―――なぁ佐々木、お前と一緒にその……ま、毎年桜が見たいんだが。
―――ほぅ、それはキョンなりのプロポーズかい?
―――あ~、まぁ……その、うん。そう思ってもらって構わないぞ。
―――喜んで受けよう。
―――って即決かよ!? 少しは悩んだり迷ったりしろよ、一生の事だぞ!?
―――おや? キョンは僕に悩んだり迷って欲しかったのかい?
―――グッ……そ、そんな事ぁ無いが……もうちょっとこう……
―――くっくっ、キミが思い描いている情景は映画や小説の中だけさ。それにね……
―――? なんだよ。
―――愛しい人から待ち望んだ言葉をかけられたんだ。悩む訳ないだろう?
――― ―――ッ! はぁ……やれやれだ。
―――くくく、それよりも……幸せにしてくれるんだろうね?
―――あぁ、俺の人生かけてお前を幸せにしてやるよ。
―――そうか、それじゃあよろしく頼むよキョン。
そうして大学3年時に満開の桜の木の下で俺達は永遠を誓い合った。
言葉ほど綺麗な会話じゃなかったけど、まぁ「俺達らしい」って言葉がお似合いなプロポーズだったと思う。
蝉の騒がしい鳴き声で目が覚め、ひどい眠気に襲われながらゆっくりと目を開くと、見慣れた天井が目に入ってくる。
「おや? 起きたのかいキョン」
どこから風が? そんな事を思って身を起こそうとした時に、ふいにベッドの横から声がかかった。
「あぁ、佐々木か……おはよう」
声のする方向に首を向けると佐々木がベッドの横に腰掛けていて、その目は崩した線のように笑っていた彼女は
一瞬だけ目をパチクリとさせると、とても懐かしい―――大切なモノを見る様な目で微笑んだ。
はて? 何か変な事を言っただろうか。
「あぁ、おはようキョン。随分と眠そうだが身体の調子はどうだい?」
あぁ、なんか知らんが猛烈に眠いな。
このまま二度寝しちまいそうなくらい眠いぜ。
夜更かしをした覚えは無いんだがなぁ。
「そうか。いやなに、眠いという事はそれだけ心身ともに疲弊しているという事さ。
睡眠の目的は、心身の休息、記憶の再構成など高次脳機能にも深く関わっているとされ、
下垂体前葉は、2時間から3時間の間隔で成長ホルモンを分泌する。放出間隔は睡眠によって変化しないが、放出量は多くなる。
したがって、子供の成長や創傷治癒、肌の新陳代謝は睡眠時に特に促進され、もっとも必要な物とされている。
ことわざにある『寝る子は育つ』というのもこの辺から来ているのだろうね。
その他、免疫力やストレス物質の除去などがあるが、完全に解明されていない部分も多いんだが……まぁ僕らには関係無いさ」
そんなに動き回った覚えは無いんだがね。昔の不思議探検の方がよっぽどハードな気がするぜ。
それにしても相変わらず無駄に博識だなぁ、お前は。
それにリアリスト過ぎて夢が無い。っとそうだ、夢といえば懐かしい夢を見たな。
「ふぅん、夢か。ちなみにどんな夢だったのか教えてくれないか?」
あ~、……ぶっちゃけお前にプロポーズした時の夢だった。
「おやおや、それはまた随分懐かしい夢だね。ふむ、夢というのは様々な説があるが一般的には見る者の願望が現れるというよ。
それはつまりキョンがもう一度誰かにプロポーズしたいという願望の現われかな?」
よしてくれ、緊張でガチガチになるのも、あんなに恥ずかしい思いをするのもお前に対してだけで十分だし、
お前以外にそんな事をするつもりも無い。
「くっくっ、そうだね、キョンの言う通りだ。僕もキミ以外にプロポーズをされるつもりも受けるつもりも無い。
ふむ、これは俗に言う以心伝心というヤツじゃないか?」
長年お前と過ごしてきたからな。その位の芸当は出来てもなんら疑問に思わんね。
「ああ、違いない。それより長門さんと九曜さんにも目覚めの挨拶が必要なんじゃないかい?」
なに? と佐々木の視線のを追うといつから居たのか長門と九曜が佐々木と反対側の椅子に腰掛けていた。
あ~……すまん、別に無視してたわけじゃないんだが、その……気が付かなかった。
「いい」
「―――別に……気にしない―――」
そうか、助かる。
二人の返事を聞いて安堵する。全然気が付かなかった……
眠気のせいだろうか、どんなに存在が希薄でも慣れ親しんだ二人の気配をこの距離で感じない訳が無いのだが……
「しかしお前等はいつまで経っても容姿が変わらんなぁ」
流石に制服は着ていないが身体的な外見はほとんどあの時と変わっていないと思う。
自分に近かった長門の髪に触れ、優しく―――感謝の気持ちを込めて撫で続ける。
長門の少しシャギーかかった髪は見た目とは裏腹に柔らかく、フワフワしていて気持ちが良かった。
「最近は天蓋……いや、周防とも仲良くしてるか?」
「天蓋領域と―――周防九曜という固体と面識を持ってから仲違いをした記録は存在しない。
情報統合思念体と天蓋領域も友好的な関係を築いている。問題無い」
「そうか」
「そう」
なら良いさ。
仲が悪いより良い方が良いに決まってる。
いつぞやの雪山の時の様に長門が苦しむ姿なんぞ見たくもないからな。
「……そう」
この対有機性コンタクト用ヒューマノイドインターフェイスである長門と知り合ってからかなり経つが長門も長門なりに
感情を外に出すようになって来た―――それでも俺から見れば、だが―――そのせいか
今の長門がどんな感情を抱えているのかも判断が付くが、なんというか『寂しい』って感情なのかね?
