人権を定める憲法第3章は第10条から始まるが、国民の要件に関する10条については人権主体の問題に関連して説明した。
次の11条・12条・13条が憲法の想定する人権の基本的な性格を定めた総則規定であるが、解釈論上特に重要な意味をもつのが13条の定める幸福追求権である。
幸福追求権は、14条以下に規定される個別人権を生み出す源泉・母胎としての性格を有する権利であり、個別人権すべてを包括するとともに新しい人権の根拠となるものである。
個別人権の最初に規定されたのが、14条の「法の下の平等」(平等原則・平等権)であるが、これは他の個別人権と異なり、同時に総則的な性格ももつので、本章であわせて説明する。

<目次>


Ⅰ 包括的人権としての幸福追求権


日本国憲法は、「個人の尊厳」を基本価値とし、すべての国民を「個人として尊重」することを宣言した。
そして、その意味をもう一歩具体化して、一方で、国民が「生命、自由及び幸福追求に対する権利」(「幸福追求権」と略す)を有すること、他方で、すべての国民が等しく個人として尊重されねばならないことから、この権利が「公共の福祉」の制限に服することを明らかにしている(13条)。
公共の福祉については、前章で説明した。
ここでは、幸福追求権について説明する。

1 幸福追求権の法的性格


(1) 個別人権の源泉


日本国憲法は、13条で幸福追求権に言及した後、14条以下で個別の具体的人権を列挙し保障している。
問題は、幸福追求権と個別人権の関係をどう理解するかであるが、幸福追求権が「個人として尊重」されることの意味を国民の側から「主観的権利」(主体の側から請求しうる権利)として包括的に捉えたものであるとすれば、個別人権は、その主観的権利をさらに具体化し、憲法制定時点において「個人として尊重」されるといえるために不可欠と判断されたものを列挙したものと解することができよう。
ここで重要なことは、幸福追求権は、そこから個別人権が派生した源泉的権利であって、個別人権の総計に尽きるものではないということである。
換言すれば、幸福追求権は、つねに新たな具体的人権を生み出していく母胎的な役割を果たす観念として設定されているのである。
日本国憲法は、人権をそこで列挙した個別的人権類型に限定したのではなく、時代の変化に応じて生ずる個人の新しい必要・要求が具体的人権として個別化されることを認めていると考えるのである。
人権がそこに列挙された個別人権に限定されると解せば、新しい人権を認めるためには憲法改正が必要ということになる。
それはそれで一つの考え方ではあるが、日本国憲法のように憲法改正をきわめて重い手続の下に置いているところでは、時代の要請に対応するための柔軟性を欠くきらいがある。
そこで、憲法の改正ではなく、解釈を通じて柔軟に対応する可能性を残すべきだという考慮から、解釈を通じて新しい人権の創設を認める考えが支配的となっているが、その場合の法的な根拠が幸福追求権なのである。

(2) 一般的行為自由説と人格的利益説


幸福追求権は、個別人権を基礎づけている根拠規定であり、その意味で新しい人権を生み出す根拠となるが、個別人権そのものではないから、権利主張の直接的根拠として援用しても直ちには認められないであろう。
したがって、新しい人権を主張する場合には、幸福追求権を究極的な根拠としながらも、直接的な根拠としては個別的・具体的な新しい人権類型を定式化して主張する必要がある。
この具体化・個別化(分節化)に成功して初めて人権として承認されることになるのである。

学説は、幸福追求権の意味内容につき、一般的行為自由説と人格的利益説に分かれている。
人格的利益説は、幸福追求権を「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体」と解する。
これに対し、一般的行為自由説は、他者の利益を害しないあらゆる行為の自由が幸福追求権の保護対象となると解する。
この対立は、人権論の想定する人間観の側面と人権保障の担い手として誰に期待するかという側面における対立を含んでおり、それぞれの側面のもつ意味を理解しておく必要がある。

まず人間観の側面であるが、人格的利益説は、人権の主体としての個人を、自らが最善と考える自己の生き方を自ら選択して生きていく人格的・自律的主体と想定し、人権をそのような人格的・自律的生のために必要不可欠な利益と解する。
ここでは、個々人が自ら自由に最善と思う生き方を選び取って生きていくという「生」のあり方が重視されており、個々人にそれを判断する能力があることが前提とされている。

これに対し、一般的行為自由説は、個人をごく限られた能力しかもたない存在と考え、何が最善かを予め選択して生きていくというよりは、何が善い生き方かを探り出そうとして行動し、失敗を繰り返す経験の中から少しずつ学び取っていく存在と考える。
人権とは、そのような試行錯誤を可能とする手段であり、ゆえに人格的・自律的生を生きようとする者からみればつまらないと思われるようなことも、自由に行うことを許すものであるべきだと考えるのである。
両者の具体的な違いは、髪型とかバイク運転とかの自由が幸福追求権によりカバーされると考えるかどうかといった点に現れることになる。

対立のもう一つの側面は、幸福追求権の保護に際して裁判所にどの程度の役割を期待するのが適当かという問題に関係する。
両説ともに幸福追求権を具体的権利と解するから、幸福追求権の侵害が問題となれば、裁判所が介入しうるということになる。
したがって、一般的行為自由説のように幸福追求権を広くとれば、裁判所の介入しうる範囲が広がり、人格的利益説のように幸福追求権を限定すれば、裁判所の介入も限定されるのである。
要するに、たとえば髪型が規制されたとき、その是非を裁判の場で争うのが適切か、それとも政治的なプロセスで争うのが適切かということなのである。
なお、一般的行為自由説はドイツの憲法裁判所が日本国憲法13条に相当する基本法2条(人格の自由な発展の権利)の解釈としてとる立場であるが、基本権制限の正当性を比例原則により審査する立場と深く結び付いていることに注意が必要である。
憲法の保障する権利を広く認めても、その制限の許容性を比例原則により審査する限り問題はないと考えていると思われるのであり、比例原則と異なる「審査基準論」を採用する場合には(134頁参照)、人格的利益説の方が整合性が高いと思われる。

しかし、両説の問題は、ともに幸福追求権を《一つの》具体的・個別的な人権と捉えていることである。
それが具体的な個別人権であるならば、あらゆる人権侵害に対抗しうる根拠規定となりうるはずであるから、14条以下の個別人権は不要ということにならないであろうか。
この点を両説は、幸福追求権と14条以下の個別人権の関係は一般法と特別法の関係にあり、したがって特別法である個別人権が優先的に適用され、個別人権にないものが幸福追求権により保障される「新しい人権」とされるのだと説明している。
ということは、個々の「新しい人権」は幸福追求権という《一つの》人権の諸適用事例と理解されるわけである。
しかし、特別法が一般法に優先するという原則は、両者が矛盾した場合の問題であり、矛盾しない場合に特別法を優先させねばならない理由はない。
しかるに、幸福追求権と個別人権は矛盾する関係にはないのであるから、両者の関係を一般法と特別法に類比するのは問題である。
むしろ基本法と具体化法の関係に類比すべきであろう。
あるいは、抽象的権利と具体的権利といってもよい。
幸福追求権という抽象的権利が母胎となり、そこから個別人権が具体的権利として派生してくるのである。
この立場からは、一般的行為自由説は抽象的権利のレベル、人格的利益説は具体的権利のレベルに対応した議論という理解になる。
ともあれ、「新しい人権」は各々が個別人権として構成されねばならない。
幸福追求権という一つの人権の適用事例ではないのである。
もちろん、各々の「新しい人権」がそれぞれの適用事例をもつことはいうまでもない。

