| 人権を規定した日本国憲法第3章は「国民の権利及び義務」と題されているが、ここでいう権利は、条文の中では「基本的人権」(11条・97条参照)と表現されている。 論者によっては、ドイツの用例にならって、実定憲法上保障された権利を「基本権」と呼び、「基本的人権」あるいは単に「人権」という呼称を実定憲法とは離れて自然権的ニュアンスをもって使う場合に留保する立場もあるが、本書では、特に断らない限りこうした区別をしないで「人権」という語を一般的に用いる。
 本章の課題は、人権がいつ、どこで、いかなる観念として形成され発展してきたのか、その結果、人権にはいかなる類型が区別されるのか、そして、人権を保障された主体とは誰なのかを、人権の論理に従って理解することにある。
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<目次>
1 人権の歴史
日本国憲法97条は「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と規定し、人権が重い歴史を背負って確立されたものであることに注意を喚起している。
その歴史を最初に瞥見することから始めよう。
(1) 前史
人が生まれながらにしてもつ権利、人ということだけを理由に認められる権利が「人権」であるとすれば、そのような意味での人権を歴史上初めて宣言したのは、北米のヴァージニア権利章典(1776年)であった。
しかし、国民が国王(国家)権力を制約する権利をもつという観念をいち早く確立し、近代的人権宣言を準備したのはイギリスであった。
イギリスにおける権利の観念は、たしかに「イギリス国民が古来より承認されてきた権利」というものであり、「人の権利」というものではなかったが、統治者の権力が被治者の権利により制限されるという立憲主義の人権論の核心をなす法構造が、そこに成立していたのである。
人の権利ではなくイギリス国民の権利であり、それが長い歴史的実践の中から、主として判例の集積を通じて徐々に確立されてきたという、その成立経緯を反映して、イギリスで保障されるに至った権利の内容は、権利の具体的な手続的保障(たとえば国会の同意なき課税の禁止、同輩による裁判なしの逮捕・処罰の禁止など)を中心とするという特徴をもち、後の人権宣言が抽象的な実体的権利(たとえば財産権、表現の自由など)を列記する手法をとったのと対照をなしている。
この「イギリス国民の権利」が、グロティウス(Hugo Grotius, 1583-1645)に始まる近代自然法思想の潮流のなかで、ジョン・ロックにより自然権的基礎づけを与えられることにより、近代的な「人の権利」の観念が成立してくるのである。
ロックによれば、人は自然状態において相互に自由・平等な存在として自然権を享受していた。
しかし、自然状態には共通の裁判官が存在しないため、自然権の侵害を十分に阻止しえない。
そこで、自然権をよりよく確保するために社会契約を結び、自然権の一部を社会に譲渡して権力を生み出すのである。
この権力は、個人が留保した自然権をよりよく保障するためのものであり、自然権に拘束される。
このような自然権思想は、論者によって細部に違いを見せつつも、17世紀末から18世紀にかけてヨーロッパの有力な潮流となり、人権宣言を生み出す近代市民革命の理論的支柱となる。
(2) 成立
近代的人権を最初に宣言したのは、北アメリカのヴァージニア権利章典であり、その後独立した諸邦が同様の権利章典を伴った憲法を制定していったことはすでに述べた(9頁参照)。
1787年に制定されたアメリカ合衆国憲法は、当初、権利宣言を有していなかったが、1791年に憲法修正として修正1条から10条にわたる権利章典が付加された。
これらのアメリカ権利宣言の特徴は、ピューリタンの伝統からくる宗教の自由とイギリスの伝統を継承した諸自由を自然権思想により根拠づけたところにあった。
他方、フランスにおいては、アメリカ諸邦の権利章典の影響を受けつつ、同時に、モンテスキューやルソーなどフランス啓蒙思想にも大きく影響されながら、1789年に始まるフランス大革命のなかで「人及び市民の権利宣言」を表明する。
基本的にはアメリカ権利章典の思想と同じ思想に基づくものといえるが、アメリカの宣言がイギリスの影響下に具体的な手続的保障に重点を置いていたのに対し、フランス人権宣言は抽象的・理念的な性格が強いという特徴をもつ。
なかでも、そこで採用された、ルソーの思想からくる「法律は一般意志の表明である」(6条)という定式は、国民主権モデルを基礎とする法律(議会)優位の体制を帰結し、フランス的伝統の淵源となった点で特筆に値する。
なお、この宣言は、新しい憲法が採用すべき原理を宣言するという意味をもったものであり、2年後に制定された1791年憲法の冒頭にそのまま取り入れられた。
フランスは、この後1793年憲法(いわゆるジャコバン憲法)においても人権規定を置き、そこでは自由権より平等権を先に掲げ、公的扶助や教育を宣言するなど、91年憲法とは若干異なるニュアンスを示した。
そのため、論者によってはこれを社会主義思想に基づく権利宣言の先駆的意味をもつとするものもあるが、財産権や経済的自由を強調した点で基本的には同一の思想の中にあると捉えることのできるものであった。
(3) 普及と変容
アメリカとフランスの近代革命のなかで成立した人権思想は、19世紀を通じて諸国に普及し、権利保障を謳う憲法制定を生み出してゆく。
その流れは、大局的には、権利保障が徐々に定着していく過程と捉えることができるが、その過程で人権思想が大きな変容を受けたことも見逃してはならない。
最も大きなものは、自然権的思想の退潮によって生じた「人の権利」の観念から「国民の権利」の観念への変化である。
それは、《国民主権》を掲げた1831年ベルギー憲法(政体としては君主制を採用)においても生じていた。
ベルギーは1830年にネーデルランド王国から独立して国民主権に基づく憲法を制定するが、その中で「ベルギー国民の権利」を規定したのである。
しかし、《君主主権》を基礎に置く憲法においては、自然権思想は認められないのであるから、権利観念が「臣民(国民)の権利」へと傾斜するのは当然のことである。
ドイツ諸邦の憲法がその典型であった。
三月革命により制定されるが結局は挫折することになる1849年のフランクフルト憲法(帝国憲法)も、帝政をとる限り人権思想を採用することはできず、妥協として「ドイツ国民の権利」という表現を採用していた。
明治憲法に影響を与えた1850年のプロイセン欽定憲法が「プロイセン人の権利」としたのも当然のことである。
しかも、この権利には「法律の留保」が伴っていた。
1871年のドイツ帝国憲法(ビスマルク憲法)に至っては、基本権規定を置くことさえしなかった。
基本権の保障はラント(邦)の役割であるというのが一つの理由であったが、より根本的な理由は、権利が法律の留保の下にあるとすれば、憲法に規定を置かなくても、特別法により保障すれば十分と考えられたことにあった。
人権思想を退潮させた大きな要因として、特に19世紀後半以降、法実証主義の思想が支配的となったことを挙げておく必要がある。
これにより、人権を基礎づけた自然権思想が支持を失っていったのでる。
(4) 両大戦間の動き
この期の最も重要な動きは、人権についてのマルクス主義的観念が登場したことである。
マルクス主義は、近代的な人権を、それを享受するための物質的基盤を欠く労働者階級にとっては抽象的・形式的な権利にすぎないと批判し、人権は天賦のものとしてすでに存在するのではなく、階級なき社会において初めて獲得されるものだと主張した。
このような思想に基づき、ロシア革命が成功すると、1918年に「勤労し搾取されている人民の権利宣言」が採択され、やがて1936年のソヴィエット社会主義共和国同盟憲法において、生産手段の社会主義的所有を謳う権利保障が規定されることになる。
こうした動きは西欧諸国にも影響を与えるが、特にこの期に新しく憲法を制定したドイツにおいては、そのワイマール憲法の中に財産権を制限し社会権を保障する規定を取り入れた。
この社会権規定は、当時のドイツにおいては、法的効力をもたない「プログラム規定」にすぎないと解されたが、第二次世界大戦後の諸憲法にも受け入れられ、現代の積極国家における人権の重要な一部となるに至っている。
この期には、このように近代的人権を修正して社会権を付加する西欧型人権と、近代的人権の形式性・階級性を批判し労働者階級の人権を主張する社会主義型人権が登場したが、他方で、人権の思想そのものを否定する全体主義の挑戦も受けた。
