にも強調点の変化が生じるのである。 ここでその重要なものを簡単に指摘しておく。 (1) 人権論における変化
近代初期においては、国家と個人の間に存在する中間団体は、アンシャン・レジーム下の身分的・同業組合的団体と同視され、営業の自由等の近代的自由に敵対するものとして禁止された。
しかし、封建的性格の中間団体の解体が一応終わると、今度は中間団体が国家と対峙して個人の自由の防禦者となりうることに気づき、中間団体に結社の自由を認めてこれを保護するようになる。 この点は、現代憲法にも引き継がれている。
しかし、現代人権における最大の変化は、私的自治・経済的自由の制限と社会権の登場である。
社会における私的自治を重視した近代の消極国家の下では、弱者が人権を享受することなど実際上は不可能であることが判明した。 そこで私的自治を修正し、一方で、労働条件を全面的に契約の自由に委ねるのではなく最低限の水準を法律で規定し、他方で、最低水準を超える条件の取決めに際しての労働者の交渉力を強化するために、労働基本権を憲法上保障しようとする動きが生じた。 さらに、すべての国民に生存権を認めるべきだという考えも唱えられ、国家に国民の生存配慮を要請する「積極国家」の思想が支配的となった。 こうして、「権力による自由」(社会権)が強調される。 そして、弱者の声を政治に反映させるために、「権力への自由」(参政権)の強調がこれに連動する。 社会権を充実させるには、それを要求する者たちの参政権が拡大されねばならないし、参政権が拡大すれば社会権の充実が進展するのである。
社会権の充実のためには、財産権をはじめとする経済的自由権の制限が必要である。
参政権の拡大には、単に選挙権の拡大だけでなく、表現の自由をはじめとする精神的自由権の一層の強化が必要である。 こうして、「権力からの自由」においても、強調点は経済的自由から精神的自由へと移行するのである。 (2) 国民主権から人民主権へ
国民主権論には二つのポイントがあった。
一つは、政治は全国民の利益を目指さなければならないということ、もう一つは、そのためには制限選挙制度の方が優れているという判断である。 しかし、後者は国民主権論からの論理的要請ではない。 普通選挙でも全国民のための政治が可能ならば、国民主権原理に反するわけではないのである。 実際、民主政治の要求が強まるに従い、現在ではどの国でも普通選挙制度を採用するようになってきている。 命令的委任は今日でも禁止されているが、それは、普通選挙の下においても全国民のための政治が必要であり、かつ、可能であると考えているからである。 とはいえ、普通選挙の下においては、代表者は自己の支持基盤の「部分利益」を優先しがちになることは否定できず、人民主権論が支配的となるなかで、部分利益にとらわれない全国民の政治をどう実現するかという問題に直面することになる。
普通選挙の確立は近代立憲主義の機能環境を様々な点で変容させたが、政党政治や行政権の優位という現象も、かかる文脈で理解することができよう。
選挙民がその意思を政治に反映させるために、政党の役割は不可欠である。 政党のあり方は、当初のイデオロギー政党からプラグマティズム政党へと変化を見せているが、いずれにせよ、現代の民主政治は政党の働きなくしては困難であり、現実に政治の主体は個々の議員から政党へと比重を移しており、そのようなあり方を「政党国家」と呼ぶこともある。 また、選挙民の要求が政治に反映されるようになると、それに応えて国家が積極的な施策を行うことになるが、議会よりは行政に適した任務が増大することにより、行政権が優位となる「行政国家」といわれる現象が一般化するのである。 (3) 権力分立制の変容
民主主義思想の浸透に伴って、議院内閣制は二元型から一元型へと変遷する。
一元型が行政国家現象の下で機能するには、内閣、特に首相のリーダーシップの確立が必要である。 それは政党制のあり方に大きく依存する。 イギリスのように二大政党制を確立したところでは、首相は選挙における国民の支持を基礎に強い立場を形成しうる。 ここでは、権力の分立は与党と野党の対立を介して機能することになる。 第四共和政のフランスのように、極端な多党制を生み出したところでは、連立政権とならざるをえず、首相も強力なリーダーシップを発揮することが困難であった。 他方で、アメリカの大統領制においては、大統領が国民により事実上直接選出されるから、大統領の立場は強い。 しかし、大統領制においては、議会の多数派政党が大統領の政党とは異なるということが起こりうる。 そうなったときには、制度上の権力分立が政党対立により増幅され、大統領もリーダーシップの発揮が困難となる状況にしばしば直面し、それをどう克服するかが重要な課題となるのである。 (4) 法の支配の再編
行政権の優位の下に委任立法が増大し、あるいは、政党政治によって立法権と行政権が融合すると、法制定と法執行の区別が曖昧化し、その区別を前提に組み立てられていた法の支配=行政の法律適合性のコントロールはその有効性を減少せざるをえない。
そこで、それを補う様々な方法が考案されてきたが、その最も重要なものが「違憲審査制度」である。 これは立法権と憲法制定権・改正権との峻別を基礎とするものであり、現代憲法の大きな特徴となっている。
近代においては行政権から人権を護ることが最重要の課題と考えられたから、議会に期待することができた。
議会が人権を尊重した法律を制定する限り、あとは行政権をその法律に従わせれば十分だと考えられたのである。 しかし、議会が常に人権を保障するとは限らないことが分かってきた。 議会に多数派と少数派が存在する以上、どんなに民主政治が進展しようと、多数決で敗れた少数派の人権が侵害されないという保証はないのである。 こうして、議会をも法の支配の制度化の中に取り込む必要が意識されるに至った。
現代の違憲審査制度には、二つの類型が区別される。
一つは、アメリカに代表される司法審査型であり、通常の司法裁判所が審査権をもつ。 もう一つは、ドイツに代表される憲法裁判所型であり、ここでは特別に設置された憲法裁判所が審査権を独占し、通常の裁判所は、法律を違憲と審査する権限をもたない。 4 日本における立憲主義の継受と展開(1) 明治憲法と立憲君主政モデルの採用
徳川末期に開国すると、日本にも西欧の政治思想が急激に流れ込んでくるが、立憲主義思想もその一つであった。
明治政府の手がけた最初の課題は、封建的な幕藩体制を清算して中央集権的な国家構造をつくり出すことであったが、やがて、この絶対主義的構造の形成途上で同時に立憲主義の導入をも求められることになる。 このため、1889年に制定された大日本帝国憲法(明治憲法)は、前にも触れたように(11頁参照)、絶対主義と立憲主義の妥協的性格を有していた。
統治構造における絶対主義的要素の核心は、日本古来の伝統とされた天皇統治の原則を憲法の基礎に置いた点にあり、明治憲法の条文上「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(1条)、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」する(4条)と規定された。
この原則の下で、立憲主義的要素としての権力分立の導入が図られたが、天皇の権力を制限する中心機関たるべき帝国議会は、天皇とともに立法権を保持するのではなく、天皇の立法権に「協賛」(5条)するものとされ、また、裁判所は「天皇ノ名ニ於テ」(57条)司法権を行うものとされていた。 天皇の行政に助言する内閣はと言えば、内閣制度は憲法に規定されておらず、天皇の勅令である内閣官制で定められていた。 憲法が規定したのは、天皇を「輔弼」(55条)する大臣の存在であり(大臣助言制)、憲法上は個々の大臣が天皇に対してのみ責任を負い、首相の下に内閣という統一体を形成し、議会に対しても責任を負うという体制ではなかった。 天皇の行為には原則として大臣の署名が必要である点で、大臣による天皇の制約という意味をある程度もちえたが、いまだ議院内閣制とは言えず、制限君主制段階のものであった。 しかも、憲法制定以前からの慣習に基づき、軍の統帥に関する事項は軍の参謀が天皇を助けることとされ、大臣による輔弼の対象ではないとされた(統帥権の独立)。 これが、のちに拡張解釈され、軍の暴走を許す口実となったのは、周知の事実である。
他方、権利保障を見れば、人権ではなく「臣民ノ権利」(明治憲法第2章の表題参照)であり、かつ、そこで保障された権利はほとんどが「法律の留保」の下に置かれていた。
法律を制定する議会が保守的な貴族院をもつ二院制であり、衆議院も当初は制限選挙の下にあったことを考えると、法の支配も形式的法治国家(25頁参照)へと方向づけられていたと評しえよう。 しかも、緊急時(8条)や有事(31条)には天皇は憲法や法律の拘束を免れることも可能であったから、形式的法治国家さえ不完全なものであった。 とはいえ、権利保障と権力分立を一応取り込んでいた点で、立憲主義の要素を最低限受け入れており、「外見的立憲主義」の憲法と言うべきであろう。
もっとも、妥協を反映して多くの規定は抽象的であり、運用次第で二元型議院内閣制の方向で運用することも、逆に絶対君主政的方向で運用することも可能な内容であった。
実際、大正デモクラシー期には二元型議院内閣制の運用が実現され、それが「憲政の常道」といわれたのである。 この期に美濃部達吉の天皇機関説が通説として受け入れられていたことも、すでに述べたとおりである。 しかし、このような運用は長くは続かず、やがて台頭する軍国主義の圧力下に、天皇統治の建前を強調する「国体」論が猛威を振るい、美濃部の著書は「国体の異説」を説くものとして発売禁止処分を受け、「大政翼賛会」的憲法運用へと突き進んで敗戦を迎えるのである。 (2) 日本国憲法と国民主権モデルの採用(ア) ポツダム宣言の受諾と憲法改正の必要
1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾して連合国に「無条件降伏」した。
ポツダム宣言は、その第10項で、「日本国政府ハ日本国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」と要求していた。 日本政府は、当初、ポツダム宣言の要求を実現するのに憲法の改正は必ずしも必要ではなく、憲法の運用で対処しうると判断していた。 しかし、連合国軍の総司令部(GHQ)から憲法改正が必要である旨を告げられ、10月25日に国務大臣松本烝治を長とする憲法問題調査委員会(通常「松本委員会」と呼ばれる)を設立した。 (イ) 松本四原則と毎日新聞によるスクープ
松本委員会は、憲法改正の調査にあたり、次の四原則を指針とした。
①天皇が統治権を総攬するという基本原則は維持する、
②天皇の大権事項を減少させ、議会が関与しうる範囲を拡大する、 ③大臣の責任範囲を国務全般に拡大すると同時に、議会に対しても責任を負うことにする、 ④国民の権利の保障を強化・充実させる。
このうち、②と③は議院内閣制の方向を目指すものであり、また、④も外見的立憲主義からの脱却を目指すものであり、ともに明治憲法の立憲主義的運用のための障碍となっていたものを改善するという意味をもっていた。
しかし、①により明治憲法の基本構造の外観を維持しようとしたため、全体としてはきわめて保守的な方向を目指している印象を否めなかった。 実際、松本委員会が準備した憲法改正案が、公表前に1946年2月1日の毎日新聞によりスクープされると、それを通じて改正案の概要を知った総司令部は、その内容が保守的にすぎると判断し、総司令部の側で改正案を作成して日本政府に提示する必要を感じるに至るのである。 (ウ) マッカーサー三原則とマッカーサー草案
総司令部で憲法草案を作成するにあたり、マッカーサーは次のような内容の三原則を草案に入れるよう部下に指示した。
マッカーサー三原則と呼ばれている。
①天皇は元首の地位にある。その地位継承は家系に従う。その職務と権能は、憲法に基づき行使され、憲法に規定された国民の基本的意思に従ったものとする。
②国家の主権的権利としての戦争は廃棄される。日本は、紛争を解決する手段としてのみならず、自己自身の安全を保持する手段としてさえも、それを放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理念に委ねる。日本に陸海空軍が容認されることは決してないし、交戦権が日本軍に与えられることもない。 ③日本の封建制は終わりにする。貴族の権利は、皇族のものを除き、現在生存する者の代を越えて存続することはない。貴族の地位は、今後いかなる公民的・政治的権力も伴わない。予算の型はイギリスの制度に倣うこと。
マッカーサー三原則を取り込んだ憲法草案(通常「マッカーサー草案」と呼ばれている)は、10日前後の短時日のうちに作成され、2月13日に日本政府に提示された。
先に総司令部に提示していた松本案に対する回答を聞くつもりで会談に臨んだ日本政府代表(吉田茂外務大臣、松本烝治国務大臣等)は、予期せぬマッカーサー草案の提示に衝撃を受け、抵抗を示したが、天皇制の将来や、政府が拒否するなら直接国民に提示する用意があると総司令部側が述べたことなど、諸般の事情を勘案して、最終的には受諾を決断し、マッカーサー草案を基礎にした政府草案を作成することにしたのである。 (エ) 憲法改正案の公表・衆議院選挙・帝国議会による審議可決
政府の改正草案の作成は、その都度総司令部との折衝を重ねながら、まず3月2日案、次いで3月6日の憲法改正草案要綱へと順次整備されて、国民に公表された。
そのうえで、4月10日に衆議院の総選挙を行い(この選挙は女性の選挙権が初めて認められた選挙、また、制限連記制で行われた唯一の選挙)、選挙結果に従って5月22日に(第一次)吉田茂内閣が成立した。 金森徳次郎を憲法担当の国務大臣に任命した吉田内閣は、憲法改正草案要綱を条文化した憲法改正草案を、総選挙で構成を刷新された帝国議会に、明治憲法73条の憲法改正手続に従って提出した。 衆議院と貴族院による審議の結果、若干の修正を除き、基本的には草案通りに可決され、11月3日に公布され、翌年5月3日に施行された。 (オ) 日本国憲法の内容
かくして制定された日本国憲法は、天皇制を「象徴天皇制」として残したものの、国民主権を明示的に宣言し、人権規定を詳細に取り入れるとともに、一元型議院内閣制を採用し、さらに、アメリカ型の違憲審査制度も導入した典型的な現代立憲主義の憲法である。
問題は、それをその理念通りに運用してきたのか、どのように運用すべきなのかであるが、それを考えるのが本書の目的となる。 |
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<目次>
Ⅰ 象徴天皇制1 天皇統治から象徴天皇制へ
立憲主義は西欧で成立した思想であり、明治政府はそれを継受しようとした。
当然、そこでは日本の伝統との軋轢が問題となる。 明治憲法の制定に際して政府のとった基本的態度は、伝統を基本として必要な限度で立憲主義を接ぎ木するというものであった。 そのことは、元老院議長に対して憲法草案の起草を命じた勅語「朕爰(ここ)ニ建国ノ体ニ基キ、広ク海外各国ノ成法ヲ斟酌シ、以テ国憲ヲ定メントス」の中に表現されていた。 明治憲法は、「国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ」(上諭 前文)との論理に立ち、1条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定めた。 これが日本に伝統的な「天皇統治」(天皇主権)の「国体」規定と解釈されることになった。 のみならず、軍国主義の台頭するなかで日本の独自性が強調されるようになると、捕らえどころのない情緒的な「日本的なるもの」が国体の中に読み込まれ「万邦無比の国体」が語られることになったのである。 明治憲法が継受した立憲主義は、「建国ノ体」が強調されれば、そのみせかけ性(外見性)を露わにせざるをえない。 立憲主義の継受が成功するためには、立憲主義の論理が受け入れられ、それと矛盾する「日本文化」が変容を経ねばならないが、明治憲法体制は、最後には国体論の強調に走り、それと矛盾する立憲主義の方を否定したのである。
敗戦に直面し、明治憲法体制の崩壊が迫ったとき、時の支配層にとって最大の課題として意識されたのは、「国体の護持」であった。
日本に降伏を迫って発せられたポツダム宣言は、「日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルル」(12項)ことを求めていた。 日本政府は、「右宣言ハ天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラザルコトノ了解ノ下ニ受諾ス」と回答するが、連合国からはこの「了解」を肯定する返信を得られず、やむなく天皇自身による無留保の受諾の「御聖断」を仰いだのである。 それでも、「終戦ノ詔書」には「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ・・・・・・」と述べられていた。 宣言にいう「日本国国民」を政府と対抗する国民ではなく、政府と国民の両者を包摂する総体としての国民の意味に解すれば、宣言は天皇統治の基本原則を必ずしも否定するものではないと理解したのである。 先に見た「松本四原則」が統治権の総攬者としての天皇の地位を変更する必要がないと判断したのも、かかる理解による。
しかし、このような解釈は無理な解釈であり、結局は降伏条件の受諾を根拠とする総司令部からの要求により、天皇統治を否定し国民主権を基礎に天皇を象徴と位置づける憲法制定を行うことになった。
このため、国体が護持されたのかどうか激しい論争がもちあがったのである(「国体論争」)。
また、新憲法の制定に際してとられた手続にも、法理的な問題が伏在していた。
すなわち、新憲法は、前章で見たように、明治憲法73条が定めていた憲法改正の手続に従って、明治憲法の「改正」として成立したのであるが、明治憲法の「根本規範」である天皇主権を国民主権に変更するという大変革を「改正」として行いうるかが、法理論上問題になりえたからである(「八月革命説」)。 (1) 国体論争
国体が変更されたかどうかをめぐる論争として著名なものは、佐々木・和辻論争と尾高・宮沢論争である。
(ア) 佐々木・和辻論争
憲法学者の佐々木惣一は、国体とは誰が統治権の総攬者(主権者)かにより決まる国家の形体であるという理解を前提に、新憲法により主権者が天皇から国民に変わったから国体は君主国体から民主国体に変更したといわざるをえないと論じた。
これに対し、哲学者の和辻哲郎は、国体とは一般には日本の歴史を一貫する特性をいうと考えられているが、日本の歴史を貫いて存在する事実は天皇が日本国民の統一の象徴であったということであり、この事実は日本国憲法においても変化していないと主張した。 この対立は、国体という言葉を変転しやすい政治体制的な側面で理解するか、持続性をもつ文化的・風土的側面で理解するかの違いから生じたものであるが、その視角の違いは両者の研究経歴の違いを反映していて興味深い。 (イ) 尾高・宮沢論争
法哲学者の尾高朝雄は、国体は天皇主権から国民主権への変更により変わったと主張する論者が主権を国家における最高の政治権力と理解している点を問題とし、かかる理解は法と力の関係において「力は法なり」を認めることに帰着すると批判した。
尾高によれば、いかなる力も超えてはならない矩(のり)というものがあり、それがノモス(法の理念)と呼ばれるが、国家における最高の権威を主権というなら、ノモスにこそ主権があるというべきであり、天皇統治も国民主権もノモスを政治の最高原理とする点で違いはないから、この変化は国体の変革などと大騒ぎするようなことではない。
これに対し、憲法学者の宮沢俊義は、次のように批判した。
ここで問題となっている主権とは、政治のあり方を最終的に決める力、意志を意味し、それが天皇に帰属するか国民に帰属するかが問われているのである。 尾高は、主権はノモスにあると言うが、仮にそれを認めるとしても、その場合の真の問題は、そのノモスの具体的内容を最終的に決めるのは天皇か国民かということなのであり、この問いへの答えを回避するノモス主権論は、国民主権により天皇制に加えられた致命傷を包み隠そうとする「ホウタイ」の役割を果たす理論にすぎない、と。
以上の二つの論争にみられるように、国体論争は、現象的には、国体という語をいかなる意味で用いるべきかをめぐってなされた。
国体には、二つの主要な意味が区別できる。 一つは、憲法学上の概念としての国体であり、主権の所在により君主国体と民主国体が区別される。 この意味での国体が変更したことは疑いない。 もう一つは、文化的・社会的概念としての国体であり、ここでは天皇が法的・政治的権限をもつかどうかは問題ではなく、天皇が国民の精神的つながりの支えとして存在していることこそ国体の本質とされる。 この立場からは、象徴天皇制も国体を継続するものと理解することが可能となる。 いずれの立場に立つかは、後述の天皇が象徴するものの理解に影響を及ぼし、ひいては日本国憲法の基本価値の理解に影響を及ぼしうる意味をもち、今日でも重要性を失わない論点を構成している。 (2) 八月革命説
日本国憲法は、明治憲法の改正という手続をとって制定された。
これは、国際法上の理由から「自主憲法」であるべきことを配慮した総司令部の要請でもあり、また、できる限り大変革ではないという外観を装うことを欲した日本政府の望むところでもあった。 しかし、憲法改正には限界があるというのが明治憲法下の支配的学説であったから、日本国憲法は改正権の限界を超える違憲の憲法改正ではないかが問題となった。 これに答えたのが宮沢俊義の唱えた八月革命説である。 宮沢によれば、ポツダム宣言は明治憲法の基本原理と相容れない国民主権の要求を含んでいたのであり、これを八月に受け入れた時点で主権の所在は変更し、法学的意味での「革命」が成立した。 ゆえに、ポツダム宣言の趣旨に反する限りで明治憲法は失効したのであり、にもかかわらず明治憲法の改正手続を用いて新憲法の制定を行ったのは、混乱を防止しようという政策的な配慮にすぎない。
この八月革命説は、日本国憲法の成立を法学的に説明する法理としては、広く受け入れられてきた。
しかし、革命を起源とするということは、明治憲法とは法的な連続性がないということであるから、日本国憲法が正統な憲法として効力を有することの説明が別途必要となる。 国民主権の憲法が正統とされるためには、少なくとも国民の意思が制定過程に反映されたということが必要である。 この点については、当時発表された草案大綱および草案が国民に好意的に受け取られたこと、議会の審議の前に衆議院議員の総選挙が行われたこと、などが重要な意味をもとう。
しかし、それにしても問題となるのは、新憲法の制定が占領下においてさなれることである。
対外的な主権がなかったということは、国民主権の前提が完全ではなかったということであり、この点の瑕疵は否定できない。 しかし、日本の独立後今日まで、国民が自由な意思に基づき日本国憲法を支持してきたことにより、今ではその瑕疵は治癒されていると考えるべきであろう。 2 象徴天皇制の内容(1) 象徴としての地位の根拠
日本国憲法1条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定する。
明治憲法における天皇が、その地位の根拠を神勅に置いたのに対し、ここでは主権者国民の総意に置いている。 地位の根拠が完全に変化したのである。 ゆえに、日本国憲法における天皇の地位は、もはや憲法改正の限界を構成せず、憲法改正により象徴天皇制を廃止することも可能なのである。 また、日本国憲法における象徴としての地位は、主権者としての地位を失った天皇に残った地位ではなく、主権者たる国民がまったく新たに創設した地位と理解しなければならない。 明治憲法の天皇と日本国憲法の天皇の間には、その地位に断絶があるのである。 (2) 何を象徴するか
天皇は「日本国」および「日本国民の統合」の象徴とされる。
日本国民の統合したものが日本国であるから、両者を特に区別する必要はないが、重要なのは国民統合の基本原理をどう理解するかである。 憲法の基本価値が個人の尊厳である以上、相互に異なる個性をもった個々人がその個性を尊重し合うというルールを基礎に結合した団体を国家と考えなければならず、天皇はそのような国民統合を象徴するのである。 しかし、ここに日本の伝統的文化を強調する立場からの反論がある。 それによれば、日本人は個人として我を主張するのではなく、集団(共同体)の中で他者と和して生きてきたのであり、自己の権利を主張する前に、その前提として集団のために果たすべき自己の責務を重視してきた。 国民の統合は、集団の価値を認め集団のために自己の責務を果たすことを引き受ける個人の集まりとして理解されねばならず、天皇はそのような統合を象徴するのである、と。 この立場からは、日本国憲法の人権保障については、本来国民の義務規定が先行すべきなのに、それが欠けている点で日本の伝統に合わないものであり、改正すべきだと主張され、象徴天皇制については、こうした日本の伝統的文化を象徴するものとして、元首としての地位を明確に認めるなど、その地位を強化すべきであると主張されている。 ここにかつての国体論が形を変えて継承されているのである。
象徴とは、目に見えない抽象的・観念的・無形的・超感覚的なことがらを、目に見える具体的・実在的・有形的・感覚的なものにより表すことであるが、象徴するものが象徴されるものと不適合であるときは、象徴されるものの本来の意味が見失われる危険がある。
たとえば、平和の象徴を鳩ではなく鷹に求めたとしたらどうであろうか。 象徴天皇制もこのような問題をはらんでいるのである。 世襲制である点で身分制に基礎を置く天皇が、個人の尊厳に基礎を置く国民統合を象徴するという理解を持続させるには、緊張感を必要とする。 緊張感を失えば、日本国憲法の基本価値の対立物を象徴するものへと転化する危険を常にもつ。 逆にいえば、象徴天皇制は、我々に、我々を形成した伝統に正当な敬意を払いつつも、新たな伝統を意識的に形成していくことを求めているのであり、そのことを常に意識化させる作用を果たすべきものと理解する必要がある。 (3) 国事行為
天皇は、「憲法の定める国事に関する行為のみを」行うことができ(4条1項)、かつ、この国事行為を行うには内閣の助言と承認を必要とする(3条)。
内閣の助言と承認に従って行うことを要求したのは、天皇に一切の判断権を与えないで、助言と承認通りに行うことを要求したものであり、ゆえに国事行為はまったく形式的・儀礼的行為であり、天皇は「国政に関する権能を有しない」(4条1項)のである。 国事行為としては、憲法6条の規定する内閣総理大臣および最高裁判所長官の任命、7条が規定する①憲法改正・法律・政令・条約の公布、②国会の召集、③衆議院の解散、④国会議員の総選挙施行の公示、⑤国務大臣等の任免、全権委任状の認証、大使・公使の信任状の認証、⑥恩赦の認証、⑦栄典の授与、⑧批准書・外交文書の認証、⑨外国大使・公使の接受、⑩儀式を行うこと、に限定される。
しかし、現実には、これらの列挙に該当するかどうか疑問のある行為がしばしば行われ、議論を呼んできた。
たとえば、国会の開会式における天皇の「おことば」とか、地方への行幸、外国への親善訪問・外国元首等との会見などである。 これらは私的行為とは言えず、かといって国事行為で説明することも容易でない。 そこで多くの学説は、国事行為ではない天皇の公的行為も許される場合があると主張するようになった。 一つの学説は、天皇には国家機関として行う国事行為のはかに象徴としての地位に基づいて行う行為もあると説明する。 しかし、天皇には象徴としての地位しか認められていないのであり、それに対応する行為が国事行為であるから、この説明には無理なところがある。 他の学説は、ちょうど首相が憲法上の権限行使のほかに「公人」としての立場から様々な儀礼的行為を行うように、天皇も象徴として行う国事行為のほかに公人として様々な行為を行いうるのだと説明する。 たしかに、「公人」が正規の権限外に儀礼的な行為を行うことはよく見られることであり、天皇も例外ではないといえよう。 しかし、かかる行為は内閣の助言と承認の下にあるかどうかも不明確であるし、仮に内閣の助言と承認が必要と解しても、時の内閣が天皇を利用することに対する歯止めにはならない。 むしろ、天皇の公的行為は国事行為に限定し、上述のような行為は⑩の「儀式を行うこと」により説明するのが無難であろう。 多くの学説は、「儀式を行ふこと」(7条10号)とは「儀式を主宰すること」を意味するという解釈の下に、そのような説明は困難とするが、儀式を行うとは、儀式的・儀礼的行為を行うことと解することも不可能ではなく、そう解することにより天皇の公的行為を国事行為に限定することができるのである。 (4) 「象徴」であることの法的効果
天皇が「象徴」であることにいかなる法的効果が伴いうるかが議論されてきた。
そのいくつかに触れておく。 第一に、天皇に民事裁判権は及ぶか。 天皇を被告に不当利得返還請求を行った訴訟につき、最高裁は象徴である天皇には民事裁判権は及ばないと解した(最二判平成元年11月20日民集3巻10号1160頁)。 事件が象徴としての地位とは関係しない純粋に個人的な争いに関する場合には、民事裁判権が及ぶと解すべきであろう。 なお、刑事裁判権に関しては、天皇の国務遂行の必要から天皇の地位にある限り刑事裁判権に服すことはないと解されている。 第二に、「君が代」を法律で国歌と定めることは許されるか。 君が代は、明治憲法下において主権者天皇を讃える意味をもつものと理解され、またそのように機能したものであるから、明治憲法の基本原理を否定し国民主権を採用した日本国憲法の下においては、これを国歌と定めることは許されないとの見解もある。 しかし、象徴天皇制を採用している以上、君が代を国歌と定めた「国旗及び国歌に関する法律」を、その政策的当否は別にして、違憲とまではいえないだろう。 ただし、君が代の斉唱を強制することがこれに反対する者の思想・良心の自由を侵害することがありうることは、別問題である。
第三に、天皇の象徴としての地位を傷つけるような表現行為を規制しうるか。
天皇の個人的な名誉を傷つけるような表現行為が通常の表現行為にあたるのは当然である。 問題は、象徴であることを理由に、通常の名誉毀損よりも重いサンクションを科したり、あるいは、通常の名誉毀損に該当しない場合にまでその範囲を拡大することが許されるかである。 明治憲法下においては、刑法に不敬罪の規定(74条・76条)があり、重く処罰されていたが、戦後1947年に刑法改正により削除された。 では、終戦後削除されるまでの間は、この規定は効力を有したのか。 この間に行われた行為を理由に不敬罪で起訴された事件において、不敬罪の効力が争われたが、最高裁は、起訴後に不敬罪の恩赦がなされたことを理由に免訴とし、不敬罪の効力についての判断には立ち入らなかった(最大判昭和23年5月26日刑集2巻6号529頁)。 もし不敬罪が明治憲法における天皇の統治権の総攬者としての地位と不可分のものであれば、戦後その地位が否定された時点でこの規定も失効したということになるが、もし不敬罪が象徴としての地位を基礎にしたものであるとすれば、象徴としての地位は日本国憲法に継承されたと解する場合には、必ずしも日本国憲法と矛盾するわけではなく、象徴としての地位を保護するための新たな立法は許されるということになる。 しかし、同じく象徴といっても、明治憲法におけるそれと日本国憲法におけるそれとは質的な違いがあり、断絶することなく継承されたと解するのは困難であろう。 日本国憲法の下においては、象徴性を保護するための表現の規制は表現の自由を侵害する可能性が強い。
このことと関連して、いわゆる「天皇コラージュ事件」に注意しておく必要がある。
これは天皇の肖像と女性ヌードをコラージュした作品をめぐって生じた事件であるが、この作品を入手した美術館が、これを展示・公開することに対する執拗な反対運動が生じたので、混乱を避けるために非公開とし、最終的には売却してしまったというものである。 これに対して、作品の制作者および一般の鑑賞希望者が県等を被告に損害賠償請求等の訴訟を提起した。 もしこの作品が名誉毀損にあたるならば、非公開・売却が違法とされることはない。 しかし、名誉毀損とはいえないが、象徴性を害するものだという理由でなされたものだとすれば、それが正当な理由となるのかが問題となるところである。 現実には、非公開は混乱を避けるためという理由でなされたのであるが、混乱が生ずるとすれば、作品を「不敬」であると主張する側に主たる責任があるのであり、主張すること自体は表現の自由により保障されるとしても、混乱を引き起こすことまでが許されるわけではない。 訴訟での争い方に困難が伴ったこともあり、高裁判決(名古屋高金沢支判平成12年2月16日判時1726号111頁)は、管理権者の専門的裁量の範囲内として請求を棄却し、最高裁も上告を理由なしとして棄却した(最決平成12年10月27日判例集未登載)が、表現の自由が「不敬」を理由に事実上妨害されるということがあってはならない。 3 天皇制運用上の規則と機関(1) 皇位継承のルール
天皇の地位の継承について、憲法は「世襲」(2条)と定めるのみで、順序等の詳細は「皇室典範」(同条)という法律の規定に委ねた。
皇室典範は、男系・男子・長子の原則を採用している(典1条・2条)。 その地位が世襲である点で、首相や議員等の地位とは本質を異にし、個人の平等原理とは相容れない身分制原理に基づく地位である。 皇室典範が定めた男系男子主義は憲法の要請ではないから、皇室典範の改正により女性による皇位の継承を認めることは可能であるが、憲法自体が身分制原理に基づく天皇制を採用している以上、天皇制には人権原理は一般国民に対すると同様には妥当せず、女帝を認めていない現行皇室典範を不合理な性差別で違憲だとはいえないであろう。 (2) 国事行為の代行
天皇が成年に達しないとき(18歳未満、典22条参照)や、重大な精神的・身分的な疾患・事故により天皇自ら国事行為をなしえないと皇室会議で決定されたときには、「摂政」が置かれ、摂政が天皇の国事行為を代行する(憲5条、典16条)。
摂政を置くほどではない精神的・身体的な故障の場合(たとえば海外旅行や長期療養)には、天皇が国事行為を「臨時代行」に委任する(憲4条2項、国事代行2条)。 摂政や臨時代行による国事行為も、当然、内閣の助言と承認を必要とする。 (3) 皇室の経費
戦前には莫大な皇室財産が存在し、皇室の財政の大部分は議会のコントロールの外にあったが、日本国憲法は、皇室財産をすべて国有財産とし、すべての皇室の費用を国会の議決する予算に基づかせることにした(88条)。
さらに、戦前のように皇室に財産が集積されるのを防ぐために、皇室への財産移転には国会の議決が必要としている(8条)。
毎年の予算に計上されるべき皇室費用を、皇室経済法は内廷費・宮廷費・皇族費の三種に分けている(皇経3条)。
内廷費は天皇の家族の日常的な生活費に充てられるもので天皇家の私費として扱われる。 宮廷費は宮廷の公務に充てられる公費であり、宮内庁で経理する。 皇族費は、内廷にある者以外の皇族の生活費に充てられる費用で、毎年支給されるものと、初めて独立の生計を営む際ならびに皇族の身分を離れる際に一時的に支給されるものとがあるが、いずれも宮内庁の経理する公費ではない(同4条・5条・6条)。 (4) 皇室事務に関する諸機関
一般的な皇室事務の処理には、内閣府に置かれた宮内庁(内閣府48条)があたるが、特別の機関として皇室会議(典28条以下)と皇室経済会議(皇経8条以下)が設置されている。
皇室会議は、摂政の設置(典16条)、立后および皇族男子の婚姻の承認(同10条)等、皇室典範の定める諸事項を決定するために置かれたものであるが、両院議長、内閣総理大臣、最高裁判所長官を構成員に含む特異な機関であり(同28条2項)、象徴天皇制を運用するために特別に設置された、通常の行政機構の外に位置する機関と理解すべきであろう。 Ⅱ 平和主義と戦争の放棄1 立憲主義との順接
日本国憲法は、第二次世界大戦の反省に立ち、前文において、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」し、そのために人類普遍の原理としての立憲主義にコミットすると同時に、さらに平和主義の理想を掲げ「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、国際社会と協調してかかる理想の実現に向かうことを宣言した。
この平和主義と国際協調主義の理念は、憲法本文においては、9条の戦争放棄と98条2項の条約・国際法規遵守義務の規定に具体化されている。 この限りでは、平和主義は立憲主義と相携えて自由を実現するものと位置づけられている。 実際、「平和のうちに生存する権利」の実現なくしては立憲主義も意味がなく、平和主義・平和的生存権は立憲主義の前提をなすとも言えよう。
しかし、平和主義の具体化として日本国憲法が採用した戦争の放棄条項(9条)は、必ずしも平和主義あるいは立憲主義からの論理的帰結というわけではない。
むしろ、立憲主義にコミットしているほとんどの諸外国は、日本のような戦争放棄条項をもっていない。 その意味で、戦争放棄は日本の特殊性を表現している。 もっとも、象徴天皇制が立憲主義と対立する可能性を秘めた日本の特殊性であるのに対し、戦争放棄は立憲主義と順接する可能性の高い特殊性である。 立憲主義にとって重要なのは、この二つの特殊性の立憲主義との位置関係を明確に意識し、両者に対する反発が立憲主義への攻撃として手を結ぶことのないよう注意を怠らないことである。 2 憲法9条の制定経緯と初期の解釈学説(1) 9条制定の発端
憲法9条は、戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認を規定している。
憲法で戦争放棄を謳う例は、これまでにもなかったわけではない。 早くは1791年のフランス憲法が征服戦争を放棄した(第6編)例があり、第二次世界大戦後には1946年のフランス第四共和政憲法や1949年のドイツ連邦共和国基本法(ボン基本法)なども放棄を宣言している。 また、戦争をなくすための国際的な努力も、1919年の国際連盟規約、1928年の「戦争抛棄ニ関スル条約」(不戦条約)、1945年の国際連合憲章などに結実している。 日本国憲法の戦争放棄も、間接的には、これらのいわば世界史的な努力の中に位置づけられるものであることはいうまでもない。 しかし、これらの努力が対象としたのは、侵略的な戦争の放棄であり、あらゆる戦争の放棄を対象としたわけではなかった。
日本国憲法9条の直接的な起源は、通常、マッカーサー・ノートの第二原則に求められる。
そこには、「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は紛争解決の手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する」旨が記されていた。 マッカーサーがかかる考えを抱くに至ったのは、その少し前の幣原喜重郎首相との会談で幣原が同旨の考えを述べたことがヒントになったといわれている。
日本政府に手交されるマッカーサー草案は、マッカーサー原則を基礎に作成されるが、「自己の安全を保持するための手段としての戦争」の放棄まで明示するのは不穏当ではないかとする意見が起草者の中にあったために、マッカーサー草案ではこの点を明示する文言は避けられた。
マッカーサー草案を手交された日本政府は、この規定に驚くが、連合国の中には天皇を戦争裁判にかけるべきだと主張する国もあり、天皇への攻撃を避け天皇制を存続させるには、この規定が一種の「避雷針」として不可欠との認識に至り、これを受け入れることになる。
(2) 審議過程における政府答弁
憲法改正草案が議会で審議されたとき、9条が自衛権に基づく戦争まで放棄するものなのかどうかが論点の一つとして議論されたが、吉田首相は、憲法9条は直接には自衛権を否定はしていないが、9条2項において一切の軍備と交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も交戦権も放棄したことになると述べ、過去の戦争の多くは自衛権の名において戦われたのであり、我が国は好戦国との疑惑をもたれているから、この誤解を解くためにいかなる名義における交戦権も放棄するということを世界に向けて表明することが必要なのだと答弁している。
(3) 芦田修正
草案の文言は、衆議院の審議で若干修正される(1項の冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文言が、2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言が付加された。「芦田修正」と呼ばれている)が、原案の意味の修正を意図するものではないと説明され、そのように了解されて受け入れられた。
したがって、制定当時の理解としては、9条は自衛権を放棄するものではないが、自衛権の発動としての戦争も放棄し、一切の戦力と交戦権を否定したものと解されていたのである。
もっとも、芦田修正により、将来自衛のための戦力をもつ可能性が開かれたと解釈する向きが極東委員会の中に存在し、このため総司令部の要求により、軍の文民統制を考慮して大臣資格を文民に限る条項が挿入された(66条2項)。
(4) 学説
9条解釈について、当初最大の論争点となったのは、自衛のための戦争までも放棄されたのかどうかであった。
この点で、放棄説と非放棄説が大きく分かれる。 このうち放棄説は、その説明の仕方の違いにより、さらに二つに分かれた。 第一説は、9条1項の文言が、侵略戦争を禁止した不戦条約の文言に似ていることを手がかりに、1項では自衛のための戦争は放棄されていないと解し、そのうえで、2項前段であらゆる戦力の保持が禁止される結果、自衛のための戦力ももつことができず、自衛のための戦争も放棄したのと同じこととなると説明する。 このように解釈するために、2項の「前項の目的」は、1項の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」して戦争を放棄するという点を受けていると解し、非放棄説の主張する「国際紛争を解決する手段としては」放棄するという点だけを受けるという読み方を排する。 第二説は、1項を不戦条約等の文言と関連づけて解釈することを否定し、日本国憲法独自の意味を探るという立場から、1項は自衛のための戦争をも含め一切の戦争を放棄したものと解すべきであるとする。 こう解すれば、2項の前段も後段も、何の技巧も施すことなく文言通りの意味に解することができ、この点が強みであると主張する。
