3-841「とりあえず着替えんかい」

なんの因果か佐々木と自室で勉強をしていると何物かが部屋のドアを叩いている。
「キョン君、コーヒーとお菓子の代わり持ってきたよ。入っていいよね?入るよ?」
「待て今ドアの前にはシャミセンが―――」
「え、シャミ?――『ミギャアアァァァーーーー!!!!!』



「……………いや、コーヒーがぬるかったのとシャツが黒かったのは不幸中の幸いだ。
 お前、片づけと謝罪は後でいいからさっさとタオルと雑巾持ってこい。
 KIGAE、KIGAE~―――――――って、そういや佐々木がいたんじゃねぇか!
 ちょっと風呂場まで行って「待てキョン、流石に室内とはいえ生ぬるい液体を浴びたまま長時間停止していたら
 気化熱によって急激に体温を奪われた結果低体温症を引き起こし深刻な健康被害を被る危険性があるだろうから
 キミは僕のことは一向に気にせず迅速に着替えを行うべきだと進言する。
 いや、『するべき』ではなく『せねばならない』と言い換えた方が良いかも知れない。
 とにかくキミのやるべきことは半裸になる……いや、つまりシャツを脱ぎ捨てて諸肌を晒すということであって、
 衣服を着たまま乾かすだとか、この部屋を出て行くという行動は取らない方が全くに賢明だろう。
 (中略)
 僕は単に話にまとまりが付かないからという理由でこうした話をしているわけではなく、
 ひょんなことから目にしているキミの物理的な状態からキミの普段の精神状態などが一考出来るのではないかと思った上でのことだ。
 良く言われるように肉体と精神には密接な関わり合いがあるというならば、
 キミの肉体を観察するということは、キミの理解者を自称する僕にとっては非常に有意義な行為といえるはずだ。
 また、あまり目にする機会のない同年代の異性の肉体的な相違点を観察することは、
 知識欲やその諸々の色々な欲求や欲求を満たすという効果もあり、僕にとっては精神的にも実益としても多いにメリットがある。
 僕自身がこうしてまともに話をしているということ自体が、人とケダモノの相違点はすなわち自己抑制の可否であると証明出来るだろう。
 僕がこうしてキミとの弁論に応じている間ですら、視覚的な情報が僕自身の理性という物を大きく揺さぶっているのは間違いないのだよ。
 これは人間の自己抑制の限界を試す大きなチャンスであり、僕は人類学的に見ても貴重だと言えるこの機会を一分一秒でも長く継続させるべきだと思う。
 キミがシャツを脱ぎ捨てて、自然主義者の言うような人間としてあるがままの姿という僕の対論を体現している以上、
 僕はあらゆる理性と人間性を持ってそうした主張と真っ向から対立するべきであると思っている。
 しかし理性というのはかくも儚いものだと先人は良く言った物だね、
 正直なところ僕自身はすでにそうした自然主義的なスタンスを多いに歓迎するべきではないかと考え始めてしまっているんだ。
 百聞は一見にしかずとはまさにこのことを差すのではないかな?
 思い返してみれば、僕の記憶の中では衣服を脱ぎ捨てた異性の姿など父親を除けば彫像や絵画の中ぐらいにしか存在しなかった。
 しかも自身の考える理想的な美意識に合致する対象が目の前で惜しげもなく裸体を晒している姿など、想像の中にすら滅多なことでは現れないものだ。
 今にしてみれば僕は僕自身の想像力が如何に貧困であったのかと自分を卑下しているぐらいだ。
 とにかく美意識というものを語る上では百聞は一見にしかずということを…すまない同じ話を二度してしまったかな?
 どうやら僕は性欲を持て余しているようで……すまないこれも忘れてくれ、どこまで話したかな、ところでキミはズボンは濡れていないのかい?

「キョン君、はいタオル」
「あんまり遅いからシャツが乾いちまった。代わりにあいつの鼻血を拭いてやれ」

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最終更新:2008年01月28日 22:41
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