(3) 裁判所による「新しい人権」創設の根拠


新しい人権が承認されるとは、裁判所がその侵害に対し救済を与えるということであり、新しい人権の創設にあたって最も重要な役割を果たすのは裁判所だということになる。
国会が新しい人権の創設を認めたいと考えるときには、その旨の法律を制定すれば足りる。
社会が必要とするに至る新しい権利を形成していく通常の方法は、法律の制定である。
しかし、何らかの理由で国会がこの必要に応えてくれないとき、裁判所による新しい人権の創設に期待しようということである。
したがって、場合によっては、国会と対立する政策判断・価値選択を裁判所が「憲法上の人権」の名において行うということを意味する。
このようなことは、憲法の想定する国会と裁判所の役割分担という観点からはきわめて例外的なことであり、国民の間に新しい人権の原理的承認について広範なコンセンサスが形成され、その基本的な内容が裁判官の恣意的・主観的な価値判断をほとんど入れる余地のないほど明確になった段階で初めて認められるものだと考えなければならない。
ただし、人権は基本的には社会の少数派の保護を目的とするから、「新しい人権」が広範なコンセンサスの下に個別人権として承認されれば、その個々具体的な適用についてのコンセンサスまでは必要でない。

新しい人権の承認のためには、少なくとも次の二点の論証が必要である。
①自律的生のために不可欠な利益であること、
②その利益の確保が非常に困難となっていること、換言すれば、その侵害の危険性が非常に高くなっていること。
個別人権として列挙されているものは、制憲時にこのような性格をもつと判断されたものである。
新しい人権は、制憲時には①あるいは②の要件を欠いていたが、今日状況の変化等により要件に該当するに至ったものということになる。

以下に、これまで日本で「新しい人権」として議論されてきた主要なものを取り上げ、簡単に説明しておこう。

2 新しい人権


(1) プライバシーの権利と個人情報の保護


(ア) プライバシーの権利

19世紀末のアメリカで新聞・雑誌が大衆紙・誌として発売されるようになると、有名人の私生活を暴露したり名前を無断で利用したりする問題が生じ、プライバシーの権利が「放っておいてもらう権利」(right to be let alone)として主張されるようになった。
この権利は、最初、不法行為法上の権利として判例上確立するが、その内容は相当広範で様々な利益を含んでいた。
それが、後に次の四つの内容に整理される。
第一が、覗き見や盗聴など私的な秘密領域への侵入を受けない権利、
第二が、人に知られたくない秘密を暴露・公表されない権利、
第三が、本人の実像とは異なる誤った印象を与えるような描写を流布されない権利、
第四が、氏名や肖像を無断で広告等に利用されない権利
である。

日本の裁判所も、三島由紀夫のモデル小説「宴のあと」事件の判決(東京地判昭和39年9月28日下民集15巻9号2317頁)においてプライバシーを不法行為法上保護されるべき利益として認め、その侵害に対し損害賠償を命じた。
ただし、不法行為法上の利益であるから、憲法上の人権と認めたわけではない。

日本国憲法は、通信の秘密(21条2項)や住居の不可侵(35条)の規定によりプライバシーの利益を部分的に保護しているが、プライバシーの権利を個別人権としては規定していないので、「宴のあと」事件判決を契機に、これを「新しい人権」として認めるべきだという議論が盛んになり、学説上はこれを認めるのが今日の通説となっている。
最高裁の判例は、これを個別人権と真正面から認めてはいないが、肖像を正当な理由なく撮影することは13条の趣旨に反するとした判例(最大判昭和44年12月24日刑集23巻12号1625頁)や、区長が漫然と弁護士会の照会に応じて前科を報告したのを権利侵害と認めた判例(最三判昭和56年4月14日民集35巻3号620頁)が存在し、実質的にはプライバシーの権利を国家に対して主張しうる憲法上の権利と認めていると評しえよう。

(イ) 個人情報の保護

プライバシーに関連して、最近重要となってきたのは個人情報の保護という問題である。
テクノロジーの発達(盗聴器、監視カメラ、コンピュータなど)により、今日では個人の情報が容易に収集・保有・蓄積されるようになってきた。
国家は、積極国家の下で、ますます社会に介入することを要請され、そのために必要な個人情報を大量に収集・蓄積するようになった。
民間企業も、営業の効率化を目指して顧客に関する様々なデータを集積している。
このために、個人は、一方で、これまではその場その場でばらばらに集められていたにすぎない自己の情報が、コンピュータにより結合処理され、自己の全貌が把握され私的な秘密領域を保持しえなくなるのではないかという危機意識をもつようになり、また他方で、自己に関する誤った情報が自己の手の届かない状態で流布し、それに基づく不利益な処分が知らないうちになされるのではないかという不安感におそわれるようにもなってきた。
ここから、自己に関する情報は自分自身でコントロールしうることが保障されねばならないという主張が生じたのである。
自己情報コントロール権と呼んでいる。

この権利は、
①本人が知らないうちに情報が収集され利用されることを禁止し(収集制限)、
②情報収集は明確な目的に基づきその目的に必要な範囲内でしか行ってはならず、目的外利用は許されず(目的外利用の禁止)、
③情報の正確さを担保するために本人の閲覧・訂正・使用停止請求を認める(閲覧・訂正等請求権)、
などを内容とする。
それは、伝統的なプライバシーの権利を情報のコントロールという側面から捉え直した意味をもつが、プライバシーの権利よりも広い内容をカバーしており、特に開示・閲覧請求や訂正請求は相手の積極的な行為を要求することもあり、今のところ自己情報コントロール権はそれがカバーする諸領域すべてを含めて一つの個別人権と認められるには至っていない。

個人情報を保護するための立法は、ヨーロッパ諸国では1970年代に始まるが、日本では取組みが遅れた。
それでも、地方公共団体が国に先行して取り組み始め、川崎市や東京都などが自治体の保有する個人情報に関して保護条例を制定した。
その後、国も1988年に「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」を制定したが、この法律は対象を電算機処理された個人情報に限定し、また、訂正請求権を認めないなど、不十分な内容であった。
また、民間の事業体が保有する個人情報を保護する立法もない状態が続いたが、ようやく2003年に民間事業者をも対象とした「個人情報の保護に関する法律」が制定され、同時に上記法律を改正する「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律」も制定されて、ようやく日本でも個人情報保護の法体制が整った。
また、こうした立法府の動きと並行しながら、最高裁の判例においても、プライバシー保護の延長上で個人情報保護の観点にウェイトを置く議論を展開したものが現れてきている。
たとえば、早稲田大学が江沢民講演会に出席した学生名簿を警備の必要を理由に警察に渡したことが個人情報をみだりに他者に開示したことにあたるとして賠償責任を認めた判決(最二判平成15年9月12日民集57巻8号973頁)や、市町村が住民の本人確認情報を住基ネットに提供することは、データマッチングや名寄せによりプライバシー侵害の具体的危険を発生させるとして、提供の差止めあるいは国家賠償を求めた訴訟において、本人確認情報の目的外利用には住基法上重い刑罰により禁止される等の制度的担保が組み込まれており、プライバシー侵害の具体的危険が発生しているとはいえないとした判決(最一判平成20年3月6日民集62巻3号665頁)が存在する。