価値の根源を個人に見、社会を個人の福祉のための手段と捉える個人主義に対し、全体主義(ファシズム・ナチズム)は価値の根源を全体に見、個人を全体(国家的・人種的共同体)に貢献する限りにおいてしか価値をもたないと考え、個人主義に基礎をもつ人権の思想を否定したのである。
(5) 第二次世界大戦後の動向
この期には、ファシズムやナチズムの経験を踏まえて、自然権思想が再生する。
実定憲法に書き込まれた人権を実定法に内在する自然権であり論理上超実定法的性格をもつものと考えるのである。
この思想を根拠に、人権が立法権をも拘束することが強調され、かつての法律の留保が否定されるのみならず、裁判所による法律の合憲性審査制度が導入される。
先に述べた社会権の保障や参政権の拡大(女性参政権の一般化)もこの期の重要な特徴である。
特に近時の特徴としては、自然権思想に代わって、人権の道徳哲学による基礎づけの試みが進展していること、ソ連等の崩壊により社会主義型人権論が挫折したこと、違憲審査制度の飛躍的な拡大、国際的レベルでの人権保障の発展が指摘されるほか、プライバシーや自己決定権といった新しい人権に注目が集まってきている。
2 人権の観念
(1) 自然権としての人権
人権とは、人が人であるということだけを理由に認められるべき権利であった。
それは、当初、個々人が自然状態において有している前社会的・前国家的自然権に由来すると説明された。
したがって、そこでは人権は国家を前提としない権利であり、逆にいえば、国家の存在を前提とする権利は人権ではなかった。
フランスの「人及び市民の権利宣言」に典型的に表現されたように、「市民の権利」の典型と考えられた参政権は、国家の存在を前提にするがゆえに「人の権利」ではなかったのである。
同様に、社会権も国家に対する請求権である以上、前国家的な権利ではありえない。
(2) 個人の尊厳
近代自然権思想からすれば、真の人権=自然権は自由権であり、参政権や社会権は国家を前提とする限りにおいて自然権とはいえなかった。
しかし、通常、我々は参政権も社会権も人権に含めて考えている。
日本国憲法が「この憲法が国民に保障する基本的人権」(11条)と表現するとき、この基本的人権には参政権も社会権も含まれると解されている。
ということは、今日では、人権の理解に、近代的な自然権の論理(自然状態・社会契約論)はもはやそのままの形では使用されていないということである。
今日では、人権の根拠は「個人の尊厳(*)」という思想に求められている。
それは、社会あるいは国家という人間集団を構成する原理として、個人に価値の根源を置き、集団(全体)を個人(部分)の福祉を実現するための手段とみる個人主義の思想である。
個人主義に対立するのは、価値の根源を集団に置き、個人は集団の一部として、集団に貢献する限りにおいてしか価値をもたないとする全体主義であるが、「個人の尊厳」を表明した日本国憲法(24条参照)は、全体主義を否定し個人主義の立場に立つことを宣言したのである(**)。
		| (*)「個人の尊厳」と「人間の尊厳」 日本国憲法は「個人の尊厳」(individual dignity)にコミットした(24条参照)。
 これに対し、ドイツ基本法は「人間の尊厳」(Wu?rde des Menschen)にコミットしている(1条参照)。
 人間の尊厳という場合、人間以外のものとの対比を含意するから、人間の尊厳を侵してはならないという基本法の命令は、人間を非人間的に扱ってはならないこと、人間としてふさわしい扱いをすべきことを意味する。
 ナチスによる非人間的な扱いの経験が背景にある。
 これに対し、個人の尊厳は、個人と全体(社会・集団)との関係を頭に置いた観念であり、全体を構成する個々人に価値の根源をみる思想を表現している。
 この言葉が、特に結婚・家族に関する原則を定めた24条で用いられたのは、偶然ではない。
 戦前には、社会における最も基礎的な集団である家族関係が、個人より集団(家族)を重視する価値観を基礎に形成されていた。
 この反省が背景となっているのである。
 このように、個人の尊厳と人間の尊厳とは、直接的な問題意識を異にする。
 とはいえ、個人の尊厳は、個人を全体の犠牲にすることを禁ずるのみならず、非人間的に扱うことも当然に禁じていると解すべきであるし、また、人間の尊厳も、個々の人間を全体の犠牲にすることを禁じているはずであるから、その意味で両者の価値観に基本的な差異があるわけではない。
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		| (**)個人と全体(団体・集団)の関係 個人は、通常、何らかの社会集団に所属し、それに多かれ少なかれ依存しながら生きており、そうである以上、その集団のルール(紀律)に従わざるをえないのは当然である。
 しかも、個人にとって、自己の帰属する社会集団は、単に生きるための手段という以上に、個人のアイデンティティーの一部をも構成するのであり、特に日本人は、いかなる社会集団に帰属しているかを自己のアイデンティティーの要素として重視する傾向が強いといわれる。
 それだけに、社会集団の紀律が個人に及ぼす影響は増幅されて現れ、ともすれば集団が個人を呑み込み個人の自律性を圧殺してしまうことになりやすい。
 それを阻止するために、個人こそが価値の根源であることを絶えず意識し強調する必要があるのである。
 
 社会集団には、家族、学校、各種同好会、会社、地域共同体、国家等々、様々なものが存在するが、これらの社会集団とそのメンバーである個人の関係を考える場合、その団体(社会集団)への加入・脱退が完全に自由な「任意的団体」と何らかの制約のある「非任意的団体」の区別が重要である。
 任意的団体の場合、その団体の紀律に従うのは、メンバーの自由な選択によるのであるから、個人の尊厳と矛盾することはない。
 むしろ、個人は複数の様々な任意的団体に加入することを通じて、自律的生の内容を豊富にすることができるし、また、一つの集団に全面的に捕捉されて狭い視野に閉じ込められてしまうことを避けることができる。
 ゆえに、任意団体は自律的生の可能性を高めてくれるのであり、憲法はそれを「結社の自由」により保障している。
 
 問題は、家族や地域共同体、国家などの非任意的団体である。
 こうした社会集団の場合、個人はそこに生まれ落ちるのであって、自分で選択して加入するわけではない。
 しかも、ものごころのついたときには、すでにその集団の価値を植えつけられており、それだけにその集団の体現する価値と紀律がいかなるものかが、個人にとって重要な意味をもつことになる。
 仮に全体主義により個人と非任意的団体との関係が規律されるとすれば、集団に捕捉された個人は集団の圧力に押し潰され、自律的生を生きることは不可能となろう。
 それゆえに、憲法は個人と家族や国家との関係を個人主義の原理に基づいて構成するよう命じたのである。
 
 個人主義を表現する「個人の尊厳」という言葉が、家族法の拠るべき新たな原理を定めた憲法24条2項で用いられたのは、決して偶然ではない。
 まさに戦前の旧民法が定めた「家制度」は全体主義的な家父長制の原理により構成されていたのである。
 そこでは「家」は戸主と家族(戸主権に服する者を指し、現在の親子のみからなる「核家族」より広い)から成り、戸籍上一つの家として登録された。
 戸主の地位と家の財産は、長男単独相続の「家督相続」で継承され、戸主には家族を統率するために戸主権が与えられるとともに、家族の扶養義務を課された。
 戸主権は、家族のメンバーの居所指定権、婚姻・養子縁組・分家の同意権等を内容としたが、戸主は、自己の命令に従わない家族に対しては、その者を離縁して扶養義務を免れることができ、これが家の財産に対する独占的な支配権と相まって大きな力をもったのである。
 さらに、夫婦間においては夫権を認め、妻を財産上無能力者とし、子に対する親権についても夫権優位とするなど、男女間を不平等に扱っていた。
 総じて、家族メンバー個々人を尊重するというより、全体としての家を重視する思想の表現であったといってよい。
 憲法24条は、かかる制度を否定したのである。
 
 しかし、個人と社会の関係で個人の側を重視するということは、社会を軽視するということではない。
 様々な社会集団は個人のアイデンティティーの構成要素であり、個人が自律的生を構想する基礎となる。
 特に個人が生まれ育った共同体(家族、宗教的集団、国家等)の体現する価値は、個人に「負荷」されており、それが攻撃され動揺させられるときには、個人の自我崩壊の危機が生ずることもありうる。
 そうなれば、自律的生自体が困難となろう。
 しかし、個人は共同体の価値により全面的に負荷されているわけではない。