これに対し、非放棄説は、1項については放棄説の第一説と歩調を合わせるが、2項の「前項の目的」を1項の「国際紛争を解決する手段としては」を受けるものと解し、したがって自衛のための戦力の保持は禁止されていないと読む。
しかし、この説の最大の弱点は、2項の後段の理解に現れる。 ここでは、前段と句点で区切られているため、「前項の目的を達するため」を後段にまで及ぼすことができず、自衛のための「交戦権」は否定されないと読むことが困難である。 そのため、交戦権の意味に技巧をこらし、国際法上交戦国に認められる(敵の船舶を拿捕したり、敵の領土を占領統治したりする)権利の意味であるとし、かかる意味での交戦権は否定されたが、戦う権利が否定されたわけではないと説明する。 しかし、もし自衛のための戦争・戦力が認められるなら、なぜかかる意味での交戦権が否定されねばならないのか説明が困難であろうと批判されている。 3 自衛隊の創設と有事法制の確立(1) 政府による9条解釈の変遷(ア) 警察予備隊から自衛隊の創設へ
政府による9条解釈の転機は、1950年の朝鮮戦争の勃発により生じた。
日本に駐留していた軍隊を朝鮮に派遣する必要に迫られた総司令部は、駐留軍に代わって日本の治安・防衛にあたるために7万5千人から成る「警察予備隊」の創設を日本政府に要求してきた。 この警察予備隊が憲法の禁ずる「戦力」にあたらないかが問題となったが、政府はこれを戦力に至らない警察力にとどまると説明した。 これに納得できなかった当時の社会党委員長が警察予備隊は憲法違反だと主張して直接最高裁に提訴した(警察予備隊違憲訴訟)が、最高裁はこのような抽象的憲法訴訟を受理する権限はないとしてこれを却下した(後述参照)。 警察予備隊は、1952年に保安隊と警備隊に改組され、かつ増強された。 このときも憲法違反との批判がなされたが、政府は、憲法の禁止する戦力とは、近代戦争遂行能力をもつ規模のものをいい、保安隊・警備隊はその規模に達していないから合憲であると説明した。 さらに、1954年には、日米相互防衛援助協定により負った防衛力増強義務を果たすために自衛隊法が制定され、保安隊・警備隊は自衛隊に改組された。 政府としても、防衛目的を掲げて増強された自衛隊を軍隊でないといい続けることに次第に困難を感ずるようになり、一時は鳩山一郎内閣が憲法改正の必要を国民に訴えるが、衆議院総選挙で憲法改正に必要な3分の2の多数を得ることができず、以降、護憲派から「解釈改憲」と批判された9条解釈の変更により自衛隊の正当化を行う道を選ぶことになる。 そこで採用された解釈によれば、憲法9条は国家固有の権利としての自衛権を否定するものではなく、自衛権がある以上、自衛権を行使するための実力を保持することも禁止されない。 自衛のために必要な最小限度の実力が「自衛力」であるが、自衛力は憲法の禁止する「戦力」とは異なる、というものである。 解釈の変更とはいっても、一切の戦力の否定という当初の解釈は、形式論理的には維持されている。 自衛隊合憲説には、9条1項は自衛のための戦争・武力行使を否定したものではないとの前提の立ち(この点は、1項の文言が不戦条約の系譜をひくものであることから、政府をはじめ多くの学説により承認されている)、2項の「前項の目的を達するため」を、芦田修正の底意を強調しながら、侵略戦争を禁止する趣旨に解釈して、自衛のための戦力の保持は許されるとするものもあるが、政府はかかる解釈への変更はしなかった。
なお、政府は、2項の交戦権の否認の意味については、交戦権を国際法上交戦国に認められる諸権利と解し、戦いを交わす権利を放棄したものではないと解している。
(イ) 専守防衛と集団的自衛権行使の否認
政府解釈の最大の問題は、自衛権の発動が許される場合や自衛力と戦力の違いが必ずしも明確ではないことにある。
とはいえ、これまでの国会における質疑から、自衛権・自衛力に関する政府の理解として、次のような一定の輪郭は明らかにされてきた。
まず、自衛権については、認められるのは個別的自衛権のみで、集団的自衛権の行使は認められない。
個別的自衛権とは、急迫不正の侵略を自国が受けたときに、自衛の行動をとる権利である。 集団的自衛権とは、他国との取決めで、他国への攻撃も自国への攻撃とみなして協同して防衛行動をとる権利であり、この場合には自国への攻撃がなくとも軍事行動に出ることが認められる。 国際連合憲章51条は、個別的・集団的自衛権の両者を国家の固有の権利と認めているが、日本国憲法は国際法上は認められた集団的自衛権の行使を自主的に放棄したものと解したのである。 認められているのは個別的自衛権のみであり、それは自国に対する攻撃があった場合に(現実の攻撃がなくとも、攻撃が確実という差し迫った状況が現出すれば、この段階での反撃は「先制攻撃」ではないと説明されている)、自国を守るためにのみ(敵国の発進基地等を「たたく」ことも自国を守るためということに含まれる)発動しうるものであるから、自衛隊を軍事行動(武力行使)のために海外に派遣することは許されない。
次に、自衛力については、それは「自衛のために必要最小限度」のものでなければならないから、他国に侵略の脅威を与えるような攻撃的武器は禁止される。
しかし、防衛的なものなら、核兵器も憲法上禁止されるわけではない。 ただし、日本は政策として「非核三原則」(核兵器を持たない、作らない、持ち込ませない)を厳守する、とされている。 ちなみに、日本は、非核兵器国に対し核兵器の製造・取得を禁止する「核兵器の不拡散に関する条約」を批准している。 (2) 自衛隊違憲訴訟
これまでに自衛隊の合憲性を争う訴訟がいくつか提起されたが、最高裁は一貫して判断を回避しており、今までのところこの問題についての最高裁判例は存在しない。
(ア) 恵庭事件
自衛隊の合憲性が争われた最初の事件は、自衛隊演習用の通信線を切断して自衛隊法121条の「武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物」の損壊罪に問われた恵庭事件であるが、札幌地裁は、演習用の通信線はこの構成要件に該当せず無罪と判断し、自衛隊法121条の合憲性判断を回避した(札幌地判昭和42年3月29日下刑集9巻3号359頁)。
(イ) 長沼訴訟
これは、長沼町(北海道)に航空自衛隊のナイキ基地を建設するために農林大臣が行った国有保安林指定解除処分の取消しを地域住民が求めた訴訟である。
保安林の指定を解除する処分をするには「公益上の理由」(森林26条2項)が必要とされているが、自衛隊の基地の建設という目的は憲法9条に反し、公益上の理由にあたらないのではないかが問題とされた。 第一審の札幌地裁は、自衛隊が憲法の禁止する戦力に該当することを認めて処分の取消しを行った(札幌地判昭和48年9月7日判時712号24頁)が、札幌高裁は、保安林が解除されても、政府は水害等を防止するための代替工事等の措置を十分に施したから、住民には訴えの利益がなくなったとして原判決を取り消すとともに、自衛隊が憲法に反するかどうかの問題は統治行為に属すから、それが一見極めて明白に違憲である場合を除き、司法審査の範囲外にあるとの理由を付加した(札幌高判昭和51年8月5日行集27巻8号1175頁)。 最高裁は、訴えの利益の点について原判決を維持し、憲法問題には立ち入らなかった(最一判昭和57年9月9日民集36巻9号1679頁)。 (ウ) 百里基地訴訟
この事件では、自衛隊百里基地(茨城県)の用地買収をめぐって自衛隊の合憲性が争われた。
この訴訟では、基地用地に予定された農地の所有者(原告)が、それを最初基地反対派の一人(被告)に売却したが、後に代金の一部未払を理由に契約を解除し、今度は国に売却し、国とともに原告となり登記抹消・所有権確認等を請求する訴訟を提起したものであり、この訴訟の中で、契約の解除や国との売買契約が憲法9条に違反しないかが問題となった。 最高裁判所は、憲法が直接適用されるのは公権力の行使の性格をもつ行為であり、私人と対等な立場で締結する私法上の契約に対しては民法90条を介して間接的に適用されるにすぎないとの考えを提示し、本件は後者の事例であり、民法90条の適用が問題となるが、契約当時かかる契約が反社会的な行為であると一般的に解されていたということはできず、民法90条に反するとはいえない、と判示し、自衛隊の合憲性に正面から答えることを回避した(最三判平成元年6月20日民集43巻6号385頁)。 (3) 有事法制の確立
有事とは、広くは大地震などの自然災害も含めて、緊急な対応を要請される事態をいうが、通常は外国からの武力侵攻や国内の武力蜂起のような場合を指し、したがって、軍隊の出動が要請されるような緊急事態をいう。
そのため、もともと軍隊の存在を予定していなかった日本国憲法においては、有事に関する規定が置かれていない(国家緊急権に関する422頁以下の説明参照)。 政府は、自衛隊の創設とともに、有事の際の対処方法を法律で定めようとしてきたが、国民の反対が強くて長い間立法には至らず、いざというときには超法規的に対応する以外にない状態に置かれてきた。 ところが、冷戦終結以降、日米安保条約の見直しや北朝鮮問題などが議論されるなかで世論も微妙に変化をみせ、2003年に有事に関する基本法の性質をもついわゆる「武力攻撃事態法」(平成15年6月13日法79号、正式名称は「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」)が制定された。 そこでは、外国から武力攻撃を受けた場合、その切迫した危険が生じた場合、あるいは、その危険が高度に予測される場合に、内閣がとるべき措置(対処基本方針の作成等)と手続が定められ、その際に自衛隊に防衛出動を命ずるには、原則として国会の事前の承認が必要とされている(自衛76条1項、武力攻撃事態9条4項)。 次いで、2004年に、武力攻撃事態に際して住民を避難させる仕組みを定めた「国民保護法」(平成16年6月18日法112号、正式名称は「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」)、アメリカ軍が日本を守るための行動を円滑に行いうるようにするための「米軍行動円滑化法」(平成16年6月18日法113号、正式名称は「武力攻撃事態等におけるアメリカ合衆国の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律」)、外国の軍用品等を海上輸送する船舶を臨検するための「外国軍用品等海上輸送規制法」(平成16年6月18日法116号、正式名称は「武力攻撃事態等における外国軍用品等の海上輸送の規制に関する法律」)等の法律が制定され、有事法制の一応の整備が終わった。 ここでその内容の詳細に立ち入ることはできないが、自衛隊法や安保条約の合憲・違憲問題は別にしても、事の性質上国民の人権(財産権・居住移転の自由等)の制約を伴うものであり、その規定の仕方と運用が「公共の福祉」により正当化しうる範囲内にとどまるのかどうか、今後の検討課題に残されている。 4 安保条約をめぐる憲法問題(1) 日米安保条約の締結とその性格
日本国憲法は、国際協調主義を掲げ、憲法制定当時は将来の日本の安全保障を国際連合等の国際組織に期待していたといわれる。
しかし、冷戦の進行によりその現実性は失われ、西側陣営に所属する決意をして講和条約を結び(1951年署名、1952年発効。西側陣営に属する連合国のみとの講和であったために片面講和といわれた)、同時に日本の防衛をアメリカに頼って日米安保条約を締結した。 当初の安保条約は日米の対等性に欠けるところがあるということで、1960年に新安保条約が締結され現在に至っている。 しかし、対等といっても、日本国憲法が集団的自衛権を禁止していることから、アメリカには日本が攻撃を受けたとき日本を防衛する義務はあるが、日本にはアメリカが攻撃を受けても、それが同時に日本に対する直接的な攻撃でない限り、アメリカを防衛する義務はない。 日米安保条約に込めた目的は、日本とアメリカでは異なるのである。 アメリカにとっての目的は、極東(当初の理解では、フィリピン以北ならびに日本とその周辺地域で、韓国・台湾を含むとされたが、後に、ベトナム戦争や湾岸戦争に際して米軍が日本から発進するということが起こったので、1996年の協議で「アジア太平洋地域」にまで及びうる意味へと「再定義」された)におけるアメリカの軍事戦略として、日本にアメリカ軍の基地を設置し使用することにあるのに対し、日本にとっての目的は、日本の防衛をアメリカに協力してもらうことにある。 いわば基地使用と防衛協力が対価関係に置かれているのであり、アメリカによる基地使用は、日本を防衛するという目的に限定されず、極東における軍事行動のためにも使用しうるのである(安保約6条参照)。 (2) 砂川事件判決
このような目的の安保条約は、憲法の平和主義や戦力不保持に反しないであろうか。
それが争われたのが、砂川事件であった。 これは、アメリカ軍の使用する立川飛行場(東京都)の拡張に反対するデモ隊が基地内に数メートル乱入したために、旧安保条約3条に基づく刑事特別法2条違反で起訴された事件である。 東京地裁は、駐留軍が憲法9条2項の戦力に該当し違憲と判断したために(東京地判昭和34年3月30日判時180号2頁)、最高裁に飛躍上告がなされた。 最高裁は、アメリカ軍の駐留を許すことは、戦力不保持に反しないかの問題につき、9条にいう「戦力」とは「わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しない」として9条違反の主張を斥け、では日米安保条約は平和主義の精神に反しないかの問題については、国の防衛をどのように行うかという問題は高度に政治性を有するものであり、「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外」のものであるとし、裁量論の混在した独特の統治行為論を提示して判断を回避した(最大判昭和34年12月16日刑集13巻13号3225頁)。 (3) 日米防衛協力のための新ガイドライン
日米安保体制はもともと冷戦構造に規定された性格をもっていた。
ゆえに、冷戦の終結とともに、見直しが必要となった。 そこで、この際日本の自主的防衛政策の観点から従来の日米安保のあり方を根本的に再検討すべきだとの意見もあったが、政府はアメリカの強い要請を受けて、従前以上にアメリカ極東戦略への協力に深くコミットする方向を選んだ。 すなわち、従来はアメリカが日本の領土・領海外の極東で日本の防衛とは直接関係しない軍事行動をとる場合、日本はこれを支援する責任を必ずしも負っていなかったが、1997年に日米間で合意された「日米防衛協力のための指針」により、このような場合にも日本はより積極的な協力を行うことを承認した。 この約束を実現するために制定されたのが1999年の「周辺事態法」(正式名称は「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」)である。 この法律は、「周辺事態」(「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」(1条))が勃発したとき、アメリカに協力して我が国が実施する措置とその手続を定めたものであるが、その措置の主要なものは「後方地域支援」と「後方地域捜索救助活動」とされている。 前者は、周辺事態に際して前線で活動するアメリカ軍に対し我が国が後方地域において行う物品・役務の提供等の支援であり、後者は、戦闘行為によって遭難したアメリカ兵等を我が国が後方地域で捜索・救助する活動である(3条1項1号・2号)。 ここに後方地域とは、前線の戦闘とは分離された地域と想定されているが、現代戦争ではそのような分離は不可能だとの批判もある。 また、それは日本周辺の公海およびその上空も含むとされており(3条1項3号)、かつ、任務遂行に際して部隊員の生命・身体の防護に必要ならば「武器使用」(「武力行使」とは区別された)も認められている(11条)から、海外派兵の禁止や集団的自衛権の禁止との関連で重大な疑問をはらんでいる。 5 国際協力と憲法9条
湾岸戦争(1991年)に際して、日本も自衛隊を派遣して国際平和の維持のための活動に積極的に貢献すべきだという声が内外で聞かれた。
日本は、従来、憲法9条に抵触するおそれがあるという理由で自衛隊の海外派遣には消極的態度をとってきた。 しかし、国連による平和維持活動(PKO=Peace Keeping Operation)への協力は、武力の行使を伴わないものは当然のこと、たとえ任務の目的からして武力の行使を伴う可能性の高い活動への参加であっても「海外派兵」とは異なるのではないかとの見解もあり、そこで政府は、平和維持軍(PKF=Peace Keeping Force)的な活動への参加が許容されるための原則として、 ①紛争当事者間における停戦合意の成立、 ②PKFへの日本の参加に対する紛争当事国の同意 ③PKFの中立的立場の厳守 ④以上の条件が満たされなかった場合の日本の撤収、 ⑤自衛のためにやむをえない場合に限り必要最小限度の武器使用を認める、 という五原則(PKO五原則と呼ばれることもある)を提示し、1992年にこれに基づく「PKO協力法」(正式名称は「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」)を制定した。 なお、制定当初は、この法律の附則2条で、停戦監視、緩衝地帯の駐留・巡回等のPKF本体業務は、別に法律で定めるまで実施しないとしていたが、2001年の法改正により実施に移された。 選挙監視・生活物資の配布・輸送等の周辺業務については、これまでに、この法律に基づいて、自衛隊をカンボジア・モザンビーク・ルワンダ等に派遣している。 なお、自衛隊法3条2項2号は、国際平和協力業務を自衛隊の任務と規定している。
自衛隊が部隊として外国に派遣され、そこで武器も使用するとすれば、「海外派兵」の禁止とどう関連するかが、当然問題となる。
当初は、この問題を回避するために、武器使用を正当防衛・緊急避難の場合に限定し、必要性の判断を隊員個々人に委ねたが、カンボジアでの活動の経験を踏まえて、上官の命令による武器使用を認めることにした。 その分、部隊としての武器使用の性格が強まったことになり、海外派兵との境界が不明確になったことは否めない。
2001年9月11日に米国で起こったニューヨーク貿易センタービルに対するテロ攻撃を契機にアフガン戦争とイラク戦争が生じたが、これに対する日本政府の対応として、アフガン戦争の「後方支援」とイラクの戦後復興支援を可能にするために、いわゆる「テロ対策特別措置法」(平成13年11月2日法113号)と「イラク支援特別措置法」(平成15年8月1日法137号)が制定された(ともに時限立法。なお、前者は平成19年11月2日に失効し、「新テロ特置法」(平成20年1月16日法1号)となったが、これも平成22年1月16日に失効した)。
両法とも、国連決議を踏まえての国際協力という形をとっていたが、停戦合意のないところでの支援・協力である等、PKO協力とは性格を異にするものであり、政府は「非戦闘地域」における協力であるとして正当化していたものの、政府が従来説明してきた自衛隊海外派遣の許容限度を超えて集団的自衛権の行使に踏み込んでいるのではないかとの批判も強かった。 実際、イラク支援特別措置法に基づく自衛隊のイラク派遣が平和的生存権を侵害するとして違憲の確認と国家賠償等を請求した訴訟において、名古屋高裁は、平和的生存権の具体的権利性を認めたうえで、イラクでの航空自衛隊の活動は「戦闘地域」において「他国による武力行使」と一体化して行われており、イラク特措法に反すると同時に憲法9条1項にも違反すると判示している(名古屋高判平成20年4月17日判時2056号74頁)。 もっとも、結論的には、違憲確認請求については確認の利益がない、国家賠償請求については平和的生存権の侵害にまでは至っていない、等を理由として控訴は棄却され、控訴人側が上告をしなかったので、国からは上告しえない形で終結している。
自衛隊の「国際貢献」に対する憲法上の疑問を払拭するために、憲法9条は国際連合の決定に基づく協力には適用されないとする解釈も提唱されている。
たしかに、国際連合が指揮する軍隊の場合には、憲法9条の問題にはならないという解釈もありえよう。 しかし、今までのところ、正規の(国連憲章第7章が定める、国連の指揮下に置かれる)「国連軍」というものは存在せず(安保理の決議に基づくいわゆる「多国籍軍」も基本的には各国政府の指揮下にあり、国連軍ではない)、国連の決議に基づく協力としての自衛隊活動も、日本政府の指揮の下に行動するのであり、そうである限り9条の適用を免れることは困難である。 6 立憲主義からの選択
憲法9条と自衛隊・安保条約・国際貢献の現実との矛盾は、誰の目にも明らかであろう。
では、どうしたらよいか。 ここで、現実に対応しうるように憲法を改正すべきだという意見と改正すべきでないという意見が対立する。 立憲主義にとってのそれぞれの問題点を検討しておこう。 (1) 改正論
改正論者は次のように主張するであろう。
憲法規範に反する実態が続くことは、憲法に対する規範意識を鈍磨させ、立憲主義にとって害が大きすぎる。 圧倒的多数の国民が実態の方を支持している現実があるとすれば、実態に合わせて憲法を改正する方がよいのではないか。 政府は9条が非現実的だという世論の支持をよいことに、歯止めのない「解釈改憲」の道を歩んでいる。 これ以上「解釈改憲」を許すことは、立憲主義の基礎を掘り崩すことになり、かえって危険である。 むしろ憲法改正により、現実に即して憲法上許されることと許されないこととの線引きを明確化し、今後は憲法を厳格に守っていくことを誓った方がよいのではないか。 改正したからといって、自衛隊や安保条約の保持が憲法上義務づけられることになるわけではない。 戦争放棄の理想が現実性を獲得し、多数の国民の支持を受けるときには、その政策を実現することは、改正憲法により禁止されはしないのである。
この主張には、現実とかけ離れた憲法はかえって立憲主義を形骸化するという重要な指摘が含まれているが、次のようなマイナス面をもつことも忘れてはならない。
すなわち、平和を求める戦後の真摯な運動は、9条に鼓舞されて行われてきたが、この9条がなくなれば、こうした運動は大きな支えを失うことになろう。 このことが平和運動を困難とすることは否定できず、このことのもつ意味の大きさを過小に評価してはならないであろう。 (2) 改正反対論
改正に反対の人も、自衛隊は違憲であり直ちに廃止すべきだなどとは主張しないであろう。
時間をかけて9条の規範内容を実現していくべきだと考えていると思われる。 では、その間の憲法規範と現実との矛盾はどう説明するのであろうか。 その矛盾が確認さえされていれば、矛盾が長期にわたって継続してもよいと考えるのであろうか。 それでは、憲法を遵守すべきだという立憲主義の精神は、ご都合主義的なものとして後退せざるをえないのではなかろうか。
そこで、9条の維持と立憲主義とのバランスをはかる理論構成を考えてみよう。
一つは、憲法変遷論に訴えることが考えられる(憲法変遷論については、427頁参照)。 憲法9条の変遷を解釈論として認めれば、自衛隊を違憲という必要はなくなる。 しかも、憲法9条は消滅するわけではなく、一時的に妥当性を失い「眠り」についているにすぎない。 国民意識が変化し、9条を支持するに至れば、9条は眠りから覚めうるのである。 問題は、この解釈をとるためには、憲法変遷の成立要件をある程度緩和しなければならず、そのことが立憲主義をその分形骸化させる危険をもつことである。
他の方法としては、9条の規範性の妥当領域を政治の領域に限定し、裁判所での機能を限定することが考えられる。
たとえば、9条をプログラム規定と解する立場は、その一つと考えることができよう。 もし、この説は9条を政治の指針にすぎないとするから政治領域の規範性さえ否定するもので支持できない、というなら、統治行為論に訴えることも考えうる。 そうすれば、規範性は維持しつつ、裁判所が介入することは回避することができる。 ちなみに、かかる観点から問題を捉えれば、最高裁が訴訟上の法技術を駆使して自衛隊の憲法判断を避けてきたのは高く評価されるべきことといえよう。 そのうえ、判断回避の法技術が尽きたときの最後の回避方法として統治行為論が控えていることになる。 実際、長沼訴訟の高裁判決や百里基地訴訟の地裁判決は、統治行為論を援用したのである。 しかし、ここでも統治行為論のもつ反立憲主義的性格を考慮に入れて、その採用の可否を判断する必要がある。
いずれにせよ、現行9条を維持しようとする立場は、9条が自衛隊の拡張にブレーキをかけてきたということのみならず、我々が追求すべき理想のシンボル的意味をもつことを強調する。
このプラス面は貴重であるが、他方で、それに反する現実により立憲主義の精神が磨滅していく危険に恒常的に直面していることも無視すべきではない。 このマイナスと9条を改正することに伴うマイナスの間の厳しい選択を求められているのである。 |
日本国憲法を世界史的に展開する立憲主義の潮流に棹さすものとして理解するとき、その核心を構成する基本価値は「個人の尊厳」(24条参照)である。 憲法13条前段は、個人の尊厳を基礎に、すべての国民を「個人として尊重」すると宣言し、そのことの当然の帰結として、後段で「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(略して「幸福追求権」と呼ぶ)を最大限に尊重することを約束する。 そして、14条以下で幸福追求権の具体的内容としての個別人権を列挙するのである。% 第2部の課題は、日本国憲法が設定した、この「個人の尊厳」→「個人としての尊重」→「幸福追求権」→「個別人権」と展開する人権論の全体構造を体系的に把握することにある。 |
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<目次>
1 人権の歴史
日本国憲法97条は「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と規定し、人権が重い歴史を背負って確立されたものであることに注意を喚起している。
その歴史を最初に瞥見することから始めよう。 (1) 前史
人が生まれながらにしてもつ権利、人ということだけを理由に認められる権利が「人権」であるとすれば、そのような意味での人権を歴史上初めて宣言したのは、北米のヴァージニア権利章典(1776年)であった。
しかし、国民が国王(国家)権力を制約する権利をもつという観念をいち早く確立し、近代的人権宣言を準備したのはイギリスであった。 イギリスにおける権利の観念は、たしかに「イギリス国民が古来より承認されてきた権利」というものであり、「人の権利」というものではなかったが、統治者の権力が被治者の権利により制限されるという立憲主義の人権論の核心をなす法構造が、そこに成立していたのである。
人の権利ではなくイギリス国民の権利であり、それが長い歴史的実践の中から、主として判例の集積を通じて徐々に確立されてきたという、その成立経緯を反映して、イギリスで保障されるに至った権利の内容は、権利の具体的な手続的保障(たとえば国会の同意なき課税の禁止、同輩による裁判なしの逮捕・処罰の禁止など)を中心とするという特徴をもち、後の人権宣言が抽象的な実体的権利(たとえば財産権、表現の自由など)を列記する手法をとったのと対照をなしている。
この「イギリス国民の権利」が、グロティウス(Hugo Grotius, 1583-1645)に始まる近代自然法思想の潮流のなかで、ジョン・ロックにより自然権的基礎づけを与えられることにより、近代的な「人の権利」の観念が成立してくるのである。 ロックによれば、人は自然状態において相互に自由・平等な存在として自然権を享受していた。 しかし、自然状態には共通の裁判官が存在しないため、自然権の侵害を十分に阻止しえない。 そこで、自然権をよりよく確保するために社会契約を結び、自然権の一部を社会に譲渡して権力を生み出すのである。 この権力は、個人が留保した自然権をよりよく保障するためのものであり、自然権に拘束される。
このような自然権思想は、論者によって細部に違いを見せつつも、17世紀末から18世紀にかけてヨーロッパの有力な潮流となり、人権宣言を生み出す近代市民革命の理論的支柱となる。
(2) 成立
近代的人権を最初に宣言したのは、北アメリカのヴァージニア権利章典であり、その後独立した諸邦が同様の権利章典を伴った憲法を制定していったことはすでに述べた(9頁参照)。
1787年に制定されたアメリカ合衆国憲法は、当初、権利宣言を有していなかったが、1791年に憲法修正として修正1条から10条にわたる権利章典が付加された。 これらのアメリカ権利宣言の特徴は、ピューリタンの伝統からくる宗教の自由とイギリスの伝統を継承した諸自由を自然権思想により根拠づけたところにあった。
他方、フランスにおいては、アメリカ諸邦の権利章典の影響を受けつつ、同時に、モンテスキューやルソーなどフランス啓蒙思想にも大きく影響されながら、1789年に始まるフランス大革命のなかで「人及び市民の権利宣言」を表明する。
基本的にはアメリカ権利章典の思想と同じ思想に基づくものといえるが、アメリカの宣言がイギリスの影響下に具体的な手続的保障に重点を置いていたのに対し、フランス人権宣言は抽象的・理念的な性格が強いという特徴をもつ。 なかでも、そこで採用された、ルソーの思想からくる「法律は一般意志の表明である」(6条)という定式は、国民主権モデルを基礎とする法律(議会)優位の体制を帰結し、フランス的伝統の淵源となった点で特筆に値する。 なお、この宣言は、新しい憲法が採用すべき原理を宣言するという意味をもったものであり、2年後に制定された1791年憲法の冒頭にそのまま取り入れられた。 フランスは、この後1793年憲法(いわゆるジャコバン憲法)においても人権規定を置き、そこでは自由権より平等権を先に掲げ、公的扶助や教育を宣言するなど、91年憲法とは若干異なるニュアンスを示した。 そのため、論者によってはこれを社会主義思想に基づく権利宣言の先駆的意味をもつとするものもあるが、財産権や経済的自由を強調した点で基本的には同一の思想の中にあると捉えることのできるものであった。 (3) 普及と変容
アメリカとフランスの近代革命のなかで成立した人権思想は、19世紀を通じて諸国に普及し、権利保障を謳う憲法制定を生み出してゆく。
その流れは、大局的には、権利保障が徐々に定着していく過程と捉えることができるが、その過程で人権思想が大きな変容を受けたことも見逃してはならない。 最も大きなものは、自然権的思想の退潮によって生じた「人の権利」の観念から「国民の権利」の観念への変化である。
それは、《国民主権》を掲げた1831年ベルギー憲法(政体としては君主制を採用)においても生じていた。
ベルギーは1830年にネーデルランド王国から独立して国民主権に基づく憲法を制定するが、その中で「ベルギー国民の権利」を規定したのである。
しかし、《君主主権》を基礎に置く憲法においては、自然権思想は認められないのであるから、権利観念が「臣民(国民)の権利」へと傾斜するのは当然のことである。
ドイツ諸邦の憲法がその典型であった。 三月革命により制定されるが結局は挫折することになる1849年のフランクフルト憲法(帝国憲法)も、帝政をとる限り人権思想を採用することはできず、妥協として「ドイツ国民の権利」という表現を採用していた。 明治憲法に影響を与えた1850年のプロイセン欽定憲法が「プロイセン人の権利」としたのも当然のことである。 しかも、この権利には「法律の留保」が伴っていた。 1871年のドイツ帝国憲法(ビスマルク憲法)に至っては、基本権規定を置くことさえしなかった。 基本権の保障はラント(邦)の役割であるというのが一つの理由であったが、より根本的な理由は、権利が法律の留保の下にあるとすれば、憲法に規定を置かなくても、特別法により保障すれば十分と考えられたことにあった。
人権思想を退潮させた大きな要因として、特に19世紀後半以降、法実証主義の思想が支配的となったことを挙げておく必要がある。
これにより、人権を基礎づけた自然権思想が支持を失っていったのでる。 (4) 両大戦間の動き
この期の最も重要な動きは、人権についてのマルクス主義的観念が登場したことである。
マルクス主義は、近代的な人権を、それを享受するための物質的基盤を欠く労働者階級にとっては抽象的・形式的な権利にすぎないと批判し、人権は天賦のものとしてすでに存在するのではなく、階級なき社会において初めて獲得されるものだと主張した。 このような思想に基づき、ロシア革命が成功すると、1918年に「勤労し搾取されている人民の権利宣言」が採択され、やがて1936年のソヴィエット社会主義共和国同盟憲法において、生産手段の社会主義的所有を謳う権利保障が規定されることになる。 こうした動きは西欧諸国にも影響を与えるが、特にこの期に新しく憲法を制定したドイツにおいては、そのワイマール憲法の中に財産権を制限し社会権を保障する規定を取り入れた。 この社会権規定は、当時のドイツにおいては、法的効力をもたない「プログラム規定」にすぎないと解されたが、第二次世界大戦後の諸憲法にも受け入れられ、現代の積極国家における人権の重要な一部となるに至っている。
この期には、このように近代的人権を修正して社会権を付加する西欧型人権と、近代的人権の形式性・階級性を批判し労働者階級の人権を主張する社会主義型人権が登場したが、他方で、人権の思想そのものを否定する全体主義の挑戦も受けた。
価値の根源を個人に見、社会を個人の福祉のための手段と捉える個人主義に対し、全体主義(ファシズム・ナチズム)は価値の根源を全体に見、個人を全体(国家的・人種的共同体)に貢献する限りにおいてしか価値をもたないと考え、個人主義に基礎をもつ人権の思想を否定したのである。 (5) 第二次世界大戦後の動向
この期には、ファシズムやナチズムの経験を踏まえて、自然権思想が再生する。
実定憲法に書き込まれた人権を実定法に内在する自然権であり論理上超実定法的性格をもつものと考えるのである。 この思想を根拠に、人権が立法権をも拘束することが強調され、かつての法律の留保が否定されるのみならず、裁判所による法律の合憲性審査制度が導入される。 先に述べた社会権の保障や参政権の拡大(女性参政権の一般化)もこの期の重要な特徴である。 特に近時の特徴としては、自然権思想に代わって、人権の道徳哲学による基礎づけの試みが進展していること、ソ連等の崩壊により社会主義型人権論が挫折したこと、違憲審査制度の飛躍的な拡大、国際的レベルでの人権保障の発展が指摘されるほか、プライバシーや自己決定権といった新しい人権に注目が集まってきている。 2 人権の観念(1) 自然権としての人権
人権とは、人が人であるということだけを理由に認められるべき権利であった。
それは、当初、個々人が自然状態において有している前社会的・前国家的自然権に由来すると説明された。 したがって、そこでは人権は国家を前提としない権利であり、逆にいえば、国家の存在を前提とする権利は人権ではなかった。 フランスの「人及び市民の権利宣言」に典型的に表現されたように、「市民の権利」の典型と考えられた参政権は、国家の存在を前提にするがゆえに「人の権利」ではなかったのである。 同様に、社会権も国家に対する請求権である以上、前国家的な権利ではありえない。 (2) 個人の尊厳
近代自然権思想からすれば、真の人権=自然権は自由権であり、参政権や社会権は国家を前提とする限りにおいて自然権とはいえなかった。
しかし、通常、我々は参政権も社会権も人権に含めて考えている。 日本国憲法が「この憲法が国民に保障する基本的人権」(11条)と表現するとき、この基本的人権には参政権も社会権も含まれると解されている。 ということは、今日では、人権の理解に、近代的な自然権の論理(自然状態・社会契約論)はもはやそのままの形では使用されていないということである。
今日では、人権の根拠は「個人の尊厳(*)」という思想に求められている。
それは、社会あるいは国家という人間集団を構成する原理として、個人に価値の根源を置き、集団(全体)を個人(部分)の福祉を実現するための手段とみる個人主義の思想である。 個人主義に対立するのは、価値の根源を集団に置き、個人は集団の一部として、集団に貢献する限りにおいてしか価値をもたないとする全体主義であるが、「個人の尊厳」を表明した日本国憲法(24条参照)は、全体主義を否定し個人主義の立場に立つことを宣言したのである(**)。
(3) 幸福追求権
13条後段は、前段が個人の尊重を宣言したのに続けて、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(略して「幸福追求権」と呼ぶ)に言及するが、ここで幸福追求権は、個人が自律的生を生きるのに不可欠の権利という位置づけを与えられているのであり、これこそが日本国憲法の保障する基本的人権をなす。
この権利を尊重することが、個人を「個人として尊重」するということの具体的意味なのである。
自律的生にとって不可欠の人権が具体的にいかなるものかは、表現の自由等の個別人権として規定されているが、そこには参政権(15条)も社会権(25条)も含まれる。
人権の観念にとって、それが前国家的性格を有するかどうかは重要ではない。 憲法の基本価値としての「個人の尊厳」から直接的に流出するものかどうかが重要なのである。 日本国憲法は、「個人の尊厳」を憲法を支える基本価値として採用し、それゆえに、個人を「個人として尊重」することを憲法上の原則として宣言し、そのことの具体的意味として「幸福追求権」を最大限に尊重すべき「憲法上の(抽象的)権利」として規定し、その幸福追求権をさらに具体化する個別人権を「憲法上の権利」として列挙しているのである。
なお、憲法12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利」という表現を用いており、ここでいう「自由及び権利」は11条・97条でいう「基本的人権」とは異なり、国家賠償請求権(17条)や刑事補償請求権(40条)は前者には含まれるが後者には含まれないという理解も有力である。
しかし、賠償・補償請求権も、個人の犠牲において全体が利益を得るという点において「個人の尊重」に反することから直接に帰結する権利であり、人権というべきであろう。 「自由及び権利」と「基本的人権」は同じ意味に解して差し支えない。 3 人権の類型
人権とは、抽象的には、個人の自律的生に不可欠なものであるが、それが具体的には何かについて憲法自体が個別人権として列挙している。
それらの個別人権の特質を一層深く理解すると同時に思考を整理するために、人権を類型化し全体を体系的に把握する努力がなされている。
類型化・体系化は常に一定の観点からなされるので、観点の相違により様々な体系が提示されてきたが、どれか一つが正しい体系ということではなく、重要なことはそれぞれの体系がいかなる観点から何を明らかにするためになされているかを理解して利用することである。
ここでは、まず四つの観点からの分類論を説明し、その後、「制度保障論」と呼ばれている考えに触れておく。 制度保障は人権とは性格を異にするので、人権の分類には属さないが、通常、人権の章で規定されることが多く、人権との関連で論じられているからである。 (1) 人権の構造的類型論
日本で広く受け入れられてきた分類は、イェリネックによりなされたものである。
イェリネックは、国民が国家との関係でどのような地位に置かれているかを分析し、四つの地位を区別した。 第一が、国民が国家に服し、義務を負うという関係における地位であり、「受動的地位」と呼ばれる。 第二は、国家から自由な「消極的地位」であり、次の請求権に支えられて自由《権》となる。 第三は、国民が自己のために国家の積極的な活動を要求しうる「積極的地位」であり、たとえば裁判を請求する権利などの「受益権」がこれにあたる。 第四は、国民が国家のために活動する「能動的地位」であり、参政権が該当する。 このうち第一の受動的地位は義務に対応し、第二ないし四が人権の分類に対応することになる。
この分類は、美濃部達吉に代表される戦前の理論はいうに及ばず、戦後の日本の憲法学にも大きな影響を与えてきたが、イェリネックの法実証主義的国法学を前提に構成されたものであり、国家権力のアプリオリな存在を出発点に置いている点で、今日では受け入れがたい面を有している。
のみならず、内容的には、平等権や適正手続権の位置づけが不明確であるとか、社会権が登場する以前になされた分類なので、社会権の位置づけが困難であるといった批判がなされている。
しかし、これを権力と自由との構造的な関係の分類に純化して理解するなら、人権の分析装置として今日でも十分役に立つ。
たとえば、表現の自由は近代の段階では主として「権力からの自由」の側面で捉えられたが、現代においてはその「権力への自由」の側面が重要視されるようになり、さらに、情報公開の問題にみられるように「権力による自由」の側面においても問題が指摘されるようになってきているが、それがこの分析装置によりうまく説明できるのである。 しかし、注意すべきは、この表現の自由の例でも分かるように、個々の個別人権が「権力からの自由」、「権力への自由」、「権力による自由」のいずれかに振り分けられるということではなく、個々の個別人権がこの三つのうちのどれを中心的な性格としているかという問題なのである。
このようにイェリネックの分類を権力と自由の構造的関係を表現するものと理解する場合、社会権は構造的には「権力による自由」と理解することができるが、平等権と適正手続権は、三種の構造的関係のいずれによっても的確に捉えることはできない。
そこで「権力により適正な処遇を受ける権利」(適正処遇権)という第四のカテゴリーをこの類型論に付加するのがよいであろう(78頁参照)。 (2) 人権の内容的類型論
人権が保障する内容は様々であり、内容のいかなる側面を重視するかにより様々な分類が可能になる。
たとえば、近代から現代への人権内容の歴史的展開を重視した自由権的基本権と生存権的基本権の分類(我妻栄)や、鵜飼信成が提案した①個人権的基本権(精神的自由権・人身の自由)、②社会権的基本権(経済的自由権・社会権)、③基本権を確保するための基本権(参政権・受益権)、④基本権の前提となる諸原則(個人の尊重・法の下の平等)という分類などが有名であるが、ここでは次のような分類を提示しておく。