個人情報を保護するために個人情報を扱う者を規制する法律は表現の自由や学問の自由と衝突する可能性がある。
これに対処するために、個人情報の保護に関する法律は報道機関・研究機関・宗教団体・政治団体等を適用除外とした(50条参照)が、運用段階で微妙な調整の必要は起こりえよう。

(2) 自己決定権


国民を個人として尊重するということは、個々人が自己の生き方を自ら決定することを尊重することであった。
個々人は個性をもち、相互に異なる存在であり、したがって個々人が個性的な生を選択することが許されなくてはならない。
国が個人の生の基本的あり方を一定方向に強制したり、画一的な生を押しつけたりするようでは、個人として尊重したとはいえないだろう。

我々がどのような人生を送るかを考えるとき、基本的に重要な意味をもつものとして、結婚するかどうか、誰と結婚するか、誰と一緒に住むか、子どもをもつかどうか、どこに住むか、どのような職業に就くか、などを挙げることができる。
こういった、どのような人生をどのように生きるかに関する基本的に重要な決定を自由になしうる権利を、ここでは自己決定権と呼んでおきたい。
結婚の自由については憲法24条が保障しているが、近年議論され始めた同性間の結婚まではカバーしていないというのが通説である。
しかし、ヨーロッパ諸国やアメリカの州では同性婚を認める例も増加してきている。
子どもをもつかどうかについては、生殖の知識と医療技術の進歩によって、倫理上の制限を別にすれば、相当自由な選択が技術的には可能となってきている。
そのとき、避妊や妊娠中絶を規制することは、個人に、特に女性に、一定の生き方(母親として生きること)を強制することにならないだろうか。
妊娠中絶については、胎児の生命保護という観点から必要な限度の制約はありうるにしても、それを超える制約は個人の尊重に反するように思われる。
他方、居住の自由や職業選択の自由は、憲法22条で保障されているが、これは経済的自由権として位置づけられている。
しかし、たしかに経済的観点から規制がなされた後にも多様な選択の余地が残されているという場合には、その規制を経済的自由権の規制と捉えることができるにしても、それを超えて、特定の場所や職業を押しつけるに近いような規制であれば、基本的な生き方の制限と捉えるべきではなかろうか。

こういった問題を背景に、現代社会における新しい人権として自己決定権を認めるべきではないかという意見が有力になってきている。
しかし、自己決定権の核心部分はその内容が比較的明確であるものの、周辺部分においてどこまでが自己決定権に含まれるかを明確に定式化しえていない段階にあり、判例もはっきりと認めるまでには至っていない。
この点、従来日本で自己決定権の問題として裁判上争われてきたものには、基本的な生き方の自己決定とは異なるものが多かったことも、問題を混乱させてきた一因であった。
たとえば、生徒の髪型や服装の規制、高校生に対するバイクの禁止などは、自己決定権の制約というほど重大な問題とはいえないであろう。
もっとも、丸刈りの強制は、髪型の規制を超えて、画一性を押しつける意味をもっていて問題ではある(判例は、丸刈りの強制も許されるとした。熊本地判昭和60年11月13日行集36巻11=12号1875頁参照)。
しかし、これは後述の人格権の侵害と捉えた方がよいように思われる。

自己決定権に関連して特に注意を要するのは、その制約の正当化理由である。
というのは、ここではパターナリズムが持ち出されることが多いからである。
パターナリズムによる正当化は安易に認められてはならず、「侵害原理」による正当化(原則的には「通常審査」)の場合より厳格に審査すべきである。
たとえば、手術に際して本人の明確な意思に反して輸血をする場合、これを侵害原理で正当化することは困難であるが、安易にパターナリズムを持ち出すことも避けるべきであろう(最三判平成12年2月29日民集54巻2号582頁参照)。

(3) 人格権


人格権という言葉も様々な意味で用いられていて、プライバシーの権利や自己決定権まで含めて使う用法もあるが、ここでは、個人の身体的および精神的な完全性(integrity)への権利という意味に限定して用いる。
その権利内容としては、身体への侵襲や精神的苦痛からの自由を考えている。

身体的完全性の侵害としては、たとえば強制採血・採尿がる。
環境権も、かかる意味での人格権を含み、その限りでは、判例も(人格権という表現を用いているわけではないが)承認するに至っている(空港の騒音公害につき損害賠償を認めた事例として、大阪国際空港公害訴訟・最大判昭和56年12月16日民集35巻10号1369頁参照)。

精神的完全性の侵害の例としては、名誉毀損が典型である。
逃れようのない状況下で見たくも聞きたくもない情報を強制されるという「囚われの聴衆」(captive audience)の問題も、ここでの人格権侵害の問題として理解できよう(車内商業宣伝放送を人格権侵害として争った事件の最高裁判決、最三判昭和63年12月20日判時1302号94頁参照)。

指紋押捺の強制もここに含めておく(正当な理由もなく指紋押捺を強制することは憲法13条の趣旨に反すると述べた判例として、最三判平成7年12月15日刑集49巻10号842頁)。
もっとも、指紋は、個人情報でもあるから、自己情報コントロール権として捉えることも十分可能ではある。

(4) 適正な行政手続


国民は自己に不利益な処分を受ける場合には、適正な手続を保障されなければならない。
刑事的な処分(刑罰等)については、憲法31条が適正手続の一般規定を置き、32条以下で具体的内容を個別に定めている。
しかし、行政手続については規定がない。
そこで憲法31条を行政手続にも類推適用すべきだという学説も有力であるが、31条は明らかに刑事手続を対象とした規定であるので、行政手続の適正性要求は13条により根拠づける方がよいであろう。

何が適正な手続かは、不利益処分の性質にも依存し、一概にいうことはできないが、事前に告知を受けることと聴聞の機会を与えられることは、自己の利益を弁護するための最低限の要求であろう。
現在では、行政手続法が制定され、適正手続の確保に配慮しているので、その限りではこれを憲法上の権利として構成する実益は減少した。
もっとも、行政手続法は、法律により適用除外とされている領域がかなり存在するので、そのような領域については憲法が意味をもちうる。

