正面から父親と話すのも久しぶりだ。病み上がりのせいかどうかわからないが、少し痩せたように思う。いかつい
顔はかわらないが。この顔を受け継がなくて、そのあたりは母親に感謝したい。
「心配をかけたな」
「いえ・・・・・・無事に回復してよかったですよ」
「これからは少し節制しないとな。今まで通りにはいかんだろうから」
大病をして、少しは反省をした様子だ。豪放さが父の売りだが、それも落ち着くだろう。
「話というのはだ、実はお前と京子の婚約を解消することにした」
一瞬、父の言った言葉に、自分の耳を疑った。
「京子本人から申し入れがあった。お前との婚約を白紙に戻して欲しいとな」
「待ってください、一体どういうことです?」
お互いの両親達により、僕等は婚約者とされた。こちらの意見も聞かず、勝手に話を決めたことに、僕は反発して
家を出た。
「京子から言われたよ。『おじさまたちの気持ちはわかりますが、一樹さんの未来は一樹さんの意思により決めら
れるべきです。一樹さんの意思を尊重してあげてください』、とな」
「京子がそんなことを・・・・・・」
「京子はお前のことを本当に大事に思っているんだな。親よりも余程しっかりとお前のことを見ている」
小さい頃より一緒に育った仲だ。お互いのことはよく知っていると思っていた。
でも、京子がそこまではっきりと物を言うとは思わなかった。
日が沈み、ようやく暑さが衰えてきた黄昏時、庭に虫の鳴く音が響いていた。
縁側に腰掛け、その音を聞きながら、ぼんやりと昼間の父の言葉を思い返していた。
「古泉」
森さんが僕を呼ぶ声で、僕は回想を破られた。
「ちょっと一緒に来なさい」
「どこへ行くんですか?」
「いいから付いてきなさい」
言葉に有無を言わさぬ迫力がある。年齢不詳の美人だが、こういう時の森さんは少し怖い。
「少しドライブするわよ」
BRZに乗るたびに思うのは、この車が森さんにピッタリあっているということだ。自分の手足のようにこの車を使
いこなしている。
「話は聞いたわよ。橘さんも思い切ったことをしたわね」
父の優秀な秘書としての顔ではなく、森園生というひとりの女性として、森さんは微笑みながらそう言った。
「あなたの婚約者に決まった時、誰よりも喜んでいたのはあの娘だったわ。光陽に転入するとき、『一樹さんの傍
に行けるので嬉しいです』なんて言っていたのを覚えているわ」
「今じゃ休みの度に僕の家でくつろいでいますよ」
「でも、そのことは嫌じゃないんでしょう?」
確かに森さんの言う通りだ。昔みたいに京子が側にいるのが当たり前のような、そんな気さえしている。
開けた車窓から入ってくる、海から吹く夜の浜風はかなり心地よかった。この時期は海岸でいちゃつくカップルの姿
が目立つが、今日はほとんど姿が見えない。
「古泉。自分の未来は自分の意思でもって決めなさい。橘さんがあなたのくびきを取り払ったのだから、あなたがこ
れから先どうするか、よく考えて行動しなさい」
森さんの言う通りだった。京子は僕と両親の間の緩衝材になってくれたのだ。
それから四日後、僕は京子と一緒に自分の家に戻った。
文芸部(SOS団)の今年の旅行は、去年と違い、今年は山へ出かける事になった。メンバ-は文芸部とSOS団
の部員(団員)、中河君に”彼”の妹さん、お払い箱になったはずの谷口君(”彼”が誘い、鶴屋さんがOKを出した
)とその彼女の周防さん、そして京子。それからもう一人は言うまでもなく、”彼”の恋人、佐々木さん。
夏休みに入り、佐々木さんはインドネシアから帰ってきて、”彼”の家に二週間滞在するとのことだった。
「本当はキョンの家に夏休みの間全部いたいのだけど、そういうわけにもいかないから」
もちろん、旅行先でも、彼の横は佐々木さんの指定席だった。
「ちょっと、佐々木さん。少しひっつきすぎじゃないの?」
多いに不満顔の涼宮さん。
「そうかしら、でも、最近部室ではキョンの横はいつも涼宮さんが座っていると聞いているけど」
「べ、別にいつも、てわけじゃないわよ。優希が隣に座っていることだって多いんだから!」
2人のやり取りをきいて、全員苦笑する。
”彼”は少し困った顔をしている。
「お家でも、佐々木のお姉ちゃんはいつもキョン君の部屋にいるもんね。寝ている時ぐらいだよね、別々にいるのは
。あ、でも、朝にキョン君を起こしにいくのは佐々木のお姉ちゃんか」
妹さんは無邪気に爆弾を投下した。
「古泉君、楽しんでいるかい?」
高原の風が吹く山のホテルの中庭でくつろいでいると、鶴屋さんが声をかけてきた」
「はい、おかげさまで。すいません、いつもいろいろお世話になりまして。今回は京子までお世話になりまして、
ありがとうございました」
「あの娘は古泉君の幼馴染かい?かなり仲がよさそうだったが」
「はい。親同士が親友で、京子とは小さいときから一緒に育ちました」
「ふうん。そうかい、良い娘さんだね、あの子は」
「はい。僕もそう思います」
「ねえ、古泉君。もうすぐ私もみくるも北高を卒業するっさ。卒業したら、みんな別々の道を進むかもしれないし、
同じ道を進むかもしれない。それでも北高で出会えた仲間たちは、一生の宝物だと思うんだな。だからこそ、私は皆と
楽しみたいのさ。もしかしたら、将来、共に力を合わせて行動する日がくるかもしれない。そういう時がきたら、これ
