<目次>


■1.憲法論と、政治的スタンス5分類・8分類


日本の様々な憲法論を政治的スタンスに当て嵌めて概括すると下表のようになる。

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政治的スタンス 代表的論者 ベースとなる思想家/思想 補足説明 詳細内容
(1) 極左 伊藤真など護憲論者 J.-J.ルソーの社会契約論からさらに、アトム的個人主義と集産主義の結合形態(=左翼的全体主義)※説明に接近 「人権」「平和」を過度に強調し絶対視する共産党・社民党・民主党左派系の法曹に多い憲法論でありイデオロギー色が濃く法理論というよりは左翼思想のプロパガンダである(左の全体主義)
(2) 左翼 芦部信喜
高橋和之
修正自然法論(法=主権者意思[命令]説に自然法を折衷)+J.-J.ルソーの社会契約論 宮沢俊義→芦部信喜と続く戦後日本の憲法学の最有力説であり通説
※宮沢は有名なケルゼニアン(ケルゼン主義者)。芦部は自然法論者だが人権保障をア・プリオリ(先験的)な「根本規範」と位置づけており、その表面的な米国判例理論の紹介はポーズに過ぎず、実際には依然ケルゼン/ラートブルフ等ドイツ系法学の影響が強い
よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編)
(3) リベラル左派 長谷部恭男 H.L.A.ハートの法概念論(法=社会的ルール説)を一部独自解釈
※なお長谷部は社会契約論に依拠しているのか曖昧でハートの法概念論と辻褄が合うはずのハイエクの自由論は故意に無視している
近年の左派系憲法論(護憲論)をリードしている長谷部は芦部門下であるが、師のようなドイツ系法学パラダイムはもはや世界の憲法学の潮流からは通用しないことを認識しており、師の憲法論の中核である、①根本規範を頂点とした法段階説+②制憲権(憲法制定権力)説、を明確に否定して、英米系法学パラダイムへの接近を図っている。(※但しハートまでは受容しながらもハイエクを拒否している長谷部の憲法論は中途半端の誹りを免れず、これを一通り学んだ後は、より整合性のとれた阪本昌成の憲法論へと進むべきである) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編)
(4) 中間 佐藤幸治 人格的自律権に限定して自然法を認める独自説+J.ロックの社会契約論 芦部説の次に有力な憲法論であり、芦部説よりも現実妥当性が高いので重宝されるが(佐藤は佐々木惣一から大石義雄へと続く京都学派憲法学の系統)、法理論としては妥協的でチグハグと呼ばざるを得ない 佐藤幸治『憲法 第三版』抜粋
(5) リベラル右派 阪本昌成 H.L.A.ハートの法概念論(法=社会的ルール説)+F.A.ハイエクの自由論 20世紀後半以降の分析哲学の発展を反映した英米法理論に基礎を置く憲法論であり、法理論としての完成度/説得力が最も高いが、日本では残念ながら非常に少数派 阪本昌成『憲法1 国制クラシック』
(6) 保守主義 中川八洋
日本会議
E.コークの「法の支配」論+E.バークの国体論 日本会議・チャンネル桜系の憲法論も基本的にこちらに該当する。法理論というより「国民の常識」論であり、心情面からの説得力が高いが、(5)の法理論を一通り押えた上でこの立場を取らないと、いつの間にか(7)に堕する危険があるので注意。 中川八洋『国民の憲法改正』抜粋
(7) 右翼・極右 いわゆる無効論者 ヘーゲルの法概念論・共同体論およびそれに類似した全体主義的論調 「伝統」「国体」などを過度に強調し絶対視して「右の全体主義」化した憲法論(左翼憲法論の裏返しであり、左翼からの転向者が嵌り易い。法理論というより右翼イデオロギーのプロパガンダ色が濃い)

政治的スタンス5分類・8分類+円環図
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政治的スタンス毎の憲法論の違いは、①「人権」と②「国民主権」の捉え方に顕著に現れる。
このうち、①「人権」に関しては、「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のためにを参照。
政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価では、(2)~(6)の各々の政治的スタンスの代表的な②「国民主権」論を列記したのち、総括する。


■2.LEC(法律試験予備校大手)の「国民主権」論(リベラル左派~中間派)

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<目次>


LEC『C-Book 憲法Ⅰ《総論・基本的人権》』 p.65~ 国民主権

一 主権の意味

国家の統治権としての主権 統治権としての主権国家権力そのもの(国家の統治権)というときの主権 ex. 「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州、及ビ四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」(ポツダム宣言8項)
最高独立性としての主権 国家への主権の集中(最高独立性)というときの主権 ex. 「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」(前文3段)
国政の最終決定権としての主権 国家における主権の所在(国政の最終決定権)というときの主権 国の政治の在り方を最終的に決定する力または権威という意味であり、これが国民に存することを国民主権という。
ex. 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」(前文1段)

ニ 国民主権の意味

《問題の所在》

日本国憲法は、前文第1段で「主権が国民に存する」、1条で「主権の存する日本国民」と規定し、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用している。
それでは、ここにいう「国民」を全国民と考えるべきか、それとも有権者の総体と考えるべきか。
国民主権の原理において、国の政治の在り方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという権力的契機と、国家の権力行使を正当づける究極的な権威は国民に存するという正当性の契機をどのように考えるかという点と関連して問題となる。

《考え方の筋道》

Step① 憲法は個人の尊厳を確保するため、政治は国民の自律的意思による政治でなければならず、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用した(前文1段、1条)
   ↓ この点
Step② 主権者たる国民を有権者の全体と捉え、「主権」の本質を憲法制定権力であるとして、有権者としての国民が国政の在り方を直接かつ最終的に決定すること(権力的契機)が国民主権であると考える見解もある。
   ↓ しかし
Step③ それでは、独裁を許す危険があり、また、国民が主権者たる国民とそうでない国民とに二分され、治者と被治者の自同性に反し、妥当でない。
   ↓ そこで
Step④ 基本的には、国民主権とは、主権者たる国民は一切の自然人である国民の総体と捉え、国民主権とは全国民が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠であると解する。
   ↓ ただ
Step⑤ 憲法改正権の存在(96条)等から、国民(有権者)が国の政治の在り方を直接かつ最終的に決定するという権力的契機も不可分に結合していると解すべきである(折衷説)。
   ↓ 
Step⑥ 以上のように解すると、原則として国民は直接には権利行使をなしえないから、代表民主制の採用が必然となり、代表者たる議員は「全て」の国民の代表者となる(43条Ⅰ参照)。

《アドヴァンス》

有権者主体説 「国民」を有権者の総体と考える見解。
  a-1
主権=憲法制定権とすることを根拠とする説(清宮)
主権を憲法制定権(力)、すなわち一定の資格を有する国民(選挙人団)の保持する権力(権能)とする。
従って、憲法制定権の主体である国民には天皇を含まず、また権能を行使する能力のない、未成年者も除外されるとする。
→権力的契機を重視するが、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示していない
(批判)
①全国民が主権を有する国民と主権を有しない国民とに二分されることになるが、主権を有しない国民の部分を認めることは民主主義の基本理念に背く。
②選挙人の資格は法律で定めることとされているため(44)、国会が技術的その他の理由に基づいて年齢・住所要件・欠格事項等を法律で定めることによって主権を有する国民の範囲を決定することとなり、論理矛盾となる。
③代表民主制を国政の原則とする前文の文言と、解釈上必ずしも適合的でない。
a-2
フランスの議論を採り入れる説(杉原)
日本国憲法は、リコール制を認めたと理解しうる15条1項や、95条、96条1項のように人民(プープル)主権に適合する規定もあるが、基本的な性格としては、43条1項や51条に示されているように国民(ナシオン)主権を基礎とする憲法である。
しかし、憲法の歴史を踏まえた将来を展望する解釈が必要であるから、日本国憲法の解釈は人民(プープル)主権の論理に基いてなされなければならない。
従って、国民の意思と代表者の意思を一致させるために、43条の国民代表の概念や51条の議員の免責特権の再検討が要請される。
→権力的契機の重視とともに、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示している。
(批判)
上記①から③の批判に加え、フランスの議論は必ずしも全ての国の憲法に法律的意味においてそのまま妥当する議論ではない、という批判がなされている。
全国民主体説(宮沢、橋本) 「国民」を、老若男女の区別や選挙権の有無を問わず、一切の自然人たる国民の総体をいうとする見解。
→このような国民の総体は、現実に国家機関として活動することは不可能であるから、この説にいう国民主権は、天皇を除く国民全体が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠だということを観念的に意味することに過ぎなくなる。
(批判)
国民に主権が存するということが、建前に過ぎなくなり、国民主権と代表制とは不可分に結びつくが、憲法改正の国民投票(96)のような、直接民主制の制度について説明が困難になる。
折衷説(芦部) 「国民」を、有権者(選挙人団)及び全国民の両者として理解する見解。
→「国民」=全国民である限りにおいて、主権は権力の正当性の究極の根拠を示す原理であるが、同時にその原理には、国民自身(≒有権者の総体)が主権の最終的な行使者(憲法改正の決定権者)だという権力的契機が不可分の形で結合しているとする(ただし、あくまでも正当性の契機が本質)

【ナシオン(Nation)主権とプープル(peuple)主権】
フランスの主権論 ナシオン主権 プープル主権
憲法 1791年憲法 1793年憲法
主権者 Nation <仏> (= Nation <英>) Peuple <仏> (= People <英>)
国民 観念的統一体としての国民 →具体的人間の集合体という意味はない 具体的に把握しうる諸個人の集合体としての国民
権力行使 授権によってのみその権力を行使しうる →専ら代表制(代表者としての立法府と君主を指定) 国民が直接権力行使を行う →直接民主制が徹底した形
授権の内容 代表者意思に先行するナシオン自身の意思なし 代表機関の意思のほかにプープル自身の意思あり
契機 国家権力の正当性の根拠が国民に存する 主権の権力契機が前面に出て、最高権力を行使するのはプープル
諸制度 制限選挙・自由委任 普通選挙・命令委任
歴史的意義 絶対王政を否定すると同時に市民革命がより貫徹されること抑圧す機能をもつ(現状維持的) 市民革命の課題をより貫徹する勢力のシンボルとして機能(現状変革的)

《One Point》

学説では、折衷説が近時の通説であり、全国民主体説はかつての通説、有権者主体説は少数説です。
なお、本論点は、憲法が明文で定めた場合(79Ⅱ、95、96)以外に国政において直接民主制の採用(ex. 一定の事項についての国民投票、有権者による衆議院解散請求の制度)が認められるかという論点と関連します。
この点に関しては、フランスの議論をとり入れる説に立てば当然に肯定説につながりますが、それ以外の説からは論理必然的に帰結が導かれるものではありません。

《How To》

近時の通説である折衷説に立つのがよいでしょう。
なお、折衷説を論じる際、論証が長くなりがちです。
直接民主制の採用に関する問題等、本論点が前提として問われた場合には、コンパクトに論じることが必要でしょう。


■3.芦部信喜の「国民主権」論(リベラル左派)

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芦部信喜『憲法 第五版』(2011年刊) 第三章 国民主権の原理 p.35以下 

<目次>

一 日本国憲法の基本原理

日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つを基本原理とする。
これらの原意がとりわけ明確に宣言されているのが憲法前文である。

◆1.前文の内容


前文とは、法律の最初に付され、その法律の目的や精神を述べる文書であり、憲法前文の場合には、憲法制定の由来、目的ないし憲法制定者の決意などが表明される例が多い。
もっとも、その内容はそれぞれの国の憲法によって異なる。
日本国憲法前文は、国民が憲法制定権力の保持者であることを宣言しており、また、近代憲法に内在する価値・原理を確認している点で、きわめて重要な意義を有する。

前文は四つの部分から成っている。
一項の前段は、 「主権が国民に存すること」、および日本国民が「この憲法を確定する」ものであること、つまり国民主権の原理および国民の憲法制定の意思(民定憲法性)を表明している。
ついで、それと関連させながら、「自由のもたらす恵沢」の確保と「戦争の惨禍」からの解放という、人権と平和の二原理を謳い、そこに日本国憲法制定の目的があることを示している。
それを受けて、一項後段は、 「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と言い、国民主権とそれに基づく代表民主制の原理を宣言し、最後に、以上の諸原理を「人類普遍の原理」であると説き、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」として、それらの原理が憲法改正によっても否定することができない旨を明らかにしている。
二項は、 「日本国民は、恒久の平和を念願」するとして、平和主義への希求を述べ、そのための態度として、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信て、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言する。
三項は、 国家の独善性の否定を「政治道徳の法則」として確認し、
四項は、 日本国憲法の「崇高な理想と目的を達成すること」を誓約している。

◆2.基本原理相互の関係


前文に盛られた国民主権原理、人権尊重主義、平和主義の原理は、次のように相互に不可分に関連している。

(一)人権と主権


第一に、基本的人権の保障は、国民主権の原理と結びついている。
専制政治の下では、基本的人権の保障が完全なものと成り得ないことは当然であり、民主主義政治の下で初めて人権保障が成立する。
先に指摘した前文一項の文書は、明らかに、国民主権およびそれに基づく代表民主制の原理(狭義の民主主義)が基本的人権の尊重と確立を目的とし、それを達成するための手段として、不可分の関係にあることを示している。

自由(人権)は「人間の尊厳」の原理なしには認められないが、国民主権、すなわち国民が国の政治体制を決定する最終かつ最高の権威を有するという原理も、国民がすべて平等に人間として尊重されて初めて成立する。
このように、国民主権(民主の原理)も基本的人権(自由の原理)も、ともに「人間の尊厳」という最も基本的な原理に由来し、その二つが合して広義の民主主義を構成し、それが、「人類普遍の原理」とされているのである(第18章三3図表参照)

(二)国内の民主と国際の平和


第二に、人間の自由と生存は平和なくして確保されないという意味で、平和主義の原理もまた、人権および国民主権の原理と密接に結びついている。
国内の民主主義と国際的平和の不可分性は、近代憲法の進化を推進してきた原理だと言ってもよい。