 人間は、未来に向かって新しい価値を創造していく能力を授かっており、過去に負荷された価値を踏み台にしつつ、それを意識化し、その反省・批判を通じて自己固有の自律的生を切り拓いていく存在である。
 たしかに踏み台なしには新たな価値創造はできないから、踏み台を破壊するような行為を自由に許すわけにはいかないであろう。
 しかし、既存の価値に対する反省・批判を一切許さないのでは、伝統的価値に拘束されるだけで、新たな価値を発見・創出し、自己の自律的生を構想・展開する営みは不可能となる。
 要は両者のバランスの問題であるが、バランスをとるに際して個人こそが価値の根源であるということを指針とすべきだということである。
 
 この個人主義においては、個々人は、自己にとっての「善き生」を自律的に選択し実践していく主体と想定されており、社会は個々の構成員すべてにそのような生き方を承認し助成する社会でなければならないとされる。
 すべての個人に「自律的生」が承認されねばならないから、この個人主義は、自己の利益のために他人を利用してはばからない利己主義とはまったく異なる。
 この点、よく混同されるので注意が肝要である。
 
 日本国憲法13条前段が「すべて国民は、個人として尊重される」と規定したのは、このような基本価値へのコミットメントの表明なのである。
 「個人として尊重」するとは、個々人が自律的に自己の生き方を選択・実践していくことをあるべき個人像として前提し、個人にそのようなあり方を尊重するということなのである。
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(3) 幸福追求権
13条後段は、前段が個人の尊重を宣言したのに続けて、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(略して「幸福追求権」と呼ぶ)に言及するが、ここで幸福追求権は、個人が自律的生を生きるのに不可欠の権利という位置づけを与えられているのであり、これこそが日本国憲法の保障する基本的人権をなす。
この権利を尊重することが、個人を「個人として尊重」するということの具体的意味なのである。
自律的生にとって不可欠の人権が具体的にいかなるものかは、表現の自由等の個別人権として規定されているが、そこには参政権(15条)も社会権(25条)も含まれる。
人権の観念にとって、それが前国家的性格を有するかどうかは重要ではない。
憲法の基本価値としての「個人の尊厳」から直接的に流出するものかどうかが重要なのである。
日本国憲法は、「個人の尊厳」を憲法を支える基本価値として採用し、それゆえに、個人を「個人として尊重」することを憲法上の原則として宣言し、そのことの具体的意味として「幸福追求権」を最大限に尊重すべき「憲法上の(抽象的)権利」として規定し、その幸福追求権をさらに具体化する個別人権を「憲法上の権利」として列挙しているのである。
なお、憲法12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利」という表現を用いており、ここでいう「自由及び権利」は11条・97条でいう「基本的人権」とは異なり、国家賠償請求権(17条)や刑事補償請求権(40条)は前者には含まれるが後者には含まれないという理解も有力である。
しかし、賠償・補償請求権も、個人の犠牲において全体が利益を得るという点において「個人の尊重」に反することから直接に帰結する権利であり、人権というべきであろう。
「自由及び権利」と「基本的人権」は同じ意味に解して差し支えない。
3 人権の類型
人権とは、抽象的には、個人の自律的生に不可欠なものであるが、それが具体的には何かについて憲法自体が個別人権として列挙している。
それらの個別人権の特質を一層深く理解すると同時に思考を整理するために、人権を類型化し全体を体系的に把握する努力がなされている。
類型化・体系化は常に一定の観点からなされるので、観点の相違により様々な体系が提示されてきたが、どれか一つが正しい体系ということではなく、重要なことはそれぞれの体系がいかなる観点から何を明らかにするためになされているかを理解して利用することである。
ここでは、まず四つの観点からの分類論を説明し、その後、「制度保障論」と呼ばれている考えに触れておく。
制度保障は人権とは性格を異にするので、人権の分類には属さないが、通常、人権の章で規定されることが多く、人権との関連で論じられているからである。
(1) 人権の構造的類型論
日本で広く受け入れられてきた分類は、イェリネックによりなされたものである。
イェリネックは、国民が国家との関係でどのような地位に置かれているかを分析し、四つの地位を区別した。
第一が、国民が国家に服し、義務を負うという関係における地位であり、「受動的地位」と呼ばれる。
第二は、国家から自由な「消極的地位」であり、次の請求権に支えられて自由《権》となる。
第三は、国民が自己のために国家の積極的な活動を要求しうる「積極的地位」であり、たとえば裁判を請求する権利などの「受益権」がこれにあたる。
第四は、国民が国家のために活動する「能動的地位」であり、参政権が該当する。
このうち第一の受動的地位は義務に対応し、第二ないし四が人権の分類に対応することになる。
この分類は、美濃部達吉に代表される戦前の理論はいうに及ばず、戦後の日本の憲法学にも大きな影響を与えてきたが、イェリネックの法実証主義的国法学を前提に構成されたものであり、国家権力のアプリオリな存在を出発点に置いている点で、今日では受け入れがたい面を有している。
のみならず、内容的には、平等権や適正手続権の位置づけが不明確であるとか、社会権が登場する以前になされた分類なので、社会権の位置づけが困難であるといった批判がなされている。
しかし、これを権力と自由との構造的な関係の分類に純化して理解するなら、人権の分析装置として今日でも十分役に立つ。
たとえば、表現の自由は近代の段階では主として「権力からの自由」の側面で捉えられたが、現代においてはその「権力への自由」の側面が重要視されるようになり、さらに、情報公開の問題にみられるように「権力による自由」の側面においても問題が指摘されるようになってきているが、それがこの分析装置によりうまく説明できるのである。
しかし、注意すべきは、この表現の自由の例でも分かるように、個々の個別人権が「権力からの自由」、「権力への自由」、「権力による自由」のいずれかに振り分けられるということではなく、個々の個別人権がこの三つのうちのどれを中心的な性格としているかという問題なのである。
このようにイェリネックの分類を権力と自由の構造的関係を表現するものと理解する場合、社会権は構造的には「権力による自由」と理解することができるが、平等権と適正手続権は、三種の構造的関係のいずれによっても的確に捉えることはできない。
そこで「権力により適正な処遇を受ける権利」(適正処遇権)という第四のカテゴリーをこの類型論に付加するのがよいであろう(78頁参照)。
(2) 人権の内容的類型論
人権が保障する内容は様々であり、内容のいかなる側面を重視するかにより様々な分類が可能になる。
たとえば、近代から現代への人権内容の歴史的展開を重視した自由権的基本権と生存権的基本権の分類(我妻栄)や、鵜飼信成が提案した①個人権的基本権(精神的自由権・人身の自由)、②社会権的基本権(経済的自由権・社会権)、③基本権を確保するための基本権(参政権・受益権)、④基本権の前提となる諸原則(個人の尊重・法の下の平等)という分類などが有名であるが、ここでは次のような分類を提示しておく。
第一が、個人の活動の自由。ここでは精神活動の自由、経済活動の自由、人身の自由が含まれる。新しい現代的な人権として議論されているプライバシーの権利や自己決定権も基本的にはこの類型に属する。
第二が、参政権で、選挙権が中心である。
第三が、国務請求権あるいは受益権で、裁判を受ける権利がその典型である。
第四が、社会権で、生存権、教育を受ける権利、勤労の権利がここに含まれる。労働基本権は、結社の自由と同様に自由権的性格をもつ面も否定できないが、それを生み出した思想的側面を強調して、日本では通常社会権として位置づけられることが多い。
第五が、適正処遇権とでも呼ぶべき権利で、平等権と適正手続権がここに含まれる。第一ないし四の権利が、権利・利益の実体的側面に着目しているのに対し、適正処遇権は、国家が国民の権利・利益を制約する場合に守るべき手続・方法に着目している。個人を個人として尊重したといいうるためには、すべての個人を平等に扱わねばならないし、不利益処分を受ける個人には適正な手続を保障しなければならないのである。