第一が、個人の活動の自由。ここでは精神活動の自由、経済活動の自由、人身の自由が含まれる。新しい現代的な人権として議論されているプライバシーの権利や自己決定権も基本的にはこの類型に属する。
第二が、参政権で、選挙権が中心である。 第三が、国務請求権あるいは受益権で、裁判を受ける権利がその典型である。 第四が、社会権で、生存権、教育を受ける権利、勤労の権利がここに含まれる。労働基本権は、結社の自由と同様に自由権的性格をもつ面も否定できないが、それを生み出した思想的側面を強調して、日本では通常社会権として位置づけられることが多い。 第五が、適正処遇権とでも呼ぶべき権利で、平等権と適正手続権がここに含まれる。第一ないし四の権利が、権利・利益の実体的側面に着目しているのに対し、適正処遇権は、国家が国民の権利・利益を制約する場合に守るべき手続・方法に着目している。個人を個人として尊重したといいうるためには、すべての個人を平等に扱わねばならないし、不利益処分を受ける個人には適正な手続を保障しなければならないのである。
本書の人権論の構成は、適正処遇権の扱いを除き、ほぼこの分類を基礎に行っている。
(3) 審査基準を基礎にした分類
現代人権の大きな特徴として、裁判所に違憲審査権を与えて人権保障の実効性を強化しようとするに至ったことを指摘した。
ところが裁判所による違憲審査とは、政治部門(立法権・行政権)が合憲と判断して行った行為を裁判所が審査するということを意味する。 このために、裁判所はどの程度厳格な規準で審査すべきかという問題が生ずるが、その厳格度は人権の種類により異なりうるという見解が今日では支配的となっている。 そこで、この厳格度の違いを基準に人権を分類するという考えが生じたのである。 たとえば、伊藤正己は、次のような分類を提唱している。
裁判所による審査が緩やかな方から、まず第一に生存権的基本権が挙げられ、この類型の権利保障は、裁判規範としてよりもむしろ国政の指導原理としての機能を果たすプログラム規定であるとされる。
第二は経済的自由権であり、現代国家においてはこの権利の制約立法は合憲性の推定を受け、緩やかな審査が行われるのみである。 第三は内面にあるものを外部に表出する外面性の精神的自由権であり、これは精神活動の自由の保障であるから厳格な審査が必要であるが、他者の人権と衝突する可能性がある限度で制限されることもありうる。 これに対し、第四の内面性の精神的自由権は、内面の自由を保障するものであり、絶対的自由というほどに強い保障が与えられなければならない。 これ以外の人権類型については、以上の四類型のどれに近似するかを考えて審査の厳格度を考える、というのである。
伊藤説をそのまま受け入れるかどうかは別にして(生存権をプログラム規定と解する点については反対が強い)、審査基準論との関連で類型を考える点は今後ますます重要となっていくと思われる。
(4) 審査方法を基準とする分類
憲法の規定する人権には、保障内容が憲法上確定されている人権(内容確定型人権)と保障内容が憲法上完全には確定されておらず、多かれ少なかれ法律による確定に委ねている人権(内容形成型人権)が存在する。
たとえば、精神的自由権に属する人権は内容確定型であり、生存権や裁判を受ける権利などは内容形成型である。 内容確定型の人権は、憲法上保障の範囲が決まっているから、その人権との関連で法律が問題となるのは、法律が人権を制限しているのかどうか、制限しているとした場合それは正当化されるかどうかである。 したがって、裁判所が審査するのは、人権の保障内容を憲法解釈として確定し、法律がその人権を制限しているのかどうか、制限している場合それは公共の福祉による制限として正当化しうるかどうかである。 これに対して、内容形成型人権の場合は、具体的保障内容は、憲法上想定された核心的部分と法律による具体化に委ねられた部分に分かれることになる。 前者については、裁判所はそれを解釈により確定したうえで事案がその制限となっているかどうか、なっているとして正当化されるかどうかを審査することになり、審査の仕方としては内容確定型人権と同様になる。 しかし、後者については、内容形成を行う権限は、少なくとも第一次的には立法府にあるから、裁判所が憲法解釈権を口実に内容形成を行うことは原則的には許されない。 憲法が保障内容の具体化(内容形成)を法律に委ねた限度において、立法裁量の問題となるのであり、人権侵害の主張に対して裁判所が行う審査は、立法府が憲法により与えられた立法裁量の範囲を逸脱しあるいは濫用したのではないかに限られることになる。 (5) 制度保障
人権規定の中には、個別の人権を保障する規定と並んで、人権そのものではなくて特定の制度を保障するとみられる規定も存在するが、ドイツの公法学者カール・シュミット(Carl Schmitt, 1888-1985)は、ワイマール憲法の定める人権条項の解釈に際して、基本権の保障と制度の保障を厳格に区別した。
彼によれば、基本権という思想は、「個人の自由の領域は原則として無限定であり、国家の権能は原則として限定されている」という「配分原理」を基礎にもち、真の基本権は、原則として無限定な自由領域をもつ個人を所与として前提するが、制度はそのような所与ではなく、本質上国家内存在であり、無限定な自由領域という観念を基礎にするものではなく、一定の使命・目的に奉仕すべく限定・画定された存在だとされる。 シュミットは制度保障の例として、地方団体の基本権、法律上の裁判官による裁判を受ける権利、家族生活の基礎としての婚姻、相続権、職業官僚制などを挙げているが(*)、これらの制度の保障は、通常の法律によってその制度を除去することを禁止するものであるにすぎず、憲法改正手続により変更可能な「憲法律」に属し、その意味で、改正不可能な「憲法」に属する基本権の保障とはまったく論理を異にするものであると論じた。
4 人権の主体
人権が「人」に固有な権利だとすれば、すべての人が人権の主体となることは自明のはずである。
ところが、日本国憲法は人権保障を規定した第3章を「国民の権利及び義務」と題し、人権の主体を国民に限定する外観を与えている。 このため、外国人に人権が保障されるのかどうかの問題が生じることになった。 また、日本国憲法は、天皇および皇族という世襲に基づく身分を認めているために、これらの人々を人権の主体と考えるべきかどうかの問題を生ぜしめている。 さらに、現代社会において団体が重要な活動主体となってくると、人権は自然人たる個人にしか認められないのか、それとも団体(法人)もそれを享有するのかが問われることになった。 (1) 国民の範囲(ア) 「人」としての国民
憲法は「国民の権利」と述べているので、国民が人権を享有することに疑いはない。
しかし、ここでいう「国民」とはどの範囲の人々を指すのかは、必ずしも自明ではない。 憲法10条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」と規定するが、人権が憲法により保障されたものであり、国民はその当然の主体であるとすれば、憲法の下位にある法律が国民の範囲を自由に定めうると考えることはできない。 人権が憲法により与えられたものではなく、論理上は憲法に先行するものであるとすれば、なおさらのことである。 そこで、論理上は国民の範囲は「社会構成員」として憲法以前に定まっていると想定しなければならない。 そのような国民には、天皇・皇族も含まれる。 より正確には、ここでの「社会構成員」は憲法以前の存在であるから、いまだに天皇・皇族自体が存在しないのである。 憲法の制定により、天皇・皇族と国民が分離された。 憲法10条のいう国民とは、この段階の国民であり、天皇・皇族は含まれない。 そのような国民の範囲を法律で定めることとされたのであるが、自由に定めるというよりは、論理上法律制定以前に想定されている国民をいわば確認する規定を置くという趣旨に解される。 そうである以上、憲法が想定したはずの国民(憲法上の国民)がいかなる者であるかを憲法解釈として明らかにすることが必要となる。 諸外国が国民を決める方法として採用しているものに生地主義(生まれた場所が帰属する国家の国籍を取得する)と血統主義(親の国籍を取得する)があり、日本国憲法がそのいずれかを明示的に選択していない以上、そのいずれかにより国民となりうる者が憲法の想定する国民であると解するべきではなかろうか。 それが近代国家が領土と国民団体を構成要素としていることとも調和すると思われる。 それを前提に、憲法10条に基づき法律で国民の要件を定めるのであるが、その立法は憲法上の国民を「確認」すると同時に国籍の抵触を避ける等の目的から「限定」するという意味をもつものと解される。 ゆえに、その「限定」に合理性がなければ違憲・無効となり、限定のない状態が回復されることになる。 なお、天皇・皇族をこの国民から除く理由は、それが世襲の身分に基礎を置くからである。 人権主体の個人は、身分から解放された存在でなければならない。 身分を受け入れるという選択をする限り、近代人権の論理として、人権主体としての国民にはなりえない。 ただし、身分の選択以前には個人としての資質を有するから、身分選択の自由は完全に認められなければならないであろう。
憲法10条の委任を受けて日本国民の要件を定めているのは国籍法である。
国籍の定め方には、生地主義と血統主義があるが、日本の国籍法は血統主義を採用した。 この選択により、生地主義からは国民となるべき者が国籍取得を限定されることになるが、国籍の抵触を避けるためにはいずれかを選択することに合理性は認められるから、これは立法裁量の範囲内である。 血統主義からは、両親が日本国籍をもつ場合に子どもが日本国籍を取得するのは当然であるが、問題は親の一方のみが日本国籍をもつ場合である。 この場合に、国籍法は、当初、子どもが自動的に日本国籍を取得するのは父親が日本国籍を有する場合のみであるとし(父系優先主義)、裁判所もこれを合憲としていた(東京高判昭和57年6月23日行集33巻6号1367頁)が、女子差別撤廃条約の批准を契機とした1984年の国籍法改正により両親のいずれか一方が日本国籍を有すればよいことになった(父母両系平等主義)。
国籍法はこのような原則の下に国籍取得を様々な形で限定しているが、その一つであった生後認知を受けた子に対する国籍取得の否定につき、最高裁は違憲の判断をしている(最大判平成20年6月4日民集62巻6号1367頁)。
当時の国籍法3条1項は、生後に父により認知されても国籍は取得できないが、父母の婚姻により準正嫡出子となった場合には、法務大臣に届け出ることにより国籍を取得できると定めていた。 この規定が非準正子に対する不合理な差別であるとされたが、では裁判所は、生後認知だけで国籍を取得するという判決を出しうるのか。 反対意見は、それは新たな立法となり裁判所の権限を越えると主張したが、多数意見は、父母の婚姻という要件が違憲無効となれば、残りの生後認知という要件だけで国籍が取得できることになると解した。 多数意見の解釈は、国籍取得の要件をどのように定めるかは原則的には立法裁量の問題であるという前提をとる以上、やや強引の感を免れないが、国籍法が憲法上の国民の範囲を限定しているという前提に立てば、限定した規定が違憲である以上、限定のない状態にもどるのは当然ということになる。 (イ) 女性と子ども
人権の論理からは、社会構成員(国民)としての個人は、すべて人権主体性を認められねばならないはずであるが、現実の歴史においては必ずしもそうではなかった。
近代において完全な主体性を認められたのは、国家に対置された家長のみであり、女性や子どもは家長の庇護の下に置かれるべきものとされ、市民としての地位のみならず人としての地位も完全には認められなかったのである。
現代においては、女性は人権主体性を完全に承認され、性に基づく差別は禁止されている(14条1項)。
もっとも、女性の現実の地位が真に平等となっているかは問題で、今後の重要な課題として意識されてきている(154頁参照)。
他方、子どもについては、その人権主体性は承認されるに至っているが、人権の行使に関しては、成熟した判断能力を常に有するとは限らないことに鑑み、本人の利益を保護するために必要な場合(パターナリズム)、あるいは、未熟な判断による行為が社会にとって好ましくない場合には、一定の制限が許されると解されている。
参政権については憲法自身が成年者に限定している(15条3項)が、法律による制限として婚姻の年齢制限(民731条)、職業選択の制限(たとえば公証人・弁護士・公認会計士・税理士・医師・薬剤師)などがあり、また、条例により制限を行っている例もある(たとえば青少年保護育成条例)。 校則による髪型や服装の規制、自動車やバイクの運転免許取得の規制などが青少年の人権規制として問題となることもあるが、そもそも人権なのかどうかにつき見解の対立がある(145頁以下参照)。 (2) 外国人(ア) 考え方
憲法第3章が国民を権利の主体とする表現をとっていることは、国民には当然主体性が認められることを意味するのみで、外国人に主体性を否定する趣旨まで含むものではない。
国民と外国人の区別は、国籍を有するかどうかの区別である。 人権が人の生来の権利であり、その意味で前国家的な権利である以上、その主体性が後国家的な国籍の有無に依存すると考えることはできない。 国籍は、人権をもつ者ともたない者を区別するためではなく、国家権力の及ぶ範囲を人的側面から捉えるために考案された制度である。 つまり、国家は国民を統治する権利を有し、かつ、保護する義務を負うのである。 しかし、国家権力の及ぶ範囲は、他方で、領域的にも画定される。 したがって、日本の領土上に存在する限り、外国人にも支配は及ぶのである。 そして、人権が問題となるのは、権力との関係においてなのであるから、外国人も権力の支配下に置かれる以上、人権の主体となりうるはずである。 たしかに、憲法上の権利としての人権の論理からは、国家がその人権を保護する義務を負う個人の範囲は、国家の構成員に限定されるという論理は、成り立ちえないわけではない。 しかし、かかる論理を承認する場合にも、次の点に留意が必要である。
まず第一に、その場合の「国家の構成員」とは、国籍の保有者と同じではない。
社会契約の論理を借りていえば、人権を護るために社会契約に参加した者がその構成員であり、その中には、その後の「法律」により国籍を有さないことになった「外国人」も含まれている可能性が、論理上はありうる。 日本で特に問題となるのは、日本に永住権を有する在日外国人(大半は出入国管理に関する特例法(平成3年5月10日法71号)により「特別永住者」とされている人達で、一般には在日韓国人・朝鮮人・中国人と呼ばれている)の存在である。 こうした人々は、日本に生活の本拠を有し、生活実態は日本人と異ならず、「国家の構成員」として扱われてよい資格を有しているといえるであろう。 したがって、少なくともこうした人々については、日本人と同様の人権主体性を承認し、そのうえで、国籍の違いが人権制約の違いをどの程度まで正当化しうるかを吟味するというアプローチをとるのがよいと思われる。
第二に、日本国憲法は国際協調主義を採用し(前文参照)、確立された国際法規の誠実な遵守を義務づけている(98条2項)が、国際人権規約等にみられるように国籍による差別の禁止が国際法上次第に確立されてきていることを考慮すると、いまや外国人にも人権の主体性を原則的に承認するのが憲法の要請であると解すべきと思われる。
以上を考慮すれば、外国人にも人権が保障されることを出発点において、国民との異なる扱いがいかなる理由により、どの限度で正当化されうるかを考えていくのが実際的だと思われる。
もっとも、そのように考えるのであれば、外国人の人権という問題は、体系上は人権享有主体性の問題としてではなく、外国人であることを理由とする差別の合理性の問題として平等権を論ずるところで扱うべきではないかという疑問も生じうる。 しかし、人権観念が国によっては自然権的な「人間の権利」から「国民の権利」へと転換されたという歴史を踏まえて、外国人の人権を総論の人権享有主体性の問題の一つとして扱ってきたという経緯があり、また、今日外国人にも人権保障が広範に認められるようになってきたとはいえ、たとえば入国の自由のように外国人に対して原理的に否定されたり、あるいは参政権のように否定され、もしくは広範に制限されたりする種類の人権もあることから、平等権における外国人差別の問題に解消することはできないとするのが一般である。 そこで、ここでも人権総論における人権享有主体性の問題と位置づけたうえで、しかし分析の中身は外国人差別の分析と近似するので、具体的な区別がどのように正当化されうるかという観点から見ておきたい。 理論上は人権享有主体性は有るか無いかの問題であるのに対し、平等権の問題は享有主体性が有ることを前提に外国人であることを理由にどこまでの制限が可能かという問題であり、両者はまったく異なるが、前者の問題を真正面から解決しようとするよりは、後者の問題としてアプローチした方が実際的ではないかという配慮である。 その際、考慮すべき主要な要素としては、まず第一に、問題となっている人権の性質の違いがある。 自由権・社会権・参政権などの性質の違いがどのように影響しうるかの検討が必要なのである。 第二に、外国人の種類も重要な要素である。 一口に外国人といっても多様であり、先述の在日外国人以外の外国人に関しても、永住権をもつ者から観光等で来日した短期滞在者まで様々である。 そういった違いの検討も必要となる。 (イ) 具体的事例
今日では、通説・判例ともに、権利の性質上日本国民のみを対象としている人権以外は、外国人にも保障されるという点で一致しており、その考えを最初に提示した判例が、マクリーン事件判決(最大判昭和53年10月4日民集32巻7号1223頁)であった。
それを前提にすれば、理論的な分析の手順としては、まず外国人に保障されない人権類型を明らかにし、次いで保障される人権に関して、外国人であることを理由にどのような制約が許されるかを検討するということになる。 しかし、外国人に保障されない人権を類型的に特定することは、学説も揺らいできている今日、容易ではないので、ここでは一応すべての人権が保障の対象になりうるという前提の下に、それぞれの人権につきどのような制約が可能かを検討するというアプローチをとりたい。 それは、考え方としては、先に述べたように、平等権の享有を前提に、外国人であることを理由とする差別の合理性を検討するのと同じに帰す。 なお、人権が保障されると考える以上、その制約には法律が必要なことは当然である。 a) 入国・在留・再入国の権利
外国人には入国の自由は保障されないというのが通説・判例(最大判昭和32年6月19日刑集11巻6号1663頁)である。
この原則は、国際法上も承認されている。 もっとも、外国人の人権が問題となりうるのは、入国した後のことであると考えれば、入国の自由を外国人の人権として議論すること自体、誤りだということにもなろう。 いずれにせよ、入国の権利は存在せず、そうである以上在留の権利も存在しないというのが判例の立場である(前出マクリーン事件判決)。 ただし、憲法上の保障がないからといって、政府が法律なしに規制しうるということではない。 政府の行為には常に法律の根拠が必要であり(123頁、345頁、358頁参照)、在留に関する法律上の権利は外国人も当然有する。 とはいうものの、法律が在留に関する権利を豊富に定めているというわけではない。 むしろ逆で、出入国管理及び難民認定法は在留資格を決めて入国を認める法制をとっており、資格に含まれる活動を行う権利は認められるが、資格外の活動は一般的に禁止されている。 憲法問題となるのは、資格外の活動が憲法上の人権の保護領域に含まれる場合で、法律によるその制限が許されるかどうかという形で論じられることになる。 マクリーン判決は、資格外の政治的活動も表現の自由により一定程度保障されるが、その保障された政治的活動を行ったことを在留の更新を許可するかどうかの決定に際して不利益に考慮することも許されるとした。 なお、永住者(これには日本人の配偶者等の一般の永住者と、平和条約に基づき日本国籍を離脱したいわゆる在日韓国人・朝鮮人・台湾人等の「特別永住者」が存在する)の在留資格は一定の活動とは関連づけられていないから、活動内容に在留資格からくる制限はない。 人権保障の問題が生ずるのは、多くは特別永住者に関してであり、これらの人々のほとんどは日本に「定住」しており、外見上日本人と変わらない生活を送っている。 そのために、彼(女)らが日本に定住するに至った歴史的経緯をも考慮して、これらの定住外国人については最大限日本人と同様の権利保障を行うべきであるという見解が有力である。 なお、定住外国人については、入国の自由という問題自体がそもそもありえず、ゆえに在留の権利も当然に有すると解さねばならない。
では、再入国の自由はどうか。
一般の外国人については、再入国の自由も法律上あるいは条約上の権利にすぎないということになろうが、定住外国人については、在留の権利を認めるべきである以上、再入国の自由も保障されると解さねばならず、ゆえに、この自由の制限は厳格な審査に服すべきである。 最高裁は、再入国申請不許可処分を争った森川キャサリーン事件で、外国人に入国の自由・在留の自由が保障されない以上「外国へ一時旅行する自由」(22条)も保障されないとした原審判決を是認した(最一判平成4年11月16日民集166号575頁)が、事案が日本人と結婚し日本に定住していた外国人に関するものであっただけに、問題を残した。 b) 自由権・受益権
一般にこれらの権利については、外国人であることを理由に制約が許されることは少ない。
ただし、経済的自由権(職業や財産取得)については若干の制限立法(公証12条、銀行47条、電波5条等)が存在するが、いずれも合理的な理由があり、問題とはされていない。
議論があるのは、政治活動の自由(表現・集会・結社の自由)である。
これは参政権的な意味をもち、参政権が後述のように外国人には保障されないと解する場合には、日本の政治に重大な影響を与えるような活動を制限することは許されるということになろう。 しかし、政治活動と参政権そのものとは同じではなく、参政権を行使する国民にとって外国人の発信する政治的表現も有益でありうるから、集会・結社につき純粋な表現を超える側面を規制することは別にして、表現の自由自体は最大限に保障すべきであろう。 マクリーン事件は、原告の政治活動(ベトナム反戦活動等)を在留期間更新の不許可処分に際してマイナスに考慮したのを争った行政処分取消訴訟であったが、最高裁は、政治活動の自由は承認しながら、そのマイナス評価を裁量の範囲内で合憲とした。 これを、「権利の行使」を不利益に評価してもよいとした判決と読むのは問題で、政治活動の自由という権利も制限されうるとした判決と読むべきであろうが、その場合には、どのような政治活動が制限されうるか(不利益に評価されうるか)がより明確に判示されるべきであろう。 安易に裁量論に委ねるべきではない。 c) 社会権
社会権は、従来、自己の帰属する国家により保障されるべきものであるという観念が一般的で、外国人には認められなかった。
しかし、最近では、社会権は、その国で共同生活を営み、税金等により社会的な負担も果たしているすべての個人に、国籍に関係なく保障されるべき権利であるとする考えが有力となっている。 もっとも、前説でも、法律により外国人に社会権を認めることが否定されるわけではなく、実際には、日本が外国人差別を原則的に禁止した国際人権規約(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約2条2項参照)等を批准したのに伴い、それまで社会保障関係法令に存在した国籍要件は原則として撤廃されたので、今日では特にこの問題を論ずる実益はなくなっている。 d) 参政権
外国人の人権に関し最も大きな議論を呼んでいるのは、参政権の問題である。
従来、参政権は、その性質上、外国人には認められないと考えられてきた。 参政権が主権の行使の意味をもつことを考えると、国民主権の下においては、参政権は国民にしか認められず、外国人に認めるのは憲法違反であるという見解も存在する。 しかし、国民主権にいう「国民」は、前述のように、国籍をもつ国民とは異なるレベルの「国家構成員」(国家以前の社会構成員)である。 仮に定住外国人がこの意味での国家構成員であるとすれば、主権者として当然に参政権をもつということになるはずであり、その参政権が国籍を有しないということを理由に奪われてもよいのかという問題となるであろう。
また、仮に国民主権にいう国民が国籍保有者を指すとしても、外国人に参政権を認めることが国民主権の原理に反するとまでいえるのかは疑問である。
たしかに、外国人は憲法上の権利として参政権をもつものではないとはいえるであろうが、主権者国民が外国人に参政権を与える決定を法律により行うことを憲法が全面的に禁止しているとまではいえないであろう。 現実に、北欧諸国をはじめとして、少なくとも地方政治については外国人にも参政権を認めている国が存在することを考えれば、外国人に参政権を与えるかどうかは立法政策の問題と考えるべきであろう。 最高裁も、地方参政権については、このような見解を表明している(最三判平成7年2月28日民集49巻2号639頁)。 e) 公務就任権
公務にも様々な種類がある。
たとえば国会議員、国務大臣、自治体の長や議員の職務も公務である。 そのためもあって、従来、公務就任権を参政権とパラレルに理解し、外国人には参政権(被選挙権)が認められないのと同様に公務就任権も認められないとする見解が支配的であった。 しかし、政治的な政策決定に携わる公務員と執行を本務とする公務員(国家公務員法2条2項にいう一般職の公務員が中心)は、職務の性質をまったく異にするから、両者を同じに扱うべきではない。 一般職に関しては、公務就任権は憲法上の権利の問題としては参政権ではなく職業選択の自由(22条1項)の問題と捉え、それを外国人に制限するのは平等権・職業選択の自由の侵害にならないかどうかを考えていくべきだと思われる。
参政権については、国民主権の原理により外国人にそれを認めることは憲法上禁止されているという議論も成り立ちえないわけではない。
少なくとも、主権原理が国家の自律的統治を困難とするような事態の作出を禁止していることは疑いないのであり、たとえば憲法改正の国民投票権を外国人に認めることは、原則的には違憲である。 しかし、一般職の公務に関しては、外国人が就任すると自律的統治が困難となるという事態は、ほとんど想定できない。 一般職の公務にも広範な裁量権を含むものから、定められたルール・基準に従って事務を処理するだけでほとんど裁量の余地のないものまで色々であるが、裁量権の広範な公務であっても、主任の大臣等の上位の任免権者・監督権者のコントロールの下にあり、上位者が特定外国人の能力を認めて任務に就け、自己の監督の下にその任務を遂行させる限り問題は生じえないと思われる。 ゆえに、憲法が外国人に公務就任を禁止しているということはない。 従来、政府の公定解釈(昭和28年3月25日法制局一発第29号)は「公権力の行使または国家意思の形成への参画にたずさわる公務員」は日本国民に限るとしていた(「当然の法理」と呼ばれることがある)が、外国人に公務就任権を認めることは憲法に反するという趣旨ではないであろう。 実際、その後1982年の立法で外国人の国立大学教員への任用を許容した例がある(公立の大学における外国人教員の任用等に関する特別措置法参照)。
問題は、憲法は外国人に公務就任権(憲法上の権利としては、職業選択の自由と平等権)を認めているかどうかである。
先に基本的な考え方として述べたように、外国人の人権主体性という問題に関しては、人権主体性があるかどうかという議論を抽象的にするよりは、人権主体性を前提にして、具体的事例において外国人であることを理由にその享有を制限することに合理性があるかどうかを考える方が生産的である。 かかる観点から問題を考察するとき、次の二つの設問が区別される。 一つは、外国人に公務就任を否定することに合理性があるかであり、他の一つは、外国人であることを理由に昇格を否定することに合理性があるかである。 前者の問題につき、仮に上述の政府見解にある「公権力の行使または国家意思の形成への参画にたずさわる公務員」という定式を外国人への制限が合理性をもつ場合と理解するとすれば、範囲が広範かつ漠然にすぎ支持しがたい。 職務の内容・性質に応じた具体的・類型的な基準設定が望まれる。 なお、外国人に公務員試験の受験資格を一般的に否定するのは、公務就任を一般的に否定することを意味するから、当然許されない。
後者の昇格差別の問題は、公務就任が原則的に許されることを前提にして生ずる問題である。
外国人公務員に対する昇格差別は、公務が階層性の上部に位置し裁量権限が大きくなればなるほど、合理性の認められることが多くなろう。 政府見解にいう「公権力の行使または国家意思の形成への参画」という定式が捉えているのも、このような公務と理解すべきであると思われる。 管理職とされているポストには、そのような性格のものが多いが、では管理職に就く資格要件として管理職試験に合格することを要求し、外国人にはその受験資格を認めない制度をつくることは許されるか。 管理職とされたポストのすべてが外国人に否定してもよい性格のものならば問題はない。 しかし、そのポストのいくつかは、外国人に拒否することの合理性が認められないような性格のものであるという場合はどうか。 東京都がそのような制度を設置・運用していたのを在日外国人が争った事件で、最高裁判所は、これを違憲とした原審判決を覆して合憲の判断を下している(最大判平成17年1月26日民集59巻1号128頁)。 「公権力行使等地方公務員の職(外国人に否定するのに合理性がある職 - 筆者)とこれに昇任するのに必要な職務経験を積むために経るべき職(それ自体としては外国人に否定するのが必ずしも合理性があるとはいえない職 - 筆者)とを包含する一体的な管理職の任用制度を構築して人事の適正な運用を図ること」も、裁量の範囲内であり、「この理は、前記の特別永住者についても異なるものではない」というのである。 しかし、在日外国人に関しては、可能な限り日本人と同様に扱うべきであり、そのような制度設計がどうしても困難だとする事情があったかどうかを独自に審査すべきではなかったであろうか。 f) 人格権
「新しい権利」として承認されるべき人格権・自己情報コントロール権・自己決定権は、今日では個人の自律を支える核心的権利となってきており、特に外国人に対して制限する合理性は一般的にはない。
この権利に関して争われた問題に、指紋押捺の強制がある。 かつて外国人登録法は、外国人に対し外国人登録原票等への指紋押捺を義務づけていた。 押捺を拒否し登録法違反で起訴された事件において、最高裁は「個人の私生活上の自由の一つとして、何人もみだりに指紋の押なつを強制されない自由を有」し、「右の自由の保障は我が国に在留する外国人にも等しく及ぶ」と述べた(最三判平成7年12月15日刑集49巻10号842頁)。 しかし、結論的には、指紋は「外国人の人物特定につき最も確実な制度として制定されたもので、その立法目的には十分な合理性があり、かつ、必要性も肯定できる」し、その「方法としても、一般的に許容される限度を超えない相当なものであ」るとして合憲の判断を下した。 手段審査に後述のLRA基準(131頁参照)を採用しなかったが、LRA基準を適用した場合、人物特定の手段として他のより権利制限の少ない方法がないといえるのかどうか、疑問なしとしない。 なお、外国人登録法の指紋押捺制度は、1987年以降数度の改正を経て今日では全面的に廃止され、署名と写真を中心に人物特定をする制度に改正された。 なお、外登法は2009年に廃止され、入管法および住基法の改正により2012年以降外国人の在留管理に新たな制度が導入されたが、人物特定を署名と写真を中心に行う点は基本的に維持されている。 (3) 法人・団体(ア) 基本的考え方
人権は、本来自然人の権利であり、法人が当然に人権を享有すると考えることはできない。
ここでいう法人とは複数の自然人を統一・組織した団体を指し、法人格をもつかもたないかは問わないが、現代社会においてかかる団体が国家と個人の間に介在し大きな役割を果たしていることは否定できない。 ここから、たとえば株式会社に財産権の主張を認め、新聞社や放送局に表現の自由の主張を認めることが必要ではないか、また、それを認めることが公益に資するのではないかなどといわれたりする。 しかし、たとえ団体が社会的実在として無視しえない機能を果たしているとしても、そのことから直ちに自然人と同様に人権を享有すべきだということにはならないし、公益のために人権を認めるという議論は、人権の根拠づけとしては受け入れがたい。 人権が個人の尊厳という基本価値に由来することからいえば、団体が人権を享有しうるのは、それが個人の尊重につながる場合に限られる。 ところが、団体は常に個人の側に立つわけではない。 国家と個人の中間に介在する団体は、国家と対峙して個人を保護することもあれば、逆に、個人と対峙して個人を抑圧することもある。 人権論の構図からいえば、団体が人権を主張しうるのは国家と対峙する場合であり、団体がその構成員と対峙する場合には人権を主張する立場にはない。 団体が外部の個人と対立する場合には、団体も(構成員の人権の代位主張として)人権を主張する適格をもちうるが、これは後に見る人権の私人間適用の問題である(101頁参照)。
要するに、団体には固有の人権主体性はなく、構成員の人権を代表して主張することができるにすぎないと考えるべきである。
したがって、団体が外部に向かって主張する場合には、構成員の人権を援用しうるが、構成員(の一部)と対立するときには、そこで団体が構成員に対して主張しうるのは団体の紀律権であり、それが内部の少数派の人権と対立する構図となるのである。 (イ) 判例
上述の観点から判例を整理すると、①団体が外部との関係で人権を援用する場合と、②団体が自己の構成員との関係で人権を援用する場合を区別しうる。
①は、さらに、国家と対抗する場合と私人と対抗する場合が区別される。
たとえば、博多駅事件(最大判昭和44年11月26日刑集23巻11号1490頁)で放送局が報道の自由を援用したのが前者の例であり、サンケイ新聞事件(最二判昭和62年4月24日民集41巻3号490頁)で共産党が反論権、サンケイ新聞社が表現の自由を援用したのが後者の例である。 これらの場合は、それぞれの団体の構成員がもつ人権を団体が代位主張したと理解すればよく、団体にこの代位主張のスタンディングを認めるのに、憲法訴訟論上特に問題はないはずである。
これに対し、②の事例では、団体は構成員に対し紀律権(団体の権力)を行使しているのであり、構成員が人権を主張しうるのは(後述の私人間適用の問題を別にすれば)当然であるが、団体は人権を援用しうる立場にはない。
団体が主張する紀律権の根拠は結社の自由であり、ゆえに構成員に対し結社の自由を主張しうるのだという説明もあるが、結社の自由は国家に対する権利であり、構成員に対する紀律権の根拠となるものではない。 にもかかわらず、従来、団体と構成員の対立に際して団体が人権を援用することに疑問を提起する見解は少なかった。 人権論の構造理解として重要な点なので、関連判例を検討しておこう。 a) 八幡製鉄政治献金事件
八幡製鉄(新日本製鉄の前身)が自由民主党に政治献金を行ったのに対し、一株主が代表取締役の責任を追及して起こした株主代表訴訟である。
原告は、本件の政治献金が、①定款の定める目的の範囲を超えること、②株主や国民の参政権等を侵害すること、③取締役の忠実義務に違反することを主張したが、最高裁はいずれの主張も退けて棄却した(最大判昭和45年6月24日民集24巻6号625頁)。 その行論の中で、最高裁が「憲法第3章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべきである・・・・・・」と述べたために、本件は法人の人権主体性を認めた先例と一般に理解されてきた。 しかし、本件の対立は株主(会社構成員)と会社の間で起こっていると見ることができ、そうだとすれば、会社(代表取締役)がその権限行使(本件では政治献金という行為であり紀律権の行使とは異なるが)を株主との関係で人権(政治活動の自由)行使として構成しうるわけではない。 政治活動の自由を主張するなら国家との関係においてであるが、しかし、本件の政治献金は、当時の政治資金規正法の許容する範囲内のものであったから、仮に政治献金が表現の自由の保護を受けるものであるとしても、政治資金規正法による制限が合憲かどうかは争点にはなっておらず(献金が《合法》である以上、法律の違憲を主張する必要はない)、ゆえに会社が人権の主体かどうかも争点とはなっていなかった。 してみれば、最高裁の上記論述は争点への応答ではないから、傍論にすぎない。 ただし、最高裁も国家権力の一部と見て、最高裁が代表取締役の責任を認めることは、国家権力が会社の政治活動を制限することになるのだと理解するなら、その限度で、国家との関係における会社の人権主体性を認めた先例という読み方も可能であるかもしれない。 b) 南九州税理士会政治献金事件
被告の南九州税理士会は税理士法に基づき設立された強制加入の団体であり、原告はその会員税理士である。
原告は、被告が税理士に有利な税理士法改正を実現するための政治献金に充てるためと称して決定した特別会費の徴収に反対し、その納入を行わなかったために、被告の役員選挙に際し選挙権・被選挙権の行使を認められなかった。 そこで、原告は、本件の特別会費徴収決議は会の目的の範囲外で無効であり、原告の思想・信条の自由を侵害する等と主張し、特別会費納入義務の不存在確認と慰謝料を請求して出訴した。 最高裁は、強制加入団体である被告による政治献金は通常の会社によるそれ(前出八幡製鉄政治献金事件判決参照)とは同一に論ずることはできず、税理士会の目的の範囲も会員の思想・信条の自由との関連で限界があり、政治団体への寄付は目的の範囲外であると判示した(最三判平成8年3月19日民集50巻3号615頁)。 この判決では、税理士会が会員との関係で政治活動の自由を享有するかは争点となっていない。 争点は、会の決定が会員の人権を侵害しないかどうかなのである。 たしかに、税理士会は、国家(裁判所)が原告の主張を認める判決を下すことは、被告税理士会の政治活動の自由を制約する意味をもつ、と主張することはできよう。 問題がそのように提起されたならば、そのとき初めて、税理士会が政治活動の自由を享有するのかどうかが、少なくとも理論上は争点となり、裁判所の判断を(黙示的にであれ)得ることになろう。 しかし、それはあくまでも国家との関係における問題であり、会員との関係ではない。 c) 群馬司法書士会事件
強制加入団体である群馬司法書士会は、阪神・淡路大震災により被災した兵庫県司法書士会に3千万円の復興支援拠出金を寄附することにし、その資金に充てるために一般会計からの繰入金のほかに会員から登記申請事件一件あたり50円の復興支援特別負担金を徴収する旨の総会決議を行った。
これに対して、ある会員が本件総会決議は会の目的の範囲外の行為で無効であり、また、強制加入団体である司法書士会が本件負担金への協力義務を会員に課すことは会員の思想・良心の自由を侵害するから公序良俗に反して無効であると主張し、支払義務不存在の確認を求めた(最一判平成14年4月25日判時1785号31頁)。 ここでも議論の構図は南九州税理士会政治献金事件と同じであり、司法書士会が会員との関係で援用しうる何らかの人権を享有するかどうかは争点となっていない。 中心的争点は、本件総会決議を会員に対し強制しうるかどうかであり、強制しうるとすればその根拠は団体の存立に法的根拠を提供している民法34条および司法書士法に求められる。 要するに、団体が会員に対して行使する紀律権(強制権)は法律に根拠をもつものなのである。 本件では、南九州税理士会政治献金事件判決とは異なり、目的の範囲の画定に思想・良心の自由を考慮するという手法は採用せず、目的の範囲を広くとって決議は目的の範囲内で合法としたうえで、それを会員に強制することが公序良俗に反しないかを検討するという構成をとっているが、その違いは私人間効力論との関連で問題となりうるとしても、法人・団体の人権享有主体性の問題に異同を及ぼすものではない。 |
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<目次>
1 人権規定の法的性格(1) 議論の由来
1789年のフランス人権宣言は、社会のあり方の基礎を定める憲法がどのような原理に基づかねばならないかを宣言したものであった。
したがって、それは自然法的な性格をもつ文書であり、実定法的な効力をもつものではなかった。 そこで宣言された諸原理は1791年憲法に取り込まれることにより初めて実定法上の効力をもつに至ったのである。 しかし、その後のフランス諸憲法は、すべてが人権規定をもったわけではない。 特に、第三共和政憲法は人権規定をまったくもたなかったし、第四共和政憲法および現行の第五共和政憲法は、前文で1789年人権宣言を厳粛に確認すると述べただけで、本文には人権規定を置かなかった。 このために、人権宣言あるいは憲法前文が法的効力をもつのかどうかが、長い間学説上対立してきた。 また、ドイツでも、ビスマルク憲法は基本権規定をもたず、詳細な基本権規定を置いたワイマール憲法に関しては、その基本権規定の多くにつき、それらは法的性格をもつものではなく政治の指針・目標を掲げたプログラムにすぎないとする「プログラム規定説」が学説上は有力であった。 (2) 日本における議論
フランスやドイツにおける上述のような議論の影響を受けて、日本でも人権規定は法的性格をもつのかという問題が提起されることがある。
しかし、法的性格あるいは法的効力をどのような意味あるいは次元で用いているかが必ずしも明確にされておらず、議論に混乱がみられる。 少なくとも、次の三つの次元を明確に区別して論ずべきであろう。
第一は、フランスの学説にみられた、人権というのは宣言的意味のものであり、自然法的あるいは倫理的効力はもつにしても、法的効力はもたないという議論である。
