後漢代まで中国の詩は、詩経楚辞を代表とする「辞賦」が主だったが、曹操、曹丕、曹植らの「三曹」が、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、庇護したことにより、五言七言で表される「楽府」が主流になった。
なお、「三曹」の内訳については、時代によって曹植が曹叡であったりする。
曹操
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漢詩大会の漢詩全文/曹操
漢代までの旧い詩体がもつ素朴さと、作者独特の奥行きを兼ね備えており、旧詩体の最後にして最高の後継者。
酒が来たぞさぁ歌おう。人生はどれほどか、例えるなら朝露のごとし。
青青たる君の衿(えり)、悠悠たる我が心。ただ君のために、詩を吟じて今に至る。
明るいこと月のごとく、いつ採ることができるのか。憂いは私の裡から来て、断絶することはできない。
山は高きを厭(いと)わず、海は深きを厭わず。周公は食事中に口のものを出してまで、すぐに客に会おうとしたから、天下は周公に心を帰した。
来た賓客をもてなす志を詠んだ詩。
白骨は野において露となり、千里のはざまに鳴く鶏は無い。生民百のうち、一を遺すのみ……
(■=鶏の左側の字+推の右側の字。鶏)
理想叶わず、戦乱が続くことを悲しむ詩。
神龍は深き泉にひそみ,猛獣は高き岡を歩く。狐は死すとき故郷の丘に首を向け、……
故郷を懐かしみ、故郷に帰りたいという志を詠んだ詩。
名馬は老いてうまやに伏すとも、志は千里を駆ける。烈士は人生の暮れにあっても、壮心を持ち続ける。
5編の短詩からなる「歩出夏門行」のクライマックスを飾る章。
神亀騰蛇にも、終焉は訪れる。いのち短い我々も、心のもちよう次第。
心身ともに養って、神仙界のいきものにも劣らぬ生を過ごそう。
曹丕
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漢詩大会の漢詩全文/曹丕
曹操が旧時代の最後の詩人ならば、曹丕は新時代の最初の詩人。
抑え目だからこそ臨場感にあふれる描写と、試験的なスタイルの詩が多い。
秋風が蕭瑟のように吹き、天気は涼しい。草木は揺れつつ枯葉を落とし、つゆは霜となる。
ツバメの群れは辞し帰り、雁は南に翔ける。
秋の夜長に、出征した夫をしのぶ妻になりきって詠んだ詩。
中国史における、七言詩代表格のひとつ。
春のひざしに成長させないものはない。草木の群類が育つまにまに大いなる……
中国戦国時代の名剣をはじめ、当時の有名な品を挙げているのが特徴。
朝に佳き人と期を約束したけど、夕暮れに佳人は来ない。
三つの章からなる秋胡行の2番手。宴会の約束をしたのに相手が来ず、色々とまごつく。行動が面白い。
西北に浮雲有り。もくもくと湧きあがること貴人が乗る馬車の傘蓋のようだ。ただ天の時に遭わずを惜しむ。
曹植
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漢詩大会の漢詩全文/曹植
唐代に杜甫が現れるまで「詩聖」と評され、「子建八斗(天下の詩才のうち80%は曹植に与えられているの意)」とまでいわれたほどの詩人。
父親譲りの雄偉かつ細心な描写技術が見どころ。
出典:「白馬篇」
白馬を金の羈(かざりもの)で飾り、連隊がそろって羈や軍旗を翩し西北へと馳せる。問いかけよう、あれは誰の家の子か……
身を鋭い刃の端に捨てよう、生命など惜しくもない。父母もかつ顧りみず……
騎馬を駆って出陣する幽州や并州の若者たちを描写した詩。
このことからか、彼ら騎馬隊を率いたであろう張遼(并州出身)を詠んだとする本もある。
出典:「七哀詩」○
いつ会うことができるのか。願わくば西南の風となり、長く逝って君の懐に入りたい。
帰らない旅人との距離感を想い悲しむ妻を詠んだもの。
出典:「七歩詩(古詩源)」○
●=(豆支)の字、▲=(くさかんむりっぽい字に其)
曹丕が処刑のかわりに、七歩のあいだに詩をつくるよう命じたとき、作られたことで有名なもの。
二つバージョンがあるが、ゲームで出ているのは、古いバージョン。
出典:「野田黄雀行」○
高樹は悲風多く、海水はその波を揚げる。するどい剣が手のひらにないならば、親交をむすぶのに、どれだけ多くが必要となるだろう。
剣も力もなく友を失った自分と、捕らわれた燕を剣で解き放つ若者を対比させた詩。
参考サイトに詳しい解説あり。
出典:「送應氏」
中の野はとてもわびしく、千里に人があげる煙は見えない。私がいつも親しくしている君を思うと、気がつまって、何か言うこともできない。
應=応。曹植の直近である応兄弟を見送ったときの詩とされる。
荒れ果てた洛陽で、長く親しくしてきた友人と別れることを思うと、言葉を失ってしまう。