65-573 だから、その後に。

65-329 だから、私は。続編。作者注「人によっては嫌な表現があるかもしれません」。

その日は明らかに歩調が早かった。
てくてくと歩く私の足は驚くほど軽い。
柔和な顔立ちをしていると知人に言われた事があるが、今日はいつもより柔らかい表情をしていることだろう。

企業的に表現するならば、性能が当社比30%upの新商品を大安売りのバーゲン中といった所だろうか。
放っておくと勝手にスキップをしてしまいそうになる足、
にやつきながら可能な限り歩調を緩め、
両手で持っていたかばんをくるくる振り回したくなる衝動をなんとか抑えた。
だがそんな苦労は知らん。とばかりに勝手に口がお気に入りの歌を口ずさんでいた。
隠しようも無い気分はまさにるんるん。

端的に言うと私はごきげんだった。


今日は2月14日、世間ではバレンタインデーと言われチョコを送る日である。
だが元々はキリスト教の司祭、ウァレンティヌスが当時禁止されていた兵士の結婚を秘密裏に行い、処刑された日である。
そして今日の欧米では恋人や親しい人にチョコに限らずプレゼントを贈り、感謝の気持ちを伝える日として認識されているのだ。
だが日本では某お菓子会社連盟の働きによりチョコを贈る日として認識されている。

まったく、お菓子会社の陰謀に乗せられるなんて嘆かわしい。
と、本来の私ならば言うだろう。
だが今日の私はお菓子会社の手のひらで踊り狂っていた。


二月頭、どうしてもチョコを渡したい彼の為に手作りのチョコを作ろうとした。
が、失敗。何度も作ってみたが上手く良く事は無かった。
結局自分の小さなプライドも手伝って彼には市販のチョコを贈ることにした。
そして今は愛しの彼にチョコを渡した帰り道なのである。

渡す時にはかなり苦労した。
まず彼に連絡を取る時点でどきどき。
30分は携帯電話を正座で睨みつけただろうか。
呼び出すための連絡なのにもう緊張しているとは何事か、と自分を鼓舞し、いざ電話。
色んな意味をかもし出そうとする空気を何とか押さえ込んだ電話。
彼はそのような私の努力を知らずとぼけた返事。
一言いいよ、と。
……えっ?それだけ?

ちょっぴり、いらいら。
そして呼び出したものの待ち合わせ場所に彼が来るまでどきどき。
最初は何を話そうか?英国風に肉屋の前で天気の話題を陽気に振ればいいのか。
予報によると今日は夕方から雨らしいね。なんて言っても良い、が。それからどう繋ぐ?テンションはどれ位で行けばいいのか?あれ、普段の私って何だ?己とは何か?
等と考えていたら彼が到着。

来たら来たで平常を装うために神経を使い、ショートしたように動かない頭を何とか動かし、がんばって、がんばってチョコを渡した。
さも当然のように。物を買うときにお金を払うかのように差し出した。
彼も少し驚いたような顔をしたが当然のように受け取った。

自然と人工。
やっぱりちょっといらいら。
そして当然のように別れた。
私は逃げるように待ち合わせ場所から離れていった。

てくてくと歩くに連れて体の底からじわじわと喜びが上がって来た。
ふふっ、と口から自然に空気が漏れる。
しばらくそうしてごきげんで道を歩いた。
そうだ。このまま寄り道して散歩に出るのもいいかもしれない。
夕方から雨らしいけど。雨の中の散歩というのも乙だとおもう。
お気に入りの歌を口ずさみながらそんな事まで考えていた。

だが、何となく足は自宅に向かっていた。
一向に自分の意思を行動に移さない。

……なぜだろう?

ぴた、と。
体がとまった。

気づいてしまった。
気づいてしまった。
いや、ソレもうそだ。
本当はとっくに気づいていたんだろう?
ばかな私は自分まで偽りたかっただけなのだ。
……本当に私はばかだ。

私は彼に勝っていない。
少しだけ、本当に少しだけ。
本当は期待してた。

彼が、私を見てくれるんじゃないかって。

……分かってたはずだ。
気づいてたはずだ。
女としてのプライドなんてとっくにどうでも良いんだって。
ただ、気づいて欲しかった。

本当は自分の手作りチョコを贈りたかった。
でも弱い私はチョコに想いを託す事ができなかった。

でも。それでも。
彼が、それでも気づかなかったら?
それでも私はちゃんと言えただろうか?
鈍感な彼でもわかる様に。

いつものようにカーブやスライダーで彼を煙にまくようにではなく。
ど真ん中にストレートで。
でも、うそをついたのはそんなことじゃなくて。
本当は。本当は。本当は。


彼に、彼に答えを聞くのが怖かった。


彼は馬鹿ではない。
私のように弱くは無い。
ちゃんと、伝えたら。

……きっと。答えを言ってくれるだろう。

私は、とてもずるい。
さっきまでは渡すだけで良かったはずなのに。
賢く。友達でいることを選ぶのに。

……しばらくそうしていただろうか。
あれだけ元気だった手足がいつになく頼りない。
さっきまであれだけ軽かったかばんが、とても重い。
彼と接していた時に感じたいらいらがまとめて来たようだ。