(5) 特別犠牲を強制されない権利


特定個人の犠牲において全体が利益を受けるとすれば、犠牲となる個人を「個人として尊重」していないことになろう。
もっとも、すべての個人が平等に尊重されるために必要な犠牲は、公共の福祉の下に甘受すべきであった。
ゆえに、ここで問題とする犠牲は、これを超える程度の特別の犠牲である。
憲法29条3項は、財産権に関する特別犠牲につき、これを規定している。
個人の財産権を公共の利益のために収用するには、正当な補償が必要とされているのである。
しかし、問題は財産権に限られないはずである。
たとえば、国の勧めで予防接種を受け後遺症の被害を受けた児童が損害賠償を求めたのに対し、裁判所は伝染病からの集団的防衛のために特別の犠牲を強いた意味をもつとして国の責任を認めたが、その根拠として29条3項の類推適用や13条を援用した(たとえば、東京地判昭和59年5月18日判時1118号28頁参照。ただし、最高裁は過失の成立を認めて国家賠償で救済する方向を示している。最判平成3年4月19日民集45巻4号367頁参照)。
生命・身体への権利は「収用」の概念にはなじまないが、全体の利益のために特別の犠牲を受けてはならないことは財産権の場合と変わりないであろう。
また、衆議院の委員会で議員が行った発言により名誉を毀損されたと主張して起こした損害賠償請求訴訟につき、最高裁は憲法51条の規定する議員の免責特権を一つの根拠に請求を棄却した(最三判平成9年9月9日民集51巻8号3850頁。ただし、決め手は国賠法による請求は公務員の個人的責任を原則として認めていないという点に求められている)が、この場合、名誉を毀損された個人の犠牲において全体が利益を受ける(免責特権により議会での自由な討論が促進される)という関係にあることを考えると、特別犠牲者に損失補償をするのが公平と思われる(354頁参照)。
こうした事例に共通する公平の原理の具体化として、新しい人権の一つを構成することができるのではなかろうか。


Ⅱ 法の下の平等


国家が個人に対し何らかの処分を行う場合には、「個人として尊重」したといいうるだけの扱い方をしなければならない。
その保障として重要なものは、適正手続と平等処遇である。
適正手続は裁判手続については当然のこと(32条の要請。259頁参照)、刑事上の手続と行政上の手続でも問題となるが、刑事手続については人身の自由に関連して触れることにし、行政手続については「新しい人権」の一つとして述べたので、ここでは平等権について説明する。

1 平等の観念


個人を平等に処遇するとは、「同じ状況にある者は、同じに扱う」ということである。
誰をも同じに扱うことは、必ずしも平等ではない。
異なる立場・状況にある者を同じに扱うのは、同じ立場・状況にある者を別異に扱うのと同様、平等に反する。
しかし、問題は、同じ状況にあるとはどのような場合であり、どうすれば同じに扱ったことになるかである。
それは、平等をいかなる意味に理解するかにより異なりうる。

(1) 機会の平等と結果の平等


近代の平等が求めたものは、まず第一に、封建的な身分制からの解放であった。
フランス人権宣言第1条が規定したように、「人は自由かつ権利において平等なものとして生まれ、かつそうあり続ける。社会的な特別待遇は、共通の利益を基礎にしてのみ行いうる」ということでなければならない。
生まれながらにして特定の身分に縛られ、職業をはじめとする個人の生き方が、最初から拘束されているということであってはならないのである。
人生の出発点において、すべての個人に平等な機会が与えられなければならない。
平等に与えられた機会をどのように生かすかは、個人の自由と能力に委ねられる。
その結果として人々が平等でなくなることは、平等原理に反するものではない。
重要なのは、すべての個人が平等な機会を与えられることなのである。

フランス人権宣言に表現されているように、近代の人権が要求したのは、まず自由であり、平等はその後にくる。
ゆえに、平等は自由と調和する内容に理解されねばならない。
個人の自由な活動と調和しうるのは、「機会の平等」であり、「結果の平等」ではない。
個々人に個性があり、能力の違いがあるところで「結果の平等」、すなわち個々人の生活に格差が生じないこと、を目指せば、自由な活動の広範な規制が必要となろう。
それは、自由を重視した近代人権観・近代的自由主義の受け入れるところではなかった。
自由と平等の調整は、自由を中心に平等を「機会の平等」と捉えることによって行うべきだと考えられたのである。

(2) 形式的平等と実質的平等


平等というのは、人と人の比較から生ずる観念である。
人を比較するとき、個々人が置かれた諸状況をどこまで考慮に入れるかという問題が生じる。
個々人の置かれた状況をきわめて抽象的なレベルで捉えて比較すれば、具体的な諸状況の違いは捨象されて、「同じ状況」にあるとされることが多くなろう。

近代の初期においては、個人をアンシャン・レジームの社会的な束縛から解放したいとするあまりに、個人をきわめて抽象的なレベルで「人一般」として捉えようとする傾向が強かった。
個々人を「人」としての資格においては同等であり、同一の扱いをすべきだとすることにより、身分等による法制度的な差別を廃止したのである。

これにより、たしかに法制度上の身分等による差別は除去されたが、現実の個人は事実上不平等な社会的状況下に置かれており、実質上は自己を発展させる平等な機会など与えられていなかった。
にもかかわらず、平等権の法的な保障を宣言しただけで機会の平等は実現されたとみなされてしまい、その結果、19世紀を通じて富者と貧者の格差、結果の不平等が拡大した。

結果の不平等を生み出す要因は、少なくとも二つある。
一つは、機会を生かす能力の違いであり、もう一つは、機会の不平等である。
自由を強調する限り。前者を非難することは困難である(もっとも、最近では、天賦の能力により生ずる結果の不平等は正当化できないとする見解が有力となってきている)が、19世紀後半以降、結果の不平等を生み出しているのは、実は前者というよりは後者ではないかという問題意識が芽生え、次第に強くなってくる。
つまり、法律上抽象的に認められたにすぎない機会の平等は、潜在的能力はあっても資財や条件等を欠くためにそれを現実に利用できない者にとっては、形式的な平等にすぎない。
個々人が置かれた具体的状況を考慮して、現実に機会を利用しうる実質的な「機会の平等」を保障すべきではないか。
スタート・ラインの形式的ではなく実質的な平等こそが重要なのであり、それが保障されて初めて、結果の不平等が能力の差によって正当化されうることになるのではないか。
平等の捉え方について、このような変化が生じたのである。
ここで注意すべきは、結果の平等と機会の実質的平等を混同しないことである。
先に述べたように、結果の平等を追求することは、自由の尊重と調和しがたい。
しかし、機会の平等の実質化を追求することは、結果の平等を追求することとは異なる。
たしかに機会の実質化的平等を求める場合に、結果の不平等の存在を指摘し批判することがある。
しかし、それは結果の平等を主張するためではなくて、結果の不平等が何に由来するかを検討するきっかけとしてである。
結果の不平等が存在するなら、その原因は何かが明らかにされねばならない。
そして、もしそれが能力や努力の違いといった正当化しうる理由ではなく、機会の不平等から生じていることが論証されれば、機会の平等の実質化を求めることは正当であり自由と矛盾はしない。

(3) 国家による平等


近代における平等権は、「権力からの自由」の構造で理解された。
つまり、国家による不平等処遇からの自由として観念されたのである。
形式的平等権が要求したのは、国家が個々人を法律上形式的に同じ扱いをすることであった。
富者も貧者も同じに扱われていれば、その要求は満たされたのである。

