31-211「佐々木さんの、子猫の目の甘い日々6 ごく何気ないホワイトデイ、の巻」

佐々木さんの、子猫の目の甘い日々6
ごく何気ないホワイトデイ、の巻

例年に比べ、寒さの厳しかった冬も、流石に三月も半ばの声を聞く頃には、
穏やかに次の季節へとその座を譲ろうとしている。
学校は試験休みだわ、来る春休みは宿題がないわ、
どうせ3年になったらイヤでも受験という現実を突きつけられるわで、
これでこの春のひとときをのんびり過ごさない奴はどうかしている。
怠惰に過ごすのではない。有意義に時間を消費するのだ。これほどの贅沢があろうか。

……などということを力説しても賛同が得られないことはじゅうじゅう承知している上、
何よりもまず、我らがSOS団団長はこの試験休みも元気全開で、付き合わされるこっちはヘトヘトだ。
今日も今日とて、朝早くから古泉と、ハルヒらのご機嫌を損ねないため、
明日に控えた恒例のイベントのための下準備をしていたところだ。やれやれ。

自分の部屋に戻ると、シャミが窓から差し込む日差しの真ん中で、幸せそうにお腹を見せて眠っている。
そういや、最近は帰宅するとシャシャキの来襲ばっかりで、こいつが昼間くつろぐ姿を見るのも、
考えてみれば久しぶりだ。
いつの間にか、シャシャキのいる日常が当たり前になってしまっているあたり、
自分の非常識な事態への包容力というか、鈍感力には表彰状を差し上げてもいいね、本当に。
まるで無防備なシャミの寝顔を見ていると、何だかこちらも眠たくなってくる。
よし、明日の準備はミヨキチや妹の分もできたし、今日やらねばならんことはもうない。
ならば有意義にゴロゴロさせてもらおうではないか。
などと勝手な理屈を組み立てて、ベッドに横になる。いやー、日差しのぬくもりを感じながら
ベッドに横になって弛緩するというのは、春のひと時に相応しい快楽であることよ。
清少納言も、春はあけぼの、などと張り切らずに、春は転寝、とでもしておいてくれればよかったものを。
そんなことをつらつら思っているうちに、すぐにまぶたが重くなり、俺は睡魔に引きずり込まれていった……。

浅い眠りから覚醒したのは、伸ばした左手にかかる重みと、もはや慣れ親しんだものとなりつつある、
柔らかなひだまりのようなシャシャキの香りに気づいてのことだった。
まだよくまわらない頭で、俺の隣りに横たわるシャシャキを視界に捉える。
よう、シャシャキ。

「やあキョン、春眠暁を覚えず  処処啼鳥を聞く
 夜来風雨の声 花落つること知りぬ多少、というところかニャ。くっくっ」
あー、なんだっけそれ。
「孟浩然の漢詩だね。春はあまりに眠り心地がよいので、朝が来たのも分からず眠り込んでしまった、
 というていどの意味さ。漢詩にしてはあまり肩肘はらないところが、僕は結構好みだね」
ああ確かに。詩の中身には全面的に賛同できるな。
「ところでキョン、気づけば君はベッドで転寝中だったのだけれど、もしかしてどこかで料理でも
してきたのかね?」
やけに鋭いなシャシャキ、何で分かった。
「なに、嗅覚は猫だからね。臭いで分かっただけのことさ。君の指先から色々な臭いがしているのだよ」
指先? 何気なく指を差し出すと、シャシャキはまるっきり猫のしぐさで、鼻先を近づける。
ちょっとより目がちになる表情が、やけに可愛らしい。
「キョン、まだ君は完全に目が覚めてないようだね」
あー、そうかもしらん。
「君の指にはだね、バター、牛乳、そして卵と砂糖と薄力粉の臭いがしみついているんだよ。
 時期的なことを考えると、SOS団や妹ちゃんたちのための、手作りクッキーでも作っていたのではないかね?」
大当たりだシャシャキ。すごいな。
「それだけではないよ。
 僅かに抹茶の香りがして、これは多分お茶組み係りの朝比奈さん用の抹茶風味。
 シナモンやらスパイスの香りがするのは、カレーが好きな長門むけの、エスニック風のクッキー。
 ココアが大目なのは、涼宮さん向けの、ちょっと甘めのクッキーというところじゃないかね」
……ほぼ全部正解だ。おまえ今からでも警察の鑑識に協力してきたらどうだ。
どこぞの天才高校生探偵よりも、犯罪検挙率の向上に役立てるぞ。
「僕が僕であることを認識できるのは、九曜さんたち生体端末を除けば、君だけだよ。
 それとも僕の分析結果を、ひとつひとつ君が通訳してくれるかい? 君が望むなら協力は惜しまないよ」
前言撤回だ。これ以上俺を厄介ごとに巻き込まんでくれ。
多分予想通りの返答だったのだろう、シャシャキは目を細めてくっくっと喉を鳴らす。
ああ、それと一つだけ抜けてるぞ。
「ニャにがだね?」
お前向けのクッキーも忘れちゃいないさ。平机の包みの中の、紅茶風味のはお前の分だよ。
よければ今食っちまっていいぞ。
「……キョン」
何故かシャシャキは、嬉しそうで、でもちょっと困ったような顔をした。
「ありがとうキョン。嬉しいよ。……でも、できればこれは、シャシャキじゃない、普段の僕の方に渡してくれないだろうか。
偶然出会った結果とはいえ、君にプレゼントをしたのは今の僕じゃないから。……頼むよ」
何か妙なこだわりがあるんだな。
「正直、今の僕は、君の厚意に甘えて、一方的にもらってばかりいる立場だからね。
 これ以上、君から何かを受け取ることは心苦しいのだよ」
そんなこと気にすんなっての。俺ももう慣れちまったし、普段はお前に随分世話になってるんだから。
「そう言ってくれると助かるよ、キョン。
……キョン? まだ寝ぼけていないかい?」
あー、そうかもしれん、春眠暁どころか、昼も夜も覚えんなあ……。
「今日はやけに優しいとおもったら。もう一度目が覚めたら、今の会話をきちんと覚えて
いてくれるのだろうかね、君は」
シャシャキの声が優しく耳元をくすぐり、それが再び眠りの淵へと俺を誘う。
「でも、一つだけお言葉に甘えるとしようか。ひとかけいただくことにするよ。
 ……失敗作が多かったのかな? 口元にいっぱい食べ残しがくっついているよ」
そんな言葉とともに、唇の周りをやわらかい感触がそっと掠めていく。
シャシャキ、お前猫舌じゃないんだな……。
そんなフレーズが何故か頭をよぎったのを最後に、俺は本格的に眠り込んでしまったらしい。

「キョンくーん! お夕飯できたよー!」
という妹の叫びとボディプレスが、シャミを抱きかかえた俺に直撃したのは、とっぷり日も暮れた頃だった。
いかん、午後の殆ど寝てたらしい。なんか妙に損した気分だ。何か色々あったような気もするが、
夢だか何だか判然としない。くそう、何か本当に損した気分だ。

翌日、SOS団の連中にホワイトデイのお返しをした後、鞄に残った佐々木と妹ら用の包みを確認した時、
何故か長門の視線がやけに冷たかった。
何だ、俺が何かしたのか。気になるじゃないか。
                                     とりあえずおしまい

猫の目の日々シリーズ

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2012年07月24日 00:17
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。