3-261「佐々木の趣味」

 誰にだって人に自慢できない、あるいはする気のない趣味のようなものがある。
 私にとってのソレは、B級あるいはC級に分類されるいわゆるダメ映画の鑑賞だった。
 先日、中学校を卒業し、高校への入学準備も滞りなく進んでいたある春の日。
 私はひとり、市外の映画館に来ていた。この劇場で単館ロードショウに掛かっている
ホラー映画を鑑賞するためだ。もちろん、B級作品である。
 この映画を撮った監督は、B級映画好きの間でも定評のある人物で、かくいう私も、
公開前から楽しみにしていたのだ。もちろん、前売りチケットを購入した。受験を終えた
後の自分に対するご褒美、そんなつもりだったのだ。

 映画について語るのはこの程度でいいだろう。ちなみに、実に期待通りの出来映えだった。
本格派のB級スプラッタ映画を久々に堪能した。
 ところで、あなたはスタッフロールは最後まで見る人だろうか、それとも劇場内に明かりが
点り次第、足早に席を立つ人だろうか。かくいう私は、最後まで座っている人間である。
幕が下りても、幕の上にエンドクレジットが写されるまで見ている。もちろん、理由はある。
とある映画で、映画本編をダイナシにするようなカットがエンドクレジットの直前に挿入され
ていたことがあったのだ。それをうっかりと見逃して以来、エンドクレジットが出るまでは、
油断しないという癖がついたのだ。だが、今回はこの癖が仇になった。
 最後まで座っていたから、“彼”に気がついてしまった。入館した時には気がつかなかった。

そして-----。

 声を掛けようかと口を開いた瞬間に、“彼女”にも気がついた。
そう、彼には連れがいたのだった。

 あなたには、定型化された休日の過ごし方というものはあるだろうか。
私の場合、あの劇場で、午前中に映画を鑑賞した後は、近くにある小洒落た
喫茶店で、アフタヌーンティーをたしなむというものである。そして、映画の
余韻を楽しんだり、小説や雑誌などを読んだりしてその日の午後を過ごす。
当然のことながら、今回もそのパターンを踏襲した。

 目当ての喫茶店は最近、どこかの情報誌に掲載されたらしく、そこそこ
混んでいた。だが、入れないほどではなかった。席に着き、お冷やを置き
に来た店員に、ダージリンをアフタヌーンティーセットで注文する。
 お手ふきで手をしめらせたところで、我知らずため息が漏れた。
 おいおい、どうしたというのだ、キミ。
ずいぶんとさっき目にしたシーンを気にしているようじゃあないか。
 自虐的な笑みが浮かぶ。
 キミは常に理性的で論理的な人間を目指しているのではなかったかな。
感情はノイズに過ぎず、恋愛感情なんて一時的な精神の病に過ぎないのだろう。 
 僕は彼にそう告げたじゃないか。
 止めろ、ペルソナを被れ。
 私を取り戻すんだ。
 深くため息をついた。
 春は心を不安定にする。それを実感したのは生まれて初めてだった。
いいさ、長い人生、こんな日もあるだろう。私は彼のことを思い出していた。
 彼との付き合いは1年にも満たなかったが、14年弱の人生の中で、もっとも深くまで、
私の中に踏み込んだ、あるいは、踏み込ませたひとりだった。
 彼とは、いろいろなことを話した。これまで、誰にも話せなかったこと、話したかったこと、
語りたかったこと、聞きたかったこと。人生観、宗教観、歴史観、日々のさまざまな出来事、
受験、学生生活、夢、恋愛観、などなど。
 周囲のクラスメイトたちは、私と彼がいわゆる恋人関係にあるものだと決めてかかっていた。
否定した所で、黙殺されるだけだったから、後半は無視することに決めた。
それに“そんな些末なこと“で彼を失いたくはなかったのだ。
 もっとも、彼は最後まで否定し続けた。
「アイツとはそんなんじゃあない」
 ずっと、そう言い続けてくれた。それは僕(彼だけではなく、男子生徒の前では、
私は敢えて中性的な口調で喋っていた、その時の一人称が“僕“だった)にとって、
とても嬉しいことだった。

 振り返って見れば、当時の私は恋愛という物を必要とはしていなかった。
いや、積極的に不要な物としていた。それは中学に入学して初めて告白という物を
受けた時から感じていたことだ。相手の人には申し訳ないが、他人から好意を、恋愛
感情を向けられるということが私には理解できなかったのだ。
 相手は自分を理解していないし、理解が必要とも感じていないようだ。相手に好意を
持たれるようなことも、好意を向けるようなこともしなかったのに、一方的に向けられる
感情、そしてそれを受け入れて貰えると思っている相手、“これ”は何なのだろう。
 これが恋愛だというのなら、私にはそのような理解不能な、ものは必要ない。そう断じた。
 “僕“のペルソナを用意したのはそれからだ。もって回した、ちょっと古風なしゃべり口調、
理性的で論理的な思考と態度、3年もそれを続ければ、僕と私の使い分けはうまくなる。
周囲の覚えもめでたく、私は望みの位置をクラス内、あるいは学年内に得ることに成功した。
かつてのクラスメイトたちに私のことを聞いたら、二言目には“変な女“あるいは“変わり者“、
“変人“というリアクションを得られるはずだ。
 だから、彼との間には恋愛めいたやりとりはなかったし、恋愛感情の交歓もなかった。
友情ならあったと思う。というより、今だって無条件に友情は感じている。