日本国憲法の人権規定についても、11条や12条は訓示規定にすぎず法的効力をもつものではないと説明されることがあるが、これらの規定も実定憲法の中に存在する以上法的効力をもつと考えるべきであり、この種の議論は日本国憲法の解釈には当てはまらない。
第二は、人権規定は抽象的性格が強く具体的意味内容を欠くから、法的性格をもちえないという議論である。
たしかに、人権規定には、他の法律と比べると抽象的な規定が多い。 しかし、規定の抽象性は必ずしも法的性格の欠如をもたらすわけではない。 ある規定があらゆる行為を許容するほどに抽象的である場合には、その規定により許される行為と許されない行為を区別しえないから、法的効力をもつとはいえないであろう。 しかし、日本国憲法の人権規定には、それほどまでに抽象的な規定は存在しない。 抽象度が高く、許容される行為の範囲が広いという規定は存在するが、それは広い裁量を許容しているということにすぎず、裁量の限界は存在するのであり、その限度で法的意味をもつ。
第三は、裁判所が人権規定を判決の基礎に援用しうるかどうかというレベルで、法的効力の有無を議論するものである。
この用法においては、裁判所に違憲立法審査権がなければ、法律との関係では人権規定には法的効力はないことになるが、もし行政行為の違憲審査はなしうるということであれば、その限りで法的効力をもつということになる。 しかし、違憲審査権がある場合でも、特定の人権規定については裁判所の判断の基礎にすることができないといわれることがある。 プログラム規定と呼ばれるのがそれで、日本では、憲法25条の生存権規定や9条の戦争放棄の規定につき、かかる見解を唱える説が存在する。 しかし、最近の通説的見解は、プログラム規定の存在を否定している。 実定憲法の中に規定された以上、何らかの法的効力をもつと考えるべきであり、いかなる法的効力をもつかを確定することこそ、解釈学の役割なのである。
以上要するに、日本国憲法の人権規定は、どの意味においても法的効力を有すると解してよい。
しかし、法的効力を有するということは、それがあらゆる社会関係で妥当するということを意味するわけではない。 人権が適用されるべき社会関係を同定することが、次の課題である。 2 私人間における人権の効力(1) 問題の意味
実定憲法上の人権規定は、もともとは国家(公権力)を名宛人としており、国家と国民の関係にのみ適用されると考えられたが、今日では、現代国家において人権の保障を実質化するには、私人間の関係にも適用すべき場合があると主張されるようになってきた。
その変遷の意味を最初に見ておこう。 (ア) 当初の理解
人権とは、人が人としてもつ権利であった。
権利であるということは、その尊重を要求しうるということであるが、問題は誰に対して要求しうるのかである。 この点を、まず社会契約論の論理に立ち返って考えてみよう。
社会契約論の想定によれば、人は自然状態において、誰に対しても主張しうる自然権をもっていた。
しかし、自然状態においては、各人が自己の権利についての裁判官であり、共通の第三者的裁判官が存在しないから、権利について争いが生じたときには最終的には強者の主張が勝つことになり、必ずしも各人の自然権が護られる保証はない。 そこで、よりよく自然権を保障するために、社会契約を結んで社会を形成し政治権力(共通の裁判官)を創設する。 憲法の制定は、かかる公権力を創設・組織し、必要な権限を授けかつ制限する行為であった。 そうだとすれば、憲法の名宛人は、第一義的には、公権力だということになる。 ゆえに、憲法の中に規定された人権の名宛人も公権力ということになる。 つまり、公権力に対し憲法(人権)を遵守することが命じられているのである。 もちろん、公権力の目的・存在理由は、各人が留保した自然権の擁護・保障である。 ゆえに、公権力(国家)は、個人間の自然権衝突を調整する責務を負い(これを国家の自然権保護義務と呼んでもよい)、そのために法律を制定し、執行し、裁判を行う。 法律の役割は、すべての個人が平等に人権を享有しうるように、各人の人権を必要な限度で制限することである。 フランス人権宣言が述べたように、「自由とは、他人を害さないあらゆることを行いうるということに存する。したがって、各人の自然権の行使は、同じ権利の享有を他の社会構成員に確保する以外の限界をもたない。その限界は、法律によってのみ決定されうる」(4条)、「法律は、社会にとって有害な行為しか禁止する権利をもたない。法律の禁止していないことは、一切阻止することは許されず、また、誰も法律の命じていないことを為すよう強制されることはない」(5条)。 ゆえに、各人は、法律に従っている限り、他人の人権を侵害することはない。 憲法が制定されて以降は(つまり、実定法秩序の内部においては)、個人間の関係(私法関係)を規律するのは法律であり、憲法(人権規定)がここに直接適用されることはないということになる。 人権は公権力を制限するものであり、公権力と個人の関係に適用されるものとなるのである。
もっとも、実定法を超える自然法領域においては、自然権は個人間に効力をもつのであり、近代初期において自然法と実定法がいまだ峻別されていなかった時期には、憲法上の人権が私法関係にも適用されるという観念が存在したが、19世紀後半以降、法実証主義的な思想が支配的となり自然権思想が通用力を失っていくと、私法関係を規律するのは法律であるという思考が支配的となる。
この傾向は、もともと自然権思想が弱く、法実証主義的方法論が風靡したドイツにおいて、一層強く現れた。 (イ) その後の変化
ところが、19世紀末以降、社会の中に大企業や労働組合などの巨大な資本・集団が生み出され、個人に対し社会的権力をふるうようになり、これらの強者による弱者の人権侵害が問題とされるようになってきた。
たとえば、会社や労働組合が社員・組合員の思想を理由に差別的扱いをしたとすれば、思想の自由あるいは平等権の侵害ではないのか、といった問題である。 ところが、社会的権力も法的には私人であり、これらの強者と弱者の関係は私人間の関係ということで憲法の人権規定は適用されないとされた。 本来の論理からいえば、議会が弱者の人権を保護する法律を制定して問題を解決すべきだということになる。 そして、たしかに多くの領域で弱者保護のための法律が制定されたし、場合によっては、たとえば労働基本権の保障のように、私人間に直接適用することを予定したとも解されうる人権規定を憲法の中に書き込むことも行われた。 しかし、社会が必要とするこうした人権保護立法に議会が取り組むことは、どうしても遅れがちとなるし、また取り組んでも議会に反映されている力関係のために弱者にとって不十分なものとなりがちで、人権侵害が生じているのに私人間に適用できる人権規定も存在しないし、これを救済するための法律も制定されていない、あるいは不十分だという状況が生じうる。 このような場合に、裁判所が人権を救済することが可能となる憲法理論を解釈論として構成できないものであろうか。 こうした問題意識から出てきたのが、人権の私人間適用あるいは人権の第三者効力と呼ばれる解釈理論である。 なお、かかる問題意識が生じえた前提として、違憲審査制を導入した現代憲法においては、憲法が裁判規範としての性格を確立していたことも見逃してはならない。 (2) 学説・判例
上述のような展開の結果、私人間に人権規定は適用されないという当初の理解(無適用説)は最近ではほとんど支持を失い、何らかの形で私人間にも人権保障を及ぼしていこうという学説が支配的となっているが、その理論構成において直接適用説と間接適用説が対立している。
これらの議論は、基本的にはドイツの議論に触発されたものであるが、間接適用説に立ちながら部分的にアメリカのステイト・アクションの理論を参照すべきことを主張する学説もある。 最高裁の判例がどの立場を採用しているかについては、微妙な点もあるが、一般には間接適用説を採用したと理解されている。 以上を順次説明した後、当初の理解であった無適用説を再評価してみたい。 (ア) 直接適用説
この説は、人権規定を私人間にも直接適用できる規定であると解する。
もともと人権は社会の基礎に置かれるべき権利であり、社会のあらゆる関係において尊重されるべき権利と考えられていた。 それが、法実証主義の思想によりその適用範囲を国家と個人の関係に限定されてしまったが、法実証主義の問題点が明らかになった今日、原点に戻って考えるべきである、と主張する。 もっとも、直接適用説といっても、実際には、あらゆる人権規定をあらゆる私人間関係に適用すべしと主張する説はなく、規定の種類からは人権の原則規定や制度保障規定に限定し、私人間関係の種類に関しては「事実上の権力」(私的権力)が一方当事者である場合などに限定するのが普通である。
この説に対しては、人権の適用範囲を私人間にまで拡大しその保障を強化するもののように見えながら、その実、人権にとっての最大の脅威は現代においても依然として国家権力であり、人権がまず制限すべきは国家権力でなければならないという立憲主義の基本思想を見失わせる危険をもつとの批判がなされた。
そこで、人権規定が直接適用されるのは国家権力に対してであるという立憲主義の論理を維持しつつ、私人間における人権侵害の救済をはかろうとして提案されたのが間接適用説といわれるものである。 (イ) 間接適用説
この説においても、人権の歴史、性質あるいは規定の文言から私人間に直接適用されるものがあることは否定しない。
たとえば、日本国憲法15条4項(投票の秘密)、18条(奴隷的拘束・苦役からの自由)、28条(労働基本権)などが、それにあたる。 しかし、それ以外の人権については、私人間でその保障をはかるのは法律の役割であるという論理をあくまでも維持する。 そのうえで、問題の私人間関係に適用しうる適当な法律条文を見つけて、その条文の中に可能な限り人権保障の趣旨を読み込むことにより間接的に人権規定を私人間に及ぼしていくという方法がとられるのである。
その場合に最もよく使われる条文が、民法中の一般規定である90条と709条である。
民法90条は「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする」と規定している。 そこで、契約などの法律行為により人権を制限している場合には、その契約を公序良俗違反で無効とすることにより人権の保護をはかるのである。 もちろん、私人間の関係は基本的には私的自治が支配する領域であるから、平等な力関係にある当事者が真摯に結んだ契約なら、たとえ人権の制限がなされていようとも、有効として差し支えない。 問題なのは、強者と弱者の間で、強者が弱者の人権を制約している場合である。 このような場合には、公序良俗に反するとすべきことが多いであろう。 公序良俗違反かどうかを判断するのにもう一つ重要な要素は、そこで制限されている人権の性格である。 内心の自由を制限しているような場合は、公序良俗違反とすべき場合が多くなろう。 いずれにせよ、重要なのは、このような法技術を用いることにより、立憲主義の論理を維持しながら私的自治と人権保障の調和が実現できることである。
民法709条についても同様である。
709条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と規定している。 そこで、事実行為により人権の侵害が行われた場合には、この規定を用いて、この中に人権保障の趣旨を読み込み救済を与えるのである。
この間接適用説は、人権の名宛人は国家であるという基本原則を維持しつつ私人間における人権侵害を救済しうる理論構成として学説上広範な支持を得て通説となった。
しかし、国家を名宛人とする憲法上の人権をなぜ私人間を規律する法律規定に読み込むことができるのか。 この点についての明瞭な説明は、間接適用説からはなされていない。 一般規定の中に読み込むとは、憲法上の人権をたとえ間接的であれ私人に対して主張することを意味するはずである。 そうだとすれば、国家と私人という「タテの関係」で効力をもつ憲法上の人権規定をどのようにして私人と私人の関係という「ヨコの関係」に効力をもつものに転換するのかの説明が必要なのである。 タテの関係のままでヨコの関係に読み込むなどということは、できないのではないか。 読み込む前にタテからヨコへと転換する操作が必要ではないのか、という疑問である。 このことは、日本が学んだとされるドイツの間接適用説と比較するとよりよく理解できる。 ドイツでは、基本権を民法の一般規定に「充填」する前に、ヨコの関係にも及ぼすための解釈論上の操作を行っているのである。 基本権の少なくとも基本的価値を表現する規定(ドイツ基本法1条の人間の尊厳規定や2条の人格の自由な発展の保障規定など)は、客観的価値秩序を定めた客観法的規定として全方位的に、つまり国家のみならず私人に対しても効力を及ぼしており、それが民法の一般規定に充填されると説明しているのである。 日本の間接適用説には、この操作が欠けており、理論的に不十分な説明となっているのである。 (ウ) 一般規定の合憲解釈・適用説
間接適用説の問題点は、「タテの関係」を「ヨコの関係」に転換する操作を欠いている点だと述べたが、そのような転換は不要であると主張するのがこの説である。
間接適用説は、憲法上の人権を民法の一般規定に読み込むという構成をとってきたが、それは正しくは「ヨコの関係」に読み込むということではなくて、あくまでも「タテの関係」に着目しており、裁判所が私人との関係で民法の一般規定を憲法に従って解釈し適用するにすぎないのだというのが、この説の眼目である。 つまり、私人間適用といわれるものの実態は、国家としての裁判所が私人Aとの関係、および、私人Bとの関係で、AおよびBの人権を侵害しないように法律を合憲的に解釈・適用するということにすぎないというのである。 たしかに、裁判所は法律を適用するにあたり、解釈として許される範囲内で合憲解釈を行い、かつ、それを具体的事案に合憲的に適用しなければならない。 ゆえに、裁判所が一般規定を合憲解釈・適用すること自体には何の問題もない。 おそらく従来の間接適用説もそのことは当然の前提としてきたものと思われる。 そこで、問題は、憲法上の人権の私人間効力とは、私人間に適用される法律を合憲解釈・適用するということに尽きるのかどうかである。 もしそれに尽きるならば、そもそも私人間効力という問題設定自体が誤っており、仮象問題にすぎなかったということになる。 しかし、AB間の争いは、裁判所がAとの関係で法律を合憲的に解釈適用し、Bとの関係でも合憲的に解釈適用することにより常に裁定できるのかどうか疑問である。 Aとの関係で合憲であり、Bとの関係でも合憲である解釈が常に一つに収斂するとは限らないからである。 合憲解釈の結果答えが一つに収斂しない限り、AB間の争いの裁定はAおよびBの相互に対立する利益の衡量により決める以外にないが、その利益衡量に人権を考慮しうるかどうかが私人間効力論の要点なのである。 合憲解釈・適用説では、この肝心な点の説明が欠けることになる。
さらに、現実の訴訟の場面を想定して考えると、この説には次のような問題も存在する。
たとえばAがBにより「人権」を侵害されたとして、裁判所に救済を求める場面を想定しよう。 Aは私人Bに対して憲法上の人権侵害を主張することはできない。 にもかかわらず、AはBを被告に裁判所に出訴して、適用法律を合憲的に解釈適用してAに救済を与えなければ、裁判所はAの人権を侵害することになると主張しうるであろうか。 裁判所が救済の義務を負うのは、Aが法的に保護された利益の侵害を論証したときである。 ところが、AはBによる人権侵害を主張しえないのであるから、その論証ができていない。 そうだとすれば、裁判所としてはAの請求を退けるのが当然であり、退ければ裁判所が救済義務を果たさずAの人権を侵害することになるという主張は成り立たないはずである。 (エ) 国家の基本権保護義務論による説明
ドイツでは国家には基本権を保護する法的義務があるという考えが憲法裁判所により認められており、この考えを使って第三者効力論を説明する見解が存在し、日本でもそれに学んだ理論構成が唱えられている。
ここでも裁判所と私人A、および、裁判所と私人Bという「タテの関係」に議論の焦点が当てられる。 AB間の利益対立を裁定するに際して、基本権保護義務を負う裁判所は、Aとの関連で過小保護とならないように配慮し、Bとの関連では過剰介入にならないように配慮しなければならず、両者の均衡点を探ることになる。 この限りでは、合憲解釈・適用説と基本的発想において異なるところはない。 違いは、AがBに対して主張する法的利益の根拠を提示する点である。 それが基本権の客観法的機能としての「基本権的法益」である。 憲法上の基本権規定は、国家に対して主張しうる主観的権利(基本権)として機能すると同時に、全方位的に効力をもつ客観法的機能をも有し、それが法的保護を受けるべき「基本権的法益」を根拠づけるのである。 もしこの基本権的法益が民法の一般条項に充填されると構成すれば、それはまさにドイツ憲法裁判所の判例理論と同じとなろう。 それに対して、一般条項に充填されるまでもなく独自に法的利益の根拠となると解するなら、直接適用説との違いは曖昧化しよう。 いずれにせよ、この説においては、憲法観が変更されていることに注意が必要である。 憲法上の基本権は国家のみを名宛人とするのではなく、たとえ客観法的にであっても、私人をも名宛人としているのである。 憲法およびそこに規定された人権は国家のみを名宛人とするという憲法観を維持したうえで私人間効力の問題を解決しようという立場からは離れているのである。 (オ) ステイト・アクション(state action)の理論
間接適用説がドイツで発展させられた理論を参考にしたものであるのに対し、ステイト・アクション論というのは、アメリカ合衆国最高裁の判例で展開された理論である。
合衆国憲法の人権規定は直接には連邦政府の行為を規律するものであり、もともとは州政府の行為には適用されなかったが、現在では修正14条を通じて「州の行為」(state action)にも適用されることになっている。
したがって、州がたとえば人種差別法律を制定すれば、その法律は修正14条の平等原則が適用されて違憲無効とされる。 しかし、州内の私人が人種差別行為を行っても、これは州の行為ではないので、修正14条を適用することはできない。 ところが、合衆国最高裁は、その私人が州から援助を受けているなどの事情があり、州と特別の関係にある場合には、私人の行為を州の行為とみなして人権規定を適用するという理論を発展させた。
これを参考にして、日本でも私人が国と特別の関係にあるような場合には、その私人の行為を国の行為とみなして人権規定を直接に適用すべきではないかという提案がなされている。
国が、自らは行うことが憲法上禁止されていることを私人を使って行わせるような場合、この理論を使うと国の脱法行為を阻止しやすくなる可能性はある。 たとえば、殉職自衛官合祀事件(最大判昭和63年6月1日民集42巻5号277頁)においては、私人である隊友会が殉職自衛官の護国神社への合祀を申請した形になっているが、実際には自衛隊職員が行ったといってよい状況にあり、申請行為は国の行為として政教分離原則に反すると考えるべきではないかと指摘されている。 (カ) 判例
通説の理解では、最高裁は三菱樹脂事件判決(最大判昭和48年12月12日民集27巻11号1536頁)において間接適用説を採用した。
この事件では、三菱樹脂株式会社に入社した原告が、面接試験に際して学生運動への参加の事実を秘匿する等虚偽の経歴を申告していたという理由で、3か月後に本採用を拒否されたため、それは思想の自由(19条)の侵害であり、また、信条に基づく差別(14条)であると主張した。
これに対し、最高裁は、憲法19条・14条は、「その他の自由権的基本権の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない」と述べて直接適用を否定した。 しかし、それに続けて、自由や平等の侵害の程度が許容限度を超えるような場合には「私的自治に対する一般的制限規定である民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存する」と論じた。 その後の判例でもこの考えを踏襲している(昭和女子大事件・最三判昭和49年7月19日民集28巻5号790頁、女子若年定年制事件・最三判昭和56年3月24日民集35巻2号300頁参照)。
この判決の基本的発想は無適用説と最も親近性があると思われるが、無適用説に批判的な学説は、判旨が民法90条等に言及したことに着目して、間接適用説を採用したと理解してきた。
しかし、私人間における調整は法律(民法を含む)により行うという論理は、まさに無適用説のものであり、たまたま民法90条等に言及したというだけでは間接適用説に立ったという根拠にはならないであろう。
なお、判例は、私人間への無適用のみならず、国家を一方当事者とする関係においても、その関係の性質が純粋に私法的である場合には、公法関係の規律を目的とする憲法の適用はないとの立場をとっているようである。
それを述べたのは百里基地訴訟判決であるが、そこで最高裁は、私法関係には憲法の適用はないとの立場に立ち、そのうえで、自衛隊基地の建設を目的とする国と私人との間の土地の売買契約をめぐる争いに民法を適用し、争点となった契約や契約解除等の法律行為が「公序」に反しないかを問題とする構成をとったため、外観上は憲法の間接適用を検討したように見える(最三判平成元年6月20日民集43巻6号385頁)。 しかし、私法関係か公法関係かといった区別は、超憲法的な区別ではなく、憲法の下で生じる区別と考えるべきであり、憲法の適用の有無を考える基準とすべきではなかろう。 国家の行為は、私法的形態で行われようと、公法的形態で行われようと、憲法の適用を受けると考えるべきである。 そうでないと、私法的形態を装うことで憲法の適用を免れることが可能となり、不都合であろう。 ゆえに、本件では、国家の私法的行為(土地の取得行為)に憲法の適用がありうるのであり、仮に被告の私人に原告国の行為の憲法違反を主張する適格があるならば、その主張の判断が必要であったと思われる。 (キ) 無適用説の再評価
問題の出発点は、無適用説では私人間における人権侵害に対処しえないということであった。
しかし、本当にそうなのか、どのような意味でそうなのかは、再度厳密に検討してみる必要がある。 その際、重要なポイントは、 ①無適用説では、どのような場合に人権侵害が救済されないことになるのかを明らかにすることのみならず、 ②この問題が、人権侵害を救済できるかどうかの問題というよりは、救済の役割を誰が中心となって果たすのか、議会か裁判所か、という権限分配の問題に関わっていることを理解することである。
無適用説の論理では、私人間における「自然権」の保障は、法律の役割であった。
憲法は、国家が自然権保護の責務を遂行するに際して従うべき「法のプロセス」を規定している。 それによれば、私人間における自然権の保護は、まず法律により規定され、当事者間に争いが生ずれば、その法律に従って裁判がなされることになる。 したがって、私人間関係における自然権は、法律の制定により「法律上の人権」として実定性が与えられ、それが裁判所により適用されるのである。 問題は、議会が私人間の自然権調整に迅速・適切に対処せず、争いを裁定すべき適切な「法律上の人権」規定が存在しない場合である。 これを裁判所が救済しようとすれば、憲法の中に実定化された自然権である「憲法上の人権」を援用する以外にない。 しかし、憲法上の人権は国家を名宛人とするものであり、これを私人間の争いに援用するためには、私人も憲法の名宛人だということにしなければならない。 しかし、これは立憲主義の憲法観・人権観の大きな修正になり、悪くすれば国家が国民に対し「憲法忠誠」を要求するということにもなりかねない。 それを避けたいなら、「憲法上の人権」は国家のみを名宛人とするという論理を維持すべきである。 しかし、そうすると、法律がない限り裁判所が私人間の自然権侵害を救済することは許されないということになるのか。
法律がない限り、そうならざるをえない。
しかし、現実には、法律は存在するのである。 その最も重要なものが民法90条と709条である。 こうした抽象的な法律規定は、私人間の自然権調整の権限を裁判官に委任したものと理解することができる。 つまり、裁判官は、この規定を自然権保護の方向に解釈することにより、自然権を実定法化する権限を委任されているのである。 自然権保護の方向に解釈することは、「憲法上の人権」を適用することとは異なる。 実定法秩序の基礎あるいは背後にある自然権的価値(自然権という言葉を使いたくないなら、道徳哲学的価値といってもよい)を適用しているのである。 この自然権は、本来、全方位的性格をもつ(あらゆる関係に効力をもつ)ものであるから、私人間関係においても妥当するのであり、裁判官はそれを法律解釈を通じて実定法化するのである。
現実にはこのように法律は存在するのであり、判例上も法律がないために救済が不可能であったという事例は報告されていない。
にもかかわらず、純粋理論上の興味から、法律のない場合を想定し抽象的な理論を組み立てるのは、避けた方が無難であろう。 実際、私法の一般法たる民法が、明示的に「個人の尊厳」という、憲法と同一の道徳哲学的価値にコミットしているのであり(民2条参照)、民法90条や709条の解釈もこの価値に依拠して行うべきことを理解すれば、私人間における人権問題の大部分は民法解釈として解決できるはずであり、「憲法上の人権」の適用を必要とする場面はほとんど想定できない。 3 人権の限界
憲法上の人権規定の名宛人は国家であり、国家は憲法上の人権を尊重する法的義務を負うが、しかし、国家は人権制限を一切許されないというわけではない。
すべての個人を平等に尊重するために必要な限度での制限は許される。 これが人権の限界の問題であり、その解釈論上の根拠や許される制限の方法・程度等を検討するのが、ここでの課題である。 その前提として、人権の保障と制限を論じる場合の論証構造を理解しておく必要がある。
なお、国家を一方当事者とする法関係には人権規定の適用があるというのが通説であるが、かつては国家を当事者とする関係にも一般権力関係と特別権力関係が区別され、人権が適用されるのは一般権力関係だけであり、特別権力関係には適用されないという「特別権力関係論」が支配的であった。
ここで一般権力関係とは、すべての国民が共通に服する関係であり、特別権力関係とは、特別の国民が国家と特別の関係を取り結び、一般権力関係に加えて服する特別の関係であるが、今日ではこれを区別する考えは、ほとんど支持者を失っている。 ゆえに、本書においても特別権力関係論を人権の適用されない関係として私人間効力論と並べて説明する考えはとっていない。 しかし、特別権力関係論が唱えた「法治主義の排除」という論理は、法治主義の緩和として、ある程度命脈を保っているので、法律の留保の緩和として説明することにする。 (1) 人権制限の議論構造 - 人権の正当化と人権制限の正当化
日本国憲法は、国民に保障する権利のカタログを第3章で規定している。
そこで保障された権利には、内容確定型と内容形成型が存在するが(79頁参照)、憲法解釈により保障内容が確定される限りにおいては、後はその権利の制限が存在するかどうか、その制限は正当化されるかどうかの問題となる。 したがって、この場合には、国家により憲法で保障された権利を侵害されたと主張するには、まず最初に、侵害された利益が憲法の保障する権利の「範囲」に属するものであることを論証しなければならない。 保障範囲に属するといえなければ、憲法違反とはならないのである。 しかし、範囲に属することが論証できれば、すべて憲法違反となるかというと、必ずしもそうではない。 なぜなら、憲法による保障の程度は一律ではなく、絶対的に保障される権利もあれば、公益(日本国憲法の言葉では「公共の福祉」)による制限が許される場合もあり、かつ、その制限の程度も人権の種類・性質や制限の態様・状況に応じて様々でありうると考えられているからである。 したがって、絶対保障の場合を除いては、当該権利制限が公益により正当化されるかどうかを論証しなければならない。 絶対的に保障される権利の場合には、その範囲に属する権利の制限がなされれば、制限の正当性を論ずる余地もなく、違憲となる。 しかし、絶対保障の場合には公益による制限はありえないのかというと、それほど単純ではない。 というのは、絶対保障とされる権利については、その範囲を画定する際に公益を考慮していることが多いからである(128頁「利益衡量の二つの場面」参照)。 たとえば、拷問されない権利(36条)は、当然絶対的保障であり、公益により許される場合もあるとは解されてこなかった。 しかし、最近アメリカでは、テロリストが時限爆弾をしかけたとき、その場所を白状させるために拷問を用いることは許されないかという設題が深刻に議論されている。 そのような場合にも拷問は許されない、というのが日本国憲法の立場だと私は解しているが、仮に公益により許されることもあるという立場をとった場合、それをどのような議論として構成するか。 おそらく、多くの人が、憲法にいう「拷問」に該当するが、公益により正当化されるという構成より、憲法にいう「拷問」には該当しないという構成をとるのではないであろうか。 いずれの構成でも、「拷問」の範囲画定がまずなされる点では同じであるが、前者の構成では範囲を広くとり、拷問に該当するとしたうえで公益による正当化を論ずるという構成をとっているのに対し、後者では、拷問の範囲を限定しそれに該当するかどうかで結論を出す構成をとっている。 しかし、後者は拷問の範囲の画定に際して、公益により許されるべき場合を拷問の範囲から除いてその範囲を限定するという思考をとっており、公益の考慮をしていないわけではない。 公益を考慮する場面が異なるにすぎないのである。 前者は、公益の考慮を範囲画定の場面では最小限として、制限の正当化の場面で行うという二段階構成をとるのに対し、後者は、公益の考慮を範囲画定の場面に組み込んで一段階の構成とするのである。 いずれの構成も理論的には可能であり、議論の仕方、アプローチの違いである。 どちらがよいかを一般的にいうことはできず、権利の性質や思考法の特徴などを勘案して決める以外にないが、拷問の禁止に関していえば、拷問であることを認めながら、それが正当化されることもあると議論することには心理的抵抗が強く、おそらく拷問に該当しないから禁じられていないという構成の方が好まれるのではないか。
理論上は、人権すべてについていずれのアプローチも可能であるが、一段階構成は範囲画定が困難であるのみならず、柔軟性を欠くという問題もあるために、多くの場合二段階構成がとられる。
したがって、まず第一段階において、人権の保障範囲の画定がなされるが、このとき中心的に考慮されるのは、当該人権を憲法が保障した理由である。 理由が明確にされて初めて、保障の及び範囲が明らかとなる。 具体的事件との関連では、制限された行為が保障の範囲に属するものかどうかがまず判断されることになるが、そのためには、当該行為が当該人権の保障する価値の実現に関連しているかどうか、当該制限がその価値実現を真に制限しているのかどうかが判断されることになる。 ドイツではこれを「保護領域」に属するかどうか、国家の行為はそれへの「介入」となるかどうかの問題として議論しているが、日本でも参考になるであろう。
人権の制限であるということになると、次に第二段階として、その制限が正当化されるかどうかの問題となる。
制限が正当化されるためには、一般論としては、少なくとも制限により「失われる利益」(人権価値)より「得られる利益」(公益)の方が大きいことが示されなければならないが、問題はそれをどのような手法で行うかである。 基本的には失われる利益と得られる利益に属する様々な利益を数え上げて総合衡量しどちらが大きいかを決めるという「利益衡量」の手法が採用されることになるが、ここで直面する最大の問題は、諸利益の重要度、大きさをどのように比較するかである。 対立する諸利益には質の異なるものも多く、誰もが支持しうる共通の尺度があるわけではない。 にもかかわらず、利益衡量を行いどちらが大きいかの結論を出さなければならない。 それは多かれ少なかれ主観的な価値判断とならざるをえない宿命にある。 それゆえにこそ、利益衡量の過程を透明化し、どのような基準によりどのように評価・衡量を行ったかを説明することが重要となる。 それを通じて利益衡量の仕方についての対立点が明確となり、議論の対象が絞られていくであろう。 そして議論の結果対立が縮小し、場合によっては解消することも期待できよう。 しかし、多様な価値観をもつ個々人により形成される社会においては、常に何らかの対立が最後まで残ると想定される。 その対立は、制度上、多数決によりその都度暫定的な決着をつけざるをえない。 そこで破れた少数派は、多数派の決定を批判し、新たな観点から議論を再構築し、多数派となることを目指すのであり、人権論もこのような永遠の論証過程なのである。
日本国憲法においては、人権制限の根拠が「公共の福祉」と表現されている。
ゆえに、人権制限の正当化論は「公共の福祉」による制限として議論される。 その議論の内容が透明化されるためには、公共の福祉をどのように捉えるべきかを明らかにすることが必要となる。 次にそれを見ていこう。 (2) 人権制限の根拠 - 公共の福祉(ア) 公共の福祉の性格
人権は、個人の自律的生にとって不可欠の権利であるが、すべての個人に平等に保障されねばならないことから、権利の衝突を調整するに必要な限度で制約を受けることがありうるのは当然のことである。
日本国憲法も、一方で、個人に対し人権の濫用を戒め「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」(12条)と規定し、他方で、国に対し人権を「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で」最大限に尊重すべきことを義務づけ(13条)、人権が「公共の福祉」に服することを確認している。 では、公共の福祉とは何か。 それが人権を制約する根拠であるとすると、その内容をどう理解するかは人権の限界を考える場合重要な意味をもつ。
憲法が個人の尊厳を基本原理とする以上、公共の福祉を全体主義的な思想を基礎にした「全体の利益」という意味に解することが許されないのはいうまでもない。
戦時中にいわれたような国家のための「滅私奉公」というような考えは、日本国憲法の下では許されない。 あくまでも個人主義を前提にしてその意味を理解しなければならないのである。 憲法13条は、このことを明確に示している。 それは、まず前段において、「すべての国民は、個人として尊重される」と規定し、個人主義の原理を謳う。 そして、それに続けて後段において、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定する。 後段は、前段の、すべての国民が個人として尊重されるということをもう一歩具体化した規定であり、一方で、個人が「個人として尊重」されることから「生命、自由及び幸福追求に対する権利」をもつこと、他方で、「すべての」個人がかかる権利を享有するためには、公共の福祉に服しなければならないことを、述べているのである。 ゆえに、ここで「公共の福祉」とは、すべての個人に等しく人権を保障するために必要な措置を核心とする。
立憲主義の下における国家の最も重要な役割が人権の保障にあるとすれば、この公共の福祉とは、国家の目的、国家活動の正当性の最も重要な根拠でもあることになる。
(イ) 公共の福祉の内容a) 権利・利益の対立状況
公共の福祉とは、人権衝突を調整するための原理であるといういい方がされることがある。
たしかに、人権と人権が衝突するときには、いずれかあるいは双方の人権を制限することにより衝突が起こらないよう調整しなければならず、その調整内容が公共の福祉を構成することに疑いはない。
しかし、人権の制限が必要となるのは、人権同士が衝突する場合に限られない。
一方で、自己の人権行使とは関係のない、他人の人権を侵害する行為というものが存在し(たとえば、殺人や窃盗を考えよ)、人権を保護するためにかかる行為を規制することも、当然、公共の福祉の内容をなす。 他方で、他人の人権を直接侵害するとはいえないのに、自己の人権行使が制限を受けることがありうる。 「個人を等しく尊重する」ために、そのようなことが必要となることもありうると考えられるのである。 たとえば、ある個人の人権を制限することにより、多数の個人の、人権とはいえないにしても重要な利益が、実現されるというような場合(たとえば街の美観を保護するために看板の規制を行う場合を考えよ)、ある程度までは人権制限が認められてもよいであろう。 もちろん、その「重要な利益」は、個人を超えた「全体」の利益であってはならず、あくまでも個々人に着目した利益でなければならないし、また、特定個人の犠牲において他の個人が、たとえ多数派であっても、利益を得るということであってはならないから、人権を制限される個人も他者と同様の利益を受ける必要があるし、そうでない場合、あるいは、そうにしても犠牲が大きすぎるという場合には、代償の与えられることが必要となろうが、そういった条件の下に、利益衡量の結果人権制限が正当化されることもありうると思われる。
さらに、個人を個人として尊重するためには、個人の人権を他人の利益のためではなく、本人の重大な利益のために制限する必要があるということも起こりうる。
本人の利益のために制限するというのは、パターナリズムといわれる考え方で、自由主義の下では原則として忌避される思想である。 なぜなら、何が自己にとっての利益かは本人が最もよく判断できることであり、他人が「これがあなたの利益だ」といって押しつけることは、自由主義に反すると考えるからである。 しかし、子どもや精神障害者など判断能力の不十分な者に、自分自身で判断しなさいといって自由に任せるのは、「個人として尊重」することにはならない。 したがって、パターナリズムによる干渉も、人権制約として許される場合があることを認めなければならない。 それも「個人として尊重」するための制約だとすれば、公共の福祉の内容をなすことになる。 b) 四つの類型
以上の分析から、すべての個人を等しく尊重するために必要な公共の福祉の主要な内容には、次の四種類が存在することが分かった。
第一が、人権と人権の衝突を調整する措置である。 第二が、他人の人権を侵害する行為を禁止する措置。 第三が、他人の利益のために人権を制限する措置。 第四が、本人の利益のために本人の人権を制限する措置である。
もちろん、これは人権制限の根拠としての公共の福祉の内容の性格を分析し分類したにすぎず、具体的にどのような措置が公共の福祉として認められるかは、人権の具体的規制に即して、そこで問題となっている人権と利益を比較衡量することにより決することになる。
その場合に、人権の重要性は常に頭に置く必要があり、特に第三類型については、安易に多数派の利益を重視することのないようにしなければならない。 第三類型は、消極国家においては稀で、積極国家となった現代において急激に増大した「公共の福祉」という性格をもち、主としては経済活動の自由の制限の領域に生じているものである。 日本国憲法もそれを予想して、22条1項(居住・移転および職業選択の自由)および29条2項(財産権)で公共の福祉による制約を明示している。 (ウ) 人権と公共の福祉の対立構造
以上の説明を基礎に、次の点を確認しておこう。
日本国憲法の依拠する基本価値は「個人の尊厳」であり、憲法は個人の尊厳を基礎に置く社会を実定法秩序により保障していこうというプロジェクトなのである。 そこでは個人の尊厳は各種の人権として具体化される。 ゆえに、個々人権の保障範囲は究極的には個人の尊厳と関連づけて理解されることになる。 個人の尊厳が要求する限度で人権の行使として認められるのである。 しかし、人権の保障範囲に属するからといって、絶対的に保障されるとは限らない。 人権の行使が公共の福祉に反するときには、制限されうるのである。 したがって、公共の福祉は人権と対立する位置関係に置かれる概念である。 その意味で、公共の福祉は国家の活動の正当化根拠なのである。 個人と国家の対抗図式において、人権が個人に、公共の福祉が国家に、配置されているのである。 そのような関係において公共の福祉の内容は理解されなければならない。
ここで注意を喚起しておきたいのは、人権の行使が公共の福祉に「反する」ということの意味である。
それは、基本的・原則的には、公共の福祉を「害する」ということであり、公共の福祉を進展・増進するのに「役立たない」ということではない。 個人に認められる人権は、それをどのように行使することも自由な権利である。 唯一の制限は、公共の福祉を害さないことである。 公共の福祉に役立つよう行使することを憲法は命じていないのである。 人権は、個人の自律的生に約立つために認められる権利であり、公共の福祉に役立つことを求められてはいない。 公共の福祉を害することだけが禁じられているのである。 憲法12条後段は、「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と規定するが、これは公共の福祉を害するような利用を禁じたものであり、公共の福祉を促進するように行使する義務を課した規定ではない。 だからこそ、「濫用」の禁止と連結する規定の仕方をしているのであり、濫用とは公共の福祉に害を与えることなのである。 判例・学説の中には、公共の福祉のために保障された人権の存在を認めるような議論もあるが、日本国憲法のとる立場ではない。 (エ) 公共の福祉をめぐる判例・学説の変遷
上に「公共の福祉」をどのように解すべきかに関する本書の立場を説明したが、この問題については判例・学説の変遷が見られる。
本書の立場を理解するのに役立つと思われるので、ここで簡単に振り返っておこう。
憲法の保障する人権が無制限・絶対的ではなく、一定の制限を受けることについては学説の対立はない。
また、公共の福祉という言葉は、人権の総則的規定である12条、13条、および、経済的自由に関する22条1項と29条2項の合計4か所で用いられているが、いずれにおいても公共の福祉が人権の限界を示す意味で用いられていることについて学説の異論はない。 問題となった主要点は、 ①経済的自由権以外の個別人権の制限の根拠をどう説明するか。総則規定である13条がすべての人権規定に適用されると解するのか、それとも、明文の根拠規定がなくとも当然に内在的制約(他の人権を侵害してはならないという制約)があると考えるのか、 ②13条の総則規定を、法的効力のない訓示規定と解するのか、それとも、法的効力をもつ規定と解するのか、 ③公共の福祉の内容を内在的制約と解するのか、外在的制約(社会経済的制約)と解するのか、 の三点である。 それぞれの組み合わせから、順次、一元的外在制約説、外在・内在二元的制約説、一元的内在制約説が唱えられ、一元的内在制約説がほぼ通説となってきたが、近年その再検討が始まっており、本書の立場も再検討の一つの試みである。 a) 一元的外在制約説
