阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)  第一部 国家と憲法の基礎理論    第十ニ章 政党論 p.197以下

<目次>

■第一節 政党の発生


[227] (一)政党は自然発生的に成長して議院内閣制の成立条件となった


議院内閣制の成立する条件は、政党、なかでも二大政党制の確立にあった。
二大政党のなかの多数派の首領が内閣を組織することから、議会と内閣との間の政治的一致の原則が成立し得るのである。
「議院内閣制は政党政治の行われる装置」として国制上の慣行として生成発展してきたのである。

政党は、リーダーシップある指導者によって統率される組織体である(政党の意義は、次節の [230] でふれる)。
政党は指導者に従い、指導者は党員の中から同質的な内閣を組織することが出来る。
内閣全体の一体性・連帯性はここから生ずる。

政党の発生は、議会観の変容とも並行する。
古典的な議会観によれば、議会とは国民の一般意思を表す組織体であった。
その見方は、代表もその選出母体も「教養と財産」をもつ同質の人々であった時代においては成立し得た。
ところが、普通選挙制の実施後の現実の国民は、凝集した一体ではなく、政治的には勿論、経済的、宗教的、文化的な利害対立によって分裂した諸集団の束という他ない。
この時点から、議会は、統一的な国民意思の表示の場ではなく、社会における利害対立を公式のルールに従いながら調整する場であると観念されてくる。

議会が、現実的利害対立の調整の場であるとすれば、その利害を明確に表示し、集約化する媒体が登場すること必然となる。
この利害の表出・集約機能を果たす最も重要な存在が、政党である。
政党の存在とその機能は、理論によって設計されたのではなく、現実の世界で発生した一連の出来事によって決定されてきたのである(G. サルトーリ)。

[228] (ニ)政党は普通選挙制の実現に伴って成立した


政党が歴史上どの時点で成立をみたかにつき定見はない。
イギリスにみられたウィッグとトーリは、同質の支配的階層における二つの名望家集団であった。
その後、それらは保守党、自由党となるものの、それらも同質性を示す集団であった。

政党が発生する要因は、先にふれたように、国民の中での社会経済的対立、宗教的対立、人種的対立等の利害対立である。
その利害対立は、普通選挙制の実施によって噴出した。
国民の内部での利害対立を政治過程に表出するための基本的条件が整った後に、政党は登場した。
その基本的条件とは、言論・集会・出版の自由が保障されて権力回路が開かれていることであり、代表制や議会政治のルールが確立することであった。

政党が、地区委員会の設置によって、その最初の固定的な組織形態を整えて、多元的な社会的利害対立を吸収し始めたのは、18世紀末頃になってのことであった。
それまでの政党は、フランスのようにルソーの影響を受けた国では「一般意思を偽造せんとする異物」であると拒絶されがちであったのは当然としても、アメリカにおいてさえ「有害な徒党」(J. マディスン)とみられた。

[229] (三)政党は当初敵視されたが次第に法認されてくる


政党の存在が憲法典を頂点とする実定法によって認知されるまでには、有名なH. トリーペル(1868~1946)の政党の四段階説(反対→無視→法制化→憲法編入)にみられるように、紆余曲折がみられる。

政党の存在がまず国法によって忌避された理由は、自由で平等なる議員からなる古典的議会観と相容れなかったことによる。
政党の登場した当時の国家が、中間団体に対して一般的に強い警戒感を抱いていたことはいうまでもない。
だからこそ、19世紀までの憲法典上の規定は、命令的委任の禁止、免責特権条項を組み入れ、議院規則は、議席の抽選による配分等、政党組織発生を阻止する様々な方策を施したのである。
当時までの国家理論によれば、統治権なるものは憲法典上の機関に排他的に委ねられるべきものであった(「反対の時代」)。

その後、19世紀の諸憲法典は、結社の自由が政治的結合の権利を含むとの理解のもとで、政党の誕生を手助けはしたものの、憲法上の扱いはそこで停止したままであった(「無視の時代」。イェリネックも「政党そのものは、それでも、国家秩序の中に何らの地位を有していない」と述べた)。