本書の人権論の構成は、適正処遇権の扱いを除き、ほぼこの分類を基礎に行っている。
(3) 審査基準を基礎にした分類
現代人権の大きな特徴として、裁判所に違憲審査権を与えて人権保障の実効性を強化しようとするに至ったことを指摘した。
ところが裁判所による違憲審査とは、政治部門(立法権・行政権)が合憲と判断して行った行為を裁判所が審査するということを意味する。
このために、裁判所はどの程度厳格な規準で審査すべきかという問題が生ずるが、その厳格度は人権の種類により異なりうるという見解が今日では支配的となっている。
そこで、この厳格度の違いを基準に人権を分類するという考えが生じたのである。
たとえば、伊藤正己は、次のような分類を提唱している。
裁判所による審査が緩やかな方から、まず第一に生存権的基本権が挙げられ、この類型の権利保障は、裁判規範としてよりもむしろ国政の指導原理としての機能を果たすプログラム規定であるとされる。
第二は経済的自由権であり、現代国家においてはこの権利の制約立法は合憲性の推定を受け、緩やかな審査が行われるのみである。
第三は内面にあるものを外部に表出する外面性の精神的自由権であり、これは精神活動の自由の保障であるから厳格な審査が必要であるが、他者の人権と衝突する可能性がある限度で制限されることもありうる。
これに対し、第四の内面性の精神的自由権は、内面の自由を保障するものであり、絶対的自由というほどに強い保障が与えられなければならない。
これ以外の人権類型については、以上の四類型のどれに近似するかを考えて審査の厳格度を考える、というのである。
伊藤説をそのまま受け入れるかどうかは別にして(生存権をプログラム規定と解する点については反対が強い)、審査基準論との関連で類型を考える点は今後ますます重要となっていくと思われる。
(4) 審査方法を基準とする分類
憲法の規定する人権には、保障内容が憲法上確定されている人権(内容確定型人権)と保障内容が憲法上完全には確定されておらず、多かれ少なかれ法律による確定に委ねている人権(内容形成型人権)が存在する。
たとえば、精神的自由権に属する人権は内容確定型であり、生存権や裁判を受ける権利などは内容形成型である。
内容確定型の人権は、憲法上保障の範囲が決まっているから、その人権との関連で法律が問題となるのは、法律が人権を制限しているのかどうか、制限しているとした場合それは正当化されるかどうかである。
したがって、裁判所が審査するのは、人権の保障内容を憲法解釈として確定し、法律がその人権を制限しているのかどうか、制限している場合それは公共の福祉による制限として正当化しうるかどうかである。
これに対して、内容形成型人権の場合は、具体的保障内容は、憲法上想定された核心的部分と法律による具体化に委ねられた部分に分かれることになる。
前者については、裁判所はそれを解釈により確定したうえで事案がその制限となっているかどうか、なっているとして正当化されるかどうかを審査することになり、審査の仕方としては内容確定型人権と同様になる。
しかし、後者については、内容形成を行う権限は、少なくとも第一次的には立法府にあるから、裁判所が憲法解釈権を口実に内容形成を行うことは原則的には許されない。
憲法が保障内容の具体化(内容形成)を法律に委ねた限度において、立法裁量の問題となるのであり、人権侵害の主張に対して裁判所が行う審査は、立法府が憲法により与えられた立法裁量の範囲を逸脱しあるいは濫用したのではないかに限られることになる。
(5) 制度保障
人権規定の中には、個別の人権を保障する規定と並んで、人権そのものではなくて特定の制度を保障するとみられる規定も存在するが、ドイツの公法学者カール・シュミット(Carl Schmitt, 1888-1985)は、ワイマール憲法の定める人権条項の解釈に際して、基本権の保障と制度の保障を厳格に区別した。
彼によれば、基本権という思想は、「個人の自由の領域は原則として無限定であり、国家の権能は原則として限定されている」という「配分原理」を基礎にもち、真の基本権は、原則として無限定な自由領域をもつ個人を所与として前提するが、制度はそのような所与ではなく、本質上国家内存在であり、無限定な自由領域という観念を基礎にするものではなく、一定の使命・目的に奉仕すべく限定・画定された存在だとされる。
シュミットは制度保障の例として、地方団体の基本権、法律上の裁判官による裁判を受ける権利、家族生活の基礎としての婚姻、相続権、職業官僚制などを挙げているが(*)、これらの制度の保障は、通常の法律によってその制度を除去することを禁止するものであるにすぎず、憲法改正手続により変更可能な「憲法律」に属し、その意味で、改正不可能な「憲法」に属する基本権の保障とはまったく論理を異にするものであると論じた。
		| (*) シュミットは、制度保障に①制度体(公法上の制度)の保障と②(私法上の)法制度の保障を区別したが、前者は、伝統的な特権の保障を内実としていた職業官僚制の保障に典型的にみられたように、シュミットの理解する近代憲法の論理とは整合しない旧制度の存続を憲法上保障するという性格が強いものであった。
 そのため、その制度の本質的な核心を害さない限り広範な制限も認められるべきだと主張した。
 
 我が国でも、シュミットの議論に影響を受けて、人権保障と制度保障を区別する見解が支配的となっているが、その場合のポイントは、制度保障も憲法上の保障であり、制度が法律による侵害から保護されているということである。
 ただ、問題は、憲法が保障する制度の内容は何かであり、憲法自体がそれを明確に規定している場合には問題は少ないが、多くの場合、保障する制度の具体的内容形成を法律に委ねており、この場合には、法律によって侵害されてはならない制度の本質・核心とは何かを解釈により確定せねばならないという困難に逢着するのである。
 
 日本国憲法における制度保障の例として、政教分離、大学の自治、私有財産制などが挙げられている。
 たしかに、たとえば憲法20条1項前段の「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」という人権規定は、後段の「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」という政教分離規定とは性格を異にする。
 前者は人権の実体そのものを規定しているのに対し、後者は人権をよりよく保障するために必要な手段を規定したというニュアンスの違いがある。
 その違いを捉えること自体は無意味ではないが、しかし、制度保障を援用する論者の中には、制度保障は人権保障と異なるから、制度の本質を維持する限り法律により大幅な制限を行うことも許されるという結論を導く者もいる。
 実際、最高裁は津地鎮祭事件判決(最大判昭和52年7月13日民集31巻4号533頁)で政教分離を制度保障と捉え、そこから政教分離を緩和する結論を導き出している。
 しかしながら、制度保障の観念そのものが、制度の本質・核心さえ保持すれば法律によりその保障を緩和することも許されるという意味を内包しているわけではないし、政教分離の場合には憲法が制度形成を法律に委ねているわけでもないのに、日本でそのような使われ方がされるのであれば、少なくとも政教分離に関しては制度保障の概念は避けた方がよいであろう。br()重要なのは人権の保障内容なのであり、個別の人権が実体(自由領域)のみならず手段・制度を含めてどこまで保障しているかを明らかにすることである。
 後に見るように、信教の自由においては、自由の保障規定のみでは政教分離まで保障すると解することが困難だと考えられたからこそ、それに加えて政教分離規定も置かれたのである。
 
 これに対し、学問の自由(23条)については、特に大学の自治を保障する規定は明示されていないが、学問の自由の保障内容として、大学の自治まで含むものと《解されている》。
 しかし、大学の自治の内容については憲法に規定がないから、制度形成は法律により行わざるをえず、法律が侵すことのできない大学の自治の本質・核心は何かが問題となるのである。
 
 財産権の保障(29条1項)が私有財産制の保障まで含んでいると解釈される場合も同様の問題が生じる。
 財産権の場合は、その内容を法律で定めることにしている(29条2項参照)ため、この一種の「法律の留保」に対する制約として私有財産制度の保障が意味をもつとされるのである。
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4 人権の主体
人権が「人」に固有な権利だとすれば、すべての人が人権の主体となることは自明のはずである。