12条・13条が人権の一般的な規定であり、やや抽象的に「心構え」を規定したような響きがあるのに対し、22条と29条は職業選択・居住・移転の自由あるいは財産権といった個別人権につき規定しているのに着目すると、22条・29条こそが公共の福祉の意味を解釈するのに出発点となるべき条文のように思われる。
しかも、この二つの条文は、ともに経済的権利を定めた条文という共通点をもっている。 個別人権の規定につき公共の福祉の限界を規定しているのは、経済的自由権だけだということに着目すれば、経済的自由権を制限すべき特別の理由に誰もがすぐに思いあたるだろう。 近代憲法における経済的自由権の行き過ぎた保障が労働者階級の生存権を脅かしたために、19世紀末以降、経済的自由権の広範な制限が行われるようになった。 22条と29条は、そのことを踏まえた規定であり、ゆえに、そこにいう「公共の福祉」とは、資本主義の弊害を修正し労働者の生存権を保障するという政策目標を実現するものなのである。 このような社会経済的な政策目標により人権を制限するということは、経済的自由権についてのみ認められるものであり、他の人権については妥当しない。 12条・13条は、特に経済的自由権に限定した規定にはなっていないが、これは訓示的規定であって法的効力をもたないと解すべきであるから、公共の福祉のこのような理解の障害にはならない。 しかし、このように解すると、22条・29条以外の個別人権は、無制約ということにならないか。 そうではない。 ある人の人権は他の人の人権を侵害してはならないのであって、すべての人権は、当然、かかる「内在的制約」をもつのであり、わざわざそう規定するまでもないことなのだ。 つまり、公共の福祉とは「外在的制約」をいい、内在的制約はとくに規定されていなくても、当然に存在するのである。 これが、憲法制定後いち早く唱えられた見解であった。 人権保障の歴史と整合した分かりやすい解釈であった。 公共の福祉には外在的制約という一つの意味しかないということから一元的外在制約説と呼ばれている。 b) 内在・外在二元的制約説
一元的外在制約説は、やがて重大な困難に遭遇する。
「新しい人権」を憲法解釈論上認めることができるかどうか、という問題が登場するからである。 きっかけはプライバシーの権利をめぐってであった。 プライバシーの権利は、人権の個別規定には見あたらない。 しかし、現代社会においては、「新しい人権」として保障すべき重大な価値となっている。 憲法に規定のない「新しい人権」を認めようとする場合、憲法上の根拠となる適切な規定は、13条をおいてはない。 ところが、先の解釈は、13条を訓示規定と解していた。 訓示規定を新しい人権の法的根拠とするわけにはいかない。 かといって、13条に法的効力を認めれば、すべての人権が公共の福祉=「外在的制約」(社会経済的政策目標による制約)に服することになり、人権保障の意味がほとんどなくなってしまう。
そこで唱えられたのが、12条・13条の公共の福祉と22条・29条の公共の福祉は意味が違う、前者は内在的制約であるが、後者は外在的制約を意味するという説である。
こうすれば、すべての人権は前者の規定により内在的制約に服するが、外在的制約に服するのは経済的自由権のみであることになり、かつ13条を法的規定として新しい人権の根拠規定に使いうるというわけである。 同じ「公共の福祉」という言葉に異なる意味を与えるという弱点をもつが、同じ言葉が文脈により意味を異にするのは、よくあることだと強弁された。 しかし、最後に、13条に法的効力を認めつつ、公共の福祉を統一的に説明する説(一元的内在制約説)が現れた。 c) 一元的内在制約説とその後の展開
一元的内在制約説は、公共の福祉を人権間の矛盾・衝突を調整する原理(ゆえに内在的制約)として統一的に捉えたうえで、衝突する人権の性質の違いにより公共の福祉の具体的内容は変わりうると考える。
つまり、自由権同士の衝突の場合と自由権と社会権の衝突の場合では、衝突の調整という点では原理的な違いはないが、調整の具体的内容は当然に異なってくると考えるのであり、ここから「自由国家的公共の福祉」(自由国家あるいは消極国家段階で自由権の制約根拠とされた公共の福祉)と「社会国家的公共の福祉」(社会国家あるいは積極国家において社会権を実現するために要請される人権、主としては経済的自由権、の制約根拠とされる公共の福祉)が区別されることになる。 では、より具体的にはいかなる違いがあるのか。 私の理解では、自由国家的公共の福祉の場合には、人権の行使が公益を害するときにのみそれを防止するための制約が許されるのに対し、社会国家的公共の福祉の場合は、公益を《害する》ことがなくても人権を制約することにより公益を《増進》せさることができるときにはそれが許されるという点に最も重要な違いがあると思われる。
一元的内在制約説が今日の通説であるが、最近、これに対する批判が唱えられてきている。
何が問題かというと、公共の福祉を人権間の矛盾・衝突の調整原理だとする点である。 たしかに、人権という重大な権利を制限しうる対抗利益としては、他の人権しかありえないはずではないか、というこの説のいい分もよく分かる。 それに、戦前、全体主義的な公益概念により「滅私奉公」を強要されたことを考えれば、公共の福祉を不用意に漠然とした「公益」と捉えると、同じ轍を踏みかねないから、人権間の矛盾・衝突と厳格に捉えておくのがよい、と考えたのも納得できる。 しかし、そのために、他方で、人権の規制を正当化するときには、対立する人権を明示することが必要となり、人権とはいいづらいような対抗利益を無理矢理人権に結びつけるという弊害を生み、かえって人権の重要性を稀薄化させることになっているのではないだろうか。 たとえば、わいせつ規制の正当化として、わいせつ本を公刊する「表現の自由」は「decent な社会生活への権利」という「他人の人権」と衝突するのだといわれるとき、そのような他人の「人権」が憲法上のどの規定により認められているのだろうか、との疑問がわく。 そのような利益を人権だといい出したら、人権は果てしなくインフレ化し、人権に対する尊重の念が稀薄化してしまわないであろうか。 それを避けるには、人権を規制する目的は、必ずしも他の人権との調整に限定されず、人権とはいえなくとも重大な公益と認められれば、それと調整する場合も含まれると解するのがよいのではないか、というのである。 その場合、公共の福祉とは、すべての国民を平等に「個人として尊重」するために必要となる調整原理あるいは公益とぐらいに捉えておけばよいであろう。 もちろん、その場合の「公益」は、戦前のような個人を超越した全体の利益であってはならないが、すべての個人が具体的に享受しうるような公益なら、人権とまでいえなくても、人権制約が可能であると考え、その公益がどの程度重要な公益であり、それを理由にどこまで人権の制約が可能かを、具体的に考えていくべきだという考えになってきているのである。 その場合の議論の一般的枠組が、目的審査と手段審査といわれるもので(129頁参照)、目的審査では人権規制の目的が規制される人権の重大さに見合っているのか、つまり、釣り合うだけの公益保護が目的となっているのかが、人権の性質に応じて設定された基準に従って審査され、手段審査では、その目的の実現のために採用された方法・手段が目的と適合しているのかどうか、その目的の達成が人権を制約することがより少ない方法で可能ではないか、などが審査されるのである。 このようなアプローチで公共の福祉の内容を詰めていけば、おそらく結果的には自由国家的公共の福祉と社会国家的公共の福祉の違いが識別されるに至り、そこで一元的内在制約説と合流することになると予想される。 d) 判例
判例は、当初より公共の福祉を人権制約の根拠と理解してきたが、公共の福祉とは何かを一般的に明示することはなかった。
そのため、当初は、十分な説明もないまま抽象的な言葉の操作だけで公共の福祉の範囲内と断定するような判決が多く、学説の批判を受けたが、その後1960年代に入ると立法事実を基礎に理由を説明する判決が次第に出てくるようになり、70年代以降には目的審査・手段審査の枠組を意識的に採用するようになる。 そして、経済的自由権の規制に関してのみではあるが、規制目的の区別として消極目的と積極目的を区別し、それぞれにつき審査の厳格度が異なることを明らかにするが、この区別は自由国家的公共の福祉と社会国家的公共の福祉の区別に対応するものと理解することが可能であろう。 (オ) 公共の福祉と憲法上の義務
日本国憲法は、国民の義務として、①保護する子女に普通教育を受けさせる義務(26条2項)、②勤労の義務(27条1項)、③納税の義務(30条)を規定している。
しかし、憲法に義務規定がなければ国家は国民に義務を課すことができないわけではない。 人権を侵害しない限り、法律により義務を課すことが可能であり、これこそが国民に義務を課す場合の通常の方式として憲法が想定しているところのものである。 つまり、国民に義務を課すには法律が必要なのであり、したがって、憲法が義務を規定している場合でも、その義務に関しては法律は不要だ、というわけではない。 では、憲法に規定したことに法的意義はまったくないのかといえば、そうともいえない。 公共の福祉の内容として課しうる義務の中で、憲法が特に重視すべきと判断したものを憲法上の義務と規定したのであるから、これらの義務規定に根拠を置く法律上の義務については、公共の福祉の範囲内かどうかの判断に際して一定の尊重が払われるべきであろう。
なお、「憲法を尊重し擁護する義務」(99条)をもう一つの国民の義務と理解する見解もあるが、99条の文言上この義務を負うのは公務員であり国民ではない。
立憲主義の論理からして、憲法の名宛人は国家でり、憲法を尊重し擁護する義務を負うのは、当然、公務員(国家権力の担い手)でなければならない。 憲法99条は、この道理を正確に表現したのであり、決して国民を書き込むことをうっかり忘れたわけではない。 (3) 人権制限の法形式(ア) 法律の留保
人権の保障も絶対的ではなく、公共の福祉により制限されうることを見たが、制限する場合には法律により行わねばならないというのが、立憲主義の要請であり、日本国憲法もこれを踏襲している。
そのことを明示した規定は日本国憲法には存在しないが、それが立憲主義の伝統であり、明治憲法でも臣民の権利には「法律の留保」がついていた。 つまり、臣民の権利は、そのほとんどが「法律の範囲内」で保障されていたのであり、制限には原則として法律が必要であった。 明治憲法について法律の留保を語る場合、権利は法律によりどのようにでも制限しえたという意味でいうのが通常であるが、法律の留保は、その裏面として、法律によってしか制限しえないという積極的意味ももっており、立憲主義にとっては、法律の留保のこの側面の方が重要である。
明治憲法では、実は、権利は法律によってしか制限しえないという、この側面は必ずしも保障されておらず、一定の場合には命令により権利を制限することも認められていた(明憲9条・31条参照)。
権利を制限する法を「法規」と呼んだことから、そのような命令は法規命令と呼ばれたが、法規は法律によってしか定めえないという立憲主義の原理に対する例外が認められていたのである。
しかし、日本国憲法は、かかる例外は認めていない。
法規の定めは、すべて法律を必要とするのである。 ただし、法律で制限の基本を定め、細部の定めを命令に委任すること(委任命令)は許される。 しかし、命令に委任する場合にも、法律で定めるという原則を形骸化するような広範な委任は許されない。
なお、明治憲法においては、法律で定める限りどのような制限も許されたが、日本国憲法の場合は、法律で定める場合にも「公共の福祉」として許される限度を超えてはならず、限度を超えたかどうかは裁判所により審査を受ける。
(イ) 特別権力関係論
明治憲法の下においては、当時のドイツで展開された特別権力関係論が日本の憲法学にも導入され、広範な権利制限が正当化されていた。
特別権力関係というのは、通常の国民が国家権力に服す「一般権力関係」と区別される観念で、特別の国民が法律に基づき、あるいは、同意によって、国家の特別の支配に服している関係をいい、監獄につながれた囚人や公務員、国公立大学学生がその典型例とされる。 そして、特別権力関係においては、第一に、法治主義が排除され、法律の根拠なしに人権を制約することが許され、第二に、人権制約の程度についても、広範な制限が許され、第三に、人権の救済を裁判所に求めることはできない、と主張された。
かかる理論は、官僚が天皇に特別の忠誠を誓って特権的地位を与えられており、また、一般に、立憲主義的な権利保障も不十分であった明治憲法下においては妥当しえたが、日本国憲法の下においては、もはや妥当しえない理論である。
たしかに、囚人や公務員は、その制度の目的から必要となる人権制限には服するが、それは一般人が様々な社会関係を形成し、それに内在する制約に服するのと理論上は変わりない。 ゆえに、人権保障の一般原則を前提として、制度や関係の特殊性からどこまでの人権制限が公共の福祉として許されるかを考えていけばよい。 ただし、そのように考えた結果、いわゆる特別権力関係といわれたような関係においては、法律の留保がある程度緩和され、制度自体に内在する人権制限については憲法がその制度を認めている限り法律の根拠は必ずしも必要でなく、また、委任立法の範囲も通常の場合より広く認められてよい、ということはありうる。 しかし、人権の制限内容が正当かどうかの審査が緩和されることはない。
以下に、在監者と公務員の場合の代表的な判例を簡単に見ておこう。
a) 在監者(刑事収容施設被収容者)
監獄(刑事収容施設)の制度は憲法の認めるところであり(18条・31条等参照)、在監者に居住・移転の自由を否定するのに特に法律の根拠を必要とするわけではない。
では、喫煙の自由の制限はどうか。
判例は、法律上根拠のない喫煙禁止を、監獄法施行規制(2002年改正前96条)のみを根拠に合憲とした(最大判昭和45年9月16日民集24巻10号1410頁)が、もし喫煙の自由が人権だとするならば、監獄の制度が本質的に喫煙と相容れないわけではないので、法律の根拠がないということは問題となりうる。 命令(施行規則)による喫煙禁止の定めは、監獄法による細目の委任の範囲内だという説明の仕方も、委任が広範にすぎ困難であろう。 そこで立法委任という説明は避けて、施行規則はその内容が新憲法に反しない限り新憲法の想定する適切な法形式(法律)に移行したものとして存続するのだという説明も提示されているが、法形式が国家の明示的な意思表明なしに変更するというのは無理な説明であり、また、その規則の変更には法律改正が必要となるのかどうかという難しい問題も提起することになろう。
他方、在監者の閲読の自由の制限については、監獄法31条2項が根拠を定めていたので、法律の留保の点では問題なかった(監獄法は、現在では刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律となり、条文も70条1項・71条へと変更されている)。
監獄法下で起きたよど号ハイジャック記事抹消事件において、未決拘禁者が購読していた新聞の記事が看守により塗りつぶされて渡されたことが、表現を受け取る自由の侵害にあたるのではないかが争われたが、最高裁は、「その閲読を許すことにより監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性がある」かどうかを基準に利益衡量を行い、結論として本件の措置は合憲であったとした(最大判昭和58年6月22日民集37巻5号793頁)。 その結論は別にして、「相当の蓋然性」という、ある程度厳格な基準を用いて審査したアプローチは、相当の蓋然性の有無の判断を広い行政裁量に委ねるのではなく、裁判所が裁量統制を行うのであれば、評価できよう。 刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律70条・71条の解釈・適用もこの基準を使って行う必要がある。 なお、閲読の自由の制限に関しては、行政権が予め表現内容を審査して閲読を許すかどうか決定するので、憲法21条2項の禁止する検閲にあたるのではないかという問題もあるが、この点については検閲の説明を参照されたい(206頁参照)。 b) 公務員
日本の公務員は政治活動の自由と労働基本権を広範に制限されており、特別権力関係論の影響が残っているのではないかとの指摘もある。
ここでは、政治的自由の制限に関する判例を見ておこう(労働基本権の制限については、310頁参照)。
国家公務員法102条1項は、「職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てすることを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない」と規定し、これを受けて、人事院規則14-7が「政治的行為」を定め、この違反に対しては国家公務員法82条が懲戒処分の対象となることを規定し、国家公務員法110条1項19号が罰則(3年以下の懲役または100万円以下の罰金)を科すと定めている。
政治的行為の禁止は一般に表現の自由の制限と解されており、そこでまず問題となるのは、禁止される政治的行為の内容を白紙的に人事院規則に委任したことが、法律の留保の原則に反しないかである。
この点につき、猿払事件最高裁判決(最大判昭和49年11月6日刑集28巻9号393頁)は、「憲法の許容する委任の限度を超えることになるものではない」と判示したが、「少なくとも、刑罰の対象となる禁止行為の規定の委任に関するかぎり」は違憲であるという反対意見が付されている。 人事院が独立行政委員会であることを考慮しても、委任が広範にすぎるきらいは否めない。
他方、制限内容についてはどうか。
猿払事件では、被告人がある政党の候補者の選挙用ポスターを公営掲示板に掲示した行為等が上記規則6項13号に該当するとして起訴された。 地裁判決と高裁判決は、公務員の地位・職務の違い、裁量権の有無、政治活動の場所・時間等の区別なく一律に規制している点に憲法上問題があると考えたが、最高裁判決は、審査基準として①禁止目的は正当か、②目的と禁止される行為との間に合理的関連性があるか、③禁止により得られる利益と失われる利益は均衡しているか、を設定し、一律禁止も合憲であると判断した。 しかし、この基準は、つまるところ③が決め手となっており、その意味で厳密にいえば「審査基準」なしの「裸の利益衡量」であり、政治活動の自由を審査する基準としては適切ではないのみならず、その適用の仕方も緩やかすぎる。 公務員の政治活動の規制の審査にのみ適用される手法と限定して理解するにしても、なぜ公務員についてはこの基準が適切かについて説明がなければ、特別権力関係論をいい換えただけということになってしまおう。 しかも、最高裁はこの審査手法を裁判官の政治活動の規制(最大決平成10年12月1日民集52巻9号1761頁)、選挙における戸別訪問禁止(最二判昭和56年6月15日刑集35巻4号205頁)にも適用し、さらには集会の自由の規制(最三判平成19年9月18日刑集61巻6号601頁)にまで適用範囲を拡大している。 「意見の表明そのもの」を制約するのではなく、「意見表明に付随する行動がもたらす弊害の防止」を目的とする場合に猿払基準が適用されると考えているようであるが、この区別は内容規制・内容中立規制の区別(208頁参照)とも、直接規制・付随規制の区別(220頁以下参照)とも異なり、性格が不明確で正当化の理由が明らかでない。 この点は別にして、最近最高裁は、公務員の政治的行為の禁止に関して、形式的に構成要件に該当する行為であっても、その行為が《実質的》に保護法益を侵害しない場合は、処罰規定の適用はないという判断を示して注目された(最二判平成24年12月7日判時2174号21頁)。 管理的地位にない公務員による、公務員であることの分からない態様でのビラ配布であったことが重視され、公務の中立性とその外観の保護という保護法益の実質的な侵害はないとされたのである。 法益侵害のない表現活動は、その制限が正当化されることはありえず、憲法により絶対的に保障されているのであるから、そのように法律を限定解釈するにせよ(この解釈手法の性格については415頁参照)、あるいは、適用上違憲の判断手法をとるにせよ、当然の結論であるが、政治的行為の処罰規定の射程を解釈により限定した点は、最高裁の新たな動向といえるかもしれない。 (4) 利益衡量の方法(ア) 比較衡量の不可避性
人権も公共の福祉により制限されることを見たが、公共の福祉という言葉を持ち出せばどんな制限でも許されるわけではない。
問題は、具体的事件においてどこまでの制限が公共の福祉として許されるかであり、抽象的には、人権の制限により得られる価値・利益と失われる価値・利益を比較衡量し、得られる価値・利益の方が大きいとき初めて制限が正当化されるということになる。 重要なのは、この比較衡量を事実を基礎に具体的に行い、説得的に判決の理由を説明することである。 判例は、かつてはこの点の理由説明を十分に行わないで、「この程度の制限は公共の福祉の範囲内で合憲」と結論のみを断定するたぐいのものが多かったが、1960年代後半以降、事実を基礎にした利益衡量を重視する傾向の判決が徐々に増加してきている。
しかし、利益衡量の手法にも問題がないわけではない。
得られる利益と失われる利益の大きさを比較するためには、それぞれの利益を同じレベルで捉える必要があるが、何が同じレベルに属するかは常に自明というわけではない。 また、利益の強度を計ることも常に容易ではない。 しかし、最大の問題は、質を異にする利益を比較する共通の客観的な物差しが存在しないということである。 したがって、どちらが大きいかの決定は、究極的には主観的判断とならざるをえない。 しかし、憲法を含めて一般に法というものは、様々な利益の対立の解決方法を定立することをその使命とするものである以上、利益衡量を避けることは不可能である。 できる限り多くの人が賛成できるような利益衡量の方法を確立していく以外にない。 それを考える際に重要なことは、一つの事件い関連する諸利益をトータルに総合して一挙に結論を提示するという手法(「総合判断」の手法)をできるだけ避け、利益衡量する場面を分節して段階ごとに利益衡量をしながら結論に至るという手法(「分節判断」の手法)を採用することである。 総合判断は、判断者個々人の主観に依存するところが大きくなるから、対論の可能性を狭めるが、判断過程が分節されれば、過程を構成する段階ごとに対論が可能となり、対論の焦点も絞られ、判断者の推論過程がより透明となるから、コンセンサスの形式がそれだけ容易になるのである。 分節の仕方としては、内容確定型人権が問題となる場合には、人権の制限が存在するかどうかを判断する段階と制限が正当化されるかどうかを判断する段階が分節される必要がある(後述「利益衡量の二つの場面」参照)。 前者の段階では、ドイツの審査方法に採用されている「保護領域」と「介入」の区別(分節)が参考になる。 後者の段階では、アメリカの目的・手段審査の枠組と審査基準論が参考にされるべきである。 (イ) 利益衡量の二つの場面
保護される人権の範囲あるいは人権制限の許容範囲を考える場合、二つのアプローチがある。
一つは、保護されるべき人権の範囲あるいは人権としては保護されない範囲を明確に定義し、具体的事例がこの定義に該当するかどうかを判断するアプローチである。 ここでは、許される制限と許されない制限が明確に線引きされることになるが、その線引き、つまり定義づけの段階で利益衡量がなされる。 そして、いったん定義づけがなされてしまうと、あとは個別ケースにおいてそれに該当するかどうかだけが判断されることになり、いちいち利益衡量をする必要はなくなる。 したがって、このアプローチにおいては、予測可能性・安定性が高まるが、しかし、反面、個々のケースの特殊な利益・事情は考慮しがたくなる。
そこで、もう一つのアプローチとして、保護される範囲を予め明確に定義づけることはやめ、個別の事例ごとにそこで問題となっているすべての利益を衡量して結論を出すという考え方が登場する。
この場合には、具体的妥当性は向上するが、予測可能性は小さくなる。
主として法の適用場面で前者のアプローチがとられるとき「定義づけ衡量」(definitional balancing)、後者がとられるとき「個別的衡量」(ad hoc balancing)と呼ばれる。
両者ともに利益衡量を行う点では違いはないが、それを行う時点あるいは場面が異なる。 予測可能性が高度に要求される領域(たとえば、表現の自由の規制)では、可能な限り定義づけ衡量の手法を試みる価値があるが、明確な定義が困難なことが多く、現実には個別的衡量との中間において、類型ごとに大まかな方向づけを与える基準を設定する「類型的アプローチ」を採用することが多い。 (ウ) 法令審査における利益衡量の一般的枠組a) 目的・手段審査
人権制限に関連して利益衡量が行われる場合に通常採用される思考枠組は、目的・手段審査といわれるものである。
そこでは、まず人権制限の目的(立法目的と呼ばれる)が適切かどうかが検討される。
目的審査においては、一方において、制限される人権の性格や重要性などが、他方において、制限によって得られる利益(政府利益と呼ばれる)の性格、重要性などが検討され、両者が比較衡量される。 立法目的が憲法上許容されるもので、かつ、一定以上の重要性(その程度は事件の類型に応じて異なりうる)をもつものであれば、目的審査はパスする。
手段審査においては、立法目的とそれを達成するためにとられた手段の間の適合性が検討される。
ここでは、事件の類型に応じて、手段が立法目的と合理的な関連性を有するのかどうかとか、目的達成に必要な以上に人権を制約していないかどうか、などが審査される。 b) 国会と裁判所の対立と審査の厳格度
問題は、裁判所が目的審査・手段審査をどのような観点からどの程度厳格に行うべきかである。
法律を制定した国会は、その法律を合憲だと判断したものと想定しなければならない。 そうだとすれば、裁判所が法律を違憲と判断することは、国会の判断と真正面から衝突することを意味する。 国会が国民により直接選挙された代表者により構成されていることを考えると、その判断を裁判所が覆すことは非民主的ではないかとの疑問が生じる所以である。 もっとも、国民が制定した憲法が、裁判所に違憲審査権を与えているのであるから、違憲審査権を行使することは国民の信託に応えることであり、非民主的とはいえないとの反論もありうる。 この反論では、憲法に化体された国民意思と法律に化体された国民意思が対立するという構図となる。 しかし、憲法に化体された国民意思は、現在の国民意思とは異なるかもしれない。 さらに、憲法改正が国会の両院の3分の2以上の多数による発議を必要とする(換言すれば、3分の1により発議を阻止しうる)ことを考えれば、憲法に化体されている国民意思は現在の国民意思の過半数の支持さえ有していない可能性もある。 仮に違憲審査権を行使すること自体は国民意思に反しないとしても、どのように行使するかについては、現在の国民意思を反映すべきではないかという疑問も生じる。 ここから、審査のあり方をめぐって、裁判所は国会の判断を可能な限り尊重すべきであるという立場と、裁判所独自の観点から厳格な審査を行うべきだという立場が対立することになる。 c) 「通常審査」の原則
原則的には、憲法が個人の尊厳を護るために不可欠の権利として人権を規定し、その最終的な保障の任務を裁判所に委ねている以上、裁判所による審査は厳格なものでなければならない。
ここで厳格な審査とは、憲法が裁判所に期待する役割に対応する独自の観点から立法事実を具体的に検討して結論を出し理由づけを行うということである。 かかる審査のあり方を「通常審査」と呼ぶとすれば、現実の審査においては、通常審査を基本線(ベース・ライン)として、問題によっては基本線よりも一層厳格な審査が必要な場合もあれば、より緩やかな審査が適当な場合もありうると思われる。 それは人権の性格や規制の性格などに依存しよう。 たとえば、精神的自由と経済的自由では、その性格上、規制による畏縮効果に違いがありうるから、畏縮効果の弊害が懸念される場合には、畏縮効果を受けやすい精神的自由権の規制は、通常以上に厳格な審査がなされるべきことが多いであろう。 また、表現の内容規制が行われる場合には、政府が自己に不都合な表現を抑圧しようとする危険が大きいから、通常以上の厳格審査をする必要がある。 逆に、社会的弱者たる少数派を保護するために強者たる多数派の経済的自由を制限したような場合には、多数派を代表する国会の判断を尊重すべきことが多いであろう。 これらは、ほんの一例であるが、重要なのは、いかなる場合にいかなる理由でより厳格な、あるいは、より緩やかな審査をすべきかを具体的ケースに即して考え、その類型化・体系化を行っていくことである。 その際に参考になる考えとして、アメリカで議論されてきた審査基準論と二重の基準という考え方、および、ドイツ憲法裁判所の採用する比例原則の考え方を次に紹介しておこう。 d) アメリカの審査基準論
アメリカでは、目的・手段審査の方法として、厳格度を異にする三つの基準が区別されていて、日本でもこれを参考にする学説が有力となってきている。
厳格審査基準、中間審査基準(日本では「厳格な合理性基準」と呼ばれることもある)、合理性基準である。
厳格審査基準は、目的審査においては、政府利益に必要不可欠性(アメリカでは「やむにやまれぬ利益」(compelling interest)と表現されている)を要求し、手段審査においては、目的達成のために必要最小限の手段であること(アメリカでは目的に対し「ぴったりに裁断された」(narrowly tailored)手段という表現が使われている)を要求する。
中間審査基準は、目的審査においては、立法目的の重要性・実質性を要求し、手段審査では目的と手段との「実質的関連性」を要求し、具体的には「人権を制約することがより少ない他の方法」(Less Restrictive Alternatives, 日本ではLRA基準と呼んでいる)がないことを要求することが多い。
もっとも、LRA基準の適用の仕方における厳格度は柔軟で、厳格審査基準における手段審査に用いられることもある。
合理性基準は、目的が正当(legitimate)であること、つまり、憲法により禁止されてはいないこと、手段が目的と「合理的関連性」を有すること、つまり、一般人が合理的な手段と判断するものであることを求めるものである。
議員は一般人の代表であるから、議会が合理的と判断したものは原則的には合理的と認められるべきだとされ、ゆえに、不合理が明白である場合以外は違憲とされることはないことになる。 このため日本では「明白性の基準(あるいは原則)」とも呼ばれている。
アメリカでは、規制される人権の性格や規制の手法などを基礎に、どの場合にはどの基準を用いるべきかを考えるアプローチを採用している。
たとえば、表現の自由の規制には厳格審査あるいは中間審査基準を用いる(特に政治的表現の制限には厳格審査が適用される)のに対し、経済的自由の制限の場合には合理性基準を適用するといった区別が判例上確立されている。 このようなアプローチの基礎にある考え方で最も重要なものが、二重の基準論といわれるものである。 e) 二重の基準論
これは、裁判所が法律の違憲審査を行う場合に、精神的自由権の規制の場合と経済的自由権の規制の場合では、審査基準の厳格度が異なるべきだという考え方をいう。
その根拠として、通常、次の二つの理由が主張される。 一つは、人権の重要度に違いがあるというものである。 個人にとって、精神活動の自由の方が経済活動の自由より重要であり、前者の規制についてはより厳格な基準で考えるべきだというのである。 しかし、人権としてどちらが重要かなど決められないという反論もある。
もう一つは、裁判所の能力と役割という観点からの理由づけである。
たとえば、裁判所は、議会と比べ、その組織・権限・手続の特性からいって、現代国家における経済的自由の規制の合理性を判断する能力を欠いているので、議会の判断をできる限り尊重すべきであるとされる。 しかし、より重要な理由は、民主政論を基礎にした裁判所の役割論である。 民主主義の原則からは、国民の判断が最大限に尊重されなければならないが、国民の意見を直接に代表しているのは議会である。 ゆえに、裁判所は議会の判断を尊重すべきである。 しかし、そういえるのは、議会が国民の意見を忠実に反映している限りのことであり、その反映のプロセスに障害が生じている場合には、この議論は成り立たない。 反映プロセスが正しく機能するためには、表現の自由を中心とする精神的自由が保障され、かつ参政権が保障されていることが必要である。 この民主的プロセスに障害をもたらすような法律が議会の多数派により導入される場合には、裁判所がチェックする必要がある。 民主的プロセスが確保されている限り、経済的自由の規制に問題があればこのプロセスを通じて国民が決めればよいから、裁判所は議会の判断を尊重してよい、というのである。
この民主的プロセスを基礎にした裁判所の役割論は、説得力のある見解であるが、この議論の射程については議論のあるところである。
たとえば、自己決定権が民主的プロセスに関係するのかどうかは、民主的プロセスをどう理解するかに依存する。 民主的プロセスが正常に機能するためには、自律的個人の存在が必要であることを強調すれば、自己決定権を制約する法律も民主的プロセスに関係するといえないわけではない。 いずれにせよ、「通常審査」を基本としつつ、より厳格な審査あるいはより緩やかな審査が妥当すべき場合を考えていくとき、参考にすべき議論である。
日本の最高裁も、考え方としては二重の基準論を受け入れる趣旨の意見を判決の中で述べているが、経済的自由権については厳格な審査は必要ないという文脈で使っているのみで、精神的自由権については厳格な審査が必要だという文脈でこれを使用した判例は、今までのところ存在しない。
しかし、二重の基準的な発想が判例にまったくないかというと、そうでもない。 というのは、経済的自由権の制限を審査した判例においては、利益衡量の結果合憲かどうかを判断するに際して立法府の裁量的判断を尊重するべきだという考えを表明している(薬局開設の距離制限が職業選択の自由に反しないかを判断した最大判昭和50年4月30日民集29巻4号572頁参照)のに対し、精神的自由権の制限については、一般的に立法裁量を尊重すべきだという立場はとっていないが、これは経済的自由権を定めた憲法22条と29条が特に公共の福祉による制限を明示しているということにも関係いしているとはいえ、そこに二重の基準の考えを読みとることも可能と思われるからである。 それに加えて、二重の基準からは優越的権利と位置づけられる選挙権に関しては、厳格な審査を行った判例が存在するのである(在外日本人の選挙権制約を違憲と判断した最大判平成17年9月14日民集59巻7号2087頁参照)。 f) 比例原則の理論
ドイツの憲法裁判所がしばしば使う違憲審査手法は「比例原則」の適用である。
それによれば、審査の焦点は、目的の正当性を前提にしたうえで、目的と手段の関係に置かれ、人権制限が合憲とされるためには、手段が、①目的と適合的であり(適合性の原則)、②目的達成のために必要であり(必要性の原則)、かつ、③目的と均衡するものでなければならない(狭義の比例原則)、とされる。
これをアメリカの審査基準論と比較すると、第一に、目的の正当性は前提とされているようであり(ただし、目的の正当性の審査も比例原則による審査に含まれているという説もある)、目的審査に対応する段階が明確には設定されていない。
第二に、①と②はアメリカの手段審査に対応しており、かつ、①は、実現すべき公益の側に着目し、目的と何らかの適合性があればよいとされているから、きわめて緩やかな基準であり、アメリカの合理性基準における手段審査に近いと思われるが、②は、制限される人権の側に着目し、人権制限が最小限である手段の採用を要求する基準とされているから、ある程度厳格な基準であり、アメリカにおける中間審査あるいは厳格審査における手段審査に対応するものと理解することができよう。 したがって、手段審査の側面においては、①と②を総合すれば、①をパスしたものにつきさらに②の審査を行うのであるから、アメリカの合理性審査基準は排除され、全体としてアメリカの「高められた審査」(=中間審査および厳格審査)が行われるものと思われる。 しかし、手段審査を厳格に行っても、目的審査はないか、あっても「正当な」ものであればよいとされているにすぎないから、目的(公益の実現)が正当ではあるが些細なものである場合には、手段としての人権制約が目的達成に必要最小限のものであっても、失われる人権利益が実現される公益より大きいということが生じうる。 それに対処するために設定されているのが③の審査であり、失われる利益の方が大きい場合には、③により目的と手段が不均衡として排除されるのである。 したがって、アメリカの目的審査に対応する操作が③により担われると理解することができると思われる。
アメリカの審査基準論においては、目的審査と手段審査をパスすることにより、得られる利益と失われる利益の均衡が確認されると考えるのに対し、ドイツでは手段審査により明らかに違憲とされるべき場合を排除した後に、最終的な決め手として、得られる利益と失われる利益の衡量を行うのである。
その背景には、基本的な考え方の違いがある。 アメリカの発想は、得られる利益と失われる利益を比較・衡量する基準を設定し、その基準に従った目的審査と手段審査をパスすれば、利益は均衡しているとみなして、さらに両利益の均衡を審査するということはない。 それに対し、ドイツの比例原則においては、③で行う両利益の衡量こそが決め手であり、①と②は決め手を使うまでもない場合を排除する役割を担わされているのである。 ゆえに、アメリカの審査手法が「基準に基づく利益衡量」であるのに対し、ドイツのそれは基準なしの「裸の利益衡量」と評することができよう。
日本の最高裁判決の中には、猿払判決や薬局開設距離制限違憲判決などのように、ドイツの比例原則により理解した方が説明しやすいと思われる判決も存在するが、最高裁自身がアメリカとドイツの審査方法の違いを意識していると考えるのは困難であり、目的審査と手段審査の枠組で審査を行い結論を出している判決も多い。
いずれの方法にも長所・短所があり、一般論としてどちらがよいと簡単にはいえないが、日本が現在直面している問題は、最高裁が行っている利益衡量が多くの場合基準なしに行われているという点にあることを考えると、可能な限り審査基準論の発想を取り入れることが当面の課題であろう。 |
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<目次>
Ⅰ 包括的人権としての幸福追求権
日本国憲法は、「個人の尊厳」を基本価値とし、すべての国民を「個人として尊重」することを宣言した。
そして、その意味をもう一歩具体化して、一方で、国民が「生命、自由及び幸福追求に対する権利」(「幸福追求権」と略す)を有すること、他方で、すべての国民が等しく個人として尊重されねばならないことから、この権利が「公共の福祉」の制限に服することを明らかにしている(13条)。 公共の福祉については、前章で説明した。 ここでは、幸福追求権について説明する。 1 幸福追求権の法的性格(1) 個別人権の源泉
日本国憲法は、13条で幸福追求権に言及した後、14条以下で個別の具体的人権を列挙し保障している。
問題は、幸福追求権と個別人権の関係をどう理解するかであるが、幸福追求権が「個人として尊重」されることの意味を国民の側から「主観的権利」(主体の側から請求しうる権利)として包括的に捉えたものであるとすれば、個別人権は、その主観的権利をさらに具体化し、憲法制定時点において「個人として尊重」されるといえるために不可欠と判断されたものを列挙したものと解することができよう。 ここで重要なことは、幸福追求権は、そこから個別人権が派生した源泉的権利であって、個別人権の総計に尽きるものではないということである。 換言すれば、幸福追求権は、つねに新たな具体的人権を生み出していく母胎的な役割を果たす観念として設定されているのである。 日本国憲法は、人権をそこで列挙した個別的人権類型に限定したのではなく、時代の変化に応じて生ずる個人の新しい必要・要求が具体的人権として個別化されることを認めていると考えるのである。 人権がそこに列挙された個別人権に限定されると解せば、新しい人権を認めるためには憲法改正が必要ということになる。 それはそれで一つの考え方ではあるが、日本国憲法のように憲法改正をきわめて重い手続の下に置いているところでは、時代の要請に対応するための柔軟性を欠くきらいがある。 そこで、憲法の改正ではなく、解釈を通じて柔軟に対応する可能性を残すべきだという考慮から、解釈を通じて新しい人権の創設を認める考えが支配的となっているが、その場合の法的な根拠が幸福追求権なのである。 (2) 一般的行為自由説と人格的利益説
幸福追求権は、個別人権を基礎づけている根拠規定であり、その意味で新しい人権を生み出す根拠となるが、個別人権そのものではないから、権利主張の直接的根拠として援用しても直ちには認められないであろう。
したがって、新しい人権を主張する場合には、幸福追求権を究極的な根拠としながらも、直接的な根拠としては個別的・具体的な新しい人権類型を定式化して主張する必要がある。 この具体化・個別化(分節化)に成功して初めて人権として承認されることになるのである。
学説は、幸福追求権の意味内容につき、一般的行為自由説と人格的利益説に分かれている。
人格的利益説は、幸福追求権を「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体」と解する。 これに対し、一般的行為自由説は、他者の利益を害しないあらゆる行為の自由が幸福追求権の保護対象となると解する。 この対立は、人権論の想定する人間観の側面と人権保障の担い手として誰に期待するかという側面における対立を含んでおり、それぞれの側面のもつ意味を理解しておく必要がある。