さらにその後、生育の基本条件も整った段階で、政党は、正式に法令によってその存在につき承認を受けつつも、規制の対象となっていく(「法制化の時代」)。
この段階への端緒は19世紀終盤のアメリカにみられた予備選挙手続における政党の法的規制・承認にあるが、最大の転機は、ヴァイマル憲法(1919年)22条の採用した比例代表制に求められる。
同条を受けた選挙法は、各政党が候補者名簿を作成し、選挙人は自己の支持する政党の候補者名簿に票を投ずることを法認したのである。

ところが、こうした法律上の承認にも拘わらず、ヴァイマル憲法自身は、命令的委任の禁止(21条)、議員の免責特権(36条)規定を有しており、政党に対して防御的態度を維持した(また、130条において、官吏は全体の奉仕者であって一政党の奉仕者であってはならない、とされているのも、政党に対する警戒心の表れであった)。
従って、この時期にあっても、「政党は憲法外の現象」との評価が一般的であった。
依然として、憲法典自身、議会は自由・平等な独立して表決する議員によって構成されるものだ、という理念にお依拠していたのである。

19世紀から20世紀にかけて、政党政治と民主主義とが矛盾なく結合していたのは、イギリスとアメリカだけであった。
それ以外の西欧世界の諸憲法典が、政党をタブー視することなく正式に政党の存在に言及するようになるのは、第二次大戦の終了とその後の先進自由主義国の政治的安定を待たねばならなかった。


■第ニ節 政党の意義と機能


[230] (一)政党は政治権力を獲得するための任意結社である


政党の定義は未だ確立されていない。
通常、政党の特質は、圧力団体や市民運動との対比のなかで求められる。
その特質が、これらの団体とは違って、政治権力を獲得しようとする点にあるとみれば、政党とは政治権力を獲得しようとする人的組織体である、と定義づけることも出来る。
ところが、この定義も、「政治権力」の意義自体、論争を呼ぶところだけに、掴みどころのないものとなってしまう。

右の定義を基礎としながら、政党が国政の選挙過程を通して「政治権力」を獲得せんとしている点に着目すれば、「政党とは、立法府議員選挙に候補者を送り出す全ての組織」をいうと定義されることになる。
「政党とは、・・・・・・選挙を通じて候補者を公職に就けさせることが出来る全ての政治集団である」とする有名なG. サルトーリの定義もその一例である(サルトーリ『現代政党学Ⅰ』111頁)。
もっとも、この定義は、政党活動を選挙過程とだけ関連づけているために、第一に、議席獲得を目的としない政治団体を政党から排除してしまうばかりでなく、第二に、政党間の相互作用を看過しがちとなる点で、視野が狭すぎる。

政党が、歴史的には、任意の結社(一定目的をもった、永続的で同質の人的結合体)として承認され、成長してきたことに鑑みれば、結社としての属性は勿論、その目的や組織原理の固有性に着目した定義を模索しなければならない。
政党は、公式には選挙戦での勝利に焦点を当て、政権獲得を最終目的とするために(統治過程を統制する結合体)、その基本方針や公約は、多数者の支持を受けるだけの公共的・包括的なものとならざるを得ない(公共的包括的結合体)。
また、選挙人の有する具体的・日常的利害を集約するための指針となる党綱領を整備し、恒常的な地方組織と、地方組織を指導する統一的全国組織というピラミッド型の階層を形成するのが通例である(合理的組織原理に基づく結合体)。

右のような政党の特性に鑑みた場合、政党を以って、「政治権力への参加、獲得を目的とし、この目的を達成するために永続的組織を利用する、共通のイデオロギー的見解を有する人々の結合体」をいうとするレーヴェンシュタインの定義が、現時点では、最も説得力を持とう(『現代政治論』94頁。シュンペーターの定義もほぼ同旨)。

右にいわれる「政治権力への参加、獲得」とは、選挙過程と政党間の相互作用のなかで、最終的には、立法審議の指導権を掌握するばかりでなく、執政府を形成することを指すものと解される(執政府を形成することに成功すれば、法案作成段階の指導権まで掌握できる)。

[231] (二)政党の機能は利益掌握から政権獲得まで多種多様である


現代政治における政党の機能は、次のように要約できる(岡沢憲芙『政党』参照)。

様々な個人や集団の表出する利害・要求を、処理可能な数セットの選択肢にまとめる利益集約機能、
政治に関する情報を選挙民に提供し、公論の形成を助ける情宣機能、
政治的リーダー(議員、首相等)を選抜して、統治機構上の地位に就任させる選出機能、
内閣や大統領府を組織したり、議会や委員会での審議のイニシアティヴを握る等するための、政治的意思決定マシーン機構化機能。