◆3.前文の法的性質


以上のような基本原理を明らかにしている日本国憲法の前文は、憲法の一部をなし、本文と同じ法的性質をもつと解される。
従って、たとえば前文一項の、「人類普遍の原理・・・・・・に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」という規定は、憲法改正に対して法的限界を画し、憲法改正権を法的に拘束する規範であると解される(憲法改正権の限界については、第18章三3参照)。

しかしながら、これは前文に裁判規範としての性格まで認められることを意味しない。
裁判規範とは、広い意味では裁判所が具体的な訴訟を裁判する際に判断基準として用いることのできる法規範のことを言うが、狭い意味では、当該規範を直接根拠として裁判所に救済を求めることのできる法規範、すなわち裁判所の判決によって執行することのできる法規範のことを言う。
前文の規定は抽象的な原理の宣言にとどまるので、少なくとも狭い意味での裁判規範としての性格はもたず、裁判所に対して前文の執行を求めることまではできない、と一般に解されている。
この点に関して問題となるのが、前文二項の、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」という文章に示されている「平和的生存権(*)」である。
学説では、右規定の(狭い意味での)裁判規範性を認めることは出来るとし、平和的生存権を新しい人権の一つとして認めるべきであるという見解も有力である。
しかし、平和的生存権は、その主体・内容・性質などの点でなお不明確であり、人権の基礎にあってそれを支える理念的権利ということは出来るが、裁判で争うことの出来る法的権利性を認めることは難しい、と一般に考えられている。

(*) 平和的生存権
平和的生存権という考えは、自衛隊違憲訴訟において、1960年代から主張されたものである。
平和的生存権は、「平和を享受する権利」を意味し、憲法9条の戦争の放棄の原則との関連で、平和を人権として捉えるという意図に基づくものである。
具体的には、基地付近の住民が基地の撤廃を裁判所に求める場合の「訴えの利益」を基礎づけるために主張された。
しかし、判例においては、長沼事件(第四章三3*参照)一審判決は、平和的生存権を訴えの利益の一つの根拠として認めたが、二審判決はこれを否定し、最高裁判所でも前文二項の裁判規範性は実質的に認められなかった。

ニ 国民主権

国民主権の原理は、絶対主義時代の君主の専制的支配に対抗して、国民こそが政治の主役であると主張する場合に、その理論的支柱とされた観念で、近代市民革命の成立以後、国家統治の根本原理として近代立憲主義憲法において広く採用されている。
もっとも、その原理の内容を具体的にどのように理解するかについては様々な見方が示されてきており、現在もなお活発な議論が展開されている。

◆1.主権の意味


主権の概念は多義的であるが、一般に、
国家権力そのもの(国家の統治権)、
国家権力の属性としての最高独立性(内にあっては最高、外に対しては独立ということ)、
国政についての最高の決定権、
という3つの異なる意味に用いられる。

これは歴史的な理由に基づく。
すなわち、主権という概念は、絶対主義君主が中央集権国家をつくりあげていく過程において、君主の権力が、封建領主に対しては最高であること、ローマ皇帝に対しては独立であることを基礎づける政治理論として主張された概念であった。
ところが、「朕は国家なり」の思想が支配していた専制君主制国家では、3つの主権概念は「君主の権力」という形で統一的に理解されていたが、その後、君主制の立憲主義化にともなって国家の概念も変化し、君主の権力と国家権力とは区別して考えられるようになり、主権の概念が3つに分解したのである。

(一) 統治権 ①の国家権力そのものを意味する主権とは、国家が有する支配権を包括的に示す言葉である。
立法権・行政権・司法権を総称する統治権(Herrschaftsrechte, governmental power)とほぼ同じ意味で、日本国憲法(41条)に言う「国権」がそれにあたる。
統治権という意味の主権の用例は、ポツダム宣言8項「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限サラルベシ」という規定にみられる。
(ニ) 最高独立性 ②の国家権力の最高独立性(国家権力の主権性とも言われる)を意味する主権は、主権概念の生成過程から言えば、本来の意味の主権の概念である。
憲法前文3項で、「自国の主権を維持し」という場合の主権がその例であるが、そこでは国家の独立性に重点が置かれている。
(三) 最高決定権 ③の国政の最高の決定権としての主権とは、国の政治のあり方を最終的に決定する力または権威という意味であり、その力または権威が君主に存する場合が君主主権、国民に存する場合が国民主権と呼ばれる。
憲法前文1項で「ここに主権が国民に存することを宣言し」という場合の主権、および1条で「主権の存する日本国民の総意」という場合の主権がこれにあたる。

◆2.国民主権の意味


「国民主権」がいかなる意味・内容を有するかについては、さまざまの議論があるが、ここでは、次の2点を注意しておきたい。

(一)主体について


第一は、国民主権の観念は、本来、君主主権との対抗関係の下で生成し、主張されてきたもので、君主主権であることは国民主権ではなく、国民主権であることは君主主権ではない、という相反する関係にあることである。
従って、主権は君主にあるのでも国民にあるのでもなく、国家にあるとか、主権は天皇を含む国民全体にあるとか、という趣旨の説明は、戦後よく主張されたが、政治的な配慮に基づく考え方で、理論的には正当とは言い難い。

戦前のドイツで支配的な学説であった国家法人説は、先に触れたように(第二章一2*参照)、国家は法的に考えると法人、すなわち権利(統治権)主体であり、君主はその最高機関であると説き、君主主権か国民主権かは、国家の最高意思を決定する最高機関の地位に君主が就くか国民が就くかの違いにすぎない、と主張した。
そして、「主権」という概念は国家権力の最高独立性を示す本来の概念としてのみ用いるべきであるとし、君主主権か国民主権かという近代憲法が直面した本質的問題を回避しようとした。
それは、急激な民主化を好まない19世紀ドイツの立憲君主制に見合った理論であった。

この国家法人説は、明治憲法の下では天皇機関説に具体化され、憲法の神権主義的性格を緩和する役割を果たした。
しかし、国民主権の確立した日本国憲法の下では、もはやその理論的有用性をもたない。

(ニ)権力性と正当性の両契機


第二に注意を要するのは、国民主権の原理には、2つの要素が含まれていることである。
一つは、 国の政治のあり方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという権力的契機であり、
他の一つは、 国家の権力行使を正当づける究極的な権威は国民に存するという正当性の契機である。

もともと国民主権の原理は、国民の憲法制定権力(制憲権)の思想に由来する(第一章四2参照)。
国民の制憲権は、国民が直接に権力を行使する(具体的には、憲法を制定し国の統治のあり方を決定する)、という点にその本質的な特徴がある。
ところが、この制憲権は、近代立憲主義憲法が制定されたとき、合法性の原理に従って、自らを憲法典の中に制度化し、
国家権力の正当性の究極の根拠は国民に存するという建前ないし理念としての性格をもつ国民主権の原理、および、
法的拘束に服しつつ憲法(国の統治のあり方)を改める憲法改正権
に転化したのである(そのため改正権は、「制度化された制憲権」とも呼ばれる。この点につき、なお、第八章三3参照)。

以上のような国民主権の原理に含まれる2つの要素のうち、主権の権力性の側面においては、国民が自ら国の統治のあり方を最終的に決定するという要素が重視されるので、そこでの主権の主体としての「国民」は、実際に政治的意思表示を行うことのできる有権者(選挙人団とも言う)を意味する。
また、それは、国民自身が直接に政治的意思を表明する制度である直接民主制と密接に結びつくことになる。
もっとも、国民主権の概念に権力的契機が含まれていると言っても、憲法の明文上の根拠もなく、国の重要な施策についての決定を国民投票に付する法律がただちに是認されるという意味ではない(憲法上認められるのは、国民投票の結果がただちに国会を法的に拘束するものではない諮問的・助言的なものに限られよう)。
主権の権力性とは、具体的には、憲法改正を決定する(これこそ国の政治のあり方を最終的に決定することである)権能を言う。
これに対して、主権の正当性の側面においては、国家権力を正当化し権威づける根拠は究極において国民であるという要素が重視されるので、そこでの主権の保持者としての「国民」は、有権者に限定されるべきではなく、全国民であるとされる。
また、そのような国民主権の原理は代表民主制、とくに議会制と結びつくことになる。

日本国憲法における国民主権の観念には、このような2つの側面が並存しているのである。(*)
従って、国家権力の正当性の淵源としての国民は「全国民」であり、すべての「国家権力は国民から発する」、ということになる。
しかし同時に、国民(有権者)が国の政治のあり方を最終的に決定するという権力性の側面も看過してはならない。
そのように考えるならば、憲法96条において憲法改正の是非を最終的に決定する制度として定められている国民投票制(第十八章三2(ニ)参照)は、国民主権の原理と不可分に結合するものと解されよう。

(*) ナシオン主権とプープル主権
フランスでは、市民革命期に君主主権を否定して制定された新しい立憲主義憲法の主権原理として、ナシオン(nation)主権をとるかプープル(peuple)主権をとるか争われ、この2つの対立が第二次大戦後の憲法にまで及んでおり、日本でも「国民主権」をその概念を用いて説明する学説が少なくない。
しかし、もしナシオンの意味を「国籍保持者の総体としての国民(全国民)」、プープルの意味を「社会契約参加者(普通選挙権者)の総体としての国民(人民)」と解すれば、2つの主権原理は、本文に説いた主権主体としての「全国民」と「有権者団」の区別に対応するが、ナシオンは、具体的に実存する国民とは別個の、観念的・抽象的な団体人格としての国民の意だと一般に解されており、またプープルも、「今日では性別・年齢別の差なく文字どおりの『みんな』」だと解する説が有力であることに、注意すべきである。
しかも、同じプープル主権を説く場合でも、「主権」の意味について、「統治権」と解する説もあれば権力の正当性の究極的根拠と解する説もあるなど、見解に大きな相違がみられる。
(*) 憲法制定権力
憲法をつくり、憲法上の諸機関に権限を付与する権力([英] constituent power, [仏] pouvoir constituant, [独] verfassungsgebende Gewalt)。
制憲権とも言われる。
国民に憲法をつくる力があるという考え方は、十八世紀末の近代市民革命時、とくにアメリカ、フランスにおいて、国民主権を基礎づけ、近代立憲主義憲法を制定する推進力として大きな役割を演じた。
フランスのシェイエス(Emmanuel J. Sieyes, 1748-1836)が『第三階級とは何か』(1789年)を中心に展開した見解がその代表である。
制憲権と国民主権との関係につき、第三章二2(ニ)参照。


■4.佐藤幸治の「国民主権」論(中間派)

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佐藤幸治『憲法 第三版』(1995年刊)


<目次>


第一編 憲法の基本観念と日本国憲法の展開
第一章 憲法の基本観念
第四節 憲法と国家と主権 p.54以下


Ⅰ. 国家


(1)国家の概念


上述のように、憲法は国家生活のあり方にかかわる法であることから、そのことの関係で国家とはそもそも何かについて若干論及しておく必要がある。

国家と呼ばれる社会団体の存在性格・様式は、時代によりまた所により一定しないが、近代国家は、一定の地域を基盤として、その所属員の包括的な共同目的の達成を目的に、固有の支配権によって統一された非限時的の団体であるという点で概ね共通している。
このように、国家の本質を、地域、所属員、固有の支配権の3要素に集約せしめて理解しようとする見解は、一般に国家3要素説と呼ばれる。

(中略)

第三の要素である固有の支配権は、「国権」とか「統治権」とかあるいは「主権」とか呼ばれる。
「国権」は、伝統的な見解にあっては、国家の法上の人格すなわち国家の意思力を指す観念とされ(ここから国権の唯一不可分性が帰結される)、それに対して「統治権」は国家が国際法および国内法上有する権利の総体である(従って統治権は可分となる)として国権と区別されることもあるが、今日では、国権と統治権は同義に使用されることが多い。
「統治権」の内容は国によって一様ではありえないことになるが、国家である以上次の3種の基本的能力、すなわち、①領土内にある人および物を支配する権利たる領土高権、②国家の所属員を支配する権利たる対人高権、③国家の組織・権限の有り様を自らの意思により定めることのできる権利たる自主組織権(権限高権)、を備えているものでなければならない、とされる。
なお、また、「国権」または「統治権」は「国家において統治活動をなす権力」の意味で用いられることもある(日本国憲法41条にいう「国権」はその例であるとされる)。
「主権」の語も多義的で、国権あるいは統治権と同義に用いられることのほか、国権の属性としての最高独立性の意味で用いられたり、また国家の統治活動の有り方を最終的に決定する力ないし権威の意味で用いられたりすることがるが、この点については後述する。
国家の第三の要素としての支配権は、国際組織が発達し相互依存的な今日の国際社会にあっては、かつてと違って様々な制約を受けることが多くなる傾向にある。

(2)国家の法人格性


(イ)国家の法人格性

法的認識の問題としてみた場合、国家は一個の統一的法秩序を形成しているといえようが、この法秩序の統一性をもって擬人的に法人格と称されることがあり、この意味で国家は法人格を有する、つまり国家は法人であるとみることができる。
さらに、国家は、実定法の内容に照らして、人格を有するとみなされる、というように言われる。
我が国の現行法上、国家は、財産権の主体としての関係において「国庫」と呼ばれ(民法239条・959条)、「国債」を負担したり、「国有財産」を有することが認められ、また、対外的な国際法上の関係において法主体として登場する。
この意味における国家の法人格性の範囲は、専らそれぞれの国家の実定法の定めるところによって決まることになる。

(ロ)国家法人説

19世紀ドイツにおいて登場し、我が国に多大の影響を及ぼした国家法人説は、右に述べたような意味での国家の法人格性を超えて、独特の意義と背景をもつものであったことが注目される。
つまり、国家法人説は、国家をもって社会学的には社団であり、法学的には法人であるとするとともに、従来の主権観念をもって専らかかる国家自体の特性を示すものとして把握し、それ以外の主権の意味を回避しようとしたところに特徴をもつものであった。
国家自体が意思力をもち、本来の主権はその意思力の最高性を示す観念として把握される。
このように国家の統治の有り方を最終的に決めるのは人格としての国家であるとする(国家主権説。ここでの国家主権は、国家が対外的に独立しているという意味での国家主権と異なることに注意)背景には、一方では絶対主義的君主主義論を克服し、他方では国民自身による積極的・具体的な統治を追求する国民主権論を抑止しようとする政治的低意が働いていたことが指摘される。
アメリカ合衆国などのように国民主権の確立した国において、とりたてて国家法人説が主張され発展せしめられることのなかったのは、まさにこの説のもつかかるイデオロギー性を示しているといえる。
他方、神権的国体観念を払拭しきれなかった明治憲法下において、国家は法人にして天皇はその機関とする天皇機関説は、結局において、「民主共和の説」として排撃されるところとなる。

