66-590「不味いぞ佐々木」

「どうだいキョン」
「美味いな佐々木」
 その言葉に佐々木はニッと三日月から弦月へ笑みを深めた。
 なんだよ俺が褒めたらそんなに意外か?

「おや、覚えていなかったかな?」
「うん? 何かあったっけか」
 なんとなく皿を上げ、佐々木の意味ありげな視線から逃れるようにがっついてみせる。
 旨いじゃないかこのオイスターソースやきそば。やきそばソースじゃなくて、オイスターソースと調味料の組み合わせなんだな。

「ほほう。これがオイスターと一発で看過できるとはキミの味覚もなかなかだね」
 しまった。要らんことを言ったか。ますます深まる佐々木の笑みは、中学生時代へと俺の記憶を遡らせる。
 まったくコイツは。あんなつまらん話をまだ覚えていた、とでも言うつもりなのか……。


「どうだいキョン」
「不味いぞ佐々木」
 俺は率直に言ってやったが、佐々木の笑顔は微動だにしなかった。
「だろうね。まったく、だから言ったじゃないか中河め」
「須藤もオマケで付けてやれ。やれやれ」
 不味い焼きそばを前に嘆息する。

「確かに僕は調理法なら知っている。けれどそれだけじゃこんなもんさ」
 中学校の家庭科室。給食当番の格好で佐々木は菜箸をひらひらさせ愚痴っている。
 来る文化祭では俺達のクラスは焼きそばでもやろうという事になり、まあ色々あって試作中とこういう訳だ。

「まったくね。確かに粉物は末端相場が跳ね上がるからこういう場面には向いているが」
「小麦粉をヤクザ屋さんの悪い粉みたいに言うんじゃねえ」
 俺達は別に粉から作ってる訳じゃねえしな。
「ふむ。確かに手打ち麺の製造法ならいくつか心当たりがある」
「やる気になるなよ?」
 既製麺で失敗したばっかだろうが。

「くっくっ。だが失敗だけで止めておいては進歩がないだろ?」
 佐々木は俺の食べ残しに箸をつけると、ふむ、と瞠目した。
 続いて皿の上の焼きそばを回収してそばと具を分別し、少量の水を加え具だけを手早く炒め直す。
「こんなもんでどうだい?」
「おう。具の調理がいかんかったって訳か」
 佐々木も同じ皿から啜りこみつつ、かもしれないね、と肩をすくめる。
 そりゃ俺も「オイスターソースを使って家庭でも美味しい焼きそばを」なんてのは聞いた事があったがな。

「まあ素人は素直に既成の焼きそばセットを使っとけって話じゃないか?」
「くく、そうだね」
 安く上げようとしたのが間違いなのさ。
 中河は運動部だから、こういう大量生産料理は大得意だし任せておけとか言っていやがったが。
「その中河があのザマじゃね。せめてレシピだけでも残してくれれば良かったのだが」
「まったく聞くも涙語るも涙とはこの事だぜ」
 もう触れたくもねえ。

「やはり知識だけではダメだね。痛感したよ」
「まあ知識すらない俺よりはマシだろ」
 慰めのつもりだったが、佐々木の変なスイッチを刺激してしまったようだ。
 いつもの笑みでこちらを覗き込んでくる。

「所詮は書物、メディアで聞きかじっただけの半可な知識でしかないのさ。やはり経験が伴わないと無意味だよ」
「こうやって形に出来てるだけマシだろ」
 焦げかけの麺を箸で指し示してやる。
「そうかな。ちゃんとした形に出来なければ無意味も同然だよ」
 焦げかけの麺を口にし、佐々木は苦い顔をする。

「僕は知識を得て『賢くなったつもり』の人間なんだって痛感するよ。
 汗も流さず、他人の経験を連ねた文言を頂いただけのね。だから実地ではこうロクでもない結果になる。
 他人の受け売りを自らの血肉とするには、トライアル&エラーが必要だよ。もちろん自分で一から得るより簡単だが
 やはり『経験』というのは欠かすことが出来ないね」

「学問に王道なし、ってか」
 なんとなく呟くと佐々木は何故か笑い出した。
「そんな笑うなよ。俺がお前ほど考えが深くねえのは知ってるだろ」
「あはは、いやいや違うよキョン」
 腹を抱えんばかりに笑う。