何故そんな感情を抱くのか考えようとしても眠気のせいで頭が回転せずハッキリしない。
そしてもう一人の宇宙人である周防九曜に視線を向ける。
初めて会った時は言い様の無い寒気が襲い、恐怖が俺を支配したが、今では長門と同じように多少なりとも
コイツが何を考えているのかその無表情の向こうにある感情を読み取る事が出来る様になった。
今周防が立っている場所だと手が届かないのでどうしようかと思案していると
その考えを察してくれたのか、向こうから音も無く近付いて来た。
「すまんな周防」
そう言って長門と同じ様に頭を撫でてついでに手櫛で梳いてやる。
彼女の艶やかな黒髪はサラサラとしていて極上のシルクのような肌触りをしており、手櫛は少しも引っかかる事無く梳けた。
「あなたの―――手は―――とても……暖かい―――」
そうか?
自分ではそんな事解らないし、至って普通だと思うんだがな。
「わかってると思うが長門と喧嘩なんかすんなよ?」
お前等が本気で喧嘩したら、それこそ日本どころか世界が破滅しそうだ。
それは勘弁して欲しい。
「―――あなたが―――それを―――望むなら―――」
「そうか」
如何にもコイツらしい物言いに苦笑する。
長門と同じ様にその無表情な顔から何を考えているのか読み取ろうとするが
周防からも「寂しい」という感情が見え隠れしていた。
長門といい周防といい、なんかあったんだろうか?
「でも自分でやってみたい事、して欲しい事があったら周りに遠慮しないでドンドン言えよ?
お前は長門以上に感情のコントロールが巧くないみたいだし下手したら長門の時の二の舞いだ。
自分の気持ちを溜め込んでも言い事なんざ一つもないんだからな」
1ミリ程度の首肯を持ってそれに応じるコイツを見て「やっぱり長門とコイツは似てる」と思い、顔がほころぶ。
「―――あなたの―――笑った……顔は―――とても―――綺麗ね―――」
おいおいやめてくれ、男が綺麗とか言われてもあんまり嬉しくないぞ。
「おいおいキョン。僕の事は放ったらかしかい?
キミの女たらしは今に始まった事じゃないが目の前でそうイチャイチャされては僕も堪らないのだが」
底冷えする様な声に慌てて佐々木の方を向くと、拗ねたような顔をする佐々木の顔で俺を睨んでいる。
「女たらしにイチャイチャって……お前なぁ」
「くくく、冗談さ。僕だってキョンとはそれなりに付き合いは長いからね。
キミが意識してそういう事をする訳無いと知ってるし、信じているさ。問題は無意識でそれをする事だ。
そのくせ他人から寄せられる好意には殺人的に鈍いと来てる。これは一種の才能かもしれないね。
よく今まで生きていたモノだ、普通なら誰かに刺されていてもおかしくないよ」
「勘弁してくれ……刺されるって単語は俺の中の思い出したくない記憶ワースト上位を2つも占めてるんだ」
「……いや、冗談だったのだが、まさか本当に刺された事があるのかい?」
あー、一回目は未遂で、二回目は脇腹にブッスリだった。
止めよう、思い出しただけで刺された箇所がチクチクするんだ。
「そうだったのか……いや、悪い事を聞いてしまったな」
俺の名誉為に言っておくが、決して女性関係でそうなったんじゃないぜ?全部ハルヒ関連だからな。
……いや、一回目はともかく、二回目は女性関係なのか?