国家法人説は、このように法人たる国家に主権があるとしたが、いわゆる国家の自己制限ないし自己義務づけの理論によって、主権の最高独立性と国家の被法的拘束性とを両立せしめ、そのことによってまた個人の自由の観念とも調和せしめようとした。
しかし、個人の「自然権」を基礎とする徹底した立憲民主主義の観点からすれば、いわゆる国家法人説は、国家の統治の正当性の契機を回避するとともに(従来の君主主権か国民主権かの問題は、国家意思を供給する国家機関の組織のあり方の問題と化す)、結局において国家の絶対性を措定し、個人の自由の観念と調和困難な説(国家固有の統治権はしばしば無条件に団体員を支配しその意思を規律しうる力であると説かれる)として受け入れ難いものとみなされざるをえないことになる。

もっとも、政治社会には唯一の究極的で絶対的な権威ないし権力が存しなければならないという観念たる「主権」は、結局のところ抽象的人格性を備える国家に帰属すると考えるとしても(その意味では国家主権説)、そのような属性をもつ国家を誰の権威でどのように運営するかの問題は残り、その主体的・具体的意思・権威はどこにあるかの問題こそ君主主権か国民主権かの問題である、というように考えることはできる。

国家と人権との関係をめぐる問題は後述するので(とくに第四編)、次に国家と主権と憲法との関係をめぐる問題をもう少し立ち入って考察することにしたい。

Ⅱ. 主権


(1)主権観念の展開


(イ)主権観念の登場

主権観念は、まず、フランス王権について、対外的にはローマ皇帝およびカトリック法王の権威・権力からの独立性を、体内的には封建諸侯に対しての優越性を、示すものとして登場した。
この主権観念の確立に理論的指導性を発揮したのはバーダンで、彼は、主権は国家の絶対的かつ恒久的権力であって、最高、唯一、不可分のものであり、すべての国家にとって不可欠の要素であると説いた。
そしてかかる主権観念は、近代国家への移行過程において他のヨーロッパ諸国でも広く用いられるようになる。
この段階では、国家は君主と一体的に観念されていたから(「朕は国家なり」)、国家自体の主権とその国家内において最高意思はどこにあるかということ(国家内における最高権の問題)とは次元を異にする別個の問題であることは十分意識されていなかった。
しかるに、君権に対する市民層の不満を背景に、国民主権ないし人民主権が登場するに及んで、主権論の力点は国家内の最高権の所在の問題に向けられることになる(もっとも、この段階でも君主を人民に取って換えただけで、人民即国家と考える傾向がみられる)。

(ロ)国民主権・人民主権

(a) 国民主権論は、近代自然法論に依拠する社会契約説を根拠に登場した。
社会契約説は、その理論構成如何によっては、なお君主主権を根拠づけるところともなるが(ホッブズ)、一般に、あくまでも各人の自然権の保全を基軸に考え、その保全に必要な限度での統治の権力の信託という構成をとることによって国民主権を帰結した(ロック)。
つまり、国家権力を支えるのは国民であり、国民の支持がある限りにおいてのみその行使が正当化される。
しかしこの見解は、国民主権の名にふさわしい実をあげる具体的方法・プロセスを明確にしていないきらいがあった。
(b) 同じく社会契約説に立脚しつつ、それを単に国家統治の正当性の根拠とするにとどまらず、国民による直接統治を帰結する説(ルソー)は、右の国民主権論に対する批判にして一つの解答であったとみることができる。
そこでは、主権は子かを構成する全人民の、常に共同の利益を欲して誤ることのない一般意思として把握され、具体的には一般意思は立法意思と同一視され、それは全市民の参加によって行使されるものとみなされた。
主権は絶対的なもので、不可分・不可譲・不可代表の性質をもつ。
それは議会制を否定する徹底した直接民主主義的人民主権論であるが、従来の絶対主義的君主主権を端的に人民に取って換えたきらいがあり、現実の国家の実態に即した理論としては無理な性格のものであった。
一般意思は常に共同の利益を欲する意思だとされるが、具体的な立法意思がそうであるという保障はなく、絶対的な一般意思の名における個人や少数者の抑圧という可能性は常に存する(ルソーの人民主権論が後世において人民独裁の国家論と評されることのある理由はここにある)。
また、主権は不可分だとされるが、主権の主体としては具体的な個々人ないしその総体が想定されていて、理論的整合性の点でも問題を孕んでいた。
(c) このような国民主権論、人民主権論の問題性の文脈においてみると、国民主権を基本的に憲法制定権力として把握しようとする説(シェイエス)は注目すべき見解であったといわなければならない。
そこでは、「憲法を制定する権力(pouvoir constituant)」と「憲法によってつくられた権力(pouvoirs constitues)」とが区別される。
そして、前者は、自然法の下に、国民がこれを有し、単一不可分であり、それ自体いかなる形式にも服することのない、「意欲しさえすれば十分である」万能の存在であるとされ、他方後者は、憲法制定権力の制定した憲法によって組織されるところの立法権・執行権といった権力で、憲法による規制下に立つ存在であるとされた。
ここではルソーの一般意思と同様主権の絶対性が措定されつつも、他方憲法制定権力と立法権との本質的区別がなされることによって、代議制や権力分立制と結合する途が開かれたのである。

この憲法制定権力の観念は、右のシェイエスにみられるように徹底して理論化されるということはなかったが、アメリカにおいていち早く現実のものとなった。
権力の根源である国民が人為的に制定した成文の憲法によって国家の統治構造と国民の権利を定め、国政の運営およびそれにまつわる問題の解決は全てこの成文の憲法に立ち返って行なうという行き方が定着した。
アメリカの憲法制定権力は、ヨーロッパのそれのように激しく対立すべき“敵”(アンシャン・レジーム)をもたず、当初から民主的基盤の上に成立したことが関係してか、本質的に非実体的・非権力的で、憲法制定会議とその成案の承認を通じて、法律よりも高次の妥当性を根拠づけるという機能に基本的に集約される。
それには、アメリカの立憲主義がイギリスの古典的立憲主義と必ずしも切断されず、むしろある面ではそれを引き継ぐ形で成立したものであること、第二に、アメリカの憲法制定権力は、革命初期の諸邦における立法権優位の経験に基づく反動として、個人の諸権利を確実なものとするという保守的な土台の上に構想されたものであること、などが関係していたと思われる。
(d) フランス革命期は、君主主権、国民主権、ルソー流人民主権、シェイエス流憲法制定権力など様々な観念が競い合った時代であった。
1789年の「人および市民の権利宣言」にはルソー的思想の影響が指摘されているが、1791年の憲法は、君主主権を否定すると同時に、ルソー流人民主権をも斥けて、国民主権に与する姿勢を明確にした。
そこでは、「主権は、単一、不可分、不可譲で時効にかかることがない。主権は国民に属する」とされるが、「権力の唯一の淵源である国民は、委任によってのみその権力を行使しうる。フランスの国家体制は代表制である」と明言されている。
つまり、主権者たる「国民(nation)」は抽象的な観念的統一体としての国民であって、それ自体として具体的な意思・活動能力を備えた存在ではありえず、委任(包括的・集団的な代表委任)が不可避的に帰結されたのである。
代表と被代表との間の選任関係を不可欠の要素とせず、制限選挙制が採用され、訓令委任が禁止されたことなどは、いずれも国民(nation)主権の帰結であった。
他方、シェイエス流憲法制定権力は、憲法を制定し変更する権力として一括して把握されてものであったが、91年憲法においては、制定権力と改正権とに分離され、改正権は法的統制下におかれるとされる一方、制定権力は依然として法的統制を受けない存在であるものの、観念化され、憲法の妥当性を根拠づけるという機能に封じ込ようとする姿勢が示された。

ところが、93年憲法は、国民主権を斥けて、むしろ人民主権の考え方に依拠することを明らかにする。
ここでの「人民(peuple)」は、もはや抽象的な観念的統一体としての存在ではなく、それ自体活動能力を備えた具体的に把握できる存在である。
かくして、憲法改正のイニシアティヴは第一次集会に組織された人民に帰属せしめられ、また「人民が法律につき表決する」ものとされた。
そして、男子普通選挙制の下で直接選挙によって選出された立法府が統治機構の中で極めて高い地位を占めていることも見逃せない点である。
(e) 右にみたように、フランスにおいては国民主権と人民主権とは別個のものとして区別され、両者間の葛藤が歴史を彩ることとなるが、選挙権の拡大につれ次第に議会は実在する民意を忠実に反映すべきであると考えられるようになり(第一節Ⅲ(7頁)参照)、第三共和制憲法下においてそうした考え方が定着するに至る。
理論上の曖昧さを残しながらも、実質的意味において人民主権への傾斜である。
他方、憲法制定権力論は、この第三共和制憲法の下で立憲主義が定着するにつれて後退し、むしろ制定権力をもって法の世界の外の問題と解し、法的には改正権のみが問題とされるようになる。
そして、さらには改正権と立法権との区別さえ曖昧化してしまう。
この点は法実証主義の強い影響下にあった19世紀後半のドイツ憲法学において一層顕著で、憲法改正権は立法権と同一視されている。

(ハ)国家主権権

国家主権論については、既に触れた。
繰り返せば、右の君主主権と国民主権・人民主権を忌避して、法人たる国家に主権が帰属するとしたもので、当時のドイツの法実証主義憲法学にいかにも相応しい考え方であったということができよう。
ここでは、主権の主体は法人たる国家に属するということで主権の人格性は残存しているが、本来の主権論からすれば主権観念の非人格化である。
主権観念は歴史的にみて公法学の領域から追放することはできないが、それを限定的に用いようとする態度であって、主権とは、国家権力が法的な自己決定および自己拘束をなす排他的能力をそれによってもつことになる、国家権力の特性である、などと説かれた。
この点さらに押し進めて、主権の主体の問題を認めず、むしろ法秩序の効力の属性の意味、つまり法秩序の至高性・非伝来性の意味において主権観念を捉えようとする見解も登場してくる。

(ニ)実力としての憲法制定権力

シェイエスによって主張された憲法制定権力は、右に見たように、ヨーロッパにあっては、立憲主義の確立過程において、法実証主義的思考傾向の下に、法の世界の外に放擲されたが、ワイマール憲法下において、シュミットによって新たな装いの下に再び重要な観念として導入されることになった。
彼は、ワイマール憲法前文の「ドイツ国民は、・・・・・・この憲法を制定する」の文言および1条の「国権は、国民より発する」という規定に着目し、それは憲法制定権力が国民にあること、つまり同憲法が国民主権主義に立脚するものであることを明確にしたものであると捉えたのである。
それでは、彼のいう憲法制定権力とは何か。
彼によれば、それは「自己の政治的実存の態様と形式に関する具体的な全体決定を下すことのできる、すなわち、政治的統一体の実存を全体として規定することができる実力または権威をもった政治的意思」であるとされた(この「憲法」を前提にしてはじめて妥当する憲法規定の集合は「憲法律」と呼ばれる)。
この憲法制定権力は、シェイエスの場合と違って自然法の観念を払拭した、すべての規範の上に立つ実力であり、そのこととも関連して制定権力の担い手は国民であることを要しないとされている(君主や少数者の組織も担い手でありうる)点に特色がある。
制定権力は、「移付され、譲渡され、吸収され、使い果たされることはありえ」ない、「可能態として常に存続」するものであるが、シェイエスの場合とは違って、憲法改正権とは峻別されている。(第三節Ⅱ(34頁)参照)。

シュミットの制定権力論は、主権の権力的契機を純粋に追求した結果得られた観念であったと解することができよう。
しかし、その実態は何かという段になると、喝采であり、現代国家では世論であることが示唆されるのみで、著しく神秘的色彩を帯びるものとなっている。

(2)実定法上の主権観念


以上主権観念の史的展開を瞥見したのみで、その他にも種々の主権観念がある。
そして第二次大戦後、シュミット流の活性的な決断主義的憲法制定権力論を否認ないし克服しようとする傾向が顕著である点は指摘しておく必要があろう。
ここではその委細について論及する余裕はないので、以下実定法とりわけ日本国憲法との関係で重要と思われる主権観念を整理し、その意義を再確認するにとどめておく。

明治憲法は、「統治権」という語を用いつつも「主権」という語は使用しなかったが、日本国憲法は、「主権」という語を何箇所かで使用し、むしろ「統治権」という語を用いてはいない。
「主権」についての明治憲法以来の有力な伝統的説明によれば、
最高権(自己の意思に反して他より制限を受けざる力)、
統治権(人に命令し強制する権利)、
国家内における最高機関の地位、さらには、
国家の意思力そのもの、
を指すといわれた(美濃部達吉)。

これらの意味の中、まず、①は、国家の意思力の最高性、独立性ないし自主性に着眼しているもので、国家の意思力の属性を示すものである。
日本国憲法前文に「この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、・・・・・・」とあり、あるいは平和条約前文に「連合国及び日本国は、・・・・・・主権を有する対等のものとして・・・・・・」とあるのが、その例である。
それに対して、④は、国家の意思力そのものを指してのもので、「国権」とか「統治権」とか呼ばれるものである。
「主権」が唯一不可分であるという場合の主権はこの意味であると説かれる。
もっとも、既に見たように、「国権」あるいは「統治権」という語自体がまた一義的でなく、「国権」は国家の意思力そのものを指すのに対し、「統治権」は国家が有する権利の総体であるとして区別され、国家である以上3種の基本的権利、すなわち地域的統治権または領土高権、対人的統治権または対人高権、自主組織権(権限高権)を有するものでなければならない、などと説かれる。
②は、このような「統治権」に対応するものということになる。
ポツダム宣言の8項に「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とあるのがその例であるとされ、あるいは、領土主権といい、領土の割譲を主権の割譲というがごときもその例であるとされる。