ところが、日本国憲法は人権保障を規定した第3章を「国民の権利及び義務」と題し、人権の主体を国民に限定する外観を与えている。
このため、外国人に人権が保障されるのかどうかの問題が生じることになった。
また、日本国憲法は、天皇および皇族という世襲に基づく身分を認めているために、これらの人々を人権の主体と考えるべきかどうかの問題を生ぜしめている。
さらに、現代社会において団体が重要な活動主体となってくると、人権は自然人たる個人にしか認められないのか、それとも団体(法人)もそれを享有するのかが問われることになった。
(1) 国民の範囲
(ア) 「人」としての国民
憲法は「国民の権利」と述べているので、国民が人権を享有することに疑いはない。
しかし、ここでいう「国民」とはどの範囲の人々を指すのかは、必ずしも自明ではない。
憲法10条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」と規定するが、人権が憲法により保障されたものであり、国民はその当然の主体であるとすれば、憲法の下位にある法律が国民の範囲を自由に定めうると考えることはできない。
人権が憲法により与えられたものではなく、論理上は憲法に先行するものであるとすれば、なおさらのことである。
そこで、論理上は国民の範囲は「社会構成員」として憲法以前に定まっていると想定しなければならない。
そのような国民には、天皇・皇族も含まれる。
より正確には、ここでの「社会構成員」は憲法以前の存在であるから、いまだに天皇・皇族自体が存在しないのである。
憲法の制定により、天皇・皇族と国民が分離された。
憲法10条のいう国民とは、この段階の国民であり、天皇・皇族は含まれない。
そのような国民の範囲を法律で定めることとされたのであるが、自由に定めるというよりは、論理上法律制定以前に想定されている国民をいわば確認する規定を置くという趣旨に解される。
そうである以上、憲法が想定したはずの国民(憲法上の国民)がいかなる者であるかを憲法解釈として明らかにすることが必要となる。
諸外国が国民を決める方法として採用しているものに生地主義(生まれた場所が帰属する国家の国籍を取得する)と血統主義(親の国籍を取得する)があり、日本国憲法がそのいずれかを明示的に選択していない以上、そのいずれかにより国民となりうる者が憲法の想定する国民であると解するべきではなかろうか。
それが近代国家が領土と国民団体を構成要素としていることとも調和すると思われる。
それを前提に、憲法10条に基づき法律で国民の要件を定めるのであるが、その立法は憲法上の国民を「確認」すると同時に国籍の抵触を避ける等の目的から「限定」するという意味をもつものと解される。
ゆえに、その「限定」に合理性がなければ違憲・無効となり、限定のない状態が回復されることになる。
なお、天皇・皇族をこの国民から除く理由は、それが世襲の身分に基礎を置くからである。
人権主体の個人は、身分から解放された存在でなければならない。
身分を受け入れるという選択をする限り、近代人権の論理として、人権主体としての国民にはなりえない。
ただし、身分の選択以前には個人としての資質を有するから、身分選択の自由は完全に認められなければならないであろう。
憲法10条の委任を受けて日本国民の要件を定めているのは国籍法である。
国籍の定め方には、生地主義と血統主義があるが、日本の国籍法は血統主義を採用した。
この選択により、生地主義からは国民となるべき者が国籍取得を限定されることになるが、国籍の抵触を避けるためにはいずれかを選択することに合理性は認められるから、これは立法裁量の範囲内である。
血統主義からは、両親が日本国籍をもつ場合に子どもが日本国籍を取得するのは当然であるが、問題は親の一方のみが日本国籍をもつ場合である。
この場合に、国籍法は、当初、子どもが自動的に日本国籍を取得するのは父親が日本国籍を有する場合のみであるとし(父系優先主義)、裁判所もこれを合憲としていた(東京高判昭和57年6月23日行集33巻6号1367頁)が、女子差別撤廃条約の批准を契機とした1984年の国籍法改正により両親のいずれか一方が日本国籍を有すればよいことになった(父母両系平等主義)。
国籍法はこのような原則の下に国籍取得を様々な形で限定しているが、その一つであった生後認知を受けた子に対する国籍取得の否定につき、最高裁は違憲の判断をしている(最大判平成20年6月4日民集62巻6号1367頁)。
当時の国籍法3条1項は、生後に父により認知されても国籍は取得できないが、父母の婚姻により準正嫡出子となった場合には、法務大臣に届け出ることにより国籍を取得できると定めていた。
この規定が非準正子に対する不合理な差別であるとされたが、では裁判所は、生後認知だけで国籍を取得するという判決を出しうるのか。
反対意見は、それは新たな立法となり裁判所の権限を越えると主張したが、多数意見は、父母の婚姻という要件が違憲無効となれば、残りの生後認知という要件だけで国籍が取得できることになると解した。
多数意見の解釈は、国籍取得の要件をどのように定めるかは原則的には立法裁量の問題であるという前提をとる以上、やや強引の感を免れないが、国籍法が憲法上の国民の範囲を限定しているという前提に立てば、限定した規定が違憲である以上、限定のない状態にもどるのは当然ということになる。
(イ) 女性と子ども
人権の論理からは、社会構成員(国民)としての個人は、すべて人権主体性を認められねばならないはずであるが、現実の歴史においては必ずしもそうではなかった。
近代において完全な主体性を認められたのは、国家に対置された家長のみであり、女性や子どもは家長の庇護の下に置かれるべきものとされ、市民としての地位のみならず人としての地位も完全には認められなかったのである。
現代においては、女性は人権主体性を完全に承認され、性に基づく差別は禁止されている(14条1項)。
もっとも、女性の現実の地位が真に平等となっているかは問題で、今後の重要な課題として意識されてきている(154頁参照)。
他方、子どもについては、その人権主体性は承認されるに至っているが、人権の行使に関しては、成熟した判断能力を常に有するとは限らないことに鑑み、本人の利益を保護するために必要な場合(パターナリズム)、あるいは、未熟な判断による行為が社会にとって好ましくない場合には、一定の制限が許されると解されている。
参政権については憲法自身が成年者に限定している(15条3項)が、法律による制限として婚姻の年齢制限(民731条)、職業選択の制限(たとえば公証人・弁護士・公認会計士・税理士・医師・薬剤師)などがあり、また、条例により制限を行っている例もある(たとえば青少年保護育成条例)。
校則による髪型や服装の規制、自動車やバイクの運転免許取得の規制などが青少年の人権規制として問題となることもあるが、そもそも人権なのかどうかにつき見解の対立がある(145頁以下参照)。
(2) 外国人
(ア) 考え方
憲法第3章が国民を権利の主体とする表現をとっていることは、国民には当然主体性が認められることを意味するのみで、外国人に主体性を否定する趣旨まで含むものではない。
国民と外国人の区別は、国籍を有するかどうかの区別である。
人権が人の生来の権利であり、その意味で前国家的な権利である以上、その主体性が後国家的な国籍の有無に依存すると考えることはできない。
国籍は、人権をもつ者ともたない者を区別するためではなく、国家権力の及ぶ範囲を人的側面から捉えるために考案された制度である。
つまり、国家は国民を統治する権利を有し、かつ、保護する義務を負うのである。
しかし、国家権力の及ぶ範囲は、他方で、領域的にも画定される。
したがって、日本の領土上に存在する限り、外国人にも支配は及ぶのである。
そして、人権が問題となるのは、権力との関係においてなのであるから、外国人も権力の支配下に置かれる以上、人権の主体となりうるはずである。
たしかに、憲法上の権利としての人権の論理からは、国家がその人権を保護する義務を負う個人の範囲は、国家の構成員に限定されるという論理は、成り立ちえないわけではない。
しかし、かかる論理を承認する場合にも、次の点に留意が必要である。
まず第一に、その場合の「国家の構成員」とは、国籍の保有者と同じではない。
社会契約の論理を借りていえば、人権を護るために社会契約に参加した者がその構成員であり、その中には、その後の「法律」により国籍を有さないことになった「外国人」も含まれている可能性が、論理上はありうる。
日本で特に問題となるのは、日本に永住権を有する在日外国人(大半は出入国管理に関する特例法(平成3年5月10日法71号)により「特別永住者」とされている人達で、一般には在日韓国人・朝鮮人・中国人と呼ばれている)の存在である。