まず人間観の側面であるが、人格的利益説は、人権の主体としての個人を、自らが最善と考える自己の生き方を自ら選択して生きていく人格的・自律的主体と想定し、人権をそのような人格的・自律的生のために必要不可欠な利益と解する。
ここでは、個々人が自ら自由に最善と思う生き方を選び取って生きていくという「生」のあり方が重視されており、個々人にそれを判断する能力があることが前提とされている。
これに対し、一般的行為自由説は、個人をごく限られた能力しかもたない存在と考え、何が最善かを予め選択して生きていくというよりは、何が善い生き方かを探り出そうとして行動し、失敗を繰り返す経験の中から少しずつ学び取っていく存在と考える。
人権とは、そのような試行錯誤を可能とする手段であり、ゆえに人格的・自律的生を生きようとする者からみればつまらないと思われるようなことも、自由に行うことを許すものであるべきだと考えるのである。 両者の具体的な違いは、髪型とかバイク運転とかの自由が幸福追求権によりカバーされると考えるかどうかといった点に現れることになる。
対立のもう一つの側面は、幸福追求権の保護に際して裁判所にどの程度の役割を期待するのが適当かという問題に関係する。
両説ともに幸福追求権を具体的権利と解するから、幸福追求権の侵害が問題となれば、裁判所が介入しうるということになる。 したがって、一般的行為自由説のように幸福追求権を広くとれば、裁判所の介入しうる範囲が広がり、人格的利益説のように幸福追求権を限定すれば、裁判所の介入も限定されるのである。 要するに、たとえば髪型が規制されたとき、その是非を裁判の場で争うのが適切か、それとも政治的なプロセスで争うのが適切かということなのである。 なお、一般的行為自由説はドイツの憲法裁判所が日本国憲法13条に相当する基本法2条(人格の自由な発展の権利)の解釈としてとる立場であるが、基本権制限の正当性を比例原則により審査する立場と深く結び付いていることに注意が必要である。 憲法の保障する権利を広く認めても、その制限の許容性を比例原則により審査する限り問題はないと考えていると思われるのであり、比例原則と異なる「審査基準論」を採用する場合には(134頁参照)、人格的利益説の方が整合性が高いと思われる。
しかし、両説の問題は、ともに幸福追求権を《一つの》具体的・個別的な人権と捉えていることである。
それが具体的な個別人権であるならば、あらゆる人権侵害に対抗しうる根拠規定となりうるはずであるから、14条以下の個別人権は不要ということにならないであろうか。 この点を両説は、幸福追求権と14条以下の個別人権の関係は一般法と特別法の関係にあり、したがって特別法である個別人権が優先的に適用され、個別人権にないものが幸福追求権により保障される「新しい人権」とされるのだと説明している。 ということは、個々の「新しい人権」は幸福追求権という《一つの》人権の諸適用事例と理解されるわけである。 しかし、特別法が一般法に優先するという原則は、両者が矛盾した場合の問題であり、矛盾しない場合に特別法を優先させねばならない理由はない。 しかるに、幸福追求権と個別人権は矛盾する関係にはないのであるから、両者の関係を一般法と特別法に類比するのは問題である。 むしろ基本法と具体化法の関係に類比すべきであろう。 あるいは、抽象的権利と具体的権利といってもよい。 幸福追求権という抽象的権利が母胎となり、そこから個別人権が具体的権利として派生してくるのである。 この立場からは、一般的行為自由説は抽象的権利のレベル、人格的利益説は具体的権利のレベルに対応した議論という理解になる。 ともあれ、「新しい人権」は各々が個別人権として構成されねばならない。 幸福追求権という一つの人権の適用事例ではないのである。 もちろん、各々の「新しい人権」がそれぞれの適用事例をもつことはいうまでもない。 (3) 裁判所による「新しい人権」創設の根拠
新しい人権が承認されるとは、裁判所がその侵害に対し救済を与えるということであり、新しい人権の創設にあたって最も重要な役割を果たすのは裁判所だということになる。
国会が新しい人権の創設を認めたいと考えるときには、その旨の法律を制定すれば足りる。 社会が必要とするに至る新しい権利を形成していく通常の方法は、法律の制定である。 しかし、何らかの理由で国会がこの必要に応えてくれないとき、裁判所による新しい人権の創設に期待しようということである。 したがって、場合によっては、国会と対立する政策判断・価値選択を裁判所が「憲法上の人権」の名において行うということを意味する。 このようなことは、憲法の想定する国会と裁判所の役割分担という観点からはきわめて例外的なことであり、国民の間に新しい人権の原理的承認について広範なコンセンサスが形成され、その基本的な内容が裁判官の恣意的・主観的な価値判断をほとんど入れる余地のないほど明確になった段階で初めて認められるものだと考えなければならない。 ただし、人権は基本的には社会の少数派の保護を目的とするから、「新しい人権」が広範なコンセンサスの下に個別人権として承認されれば、その個々具体的な適用についてのコンセンサスまでは必要でない。
新しい人権の承認のためには、少なくとも次の二点の論証が必要である。
①自律的生のために不可欠な利益であること、 ②その利益の確保が非常に困難となっていること、換言すれば、その侵害の危険性が非常に高くなっていること。 個別人権として列挙されているものは、制憲時にこのような性格をもつと判断されたものである。 新しい人権は、制憲時には①あるいは②の要件を欠いていたが、今日状況の変化等により要件に該当するに至ったものということになる。
以下に、これまで日本で「新しい人権」として議論されてきた主要なものを取り上げ、簡単に説明しておこう。
2 新しい人権(1) プライバシーの権利と個人情報の保護(ア) プライバシーの権利
19世紀末のアメリカで新聞・雑誌が大衆紙・誌として発売されるようになると、有名人の私生活を暴露したり名前を無断で利用したりする問題が生じ、プライバシーの権利が「放っておいてもらう権利」(right to be let alone)として主張されるようになった。
この権利は、最初、不法行為法上の権利として判例上確立するが、その内容は相当広範で様々な利益を含んでいた。 それが、後に次の四つの内容に整理される。 第一が、覗き見や盗聴など私的な秘密領域への侵入を受けない権利、 第二が、人に知られたくない秘密を暴露・公表されない権利、 第三が、本人の実像とは異なる誤った印象を与えるような描写を流布されない権利、 第四が、氏名や肖像を無断で広告等に利用されない権利 である。
日本の裁判所も、三島由紀夫のモデル小説「宴のあと」事件の判決(東京地判昭和39年9月28日下民集15巻9号2317頁)においてプライバシーを不法行為法上保護されるべき利益として認め、その侵害に対し損害賠償を命じた。
ただし、不法行為法上の利益であるから、憲法上の人権と認めたわけではない。
日本国憲法は、通信の秘密(21条2項)や住居の不可侵(35条)の規定によりプライバシーの利益を部分的に保護しているが、プライバシーの権利を個別人権としては規定していないので、「宴のあと」事件判決を契機に、これを「新しい人権」として認めるべきだという議論が盛んになり、学説上はこれを認めるのが今日の通説となっている。
最高裁の判例は、これを個別人権と真正面から認めてはいないが、肖像を正当な理由なく撮影することは13条の趣旨に反するとした判例(最大判昭和44年12月24日刑集23巻12号1625頁)や、区長が漫然と弁護士会の照会に応じて前科を報告したのを権利侵害と認めた判例(最三判昭和56年4月14日民集35巻3号620頁)が存在し、実質的にはプライバシーの権利を国家に対して主張しうる憲法上の権利と認めていると評しえよう。 (イ) 個人情報の保護
プライバシーに関連して、最近重要となってきたのは個人情報の保護という問題である。
テクノロジーの発達(盗聴器、監視カメラ、コンピュータなど)により、今日では個人の情報が容易に収集・保有・蓄積されるようになってきた。 国家は、積極国家の下で、ますます社会に介入することを要請され、そのために必要な個人情報を大量に収集・蓄積するようになった。 民間企業も、営業の効率化を目指して顧客に関する様々なデータを集積している。 このために、個人は、一方で、これまではその場その場でばらばらに集められていたにすぎない自己の情報が、コンピュータにより結合処理され、自己の全貌が把握され私的な秘密領域を保持しえなくなるのではないかという危機意識をもつようになり、また他方で、自己に関する誤った情報が自己の手の届かない状態で流布し、それに基づく不利益な処分が知らないうちになされるのではないかという不安感におそわれるようにもなってきた。 ここから、自己に関する情報は自分自身でコントロールしうることが保障されねばならないという主張が生じたのである。 自己情報コントロール権と呼んでいる。
この権利は、
①本人が知らないうちに情報が収集され利用されることを禁止し(収集制限)、 ②情報収集は明確な目的に基づきその目的に必要な範囲内でしか行ってはならず、目的外利用は許されず(目的外利用の禁止)、 ③情報の正確さを担保するために本人の閲覧・訂正・使用停止請求を認める(閲覧・訂正等請求権)、 などを内容とする。 それは、伝統的なプライバシーの権利を情報のコントロールという側面から捉え直した意味をもつが、プライバシーの権利よりも広い内容をカバーしており、特に開示・閲覧請求や訂正請求は相手の積極的な行為を要求することもあり、今のところ自己情報コントロール権はそれがカバーする諸領域すべてを含めて一つの個別人権と認められるには至っていない。
個人情報を保護するための立法は、ヨーロッパ諸国では1970年代に始まるが、日本では取組みが遅れた。
それでも、地方公共団体が国に先行して取り組み始め、川崎市や東京都などが自治体の保有する個人情報に関して保護条例を制定した。 その後、国も1988年に「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」を制定したが、この法律は対象を電算機処理された個人情報に限定し、また、訂正請求権を認めないなど、不十分な内容であった。 また、民間の事業体が保有する個人情報を保護する立法もない状態が続いたが、ようやく2003年に民間事業者をも対象とした「個人情報の保護に関する法律」が制定され、同時に上記法律を改正する「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律」も制定されて、ようやく日本でも個人情報保護の法体制が整った。 また、こうした立法府の動きと並行しながら、最高裁の判例においても、プライバシー保護の延長上で個人情報保護の観点にウェイトを置く議論を展開したものが現れてきている。 たとえば、早稲田大学が江沢民講演会に出席した学生名簿を警備の必要を理由に警察に渡したことが個人情報をみだりに他者に開示したことにあたるとして賠償責任を認めた判決(最二判平成15年9月12日民集57巻8号973頁)や、市町村が住民の本人確認情報を住基ネットに提供することは、データマッチングや名寄せによりプライバシー侵害の具体的危険を発生させるとして、提供の差止めあるいは国家賠償を求めた訴訟において、本人確認情報の目的外利用には住基法上重い刑罰により禁止される等の制度的担保が組み込まれており、プライバシー侵害の具体的危険が発生しているとはいえないとした判決(最一判平成20年3月6日民集62巻3号665頁)が存在する。
個人情報を保護するために個人情報を扱う者を規制する法律は表現の自由や学問の自由と衝突する可能性がある。
これに対処するために、個人情報の保護に関する法律は報道機関・研究機関・宗教団体・政治団体等を適用除外とした(50条参照)が、運用段階で微妙な調整の必要は起こりえよう。 (2) 自己決定権
国民を個人として尊重するということは、個々人が自己の生き方を自ら決定することを尊重することであった。
個々人は個性をもち、相互に異なる存在であり、したがって個々人が個性的な生を選択することが許されなくてはならない。 国が個人の生の基本的あり方を一定方向に強制したり、画一的な生を押しつけたりするようでは、個人として尊重したとはいえないだろう。
我々がどのような人生を送るかを考えるとき、基本的に重要な意味をもつものとして、結婚するかどうか、誰と結婚するか、誰と一緒に住むか、子どもをもつかどうか、どこに住むか、どのような職業に就くか、などを挙げることができる。
こういった、どのような人生をどのように生きるかに関する基本的に重要な決定を自由になしうる権利を、ここでは自己決定権と呼んでおきたい。 結婚の自由については憲法24条が保障しているが、近年議論され始めた同性間の結婚まではカバーしていないというのが通説である。 しかし、ヨーロッパ諸国やアメリカの州では同性婚を認める例も増加してきている。 子どもをもつかどうかについては、生殖の知識と医療技術の進歩によって、倫理上の制限を別にすれば、相当自由な選択が技術的には可能となってきている。 そのとき、避妊や妊娠中絶を規制することは、個人に、特に女性に、一定の生き方(母親として生きること)を強制することにならないだろうか。 妊娠中絶については、胎児の生命保護という観点から必要な限度の制約はありうるにしても、それを超える制約は個人の尊重に反するように思われる。 他方、居住の自由や職業選択の自由は、憲法22条で保障されているが、これは経済的自由権として位置づけられている。 しかし、たしかに経済的観点から規制がなされた後にも多様な選択の余地が残されているという場合には、その規制を経済的自由権の規制と捉えることができるにしても、それを超えて、特定の場所や職業を押しつけるに近いような規制であれば、基本的な生き方の制限と捉えるべきではなかろうか。
こういった問題を背景に、現代社会における新しい人権として自己決定権を認めるべきではないかという意見が有力になってきている。
しかし、自己決定権の核心部分はその内容が比較的明確であるものの、周辺部分においてどこまでが自己決定権に含まれるかを明確に定式化しえていない段階にあり、判例もはっきりと認めるまでには至っていない。 この点、従来日本で自己決定権の問題として裁判上争われてきたものには、基本的な生き方の自己決定とは異なるものが多かったことも、問題を混乱させてきた一因であった。 たとえば、生徒の髪型や服装の規制、高校生に対するバイクの禁止などは、自己決定権の制約というほど重大な問題とはいえないであろう。 もっとも、丸刈りの強制は、髪型の規制を超えて、画一性を押しつける意味をもっていて問題ではある(判例は、丸刈りの強制も許されるとした。熊本地判昭和60年11月13日行集36巻11=12号1875頁参照)。 しかし、これは後述の人格権の侵害と捉えた方がよいように思われる。
自己決定権に関連して特に注意を要するのは、その制約の正当化理由である。
というのは、ここではパターナリズムが持ち出されることが多いからである。 パターナリズムによる正当化は安易に認められてはならず、「侵害原理」による正当化(原則的には「通常審査」)の場合より厳格に審査すべきである。 たとえば、手術に際して本人の明確な意思に反して輸血をする場合、これを侵害原理で正当化することは困難であるが、安易にパターナリズムを持ち出すことも避けるべきであろう(最三判平成12年2月29日民集54巻2号582頁参照)。 (3) 人格権
人格権という言葉も様々な意味で用いられていて、プライバシーの権利や自己決定権まで含めて使う用法もあるが、ここでは、個人の身体的および精神的な完全性(integrity)への権利という意味に限定して用いる。
その権利内容としては、身体への侵襲や精神的苦痛からの自由を考えている。
身体的完全性の侵害としては、たとえば強制採血・採尿がる。
環境権も、かかる意味での人格権を含み、その限りでは、判例も(人格権という表現を用いているわけではないが)承認するに至っている(空港の騒音公害につき損害賠償を認めた事例として、大阪国際空港公害訴訟・最大判昭和56年12月16日民集35巻10号1369頁参照)。
精神的完全性の侵害の例としては、名誉毀損が典型である。
逃れようのない状況下で見たくも聞きたくもない情報を強制されるという「囚われの聴衆」(captive audience)の問題も、ここでの人格権侵害の問題として理解できよう(車内商業宣伝放送を人格権侵害として争った事件の最高裁判決、最三判昭和63年12月20日判時1302号94頁参照)。
指紋押捺の強制もここに含めておく(正当な理由もなく指紋押捺を強制することは憲法13条の趣旨に反すると述べた判例として、最三判平成7年12月15日刑集49巻10号842頁)。
もっとも、指紋は、個人情報でもあるから、自己情報コントロール権として捉えることも十分可能ではある。 (4) 適正な行政手続
国民は自己に不利益な処分を受ける場合には、適正な手続を保障されなければならない。
刑事的な処分(刑罰等)については、憲法31条が適正手続の一般規定を置き、32条以下で具体的内容を個別に定めている。 しかし、行政手続については規定がない。 そこで憲法31条を行政手続にも類推適用すべきだという学説も有力であるが、31条は明らかに刑事手続を対象とした規定であるので、行政手続の適正性要求は13条により根拠づける方がよいであろう。
何が適正な手続かは、不利益処分の性質にも依存し、一概にいうことはできないが、事前に告知を受けることと聴聞の機会を与えられることは、自己の利益を弁護するための最低限の要求であろう。
現在では、行政手続法が制定され、適正手続の確保に配慮しているので、その限りではこれを憲法上の権利として構成する実益は減少した。 もっとも、行政手続法は、法律により適用除外とされている領域がかなり存在するので、そのような領域については憲法が意味をもちうる。 (5) 特別犠牲を強制されない権利
特定個人の犠牲において全体が利益を受けるとすれば、犠牲となる個人を「個人として尊重」していないことになろう。
もっとも、すべての個人が平等に尊重されるために必要な犠牲は、公共の福祉の下に甘受すべきであった。 ゆえに、ここで問題とする犠牲は、これを超える程度の特別の犠牲である。 憲法29条3項は、財産権に関する特別犠牲につき、これを規定している。 個人の財産権を公共の利益のために収用するには、正当な補償が必要とされているのである。 しかし、問題は財産権に限られないはずである。 たとえば、国の勧めで予防接種を受け後遺症の被害を受けた児童が損害賠償を求めたのに対し、裁判所は伝染病からの集団的防衛のために特別の犠牲を強いた意味をもつとして国の責任を認めたが、その根拠として29条3項の類推適用や13条を援用した(たとえば、東京地判昭和59年5月18日判時1118号28頁参照。ただし、最高裁は過失の成立を認めて国家賠償で救済する方向を示している。最判平成3年4月19日民集45巻4号367頁参照)。 生命・身体への権利は「収用」の概念にはなじまないが、全体の利益のために特別の犠牲を受けてはならないことは財産権の場合と変わりないであろう。 また、衆議院の委員会で議員が行った発言により名誉を毀損されたと主張して起こした損害賠償請求訴訟につき、最高裁は憲法51条の規定する議員の免責特権を一つの根拠に請求を棄却した(最三判平成9年9月9日民集51巻8号3850頁。ただし、決め手は国賠法による請求は公務員の個人的責任を原則として認めていないという点に求められている)が、この場合、名誉を毀損された個人の犠牲において全体が利益を受ける(免責特権により議会での自由な討論が促進される)という関係にあることを考えると、特別犠牲者に損失補償をするのが公平と思われる(354頁参照)。 こうした事例に共通する公平の原理の具体化として、新しい人権の一つを構成することができるのではなかろうか。 Ⅱ 法の下の平等
国家が個人に対し何らかの処分を行う場合には、「個人として尊重」したといいうるだけの扱い方をしなければならない。
その保障として重要なものは、適正手続と平等処遇である。 適正手続は裁判手続については当然のこと(32条の要請。259頁参照)、刑事上の手続と行政上の手続でも問題となるが、刑事手続については人身の自由に関連して触れることにし、行政手続については「新しい人権」の一つとして述べたので、ここでは平等権について説明する。 1 平等の観念
個人を平等に処遇するとは、「同じ状況にある者は、同じに扱う」ということである。
誰をも同じに扱うことは、必ずしも平等ではない。 異なる立場・状況にある者を同じに扱うのは、同じ立場・状況にある者を別異に扱うのと同様、平等に反する。 しかし、問題は、同じ状況にあるとはどのような場合であり、どうすれば同じに扱ったことになるかである。 それは、平等をいかなる意味に理解するかにより異なりうる。 (1) 機会の平等と結果の平等
近代の平等が求めたものは、まず第一に、封建的な身分制からの解放であった。
フランス人権宣言第1条が規定したように、「人は自由かつ権利において平等なものとして生まれ、かつそうあり続ける。社会的な特別待遇は、共通の利益を基礎にしてのみ行いうる」ということでなければならない。 生まれながらにして特定の身分に縛られ、職業をはじめとする個人の生き方が、最初から拘束されているということであってはならないのである。 人生の出発点において、すべての個人に平等な機会が与えられなければならない。 平等に与えられた機会をどのように生かすかは、個人の自由と能力に委ねられる。 その結果として人々が平等でなくなることは、平等原理に反するものではない。 重要なのは、すべての個人が平等な機会を与えられることなのである。
フランス人権宣言に表現されているように、近代の人権が要求したのは、まず自由であり、平等はその後にくる。
ゆえに、平等は自由と調和する内容に理解されねばならない。 個人の自由な活動と調和しうるのは、「機会の平等」であり、「結果の平等」ではない。 個々人に個性があり、能力の違いがあるところで「結果の平等」、すなわち個々人の生活に格差が生じないこと、を目指せば、自由な活動の広範な規制が必要となろう。 それは、自由を重視した近代人権観・近代的自由主義の受け入れるところではなかった。 自由と平等の調整は、自由を中心に平等を「機会の平等」と捉えることによって行うべきだと考えられたのである。 (2) 形式的平等と実質的平等
平等というのは、人と人の比較から生ずる観念である。
人を比較するとき、個々人が置かれた諸状況をどこまで考慮に入れるかという問題が生じる。 個々人の置かれた状況をきわめて抽象的なレベルで捉えて比較すれば、具体的な諸状況の違いは捨象されて、「同じ状況」にあるとされることが多くなろう。
近代の初期においては、個人をアンシャン・レジームの社会的な束縛から解放したいとするあまりに、個人をきわめて抽象的なレベルで「人一般」として捉えようとする傾向が強かった。
個々人を「人」としての資格においては同等であり、同一の扱いをすべきだとすることにより、身分等による法制度的な差別を廃止したのである。
これにより、たしかに法制度上の身分等による差別は除去されたが、現実の個人は事実上不平等な社会的状況下に置かれており、実質上は自己を発展させる平等な機会など与えられていなかった。
にもかかわらず、平等権の法的な保障を宣言しただけで機会の平等は実現されたとみなされてしまい、その結果、19世紀を通じて富者と貧者の格差、結果の不平等が拡大した。
結果の不平等を生み出す要因は、少なくとも二つある。
一つは、機会を生かす能力の違いであり、もう一つは、機会の不平等である。 自由を強調する限り。前者を非難することは困難である(もっとも、最近では、天賦の能力により生ずる結果の不平等は正当化できないとする見解が有力となってきている)が、19世紀後半以降、結果の不平等を生み出しているのは、実は前者というよりは後者ではないかという問題意識が芽生え、次第に強くなってくる。 つまり、法律上抽象的に認められたにすぎない機会の平等は、潜在的能力はあっても資財や条件等を欠くためにそれを現実に利用できない者にとっては、形式的な平等にすぎない。 個々人が置かれた具体的状況を考慮して、現実に機会を利用しうる実質的な「機会の平等」を保障すべきではないか。 スタート・ラインの形式的ではなく実質的な平等こそが重要なのであり、それが保障されて初めて、結果の不平等が能力の差によって正当化されうることになるのではないか。 平等の捉え方について、このような変化が生じたのである。 ここで注意すべきは、結果の平等と機会の実質的平等を混同しないことである。 先に述べたように、結果の平等を追求することは、自由の尊重と調和しがたい。 しかし、機会の平等の実質化を追求することは、結果の平等を追求することとは異なる。 たしかに機会の実質化的平等を求める場合に、結果の不平等の存在を指摘し批判することがある。 しかし、それは結果の平等を主張するためではなくて、結果の不平等が何に由来するかを検討するきっかけとしてである。 結果の不平等が存在するなら、その原因は何かが明らかにされねばならない。 そして、もしそれが能力や努力の違いといった正当化しうる理由ではなく、機会の不平等から生じていることが論証されれば、機会の平等の実質化を求めることは正当であり自由と矛盾はしない。 (3) 国家による平等
近代における平等権は、「権力からの自由」の構造で理解された。
つまり、国家による不平等処遇からの自由として観念されたのである。 形式的平等権が要求したのは、国家が個々人を法律上形式的に同じ扱いをすることであった。 富者も貧者も同じに扱われていれば、その要求は満たされたのである。
実質的平等の要求も、最初は「権力からの自由」の構造の下で理解された。
個々人が同じ状況にあるのか、同じ扱いを受けているのかの判断を、形式的ではなく実質的に行うべきだというのが、その要求であった。 しかし、この要求は、実質的平等のために必要なら、国は形式的な別扱いをすることも許されるという意味を内包する。 たとえば、男性と女性を形式的に同じに扱えば、不当な「結果の不平等」が生じうる。 それを避けるために、実質的な平等扱いを実現しようとすれば、男性と女性を形式的には別扱いする必要が生じる。 女性に対して出産のための休職の権利を認めることなどがその例である。 そのような別異処遇は、実質的な観点から平等権を捉えるときには、憲法上許されるべきだということになる。
さらに、実質的な平等の実現こそが憲法の要請であるとすると、形式的別異処遇が場合によって許されるだけでなく、必要でさえあるという論理に展開する。
形式的別異処遇をしなかった結果、実質的な不平等が生じていれば、別異処遇をしないことは違憲であるということになるのである。 この論理をもう一歩進めると、国家は、実質的不平等という憲法違反の状態が生じているときには、それを解消するための積極的な措置をとる義務を負うという考えに行き着く。 たとえば、女性が社会的な偏見のために平等な雇用機会を与えられていない場合には、国は女性を優先的に雇用し、あるいは、民間企業に雇用させる措置をとる義務を負うと考えるのである。 このように社会的に差別された人々を優遇する措置を優先処遇とか積極的差別是正措置(affirmative action, positive action)とかいうが、これは「国家による平等」という構造をもつ。
もっとも、現在のところ、平等権は優先処遇を受ける権利まで含むとは解されていない。
国家は、法律により優先処遇の政策を採用することも許されるというにすぎず(雇均8条参照)、しかも、それが度を超せば「逆差別」として憲法違反となる可能性もあると考えられている(優先処遇の審査基準に関しては158頁参照)。 2 日本国憲法における平等保障
平等権は、アメリカの独立宣言やフランスの人権宣言に典型的に表現されたように、近代人権の基本原則であり、立憲主義的憲法のほとんどが採用してきた。
君主身分の存在を前提にした立憲君主政の憲法においてさえ、フランスの1814年シャルトやプロシャ憲法にみられたように、国民(臣民)の法の下における平等を保障していた。 ところが、明治憲法には平等権を一般的に保障する規定はなく、わずかに公務就任に関して19条で「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」と規定されたのみであった。 明治憲法下においては、貴族制度(華族制度)が存在したし、女性は様々な関係で法律上差別されるなど、平等原則はきわめて不十分な状態にあったのである。
日本国憲法は、明治憲法下の不平等状態を清算すべく、平等権保障の徹底を図った。
憲法14条1項で平等権の一般規定を置くとともに、さらに同条2項・3項で貴族制度の否定と、特権を伴いあるいは世襲されるような栄典授与の禁止を規定し、15条3項と44条で選挙に関する平等を、24条で結婚・家族生活に関する両性の平等を、26条で教育を受ける権利の平等を規定している。 しかし、他方で、象徴天皇制を採用し、天皇・皇族という身分制を残したので、その限度で平等権を貫徹するには至っていない。
以下では、14条1項の一般規定を中心に平等権の解釈問題を解説する。
(1) 解釈上の諸論点
14条1項は「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定する。
この条文の解釈における主要な論点は三つある。 第一は、「法の下の平等」とは法の適用における平等を要求するのみか、それとも法の内容における平等も要求するのかという問題であり、 第二は、本条の平等要求は、例外を許さない絶対的・機械的なものか、それとも例外を許す相対的なものかであり、 そして第三は、人種・信条等の列挙は、例示的か限定的かという問題である。
判例・通説は、第一の論点につき法内容平等説に立ち、法の適用における平等のみならず法の内容における平等も要求していると解し、第二の論点につき相対的平等説に立ち、「合理的差別」は許容されると解し、第三の論点については、14条1項が保障したのは一般的平等権であり、列挙事項は例示にすぎず、列挙事項以外の、たとえば教育・財産(44条参照)に基づく差別も、禁止されると解している。
もっとも、第三の論点については、例示説にもニュアンスの違いがあり、例示事項に特に意味を認めない判例の立場に対し、学説の中には、例示事項に該当する場合には、違憲の疑いが強いので厳格な審査が要求されるとか、あるいは、違憲性が推定され挙証責任が転換されるので合憲を主張する側が論証する負担を負うと主張するものが有力となっている。 この立場からは、個々の列挙事項の意味を明確にすることが必要となる。
判例・通説に反対する学説の中には、第一の論点について、ワイマール期のドイツ憲法学説において法律の適用における平等説が支配的であったことの影響を受けて、日本国憲法の解釈としても法適用平等説が正しいと説きながら、第三の論点につては、列挙事項を限定列挙と解し、この列挙事項に関する限りは法内容の平等が絶対的に要求されると主張するものもある。
しかし、日本国憲法は、ワイマール憲法と異なり、裁判所に法律の違憲審査権を与えており、そのことを重視して、法律の内容が平等であることまで要求していると解すべきである。 また、列挙事項に関して法律内容の平等を例外なしに要求することは、たとえば女性の区別扱いの正当化を困難とするという難点を避けえない。
なお、14条1項の「政治的、経済的又は社会的関係」は、これにより社会に存在するあらゆる関係を網羅していると解されており、具体的な関係がそのいずれにあたるかを議論する実益はない。
(2) 列挙事項の意味(ア) 人種
人種とは、皮膚・毛髪・目・体型等の身体的特徴によりなされる人類学上の区別である。
これに基づく差別が不合理なものであることについてのコンセンサスはすでに広範に確立している。 にもかかわらず、世界各地に人種差別が存続しており、人類はいまだにこの偏見を根絶するには至っていない。 日本においても、アイヌ民族や在日韓国・朝鮮人の差別問題を解決しえていないことを忘れてはならない。 (イ) 信条
信条とは、個人の基本的なものの見方・考え方を意味するもので、思想と信仰の双方を含む。
個人を「個人として尊重」するということは、個々人の価値観に優劣をつけないことを含むのであり、信条に基づく差別を禁止したのは当然のことである。 ここにいう信条とは、宗教や世界観など個人の考え方の核心をなすものだけを指し、単なる政治的意見・政治的所属関係は含まないという説もあるが、多数説は両者の区別は相対的で困難であり、後者を含めて理解する方がよいと解している。 もっとも、内心の信条が外部的な行為として表れた場合に、その行為に基づき区別して処遇することは、信条に基づく区別とは異なる。 たとえば、国家公務員法38条5号は、国家公務員の欠格事由として「日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者」を挙げているが、これは結社の結成・加入行為に着目しており結社の自由の制限の問題ではあっても、信条に基づく差別と捉えるべきではないであろう。 ただし、行為に基づく区別が単なる口実にすぎず、真のねらいが信条の差別にある場合は別であり、そのような運用にならないよう注意する必要はある。 なお、信条に基づく差別は、良心・思想の自由の侵害と重なることが多いので、思想・良心の自由の問題(166頁)も同時に参照されたい。 (ウ) 性別
近代の人権が「人」(英語の man, 仏語の homme)の権利であったにもかかわらず、実際上は「男」の権利と観念され、女性は「人」を代表した「家長」の陰に隠れて人権の主体性を完全には認められなかった。
特に象徴的なのは参政権で、成人男性の普通選挙が19世紀に次第に認められていくなかでも、女性に対しては女性の本性や社会的役割を口実に女性には政治は向かないとする反対意見が支配的で、第一次大戦後、1919年にドイツ(ワイマール憲法109条2項)が、1920年にアメリカ合衆国(修正19条)が女性の参政権を認めるに至ったものの、他の国では、日本を含めて、第二次世界大戦後まで待たねばならなかった。
今日では、参政権に限らず、あらゆる権利について男女の平等が承認されている。
しかし、男女の役割論に関する伝統的な偏見は根強く、現在でも法的な平等と実態における不平等のコントラストは職場や家庭関係においてきわめて大きい(日本の就職における男女差別、夫婦同姓や夫婦別産制の実態参照)。 偏見が持続する一つの理由は、否定することのできない身体的な差に、もともと人為的に形成された文化的差別(男女の社会的役割区別論)が絡みついており、後者が前者からの不可避の帰結であると誤認されやすいことにある。 しかし、この点は、最近のフェミニズム運動などにより、肉体的な性差(セックス)と文化的な性差(ジェンダー)を区分けする努力がなされ、徐々にではあるが偏見が見直されてきている。
日本でも、戦後、憲法24条が結婚・家族関係における男女平等を強調したことを受けて、民法や刑法の改正(妻の無能力制度や強姦罪の廃止等)を通じて戦前に存在した法律上の女性差別が改善された。
しかし、婚姻年齢に男女差を規定した点(民731条)や女性のみに再婚禁止期間を定めた点(民733条。これを合憲とした最三判平成7年12月5日判時1563号81頁参照)などに偏見の持続が指摘されている。 労働関係における男女平等についても、戦後、労働基準法が制定され、男女の実質的平等を目指して女性の保護規定を置いた。 しかし、最近では、ジェンダー論の影響の下に、肉体的な性差に基づく女性の保護がかえって女性の役割に関する偏見を持続・助長させる危険もあることが指摘されるようになってきた。 そこで、国連総会が1979年に採択し1981年に発効した女子差別撤廃条約の批准(1985年)を機会に男女雇用機会均等法の制定(勤労婦人福祉法の改正)と労働基準法の改正が行われ、戦後導入された女性の保護規定が一部見直されるとともに、職場における女性の地位を向上させるための努力が今もなお続けられている。 特に、男女雇用機会均等法は、その後の諸改正により努力義務規定が差別禁止規定とされ、一定の間接差別も禁止され、事業者の差別解消措置も許容されるなどの進展が見られ、違反に対する制裁も徐々に強化されてきている点が注目される。 (エ) 社会的身分
社会的身分とは、広くは、人が社会において占めている地位をいうが、身分という言葉は、少なくともその地位がある程度長期にわたり持続する地位であることを含意するし、さらには、本人が自由に変更しうるものではなく、むしろ出生により決まっており原則的には変更ができない地位というニュアンスが強い。
学説上は、出生により決定されている点を強調する狭義説と、後天的な地位でも長期に持続する場合はそれまで含むとする広義説が存在するが、列挙事項に法的意味を認める立場からは、意味内容の明確な狭義説の方が支持されている。 この立場からは、尊属・卑属(後述の尊属殺重罰規定違憲判決参照)や非嫡出子(非嫡出子の法定相続分を嫡出子の2分の1と定めた民法900条4号但書を合憲とした最大判平成7年7月5日民集49巻7号1789頁参照)といった地位がこれに該当する(ただし、判例は必ずしもそうは認めていない)し、部落差別(同和問題)も社会的身分に基づく差別と捉ええよう。 (オ) 門地
門地とは、家系・血統等の家柄を指し、社会的身分の一部をなす。
貴族制度も門地による差別であり、本項により禁止されるが、これは2項により絶対的に禁止されていて、「合理的」なものとして許される余地はない。 もっとも、天皇・皇族は、門地にあたるが、これは憲法制定者が認めた例外である。 (3) 別異処遇の合理性を判断する枠組
個人の尊重という原理からは、個々人の違いは尊重されなければならず、そのような違いに応じた別異処遇は平等権の侵害にはならないはずである。
侵害となるのは、個人の尊重原理に反する別異処遇であり、その可能性の強い典型例が列挙事項に基づく別異処遇であった。 重要なのは、個人の尊重原理に反する別異処遇かどうかであり、それが「合理的差別」かどうかの問題として議論されてきた。
なお、差別は常に法の文面上行われているとは限らない。
文面上は平等に扱っているが、実態・結果においては不平等が生じているということもあり、実質的平等の観点からは、そのような場合も平等問題(間接差別の問題)と捉えていく必要がある。
差別の合理性を判断するには、次のような手順と枠組で行うのがよいであろう。
(ア) 比較の対象
まず「誰と誰」が差別されているのかを明確にすることが必要である。
平等権は他者との比較において生じる権利である。 したがって、誰と比較するかにより、どの権利がどの程度不平等扱いされているかが異なることがありうる。 差別を主張するためには、自己と同じ地位・状況・境遇にある者と比較して、自己の権利・利益が不利に扱われていると主張しなければならない。 比較の相手が自己と同じ境遇になければ、そもそも比較が成り立たない。 また、同じ境遇にあっても、相手が自己より不利に扱われている場合には、平等原則違反は存在するが、自己の平等権が侵害されたとは主張できない。 この点を明確にするためには、誰と誰を比較するのかを最初に明確にする必要がある。 比較の対象が適切かどうかが問題となった例として堀木訴訟(一審判決が障害者の女性が子を育てている母子家庭と夫が障害者である夫婦が子を育てている家庭とを比較したのに対し、控訴審判決は比較の対象にならないと判断)がある。 (イ) 差別の基礎
次に、それが「何に基づく」差別かを考える。
人種・信条等の列挙事項に基づくのか、それ以外の事由に基づくのか。 この点は、違憲の推定が働いて挙証責任が転換するのかとか、厳格審査を行うことになるのかに関係する。 アメリカの判例理論では、たとえば人種を理由とする別扱いは、「疑わしい分類」(suspect classification)とされ、厳格な審査が行われており、日本でもこの考え方は参考になる。 (ウ) 権利の性格
次いで、差別が「いかなる権利・利益に関して」なされているかを検討する。
これは、重要な権利・利益についての差別は、厳格な審査をすべきだという考えに関係している。 アメリカでは、「基本的な権利」(fundamental rights)についての差別は厳格審査に服するとされ、投票権や精神的自由権等がそれにあたるとされている。 (エ) 目的・手段の審査
別異処遇が合憲であるためには、その目的が正当で、かつ、手段が目的に適合したものでなければならない。
平等権の問題が生ずるのは、ある個人(の集団)を他の個人(の集団)と区別して異なる扱いをしている場合である。 そのような区別扱いは、一定の目的を実現するためになされるわけであるが、目的が許容されるものであるかどうかもさることながら、多くの場合、別異処遇される個人(の集団)の範囲を画定する線引き基準がその目的と適合しているかどうかが問題となる。 目的の達成に必要とされるより広い範囲の個人を別異処遇集団に取り込んでいれば、過大包含(overinclusive)となり、狭ければ過小包含(underinclusive)となって手段審査をパスできない。
どの程度厳格な審査を行うべきかについては、アメリカの判例理論の影響下に、厳格審査、中間審査(厳格な合理性の審査)、合理性審査の三つを区別する見解が有力である。
しかし、日本国憲法の解釈としては、まず通常審査と緩やかな審査(敬譲審査)の二つに分けるのが分かりやすいであろう。 区別の基礎が14条1項の列挙事項に該当する場合には通常審査をし、それ以外の場合は緩やかな審査でよいとし、そのうえで、参政権や精神的自由権等の重要な人権に関して別異処遇を行っている場合には審査の厳格度を高めることにするのである。
審査の厳格度に関して議論の対象となっている問題に、アファーマティヴ・アクション(積極的差別是正措置)がある。
これは差別を受けている特定の少数派のために多数派が行う差別解消を目指した少数派優遇政策という性格をもつので、多数派が少数派を差別するという通常の差別問題と比べれば審査の厳格度を緩めてもよいように思われる。 しかし、少数派に属するという理由で、特に具体的な差別を受けているわけでもない特定の個人が有利な扱いを受けたり、あるいは、多数派に属するという理由から特定個人が不利に扱われるのは、個人の尊厳の原理に反するから、アファーマティヴ・アクションの場合も通常と同一の厳格度の審査を行うべきだという見解も有力に唱えられている。 (4) 平等侵害の場合の救済方法