問題は、③の「主権」観念である。
明治憲法時代、「唯一最高無限ニシテ独立」という「主権」概念により、その「主権」の所在如何によって君主国体と民主国体に分かつ説もあったが(穂積八束)、右の説(美濃部説)はそうした「主権」観念を排して最高の機関の地位について語ろうとするものである。
すなわち、美濃部は、明治憲法の「最も重要な根本主義」として「君主主権主義」に言及したが、それは、「統治を行ふ力が君主にその最高の源を発すること」、つまり君主が国家の「最高の機関」として「統治の最高の源泉たる地位に存ますこと」と解し、そして、「憲法制定権力」と「被制定権力」とを区別し、前者はその性質上何らの拘束も受けないというシェイエスの所説に触れて明確にそれを排撃した。
「国民が憲法以上に在って憲法の拘束を受けないものとすることは国民に不断の革命の権利を認むることであって、恰も専制主義の君主主権説に於て君主の権力が憲法以上に超越し、何時でも憲法を廃止変更することが出来るとする説と同様の誤に陥いって居る」というのがその理由である。
美濃部は、第二次大戦後も、国家法人説的見地に立って、統治の権利主体は常に国家それ自身であると捉え、日本国憲法前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し」と明言し、本文1条に天皇の地位が「主権の存する日本国民の総意に基く」とあることをもって、「国家の統治権を行使する権能即ち国家の原始的直接機関として統治権を発動する力」が天皇から国民に移ったことを示すものと解した。
が、同時に、美濃部は、日本国憲法の成立に関し、いわゆる「八月革命」説に投じ、「憲法制定権」という言葉も使用したりして、「憲法制定権力」への傾斜を思わせる態度を示した。

この点、「国民主権」にいう「主権」とは、「国家の政治のあり方を最終的にきめる権力あるいは権威」であるとし、「シェイエス流に、『憲法制定権力』といってもいいかも知れない」と明言したのが宮沢俊義である。
そして、憲法にいう「国民主権」をそのような意味において理解する立場が支配的となったが、なおその具体的意味について解釈論上各種の考え方がありうるところで、その点については後に詳述する(第二編第一章第二節(92頁)参照)。


第二編 国民主権と政治制度
第一章 国民
第ニ節 主権者としての国民 p.92以下


Ⅰ. 日本国憲法下の国民主権論


(1)総説


日本国憲法は天皇主権を排して国民主権に立脚するが、その国民主権の意味ないし内容については必ずしも一義的に捉えきれないところがあり、実際様々な見解が存する。
以下主な諸見解に触れ、あわせてその問題点について述べる。

(2)最高機関意思説


いわゆる国家法人説的見地に立って、統治の権利主体は常に国家それ自身であるとの前提の下に、国民主権をもって、国家の意思力を構成する最高の機関意思、国家の原始的直接機関(ここに「直接機関」とは他の機関から委任されたのではなく、直接に国家の組織法によって国家機関たるものをいい、その中でも、他の直接機関を代表するものではなく、憲法上自己に固有のものとして認められる権能を有するものを「原始的直接機関」という)として統治権を発動する力が国民に属するとする主義であると解し、その国民とは参政権を与えられているものの全体であるとする見解がある。
この説によれば、理論上、主権の所在は憲法によって定まることになり、主権は憲法によって創設された最高権という意味合いをもつことになる(美濃部達吉は、国民主権は憲法の民定性を要求すると解しているようであるが、主権者をもって憲法・法律によって組織された国民と解する限り、憲法以前にそのような国民が存しうるのか疑問である。この点、佐々木惣一は、日本国憲法は欽定憲法であるとなし、ただ、日本国憲法の規定によれば、天皇の制定による欽定憲法というものは将来は存在しえないと説く)。
主権者たる国民からは一般に天皇は除かれる。
ただ、この国民は、雑然とした多数者であって常に直接国家意思を決定することはできないので、主権者たる国民の意思を現実に表示することを職分とする代表者が必要であり、日本国憲法上は国民の選挙によって選ばれる国会がそれにあたるとされる。

この見解は憲法発足当初有力に主張されたものであるが、次のような問題性が指摘されうる。
まず、 主権をもって機関意思と把握する以上行為能力が問題となり、そこでこの説は主権者を有権者とするのであるが、国民の中には主権者たるものと主権者でないものとがあることになって、国民主権の根本理念に反することにならないか。
第二に、 主権者たる国民は具体的には有権者とされるが、誰が有権者かは日本国憲法上基本的には法律で決まることになっていること(44条参照)、また、日本国憲法が国会をもって「国権の最高機関」としていること(41条)、との関係をどう考えるか。
第三に、 主権は憲法を生み出す力(憲法制定権力)と解すべきであって、憲法によって主権の所在が決まるというのは主権の本質を見誤るものではないか。
第四に、 論者によっては、国民主権をもって、国民が国権の源泉者または国権の「総攬者」であることの意味に解するが(佐々木惣一)、天皇が「総攬者」であると同じような意味において国民の「総攬者」を語りうるか否か。
第五に、 この説は、国民の選挙によって組織される国会が立法権を中心に国政を統括する地位に立つとすれば、国民主権の趣旨は満たされるとする傾きをもつが、国会の権能ももとより憲法による拘束下にあることをどう理解するか、また、選挙にそのような本質的契機を認めることは果たして妥当であろうか。

(3)憲法制定権力説


(イ)総説

最高機関意思説の右のような問題性を踏まえて、国民主権をもって憲法制定権力が国民にあるという趣旨に解そうとする見解が主張される。
もっとも、この点において基本的発想を共通にしつつも、仔細をみれば、さらに次のような諸説の分岐がみられる。

(ロ) 実力説 まず、憲法制定権力の本質を最高の実力に求める見解がある。
これは、上述の(第一編第一章第四節Ⅱ(57頁))シュミットの憲法制定権力論に通ずる見解である。
しかし、この見解に対しては、憲法制定権力が実力であるとして、その実態は何かという段になると一向に明らかにされないという批判、あるいは、最高の実力としての憲法制定権力にとって、憲法典の制定とはそもそも如何なる意味をもちうるのかという批判、が妥当する。
制定権力の実態は明らかにされず、しかも制定権力はそれを制約づけるもののない全能の存在ということになると、誰もが制定権力の行使の名において憲法を変更することを正当化する途が開かれていることにならないか。
そうなると、憲法はもはや法の世界ではなく、全く政治の世界そのものと化してしまわないか。
(ハ) 権限説 実力説の右の問題性を忌避して、実定的な「根本規範」の存在を想定し、憲法制定をもってかかる「根本規範」の授権に基づき(内容的制限を含めて)行われるところの機関としての行為として捉えようとする見解が登場する。
つまり、憲法制定権力は、厳密には憲法制定権限となる。
そしてここにいう「根本規範」とは、純粋法学流の仮設規範ないし法理論的意味における憲法ではなく、すべての成文憲法の前に妥当する、人間人格不可侵の原則を核とする価値体系にかかわる規範であるとされる。
かかる考え方に依拠して、一般に、権限主体は、シェイエスの場合と同様国民でなければならないとされ、そして君主主権に対峙する意味で国民からは天皇は除かれ、かつ機関としての行為が問題となることから具体的には有権者が想定される。

この見解に対しては、次のような問題性が指摘される。
まず、憲法制定の権限主体、制定の手続、制定さるべき憲法の内容を定める実定的な「根本規範」といったものはそもそも存在するのか。
第二に、人間人格不可侵の原則の実定性が承認されるとしても、その具体的内容および実現の方法は決して一様ではありえず、その違いが如何にして確定されるかはなお重大な問題として残るというべきではないか。
第三に、国民の中に主権の担い手たるものとそうでないものとの区別が生じ、国民主権の根本理念に反することにならないか(未成年者などの非有権者は、何故に憲法に従わなければならないのであろうか)。
第四に、有権者は日本国憲法上基本的には法律によって定められるが、憲法制定の権限主体が結局国会によって定められることになって不当ではないか。
(ニ) 監督権力説 主権者としての意思活動を憲法制定権力の発動と把握する立場に立ちつつ、国民主権の本質をもって、国民の代表の行なう統治に対して、同意を与えまたは与えない監督の権力たるところに求める見解が存する。
つまり、国民主権は、具体的な積極的行動を行なう組織化された主体にかかわるのではなく、国家の統治作用に同意を与えまたは与えないという受動的な作用を本質とするところの、現に生活しているすべての国民全体の「一般意思」の力であるところにその眼目があると解するのである。
国民主権国家にあっては、国権が国民の代表によって行われるにせよ、結局国民の同意が国政における決め手となることが力説される。

この見解は、実力説および権限説のそれぞれ有する問題性を免れ、と同時に国民主権における討論の自由(表現の自由の保障)と自由なる選挙の不可欠性を提示している点で優れた説というべきである。
が、そこでいう「一般意思」とは具体的に何であり、それは如何にして認定されるか、一時点における支配的意思が「一般意思」として絶対視される危険はないか、あるいは、国政は結局「一般意思」によって行われるということになって悪戯に現状肯定的な保守的説明手段に堕しないか、といった疑問がありえよう。
また、国民の同意が国政における決め手であるということであるとすれば、およそ国民が政治的意思を持つ限り、憲法の定め如何に関わりなく国民が主権者ということになりはしまいか、という疑問が生ずる。
それは、結局、いわゆる「事実の確認としての国民主権」論や後述のノモスの主権論に接近する。
(ホ) 最終的権威説 国民主権をもって、憲法制定権力が国民によって担われるという意味において把握するが、制定権力をもって実力とみたり権限とみたりせずに、統治を正当化すべき権威が国民に存するという意味において理解する見解が存する。
ここにおける国民とは抽象的な観念的統一体としての国民であって、およそ日本国民であれば誰でも包含され、天皇も私人としてみる限りこの国民に含まれると解することが可能となる。
この見解は、主権 = 憲法制定権力から権力的契機を徹底的に排除し、あくまでも権力の正当性の所在の問題として把握し、主権 = 憲法制定権力という実定法上の概念の名の下に憲法破壊ないし人権侵害が正当化されることを回避しようとする立場であると解することができる。
そして、主権者たる国民は権威の源泉としての国民であって、国家機関としての国民とは異なり行為能力を問題とする必要はなく、最高機関意思説や権限説のように国民の範囲をめぐる問題にかかわる必要はないという長所をもつ。
しかし他面、この説による国民主権はあまりにも無内容ではないか、国民主権はそこから一定の政治組織上の原則が帰納さるべき性質のものと捉えるべきではないか、の批判が加えられることになる。

(4)ノモスの主権説


主権をもって事実の世界から完全に切断し、純然たる法理念の問題として把握しようとする見解が存在する。
それによれば、いかなる権力も超えてはならない「正しい筋途」すなわちノモスがあるのであって、国の政治を最終的に決めるものが主権であるとすれば、主権はノモスにあるとみるべきであるとされる(因みに、ノモスは、古典古代のギリシャにおいて自然[ピュシス]の対立概念として考えられ、絶対的なものではなく破られやすいものではあるが、それに従うべきであるとされたものであるという)。
あるいは、この説は、法の効力根拠をノモスという道理・規範に求める説だとみる余地もある(*1)(そうだとすると、この説は、「根本規範」の存在を前提とする先の権限説に接近する)。

この説によれば、国民主権か君主主権かという問題は全く第二義的な問題と化してしまう。
事実、この説は、国民主権も君主(天皇)主権もすべてノモスという理念の支配であるから、明治憲法から日本国憲法に変っても「国体」は不変であると主張した。
しかし、仮にそのようなノモスが存在するとしても、具体的にどのような内容のノモスが、どのような方途を通じて支配するのか、という問題意識がこのノモスの主権説に欠落しており、天皇制の弁明としての性格をもつものであった。
ただ、国民主権の場合であっても、あるべき政治とは何かの課題は残るのであって、その限りでは、ノモスの主権説も考えるべき課題を提起しているといえよう。

(*1) 尾高朝雄はこのノモスの主権説の論者として知られるが、そのノモスの主権は結局のところ為政者への「心構え」の問題にとどまって、それに反する立法の無効の主張にまでは及ばなかった。
そこには、法の効力をもって「法的規範意味が事実の世界に実現され得るという『可能性』である」と捉える考え方が作用していたようである。
つまり、法の効力は当為のレヴェルではなく、事実のレヴェルにつなぎとめられていたからである。

(5)人民主権説


国民主権の主権をもって憲法制定権力と解することに反対し、主権を実定憲法秩序における国家権力の帰属の問題として捉えるべきであるとし、従って主権が国民にあるとされる場合の主権は、憲法秩序に取り込まれた構成的な規範原理として、国民をして実際の国政の上で最高権の存在に相応しい場を確保せしめるという民主化の作用を果たすべきものとみるみるべきであるとする見解が存する。
そして、国民主権をルソー流の人民主権の方向で把握するのがあるべき歴史的解釈であるとし、日本国憲法に即していえば、15条1項、79条2項・3項、96条1項などは人民主権に馴染む規定であると捉え、43条1項や51条の規定にかかわらず、命令的委任の採用は可能であると説く(命令的委任の意味は必ずしも明確ではないが、一般に、選挙で選ばれた代表者は選挙区の訓令によって行動する義務を負い、それに違反した場合には有権者によって罷免されうるという要求を内容とするようである)。