今日、政党の存在について「民主制は、日々のパンと同じように、政党を必要とする」とか「政党は現代政治の動脈である」とか評されるのは、こうした機能に鑑みてのことである。
なかでも、政党が議会を通じて執政府を形成し、運営するに至った段階の政治を、「政党政治」という。
また、政党政治において、政党相互作用が展開される枠組みを「政党システム」と呼ぶ。
政党システムは、行動単位数に焦点を当てて、一党制、二党制、多党制に従来は分類されてきた。
今日では、この分類は単純すぎるとの反省のもとで、一党制、一党優位政党制、二大政党制、穏健な多党制、分局的多党制等を挙げるのが通例である。

[232] (三)政党政治の時代になると政党は憲法編入の時代を迎える


政党は、一定の共通目的を基礎とし、自主規範(指導→服従等の内部統制のルール)を持つ永続的な任意の人的組織体であるという意味で、通常の私的結社としての属性をもっている。
先に示した政党の利益集約機能や情宣機能は、私的結社としての活動に着目した場合の機能である。

ところが、政党はそればかりでなく、政党政治の時代に突入した段階で、あたかも国家機関の創設機関の如くとなる。
先に指摘した政党の選出機能(政権担当者としての政党)および政治的意思決定のマシーン機構化機能(政局運営者としての政党)は、国家機関創設機関さながらの機能である。

政党は、このようにヤヌス的属性をもつ。
「政党は、一方の端を社会に、他方の端を国家に架けている橋である。別の表現を用いると、社会における思考や討論の流れを政治機構の水車にまで導入し、それを回転させる導管、水門である」(E. バーカー)。
今日の政党は、社会と国家とを架橋すべく、支持団体の利益を集約し、議会という統合機構のなかで、他の支持集団を基礎とする政党と競争しながら、国家機構に手を延ばすのである。
このことからすれば、政党をフォーマルに公的機関と位置づけることも、不合理な思考ではない。

第二次世界大戦後の諸外国の憲法典のうちの幾つかは、一国の政治が政党の動向によっても決定されるとの認識に立って、政党のあり方につき言及してくる。
例えば、ドイツ連邦共和国基本法は、結社条項(9条)とは別に、政党条項をもち、その21条に曰く、
「政党は、国民の政治的意思の形成に協力する。その設立は自由とする。政党の内部秩序は、民主的諸規則に合致しなければならない。政党は、その資金の出所および使途並びにその資産について、公開の説明をしなければならない。その目的または党員の行動Nに徴して、自由で民主的な基本秩序を妨害しもしくは廃止し、またはドイツ連邦共和国の存立を危うくするような政党は違憲とする。違憲の問題については、連邦憲法裁判所が決定する。」
この規定は、私的結社とは異なる憲法上の地位を政党に与えている点で、トリーペルのいう「政党の憲法編入」という第四段階を示唆するかのようである。
特に、「内部秩序」、すなわち、党の意思形成、候補者の選定、綱領・党則の決定、役員の選出等につき、民主的諸原則に合致するよう求めている一項は、他の国にみられる政党の役割についての宣言的な規定スタイルとは性質を異にしている。

それでもなおドイツ基本法は、自由で独立の議員の地位を保持するための命令的委任禁止条項(38条1項)をもつ。
政党条項と、命令的委任禁止規定とを、どう調和すればよいかにつき、ドイツの学者の間でも見解は一様ではない。
ある見解によれば、政党条項の目的は命令的委任の禁止の思想に終止符を打つことにあるといわれ、反対の見解によれば、政党条項にそこまでの意義は与えられない、とされる。
こうした見解の対立は、ドイツ基本法が政党の憲法編入への過渡期にあることの表れであろう。

[233] (四)政党国家は病理的現象をももたらす


政党は、国民と議会を、さらに、議会と執政府とを結ぶ不可欠のリンクであり、代議政治の生命線である。
ケルゼンが「デモクラシーは、必然不可避的に政党国家である」といい、レーヴェンシュタインが「政党は直接民主制の代替となり、政党の意思こそ一般意思となる。従って、国民主権とは政党主権である」とやや誇張気味に述べたのは、健全な政党の姿に期待してのことであった。
ところが、政党は、選挙の際、整然とした行動要領を提示しないばかりか、その政策表明(公約)は、選挙民の投票行動を決定する力に欠け、また、選挙に勝った政党の行動指針ともならないのが現状である。
政党は、世論の最大公約数のターゲットを当てるために、政治的争点を相対化し、曖昧にしがちである。
政治学者たちが、政党の腐蝕衰退現象について語り始めたのは、こうした現象を正面から見据えたためである。