こうした人々は、日本に生活の本拠を有し、生活実態は日本人と異ならず、「国家の構成員」として扱われてよい資格を有しているといえるであろう。
したがって、少なくともこうした人々については、日本人と同様の人権主体性を承認し、そのうえで、国籍の違いが人権制約の違いをどの程度まで正当化しうるかを吟味するというアプローチをとるのがよいと思われる。
第二に、日本国憲法は国際協調主義を採用し(前文参照)、確立された国際法規の誠実な遵守を義務づけている(98条2項)が、国際人権規約等にみられるように国籍による差別の禁止が国際法上次第に確立されてきていることを考慮すると、いまや外国人にも人権の主体性を原則的に承認するのが憲法の要請であると解すべきと思われる。
以上を考慮すれば、外国人にも人権が保障されることを出発点において、国民との異なる扱いがいかなる理由により、どの限度で正当化されうるかを考えていくのが実際的だと思われる。
もっとも、そのように考えるのであれば、外国人の人権という問題は、体系上は人権享有主体性の問題としてではなく、外国人であることを理由とする差別の合理性の問題として平等権を論ずるところで扱うべきではないかという疑問も生じうる。
しかし、人権観念が国によっては自然権的な「人間の権利」から「国民の権利」へと転換されたという歴史を踏まえて、外国人の人権を総論の人権享有主体性の問題の一つとして扱ってきたという経緯があり、また、今日外国人にも人権保障が広範に認められるようになってきたとはいえ、たとえば入国の自由のように外国人に対して原理的に否定されたり、あるいは参政権のように否定され、もしくは広範に制限されたりする種類の人権もあることから、平等権における外国人差別の問題に解消することはできないとするのが一般である。
そこで、ここでも人権総論における人権享有主体性の問題と位置づけたうえで、しかし分析の中身は外国人差別の分析と近似するので、具体的な区別がどのように正当化されうるかという観点から見ておきたい。
理論上は人権享有主体性は有るか無いかの問題であるのに対し、平等権の問題は享有主体性が有ることを前提に外国人であることを理由にどこまでの制限が可能かという問題であり、両者はまったく異なるが、前者の問題を真正面から解決しようとするよりは、後者の問題としてアプローチした方が実際的ではないかという配慮である。
その際、考慮すべき主要な要素としては、まず第一に、問題となっている人権の性質の違いがある。
自由権・社会権・参政権などの性質の違いがどのように影響しうるかの検討が必要なのである。
第二に、外国人の種類も重要な要素である。
一口に外国人といっても多様であり、先述の在日外国人以外の外国人に関しても、永住権をもつ者から観光等で来日した短期滞在者まで様々である。
そういった違いの検討も必要となる。
(イ) 具体的事例
今日では、通説・判例ともに、権利の性質上日本国民のみを対象としている人権以外は、外国人にも保障されるという点で一致しており、その考えを最初に提示した判例が、マクリーン事件判決(最大判昭和53年10月4日民集32巻7号1223頁)であった。
それを前提にすれば、理論的な分析の手順としては、まず外国人に保障されない人権類型を明らかにし、次いで保障される人権に関して、外国人であることを理由にどのような制約が許されるかを検討するということになる。
しかし、外国人に保障されない人権を類型的に特定することは、学説も揺らいできている今日、容易ではないので、ここでは一応すべての人権が保障の対象になりうるという前提の下に、それぞれの人権につきどのような制約が可能かを検討するというアプローチをとりたい。
それは、考え方としては、先に述べたように、平等権の享有を前提に、外国人であることを理由とする差別の合理性を検討するのと同じに帰す。
なお、人権が保障されると考える以上、その制約には法律が必要なことは当然である。
a) 入国・在留・再入国の権利
外国人には入国の自由は保障されないというのが通説・判例(最大判昭和32年6月19日刑集11巻6号1663頁)である。
この原則は、国際法上も承認されている。
もっとも、外国人の人権が問題となりうるのは、入国した後のことであると考えれば、入国の自由を外国人の人権として議論すること自体、誤りだということにもなろう。
いずれにせよ、入国の権利は存在せず、そうである以上在留の権利も存在しないというのが判例の立場である(前出マクリーン事件判決)。
ただし、憲法上の保障がないからといって、政府が法律なしに規制しうるということではない。
政府の行為には常に法律の根拠が必要であり(123頁、345頁、358頁参照)、在留に関する法律上の権利は外国人も当然有する。
とはいうものの、法律が在留に関する権利を豊富に定めているというわけではない。
むしろ逆で、出入国管理及び難民認定法は在留資格を決めて入国を認める法制をとっており、資格に含まれる活動を行う権利は認められるが、資格外の活動は一般的に禁止されている。
憲法問題となるのは、資格外の活動が憲法上の人権の保護領域に含まれる場合で、法律によるその制限が許されるかどうかという形で論じられることになる。
マクリーン判決は、資格外の政治的活動も表現の自由により一定程度保障されるが、その保障された政治的活動を行ったことを在留の更新を許可するかどうかの決定に際して不利益に考慮することも許されるとした。
なお、永住者(これには日本人の配偶者等の一般の永住者と、平和条約に基づき日本国籍を離脱したいわゆる在日韓国人・朝鮮人・台湾人等の「特別永住者」が存在する)の在留資格は一定の活動とは関連づけられていないから、活動内容に在留資格からくる制限はない。
人権保障の問題が生ずるのは、多くは特別永住者に関してであり、これらの人々のほとんどは日本に「定住」しており、外見上日本人と変わらない生活を送っている。
そのために、彼(女)らが日本に定住するに至った歴史的経緯をも考慮して、これらの定住外国人については最大限日本人と同様の権利保障を行うべきであるという見解が有力である。
なお、定住外国人については、入国の自由という問題自体がそもそもありえず、ゆえに在留の権利も当然に有すると解さねばならない。
では、再入国の自由はどうか。
一般の外国人については、再入国の自由も法律上あるいは条約上の権利にすぎないということになろうが、定住外国人については、在留の権利を認めるべきである以上、再入国の自由も保障されると解さねばならず、ゆえに、この自由の制限は厳格な審査に服すべきである。
最高裁は、再入国申請不許可処分を争った森川キャサリーン事件で、外国人に入国の自由・在留の自由が保障されない以上「外国へ一時旅行する自由」(22条)も保障されないとした原審判決を是認した(最一判平成4年11月16日民集166号575頁)が、事案が日本人と結婚し日本に定住していた外国人に関するものであっただけに、問題を残した。
b) 自由権・受益権
一般にこれらの権利については、外国人であることを理由に制約が許されることは少ない。
ただし、経済的自由権(職業や財産取得)については若干の制限立法(公証12条、銀行47条、電波5条等)が存在するが、いずれも合理的な理由があり、問題とはされていない。
議論があるのは、政治活動の自由(表現・集会・結社の自由)である。
これは参政権的な意味をもち、参政権が後述のように外国人には保障されないと解する場合には、日本の政治に重大な影響を与えるような活動を制限することは許されるということになろう。
しかし、政治活動と参政権そのものとは同じではなく、参政権を行使する国民にとって外国人の発信する政治的表現も有益でありうるから、集会・結社につき純粋な表現を超える側面を規制することは別にして、表現の自由自体は最大限に保障すべきであろう。
マクリーン事件は、原告の政治活動(ベトナム反戦活動等)を在留期間更新の不許可処分に際してマイナスに考慮したのを争った行政処分取消訴訟であったが、最高裁は、政治活動の自由は承認しながら、そのマイナス評価を裁量の範囲内で合憲とした。
これを、「権利の行使」を不利益に評価してもよいとした判決と読むのは問題で、政治活動の自由という権利も制限されうるとした判決と読むべきであろうが、その場合には、どのような政治活動が制限されうるか(不利益に評価されうるか)がより明確に判示されるべきであろう。
安易に裁量論に委ねるべきではない。
c) 社会権
社会権は、従来、自己の帰属する国家により保障されるべきものであるという観念が一般的で、外国人には認められなかった。