この見解は、まず、主権は法的権力であるが、憲法制定権力は法の外の世界に属する事象と捉えるところに特徴をもつ(この説によれば、主権 = 憲法制定権力という定式では、国民主権は建前と化し、結局現実の国政の場で国民を主権者たる地位から追放することになるという。)
しかし、主権観念が国家統治のあり方に最も根源的にかかわり合う憲法の制定に無関係とすることは問題で、ドイツのように、「ドイツ国民は・・・・・・その憲法制定権力に基づき、この基本法を決定した」(前文)とうたって、憲法制定権力を実定化している例のあることが留意さるべきである。
そして、主権 = 憲法制定権力と基本的に把握することが、直ちに主権観念をして無内容のものとすると解するべきではなく、後述のように一定の構成的作用を果たすものであるとみるべきであろう。
なお、フランス的文脈でいえば、いわゆる「国民主権」から「人民主権」へという定式が成り立つとしても(1946年憲法も58年憲法も、国の主権は人民(peuple)に属するとしている)、そのことから、一般的に、あるいは日本国憲法上、命令的委任が当然に帰結されるといえるかは問題で、この点については後述する(第二章(13頁)参照)。
国民代表の観念が、現実でないものを現実であるかのごとく装うという「イデオロギー」的性格をもつとすれば、命令的委任も、そのような「イデオロギー」的性格を免れえているわけではない。

Ⅱ. 国民主権の意義


(1)総説


以上みてきたように、日本国憲法下の国民主権の意味について諸種の見解が存するところであるが、今日国民主権は単一の次元においてのみ捉えるべきではなく、複数の次元を包摂する全体像において把握されるべきものと思われる。
すなわち、国民主権には、大別して、憲法を定立し統治の正当性を根拠づけるという側面と、実定憲法の存在を前提としてその憲法上の構成的原理としての側面とがあり、後者はさらに、国家の統治制度の民主化に関する側面と公開討論の場(forum)の確保に関する側面とを包含するものと解すべきである。

(2)憲法制定権力者としての国民主権


国民主権は、まず、主権という属性をもった国家の統治のあり方の根源にかかわる憲法を制定しかつ支える権力ないし権威が国民にあることを意味する。
この場合の国民は、憲法を制定した世代の国民、現在の国民、さらには将来の国民をも包摂した統一体としての国民である。
従って、この場合の国民は、基本的には、それ自体として国家の具体的な意思決定を行ないうる存在ではない。
換言すれば、雑然とした国民の全体を一つの観念で把握し、そこに一つの意思があると想定し(あるいはこれを一般意思と呼んでもよい)、その意思に国家の合法性の体系を成立せしめる究極の正当性の根拠をみるのである。

もとより、国民主権を標榜する場合であっても、現実には、憲法は、ある歴史的時点において、その世代の人々により、ある方法をとって(憲法会議と国民投票という方法をとることもあれば、そうでない場合もある)制定される。
その意味では、国家の合法性の体系は具体的な意思ないし実力(権力)から生まれるものといわなければならない。
つまり、権限説やある種のノモスの主権説のように「根本規範」ないし自然法といったものを想定し、国家の実定法体系をその具体化・実現として捉える(法の根拠についての道理説)のではなく、法の根拠について意思ないし実力に求める立場である。(*1)

しかし、その場合に問題となるのは、何のために、如何なる原理に基づく憲法を制定するかである。
主権者(憲法制定権者)たる国民が立憲主義憲法を制定する場合、そのときの国民は、個人の人格的自律が尊重される“良き社会”の形成発展という長期的視野に立って自己拘束をなし、また、後の世代の国民がそれぞれの時代の状況に柔軟に対応しつつ“良き社会”の形成発展に向けて自己統治を行なうことを容易にする政治システムを構築しようとするのである。
過去の国民(“死者”)は現在の国民(“生者”)を拘束することはできない。
立憲主義を支える道徳理論によるならば、過去の国民(“死者”)が現在の国民(“生者”)を拘束することが許されるのは、現在の国民(“生者”)が自由を保持しつつ自己統治をなすことを容易にする制度枠組を構築する、換言すれば、現在の国民(“生者”)が自由な主体として自己統治をなすことができる開かれた公正な統治過程を保障するという場合のみである。
国民をもって、憲法を実際に制定した世代の国民、現在の国民、さらに将来の国民を包摂した観念的統一体として把握し、そのような国民の意思に国家の合法性の体系の成立・存続の正当性の根拠を求めることが道徳理論上認容されうるのは、そのような条件が満たされる場合においてのみであろう。

このような意味において、国民がその担い手である憲法制定権力は基本的には端的な実力ではなく、一般的な意思ないし権威となる。
ただ、上述のように憲法改正権は制度化された憲法制定権力と解されるから(第一編第一章第三節(34頁)参照)、改正の場に登場する国民は具体的には一定の資格をもったもの(有権者)のみではあるが、主権者たる国民そのものに擬すべき存在と解するべきであろう。
これによって、主権者たる国民は、制度枠組自体をそれぞれの時代に制度的に適応せしめる途が開かれている。

(*1) 宮沢俊義は、尾高のノモスの主権説を批判するにあたって、意思ないし実力説的見地に立つことを示唆したが、他方では、「憲法の正邪曲直を判定する基準になる『名』」の存在、さらには憲法の効力さえ左右する自然法論のごとき立場に与することを示唆した。

(3)実定憲法上の構成的原理としての国民主権


(イ)統治制度の民主化の要請

国民主権は、憲法を成立せしめ支える意思ないし権威としてのみならず、その憲法を前提に、国家の統治制度が右の意思ないし権威を活かすよう組織されなければならないという要請を帰結するものと解される。
次節にみるように国民は有権者団という機関を構成するが、それは民意を忠実に反映するよう組織されなければならないとともに、統治制度全般、とりわけ国民を代表する機関の組織と活動のあり方が、憲法の定める基本的枠組の中で、民意を反映し活かすという角度から不断に問われなければならないというべきである。
国民主権のこの要請から例えば命令的委任が帰結されるかどうかは、日本国憲法の定める基本的枠組の解釈の問題であって、その点については後述する(本編第二章(136頁)参照)。
また、有権者団としての国民の意思、その意思に基づいて組織される国家機関の意思は、(2)の憲法制定権力者としての国民の意思そのものではないのであって、絶対性を主張することはできないことが留意さるべきである。

(ロ)公開討論の場の確保の要請

構成原理としての国民主権は、統治制度の民主化を要請するのみならず、かかる統治制度とその活動のあり方を不断に監視し問うことを可能ならしめる公開討論の場が国民の間に確保されることを要請する。
集会・結社の自由、いわゆる「知る権利」を包摂する表現の自由は、国家からの個人の自由ということをその本質としつつも、同時に、公開討論の場を維持発展させ、国民による政治の運営を実現する手段であるという意味において国民主権と直結する側面を有している。


■5.阪本昌成の「国民主権」論(リベラル右派)


阪本説は、『憲法理論Ⅰ』と『憲法1・国制クラシック』の双方にそれぞれ詳述されており共に重要な理論的説明が展開されているため、両方を基本的に原文のママ表記する。


  ◆1.阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)   第一部 国家と憲法の基礎理論


   ◇第七章 国民主権と憲法制定権力

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   ◇第八章 憲法の保障と憲法の変動

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  ◆2.阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)     第Ⅰ部 統治と憲法


   ◇第8章 国民主権あるいは憲法制定権力

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   ◇第9章 憲法の改正

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阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)     第Ⅰ部 統治と憲法   第9章 憲法の改正    本文 p.62以下

<目次>

■1.改正条項の必要性


[44] (1) 軟性憲法回避の理由


T. ジェファソン(1743~1826年)は、 “死者は生存者に対して一切権利を持ってはならない。憲法も世代ごとに - 具体的には19年ごとに - 検討し直し改正されていかなければならない”と述べた。これに対して、
J. マディソン(1751~1836年)は “毎年代わっていく世代をどこで区切るか容易なことではなく、ある年限をもって憲法が変更されると予め分かっていれば憲法への支持は弱まるだろう。法律と憲法とは性質が異なるのだ”と回答した。
ジェファソンが正しいのか、それとも、マディソンが正しいのか?
視点を換えていえば、軟性憲法が望ましいのか、それとも、硬性憲法が望ましいのか?

ある世代が憲法を制定して、“この憲法は我等の子孫を永遠に拘束する”と決定してしまうことは、一世代の傲慢な選択だろう。
ある時点での決定が永久に妥当する、という命題自体妥当ではない。
そればかりか、時代とともに世論は変化するだけでなく、制定時には予想もしない事態が生ずることは必定である。
こう考えたとき、「ジェファソンが正しい」と感じられるだろう。

ところが、国家の根本構造を定めているはずの憲法が法律と同じ重みしか持たない、というのも納得のいかない考え方だろう。
マディソンは、そこを考えたようだ。
「マディソンが正しい」というためには、“法律と憲法とは性質が異なるのだ”という論拠が説得的でなければならない。

[44続き] (2) 憲法典の重み


“憲法は法律とは重みが違う”、この命題を説得的に述べてみせたのが、先にふれたシュミットだった(⇒[41])。
《憲法典は始源的な意思の所産であるのに対して、法律制定権は憲法典上の権限にとどまる》というわけである。
「始源的な意思の所産」という意思主義を好まない人のなかには、こういう者もある。
《憲法は、我々の歴史を一種の物語として我々が共有し、これを基調としながら後世代に伝えていくための法文書である》。

「歴史という物語を語り継ぐ」、ああ、何と麗しいことか!
これを聞いた我々は、思わず「そうなんだ!」と頷いてしまいそうになる。
が、「我々の歴史」という共通項がどこにあろうか。
それがあるとしても、「物語」とは一体何なのか?
意思主義に負けないくらいミステリアスだ。

H. ケルゼンならこういうだろう。
《憲法と法律とでは、根本規範からの授権の距離が違う》。
この解答は、意思主義ではないものの、シュミットと同じように、階梯的規範構造を持ち出したものだ。

かように解答の仕方が複数があるとはいえ、“マディソンが正しい”といわざるを得ないだろう。


■2.改正の意義と限界


[45] (1) 憲法の改正


そこで、憲法典は、憲法(国制)上の社会的・政治的プラクティスの変化に対応させるべく、憲法(の一部)またはその条規に変更(削除、追加等)を加える手続を、法律の場合よりも厳格にしたうえで、組み込んでおくのが通例である。
これを「硬性憲法」と称することは、先の [10] でふれた。

憲法の定める正式の手続に従いながら、改正権者の明示的意思によって、憲法(の一部)またはその条規に変更(削除、追加等)を加えることを、「憲法の改正」という。

憲法全体の変更(全部改正)も改正といえるか、それとも、改正とは憲法中の個別的条規につき、削除、修正、追加または増補するという部分的変更(部分改正)をいうのか?
この論争が「改正限界説/改正無限界説」の一面である。
“改正とは、全部改正を含まない”などと、同じ「改正」という言葉を使いながら定義を絞り込んで限界説にでる論理は、筋が悪い。
アメリカの州の憲法の中には、全部改正を revision、一部改正を amendment と使い分けるものがある(たとえば、カリフォルニア州。同州では、“amendment”とは「憲法規定の目的をよりよく実現するために特定の憲法規定を数行付加または変更すること」を、“revision”とは「憲法規定に対する包括的な変更」、「基本的な統治の設計の大幅な変更」をいう、とされている。そのうえで、「改正」手続に違いをもたせている。これは、全部改正も改正の一種であるという前提に立っているのだ)。

我が国の通説は、“改正とは全部改正を含まない”と考えている。
もとの憲法の内容との「同一性」を保持する変更だけが「改正」であり、
「全部改正」は新たな憲法典の制定だ、
というのである。
では、「同一性」はいかにして判断されるのか?
その基準となるのが、憲法典の基礎にある constitution である。
この憲法をこの憲法として統一性をもって成立させている契機は、constitution にあるのだ。

[46] (2) 憲法改正の限界


上のように論じてくると、憲法論争としてお馴染みの「憲法改正に限界ありや」という問について、既に解答が出たようなものだ。
が、実は、その問に対する解答の仕方は、もう少し複雑なのだ。
複雑だ、というのは、改正権の法的性質を分析して初めて正答に至るからだ。

改正権の法的性質の見方には、複数ある。
見方の違いの根底には、“改正権は制憲権と如何なる関係にあるのか”という捉え方の違いが流れている。
改正権は、超法的な、事実の力としての制憲権と同質であるという理解がある。
これに拠れば、改正権には限界がないことになろう。
これに対して、シュミットのように〔制憲権→憲法→憲法律→憲法律上の権能〕という階梯的公式を採用するとなると、改正権は「憲法律上の権能」にとどまることになり、限界が現れる。
この階梯的見方は重要である。
上の階梯的公式のもとで「憲法制定」と「憲法改正」(すなわち、個々の憲法律的規定の修正)といわれる場合、前者の「憲法」とは「全体決定としての憲法」を指し、後者の「憲法」とは「憲法律」を指し、質的に異なることに留意されなければならない。
この立場によれば、改正規定はその母胎たる憲法からの派生物にとどまり、従って、“憲法律上の改正権でもって、全体としての憲法(国制)を変更できない”との結論に至る。

我が国の通説は、シュミットに倣って、改正権をもって、「法制度化された制憲権」と表現している。
「法制度化されている」という意味は、
それが発動されるためには、憲法典の改正手続規定に従わなければならないこと(手続的な制度化)、
事実の万能の力ではなく、規範的に統制された権限であること(実体的な制度化)
にあるのだろう。
この通説によるとき、いわゆる「改正限界説」以外の選択肢はない。
ところが、この改正限界説にいう実体的限界が、
改正権の母胎である制憲権自体の限界づけから必然的に出てくるものなのか、
それとも、憲法典上の権能としての改正権であることから出てくるものなのか、
そのロジックは曖昧である。
《改正権は法制度化された制憲権だ。だから、改正権には限界がある》というロジックを首尾一貫させるためには、《事実の力としての万能の制憲権が、憲法典上の権能となった(法制度化された)ために、その法的性質を激変させたのだ》と説くことだろう。


※以上で、この章の本文終了。
※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。


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   ◇第10章 憲法(国制)の変遷

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阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)     第Ⅰ部 統治と憲法   第10章 憲法(国制)の変遷    本文 p.66以下

<目次>

■1.憲法変遷の意義と変遷の要件


[47] (1) 憲法変遷の意義


成文憲法をもつ国家において、ある国家機関のプラクティス(反復継続される定型的行態)不文の実質的憲法を生み出すことを、憲法の変遷という。
「憲法の変遷」にいう「憲法」とは、憲法典のことではない。