「じゃあ、俺は……そうだな、ナポリタンとアイスコーヒーで」
 思考の海から引き上げられたのは、そんな一言が耳に入ったからだった。
何ともはや、今日の私は物語の登場人物のようじゃないか。アフタヌーンティーセットに
付属してきたナイフを陽光にかざす。見慣れた彼の背中と彼女がそこに映った。
 どうやら、またしても互いの存在に気がつかなかったと見える。
もっとも、この場合は気がついた所で、敢えて無視するのも友情という物だろうか。
 彼の対面に座っている彼女は春物の花柄ブラウスに薄手の水色のカーディガン
というファッション、お下げにしたセミロングの髪と相まって、清楚という形容が
ぴったりな可愛らしいお嬢さんだった。
 とても、年上には見えないから、後輩という所だろうか。だが、学校で見かけた
覚えはない。彼に接触する後輩の可愛い少女がいるなら、私の耳にその存在が
入らないわけはない(クラスメイトの女子たちがその手の噂やゴシップに目がな
いのはわざわざ説明するまでもないだろう)ので、他校の生徒ということになる。
……彼女の存在を彼から聞いたことはない。
 彼女は所在なげに周囲を見回し、彼と目線が会うと、真っ赤になって目を伏せる。
そんなことを繰り返していた。初々しく可愛らしい仕草だった。とても私には真似できない。
もちろん、する気もないのだが。
 切れ切れにふたりの会話が耳に届く。浅ましくイヤらしい行為だと思いつつも、
私の神経は耳に集中していた。

「それだけじゃ腹がすかないか?」
「いえ、だいじょうぶです。わたし、小食なんです」
 こらこら、キミは何を言っているんだ。ああ~、彼女が泣きそうじゃないか。
「あ、あ~いや、そういう意味で言ったんじゃないんだ」
 慌ててフォローに入る様が、背中越しでもよくわかった。
「ウチのヤツだったら、ケーキセットにパフェとサンドイッチくらい言うさ。
でも、女の子はそれくらいの方が可愛いよね」
「そう、ですか」
 そういうものなのだろうか。サンドイッチに、スコーン、ジャムとクリームが
満載されたアフタヌーンティーセットを見ながら、益体もない感想を得た。
「うん、もっとも、キミは可愛いというより、綺麗だけどね」
 彼もデートをするような間柄の女の子の前では、このようなことを言える
人間ということか。私の前では決して見せたことのない顔をしているのだろう。
それを覗き込みたい誘惑に駆られたが、デートの邪魔をするのはあまりにも
ゲスな行為だ。自重しろ、私。

「…………」

 沈黙と同時に、彼女は熟れたリンゴのように真っ赤になった。
歯が浮くとはまさにこのことだが、一定の効果はあったようだね。
「大丈夫。キミは綺麗だって、クラスの男子の内、半分くらいはキミに惚れてるよ、
馬の鞍を賭けてもいいね」
 そのネタは通じないぞ、間違いなく。と、その前にそのセリフは逆効果だぞ。
クラスの男子の気持ちなんてキミの気持ちに比べたら、彼女にはどうでもいいんだ、
そこをわかってあげないと……。

 もしかして、わかっていないのか。そうだ。彼はわかっていないのだ。
 空気が冷えた。

 平静に戻ったのか、顔を上げた彼女には強ばった愛想笑いが張り付いていた。
そうか、彼女には彼が“わかっていないこと”がわかったのだ。
 緊張の解けた気配を背中で感じた。彼はわかっていない。 彼女の高揚の意味も、
彼女の浮かべた微笑の意味も、彼はわかっていない。朴念仁、唐変木、鈍感、など
という単語が私の脳内を駆けめぐった。だが、彼らしいといえば、まったくもって彼らしい。
苦笑が顔に浮かんだ。

 そうして、私は自分が“安心”していることに気がついたのだった。

 後のことは、別にどうだっていいことだ。ふたりは何か、適当な会話を途切れつつ
もしていたようだが、気にはならなかった。それよりも気になったのは、私の中に駆
けめぐる雑音の嵐だ。その日一日、この嵐について考えてみたが答えは出なかった。
ああ、これは正確でもないし、正直ではない。
 その答えに気がつくためには、いや、私がその答えを認めるためには、もう一度春
が来なければならなかっただけの話だった。

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最終更新:2008年01月28日 22:31
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