しかし、最近では、社会権は、その国で共同生活を営み、税金等により社会的な負担も果たしているすべての個人に、国籍に関係なく保障されるべき権利であるとする考えが有力となっている。
もっとも、前説でも、法律により外国人に社会権を認めることが否定されるわけではなく、実際には、日本が外国人差別を原則的に禁止した国際人権規約(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約2条2項参照)等を批准したのに伴い、それまで社会保障関係法令に存在した国籍要件は原則として撤廃されたので、今日では特にこの問題を論ずる実益はなくなっている。
d) 参政権
外国人の人権に関し最も大きな議論を呼んでいるのは、参政権の問題である。
従来、参政権は、その性質上、外国人には認められないと考えられてきた。
参政権が主権の行使の意味をもつことを考えると、国民主権の下においては、参政権は国民にしか認められず、外国人に認めるのは憲法違反であるという見解も存在する。
しかし、国民主権にいう「国民」は、前述のように、国籍をもつ国民とは異なるレベルの「国家構成員」(国家以前の社会構成員)である。
仮に定住外国人がこの意味での国家構成員であるとすれば、主権者として当然に参政権をもつということになるはずであり、その参政権が国籍を有しないということを理由に奪われてもよいのかという問題となるであろう。
また、仮に国民主権にいう国民が国籍保有者を指すとしても、外国人に参政権を認めることが国民主権の原理に反するとまでいえるのかは疑問である。
たしかに、外国人は憲法上の権利として参政権をもつものではないとはいえるであろうが、主権者国民が外国人に参政権を与える決定を法律により行うことを憲法が全面的に禁止しているとまではいえないであろう。
現実に、北欧諸国をはじめとして、少なくとも地方政治については外国人にも参政権を認めている国が存在することを考えれば、外国人に参政権を与えるかどうかは立法政策の問題と考えるべきであろう。
最高裁も、地方参政権については、このような見解を表明している(最三判平成7年2月28日民集49巻2号639頁)。
e) 公務就任権
公務にも様々な種類がある。
たとえば国会議員、国務大臣、自治体の長や議員の職務も公務である。
そのためもあって、従来、公務就任権を参政権とパラレルに理解し、外国人には参政権(被選挙権)が認められないのと同様に公務就任権も認められないとする見解が支配的であった。
しかし、政治的な政策決定に携わる公務員と執行を本務とする公務員(国家公務員法2条2項にいう一般職の公務員が中心)は、職務の性質をまったく異にするから、両者を同じに扱うべきではない。
一般職に関しては、公務就任権は憲法上の権利の問題としては参政権ではなく職業選択の自由(22条1項)の問題と捉え、それを外国人に制限するのは平等権・職業選択の自由の侵害にならないかどうかを考えていくべきだと思われる。
参政権については、国民主権の原理により外国人にそれを認めることは憲法上禁止されているという議論も成り立ちえないわけではない。
少なくとも、主権原理が国家の自律的統治を困難とするような事態の作出を禁止していることは疑いないのであり、たとえば憲法改正の国民投票権を外国人に認めることは、原則的には違憲である。
しかし、一般職の公務に関しては、外国人が就任すると自律的統治が困難となるという事態は、ほとんど想定できない。
一般職の公務にも広範な裁量権を含むものから、定められたルール・基準に従って事務を処理するだけでほとんど裁量の余地のないものまで色々であるが、裁量権の広範な公務であっても、主任の大臣等の上位の任免権者・監督権者のコントロールの下にあり、上位者が特定外国人の能力を認めて任務に就け、自己の監督の下にその任務を遂行させる限り問題は生じえないと思われる。
ゆえに、憲法が外国人に公務就任を禁止しているということはない。
従来、政府の公定解釈(昭和28年3月25日法制局一発第29号)は「公権力の行使または国家意思の形成への参画にたずさわる公務員」は日本国民に限るとしていた(「当然の法理」と呼ばれることがある)が、外国人に公務就任権を認めることは憲法に反するという趣旨ではないであろう。
実際、その後1982年の立法で外国人の国立大学教員への任用を許容した例がある(公立の大学における外国人教員の任用等に関する特別措置法参照)。
問題は、憲法は外国人に公務就任権(憲法上の権利としては、職業選択の自由と平等権)を認めているかどうかである。
先に基本的な考え方として述べたように、外国人の人権主体性という問題に関しては、人権主体性があるかどうかという議論を抽象的にするよりは、人権主体性を前提にして、具体的事例において外国人であることを理由にその享有を制限することに合理性があるかどうかを考える方が生産的である。
かかる観点から問題を考察するとき、次の二つの設問が区別される。
一つは、外国人に公務就任を否定することに合理性があるかであり、他の一つは、外国人であることを理由に昇格を否定することに合理性があるかである。
前者の問題につき、仮に上述の政府見解にある「公権力の行使または国家意思の形成への参画にたずさわる公務員」という定式を外国人への制限が合理性をもつ場合と理解するとすれば、範囲が広範かつ漠然にすぎ支持しがたい。
職務の内容・性質に応じた具体的・類型的な基準設定が望まれる。
なお、外国人に公務員試験の受験資格を一般的に否定するのは、公務就任を一般的に否定することを意味するから、当然許されない。
後者の昇格差別の問題は、公務就任が原則的に許されることを前提にして生ずる問題である。
外国人公務員に対する昇格差別は、公務が階層性の上部に位置し裁量権限が大きくなればなるほど、合理性の認められることが多くなろう。
政府見解にいう「公権力の行使または国家意思の形成への参画」という定式が捉えているのも、このような公務と理解すべきであると思われる。
管理職とされているポストには、そのような性格のものが多いが、では管理職に就く資格要件として管理職試験に合格することを要求し、外国人にはその受験資格を認めない制度をつくることは許されるか。
管理職とされたポストのすべてが外国人に否定してもよい性格のものならば問題はない。
しかし、そのポストのいくつかは、外国人に拒否することの合理性が認められないような性格のものであるという場合はどうか。
東京都がそのような制度を設置・運用していたのを在日外国人が争った事件で、最高裁判所は、これを違憲とした原審判決を覆して合憲の判断を下している(最大判平成17年1月26日民集59巻1号128頁)。
「公権力行使等地方公務員の職(外国人に否定するのに合理性がある職 - 筆者)とこれに昇任するのに必要な職務経験を積むために経るべき職(それ自体としては外国人に否定するのが必ずしも合理性があるとはいえない職 - 筆者)とを包含する一体的な管理職の任用制度を構築して人事の適正な運用を図ること」も、裁量の範囲内であり、「この理は、前記の特別永住者についても異なるものではない」というのである。
しかし、在日外国人に関しては、可能な限り日本人と同様に扱うべきであり、そのような制度設計がどうしても困難だとする事情があったかどうかを独自に審査すべきではなかったであろうか。
f) 人格権
「新しい権利」として承認されるべき人格権・自己情報コントロール権・自己決定権は、今日では個人の自律を支える核心的権利となってきており、特に外国人に対して制限する合理性は一般的にはない。
この権利に関して争われた問題に、指紋押捺の強制がある。
かつて外国人登録法は、外国人に対し外国人登録原票等への指紋押捺を義務づけていた。
押捺を拒否し登録法違反で起訴された事件において、最高裁は「個人の私生活上の自由の一つとして、何人もみだりに指紋の押なつを強制されない自由を有」し、「右の自由の保障は我が国に在留する外国人にも等しく及ぶ」と述べた(最三判平成7年12月15日刑集49巻10号842頁)。
しかし、結論的には、指紋は「外国人の人物特定につき最も確実な制度として制定されたもので、その立法目的には十分な合理性があり、かつ、必要性も肯定できる」し、その「方法としても、一般的に許容される限度を超えない相当なものであ」るとして合憲の判断を下した。
手段審査に後述のLRA基準(131頁参照)を採用しなかったが、LRA基準を適用した場合、人物特定の手段として他のより権利制限の少ない方法がないといえるのかどうか、疑問なしとしない。
なお、外国人登録法の指紋押捺制度は、1987年以降数度の改正を経て今日では全面的に廃止され、署名と写真を中心に人物特定をする制度に改正された。