第9章でふれた憲法の改正が、 憲法に明文化された改正手続に従って、改正権者が幾つかの選択肢のなかから新しいルールを選び出す顕示的行為であるのに対して、
憲法変遷は、 国家機関が特定のプラクティスに従事していると、新しいルールが国制のなかに次第に生まれ出てくることをいう(新しいルールの法的性質については、すぐ後の[50]でふれる)。

実定憲法は、国家機関の統治活動を統制するために存在するにも拘わらず、そしてまた、実定憲法の内容が簡単に変更されないよう硬性憲法とされることも多いにも拘わらず、“憲法変遷が生ずる”と論じて良いものだろうか?
この疑問に解答するためには、人のプラクティスがどのような条件を満たしたとき、“法となるか”という法哲学的な課題をまずクリアしなければならない。
変遷論を本格的に唱えたといわれるG. イェリネックは、この課題を次のように考えた。

法は、実効性(efficacy)と妥当性(validity)というふたつの要素からなる。
実効性とは「現に、ある規範が適用され遵守されていること」をいい、妥当性とは「規範として拘束力をもつこと」をいう。
実効性は、人々の継続反復する活動(プラクティス)のなかに現れ、そのパターンが人々の心理のなかに定着したとき、妥当性が生まれる(この考え方は、“慣習が人々の法的確信に支えられたとき、慣習法となる”と説明されるのと、よく似ている)。
あるプラクティスが、妥当性をもつに至ったとき、それは法となる。

以上が、“事実の反復継続が規範を生む”という、いわゆる「事実の規範力説」である。

[48] (2) 変遷の成立場面


変遷の例を一、二挙げれば、変遷論の説くところが理解しやすくなろう。
例1:  ある憲法典が「君主は、議会を一年に一度召集する」と規定しているとしよう。
この明文規定にもかかわらず、統治に無関心な君主(または議会嫌いの君主)が、長年にわたって召集しなかった。
そこで、業を煮やした議員たちは、期日を決めて自主的に議会に集合しえ活動し始め、今日に至っている。
このプラクティスは、上の規定を凌駕する効力を持っている。
例2:  ある憲法典は、内閣を国家機関のひとつであると定めておきながら、内閣における意思決定方法については何も規定していないとしよう。
長年の閣議のなかで、“内閣が意思決定するためには、閣僚の全員一致を要し、そのことを確認するために閣僚の署名を要する”とされてきた。
現在の内閣の構成員も、その慣行に拘束されるべきものと考えて、それに実際に従っている。
この慣行は、閣議の議事ルールとして効力をもっており、憲法典の空白部分を補充している。

上の例1は、憲法典正文に意味の変化をもたらす変遷であり、例2は、憲法正文に欠ける部分を補充する変遷である。

我が国憲法学者の相当数は、9条と自衛隊との関係を念頭において、“憲法典の正文にもかかわらず、国家機関がそれに違反するプラクティスを為すとき、変遷は成立するか”という問の立て方をしている。
この問題設定は正しくない(その設定自体に“憲法正文である9条を破る変遷などあってはならない”という結論が私には透けてみえる)。

変遷論は、違憲事実の反復継続の場面だけに限って説かれているわけでもなければ、憲法典正文の意味変化だけを念頭に置いているわけでもないのだ。

憲法変遷には、
(ア) 憲法典正文の意味を補充・発展させるもの、
(イ) 憲法典の欠缺部分を埋めるもの、
(ウ) 憲法典の正文を凌駕するもの、
がある。

また、その成立の契機としては、
(a) 憲法典正文についての公権的解釈の変更、
(b) 国家機関による特定事実の反復、
(c) 国家機関による特定権能の相当期間の不行使
等が考えられる。


■2.憲法変遷の法的性質


[49] (1) 後法は前法を破る?


変遷論が提唱された時代は、法実証主義の時代だった。
法実証主義によれば、憲法典は改正手続の加重された法形式である点だけに特徴をもつ。
法主体による意思の発動形式(手続)に着眼する法実証主義にとって、法形式の中に効力の軽重があると論ずることはもともと背理だったのだ。

そうなると、国家機関が憲法の予定せざる意思の発動形式を反復継続的に示していれば、その形式に着目して「それも法だ」という結論となる。
ここでは、ふたつの形式 - 憲法の予定していたものと予定せざるもの - が並存するわけだが、その競合関係は、「後法は前法を破る」という法の一般原則によって解決される。
憲法変遷論は、かような法実証主義の考えに従って提唱されたのである。

ところが、法実証主義の衰退した今、それも、憲法保障の具体的方策として形式的効力についてであれ最高法規性を憲法典中に宣明し、なおかつ、違憲審査制までをも導入してきた今日、上のごとき捉え方が従来と同じように成立することはないだろう。
なるほど、憲法の法源(*注1)には、不文のものも当然に存在するとはいえ([10]をみよ)、“ある国家行為の反復継続が最高法規である憲法典の条文と同じ地位を獲得する”と軽々に承認することは出来ない。
かといって、数世代前に制定された憲法典のすべての条規が、その後の経済・政治・文化等々の変化から超然として、そのままのかたちで妥当する、ということも前世代の専制である。
“その専制を避けるために改正規定があるのではないか”という反論も勿論あるだろう。
が、憲法変遷は、憲法を支える事実が徐々に徐々に変化するからこそ、生ずるのだ。
変遷は、改正権者が明示的な選択をしないところに生ずる、といってもよい。

(*注1)法源について
法源とは、①法を法たらしめる論拠は何か、②何が法とされているか、を知る手掛かり、つまり、如何なるかたちで法が存在しているか、を指す。
本文でいう「法源」とは②の意味である。
この場合の「法源」には、「成文/不文」「法律/命令」といった区別がある。

[50] (2) 学説の対立


我が国の学説は、憲法変遷の法的性質をどのようにみているのか。
学説は次のような3つの対立を示している。

第一は、 “ある国家機関が一定の活動を反復継続し、さらに国民の法的(規範的)確信がそれを支えるに至ったとき、その部分について変遷が成立する”とみる立場である。
この説にいう「成立する」とは、“実効性と妥当性が獲得されて憲法成文を凌駕することもある”ということを指している。
これは、イェリネックさながらの全面的肯定説である。
ところが、この説に対しては、
(ア) 改正権者の顕示的な選択よりも慣行の法力を優先させてよいか(何のための成文・成典・硬性憲法だったのか)、
(イ) 慣行が人々の確信を通して法となるという思考は正しいか、
(ウ) 憲法変遷論は、関係国家機関の法的確信を論じているはずで、「国民の確信」をここで持ち出すことは筋違いではないか、
等、疑問は絶えることがない。
第二は、 “国家機関によるプラクティスは習律(convention)を作る”とする見解である。
これは、「限定的否定説または習律説」と呼ばれることがある。
この説にいう「習律」とは、統治に携わる人々が義務的なものとして受け入れる行為規範ではあるものの、裁判所による裁定の論拠とはならないものをいう。
これを「法以前 pre-legal のルール」と表現する論者もいる。
この説によれば、変遷は国家機関を拘束する規範的力を生むが、憲法典の正文を破る法力までは持ち得ない。
なぜなら、法以前のルールが、明文の法的ルールを破るほどの妥当性をもつことはあり得ないからである。
この習律説は、変遷の問題領域を的確に捉えているばかりでなく、憲法と憲法典との区別を意識しつつ憲法の法源には不文のものもあることを指摘している点で、正当である。
第三は、 変遷とは、国家機関による違憲のプラクティス領域にかかわる問題であるとの限定的な変遷観を前提に、“違憲事実が幾ら集積されても、それはあくまで違憲事実の積み重ねに過ぎず、その種のプラクティスが憲法典正文を破るということはあり得ない”、とする見解である。
全面的否定説」と呼ばれることがある。
この説の根底には、変遷を肯定するとなると恒常的に制憲権が発動される状態を容認することになって、硬性憲法典の論理からしても、その事態はあり得べくもない、との見方が横たわっている。
政治的な事実の集積と法とは別種のはずだ、というわけだろう。
この説に対しては、
(a) 変遷の概念が限定的過ぎる、
(b) 「違憲」事実の集積という場合、「違憲」であるとの評価は論者による結論の先取りに過ぎない、
(c) この説を徹底すれば、憲法の法源は憲法典正文のみということになる、
といった疑問が残る。


※以上で、この章の本文終了。
※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。


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■6.中川八洋の「国民主権」論(保守主義)


保守主義の憲法学者としては百地章氏などが有名だが残念ながら体系的な著作が存在しない。
中川八洋氏は憲法学者ではないが、政治思想の把握が確りしており、「右の全体主義(右翼イデオロギー)」に陥らない真っ当な保守主義的憲法論を展開しているため以下にその「国民主権」論を表記する。(⇒なお、中川氏の憲法論全体は、中川八洋『国民の憲法改正』抜粋 を参照)

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<目次>


中川八洋『国民の憲法改正』(2004年刊) p.129以下


第三部 国家簒奪・大量虐殺の思想を排除する - 根絶すべきフランス革命の教理


フランス革命とは、・・・人民の政府でもなければ、人民による政府でもなく、・・・国民から絶対的に独立した地位に自らを置いた、国民の代表者を僭称する革命家たちの、「主権の簒奪」であった。(アーレント)

第四章 「国民主権」は暴政・革命に至る - 「デモクラシーの制限と抑制」こそ憲法原理


◇第一節 英米憲法は、なぜ「国民主権」を完全に排撃したか


日本の憲法学では、授業でも教科書でも、米国憲法を事実上、全く触れない。避ける。
東京大学法学部ですら然りである。
この理由は明確で、米国憲法に言及した瞬間、日本の憲法学者の九割が虚偽とプロパガンダの常習者、つまり詐欺師と分かってしまうからである。
日本における憲法学者のほとんどは、人格的にも病いに冒されている。

例えば、米国憲法には「国民主権」などというものは匂いほども存在しない。
そんなものは積極的に排斥され否定されている。
とくに、米国は、その憲法制定によって「立憲主義(constitutionalism)」を憲法原理としたから、いかなる権力も制限される。
このため、「制限されない権力」の意である「主権」は、当然に憲法違反であり、完全に排撃される。
「立憲主義」と「国民主権」は水と油で両立しないから、米国は前者を採用して後者を追放した。
日本の憲法学者が「立憲主義」を是とし、「国民主権」を称賛しているのは分裂症的思考である。

バジョットは、米国憲法の起草者たちは「何処にも主権を置かないようにしたのである。それは、主権によって暴政が生じることを恐れたからである」と、米国憲法を正しく観察している(※注1:ウォルター・バジョット『英国憲政論』、中央公論社「世界の名著」第72巻、246頁)。
ハンナ・アーレントも次のように述べている。
「政治それ自体における偉大な、そして長期的に見ればおそらく最大のアメリカ的革新は、共和国の政治体内部において主権を徹底的に廃止したということ、そして、人間事象の領域においては主権と暴政とは同一のものであると洞察したこと」(※注2:ハンナ・アーレント『革命について』、ちくま学芸文庫、239頁)

統治に関する「主権」の廃止は、英国本国のコーク以来の伝統であって、「アメリカ的革新」ではない。
また「主権」と“暴政”の同一視も、英国の常識であって、「米国の発明」とはいえない。
このような小さなミスをしているけれど、アーレントは米国憲法の核心を正確に把握している。
ノーベル経済学賞受賞の政治哲学者ハイエクは、次のように「国民主権」のことを「迷信」という。
その通りであって、政府の統治を受けている被治者を「主権者」などとは、酔っ払いの寝言か戯言かであろう。
あるいは、迷信とか妄念上の幻覚としか言いようがない。
「主権が何処にあるかと問われるなら、何処にもない・・・・・・というのがその答えである。立憲政治は(権力が)制限された政治であるので、もし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこに主権の入り込む余地はあり得ない。・・・・・・無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、・・・・・・・迷信である(※注3:F. A. ハイエク『法と立法と自由』、『ハイエク全集』第10巻、春秋社、171頁)」

統治において「主権」を排除するのは、自由にとって最高の憲法原理である。
「法の支配」の下で憲法を成長させてきた英国においても同様である。
英国の「法の支配」の原理にあっては、ブラクトンの法諺のとおり、“法”は神よりも国王よりも上位にあって神や国王を支配するから、神や国王ですら主権者になり得ない。
かくして、「何にも支配されない権力」という意味である「主権」は、英国では“法”に支配される国王にすら適用されなかった。

むろん、英国にも、ボーダンの『国家論六書』(1576年)などによって、「主権」というフランス生まれの思想が上陸していたから、16世紀末からのイギリス国王も「主権」に並々ならぬ関心を寄せるし、その周辺の臣下のなかには国王に阿諛すべく「国王主権」を言い出すものは少なくなかった。
だが、ちょうどこの17世紀の初頭、英国は幸運なことに「法の支配」を死守せんとするエドワード・コーク卿というコモン・ローの大法曹家が存在していた。
そして、不敬罪で牢に繋がれることを恐れず、「国王主権」論を断固排撃した。

例えば、1608年10月、国王ジェームスⅠ世に向って、コークは直接ブラクトンの法諺「国王は、すべての臣民の上にあるが、“法”の下にある」を持ち出し諌言している(※注4:『コーク判例集12』、原著、63~5頁)。
また、チャールスⅠ世時代の1628年の「権利請願」(Petition of Right)の草案に貴族院が「国王主権」の文字を挿入したとき、当時たまたま下院議員になっていたコーク卿は「主権は国会の用語ではない」と、ばっさりと削ってしまった(※注5:W. Holdworth, A History of English Law, Vol. 5, p.451)。
現代風の表現では、「主権は憲法に背反する」である。

今日に至るも、英国に、憲法を含め国家の統治関係に「国民主権」という概念が全く存在しないのは、コークに代表される「法の支配」を守らんとした多くの英国の法曹家と政治家の汗の結晶による。
かくして、英国には、ブラックストーンの「“法”主権」や、ダイシーの『憲法序説』で日本でも有名になった「国会主権(※注6:中川八洋『保守主義の哲学』、PHP研究所、116~8頁)」の概念はあっても、「国民主権」も「人民主権」も存在しないのである。