実質的平等の要求も、最初は「権力からの自由」の構造の下で理解された。
個々人が同じ状況にあるのか、同じ扱いを受けているのかの判断を、形式的ではなく実質的に行うべきだというのが、その要求であった。
しかし、この要求は、実質的平等のために必要なら、国は形式的な別扱いをすることも許されるという意味を内包する。
たとえば、男性と女性を形式的に同じに扱えば、不当な「結果の不平等」が生じうる。
それを避けるために、実質的な平等扱いを実現しようとすれば、男性と女性を形式的には別扱いする必要が生じる。
女性に対して出産のための休職の権利を認めることなどがその例である。
そのような別異処遇は、実質的な観点から平等権を捉えるときには、憲法上許されるべきだということになる。

さらに、実質的な平等の実現こそが憲法の要請であるとすると、形式的別異処遇が場合によって許されるだけでなく、必要でさえあるという論理に展開する。
形式的別異処遇をしなかった結果、実質的な不平等が生じていれば、別異処遇をしないことは違憲であるということになるのである。
この論理をもう一歩進めると、国家は、実質的不平等という憲法違反の状態が生じているときには、それを解消するための積極的な措置をとる義務を負うという考えに行き着く。
たとえば、女性が社会的な偏見のために平等な雇用機会を与えられていない場合には、国は女性を優先的に雇用し、あるいは、民間企業に雇用させる措置をとる義務を負うと考えるのである。
このように社会的に差別された人々を優遇する措置を優先処遇とか積極的差別是正措置(affirmative action, positive action)とかいうが、これは「国家による平等」という構造をもつ。

もっとも、現在のところ、平等権は優先処遇を受ける権利まで含むとは解されていない。
国家は、法律により優先処遇の政策を採用することも許されるというにすぎず(雇均8条参照)、しかも、それが度を超せば「逆差別」として憲法違反となる可能性もあると考えられている(優先処遇の審査基準に関しては158頁参照)。

2 日本国憲法における平等保障


平等権は、アメリカの独立宣言やフランスの人権宣言に典型的に表現されたように、近代人権の基本原則であり、立憲主義的憲法のほとんどが採用してきた。
君主身分の存在を前提にした立憲君主政の憲法においてさえ、フランスの1814年シャルトやプロシャ憲法にみられたように、国民(臣民)の法の下における平等を保障していた。
ところが、明治憲法には平等権を一般的に保障する規定はなく、わずかに公務就任に関して19条で「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」と規定されたのみであった。
明治憲法下においては、貴族制度(華族制度)が存在したし、女性は様々な関係で法律上差別されるなど、平等原則はきわめて不十分な状態にあったのである。

日本国憲法は、明治憲法下の不平等状態を清算すべく、平等権保障の徹底を図った。
憲法14条1項で平等権の一般規定を置くとともに、さらに同条2項・3項で貴族制度の否定と、特権を伴いあるいは世襲されるような栄典授与の禁止を規定し、15条3項と44条で選挙に関する平等を、24条で結婚・家族生活に関する両性の平等を、26条で教育を受ける権利の平等を規定している。
しかし、他方で、象徴天皇制を採用し、天皇・皇族という身分制を残したので、その限度で平等権を貫徹するには至っていない。

以下では、14条1項の一般規定を中心に平等権の解釈問題を解説する。

(1) 解釈上の諸論点


14条1項は「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定する。
この条文の解釈における主要な論点は三つある。
第一は、「法の下の平等」とは法の適用における平等を要求するのみか、それとも法の内容における平等も要求するのかという問題であり、
第二は、本条の平等要求は、例外を許さない絶対的・機械的なものか、それとも例外を許す相対的なものかであり、
そして第三は、人種・信条等の列挙は、例示的か限定的かという問題である。

判例・通説は、第一の論点につき法内容平等説に立ち、法の適用における平等のみならず法の内容における平等も要求していると解し、第二の論点につき相対的平等説に立ち、「合理的差別」は許容されると解し、第三の論点については、14条1項が保障したのは一般的平等権であり、列挙事項は例示にすぎず、列挙事項以外の、たとえば教育・財産(44条参照)に基づく差別も、禁止されると解している。
もっとも、第三の論点については、例示説にもニュアンスの違いがあり、例示事項に特に意味を認めない判例の立場に対し、学説の中には、例示事項に該当する場合には、違憲の疑いが強いので厳格な審査が要求されるとか、あるいは、違憲性が推定され挙証責任が転換されるので合憲を主張する側が論証する負担を負うと主張するものが有力となっている。
この立場からは、個々の列挙事項の意味を明確にすることが必要となる。

判例・通説に反対する学説の中には、第一の論点について、ワイマール期のドイツ憲法学説において法律の適用における平等説が支配的であったことの影響を受けて、日本国憲法の解釈としても法適用平等説が正しいと説きながら、第三の論点につては、列挙事項を限定列挙と解し、この列挙事項に関する限りは法内容の平等が絶対的に要求されると主張するものもある。
しかし、日本国憲法は、ワイマール憲法と異なり、裁判所に法律の違憲審査権を与えており、そのことを重視して、法律の内容が平等であることまで要求していると解すべきである。
また、列挙事項に関して法律内容の平等を例外なしに要求することは、たとえば女性の区別扱いの正当化を困難とするという難点を避けえない。

なお、14条1項の「政治的、経済的又は社会的関係」は、これにより社会に存在するあらゆる関係を網羅していると解されており、具体的な関係がそのいずれにあたるかを議論する実益はない。

(2) 列挙事項の意味


(ア) 人種

人種とは、皮膚・毛髪・目・体型等の身体的特徴によりなされる人類学上の区別である。
これに基づく差別が不合理なものであることについてのコンセンサスはすでに広範に確立している。
にもかかわらず、世界各地に人種差別が存続しており、人類はいまだにこの偏見を根絶するには至っていない。
日本においても、アイヌ民族や在日韓国・朝鮮人の差別問題を解決しえていないことを忘れてはならない。

(イ) 信条

信条とは、個人の基本的なものの見方・考え方を意味するもので、思想と信仰の双方を含む。
個人を「個人として尊重」するということは、個々人の価値観に優劣をつけないことを含むのであり、信条に基づく差別を禁止したのは当然のことである。
ここにいう信条とは、宗教や世界観など個人の考え方の核心をなすものだけを指し、単なる政治的意見・政治的所属関係は含まないという説もあるが、多数説は両者の区別は相対的で困難であり、後者を含めて理解する方がよいと解している。
もっとも、内心の信条が外部的な行為として表れた場合に、その行為に基づき区別して処遇することは、信条に基づく区別とは異なる。
たとえば、国家公務員法38条5号は、国家公務員の欠格事由として「日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者」を挙げているが、これは結社の結成・加入行為に着目しており結社の自由の制限の問題ではあっても、信条に基づく差別と捉えるべきではないであろう。
ただし、行為に基づく区別が単なる口実にすぎず、真のねらいが信条の差別にある場合は別であり、そのような運用にならないよう注意する必要はある。
なお、信条に基づく差別は、良心・思想の自由の侵害と重なることが多いので、思想・良心の自由の問題(166頁)も同時に参照されたい。

