3-605「karma」

「Karma」

 いつの頃かは判然とはしないが、制服の上着を着ていたことは覚えているので、
中学三年の秋頃のことだったと思う。そんなある日の昼休みのことだ。
 給食を食べた後、ちょっとした用足しをすまして、俺は自分の席に戻ってきた。
国木田から借りた週間漫画誌を読んでしまおうと思っていたのだ。
 くだらないギャグマンガに笑い、格闘マンガをワクワクしながら10分ほど読んでいた時、
隣席の佐々木の様子に気がついた。
 目を軽く閉じて音楽を聴いているようだ。昼休みの佐々木は、小難しい文庫本を読んでいるか、
予習か復習をしているのが常であったので、ちょっと意外だった。
「ん、何か僕に用事かな、キョン」
 俺の視線に気がついたのか、佐々木は薄く目を開けて、微笑んだ。
 や、珍しいなと思ってさ。俺は彼女に弁解するような調子で話しかける。
「そうかい、僕はNo music No lifeという人間ではないが、まったく音楽を聞かないわけではないのだよ」
 何を聞いてるんだ。会話の穂をつなぐようなつもりでそう尋ねた。
また、イヤホンから漏れ聞こえる音がどこかで聞いた曲だったのも大きかった。
「これかい? たしか、bump of chickenだよ」
 へぇ、佐々木はそういうの聞くんだな。
「ふぅむ、僕がどんな音楽を聴く人間だとキミは思っているんだい? いや、別に責めている
わけじゃない。キミの目に映る僕はどんな音楽を聴くイメージなのだろうと、ね。興味本位さ」
 そうだなぁ、60年代のハードロックか、クラシックだな。
「クラシックはともかく、ハードロックは聴かないね」
 そうか、doorsとかQueenとか好きそうなイメージなんだがな。ヴァークナーとか口笛で吹け
たりしないのか?
「僕は人間試験に合格した中学生でも、女を殺さずにはいられない殺人鬼でも、
不定形の何かでもないよ」
 俺はお前が今、何を言っているのかがわからない。
「そうかい? 失礼、気を回しすぎてしまったようだ。気にしないでくれたまえ。ちなみに、
これはとある人から借りた物でね、僕のイメージなのだそうだ」
 ほう、ソイツはお前にどんなイメージを持ってるんだ?
「聴いてみたまえ。そして、キミの感想を聞かせて欲しい」
 そう言って、佐々木はイヤホンの片方を寄越して見せた。隣の席に身を乗り出すようにして
イヤホンを耳に引っかける。激しいギターの旋律が耳を叩く。これ、なんていうタイトルなんだ?
「Karma、業という意味だね」
 しばし、黙って曲に聴き入る。ふ~~む、なんというか、絶望と希望の歌だな。曲が終わり、
イヤホンを佐々木に返しながら、そう告げる。
「キョン、キミはこの歌からそう感じたというわけだ。どうやら、僕に対するイメージはそのような
ものらしい」
 まぁわからないでもないな。
「くつくつ、なるほど。僕は絶望と希望を体現した人間ということなのかな」
 今のお前がどうというわけじゃないさ。
 だけど、お前が何かを探しているのは鈍い俺にだってわかる。
もちろん、そんなことをお前に告げたりはしない。それはあまりに傲慢な行為だ。
 この時代の俺たちの中に、自分の理解者を見つけたいと思っていないヤツなんていないのだ。
「でも、この歌は気に入ったよ。ひとり分の場所にはひとりしか入れない。
生きると言うことは戦うことさ、誰の言葉だったかな」
 そうだな。生きると言うことは他者を押しのけるということ。受験生である俺たちにとって、
それは他人事じゃあない。
「これこそ、まさにカルマあるいは原罪と呼ぶべきだね。この世のあらゆる生は、他者の存在を
奪わなければ維持できないのだから」
 だから、同じ場所を共有できる存在と必ず出会う。
そんな無根拠な希望を持たなければ俺たちは生きては行けないのだ。
「キョン、ひとつ聞いてもいいかな。キミはこれまでの人生で、同じ場所を共有できる存在を
得たことがあるかい」
 それは中学の昼休みに級友に対してする質問にしては難しすぎるな。
「くくっ、そうだね。許してくれたまえ。まったくTPOをわきまえていない質問だった。
僕らはいま同じ学舎を共有し、同じ学習塾で勉学の時間を共有している。それで十分だね」
 そういって、佐々木はまたあのなんとも表現しにくい笑いをこぼして見せた。
「……来年の僕らはこの日だまりのような時間を懐かしく思い出すことがあるのだろうか」
 俺たちがどう思っていた所で、この場所にはあと半年もいられない。
それもまた生きるってことだろう。
 柄にもなく哲学的になった俺は、そんなことを言っていた。
まったく、似合わない。何を格好付けているんだか。
 何か思う所があるのだろう。佐々木は返答せずにまた瞑目した。会話の終了を感じ取った俺は
哲学をそこら辺に捨て、週間漫画誌に意識を移した。
 だから、佐々木のつぶやきを俺は聞き漏らしていた。

「……僕は得たよ、そしてそれを自ら手放そうとしているんだ」

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最終更新:2008年01月28日 22:36
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