英米の憲法が“正統な憲法”として世界的にもそのモデルになっている事実については、日本でも広く知られている。
この点からでも「国民主権」が存在しないか、否定されているのが“正しい憲法”であるのは自明であろう。
つまり、「国民主権」を美化し神格化している日本の憲法学の教科書はすべて、“狂った憲法学”である。
しかも、この狂気は度が過ぎ、オウム真理教よりも遥かに酷い。

米国社会から排除された“アメリカのはぐれ者”たちの巣窟であったGHQ民政局では、日本国憲法を書くに当たってスターリン憲法やワイマール憲法を参考にしたように、彼らは通常の“米国人”ではなかった。
そのことは、非英米的な「国民主権」が前文や第一条にあることですぐ分かる。
彼らは「英米の憲法が正統」であることに耐えられない、“アメリカの異分子”たちであった。

話を戻して、米国憲法が「国民主権」を排しているのは、米国がイギリス17世紀の法思想で建国されたからである。
独立戦争(1775~83年)とは、この17世紀という百年ほど昔の英国の法思想で武装したアメリカ植民地に住む“古い英国人”と、議会が強くなりすぎた18世紀後半の英本国に住む“新しい英国人”との闘いであった。

また、建国当時のアメリカのエリートたちとは主として大農園主であるが、コークの『英国法提要』とこのコークを継ぐブラックストーンの『イギリス法釈義』を座右の書とする、高い教養人であった。
コークとブラックストーンこそは「法の支配」の法曹家であるが、それらを血肉としたアメリカ「建国の父たち」は、主としてこの両名の法思想を学び、そこから「立憲主義」とか、「(立法に対する)司法審査」とかを「発明」した。

19世紀において、英本国では、「ベンサム→オースティン」らの命令法学に汚染され、「法の支配」が衰退していった。
しかし、米国は17世紀初頭のコークの思想を頑固に19世紀末までは継承し続けた。
20世紀に入って米国でも「法の支配」は衰退したが、しかし「国民主権」などという、暴力とテロルを生んだ革命フランスの、国民を暴君に仕立てあげてこの凶暴な暴君に自分たちの自由を侵害させる狂気のドグマは、全く芽すら出ることなく今日に至っている。
「国民主権」という言葉は、米国では今でも火星語のようなもので誰も理解できない。

一方、英国とは、マグナ・カルタに代表される中世封建時代からのコモン・ローと、それと不可分の関係にある自由擁護の憲法原理「“法”の支配」とを死守すべく、フランスから流入する「主権」思想を撃退するために血を流した歴史を持つ国家である。
革命フランスに宣戦し、22年戦争(1793~1815年)を戦ったのである。
英国にとって「国民主権」は、英国に上陸してはならない、根を張ってはならない、有害な教理として合意され現在に至っている。

「国民主権」が米国に存在もせず米国人の関心の対象にもならなかったことは、米国にルソーやその他のフランス啓蒙哲学(モンテスキュー1名のみ例外)がさっぱり流入しなかったことに通じている。
あるいは、米国の建国から数ヶ月後に発生した革命フランスの革命思想も簡単に排除され流入しなかったこととも関係していよう。
英国ではエドマンド・バークを先頭にして国を挙げて革命フランスの革命思想の流入の阻止に血眼にならざるを得なかったが、米国にはそんな苦労は全くなかった。

英米憲法の思想は、革命フランスの思想とは水と油のごとく対立的である。
共通する所がどこにもない。
フランスが、フランス革命の思想こそが“本当の憲法”を蹂躙すると悟って、英国系の憲法思想の正しさにやっと気づいたのは、1875年の第三共和国憲法からであった。
つまり、1789年から1875年までの86年間とは、フランスにとって無意味で有害な反憲法のドグマに熱狂した「狂愚の86年間」であった。
そして、このフランス第三共和国憲法が米国憲法(1788年)に似たものであることは、米国に遅れること87年もかかってフランスがようやく米国の足下に及んだということである。

話を米国憲法に戻せば、そこに「国民主権」がはっきりと不在になっているのは、憲法起草者が一致して民衆(demos)というものに「潜在的専制者(potential tyrant)」を透視し警戒したからである。
育ちも教養も高い君主ですら「専制君主」になると恐れるならば、その逆の、育ちも悪く教養もない民衆は主権を与えられれば直ちに“暴君”になるだろうことは、「米国の建国の父たち」にとって自明であった。
民衆が多数を恃(たの)んでその意志を強制力に転換したならば、それは必ず国民の自由を侵害するものになるのは、自明であった。
「建国の父」の一人で、米国憲法の起草者の一人でもあったマディソンは、この「多数者の専制」を次のように恐れている。
「民主政治(popular government、民選政府)の下で多数者が一つの党派を構成するときは、党派が、公共の善と他の市民の権利のいずれをも、その圧倒的な感情や利益の犠牲とすることが可能になる(※注7:A. ハミルトンほか『ザ・フェデラリスト』、福村出版、46頁)」

このようにデモクラシーへの警戒感は、“人間というものへの不信”という、正しい人間観を、アメリカの「建国の父」たちが持っていたからであった。
フランスの啓蒙哲学者や革命屋たちは、あろうことか、政治過程での人間が善性であり得ると逆さに妄想した。
マディソンの、次のような主張こそが不変の真理であろう。
「そもそも政府とはいったい何なのであろうか。それこそ、人間性に対する最大の不信の現れでなくして何であろう。万が一、人間が天使ででもあるというならば、政府などもとより必要としない(※注7:前掲『ザ・フェデラリスト』、254頁)」

「建国の父たち」の筆頭アレグザンダ・ハミルトンも、デイビット・ヒュームの影響もあるが、「全ての人間はごろつき(a knave)と見なすべきである」と、政治家が持つべき正しき人間観を持っていた。
ニューヨーク邦での米国憲法批准会議で、ハミルトンは次のように演説した。
「純粋デモクラシーは、歴史を紐解けば、これほどの政治における偽りは他に類をみない。古代デモクラシーでは市民(国民)自身が議会に参加するが決して良き政府をもったことがない。その性格は専制的であり、その姿は奇形である(※注8:Selected Writings and Speeches of Alexander Hamilton, AEI, p.207)」(1788年6月21日)

国民の自由の擁護は、民衆の政治参加を警戒し、その代表者の議会に対してすらさらに警戒し、デモクラシーを制限する「制度」をつくることであるが、これが「建国の父たち」の一致した意見であった。
マディソンは、民衆が選出した代議士たちの議会(立法府)に対して、この議会が国家権力を簒奪しないかとも恐れた。
「・・・・・・この立法部(国会)に対してこそ、冒険的な野心をもつことがないように、人民はその一切の猜疑心を注ぎ、警戒をおさおさ怠りないようにしなければならない(※注9:前掲『ザ・フェデラリスト』、242頁)」

実際に革命フランスでは、「議会」が権力を簒奪して、国民を好き放題にギロチンその他で殺害するに至った。
ジャコバン党独裁下の「国民公会」は、単なる“殺人許可書を発行する村役場”であった。
フランス革命は、米国憲法のあとに発生したが、またラファイエット侯爵のようなワシントン・マニアックもいたのに、米国憲法の思想から何かを学ぼうとした形跡が全くない。
日本の憲法学者のほぼ全ては、米国憲法の解説書『ザ・フェデラリスト』をその教科書でまともに取り上げていないが、それはフランス革命の凶暴なジャコバン・テロリストと日本の憲法学者とが「兄弟」だからである。


◇第二節 「フランス革命の教理」を“憲法原理”だと詐言する学者たち


日本の憲法学者の多くは、一種の詐話師である。
いかに言論の自由があるとはいえ、何らかの刑法上の犯罪になるのではないかと思うほど、彼らが書き散らした教科書は嘘とトリックだらけである。
「国民主権」一つを例としよう。
英米憲法はそれを拒絶している。
現代フランスの第五共和国憲法(1958年)は“蝉の抜け殻”のようにその形骸を残してはいるが、憲法として何かの意味を持たせているわけではない。
つまり、フランスは、「国民主権」を実態上は死刑に処しているが、その屍を埋めたあとに立派な墓をたててあげた。
それが第五共和国憲法の第三条に当たる。

ところが、日本の憲法学は、プリンセス天功のマジック・ショーも顔負けに、まず現実の自由社会の世界地図から英国も米国も現代フランスも、主要三ヶ国を消してしまう。
次に、歴史の彼方にとっくの昔に葬られたほずの、1789年から1794年にかけての血塗られた革命フランスを「現在」に存在する、「世界に存在する唯一の憲法先進国である」という“大幻想”のスクリーンを映し出す。
杉原泰雄の『国民主権の研究』や辻村みよ子の『フランス革命の憲法原理』などは、彼らが1789年から1794年のジャコバン・テロリストになりきっており、彼らの思考も時間もこの18世紀末のフランスに止まっている、そして、この18世紀が、「20世紀後半である」「21世紀である」とのマジックに専念している。
彼らの本は、読むたびにゴースト・タウンの光景か、お化け屋敷が浮かんでくる。
異様な本である。
なお、フランス革命のフランスに憲法原理など全く存在しないから、『フランス革命の憲法原理』との、辻村の著作タイトルは、悪徳不動産屋の誇大広告と同じ虚偽広告に当たる。

なぜ日本の憲法学者の九割がこれほどまでに虚偽と欺瞞に狂奔するのであろうか。
理由の第一は、彼らはマルクス・レーニン主義者であり、日本を何としても社会主義化したい、共産主義国にしたいという執念にのみ生きている宗教信者であるからだろう。
そして、革命を排除する智恵が憲法の魂に沿っていなくてはならないのに、革命に誘導する革命の教理を、あろうことか憲法学だと詐言的に転倒する。
宮沢俊義、長谷川正安、杉原泰雄、小林直樹、横田耕一、渡辺浩、樋口陽一、辻村みよ子ら、名をあげると数十名にも及ぶ。

英米憲法を全面的に消してこの地球上には存在しないことにした「情報操作(トリック)の達人」辻村みよ子とは、フランス人権宣言(1789年)や1793年ジャコバン憲法に関して荒唐無稽かつ出鱈目なプロパガンダ(嘘宣伝)を平然となす人物でもある。
前述したその作品『フランス革命の憲法原理』で、辻村の嘘は「はしがき」の冒頭一行目から始まる。
そこでは「(フランス革命200年目にあたる今年)フランスをはじめ世界の国々で、大革命の偉業を讃え、その意義を考える記念行事・・・・・・(※注1:辻村みよ子『フランス革命の憲法原理』、日本評論社、i頁、ii頁)」、としているからだ。
だが実際には、フランスにおいてすらフランス革命離れは決定的である。
フランス政府は、革命記念日行事その他を今では可能な限りロー・キー化している。
フランスは、東欧の解放(1989年11月)とソ連邦の崩壊(1991年12月)をもって、フランス革命記念日の安楽死を模索している。
世界のどこにもフランス革命の「偉業を讃え」る、そんな国は実態としては一ヶ国もない。
辻村の虚偽記述は病気である。

さらに、人権宣言やジャコバン憲法についての、細々とした“屍体解剖”的な研究は散見されるが、「フランス憲法学界の最近の傾向、すなわち1789年宣言の憲法規範性を認め、・・・・・・(※注1:前掲『フランス革命の憲法原理』、i頁、ii頁)」などという研究動向は、ゴミほどのもので無視すべきレベルである。
人権宣言はフランス国家全体を宗教団体に改造する宣言で、“モーゼの十戎”などをモデルとしたカルト宗教の戒律もしくは呪文の性格をもつことは、今では定説であろう。
かくも憲法から程遠いものが、どうして「憲法規範性」を持ち得るというのだろうか。

辻村の言説が麻原彰晃のそれに重なるのは、辻村が殺人鬼ロベスピエールの崇拝者であることだけではない、
「近代市民憲法原理ないし近代立憲主義の基本原理を確立したのは、人権宣言かジャコバン憲法か、あるいは1791年憲法かジャコバン憲法か」などと言ったり、それが「<新しい問題>である」など、と述べているからである(※注1:前掲『フランス革命の憲法原理』、i頁、ii頁)。
「立憲主義」とは、「立憲君主」という概念でも簡単に分かるように、憲法に従っって如何なる権力も制限されることを指すから、「国民主権」という「主権」が高らかに謳いあげられた革命フランスに全く存在しなかったのは明々白々ではないか。

例えば、ジャコバン憲法は制定されたが施行されなかった。
そればかりか、この憲法に定められていない、“無法組織”たる公安委員会と革命裁判所をもって独裁とフランス国民の大量虐殺が実行された。
「立憲主義」とは対極的な“憲法破壊主義”がジャコバンの本性であった。
だから、自由、生命、財産への大々的な侵害という蛮行が実行されたのである。
フランスが米国生まれの「立憲主義」を初めて理解したのは、約百年後の1875年であった。

しかも、「フランス人権宣言」こそが、“憲法破壊主義”を牽引し正当化した。
その第三条が「国民主権」を定めたからである。
この「国民主権」によって、人間を無制限に殺戮したいという、国民の一部の“意志”が絶対化され神化されたからである。
これが大規模テロルに至った主要な理由の一つである。
このように、「国民主権」が反・憲法原理であることは、このフランス革命史が百パーセント以上に証明している。
「立憲主義」を史上初めて創造したアメリカの「建国の父たち」が、「国民主権」とそれに類する思想すべてを排撃したが、彼らが如何に優れた賢者であったかはこれだけでも充分に判明する。

樋口陽一は、東京大学教授として最も強い悪影響と深い傷跡とを日本に遺した憲法学者である。
この樋口もまた、時間がフランス革命でとまり、事実上、それから現在に至る二百年間の歴史が抹殺されている。
また、場所もパリに限って、英米を含めて世界各国の憲法を決して鳥瞰しようとしない。
ときたまタイム・マシーンに乗って、ホッブズとルソーを狂信する「ヒットラーの芸者学者」のカール・シュミット(ナチ党員)の所にお伺いに出かけるぐらいである。
これが樋口陽一の憲法学の全てである。
“知の貧困”もここまでくると絶句するほかない。