法律が自由権を侵害している場合には、その行為を違憲無効とすれば自由は回復される。
ところが、平等権を侵害している場合には、その規定を違憲無効とするのでは救済とならないことがある。 典型的には、法律が一定の権利を付与しているが、その要件が不合理な差別となっている場合である。 その要件を違憲無効とすると、権利を付与するための要件がなくなってしまい、差別は認められても権利は与えられないという結果になってしまうのである。 いかなる要件で権利を付与するかを定めるのは立法者の権限であり、立法者が定めた要件が違憲無効であれば、再度立法者が要件を定めるのを待つべきであって、裁判所としては判決理由中で法律を違憲無効と宣言する以上のことはできない、という見解もありうる。 しかし、それでは差別された者の救済にはならず、したがって差別されていても訴訟を起こそうという気にはなりがたいであろう。 しかし、平等な社会を形成していくためには、差別された者の訴訟提起を認めた方がよい。 そう考えれば、差別された者に本来認められるべきであった権利を裁判所が認める法理論を考えるべきではないかということになる。
そのような理論構成としては、基本的には二つが考えうる。
一つは、法律の解釈において、権利を付与する定めとその権利付与を制限する定めを区別し、不合理な差別規定を後者に属する規定と解釈・構成する手法である。 こうすると、差別規定が違憲無効となれば権利付与の制限は無くなり、法律が権利付与を認めていることになる。 たとえば、社会保障の給付に関して併給制限の規定が違憲無効の場合などは、この構造となることが多い。 しかし、この解釈は、法律解釈として権利付与とその制限という構造を読み込むのであるが、条文の構造上一つの条文が権利を付与し、他の条文がそれを制限しているという形にはなっておらず、一つの条文で権利付与の要件を定めているような場合には、その要件のうち一つが欠ければ全体が無効となるのか、それとも他の要件だけで権利が付与されるのかは容易には決しがたく、結論志向の恣意的で無理な解釈という批判が生じやすい。 この点が争われたのが、後述の国籍法違憲判決である。
もう一つの方法は、権利付与とその制限という構造を同一の法律の中に読み込むのではなく、憲法と法律の関係として捉えるものである。
ちまり、権利付与は憲法によりなされており、それ具体化する法律は権利創設的ではなく権利制限的性格をもつと構成するのである。 そうすれば、権利制限的法律が違憲無効となれば、制限のない状態で具体化されていると解することが容易となる。
平等権侵害の救済にこれとまったく異なる手法をとったのが、後述の定数不均衡違憲判決である。
選挙無効訴訟という形態で争われたので、選挙の基礎となった定数配分規定が違憲無効となると選挙が無効となり、議員がいなくなって国会が機能しなくなるのではないかとか、それまでその議員が制定した法律の効力はどうなるのかなどの問題が生じて収拾困難な事態に陥るのではないかと考えられ、定数配分規定は違憲であるが選挙は無効ではないという解決策が採用されたのである。 (5) 代表的な判例(ア) 尊属殺重罰規定違憲判決
改正前の刑法200条は、尊属殺人罪を死刑または無期懲役と定め、普通の殺人罪(199条)と比べ非常に重い刑罰を科していた。
これは卑属である被告と卑属でない者とを社会的身分により刑の重さに関して区別した法律と理解される。
戦後になって、この規定は「親殺し重罰」という封建道徳から来たものであり、日本国憲法に反するのではないかと批判されたが、最高裁は長い間これを自然的・普遍的倫理に由来するものであり合憲としてきた。
この判断を変更して憲法14条違反で違憲としたのが、昭和48年4月4日最高裁大法廷判決(刑集27巻3号265頁)である。 14名の判事が違憲判断で一致したが、違憲とする理由において8名の多数意見と6名の少数意見に分かれた。 少数意見は、本規定の目的を封建的な家族制度の維持・強化にあると見て、目的が日本国憲法上許されないと判断したのに対し、多数意見は、目的は普遍的倫理の維持尊重であり、それが日本国憲法に反するとはいえないが、その目的を達成するための刑罰が重すぎる点で不合理な差別であるとした。 この多数意見に対しては、刑罰が重すぎるというのが違憲理由ならば、それは平等権侵害というよりは、憲法31条あるいは36条違反の問題ではないかとの批判がなされている。 学説の多くは、少数意見の目的違反という結論を支持している。
この判決を受けて国会は刑法の改正をしようとしたが、尊属殺人罪の規定を廃止すべきだという意見と、廃止しないで保持し、刑罰が重すぎる点を改正すれば足りるとする意見が対立して長い間決着がつかなかった。
この間、実務では尊属殺人罪での起訴は控えるということで対処していたが、ようやく1995年に廃止する改正が成立した。 (イ) 定数不均衡違憲判決
衆議院議員選挙制度が中選挙区制であった時期に、人口の都市周辺への集中などが原因となって、選挙区ごとの定数配分が有権者数(人口)と比例しなくなり、定数不均衡が極端に悪化した。
この事態を「1議席あたり有権者数」の大きな選挙区の有権者から見れば、自己の選挙権の価値が1議席あたりの有権者数がより小さい選挙区の有権者に認められた選挙権の価値より小さく扱われていることになり、住居地の違いにより選挙権の価値に関して差別されていることになる。
これを平等違反として1972(昭和42)年総選挙を争った選挙無効訴訟において、昭和51年4月14日最高裁大法廷判決(民集30巻3号223頁)は、憲法14条は選挙の投票価値の平等を要求するものであるとして、最大較差1対4.99に達していた定数配分不均衡を違憲と判断したが、選挙そのものは事情判決的法理(行政事件訴訟法31条が定める事情判決の考えを応用したもので、違憲であっても無効とするとかえって重大な公益侵害が生じるという事情がある場合には、違憲であることを判示するにとどめ無効とはしないことができるという法理)を援用して有効とした。
この事件を差別の問題と考えるのがよいか、それとも選挙権の侵害問題と考えるのがよいかという問題もあるが、それはさておき、差別の観点からは、14条1項の列挙事由のいずれにも該当しないからこの点では緩やかな審査でよいことになるものの、選挙権に関する差別であるという点では厳格審査が必要となる。
その後の判決で最高裁は、1対3.94の最大較差が問題となった事件につき、この不平等状態は違憲の程度に達しているが、違憲となるのはその程度に達した時から「合理的期間」内に国会が是正しなかった場合であり、本件では違憲の程度に達してからおよそ5年程度経過したにもかかわらず、国会が是正の措置をとらなかったから合理的期間を徒過し違憲であると判断した(最大判昭和60年7月17日民集39巻5号1100頁)。
他方で、較差が1対2.82であった定数配分につき合憲とした(最一判平成7年6月8日民集49巻6号1443頁)ために、違憲の程度として最高裁が考えているのは1対3あたりであろうとの推測が広まった。
1994年に中選挙区制が小選挙区比例代表並立制に改められたが、この小選挙区制部分も、最初から較差が1対2を超えることにならざるをえないような一人別枠制度と呼ばれる配分方式(都道府県にまず1議席を配分し、残りの議席を都道府県の人口数に比例配分する)を採用したため、違憲ではないかが争われた。
最高裁は、当初、そのような方式を採用することも立法府の裁量の範囲内で合憲とした(最大判平成11年11月10日民集53巻8号1441頁、最大判平成19年6月13日民集61巻4号1617頁)が、その後、一人別枠方式は中選挙区制から小選挙区制に移行する際に過渡的に必要とされたにすぎず、一定期間の経過後は改正されるべきものであり、そのための合理的期間はすでに経過しているとの見解を示している(最大判平成23年3月23日民集65巻2号755頁。本書324頁参照)。 投票価値の平等を実現するために、一人別枠制という制度の見直しの必要を説示するところまで踏み込んだ点が注目される。
なお、参議院については、較差1対6.59に達していた不均衡につき、最高裁は参議院の特殊性を強調して衆議院の場合より大きな較差も許容されることを暗示し、それでもこの不均衡の現状は違憲状態にあることを認めつつも、結論としては、いまだ改正のために必要な合理的期間を徒過しているとはいえないとして合憲と判示した(最大判平成8年9月11日民集50巻8号2283頁)。
その後2004年には、最大較差1対5.06となっていた配分規定につき、結論的には9名の多数意見が合憲と判断したものの、6名の反対意見が違憲状態と判断し、かつ多数意見のうち4名が補足意見において次回の選挙までに改正がなされない場合には違憲判決もありうるとの警告を発していた(最大判平成16年1月14日民集58巻1号56頁)。 にもかかわらず、国会は配分規定の改正を行いえないまま同年7月に旧規定によって参議院議員選挙を行うことになった。 ところが、この選挙の無効を争った訴訟において最高裁は、平成16年1月判決から7月の選挙までの期間が改正を行うには短かったこと、その後、訴訟係属中の2006年に改正が行われ、最大較差が1対4.84に縮小されたことなどを考慮して再度合憲と判断した(最大判平成18年10月4日民集60巻8号2696頁、本書326頁参照)。
最高裁は、定数不均衡の問題を選挙権の問題というよりは、平等権および選挙制度の問題と捉えており、それがきわめて緩やかな審査しか行わない原因となっている。
選挙権の問題と捉えて、より厳格な審査を行う必要がある。
もっとも、従来通り投票価値の平等の問題と捉えた上ではあるが、最高裁は最大較差1対4.86が問題となった平成21年判決(最大判平成21年9月30日民集63巻7号1520頁)、および、最大較差1対5.00が問題となった平成24年判決(最大判平成24年10月17日民集66巻10号3357頁)において、都道府県を選挙区とする制度の見直しを含む抜本的改正の必要を説示し、「制度優先思考」から「権利優先思考」へと変化の兆しも見せている。
しかし、これを受けた国会が真摯な対応をすることができず、ようやく行われた2012年改正では4選挙区で定数を4増4減し最大較差を1対4.75にする弥縫策に止まっており、抜本的改革からはほど遠い状況である。 (ウ) 国籍法違憲判決
法律上の婚姻関係にない日本人男性とフィリピン人女性の間に生まれた原告は、出生後に父親の認知を受けたが、国籍法上認知の効力は、民法784条の定めと異なり、出生時に遡及しないというのが最高裁の判例となっており、「出生の時に父又は母が日本国民である時」日本国民となると定める国籍法2条1号の適用を受けられない。
出生後に認知を得た場合、当時の国籍法3条は、父母の婚姻により嫡出子の身分を取得したときには、それを法務大臣に届け出ることにより日本国籍を取得すると定めていた。 原告の父母は婚姻していないのでこの規定に該当しないが、原告はこの規定が非嫡出子の不合理な差別であるから父母の婚姻という要件は無効であり、ゆえに認知だけで国籍取得が認められるはずだと主張して法務大臣に届け出た。 これが受理されなかったので国籍確認訴訟を提起した。 一審判決は、国籍法3条(当時)の「婚姻」は事実婚も含むと拡張解釈して請求を認容したが、二審判決はこの拡張解釈を退けた後、認知だけで国籍取得を認めることは裁判所が立法をするに等しいから許されないとして、非嫡出子差別の合憲性を判断することなく棄却した。 最高裁は、国籍取得という法的地位は人権等を享有するための重要な地位であること、嫡出子かどうかは子が自らの意思や努力により決めることのできないものであることを理由に、これによる区別に合理性があるかどうかは「慎重に検討」すべきであるとし、慎重な審査の結果、この規定制定当時は合理性があったが、その後の立法事実の変化(我が国における、家族生活や親子関係に関する社会通念・社会状況の変化、同様な場合に認知のみで国籍を認める国が増えてきたこと、子どもの権利条約を批准したことなど)により現在ではもはや合理性は認められず違憲であると判断した。 そのうえで、いかなる救済を与えるべきかの点については、父母の婚姻による嫡出子身分の取得という要件だけが違憲無効となり、残りの要件により国籍が取得されるという解釈を採用した(最大判平成20年6月4日民集62巻6号1367頁)。 この判決を受けて国会は、生後認知があった場合には届出により国籍を取得しうる旨の改正を行っている(国籍3条)。 なお、本大法廷判決が嫡出子差別につき「慎重な審査」を行ったことが民法900条3号の嫡出子相続分差別の再検討に影響を与えるかどうか注目されるが、この判決後に出された第二小法廷決定は、相続分差別を合憲とした大法廷決定(最大決平成7年7月5日民集49巻7号1789頁)を踏襲している(最二決平成21年9月30日家月61巻12号55頁)。 |
戦後の憲法学は、日本国憲法の想定する政治のあり方を国会中心に構想した。 議会制民主主義と呼ばれる体制である。 それによれば、主権者国民の意思は選挙を通じて国会に忠実に反映される。 その国会が討論を通じて重要な政策決定を行い、その決定を国会により選出された首相を中心とする内閣が忠実に執行する。 こうして、国民の意思は政治に貫徹されるのである。 現実の政治が憲法の想定通りに機能していないのは、官僚や財界が選挙や政策決定のプロセスを形骸化させているからであり、こうした弊害を正して議会制民主主義を正常に機能させることが戦後日本の課題である。 憲法の解釈は、このような課題を遂行するという観点からなされなければならない。 かかる構想は、戦前の政治の欠陥を克服し、民主化を推進するという問題意識からは、評価されるべき側面を有していた。 しかし、現代国家が直面する課題には的確に応えることができないものであることが次第に明らかになっていく。 なぜなら、現代政治には、議会制民主主義論が想定するよりはるかにダイナミックな役割が期待されることになるからである。 国会がダイナミックな政治の中心になることは困難である。 内閣を中心にした新たな構想が必要となるのである。 本書の憲法解釈は、そのような問題意識からなされている。 ダイナミックな政治が民主的に展開されるためには、憲法をどのような構想に従って解釈すべきかという観点である。 と同時に、政治がダイナミックになればなるほど、それが行き過ぎる危険をチェックするために、法の支配が強調されることになるのである。 |
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<目次>
1 統治機構の全体構造
日本国憲法前文は、国政が主権者たる国民の信託に基づき公共の福祉を目指して行われるべきことを宣言している。
では、国政を行うための機構を憲法はどのように設計したのであろうか。 まず、その全体構造を最初に見ておこう。 (1) 政治の領域と法の領域
日本国憲法は、国政をまず大きく政治領域と法領域に分割した。
この理解は「法の支配」を実現するために必要な思考過程に対応している。 政治を法に従わせて法の支配を実現するには、政治領域で展開される諸活動を法の言語に翻訳し、法領域に移し替えて捕捉する必要があるが、この思考上の操作を可能とするためには二つの領域を観念上分離する必要があるのである。
法領域を司祭する機構つぃては裁判所が設置され、それが司法権を行使する。
では、政治領域を司る機構はどのように設計されたか。 まず、中央(国)の政治(狭義の「国政」)と地方(自治体)の政治が分離される。 これが「垂直的権力分立」であり、日本国憲法はこれを「地方自治」という言葉で表現している。 次いで、国と自治体の各レベルで、政治権力は立法権(法律・条令制定権)と行政権(執行権)に分立される(水平的権力分立)。 この場合に、両権を担当する機関相互の関係をどう設定するかに関して、国レベルと自治体レベルでは異なる機構が採用されている。 国レベルでは議院内閣制が採用され、国会が内閣総理大臣を指名する。 これに対し、自治体レベルでは、その長(市町村長および知事)は、地方議会によってではなく住民により直接選出される「大統領制」型の機構を採用しているのである。 (2) 政策決定過程と政策遂行過程
議院内閣制にしろ大統領制にしろ、それが関わるのは主としては政策決定過程である。
日本国憲法は、政治領域を政策決定過程と政策遂行過程に分けて設計している。 なぜそう理解されるかといえば、憲法は内閣の下で政策遂行にあたる行政機構の存在を想定しているからであり、そのことは内閣を構成する国務大臣が同時に行政各部の「主任の国務大臣」(74条参照)となることが予定され、内閣総理大臣が「行政各部を指揮監督する」(72条)と定められている点に表れている。 議院内閣制の運用に携わるのは政治家であり、行政各部に就く職員を官僚と呼ぶことから、両者の関係は「政官関係」と呼ばれたりするが、重要なのは、「政」が政策選択・決定を行い、「官」が選択・決定された政策の執行にあたるという図式が憲法の規定するところだということである。 もちろん、「官」が政策決定のために必要な情報・資料を整備することは許されるし、かつ重要な任務であるが、それが行き過ぎて、実質上「官」が決定し、「政」はそれを追認しているにすぎないという運用に陥ってはならない。
従来の憲法学は、「決定-執行」図式を国会と内閣の関係を理解するのに用いてきたが、この図式はむしろ「政官関係」の説明に適用すべきものである。
国会と内閣はともに政策決定過程に関わり、その関係は「統治-コントロール」図式で理解する必要がある。; (3) 国民の役割
国民は、国民主権の下に政治に参加し、あるいは、直接・間接それに影響を与える。
その方法として、まず、国民は、日常的には、表現・集会・結社の自由や請願権などの人権行使を通じて政治参加を行うことが予定されている。 このコンテクストで、マス・メディアと政党は国民意見の形成・集約・伝達・反映等において重要な役割を果たすことが期待されている。 次に、制度的な方法としては、国民が直接的に政策選択を行う制度t代表者の任免を通じて間接的に政策選択を行う制度とがある。 前者の典型例が国民(住民)投票制度(一般に「レファレンダム」と呼ばれる)であるが、日本国憲法は、憲法改正(96条)と特定の地方のみに適用される特別法の制定(95条)に関して、これを採用している。 後者の例は選挙と解職制(リコール制)である。 日本国憲法は代表民主政治を基本構造としており、国民の政治参加の中心は、制度的には選挙である。 参政権(その中心は選挙権)は人権(15条)でもあるが、それは具体的には選挙制度を通じて行使される。 憲法は、国会議員(衆議院議員・参議院議員)の選挙(43条・44条)および自治体の長・議会議員の選挙(93条)を要求しており、そのための具体的な選挙制度は公職選挙法により定められている。 解職制については、最高裁判所裁判官の国民審査(79条)がこれに属する憲法上の制度だと解されている。 なお、法律により採用された解職制としては、地方議会の解散請求(自治76条以下)、地方議会議員の解職請求(同80条)、地方公共団体の長の解職請求(同81条)がある。
以上に見た統治機構の全体構造を基礎に第3部の構成を示すと以下のようになる。
なお、317頁の図(「統治機構の全体構造」)も参照されたい。
本章では、中央政治の基本的な機構である議院内閣制をまず説明し、その後、議院内閣制を運用する下部構造として、選挙、政党、政治資金の問題を扱う。
(※以下省略)
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<目次>
1 法の支配と司法権(1) 法の支配の目的と構造
法の支配は、支配者の恣意的で気まぐれな支配を意味した「人の支配」を否定するために主張された観念であった。
人の支配は、権力がどのように行使されるかの予測を困難にし被治者の地位を不安定にする。 そこで、被治者の安定した地位と権利を保障することを目的に、法の支配が求められたのである。 支配者の意思からは独立に予め存在する法に従って支配(権力の行使)が行われること、これが法の支配の要求であった。 ゆえに、法の支配を制度として確立するためには、まず第一に、権利を保障した内容をもつ「法」の確立が必要であり、第二に、支配が法に従って行われているかどうかを裁定する中立的な機関が必要である。 立憲君主政において立法権(議会)と司法権(裁判所)が君主の権力から分離・独立したのは、権利保障のための法の支配の確立という観点からはきわめて自然な展開であり、18世紀イギリスの立憲君主政がモンテスキューの三権分立論の基礎となったのもこの観点から理解できる。 国民主権モデルにおいては、この論理はさらに発展し、法の支配の制度化の論理として「法の段階構造」が形成される。 つまり、法はその定立機関との関連でいくつかの法形式に分化され、法形式間に効力の上下関係が設定されて、下位の法形式は上位の法形式に自己の根拠をもたねばならず、上位の法形式に違反してはならないとの原則が確立されるのである。 日本国憲法においては、基本的には、「憲法→法律→命令(政令→府・省令、規則)」という段階構造が形成されている。 それぞれの法形式は法定立機関の違いに対応しており、下位の法形式を上位の法形式の「執行」と捉えると、法定立機関と法執行機関が分離されていることが重要である。 そして、下位の法形式が上位の法形式に違反していないかどうかを、中立的な第三者機関としての裁判所が審査することにより、法の支配の実現が期されているのである。
支配(政治)を法に服せしめるには、政治活動を法的行為・法形式へと「翻訳」しなければならない。
法の言葉に移し換えることにより、政治を法の論理の中に取り込み法による枠づけが可能となるのである。 政治は、法の衣をまとい、法の段階構造の中で法の論理を使って自らを正当化しなければならず、その正当化が受け入れられうるものかどうかが中立的な裁判所により判断される。 これが法の支配の基本構造である。 それは、ある意味では、「目的-手段」思考の政治を「要件-効果」へと枠づける操作ということができよう。 (2) 司法権の意味(ア) 定義
法の支配が要請するのは、正しい法を制定し、それを忠実に執行することであった。
その目的は、国民の権利の保障であり、日本国憲法はこれを「裁判を受ける権利」(32条)として表現している。 何人も、「法」に違反する権力行使により権利を侵害された者は、裁判所において裁判を受ける権利を有するのである。 そして、その裁判所は、今見たように法の支配の構造において、要の位置を占めている。 そのことが「司法権」の観念に反映されなければならない。
憲法76条1項は「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」と定める。
この司法権は、立法権(41条)および行政権(65条)との関連(三権分立)において使われている用語であり、三権分立との関連において定義されなければならない。 三権分立は、法の支配の制度化のための原理であり、そうだとすれば、立法が法定立(法律の制定)作用であり、行政が法律の執行であるのに対し、司法とは法の「執行」における争い(下位規範が上位規範に反していないかどうかの争い)を裁定することを核心とする作用と捉えるべきことになる。 もちろん、裁判所の役割は国民の権利を保護することにあり、そのために「裁判を受ける権利」に応えなければならないが、それに付随して必要な「裁定」を行うのであり、この裁定こそが「司法」の核心なのである。
そのうえで、司法作用は次のような性質も併せもつと考えなければならない。
第一に、立法や行政が上位規範の枠内で自らの判断に基づき行動を起こしうるのに対し、司法は権限の自己増殖を避けるために受動的作用でなければならず、適法な提訴があって初めて活動を開始しうると解さねばならない。 第二に、司法は争いを裁定する中立的な機関であり、その手続も当事者を公正に扱う適正なものでなければならない。 第三に、司法による裁定には終局性が与えられねばならない。
以上より、司法とは「適法な提訴を待って、法律の解釈・適用に関する争いを、適切な手続の下に、終局的に裁定する作用」と定義することができる。
この定義で司法作用の核心をなすのは、「法律の解釈・適用に関する争いの裁定」であり、「適法な提訴」は司法の発動条件、「適切な手続」は司法権行使の態様、「終局性」は効果を表現している。 (イ) 事件性の要件との関係
従来の通説は、司法を具体的事件の解決という点に重点を置いて理解してきた。
司法権の本来の役割は、国民の権利義務に関する具体的な争いを解決することにあると考えてきたからである。 たしかに、国民の権利利益の侵害を救済することは、裁判所の重要な任務である。 憲法は国民に裁判を受ける権利を保障しており、それに応えることが裁判所の権限の範囲に含まれることは疑いない。 しかし、司法の観念自体は、立法・行政との、いわば横の関係における任務分担として決まるべきものであり、国民の裁判を受ける権利との関係という、いわば縦の関係における任務規定とは区別して考察すべきと思われる。 司法権の発動には具体的事件の存在が必要だという意味での「事件性の要件」は、後者に関係するものであり、私の定義では「適法な提訴を待って」という表現で捉え直されている。
司法権の概念が事件性を要件としないとすると、事件性を欠く、個人の権利義務に関する具体的な争いではない、いわば抽象的な争いの裁定も司法権に属するということになる。
しかし、それは、あくまでも潜在的にそうだというにすぎない点に注意が必要である。 司法権への帰属が顕在化するのは、「適法な提訴」があったときである。 憲法は人権を保障しているから、自己の人権を侵害されたと主張する者は、人権規定を直接的根拠として、あるいは、裁判を受ける権利を媒介にして、当然出訴が許される。 ゆえに、人権侵害の場合は、司法権は憲法上顕在化しているのであり、その争いを裁判所以外が裁定することは原則として許されない。 また、国会は法律により個人に具体的な権利を与えることができ、この法律上の権利が侵害された場合にも、裁判を受ける権利を根拠に出訴が保障される。 ゆえに、法律上の権利について争いが生じたときも、司法権は顕在化する。
問題は、憲法上も法律上も実体的な権利が与えられていないときである。
特定個人の権利利益ではなく、国民・住民全体の利益に関係する法適用の争いがその例であるが、このような場合に法律により出訴権を与えることは許されるであろうか。 司法権に事件性の要件を要求する通説の立場からは、これは司法権に属さない権限を法律により裁判所に与えることは許されるかという問題になる。 しかも、行政についての控除説の立場からは、司法権(および立法権)に属さない権限は行政権に属するから、これは法律により憲法上の権限分配を変更しうるかという重大な問題となる。 それに対し、私の立場からは、この問題は、憲法上潜在的に司法権に属し、それを顕在化させるかどうかは国会に属する権限を国会が行使するかどうかという、国会の裁量の問題と捉えることになる。 国会は、憲法上、行政が法律に従って行われているかどうかチェックする権限を、自ら《執行》すると同じにならない限度内で、有している。 その権限行使の一態様として、それを必要かつ適切な限度内で裁判所に委任することは許されてよいであろう。 もちろん、その裁量の範囲を逸脱してはならないが、それは委任を受けた裁判所自身が判断しうることであるから、問題は生じないと思われる。 実際、住民訴訟(自治242条の2)や選挙訴訟(たとえば公選204条の定める選挙無効訴訟)のような民衆訴訟などの「客観訴訟」」が、法律により認められている。 これらは、権利侵害を理由として出訴する「主観訴訟」とは異なり、住民とか選挙人という一般的な立場で行政の違法を争う訴訟と説明されており、裁判所法3条1項が裁判所の権限として掲げた「法律上の争訟」と「その他法律において特に定める権限」の二種のうち、後者に該当すると理解されてきたが、まさに法律によって出訴権を認めたものなのである。 (3) 司法権の限界
司法権の限界とは、司法権を行使しうる範囲はどこまでかの問題であるが、それには、司法権の性格(定義)自体からくるもの(内在的限界)と憲法上の他の規定との調整からくるもの(外在的限界)がある。
内在的限界として最も重要なものは、出訴権との関連で生ずるものである。 つまり、前述のように、司法権が顕在化し、現実に行使しうるに至るためには、適法な出訴が必要であった。 司法権は出訴権の存在により現実的範囲を画されているのである。 出訴権については、法律によりどの限度まで付与しうるかという問題があり、一般的には立法裁量の問題と解するが、これとの関連で抽象的な違憲審査を求めるための出訴権付与が許されるかどうかという特殊な問題がある。 しかし、これについては違憲審査制度を説明するところで述べることにし(410頁以下参照)、ここでは外在的限界を中心に見ておくことにする。 (ア) 憲法が明文規定で設定した例外
国会議員の資格について疑問が生じた場合には、その議員の帰属する議院が裁判権をもつ。
この裁判で議員の議席を失わせるには、出席議員の3分の2以上の多数による議決が必要である(55条、なお国会111~113条参照)。 その結果に不満があっても、裁判所に訴えることはできない。 ただし、選挙争訟において候補者の資格を争うことを法律で認めても、議院の権限を侵害するわけではない。
もう一つの例外は、弾劾裁判所である(64条)。
これについては後に触れる(402頁参照)。 弾劾受け罷免された裁判官は、それを裁判所に訴えることはできない。 (イ) 立法権・行政権との関係における限界a) 自律権
権力分立が機能するためには、各権力の自律権が必要である。
ゆえに、各院や内閣の自律的判断に委ねられた事項には、司法権は介入できない。 たとえば、法律が成立したのかどうかとか、内閣決定があったかどうかなどの問題は、原則的にはそれぞれが自律的に判断したところを尊重しなければならない(警察法改正無効事件・最大判昭和37年3月7日民集16巻3号445頁、苫米地事件・最大判昭和35年6月8日民集14巻7号1206頁参照)。 b) 立法裁量・行政裁量
司法権は下位規範が上位規範に適合しているかどうかを判断する作用であった。
つまり、立法が憲法の枠内にあるのか、行政が法律の枠内にあるのかを裁定するのである。 その場合に、上位規範が唯一の下位規範しか許容していないということは稀で、多くの場合、上位規範の枠内で複数の下位規範の可能性が存在する。 そのうちどれを選択するかは、第一次的には立法権あるいは行政権の裁量権に属し、司法権はそこで選択された規範が上位規範の枠内にあるかどうかを判断することを中心的な役割とし、第一次的判断権者に代位して自らが最善と考える選択肢を押しつける権限は原則的にはない。 しかし、第一次判断権者がその権限行使の機会をもったにもかかわらず、それを行使せず、または不十分にもしくは誤って行使した場合には、司法権は当該権力に代位して、実効的救済に必要な選択肢を命ずることができると解すべきである(たとえば、定数不均衡訴訟の場合を考えよ)。 (ウ) 人権その他の憲法規定との調整からくる限界
司法権も権力の一つとして憲法に服する。
ゆえに、司法権の行使は人権等の憲法規定に反しないように行われなければならない。 その場合よく問題となるのは、政教分離および結社の自由との関係である。 a) 政教分離原則に由来する限界
宗教に関係する紛争の解決を求められたとき、その紛争の解決のためには宗教上の教義に関する争いを解決する必要があるという場合には、裁判所は介入してはならない。
政教分離により、裁判所は教義に関して一方の立場に与することが禁止されているからである。 最高裁は、教義についての争いは法を適用して解決しうる問題ではないから、法律上の争訟とはいえないとして(板まんだら事件・最三判昭和56年4月7日民集35巻3号443頁参照。この事件では、「板まんだら」を安置すべき正本堂の建立資金を寄付した原告が、「板まんだら」が偽物であることを理由に要素の錯誤を主張し寄付金の返還を求めたが、偽物かどうかは教義の理解に依存すると解された)、これを内在的限界の問題と捉えている。 しかし、教義の問題を法的に解決することは法技術的には不可能とはいえないから、むしろ政教分離の原則からくる外在的限界と解するのがよい。 b) 結社の自由に由来する限界
憲法は結社の自由を保障しているが、結社の自由は結社内部の問題を国家から干渉されることなく自治的に処理する権利を内包している。
自治的処理に関して争いが生じた場合、不満のある側は裁判を受ける権利を有しているが、他方の側は自治的処理の権利を有しており、両者の調整が必要となる。 裁判所としては、結社内部のルールが公序良俗の観点から許容しうるものかどうか、および、許容しうるとして、内部処理がそのルールに従って行われたという主張は尊重しうるものかどうかについては、判断しうると考えられる(結社の自由、232頁参照)。
部分社会論
我々は社会の中で様々な小集団(部分社会)に帰属して生活しているが、部分社会は通常その目的に適した自生的ルールを有している。 社会の自治・自律を尊重する立場からは、国家はできる限りそのルールを尊重するのがよいということになり、かかる観点から司法権の限界を説く議論が「部分社会論」と呼ばれる(部分社会論をとったとされる判例として、地方議会の議員懲罰に関する最大判昭和35年10月19日民集14巻12号2633頁、国立大学における単位認定に関する最三判昭和52年3月15日民集31巻2号234頁参照)。 しかし、他方で、憲法は「裁判を受ける権利」を保障している。 この権利は、社会における平和と秩序の維持のために紛争の自力救済を禁止した見返りであり、紛争の解決を求める者に部分社会論という憲法上明示の根拠のない理論を安易に持ち出して救済を拒否するのは、憲法上問題があろう。 少なくとも、裁判を受ける権利を制限しうるような憲法上の根拠を示す必要があると思われる。 それが上で述べた他権力の自律権や政教分離、結社の自由等であり、地方議会に関しては地方自治、国立大学に関しては大学の自治が援用できるであろう。 こうした憲法上の論拠により説明できる場合に、「部分社会」というような包括的な概念を持ち出して説明することは必要ないし、好ましくもない。 2 裁判所の組織と権限
- 省略 -
3 裁判所の活動上の原則
- 省略 -
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<目次>
Ⅰ 憲法保障
憲法の名宛人は権力行使者であった。
権力行使者に憲法を護らせることが問題なのである。 憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定するが、ここには「国民」は注意深く除外されている。 これは、国民が憲法を護らなくてもよいということをいっているのではない。 何人も他者の人権(自然権)を尊重すべきなのはいうまでもないことで、仮に国民が他者の人権を侵害するような行為を行えば、通常何らかの法律に違反し、国家権力により制裁を科されるのである。 しかし、権力行使者が憲法に違反する行為を行うときには、これに制裁を科すのは容易ではない。 だからこそ、権力行使者の憲法尊重擁護義務を明文で宣言し、注意を喚起しておく必要があると考えられているのである。 のみならず、それと同時に、違反行為を予防し除去する論理とメカニズムも必要である。 まず第一に、権力を国民が監視することを可能とする制度が必要である。 国民の政治参加、表現の自由、情報公開制などが、この目的に動員されよう。 第二に、権力が権力を阻止する制度が必要である。 一つの権力が憲法違反を犯したならば、他の権力がそれを阻止するというメカニズムを組み込むことにより、これを可能とすることができる。 なかでも、ここで取り上げる裁判所による違憲審査制は、その最も重要な制度である。 しかし、第三に、こういったメカニズムがついに機能しえなかった場合、究極の憲法保障として抵抗権が問題となる。 それと関連して国家緊急権の問題もここで見ておくことにしよう。 A) 違憲審査制1 司法審査型と憲法裁判所型
法律が憲法に違反するかどうかを裁判所が審査する制度には、二つのモデルが区別される。
(1) アメリカ型司法審査
憲法は国の最高法規であり、これに違反する国家の行為は、法律であれ命令であれ、効力を有しない(98条1項)。
問題は、憲法に違反するかどうかを誰が判断するかである。 最終的には主権者たる国民が判断するといえようが、それに至る前段階ではいずれかの国家機関が判断せざるをえない。 近代立憲主義においては、法律の合憲性の判断権は議会に与えられるのが通常であった。 議会が憲法解釈の最終的権限をもち、議会が合憲と判断して法律を制定した以上、実定法上はこれに異議を唱えることはできなかったのである。 唯一例外をなしたのは、アメリカ合衆国であった。 アメリカにおいては、憲法に明文の規定はないが、合衆国最高裁判所は、1803年のマーベリー対マディソン事件の判決において、裁判所には法律が憲法に違反しないかどうかを判断する権限があると述べて審査を行い、その結果法律を違憲と判断してその適用を拒否した。 以後、これが先例となって裁判所による違憲審査権が確立されたのである。 それを根拠づけた論理は、次のようなものであった。 すなわち、裁判所は具体的な紛争に法を適用して解決することを任務とするが、適用すべき法の間に矛盾があれば、どの法を適用すべきかを決定しなければならず、憲法と法律が矛盾している場合には当然憲法が優先するから、憲法に反する法律は適用から排除される、というのである。 実は、この論理が成立するには、法の間(憲法と法律の間)に矛盾があるかどうかの判断権を裁判所がもつという前提が認められねばならない。 議会の判断が最終的だという考えは、この判断権は議会がもつという前提に立つのであるが、アメリカの最高裁は、憲法の明文の根拠なしに、それを裁判所がもつとしたのである。 ともあれ、かかる論理によって、裁判所が具体的事件の解決に際して、つまり、解決に付随して、必要ならば違憲審査を行いうるという制度をいち早く確立したのである。 これを「付随審査制」と呼ぶ。 (2) ドイツ型憲法裁判所
これに対し、ヨーロッパ大陸諸国においては、
①人権を護る砦は議会であるという考えが強く、反面、通常裁判所に対する信頼が弱かった、 ②憲法を裁判所を通じて執行する法規範としてよりは、政治的に担保すべき政治規範とみる考えが強かった、 などの理由から、通常裁判所による違憲審査という観念は浸透しなかった。 第二次世界大戦後、法律により独裁政治を行ったナチスの経験を反省して、法律を裁判所がコントロールする必要が痛感されるに至るが、近代以来の通常裁判所に対する信頼の欠如から、審査機関として特別の「憲法裁判所」を設立する方向に向かった。 ドイツの憲法裁判所がその典型である。 この制度の特徴は、第一に、違憲審査の権限は原則的に憲法裁判所に集中され(そのため「集中型」と呼ばれる)、他の裁判所には違憲判断をする権限は認められない。 第二に、ここでは違憲審査が、具体的事件の解決に付随してではなく、違憲か合憲かを直接の審査対象とする独立審査として行われる。 その意味で、「抽象的規範統制」としての性格をもつ。 具体的事件を前提としないので、ここでは、通常、特定の出訴権者が憲法上定められている。 もっとも、憲法問題が他の裁判所で具体的事件を契機に提起され、その憲法判断を求めて憲法裁判所に移送されてくることはあるが、この場合でも、憲法裁判所は、その具体的事件を離れて、憲法問題のみを抽象的に判断するのである。 2 日本の違憲審査制度の性格と運用の仕方(1) 性格
憲法81条は、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と規定する。
これにより授けられた違憲審査権は、いかなる型に属する権限であろうか。 日本国憲法がアメリカ合衆国憲法の影響を受けてつくられたことから、それが付随審査制の性格をもつことについては、学説上争いはなく、ゆえに、最高裁判所のみならず下級裁判所も事件の解決に付随して審査権を行使しうると解されている。 問題は、最高裁判所が、それに加えて、さらに憲法裁判所としての性格も認められたのかどうかである。 通説はそれを否定するが、少数説として、これを肯定し、法律が憲法に反すると考える者は誰でも81条を根拠に最高裁判所に審査を求めることができるとする説(A説)、あるいは、81条のみを根拠に提訴することはできないが、法律で出訴権者や手続等を定めて憲法裁判所として機能する条件を整えれば可能であり、憲法はそれを禁止していないと解する説(B説)が存在する。 最高裁判例は、自衛隊の前身である警察予備隊が創設されたとき、A説に基づき社会党委員長がこの違憲確認を求めて直接最高裁判所に出訴した取消訴訟において、「わが現行の制度の下においては、特定の者の具体的な法律関係につき紛争の存する場合においてのみ裁判所にその判断を求めることができるのであり、裁判所がかような具体的事件を離れて抽象的に法律命令等の合憲性を判断する権限を有するとの見解には、憲法上及び法令上何等の根拠も存しない」と判示した(警察予備隊違憲訴訟・最大判昭和27年10月8日民集6巻9号783頁)。 これは一般には通説の立場を表明したものと解されているが、しかし、「現行の制度の下において」と述べている点を重視し、憲法裁判所としての条件を整備する法律の存在しない現状においては許されないというのが、その真意であり、A説を否定しただけでB説まで否定したものではないと解する立場もある。 (2) 権利保障型とその憲法保障型運用
付随審査制においては、法的紛争の解決に付随して必要な限度で違憲審査が行われる。
法的紛争は、普通、権利侵害に対する救済を求めて始まるので、この型の違憲審査を権利保障型という。 ここでは、権利保障が直接の目的で、憲法の保障はその結果にすぎない。 これに対し、独立審査制においては、憲法違反の有無が審査の直接的な目的とされ、権利の保障はその結果として実現されるものである。 ゆえに、これを憲法保障型という。 このように、両者は何を直接の目的と考えるかの点で異なるが、しかし、権利の保障と憲法の保障は密接な関係にあり、両面を視野に入れて問題を考えていく必要がある。 実際、憲法裁判所を採用するドイツにおいても、権利侵害の救済を求める「憲法異議」の制度が導入されているし、司法審査制のアメリカにおいても、事件性の要件を拡大して抽象的な規範統制に近い審査の仕方をする場合も見られ、両型のこういった展開に着目して両者の「合一化傾向」が語られている。