何となく、頭を上げて空を見た。
救いを、何かを。自分以外に求めたかったのだろうか。
あれだけ晴れていた空は曇っていた。

そしてぽつっ。と。
ちょうど顔に一滴。
ぬぐう気力も無いが何とかして足を動かした。

……帰らなくちゃ。
てくてくと歩く。

先ほどのような楽しさは無かった。
だんだんと激しくなって来た。
すれ違う人は皆したり顔ですれちがった。
皆、分かっているような顔をしていた。
早足で、かばんを頭に載せながら、あるいは携帯傘をさして。
皆が皆、濡れたく無いようだった。
私は家に帰るだけだし、家はもう目の前だ。なので良かった。どうでも良かった。
それでも、すれ違った男性の一人が私の胸元をちらちら見ていたのが気になった。

……嫌だった。
普段そういたった事に疎い私でも気づいた。
見られることが、じゃなくて。
本当は……。

ハッ。と嫌な笑いが出た。

……走ろう。
家までもうすぐだ。それまでは持つだろう。
かばんを両手でもって走り出した。

だが今日の私はとことんツイて無いらしい。
走り出した瞬間に豪雨になった。
今更止まることも出来なくて。
体中びしょびしょになって家に着いた。
……このままでは風邪を引く。
とりあえずシャワーだ。

お風呂は、命の洗濯なのだという。
ならこの気持ちも汚れのように落ちたりしないだろうか。

暖かい水に打たれながら。そんな事を考えていた。
気分とは裏腹に、雨で冷えた私の体は徐々に温まっているようだ。
何となく両手で受け皿を作ってみた。
すると徐々に両手の受け皿は温かい液体で満たされて、しまいには溢れた。

……それにしても人間は不思議だ。
外で冷たい液体に打たれる事は嫌うのに。
家の中でシャワーを浴びることはむしろ贅沢としてみている。

いったい何が違うのだろうか?
水質か?場所か?それとも衣服の有無か?
人間は不思議だ。
自分だって人間の癖にそんな事を考えてた。

十分に体が温まるとお風呂から上がった。
さきほどよりも少しは動ける気力があった。
髪を乾かしながらぼぅ。と窓から空をみた。
ふと。思いついた事が一つ。
……あれ。私、負けるのか?

雨にさえも、負けるのか?
雨に打たれたからなんなんだ?
ただ冷たい液体によって体温を下げられただけじゃないか。
同じように暖かい液体で体温を上げた癖に。
同じ液体なのに片方を善として片方を悪と決め付けるのか?

ぎりっ。と奥歯を噛んだ。
何かが。得体の知れない衝動が私を襲った。
理由なんて何でも良かった。
今は動きたい。
ただ、早く。早く。
私は外に出るための用意をし始めた。

……自棄になっている。
そんな事は分かっている。
……これはただの自己満足。
それも分かっている。
……ばかな私。
でも私はこうしないと先に進めない。

バンっ。と大きな音を立てて玄関を開く。
かさは走るのに邪魔だから雨合羽だ。
ただ。早く。早く。
私は走った。

自分でも分からないけど。
自分でも驚く位に手足に力がみなぎっている。
雨合羽はかなり走りづらいがそれでも走った。
少しすると息が苦しくなって来た。

苦しい。雨が邪魔でうまく息を吸い込めない。
でも、私は進むのを止めない。
走るのを止めない。
ぜったいに止めてなんかやらない。

……探し物があるんだ。
それはなくしちゃダメなものなのに。
私が弱いから。
私はそれを捨ててしまった。
だから、拾いに行く。


……着いた。
ここだ。
ここで失くしたんだ。
そこはただの道。
どこにでもあるような住宅街の一角。
でも私にとってここは大切な場所だった。

私は被っていた雨合羽のフードを脱いで空を睨みつけた。
……絶対に見つけてみせる。
あの日見た。あの日失くした。
鈍く光る星を。

見つからない。なんて分かってる。
それでも。

せっかく温めた身体がまた冷えていこうとも。
立っているだけでつらいが構わない。
どれほど手と足が苦情を訴えてこようとも。
ずっとずっと空を睨みつけた。


……分かっていた。
どんなに時間がたっても。
どんなに今目を凝らしても。
ソレは見つからない。
ごまかしてしまった自分は、なくしてしまった自分はもう。

……ようやく頭で理解できた。
体はとっくに限界だったのか。理解したとたんに道路に大の字になった。
はぁ。とため息がもれた。

私は、ばかだ。
こんなことは全部自己満足で意味なんて無い。
結果だって分かってた。予想通りだった。
でも。少しは。気分は晴れた。

私の身体は、
たとえ今雨合羽を脱いで雨に打たれようとも風邪を引かない位は丈夫だけど。
でも私のこころは不器用だ。
ここまでしないと素直になれない。
弱く。そして愚かなこころだ。

でも。一つだけは分かったんだ。
本当に。本当に。本当に。
彼が好きだって。
こころの無茶を聞いて頑張ってくれた身体を起こしつつ。
何となく昔の口癖を呟いた。
きっと今彼も言っているかもしれないから。
やれやれって。
くすっ。と笑ってもう一回。
やれやれ。

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最終更新:2013年03月03日 01:49
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