「違う違う。むしろ僕はそう続けたかったのさ。困るね、人の台詞を奪ってもらっては」
 いつもと若干違う、どこか緩んだような笑顔で佐々木は笑っている。
「困ったね、やはり僕もまだまだ修行が足りない」
「俺の適当な感想に反応するなよ」
 肩をすくめてやった。

「ま、そういう事さ。学問に王道なし。けれど物事に経験が必要なら、大成にはどれだけの時間が必要なのだろうね」
「そんな大層に考えるような事じゃねえだろ。どうせ人間、できる事はロクにねえよ」
「かもしれないね。けど、どうせやるなら有意義にやりたいじゃないか」
 俺はこの不味い焼きそばで十分だよ。
「くっくっ、そうかい?」

 佐々木は何故か嬉しそうに、そして、どこか寂しそうに俺が焼きそばを平らげるのを見届けると
 別に用意していた既製品の業務用焼きそばを調理した。可もなく不可もない。うん、これ大量に買っときゃいいだろ。
 若干コストは上がるだろうが、ま、そんなもんだ。
 俺達はまだ所詮中学生なんだから。

「そうだね。僕らは所詮まだ子供だよ」
 だからまだまだ時間はある、けれど時間は有限でしかない。だから一つに絞り込むのがベストなんだろうね……。
 そう哲学的に呟く佐々木を眺めながら、俺はありきたりな味の焼きそばを啜る。
「まったくな。佐々木、お前は何事も難しく考えすぎだぜ」
「くく、性分だから仕方ないよ」
 顔を傾け苦笑する。


「……もし、僕が天才肌ならもっと違ったのかもしれないけれどね」
 一を聞いて十を知る。断片から想像し、全体像を組み上げられるような思考能力。
「お前は十分天才だよ。お前みたいな奴は他にしらん」
「くっくっ、お褒め頂き嬉しいけれど面映いね」
 言ってやきそばに箸をつける。

「例えば、オイスターソースやきそば、という単語から適切な調味料・バランス・調理を組み上げて実現するには
 ソースや調味料が、分量によりどの程度の味を出せるものかを知っているかが大事だ。それが経験、或いは知識というものだよ」
「お前は料理経験が少ないから、単語から料理を再現できなかったってか?」
「そういうこと。だから経験と言うのは大事なのさ」
 実際にやってみた経験が生きてくるのだから。

「しかし経験や知識がなくとも、容易にやってしまう人もいる。そういう人こそ天才と呼ばれるべきなんだよ」
 どこか寂しげに、しかしきっぱりとした口調で言う。こいつはそれでもいいのだ。
 そう自覚しているから、だから知識で判断材料を増やしているのだろう。
 自分に出来る事で、自分の不足を埋めようとしているのだろう。
 それを全力でやってきたから、この知識量なのだろう。

「下手に褒めて悪かったな」
「いやいや、それより残りをやっつけてしまおう」
「けどな、そうやって自分を理解したうえで克服しようと出来るのは、俺に言わせりゃやっぱり才能だぜ」
 二人で皿の両端から残りの焼きそばを啜りながら、俺はひょいと箸を上げた。

「佐々木、お前は努力する才能があるって事だ」
 それって結構凄いことだぜ。少なくとも俺にはねえ。
 すると奴の口の端が持ち上がり、ニヤリと俺を見返してきた。
「くっくっく。……なかなか詩的な持ち上げ方をしてくれるじゃないかキョン」
 言われりゃそうだ。すまんが忘れろ。

「やだね。座右の銘にさせてもらおう」
「んな珍しい言葉じゃないだろ。本棚ひっくり返せば幾らでも見つかるベタでありきたりな言葉だぜ」
「くっくっ、悪いが僕にとってはかけがえのない言葉となったのだよ」
 どこに違いがあるってんだよ。
「くく、決まっている」

「キョン、僕をよく知っているキミが言ってくれた言葉だ、という事さ」
「知らねえよ」
 佐々木の顔を遮るように皿を上げ、俺は残りをまとめて掻きこむ。
 きっとこいつはいつもの顔で笑っているのだろうから。
 見慣れた顔なら見る必要はない。
 そんだけの事さ。

「ねぇ、キョン」
「なんだ、佐々木」

「耳、赤いよ?」
 うるせえ、お前が紅しょうが入れすぎたってだけだ。そんだけだよ、そんだけだ。
 まったく不味いやきそばもあったもんだぜ。

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最終更新:2012年04月24日 15:48
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