なお、外登法は2009年に廃止され、入管法および住基法の改正により2012年以降外国人の在留管理に新たな制度が導入されたが、人物特定を署名と写真を中心に行う点は基本的に維持されている。
(3) 法人・団体
(ア) 基本的考え方
人権は、本来自然人の権利であり、法人が当然に人権を享有すると考えることはできない。
ここでいう法人とは複数の自然人を統一・組織した団体を指し、法人格をもつかもたないかは問わないが、現代社会においてかかる団体が国家と個人の間に介在し大きな役割を果たしていることは否定できない。
ここから、たとえば株式会社に財産権の主張を認め、新聞社や放送局に表現の自由の主張を認めることが必要ではないか、また、それを認めることが公益に資するのではないかなどといわれたりする。
しかし、たとえ団体が社会的実在として無視しえない機能を果たしているとしても、そのことから直ちに自然人と同様に人権を享有すべきだということにはならないし、公益のために人権を認めるという議論は、人権の根拠づけとしては受け入れがたい。
人権が個人の尊厳という基本価値に由来することからいえば、団体が人権を享有しうるのは、それが個人の尊重につながる場合に限られる。
ところが、団体は常に個人の側に立つわけではない。
国家と個人の中間に介在する団体は、国家と対峙して個人を保護することもあれば、逆に、個人と対峙して個人を抑圧することもある。
人権論の構図からいえば、団体が人権を主張しうるのは国家と対峙する場合であり、団体がその構成員と対峙する場合には人権を主張する立場にはない。
団体が外部の個人と対立する場合には、団体も(構成員の人権の代位主張として)人権を主張する適格をもちうるが、これは後に見る人権の私人間適用の問題である(101頁参照)。
要するに、団体には固有の人権主体性はなく、構成員の人権を代表して主張することができるにすぎないと考えるべきである。
したがって、団体が外部に向かって主張する場合には、構成員の人権を援用しうるが、構成員(の一部)と対立するときには、そこで団体が構成員に対して主張しうるのは団体の紀律権であり、それが内部の少数派の人権と対立する構図となるのである。
(イ) 判例
上述の観点から判例を整理すると、①団体が外部との関係で人権を援用する場合と、②団体が自己の構成員との関係で人権を援用する場合を区別しうる。
①は、さらに、国家と対抗する場合と私人と対抗する場合が区別される。
たとえば、博多駅事件(最大判昭和44年11月26日刑集23巻11号1490頁)で放送局が報道の自由を援用したのが前者の例であり、サンケイ新聞事件(最二判昭和62年4月24日民集41巻3号490頁)で共産党が反論権、サンケイ新聞社が表現の自由を援用したのが後者の例である。
これらの場合は、それぞれの団体の構成員がもつ人権を団体が代位主張したと理解すればよく、団体にこの代位主張のスタンディングを認めるのに、憲法訴訟論上特に問題はないはずである。
これに対し、②の事例では、団体は構成員に対し紀律権(団体の権力)を行使しているのであり、構成員が人権を主張しうるのは(後述の私人間適用の問題を別にすれば)当然であるが、団体は人権を援用しうる立場にはない。
団体が主張する紀律権の根拠は結社の自由であり、ゆえに構成員に対し結社の自由を主張しうるのだという説明もあるが、結社の自由は国家に対する権利であり、構成員に対する紀律権の根拠となるものではない。
にもかかわらず、従来、団体と構成員の対立に際して団体が人権を援用することに疑問を提起する見解は少なかった。
人権論の構造理解として重要な点なので、関連判例を検討しておこう。
a) 八幡製鉄政治献金事件
八幡製鉄(新日本製鉄の前身)が自由民主党に政治献金を行ったのに対し、一株主が代表取締役の責任を追及して起こした株主代表訴訟である。
原告は、本件の政治献金が、①定款の定める目的の範囲を超えること、②株主や国民の参政権等を侵害すること、③取締役の忠実義務に違反することを主張したが、最高裁はいずれの主張も退けて棄却した(最大判昭和45年6月24日民集24巻6号625頁)。
その行論の中で、最高裁が「憲法第3章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべきである・・・・・・」と述べたために、本件は法人の人権主体性を認めた先例と一般に理解されてきた。
しかし、本件の対立は株主(会社構成員)と会社の間で起こっていると見ることができ、そうだとすれば、会社(代表取締役)がその権限行使(本件では政治献金という行為であり紀律権の行使とは異なるが)を株主との関係で人権(政治活動の自由)行使として構成しうるわけではない。
政治活動の自由を主張するなら国家との関係においてであるが、しかし、本件の政治献金は、当時の政治資金規正法の許容する範囲内のものであったから、仮に政治献金が表現の自由の保護を受けるものであるとしても、政治資金規正法による制限が合憲かどうかは争点にはなっておらず(献金が《合法》である以上、法律の違憲を主張する必要はない)、ゆえに会社が人権の主体かどうかも争点とはなっていなかった。
してみれば、最高裁の上記論述は争点への応答ではないから、傍論にすぎない。
ただし、最高裁も国家権力の一部と見て、最高裁が代表取締役の責任を認めることは、国家権力が会社の政治活動を制限することになるのだと理解するなら、その限度で、国家との関係における会社の人権主体性を認めた先例という読み方も可能であるかもしれない。
b) 南九州税理士会政治献金事件
被告の南九州税理士会は税理士法に基づき設立された強制加入の団体であり、原告はその会員税理士である。
原告は、被告が税理士に有利な税理士法改正を実現するための政治献金に充てるためと称して決定した特別会費の徴収に反対し、その納入を行わなかったために、被告の役員選挙に際し選挙権・被選挙権の行使を認められなかった。
そこで、原告は、本件の特別会費徴収決議は会の目的の範囲外で無効であり、原告の思想・信条の自由を侵害する等と主張し、特別会費納入義務の不存在確認と慰謝料を請求して出訴した。
最高裁は、強制加入団体である被告による政治献金は通常の会社によるそれ(前出八幡製鉄政治献金事件判決参照)とは同一に論ずることはできず、税理士会の目的の範囲も会員の思想・信条の自由との関連で限界があり、政治団体への寄付は目的の範囲外であると判示した(最三判平成8年3月19日民集50巻3号615頁)。
この判決では、税理士会が会員との関係で政治活動の自由を享有するかは争点となっていない。
争点は、会の決定が会員の人権を侵害しないかどうかなのである。
たしかに、税理士会は、国家(裁判所)が原告の主張を認める判決を下すことは、被告税理士会の政治活動の自由を制約する意味をもつ、と主張することはできよう。
問題がそのように提起されたならば、そのとき初めて、税理士会が政治活動の自由を享有するのかどうかが、少なくとも理論上は争点となり、裁判所の判断を(黙示的にであれ)得ることになろう。
しかし、それはあくまでも国家との関係における問題であり、会員との関係ではない。
c) 群馬司法書士会事件
強制加入団体である群馬司法書士会は、阪神・淡路大震災により被災した兵庫県司法書士会に3千万円の復興支援拠出金を寄附することにし、その資金に充てるために一般会計からの繰入金のほかに会員から登記申請事件一件あたり50円の復興支援特別負担金を徴収する旨の総会決議を行った。
これに対して、ある会員が本件総会決議は会の目的の範囲外の行為で無効であり、また、強制加入団体である司法書士会が本件負担金への協力義務を会員に課すことは会員の思想・良心の自由を侵害するから公序良俗に反して無効であると主張し、支払義務不存在の確認を求めた(最一判平成14年4月25日判時1785号31頁)。
ここでも議論の構図は南九州税理士会政治献金事件と同じであり、司法書士会が会員との関係で援用しうる何らかの人権を享有するかどうかは争点となっていない。
中心的争点は、本件総会決議を会員に対し強制しうるかどうかであり、強制しうるとすればその根拠は団体の存立に法的根拠を提供している民法34条および司法書士法に求められる。
要するに、団体が会員に対して行使する紀律権(強制権)は法律に根拠をもつものなのである。
本件では、南九州税理士会政治献金事件判決とは異なり、目的の範囲の画定に思想・良心の自由を考慮するという手法は採用せず、目的の範囲を広くとって決議は目的の範囲内で合法としたうえで、それを会員に強制することが公序良俗に反しないかを検討するという構成をとっているが、その違いは私人間効力論との関連で問題となりうるとしても、法人・団体の人権享有主体性の問題に異同を及ぼすものではない。
最終更新:2014年03月15日 22:01