具体例を挙げる。
樋口陽一の主著『憲法Ⅰ』(※注2:樋口陽一『憲法Ⅰ』、青林書院)は、英国憲法は全面無視し歪曲する。
米国憲法は完全拒絶する、オランダ、ベルギー、北欧の立憲君主国憲法はないことに処理し、現代フランスの憲法は隠す、……。
マジック・ショーのトリック以外の記述が全くないという奇本、それが樋口著『憲法Ⅰ』である。
別の表現をすれば、憲法としてはとっくの昔に死んで白骨と化している革命フランスのそれと、カルト宗教の経典であったフランス人権宣言だけでもって、腐った枯れ枝を集めたような樋口流「憲法理論」を創る。

まずその第Ⅰ部では、主に「立憲主義」を取り上げる(第一章第三節、第四章その他)。
ところがそこでは、米国の「立憲主義」には全く言及しない。
「立憲主義」を全面破壊したい“反・立憲主義者”である樋口にとって、その内容について実質的に一行も言及しないことによって自分の狙う目的を果している。
しかし「立憲主義に言及しないとは何だ!」の批判を回避すべく「立憲主義」という四文字のみは選挙宣伝カーの連呼の如く書き散らす手法をとっている。

次に、近代憲法の基本構造が「主権」と「人権」だとする(第二章第一節)。
ここでも、樋口は卑劣なほどのトリックで論述していく。
なぜなら、そのタイトルは一般的な「近代憲法の基本構造」としているのに、実際には、「身分制秩序を否定する国家=国民主権原理によって、人権主体としての個人が成立した」(28頁)などと、革命フランスのみに限定してその「憲法」なるものを記述しているだけだからである。
羊頭狗肉である。
また、この第一節のタイトルを「主権と人権 - その近代性」としているのは、革命フランスのみに特殊であった「(国民、人民)主権」と「人権」が、当時の欧米に一般的にも存在し「近代的」であったかのように学生が誤解するよう誘導するためである。

近代の英米憲法には、「国民(人民)主権」も存在しない。
「人権」も存在しない。
が、この事実については樋口は一文字も書いていない。
英米憲法について正しく記述すれば、「人権」が近代とは無関係であるのが一瞬にしてバレるからである。
それを避けるための詐術としての「抹殺」である。
次に、ここまで米国憲法を抹殺するのは極端で拙いと思ったのか米国に言及する所がある。
が、この事実については樋口は一文字も書いていない。米国憲法とは何の関係もない、1835年のトクヴィルの作品を出して誤魔化すのである(30頁)。

英国については、17世紀の“主権潰し”のコークなどには一言も言及せず、それから200年以上もたった19世紀のダイシーの『憲法序説』のさわりにちょっと触れてオシマイにする(25頁)。
全体を通してみると、結局、革命フランスの部分だけで「全世界の憲法と近代以降2~400年間の全ての憲法の話をした」ことにしている。
レトリックというより、低級な詐言としか形容できない。

「立憲主義」に話を戻せば、ここまで真っ赤な嘘を吐ける人間がこの世にいるのかと、ただ驚愕するしかない。
例えば、樋口は次のように、出鱈目も度が過ぎた虚偽定義をするからである。
「近代立憲主義は、人権主体としての個人の尊厳という究極的価値を前提にして、権利保障と権力分立をその内容とする」(22頁)

「立憲主義」は、統治機構内の如何なる権力も憲法に従って制限されるという、1788年の米国憲法を嚆矢とするアメリカ的な憲法原理である。
が、決してこれには触れない。
また、マディソンらの「建国の父たち」が起草した米国憲法には「人権」は匂いすらなく、「個人の尊厳」もない。
当然、「権利の保障」とも無関係である。
いったい、「人権主体としての個人の尊厳」と「立憲主義」とがどう関係すると言うのだろう。
まるで、「フランスのケーキは我が日本国の伝統文化の象徴である」などと同じ言辞であり、酔っ払いでもこれほどの酔言は吐かない。
そして、米国憲法から100年も後の、しかも米国でない、19世紀ドイツの「立憲主義」などのマイナーな話にすり替えていく(22~3頁)。

次のような、もう一つの虚偽定義も全く意味不明である。
なぜなら、「立憲主義」は、「国民主権」や「絶対君主」を排撃するものであるが、単なる「個人」を対象としないからである。
樋口の「強い個人」の意味ははっきりしないけれど、それが“個々(アトム)主義”の「個人」を指すのであれば、ルソーの『人間不平等起源論』から生まれた「平等」と表裏一体をなす概念である。
つまり、樋口はフランス啓蒙思想をもって、水と油の関係にあるコーク系列の「立憲主義」とが混じり合えるという、マジック・ショー的にこの一文を書いている。
「近代立憲主義を想定する個人は、ひとことでいえば、強い個人である」(33頁)

樋口陽一の「憲法学」は“憲法学”ではない。
「法の支配」など、自由を擁護する憲法原理を完全に無視するか、歪曲している。
ひたすらフランス革命を日本に起こすことのみに執念を燃やす扇動のパンフレットになっている。
アジビラである。

附記
読売憲法試案(2004年5月3日)は、樋口陽一や辻村みよ子の直系の、大量虐殺者ロベスピエールと同じイデオロギーというか、共産革命のロジックというか、それが冒頭に展開されている。
「日本国憲法は、日本国の主権者であり、……」が、前文の最初に書かれているからである。
その意は、日本人は「一億二千六百万分の一の絶対君主」になったとでも言いたいのだろうか。
しかも、一般に日本人のほぼすべては被治者であるからこの主権者に絶対的な服従を強いられる「一人の奴隷」になったとの宣言である。
そればかりか、わざわざ「第一章 国民主権」を新しく設け、それを現第一章「天皇」の直前にもってきている。
天皇は、「主権者」たる国民の下にある、と言いたいのである。
あのルイ16世の処刑の直前の血塗られた革命フランスを模倣している。
読売憲法試案より、現GHQ憲法の方が日本国にとって何十倍もましである。


■7.「国民主権」ないし「制憲権(憲法制定権力)」論まとめ


まず「国民主権」および「憲法制定権力」という用語の辞書的定義を確認する。

こくみんしゅけん
【国民主権】
popular sovereignty
<日本語版ブリタニカ>
主権は国民にある、とする憲法原理。
国家の統治のあり方を究極的に決定する、①権威、ないし、②力、が国民にあるとし、国民主権と全く同じ意味で、人民主権ということもあるが、後者には限定された特殊な用法もある。
君主主権に相対する。
日本国憲法前文1段および1条は、国民主権に立脚することを明らかにしている。
もっとも、国民主権の具体的意味の理解については一様ではなく、大別して、
(1) 国民主権とは、国家の意志力を構成する最高の機関意思が国民にあることを意味し、それは憲法によって定まる、と解する説(※注:最高機関意思説)と、
(2) 国民が憲法の制定者であることを意味する、とする説(憲法制定権力説)とに分れる。
基本的には、(2)後者の立場に立つ場合であっても、さらに、
(2)-a 主権者たる国民は、観念的統一体としての国民で、主権がそのような国民にある、ということを意味する、というように解する説(※注:ナシオン主権説)と、
(2)-b 主権の権力的契機を重視し、主権は個々の人民が分有し、人民自らがそれを行使するところに本質がある、とする人民主権説(※注:プープル主権説)とに分れる。
けんぽうせいていけんりょく
【憲法制定権力】
pouvoir constituant;
Die verfassungsgebende
(※注:constituent power)
<日本語版ブリタニカ>
憲法を創出する権力であって、憲法はもちろん、如何なる実定法によっても拘束されない超法規的・実体的な根源的権力
既存の憲法を前提とし、それによって設けられるもの、とは区別される。
しかし、憲法制定の手続が実定法に拘束されるかどうかは、意見の分かれるところである。
国民主権を建前とする近代国家における憲法制定権力は、国民自身である。
この発想は、シェイエスの『第三身分とは何か』にみえ、国民憲法制定権力の主体とする革命憲法制定の理論的主柱として、絶大な影響を及ぼした。
20世紀になり、C. シュミットは、この観念を用い、①憲法改正手続のもつ合法性に、②国家形態を変更する主権者の正当性を対置した。

※「主権」に関するその他の多様な用語については下記参照
関連用語集 【用語集】主権論・国民主権等

前述のとおり、芦部信喜説(左翼=通説)及び、佐藤幸治説(中間派=有力説)は、「国民主権」「憲法制定権力」と解釈している。
ここで留意すべきは、その「憲法制定権力」にいう「憲法」が、①実質憲法(国制)を指すのか、それとも、②形式憲法(憲法典)を指すのか、である。

けんぽう
【憲法】
constitution
<日本語版ブリタニカ>
憲法の語には、(1)およそ法ないし掟の意味と、(2)国の根本秩序に関する法規範の意味、の2義があり、
聖徳太子の「十七条憲法」は(1)前者の例であるが、今日一般には(2)後者の意味で用いられる。
(2)後者の意味での憲法は、凡そ国家のあるところに存在するが(実質憲法)、
近代国家の登場とともにかかる法規範を1つの法典(憲法典)として制定することが一般的となり(形式憲法)、
しかもフランス人権宣言16条に謳われているように、①国民の権利を保障し、②権力分立制を定める憲法のみを憲法と観念する傾向が生まれた(近代的意味の憲法)。
<1> 17世紀以降この近代的憲法原理の確立過程は政治闘争の歴史であった。
憲法の制定・変革という重大な憲法現象が政治そのものである。
比較的安定した憲法体制にあっても、①社会的諸勢力の利害や、②階級の対立は、
[1]重大な憲法解釈の対立とともに、[2]政治的・イデオロギー的対立を必然的に伴っている。
従って、 (a) 憲法は政治の基本的ルールを定めるものであるとともに、
(b) 社会的諸勢力の経済的・政治的・イデオロギー的闘争によって維持・発展・変革されていく、
・・・という二重の構造を持っている。
<2> 憲法の改正が、通常の立法手続でできるか否かにより、軟性憲法と硬性憲法との区別が生まれるが、今日ではほとんどが硬性憲法である。
近代的意味での成文の硬性憲法は、 国の法規範創設の最終的源である(授権規範性)とともに、
法規範創設を内容的に枠づける(制限規範性)という特性を持ち、かつ
一国の法規範秩序の中で最高の形式的効力を持つ(最高法規性)。
日本国憲法98条1項は、憲法の③最高法規性を明記するが、日本国憲法が硬性憲法である(96条参照)以上当然の帰結である。
今日、③最高法規性を確保するため、何らかの形で違憲審査制を導入する国が増えてきている。
なお、憲法は、
①制定の権威の所在如何により、欽定・民定・協約・条約(国約)憲法の区別が、
②歴史的内容により、ブルジョア憲法と社会主義憲法、あるいは、近代憲法(自由権中心の憲法)と現代憲法(社会権を導入するに至った憲法)といった区別がなされる。
なお、下位規範による憲法規範の簒奪を防止し、憲法の最高法規性を確保することを、憲法の保障という。
   (⇒憲法の変動、⇒成文憲法、⇒不文憲法)

憲法論の最初(憲法概念論)で、 「憲法(constitution)」という概念には、①実質的意味の憲法(国制)と、②形式的意味の憲法(憲法典)の区別があり、両者を混同してはいけないことを明記しておきながら、
肝心の国民主権論の段では、 「国民主権」=「憲法制定権力(制憲権)」の指す「憲法」が①なのか②なのか、が曖昧にしか説明されていない。
(しかし、文脈から見て芦部・佐藤両説とも、憲法制定権力の「憲法」として、①実質憲法(国制)を想定していることが読み取れる)

ここで、常識的な国民の政治への関わり方を考察すると
<1> 我々の世代の国民が、選挙などを通じて決定しているのは、あくまで「国政(national policy)」であって、その中の最も大きな決定事項として、「憲法典(constitutional code=②形式憲法)」の制定・改廃も含まれるが、
<2> その一方で、「国制(constitutional law=①実質憲法)」すなわち、国家の継続的なあり方に関しては、我々の世代だけの「決定事項」とするのは、おそらく僭越に過ぎると思われる。

こうした政治感覚からすれば、
日本国憲法に「国民主権」という規定があり、それが具体的には、国民の「憲法制定権力(制憲権)」を指すとしても、その「憲法」とは、芦部説や佐藤説が暗示するような、①実質憲法(国制)ではなくて、あくまで②形式憲法(憲法典)に留まる、
すなわち、特定の世代の国民が決定できるのは、②形式憲法(憲法典)迄であって、①実質憲法(国制)自体は、幾世代にも渡って次第次第に形成されてきたもので一時の政治的決定によって任意に改廃できる類のものではない

と結論づけるのが妥当である。
(=このように、①実質憲法(国制)を、特定世代の意思によって「制定・改廃」可能なものとしてではなく、あくまで幾世代にも渡る人々の営為の中から「自生(自然に成長)」するものと見る立場を、法の支配という)

芦部信喜説のように、「国民主権」=「憲法制定権力(制憲権)」とし、かつ、その対象たる「憲法」は、①実質憲法(国制)を指す、とする憲法理論とは、要するに「国民主権」の貫徹=「天皇制打倒」という《革命の成就》(彼らのいう「八月革命」の完遂)を密かなアジェンダに掲げた宮沢俊義以来の戦後憲法学(及び丸山政治学?)の悪しき遺物なのである。(※なお、佐藤幸治説(京大系憲法学)は八月革命説を肯定しているわけではないが、結論から見れば芦部説と同様である)


■8.関連ページ


「法の支配」と国民主権 「法の支配(rule of law)」とは何か
憲法論まとめ 憲法論まとめ 《2段階の憲法論の区別 ~ ①実質憲法(=法価値論)と、②形式憲法(=法解釈論)》
関連用語集 【用語集】主権論・国民主権等
阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第七章 国民主権と憲法制定権力
阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第8章 国民主権あるいは憲法制定権力



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最終更新:2014年04月05日 23:51