程心強い仲間はいないよ」
「国木田君のようにですか?」
鶴屋さんの表情がほんのり朱色に染まる。
「国木田君は、私が共に同じ道を歩きたいと思った男性さ。私の為に、私の横に並ぶのにふさわしい人間になりたい
と言ってくれる。そこまで言ってくれて、行動してくれるのは国木田君しかいないのさ。小さいころから国木田君は私
だけを見てくれた。これから先も私が一緒に居たいと思うのは国木田君だけだね」
クリスマス会の時、鶴屋さんはおそらく次期当主としての決意を固めていたのではないか。だからこそ、国木田君を
公の場に同伴させたのではなかろうか。
誇らしそうに国木田君への思いを語る鶴屋さんの横顔が、眩しく輝いて見えた。
二泊三日の旅行を終えて家に戻ってきた後、僕は実家に連絡を入れ、京子と共に戻った。
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実家に戻った後、僕は改めて京子と婚約をした。今度は親が決めたのではなく、自分の意思で京子と婚約をした。
「京子の伴侶としてふさわしい男になるように、これから精進していくつもりです」
京子の両親に僕は頭を下げて誓った。
そして、もうひとつ。僕は決めた事があった。
それは北高を去り、実家に戻り、後継者としての修業を積む事だった。
「お前が夏休みが終わる前に、転校すると聞いたときは、さすがに驚いたんだが・・・・・・俺たちと旅行に行った時、
既に決めていたのか?」
「ええ。いろいろありましたが、京子の行動、鶴屋さんの言葉、いろいろ考えて、最終的に自分でそう決めました
。僕が進むべき未来、やらなければならない事、自分の責任において選択した道でした」
「そうか・・・・・・」
京子が入れてくれたお茶を飲んで、”彼”はしばらく沈黙した。
「正直、北高の皆さんと別れるのは寂しかったですが、でも、あなたと涼宮さんが僕に言ってくれたように、僕が
皆さんに言ったように、どこにいても、僕は仲間ですから」
「そうだな。お前の言う通りだよ。俺達はずっと仲間だよ」
”彼”は笑顔で頷いた。
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北高を去る一日前、僕は涼宮さんと二人だけで、遊びに出かけた。
いつも、SOS団(文芸部)で出かけことが多くなっていて、二人だけで外出するのは久しぶりだった。
中学二年生の時、僕は東中に転校して、そこで涼宮さんと出会った。
そのころの涼宮さんは「変な女」として扱われていた。美人だったので、言い寄ってくる男子生徒はいたが、取り
あえず付き合ってはみるものの、全部振ったということでかなり有名だった。あの谷口君も振られた一人で、噂による
と、5分で振られたという話だ。
そんな涼宮さんだったが、真っ先に僕に声をかけてくれて、クラスに溶け込めるようにしてくれたのは彼女だった。
僕は彼女と友人となり、やがて彼女に心惹かれた。
僕の心が彼女に届くことはなかったけど、今はそれも良い思い出だ。彼女を好きになったことを僕は誇りに思う。
「古泉君、たとえ離れても、私達はSOS団の仲間で、そして古泉君は私にとって、最も信頼出来る親友だから」
その言葉だけで、僕は充分だった。終わった過去の思いを伝える必要はもうない。
”さようなら、涼宮さん”
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「そうか、結局、お前は涼宮に想いを伝えなかったんだな」
「ええ。京子と自分の意思で婚約した時、既に涼宮さんに対する気持ちは過去のものでした。今の僕には思い出の一
コマです」
「橘との未来か・・・・・・」
「あなたと佐々木さんとの未来も楽しみですね」
僕の切り返しに”彼”は苦笑した。
「ところで、あなたは進路はどうされるおつもりですか?」
「そうだな。いろいろ考えているんだが、国立K大、あそこは教養課程が充実しているだろう?入学後はまず、すべ
ての学生は教養過程を履修して、それから専門課程に進むそうだが、その途中で進路変更が出来ると聞いた。可能性を
広げるためにな。俺はK大を受けてみようと思っている」
「佐々木さんはどうされるんです?」
「佐々木も受けてみたいと言っていたな。まあ、あいつは東大でもハーバートでも通るとは思うがね。ただ、K大は、
理数系に関しては東大を上回る学部も多いからな。長門も受けてみたいとか言っていたな。前に一緒に行った時、設
備が整っているのに感激していたしな。下手すりゃ涼宮や国木田も受けるかもな」
長門さんは”彼”に対する気持ちもあるのだろう。佐々木さんが日本にいない今、”彼”が最も信頼している友人は
長門さんで、彼女も”彼”のことを大いに信頼している。
単純な男女の恋愛感情だけでなく、”彼”と佐々木さんとの繋がりとはまた違った結びつき。
人の繋がりは、いろいろな形があるのだ。
”それにしても・・・・・・”
もし、彼らがK大に行くのであれば、僕はまた皆と一緒に学ぶことになるかもしれない。
より強い、新しい絆の糸が、僕等の間に再び結びつきますように。
そんなことを心の中で僕は思った。
最終更新:2013年04月29日 14:10