(ウ) 性別

近代の人権が「人」(英語の man, 仏語の homme)の権利であったにもかかわらず、実際上は「男」の権利と観念され、女性は「人」を代表した「家長」の陰に隠れて人権の主体性を完全には認められなかった。
特に象徴的なのは参政権で、成人男性の普通選挙が19世紀に次第に認められていくなかでも、女性に対しては女性の本性や社会的役割を口実に女性には政治は向かないとする反対意見が支配的で、第一次大戦後、1919年にドイツ(ワイマール憲法109条2項)が、1920年にアメリカ合衆国(修正19条)が女性の参政権を認めるに至ったものの、他の国では、日本を含めて、第二次世界大戦後まで待たねばならなかった。

今日では、参政権に限らず、あらゆる権利について男女の平等が承認されている。
しかし、男女の役割論に関する伝統的な偏見は根強く、現在でも法的な平等と実態における不平等のコントラストは職場や家庭関係においてきわめて大きい(日本の就職における男女差別、夫婦同姓や夫婦別産制の実態参照)。
偏見が持続する一つの理由は、否定することのできない身体的な差に、もともと人為的に形成された文化的差別(男女の社会的役割区別論)が絡みついており、後者が前者からの不可避の帰結であると誤認されやすいことにある。
しかし、この点は、最近のフェミニズム運動などにより、肉体的な性差(セックス)と文化的な性差(ジェンダー)を区分けする努力がなされ、徐々にではあるが偏見が見直されてきている。

日本でも、戦後、憲法24条が結婚・家族関係における男女平等を強調したことを受けて、民法や刑法の改正(妻の無能力制度や強姦罪の廃止等)を通じて戦前に存在した法律上の女性差別が改善された。
しかし、婚姻年齢に男女差を規定した点(民731条)や女性のみに再婚禁止期間を定めた点(民733条。これを合憲とした最三判平成7年12月5日判時1563号81頁参照)などに偏見の持続が指摘されている。
労働関係における男女平等についても、戦後、労働基準法が制定され、男女の実質的平等を目指して女性の保護規定を置いた。
しかし、最近では、ジェンダー論の影響の下に、肉体的な性差に基づく女性の保護がかえって女性の役割に関する偏見を持続・助長させる危険もあることが指摘されるようになってきた。
そこで、国連総会が1979年に採択し1981年に発効した女子差別撤廃条約の批准(1985年)を機会に男女雇用機会均等法の制定(勤労婦人福祉法の改正)と労働基準法の改正が行われ、戦後導入された女性の保護規定が一部見直されるとともに、職場における女性の地位を向上させるための努力が今もなお続けられている。
特に、男女雇用機会均等法は、その後の諸改正により努力義務規定が差別禁止規定とされ、一定の間接差別も禁止され、事業者の差別解消措置も許容されるなどの進展が見られ、違反に対する制裁も徐々に強化されてきている点が注目される。

(エ) 社会的身分

社会的身分とは、広くは、人が社会において占めている地位をいうが、身分という言葉は、少なくともその地位がある程度長期にわたり持続する地位であることを含意するし、さらには、本人が自由に変更しうるものではなく、むしろ出生により決まっており原則的には変更ができない地位というニュアンスが強い。
学説上は、出生により決定されている点を強調する狭義説と、後天的な地位でも長期に持続する場合はそれまで含むとする広義説が存在するが、列挙事項に法的意味を認める立場からは、意味内容の明確な狭義説の方が支持されている。
この立場からは、尊属・卑属(後述の尊属殺重罰規定違憲判決参照)や非嫡出子(非嫡出子の法定相続分を嫡出子の2分の1と定めた民法900条4号但書を合憲とした最大判平成7年7月5日民集49巻7号1789頁参照)といった地位がこれに該当する(ただし、判例は必ずしもそうは認めていない)し、部落差別(同和問題)も社会的身分に基づく差別と捉ええよう。

(オ) 門地

門地とは、家系・血統等の家柄を指し、社会的身分の一部をなす。
貴族制度も門地による差別であり、本項により禁止されるが、これは2項により絶対的に禁止されていて、「合理的」なものとして許される余地はない。
もっとも、天皇・皇族は、門地にあたるが、これは憲法制定者が認めた例外である。

(3) 別異処遇の合理性を判断する枠組


個人の尊重という原理からは、個々人の違いは尊重されなければならず、そのような違いに応じた別異処遇は平等権の侵害にはならないはずである。
侵害となるのは、個人の尊重原理に反する別異処遇であり、その可能性の強い典型例が列挙事項に基づく別異処遇であった。
重要なのは、個人の尊重原理に反する別異処遇かどうかであり、それが「合理的差別」かどうかの問題として議論されてきた。

なお、差別は常に法の文面上行われているとは限らない。
文面上は平等に扱っているが、実態・結果においては不平等が生じているということもあり、実質的平等の観点からは、そのような場合も平等問題(間接差別の問題)と捉えていく必要がある。

差別の合理性を判断するには、次のような手順と枠組で行うのがよいであろう。

(ア) 比較の対象

まず「誰と誰」が差別されているのかを明確にすることが必要である。
平等権は他者との比較において生じる権利である。
したがって、誰と比較するかにより、どの権利がどの程度不平等扱いされているかが異なることがありうる。
差別を主張するためには、自己と同じ地位・状況・境遇にある者と比較して、自己の権利・利益が不利に扱われていると主張しなければならない。
比較の相手が自己と同じ境遇になければ、そもそも比較が成り立たない。
また、同じ境遇にあっても、相手が自己より不利に扱われている場合には、平等原則違反は存在するが、自己の平等権が侵害されたとは主張できない。
この点を明確にするためには、誰と誰を比較するのかを最初に明確にする必要がある。
比較の対象が適切かどうかが問題となった例として堀木訴訟(一審判決が障害者の女性が子を育てている母子家庭と夫が障害者である夫婦が子を育てている家庭とを比較したのに対し、控訴審判決は比較の対象にならないと判断)がある。

(イ) 差別の基礎

次に、それが「何に基づく」差別かを考える。
人種・信条等の列挙事項に基づくのか、それ以外の事由に基づくのか。
この点は、違憲の推定が働いて挙証責任が転換するのかとか、厳格審査を行うことになるのかに関係する。
アメリカの判例理論では、たとえば人種を理由とする別扱いは、「疑わしい分類」(suspect classification)とされ、厳格な審査が行われており、日本でもこの考え方は参考になる。

(ウ) 権利の性格

次いで、差別が「いかなる権利・利益に関して」なされているかを検討する。
これは、重要な権利・利益についての差別は、厳格な審査をすべきだという考えに関係している。
アメリカでは、「基本的な権利」(fundamental rights)についての差別は厳格審査に服するとされ、投票権や精神的自由権等がそれにあたるとされている。

(エ) 目的・手段の審査

別異処遇が合憲であるためには、その目的が正当で、かつ、手段が目的に適合したものでなければならない。
平等権の問題が生ずるのは、ある個人(の集団)を他の個人(の集団)と区別して異なる扱いをしている場合である。
そのような区別扱いは、一定の目的を実現するためになされるわけであるが、目的が許容されるものであるかどうかもさることながら、多くの場合、別異処遇される個人(の集団)の範囲を画定する線引き基準がその目的と適合しているかどうかが問題となる。
目的の達成に必要とされるより広い範囲の個人を別異処遇集団に取り込んでいれば、過大包含(overinclusive)となり、狭ければ過小包含(underinclusive)となって手段審査をパスできない。