特に政党と国民との関係をみれば、政党は、最も有効に票を獲得しようとして利益誘導的政治活動へ流れ、組織票をもつ特定の集団利益の代弁者と成り下がっている(本書が「半代表」の理論に警戒的であるのは、こうした現実政治に配慮しているためである)。
さらに政党と官僚組織との関係をみれば、政党は、議会内での発案・政策作成過程において、専門知識を有する官僚組織の協力を得なければならないために、「全体の奉仕者」であるはずの公務員を「政党の利益の奉仕者」へと変質させてくる。
こうした政党の腐蝕衰退現象は、政党に代わる代議政治の生命線がないだけに、憲法政治にとって重大問題である。
後述するように、政党の組織のあり方、内部での意思決定過程、政党財政等につき、憲法典上さまざまな要請がると解されるのも([236]参照)、政党の憲法政治への影響をもはや無視出来ないからこそである。


■第三節 政党の憲法上の性質


[234] (一)ヤヌスの顔をもつ政党の性質を簡単に解明することは出来ない


基本的には、政党は社会に根源をもつ私的な任意結社であるものの、今日では、国家機関の創設機関さながらである。
こうしたヤヌスの顔をもつといわれる政党が、憲法上いかなる性質をもつ団体であるか、という理解の仕方も、政党の果たす公私に亘る多様な機能に応じて多様とならざるを得ない。
政党条項をもっているドイツ基本法のもとで、政党の憲法典上の性質(【N. B. 16】参照)につき、学説は、①国家機関説、②社会団体説、③媒介説(折衷説)、と、鋭く対立している。

【N. B. 16】ドイツにおける政党の性質をめぐる論争について。
ドイツ基本法上、政党がいかなる性質をもつかという論争は、違憲政党の禁止条項の理解の仕方と関連している。
まず国家機関説は、 政党の政権担当機能を重視して、政党を一つの国家機関、すなわち、国法上の創設機関であると解する。
この立場によれば、憲法典上の公的機関としての政党は、その根拠たる憲法秩序に適合することが要請される。
現行のドイツ基本法が、自由と民主主義の名のもとで自由民主主義を否定する政党は存在してはならないとする「戦う民主主義」を標榜して違憲政党の禁止を定めているには、政党の公的機関としての性質に鑑みてのことである、と同説は理解する。
社会団体説は、 政党がその根を社会に置いていること、また、利益集約機能や情宣機能を果たすことを重視して、一つの任意の非営利団体であると理解する。
この説は、政党に保障されるべき設立の自由、活動の自由、内部統制の自由、解散の自由等を解明することに成功する。
媒介説または折衷説は、 政党の地位が「公/私」いずれかであるという硬直した態度を避け、画一的に法処理できぬ独自の法領域の法理に従うものと理解しようとする。
この説は、
(ⅰ)政治的権力は、憲法典上の機関のみによって行使されるわけではないこと、
(ⅱ)党員資格や内部事項の運営につき、政党は相変わらず立法(法律)によって侵害されてはならないと解されてきてはいるものの、司法的に統制されるのであって(ドイツの場合には政党の解散措置は司法手続によってとられる。連邦憲法裁判所のその権限については、連邦憲法裁判所法の13条に、手続に関しては、同法の43条以下に定められている)、絶対無制約・自由放任ではなくなってきていること、
(ⅲ)選挙法制によって政党が規律されたことは、その規律がいかに技術的であっても、選挙過程が統治過程の一要素である以上、政党を純粋に私的任意結社として位置づけることはもはや不可能であること
等をその前提としている。
その上で、この説は、政党が国家と社会との間にあり、その本質は国家と社会とを媒介する点にある、とする。
ドイツ基本法の標榜する「違憲政党の禁止」は、政党の媒介的機能に鑑みて、政党が法治国家の一部となることを求めているもの、と解されることになる。

[235] (ニ)政党の現実政治における機能と、その憲法典上の地位とを混同してはならない

最終更新:2014年01月12日 23:46