したがって、日本の制度が基本的には権利保障型であるとしても、その憲法保障的な運用も考慮に入れて考えていく必要がある。
そのための方法として、憲法裁判所的な制度を取り入れるという意見もあるが、憲法改正なしにそれがどこまで可能かという問題もあり、むしろ付随審査制を前提にして、事件性の要件の再検討等を通じて違憲審査を行いうる場面を拡大していく方向を追求するのが生産的であろう。 3 違憲審査権行使の限界(1) 司法権からくる限界
違憲審査権は裁判所がその本来の権限を行使するのに付随して必要な場合に行使される権限である。
ゆえに、その本来の権限により限界を画定される。 そこで、通説のように、本来の権限を司法権であり、司法権とは具体的事件を解決する作用であると解すると、審査権は事件性の要件が存在する場合でなければ行使しえないことになり、審査権の拡大には事件性の要件の緩和が必要ということになる。 アメリカの最高裁は、事件性の要件を相当緩やかに解しており、有権者や納税者の立場で訴訟を提起することも認められることが多いが、日本の最高裁は事件性の要件を厳格に解しており、いわゆる客観訴訟を事件性の要件との関係でどう理解するかにつき問題をはらんでいる。 客観訴訟が事件性の要件を満たさず、法律により特別に認められた訴訟類型であるとすれば、それは憲法に違反しないであろうか。 仮に司法権には属さない訴訟類型を法律で認めることも憲法上許されないわけではないと解したとしても、そのような「抽象的な訴訟」において違憲審査を行うことは、抽象的規範統制となり憲法に違反するのではないかという疑問も提起されている。
こうした疑問に答える一つの方法は、日本の制度が付随審査制であることを基礎に置いて、裁判所の権限行使に付随して行われる違憲審査は合憲であることをまず確認し、そのうえで裁判所の権限として司法権の範囲を拡大するか、あるいは、司法権以外の権限を承認することである。
その際に、裁判所の権限あるいは職責として「裁判を受ける権利」に応える責務があり、それは司法権の概念とは理論上別問題だと考えれば、従来の事件性の要件がカバーしたものは、すべて裁判を受ける権利で説明できる。 そのうえで、司法権の観念から事件性の要件を排除し、それに代えて「適法な出訴」があれば裁判所は司法権を行使しうると考えれば(389頁参照)、法律で出訴権が認められている限り、司法権の行使の要件は成立し、その権限行使に付随して違憲審査権を行使することに憲法上何の問題もないことになる。 最高裁の先例(前出警察予備隊違憲訴訟判決)も、このような理解と必ずしも矛盾しないと思われる。
では、法律の違憲性を《直接》争うための出訴権を法律で認めること、つまり、独立審査制を法律で導入することは許されるか。
国会は行政のコントロール権を有するから、その具体的あり方を法律で定めることは許され、その際に「法律に基づく行政」の担保として客観訴訟を制度化することも憲法の禁ずるところではない。 しかし、法律が合憲かどうかを《直接に》判断する権限は、憲法上国会に授けるというのが日本国憲法の立場と思われる(憲法自身が出訴権者に関する規定を置かなかったこと等の反対解釈)から、その権限・責務を放棄することは許されず、ゆえに独立審査制は憲法改正なしに導入することは許されないと解される。 (2) 違憲審査の対象からくる限界(ア) 条約
憲法81条は、審査の対象として法律・命令・規則・処分を挙げるが条約は掲げていないし、98条も1項で憲法に反する「法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為」は無効と規定し、条約については2項で「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守」することを命じて、明らかに条約を別扱いにしている。
このため、条約は違憲審査の対象となりうるのかについて疑問が生じる。
条約については、そもそも条約は憲法の下位にあるのかという問題がある。
憲法の下位になければ、違憲審査という問題も生じようがないのである(17頁参照)。 この点につき、条約の締結権限とその手続は憲法に規定されており(61条・73条3号)、それを根拠として締結される条約が自己の授権規範の下位にあることは、法論理的にみて疑いない。 また、条約締結の手続と憲法改正の手続を比較しても、改正手続の方がはるかに重いものとされているから、条約により憲法を改正するのと同じ結果を生み出すことを認めるのは困難である。 ゆえに、通説は憲法優位説をとっている。 しかし、条約の中には、日本国憲法を実施しうる前提そのものを取り決めたものもある。 たとえば、ポツダム宣言(その受諾を条約と解した場合)や講和条約がそれにあたる。 こういった条約は、憲法の上あるいは外にあるものと考えるべきで、その限りで違憲審査の対象とはなりえない。 また、一般的に条約が憲法に優位するという条約優位説に立てば、すべての条約について違憲審査は問題にならない。 これに対し、通常の条約は憲法の下にあるという立場からは、その違憲審査は論理上可能である。 しかし、憲法が条約について慎重な規定の仕方をしているのをみると、特に条約については違憲審査の対象から外したのではないかが問題となる。 この点につき、判例は、砂川事件判決(最大判昭和34年12月16日刑集13巻13号3225頁)において、条約も審査の対象となりうることを承認した。 学説も、審査の対象になるという点では、ほぼ一致している。 (イ) 統治行為
国家統治の基本に関わる高度に政治的な問題の審査には、裁判所は関わるべきでないという考え方があり、これを統治行為あるいは政治問題の理論と呼んでいる。
裁判所がなぜ関わるべきでないかの説明としては、権力分立論に重点を置くものと、民主主義論に重点を置くものがある。 前者によれば、裁判所が扱いうる政治的問題は、法的言語に翻訳しうるものに限られ、政治性が強度で法的問題に翻訳するとかえって問題の本質を見失い適切な解決ができなくなるようなものは、もともと裁判所の権限外のものと考えるべきだとされる。 これに対し、後者によれば、政治性が強度でも法的に構成することは可能であり、その限りで裁判所の権限に属するが、しかし、政治性の強度な問題の解決は政治部門に委ね、最終的には主権者国民が政治プロセスを通じて解決するのが最適であるから、裁判所は権限行使を抑制すべきであるとされる。 両者の説明は、相互に排他的と考える必要はないであろう。 事案によって、いずれの説明がより適切かを考えればよい。
具体的に何が統治行為に該当するかを考える場合には、統治行為の理論が違憲審査の例外を認めるものであることから、安易な拡大を許さないよう気をつけなければならない。
したがって、他の理論で説明のつくものについては統治行為の理論を援用すべきでない。 たとえば、議院や内閣の自律性を理由とする審査の限界については、それぞれの自律権により説明すれば十分である(警察法改正無効事件・最大判昭和37年3月7日民集16巻3号445頁、苫米地事件・最大判昭和35年6月8日民集14巻7号1206頁参照)。 もっとも、それは違憲審査の限界以前に司法権の限界であろう(391頁参照)。 最高裁は、アメリカ軍の駐留と安保条約の合憲性が争われた砂川事件において、この問題は「わが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有する」ものであり、それが「違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじま」ず、「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のもの」であると述べた。 これが統治行為論の先例となっているが、理論上はここには統治行為論と裁量論の混同があると指摘されている。 これに対し、衆議院の解散の違憲を争った苫米地事件判決では、「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外」にあると判示した。 ここには裁量論との混同はないが、裁判所による介入を留保した砂川事件判決とまったく留保しない苫米地事件判決でどちらが優れているかは、一概にはいえない。 4 憲法判断の方法(1) 司法消極主義と司法積極主義
これは、裁判所は違憲審査権の行使を抑制的に行うべきか、積極的に行うべきかという問題である。
裁判官は議員のように直接国民から選出されるわけではない。 その裁判官が、国民を代表する議員が合憲と判断した法律を覆すのは民主主義に反するのではないか。 こう考えれば、審査権の行使は謙抑的に行うべきだということになる。 もっとも、問題は裁判所が国会の判断を覆すことにあるから、合憲判決を出すことは民主主義に反しない。 合憲判決でも政治部門の多数派の判断を正当化するという政治的効果をもつから、それを積極的に行うのは司法積極主義であるという捉え方もあるが、違憲審査の役割を考える場合に最も重要なのは裁判所が国会と対立する判断を行う場合であるから、そこに焦点を当てて消極主義・積極主義を考えるのがよいであろう。 そこで、民主主義を強調すれば、司法消極主義こそが裁判所の原則的な態度であるべきもののように見える。 しかし、政治部門による民主的判断は尊重すべきであるという考えが妥当するのは、政治プロセスの民主性が確保されているときに限られ、仮に民主的プロセス自体を形骸化するような立法がなされたときには、その審査に際して立法府の判断を尊重するという論理は成り立たないであろう。 さらに、そもそも違憲審査権は主権者国民が憲法制定により裁判所に授けた権限であり、その際の制憲者の意図が、国民からさえもある程度独立した、その意味で民主的性格のより小さい独立の裁判所こそが立法府をコントロールするのにふさわしいというものであったとすれば、この意図こそ、それが改正により変更されない限り、より民主性の強いものとして尊重されるべきではないかという議論もありうる。 この立場に立てば、裁判所の基本的な態度としては、憲法により与えられた権限を職務として忠実に果たすということでなければならないであろう。 それが、憲法問題を立法事実を基礎に具体的に審査し、説得的な理由を付すという「通常審査」の考えの基礎にあるものである。 それを原則にし、事件の類型により特に理由がある場合には、より「厳格な審査」あるいはより「緩やかな審査」も認められると考えていこうというのが本書の立場である。 (2) 憲法判断の回避と合憲解釈のアプローチ(ア) 憲法判断の回避
付随審査制を基本とすれば、違憲審査は紛争の解決に必要な場合に行うものであり、憲法判断に立ち入らないで紛争を解決する方法が他にあるならば、その方法を援用することにより憲法判断を回避することは許される。
たとえば、自衛隊の演習用通信線を切断して自衛隊法121条の「武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物」の損壊罪に問われた恵庭事件において、裁判所は通信線を「その他の防衛の用に供する物」には該当しないと判断して無罪とし、自衛隊法121条が憲法9条に反しないかどうかという問題の判断は回避した(札幌地判昭和42年3月29日下刑集9巻3号359頁)。 裁判所としては、本件の解決方法として、自衛隊法121条の憲法判断を行い、合憲判断をしたうえで構成要件に該当せずという論理をとることもありえたであろうし、あるいは、違憲の判断をして本件への適用を排除するという論理をとることもありえたであろう。 しかし、本判決のように憲法判断を回避することも可能であり、どの筋道をとるかは基本的には裁判所の裁量に委ねられるものと考えられる。 これに反対する立場には、構成要件に該当せずという判断は、自衛隊法121条を「適用」したうえでの判断であり、合憲性が前提となっているという理解を示す見解もあるが、そのように理解すべきでない。 構成要件に該当しないとは、本条項は「適用できない」という意味に理解すべきであり、そこでは法律に関するいかなる憲法判断も前提にはなっていないと解すべきである。
判断回避の特殊な事例として、第三者の憲法上の権利の援用という問題がある。
アメリカでスタンディング(standing)の問題として論じられているが、そこでは「訴訟を提起する原告適格」(standing to sue)と「第三者の権利を援用する当事者適格」(standing jus tertii)が区別されている。 前者は、訴訟を提起するには訴訟の結果に本人独自の利益(personal stake)が関わっていなければならないという問題であり、その存在の主張がなければ適法な提訴とはならず、裁判所の判断はなされえない。 これに対し、後者は、訴訟が適法に係属したことを前提に、その訴訟において自己の主張の根拠として自己の権利ではなくて訴訟外の第三者の権利の侵害を援用しうるかという問題であり、通常被告にとっての問題として生じる。 権利保障を目的とする付随審査制においては、他人の権利の侵害は許されないのが原則であり、裁判所は通常はその主張を取り上げて判断することはないが、例外的に判断が許されることがあるとされる。 第三者の権利の侵害に関する判断を事件の解決の基礎に取り入れたからといって、付随審査制に反するわけではないので、判断するかどうかはある程度裁判所の裁量に属することになろうが、どのような場合に判断し、あるいは、判断を回避するかのルールが問題となるのである。 たとえば、第三者が自ら訴訟を提起することが困難である場合や、早期に争点についての裁判所の判断を示すことが望ましい場合などには、判断することが許されるのではないかといわれている。 このことが問題となった事例に、第三者没収事件がある。 そこでは、密輸に関係した貨物が第三者の所有に属していたので、その没収を、本人に防御の機会を与えないまま、被告人に対する附加刑として科すことができるかどうかが問題となった。 最高裁は、最初、第三者の権利(所有権侵害)を援用することは許されないとして主張を退けたが(最大判昭和35年10月19日刑集14巻12号1574頁)、すぐ後に判例を変更して主張を認めた(最大判昭和37年11月28日刑集16巻11号1593頁)。 没収により所有権が確定的に国家に帰属するのであれば、第三者は別訴で争うことはできないから、裁判所は違憲かどうかを判断すべきであろう。
この問題は、たとえば教科書訴訟で教科書執筆者の原告が生徒の教育を受ける権利の侵害を主張しうるのかとか(杉本判決(208頁)参照)、宗教団体が信者の権利を援用しうるか(観光税訴訟(177頁)、オウム解散命令訴訟(178頁))といった形でも現れている。
(イ) 合憲限定解釈
憲法上違憲の疑いのある条文を適用する場合にも、その条文の意味を憲法に適合するように解釈することにより、違憲判断を回避する「合憲限定解釈」という手法もある。
全逓東京中郵事件判決や都教組事件判決がこの手法を用いた代表例である。 法律を違憲とするわけではないので、立法府との真正面からの対立を避けうる点に利用価値があるが、そのために無理な解釈をすれば、事実上法文を書き換えるのと同じになり、司法の権限を逸脱する危険が生ずるから、「解釈として許容される範囲内」にとどまらなければならない。 最高裁は、公務員の争議権の制限規定については、不明確な合憲限定解釈によりかえって刑罰の明確性の要請に反する結果となっているとして、それまでの合憲限定解釈をした判例を変更した(最大判昭和48年4月25日刑集27巻4号547頁)が、表現の自由を規制する法律については、「限定解釈をすることが許されるのは、その解釈により、規制の対象となるものとそうでないものとが明確に区別され、かつ、合憲的に規制し得るもののみが規制の対象となることが明らかにされる場合でなければならず、また、一般国民の理解において、具体的場合に当該表現物が規制の対象となるかどうかの判断を可能ならしめるような基準をその規定から読みとることができるものでなければならない」と述べ、「風俗を害すべき書籍、図画」を「猥褻な書籍、図画」と合憲限定解釈することも許されるとしている(最大判昭和59年12月12日民集38巻12号1308頁)。 この基準の前段部分は、合憲限定解釈の結果が明確かつ合憲的内容でなければならないことを示したものであり、当然のことである。 これに対し、後段部分は、やや曖昧ではあるが、元の規定からは一般国民が読みとりえないような内容に解釈することは許されないことを示したものと解されるので、ここでいう「解釈として許容される範囲内」を判示したものと理解できる。 「風俗を害する」とは「猥褻な」という意味だと一般国民が読みとりうるかについては、反対意見も存在した。
なお、合憲限定解釈という解釈手法は、条文に合憲的部分と違憲的(違憲の疑いのある)部分が含まれている場合に、違憲的部分を解釈により切り落とす手法であり、通常の解釈手法(文理解釈・目的論的解釈・体系的解釈等)により違憲の疑いのない意味に解釈しうる場合には、合憲限定解釈とは呼ばない(最二判平成24年12月7日判時2174号21頁の千葉補足意見参照)。
したがって、徳島市公安条例判決(最大判昭和50年9月10日刑集29巻8号489頁)は、「交通秩序を維持する」という構成要件に違憲の疑いを認定することなく解釈により条文の意味を限定しているから、合憲限定解釈を採用したとはいえないが、税関検査事件判決は「風俗を害する図画」という要件に違憲の疑いを認定したうえでその意味を「猥褻な図画」と限定したから合憲限定解釈を採用したということになる。 しかし、両者の違いは現実には相対的であるので、税関検査事件判決は合憲限定解釈が許される場合の先例として徳島市公安条例事件判決に依拠している。 いずれにせよ、合憲限定解釈が許されるためには、合憲的部分と違憲的部分とが「可分」でなければならない(418頁参照)。 不可分であれば、全体として違憲とするか、あるいは、後述の適用上判断をすることになる。 (3) 適用上判断と文面上判断
「法律」を「事実」に適用するに際して、「事実」に着目してその憲法的評価をする場合と、「法文」に着目してその憲法的評価をする場合がある。
前者の場合、事実が憲法上保護されたものであるときには、これを規制する法律を適用すれば違憲となるので、「本件に適用する限りにおいては違憲」(適用上違憲)と判断して事件を解決することが可能となる。 逆に、事実が憲法上保護されたものでないときには、たとえ法律自体に疑問があっても、「本件に適用する限りにおいては合憲」(適用上合憲)という判断が可能となる。 このアプローチにおいて注目されるのは、法律自体の憲法的評価は直接にはなされず、いわば法律そのものの憲法判断が回避されることである。 これに対し、文面上判断とは法律そのものを直接審査し、それが違憲である場合には、「違憲であるから本件に適用できない」として事件の解決を行う方式である。 では、文面上判断をすれば法律が違憲となる可能性があるが、適用上判断をすれば本件事実は憲法上保護されたものではなく適用上合憲となりうるという場合、どちらのアプローチをとるべきか。 たとえば、法律の規制対象が広汎にすぎ、憲法上保護された行為まで規制対象に含まれているが、本件の行為自体は憲法上保護されたものではないとか、あるいは、規制の文言が漠然不明確で規制対象のコアの部分は分かるものの周辺部がどこまで及ぶのか分からないが、本件の行為自体はコアの部分に該当するというような事件において、この問題が生じる。 これは、本人に適用する限りでは合憲であるが、訴訟外の第三者に適用する場合には違憲となりうるということであるから、前述の第三者の権利の援用の一例でもある。 一般論としていえば、規制の「畏縮効果」を懸念すべき表現の自由等の領域については、法律の違憲性を早期に確定するために文面上判断を優先すべきであるが、畏縮効果を必ずしも懸念する必要のない経済的自由等の領域については、適用上判断をとるのがよいと考えられる。 5 違憲判決の種類と効力(1) 違憲判決の種類
違憲審査は、法令そのものを対象とする場合と、法令の適用の仕方を対象とする場合があり、この区別は、基本的には文面上判断と適用上判断の区別に対応している。
そして、この区別から文面上違憲(法令違憲)と適用上違憲が生じることになる。
文面上違憲は、法令そのものを違憲と判断するものであるが、関連条文を全面的に違憲とする場合と、その一部だけを違憲とする場合がある。
関連条文のなかで違憲である部分が他の部分と「可分」であれば、その部分だけを違憲と判断し、不可分であれば全体を違憲とすることになる。 全部違憲となるか部分違憲となるかは、可分かどうかによるが、その判断は、基本的には、その違憲部分がなかったならば立法者はこの立法をしたのかどうかを基準になされる。 全部違憲も部分違憲も法令違憲である点では同じであり、立法者がこれに対応しようとする場合、何が違憲とされたかは判決理由から判断する以外にないから、両者の区別自体に意味があるわけではなく、重要なのは可分かどうかの判断だといえよう。
適用上違憲は、適用の仕方を審査の対象とするが、法令の適用には、通常、適用する行為と適用される側の状況とが存在し、そのいずれに着目するかにより議論の仕方が異なる面がある。
適用上判断の本来的なあり方は、適用される側の状況を憲法により評価するものであり、その状況が憲法により保護されていると評価された場合に適用上違憲の判決となる。 この場合には、適用されるべき法令についての憲法判断は回避される。 これに対して、法令の執行者がそれを適用する行為に着目するときには、通常は、適用行為が法令に従っているかどうかが問題となる。 従っていなければ違法であり、憲法判断の必要はない。 適用法令が違憲かどうかが問題とされるなら、それは適用上違憲ではなく法令違憲の問題である。 したがって、適用行為に着目して審査する場合には、憲法判断は必要ないはずである。 ところが、適用行為を法令に照らして評価して違法性を判断するのではなく、直接憲法に照らして評価し、違憲かどうかを判断するという手法も理論上は可能であり、これも一般的には適用上判断と呼ばれている。 何を適用上違憲と呼ぶかという用語上の問題にすぎないともいえるが、視点を異にする違いがあることは意識しておく必要がある。 いずれにせよ、適用上違憲は個別的な事例についての判断であり、法令そのものについての判断ではないので、当該事例への適用が違憲であることは判断されたが、それ以外に適用違憲となる場合があるかどうかは、不明なままに残される。 この点で、法令違憲である部分違憲とは、法令の適用の一部を違憲とする点では似ているようであるが、法的効果を異にする。
判例の中には「運用違憲」という手法を採用したものも存在した(東京地判昭和42年5月10日下刑集9巻5号638頁)。
東京都公安条例に関する事件であったが、公安条例自体の合憲性は最高裁判決で確定しているため、文面上判断は回避してその運用の仕方を問題にした。 その際、当該事件における運用を問題にする(その場合には適用上判断となる)のではなく、それまでの他の事例を含めた運用全体を評価して違憲と判断し、そのうえで本件もその全体としての運用の一環としてなされたものであるから違憲であるとした。 しかし、本件の適用の仕方を評価するのに他の事例と一体として評価するのは、付随審査制の論理と必ずしも整合しない(本件の高裁判決である東京高判昭和48年1月16日判タ289号171頁参照)。 もし全体としての運用が違憲であるというなら、そのような運用を許容している法令そのものを違憲とすべきであろう。
いかなる種類の違憲判断を行ったかにつき見解の対立がある判例に、第三者没収判決(最大判昭和37年11月28日刑集16巻11号1593頁)がある。
この判決は、関税法の定める没収規定(犯罪行為の用に供した船舶・貨物の没収を規定していた当時の関税法118条1項)自体は合憲であるが、その船舶・貨物が第三者の所有に属する場合には、所有者に防御の機会を与える手続のないままに没収刑を宣告するのは違憲であると判断した。 この判例の理解につき、手続規定を置く法律改正をしない限り合憲とはならないのであるから、法令違憲と同視しうるという見解、関税法の没収規定を手続規定のないまま本件に適用するのは違憲であるということであるから適用違憲の判決であるとする見解、手続規定がないことを違憲としたのであるから立法不作為の違憲判決であるとする見解などが対立しているが、没収を判示した判決が違憲であり、その判決は憲法81条の「処分」に該当するから処分違憲の判決と理解すべきであろう。 「処分」は行政処分としてなされることが通常であろうが、裁判所の判決も憲法81条の「処分」に含まれる。 処分を行うには法令の根拠が必要であるが、授権の実体規定には問題がないのに憲法の要求する手続を定めた法令が存在しないというような場合には、その処分が実体的には合法であるが手続的には違憲ということが起こりうるのである。 その場合には、違憲の手続でなされた処分そのものが違憲であると理解することができる。 上に述べた適用上判断における適用行為に着目した適用違憲も処分違憲と理解する場合が多いであろう。 (2) 違憲判決の効力
付随審査制においては、憲法判断はその事件の解決に必要な限りで行われるから、法律が違憲と判断されても、それは当該法律をその事件では適用しないということにすぎず、一般的に法律が無効となるわけではない。
一般的に法律が無効となるとすれば、法律を廃止したと同じ意味をもち、裁判所が消極的な立法権をもつことになろう。 これは、国会が唯一の立法機関(41条参照)であることに反するのではないか。 このように考える立場を「個別的効力説」という。 違憲判決の効力は、法律をその事件に適用しないということに尽きると考えるのである。 もちろん、最高裁の判決は判例(先例)として機能するから、最高裁が判例変更を行わない限り、法律が違憲であるということは後の事件でも踏襲される。 しかし、それは、当該法律が一般的に無効となったからではなくて、先例のもつ効果にすぎない。
これに対し、違憲と判断された法律も、国会が廃止しない限り法律として存続し続けるとするならば、内閣はその「法律を誠実に執行」(73条1号)しなければならないことになり、不合理な結果を生み出すことになるから、違憲とされた法律は一般的に効力を失い、法律が廃止されたと同じ効果をもつと考えるべきだとの見解もあり、「一般的効力説」と呼ばれている。
しかし、法律の憲法適合性の最終的判断権を有する最高裁が違憲と判断した以上、その後に特別考慮すべき事情が生じない限り、内閣は最高裁の判断を尊重する義務を負うのであり、その限りにおいて「法律の誠実な執行」義務は解除されると考えるべきであろう。
違憲判決の効力に関しては、その効果が遡及するのかどうか、遡及するのが原則とした場合に遡及しないという判決を書くことは許されるか(将来効判決の可否)という問題も議論されている。
遡及するかどうかについては、個別的効力説の立場からは、違憲であるという判断は以降の事件においても先例として踏襲されるであろうから、判決以前に生じた事例にも遡及するのが原則である。 では、判例変更で違憲と判断された場合(たとえば、尊属殺違憲判決を考えよ)、以前の合憲判断の下で確定した判決はどうなるか。 再審理由として認められれば、それで救済されるが、そうでなければ恩赦による救済しかない。 判例変更で合憲となった場合はどうか。 その事例は存在しないが、公務員の争議権の禁止に関する合憲限定解釈が変更された事例は、この場合に似る。 合憲限定解釈は違憲部分の存在を前提にした解釈であり、その違憲部分が合憲に変更されたからである。 この場合、合憲限定解釈判決後に生じた事例に合憲判決の判断が遡及するとすれば、改正法律を遡及させるのに似るから、改正法律を遡及させることが許されるかどうかの問題とパラレルに考えるべきであろう。 こうした遡及に伴う困難に対処するために、違憲判決のなかでその判断は将来の事例にしか適用しないと判示する(「本件を除いては」という条件を付す場合と付さない場合がありうる)ことが考えうる。 たとえば、選挙無効訴訟で定数不均衡を違憲と判断しながら、その効果は将来の事例にしか適用しないという判決は許されるかが議論されている。 日本の裁判所は法律に規定のない救済方法は回避する傾向が強い。 しかし、行為が許されるかどうかを定めるいわゆる第一次規範については裁判所による法創造は慎重であるべきだが、違反行為に対する救済方法に関しては柔軟な法創造により適切な救済を図るべきだという見解も有力である。 B) 抵抗権と国家緊急権1 抵抗権
ヨーロッパ中世においては、国王も法に服し、国王が法を犯し臣民の権利を侵害すれば、抵抗権の発動が正当視された。
抵抗権が法の支配の担保だったのである。 しかし、抵抗権の行使は多くのコストを伴うから、日常的に訴えることのできるものではない。 むしろ抵抗権に訴える必要のないように、権利侵害の予防や救済方法が整備されることの方が好ましい。 立憲主義的制度の発展は、まさにこのような要請に応えるものとして展開してきたのである。 しかし、いかに立憲主義的制度が整備され、抵抗権の出番が極小化されたとしても、権力は制限されねばならないという立憲主義の論理が維持される限り、権力が制限を無視した場合に対する抵抗権の論理も存続し続ける。 抵抗権は立憲主義のエートスなのである。
抵抗権を正当化する論理は、自然法・自然権である(自然法上の抵抗権)。
抵抗権が問題となるのは、実定法上の救済手段が尽きたときであることを考えれば、自然法に訴えて正当化するのは自然な論理である。 しかし、抵抗権を実定法上の権利として捉えようという見解もある(実定法上の抵抗権)。 立法権や行政権の憲法破壊的行為に抵抗して刑事罰に問われたとき、裁判所が抵抗権を援用して無罪とすることが認められてよいのではないかと考えるのである。 しかし、通常は正当防衛・緊急避難等の刑法上の理論で対処可能であり、抵抗権に訴えなければならないような問題は想定しがたいし、抵抗権としてしか正当化しえないような状況が生じたとき、裁判所が正常な機能を保ちえていると想定することも困難であろう。 2 国家緊急権
外敵の侵入や内乱のような緊急事態が起こり国家の存立そのものが脅かされたとき、これに対処するために行政権に権力を集中し財産権や表現の自由などの人権を制約する必要が生じることがある。
しかし、これを認めることは人権保障と権力分立を中心とする立憲主義と衝突するから、立憲主義憲法の下においては許されないのではないかが問題となる。 この点につき、立憲主義も国家の存立を必要とするのであるから、それを護るために一時的に立憲主義を停止することは、立憲主義と矛盾しないはずだ。 こう主張して、国家緊急権を国家の自然法的な権利として承認しようとする見解もある。 抵抗権が権力による立憲主義への攻撃に対する国民の権利であるのに対し、国家緊急権は権力の側が立憲主義の防御を口実に発動する権利である点で、同じく立憲主義の擁護を唱えながらも、対照的構造をもつ。
自然法上の国家緊急権という考えは、濫用の危険が大きく支持する見解は少ないが、憲法自体の中に一定の要件の下に緊急権の発動を許す規定を予め書き込んでおき、万一の必要に応えるとともにその濫用を阻止しようという考えもあり、フランス第五共和政憲法16条やドイツ基本法115a条にその例が見られる。
明治憲法の戒厳大権(14条)や非常大権(31条)もその一種であるが、日本国憲法は明治憲法下における濫用を反省して規定を置くのを避けた。 しかし、有事に対処するための法制を法律で定めることまで禁止したと解すべきではなく、人権保障や権力分立を完全に停止するような内容でない限り、特定の場合の人権制限や行政権の強化を法律で定めることは許されよう。 いわゆる「有事法制」(「武力攻撃事態法」、「国民保護法」、「米軍行動円滑化法」等から成る)は、かかる観点から吟味すべきものである(57頁参照)。 Ⅱ 憲法適応
絶えず発展し変化する社会は、憲法に対して適応を迫る。
憲法の基本価値として護るべきものは、社会がいかに変化しようと、それに抗して護っていかねばならないが、基本価値を実現するための手段的憲法規範は、時代の変化に適応してつくりかえていく方が真に憲法を護ることにつながろう。 変化への適応は、まず第一に、憲法解釈の変更を通じて行われる。 憲法条文が担いうる意味には幅がある。 その幅の枠内で、変化と調和しうる意味へと解釈を変更するのである。 しかし、枠内での適応が不可能となれば、条文自体の変更が必要となる。 それが憲法改正である。 ところが、ときには、解釈の枠内には収まりきらない憲法運用が憲法改正を経ないまま実行されることもある。 これは、本来は憲法違反であり、違憲審査等の憲法保障のメカニズムにより除去されるべきものである。 しかし、何らかの事情でその機会をもちえないままそのような憲法運用が長期にわたって継続あるいは反復され、そのうち次第に多くの国民に受け入れられていくということも起こりえないわけではない。 これが「憲法変遷」と呼ばれる現象である。 1 憲法改正(1) 改正の手続
憲法96条1項前段は、「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」と定め、憲法改正に(ア)国会による発議と(イ)国民による承認の二段階の手続を予定している。
通常の法律の制定に必要とされるものより重い手続を要求しており、日本国憲法が硬性憲法であることを示している。 (ア) 国会による発議
発議には「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」が必要である。
総議員とは、法定数か、それとも欠員を引いた現在数かの争いがあるが、憲法改正の重大性を考えれば、偶然的要素の介入する現在数ではなく、法定数と解すべきであろう。 議院への発案(原案あるいは修正案の提出)については、憲法に定めはないが、各議院の議員が発案権をもつのはいうまでもない(ただし、国会68条の2・68条の4参照)。 問題は、内閣に憲法改正案を提出する権限が認められるかどうかである。 法律案については、内閣法が提案権を認めており(内5条参照)、通説もそれを合憲と解しているが、憲法改正案については、憲法上内閣には認められないとする説も有力に唱えられている。 (イ) 国民による承認
国民による承認には、「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」(96条1項後段)。
過半数とは、総投票数の過半数か、無効投票を差し引いた有効投票数の過半数かの対立があるが、いずれにするかは法律で定めることができると解する。 特に定めがない場合には、有効投票数が極端に低い場合に対処するために「国民投票法」(正式名称は「日本国憲法の改正手続に関する法律」)では、改正案に対する賛成票と反対票の合計の過半数と定められている(126条1項・98条2項)。
国民による承認が成立すると、「天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」(96条2項・7条1号)。
(2) 改正の限界
憲法改正の手続さえ践めば、いかなる内容の改正も許されるか。
たとえば、憲法の基本価値(個人の尊厳とそこから演繹される人権保障および国民主権がその核心を構成する)を変更するような改正さえ許されるのか、という問題である。 事実としては、そのような改正も起こりうる。 ここでの問題は、法理論としてそのような改正を「憲法改正」として認めうるのかという問題である。 もしそのような改正は改正権の限界を超えるものであると考えるなら、それは、法的な説明としては、新たな憲法制定権力の発動であり、改正ではなくて「革命」であると捉えることになる。 この問題は、憲法制定権力と憲法改正権の関係をどう理解するかとも関連し、改正に限界なしとする無限界説と限界ありとする限界説が対立している。 (ア) 改正無限界説
この立場の代表的な説は、憲法改正権は憲法制定権力が実定憲法の中に形態変化をとげて入り込んだものであるから、その本質は憲法制定権力と同じであり、憲法上の改正権に変身する際に自らに課した手続的な拘束以外には縛られない、と説く。
また、憲法制定権力の観念を法的には認めない法実証主義の立場からは、憲法規範の間に価値の序列はないから、改正手続さえ守ればどの条文も改正しうると説明する。 (イ) 改正限界説
この立場は、憲法改正権は「憲法により設立された権力」(pouvoirs constitues)一つであり、憲法制定権力(pouvoir constituant)とは質的に異なるという理解を前提とし、憲法改正権は自己の存立の根拠となっている憲法制定権およびそれと密接に結びついた諸規範を否定することは法論理上許されない、と説く。
憲法制定権と密接に結びついた諸規範とは、憲法制定権そのものの法的根拠となる個人の尊厳と人権保障・国民主権、すなわち憲法の基本価値を定める規範であるが、これを根本規範と呼ぶとすれば、この立場は憲法の中に「根本規範→憲法改正規定→その他の憲法規範」の序列を設定し、憲法改正権は法論理上自己の上位に位置する根本規範を改正することはできないと主張する説と合流する。 なお、この説のバリエーションとして、改正権を制定権の変身と認めつつ、その制定権自身が自然法に由来する根本規範に拘束されているのだと説く立場もある。 いずれにせよ、改正の限界を超えた場合には、それは法的には改正ではなく「革命」(あるいは「反革命」)と説明されることになる。
この限界説からは、いかなる規定が限界に該当するかが問題となるが、通常、個人の尊厳(人権尊重主義)、国民主権および平和主義(ただし、現状において軍隊の保有が直ちに平和主義に反するというわけではなく、9条2項の改正は可能)が改正権の範囲外とされる。
問題は、改正規定(96条)自体の改正が許されるかであるが、少なくとも国会による改正の議決要件を加重することなく国民投票を廃止することは国民主権に反すると解すべきであろう。 国民投票制は維持しつつ国会による発議の要件を「各院の3分の2」から「各院の過半数」に変更することはどうか。 改正の国民投票を国民が直接「決定」する制度という趣旨に解すれば、最終決定権は国民に保持されているから、改正の発議の変更は決定的意味をもたず、国民主権に反しないといいうるかもしれない。 しかし、発議権が権力行使者の側に独占された国民投票は、運用の仕方によっては、真に「国民が決定する」というのではなく、独裁的権力行使を正当化する方向でプレビシット的に機能する危険をもつ制度であることも忘れてはならない。 発議に3分の2の賛成という過重要件を課しているのは、この危険を小さくしようという意図も込められているのである。 また、このことと密接に関連するが、かかる改正は、日本国憲法の統治原理の基本をなしている代表制の精神と整合するか、疑問なしとしない。 国会の各院の3分の2という特別多数を要求したのは、国会による発議こそが憲法改正の最も重要な局面だという趣旨を表現していると思われるからである。 この理解からは、国民投票は国民が「決定」する制度というよりは、たとえ代表者の3分の2が賛成しても、国民がそれを「拒否」しうる歯止めを組み込んだものと理解することになる。 代表制における国民の主要な役割は、日常的な政治を「政治のプロ」に委託し、その時々に「同意」や「拒否」を通じて代表者が提案し遂行する政治を監視することだからである。 2 憲法変遷論
憲法変遷とは、事実を叙述する「社会学的概念」として用いる場合には、憲法に違反する事態が生み出され、かつそれが国民の広範な支持を受けている事実状態を指す。
この意味での憲法変遷は、長年にわたる憲法運用の過程でほとんど不可避的に生起するものであり、そのことの認識自体に学説上の対立はない。 問題は、この概念を解釈論上の概念として、すなわち違憲状態の正当化の論理として使う場合である。 これを安易に許すことになれば、本来は憲法改正の手続を経なければ許されないはずの行為が、国民の支持等を口実に正当化されることになり、立憲主義は空洞化の危険にさらされる。 しかし、他方で、国民の支持を完全に失い、その意味で「実効性」を喪失した憲法規範をいつまでも援用し、憲法違反の主張を続けるならば、逆に憲法自体に対する国民の信頼を動揺させ、かえって立憲主義の基礎を掘り崩しかねない。 この両面を睨みつつ、立憲主義を護るためにはどのように考えるのがよいかが、憲法変遷論の中心問題なのである。
憲法を社会の変化に適応させるには、通常、条文解釈の変更を用いる。
条文が担いうる意味には幅があり、その幅の枠内ならば解釈を変更しても憲法違反とはならない。 憲法変遷が問題となるのは、この枠を超えた場合である。 しかし、枠自体も不変とは限らない。 長い年月の間には、条文の担いうる意味の幅が変遷するということも起こりうる。 この場合には、当初の枠から判断すれば憲法違反というべき行為が、枠そのものが変遷した結果、今では枠内にあるという捉え方になる。 枠内であるから、解釈の変更で対応しうるということになるが、ここでは枠の変遷を承認するかどうかが争点となろう。 枠の変遷を認めてしまえば、あとは難しい理論上の問題は生じない。
これに対し、枠外の行為の憲法変遷の場合には、憲法規範とそれに違反する事態が対立しているから、両者の関係をどう説明するかが困難な問題として残る。
この問題は、日本では、憲法慣習法の問題との関連で議論されてきた。 違憲の状態は、当初は違憲というにすぎなかったが、期間の経過のなかで国民の法的確信により支持されて法的効力を獲得し、この慣習法規範が実効性を喪失した憲法規範に取って代わったというのである。 慣習法に関する日本法の原則では、慣習法が制定法を改廃することは許されない。 そうすると、憲法変遷論は憲法慣習法が制定憲法を改廃することを例外的に認めるかどうかという問題となる。 この点で、それを認める説(規範説)と認めない説(事実説)とが対立してきた。 しかし、憲法慣習法が憲法規定に「取って代わる」という捉え方は、ミスリーディングであろう。 憲法慣習法が憲法規定を押しのけて自らが形式的意味の憲法の位置につくかのような印象を与え、その憲法慣習法の改正には、憲法の定める改正手続を必要とするかの誤解を与えるからである。 むしろ、実効性を喪失した憲法規定はいわば「仮眠」に入り、法の欠缺と同じ状態が生じ、その欠缺を慣習法が埋めている状態と理解するのがよい。 こう解すれば憲法慣習の改正は法律でも可能であるし、憲法規定が眠りから覚めることもありうることが無理なく説明できる。 この理解を前提として、憲法慣習法の成立を認めるには、長期間の経過と国民の圧倒的な支持(憲法改正も不要とするほどの)を必要とすると考えるべきであろう。 |