どの程度厳格な審査を行うべきかについては、アメリカの判例理論の影響下に、厳格審査、中間審査(厳格な合理性の審査)、合理性審査の三つを区別する見解が有力である。
しかし、日本国憲法の解釈としては、まず通常審査と緩やかな審査(敬譲審査)の二つに分けるのが分かりやすいであろう。
区別の基礎が14条1項の列挙事項に該当する場合には通常審査をし、それ以外の場合は緩やかな審査でよいとし、そのうえで、参政権や精神的自由権等の重要な人権に関して別異処遇を行っている場合には審査の厳格度を高めることにするのである。

審査の厳格度に関して議論の対象となっている問題に、アファーマティヴ・アクション(積極的差別是正措置)がある。
これは差別を受けている特定の少数派のために多数派が行う差別解消を目指した少数派優遇政策という性格をもつので、多数派が少数派を差別するという通常の差別問題と比べれば審査の厳格度を緩めてもよいように思われる。
しかし、少数派に属するという理由で、特に具体的な差別を受けているわけでもない特定の個人が有利な扱いを受けたり、あるいは、多数派に属するという理由から特定個人が不利に扱われるのは、個人の尊厳の原理に反するから、アファーマティヴ・アクションの場合も通常と同一の厳格度の審査を行うべきだという見解も有力に唱えられている。

(4) 平等侵害の場合の救済方法


法律が自由権を侵害している場合には、その行為を違憲無効とすれば自由は回復される。
ところが、平等権を侵害している場合には、その規定を違憲無効とするのでは救済とならないことがある。
典型的には、法律が一定の権利を付与しているが、その要件が不合理な差別となっている場合である。
その要件を違憲無効とすると、権利を付与するための要件がなくなってしまい、差別は認められても権利は与えられないという結果になってしまうのである。
いかなる要件で権利を付与するかを定めるのは立法者の権限であり、立法者が定めた要件が違憲無効であれば、再度立法者が要件を定めるのを待つべきであって、裁判所としては判決理由中で法律を違憲無効と宣言する以上のことはできない、という見解もありうる。
しかし、それでは差別された者の救済にはならず、したがって差別されていても訴訟を起こそうという気にはなりがたいであろう。
しかし、平等な社会を形成していくためには、差別された者の訴訟提起を認めた方がよい。
そう考えれば、差別された者に本来認められるべきであった権利を裁判所が認める法理論を考えるべきではないかということになる。

そのような理論構成としては、基本的には二つが考えうる。
一つは、法律の解釈において、権利を付与する定めとその権利付与を制限する定めを区別し、不合理な差別規定を後者に属する規定と解釈・構成する手法である。
こうすると、差別規定が違憲無効となれば権利付与の制限は無くなり、法律が権利付与を認めていることになる。
たとえば、社会保障の給付に関して併給制限の規定が違憲無効の場合などは、この構造となることが多い。
しかし、この解釈は、法律解釈として権利付与とその制限という構造を読み込むのであるが、条文の構造上一つの条文が権利を付与し、他の条文がそれを制限しているという形にはなっておらず、一つの条文で権利付与の要件を定めているような場合には、その要件のうち一つが欠ければ全体が無効となるのか、それとも他の要件だけで権利が付与されるのかは容易には決しがたく、結論志向の恣意的で無理な解釈という批判が生じやすい。
この点が争われたのが、後述の国籍法違憲判決である。

もう一つの方法は、権利付与とその制限という構造を同一の法律の中に読み込むのではなく、憲法と法律の関係として捉えるものである。
ちまり、権利付与は憲法によりなされており、それ具体化する法律は権利創設的ではなく権利制限的性格をもつと構成するのである。
そうすれば、権利制限的法律が違憲無効となれば、制限のない状態で具体化されていると解することが容易となる。

平等権侵害の救済にこれとまったく異なる手法をとったのが、後述の定数不均衡違憲判決である。
選挙無効訴訟という形態で争われたので、選挙の基礎となった定数配分規定が違憲無効となると選挙が無効となり、議員がいなくなって国会が機能しなくなるのではないかとか、それまでその議員が制定した法律の効力はどうなるのかなどの問題が生じて収拾困難な事態に陥るのではないかと考えられ、定数配分規定は違憲であるが選挙は無効ではないという解決策が採用されたのである。

(5) 代表的な判例


(ア) 尊属殺重罰規定違憲判決

改正前の刑法200条は、尊属殺人罪を死刑または無期懲役と定め、普通の殺人罪(199条)と比べ非常に重い刑罰を科していた。
これは卑属である被告と卑属でない者とを社会的身分により刑の重さに関して区別した法律と理解される。

戦後になって、この規定は「親殺し重罰」という封建道徳から来たものであり、日本国憲法に反するのではないかと批判されたが、最高裁は長い間これを自然的・普遍的倫理に由来するものであり合憲としてきた。
この判断を変更して憲法14条違反で違憲としたのが、昭和48年4月4日最高裁大法廷判決(刑集27巻3号265頁)である。
14名の判事が違憲判断で一致したが、違憲とする理由において8名の多数意見と6名の少数意見に分かれた。
少数意見は、本規定の目的を封建的な家族制度の維持・強化にあると見て、目的が日本国憲法上許されないと判断したのに対し、多数意見は、目的は普遍的倫理の維持尊重であり、それが日本国憲法に反するとはいえないが、その目的を達成するための刑罰が重すぎる点で不合理な差別であるとした。
この多数意見に対しては、刑罰が重すぎるというのが違憲理由ならば、それは平等権侵害というよりは、憲法31条あるいは36条違反の問題ではないかとの批判がなされている。
学説の多くは、少数意見の目的違反という結論を支持している。

この判決を受けて国会は刑法の改正をしようとしたが、尊属殺人罪の規定を廃止すべきだという意見と、廃止しないで保持し、刑罰が重すぎる点を改正すれば足りるとする意見が対立して長い間決着がつかなかった。
この間、実務では尊属殺人罪での起訴は控えるということで対処していたが、ようやく1995年に廃止する改正が成立した。

(イ) 定数不均衡違憲判決

衆議院議員選挙制度が中選挙区制であった時期に、人口の都市周辺への集中などが原因となって、選挙区ごとの定数配分が有権者数(人口)と比例しなくなり、定数不均衡が極端に悪化した。
この事態を「1議席あたり有権者数」の大きな選挙区の有権者から見れば、自己の選挙権の価値が1議席あたりの有権者数がより小さい選挙区の有権者に認められた選挙権の価値より小さく扱われていることになり、住居地の違いにより選挙権の価値に関して差別されていることになる。

これを平等違反として1972(昭和42)年総選挙を争った選挙無効訴訟において、昭和51年4月14日最高裁大法廷判決(民集30巻3号223頁)は、憲法14条は選挙の投票価値の平等を要求するものであるとして、最大較差1対4.99に達していた定数配分不均衡を違憲と判断したが、選挙そのものは事情判決的法理(行政事件訴訟法31条が定める事情判決の考えを応用したもので、違憲であっても無効とするとかえって重大な公益侵害が生じるという事情がある場合には、違憲であることを判示するにとどめ無効とはしないことができるという法理)を援用して有効とした。

この事件を差別の問題と考えるのがよいか、それとも選挙権の侵害問題と考えるのがよいかという問題もあるが、それはさておき、差別の観点からは、14条1項の列挙事由のいずれにも該当しないからこの点では緩やかな審査でよいことになるものの、選挙権に関する差別であるという点では厳格審査が必要となる。

その後の判決で最高裁は、1対3.94の最大較差が問題となった事件につき、この不平等状態は違憲の程度に達しているが、違憲となるのはその程度に達した時から「合理的期間」内に国会が是正しなかった場合であり、本件では違憲の程度に達してからおよそ5年程度経過したにもかかわらず、国会が是正の措置をとらなかったから合理的期間を徒過し違憲であると判断した(最大判昭和60年7月17日民集39巻5号1100頁)。
他方で、較差が1対2.82であった定数配分につき合憲とした(最一判平成7年6月8日民集49巻6号1443頁)ために、違憲の程度として最高裁が考えているのは1対3あたりであろうとの推測が広まった。

1994年に中選挙区制が小選挙区比例代表並立制に改められたが、この小選挙区制部分も、最初から較差が1対2を超えることにならざるをえないような一人別枠制度と呼ばれる配分方式(都道府県にまず1議席を配分し、残りの議席を都道府県の人口数に比例配分する)を採用したため、違憲ではないかが争われた。
最高裁は、当初、そのような方式を採用することも立法府の裁量の範囲内で合憲とした(最大判平成11年11月10日民集53巻8号1441頁、最大判平成19年6月13日民集61巻4号1617頁)が、その後、一人別枠方式は中選挙区制から小選挙区制に移行する際に過渡的に必要とされたにすぎず、一定期間の経過後は改正されるべきものであり、そのための合理的期間はすでに経過しているとの見解を示している(最大判平成23年3月23日民集65巻2号755頁。本書324頁参照)。
投票価値の平等を実現するために、一人別枠制という制度の見直しの必要を説示するところまで踏み込んだ点が注目される。

なお、参議院については、較差1対6.59に達していた不均衡につき、最高裁は参議院の特殊性を強調して衆議院の場合より大きな較差も許容されることを暗示し、それでもこの不均衡の現状は違憲状態にあることを認めつつも、結論としては、いまだ改正のために必要な合理的期間を徒過しているとはいえないとして合憲と判示した(最大判平成8年9月11日民集50巻8号2283頁)。
その後2004年には、最大較差1対5.06となっていた配分規定につき、結論的には9名の多数意見が合憲と判断したものの、6名の反対意見が違憲状態と判断し、かつ多数意見のうち4名が補足意見において次回の選挙までに改正がなされない場合には違憲判決もありうるとの警告を発していた(最大判平成16年1月14日民集58巻1号56頁)。
にもかかわらず、国会は配分規定の改正を行いえないまま同年7月に旧規定によって参議院議員選挙を行うことになった。
ところが、この選挙の無効を争った訴訟において最高裁は、平成16年1月判決から7月の選挙までの期間が改正を行うには短かったこと、その後、訴訟係属中の2006年に改正が行われ、最大較差が1対4.84に縮小されたことなどを考慮して再度合憲と判断した(最大判平成18年10月4日民集60巻8号2696頁、本書326頁参照)。

最高裁は、定数不均衡の問題を選挙権の問題というよりは、平等権および選挙制度の問題と捉えており、それがきわめて緩やかな審査しか行わない原因となっている。
選挙権の問題と捉えて、より厳格な審査を行う必要がある。

もっとも、従来通り投票価値の平等の問題と捉えた上ではあるが、最高裁は最大較差1対4.86が問題となった平成21年判決(最大判平成21年9月30日民集63巻7号1520頁)、および、最大較差1対5.00が問題となった平成24年判決(最大判平成24年10月17日民集66巻10号3357頁)において、都道府県を選挙区とする制度の見直しを含む抜本的改正の必要を説示し、「制度優先思考」から「権利優先思考」へと変化の兆しも見せている。
しかし、これを受けた国会が真摯な対応をすることができず、ようやく行われた2012年改正では4選挙区で定数を4増4減し最大較差を1対4.75にする弥縫策に止まっており、抜本的改革からはほど遠い状況である。

(ウ) 国籍法違憲判決

法律上の婚姻関係にない日本人男性とフィリピン人女性の間に生まれた原告は、出生後に父親の認知を受けたが、国籍法上認知の効力は、民法784条の定めと異なり、出生時に遡及しないというのが最高裁の判例となっており、「出生の時に父又は母が日本国民である時」日本国民となると定める国籍法2条1号の適用を受けられない。
出生後に認知を得た場合、当時の国籍法3条は、父母の婚姻により嫡出子の身分を取得したときには、それを法務大臣に届け出ることにより日本国籍を取得すると定めていた。
原告の父母は婚姻していないのでこの規定に該当しないが、原告はこの規定が非嫡出子の不合理な差別であるから父母の婚姻という要件は無効であり、ゆえに認知だけで国籍取得が認められるはずだと主張して法務大臣に届け出た。
これが受理されなかったので国籍確認訴訟を提起した。
一審判決は、国籍法3条(当時)の「婚姻」は事実婚も含むと拡張解釈して請求を認容したが、二審判決はこの拡張解釈を退けた後、認知だけで国籍取得を認めることは裁判所が立法をするに等しいから許されないとして、非嫡出子差別の合憲性を判断することなく棄却した。
最高裁は、国籍取得という法的地位は人権等を享有するための重要な地位であること、嫡出子かどうかは子が自らの意思や努力により決めることのできないものであることを理由に、これによる区別に合理性があるかどうかは「慎重に検討」すべきであるとし、慎重な審査の結果、この規定制定当時は合理性があったが、その後の立法事実の変化(我が国における、家族生活や親子関係に関する社会通念・社会状況の変化、同様な場合に認知のみで国籍を認める国が増えてきたこと、子どもの権利条約を批准したことなど)により現在ではもはや合理性は認められず違憲であると判断した。
そのうえで、いかなる救済を与えるべきかの点については、父母の婚姻による嫡出子身分の取得という要件だけが違憲無効となり、残りの要件により国籍が取得されるという解釈を採用した(最大判平成20年6月4日民集62巻6号1367頁)。
この判決を受けて国会は、生後認知があった場合には届出により国籍を取得しうる旨の改正を行っている(国籍3条)。
なお、本大法廷判決が嫡出子差別につき「慎重な審査」を行ったことが民法900条3号の嫡出子相続分差別の再検討に影響を与えるかどうか注目されるが、この判決後に出された第二小法廷決定は、相続分差別を合憲とした大法廷決定(最大決平成7年7月5日民集49巻7号1789頁)を踏襲している(最二決平成21年9月30日家月61巻12号55頁)。
最終更新:2014年03月15日 22:14