寝惚けた頭でそんな事を考えていると猛烈な眠気が襲ってくる。
「キョン? 眠いのかい?」
あぁ、なんか知らんが睡眠不足みたいだ。
すまんが……ちょっと……眠る。
「そうか……そうするといい。勿論夢の中で僕の事を想ってくれるんだろう?」
はは、そうだな。
自分で好きな夢が見れるのなら俺もお前の夢を見たいよ。
例えしわがれた婆さんになってもお前は綺麗だからな。
「うん……その言葉を聞いて安心したよ。ゆっくりと眠るといい」
「あぁ、そうさせてもらうか―――おやすみ佐々木」
「あぁ、おやすみ……キョン。良い夢を」
『おやすみ』それが彼が残した最後の言葉となり、言葉通りそのまま眠るように逝ってしまった。
でも私はそれほど驚かなかった。なぜなら彼の顔は私の両親が亡くなる前とよく似た表情を……眠たそうな顔をしていたから。
葬儀は彼と私の肉親、それと親しい友人だけで簡単に行った。
キョンの妹さんとその友人であるミヨキチと呼ばれた子の泣き顔が印象に残った事を覚えている。
私は……不思議と涙は出なかった。喪主を務め、葬儀に参列してくれた人にお礼を述べる。
最後に目を覚ました時に私の事を旧姓で呼んだのは何か意図があったのだろうか?
それとも彼の事だから何も考えずに夢に影響されて呼んだだけかもしれない。
「質問がある」
葬儀も終わり、後片付けも一段落して、そんな事を考えながら休憩を取っていた。
歳のせいか最近やけに身体が疲れやすくなってきた。といつの間にか九曜さんを連れた長門さん傍にいて私に声をかけてきた。
「なにかしら?」
「彼が生命活動を停止する前から私の―――『私達』の中に解析出来ないエラーが連続して発生している。
それは情報統合思念体にも天蓋領域にも解析出来ないエラー……未知のエラーが私達に発生している。
そして同じ波形のエラーがあなたの中にも発生している。だからこのエラーの正体を知っているなら教えて欲しい」
あぁ……そうか。人間なら当たり前に理解出来るこの『感情』が彼女達には理解出来ないのだ。
長年一緒に過ごした為か、彼女達が宇宙人に作られた存在という事をすっかり失念していた。
そう思うと私も彼に毒されていたんだなぁ、と改めて実感して笑いが零れてしまう。
そしてそんな感情を彼女達にもたらした自分の夫に目を向け、やっぱりキョンは女誑しなのかな? という思いも出てきた。
「それはね長門さん……『悲しい』と言う感情なの」
彼の遺影に目を向けたまま、優しく―――諭すように告げる
「今まで存在していて当然と思ったモノが忽然と消えてしまう事に対する戸惑いや悲しみ、虚無感、無力感。
そういった感情を貴女達は今学んでいるのだと思うわ」
「―――よく―――わからない―――」
最初に知り合った頃に比べて九曜さんも彼と会って大分変わったからな、心の整理が付かないのか……
「うん、今はまだそれで良いと思うの。でもね、時間が経つにつれて、その感情は重く、大きくなってのし掛かってくる」
彼に抱きしめてもらう事はもう出来ない。
彼の笑い声も二度と聞けない。
彼はもう二度と私に話しかけてくれない。
そんな世界に生き続ける意味はあるのだろうか?
いっそこんな世界を捨てて彼の居る世界へ旅立ってしまおうか?
……でも私はまだ幸せな方なのかもしれない。何しろあと数年も生きれば彼の元に行けるのだろうが、彼女達は違う。
彼女達には『死』という概念が存在しない。つまりその悲しみを背負ったまま永遠と生き続ける事を意味するのだ。
自分だったらとても耐えられないだろう。
「「ごめん……なさい」」
えっ? と思った。だって彼女達に謝ってもらう理由が思い付かない。
「何故……貴女達が謝るの?」
むしろこれからの事を思えば彼女達の方が辛い筈だ。
「―――わから―――ない……でも―――」
「あの人なら、きっとそう言うと思ったから」
そう言う彼女達の言葉を聞いて
「あぁ、それはとても……とても彼らしいな。」
そう素直に思える自分がいた。
寝ても覚めても彼の事ばかり思い出してしまうのはこの家には彼との思い出が多すぎたせいもあるだろう。
彼がいなくなって初めての春が来る頃には私は次第に衰弱していった。身体ではなく、『心』が。
そしてそれに呼応するように身体も弱っていった。
まさに「病は気から」とはこの事だろう。昔の人はよく言ったものだ。
彼との間に生まれた娘も「一緒に暮らそう」と言ってくれたが、私は今の家を離れるつもりは無かった。
この家にはキョンとの思い出が沢山残っていたし、彼の約束が残ってる私にそこを離れるなんて事は出来なかった。
だから私は一日中睡眠ばかり取っていた。
寝ている間は彼の居ない世界を見なくて済む。それどころか夢の中で彼に会えるのだ。
ただ春に近付くにつれて眠る頻度は減って行き、縁側に腰掛けて庭にある桜の木を見上げる時間が増えた。
ここに元からあった木ではなく「あたしからの結婚祝いっさ~! 喜んでもらえればうれしいにょろよ!」と言って
鶴屋さんが家にある桜の木を一本、勝手に植え替えてしまったのだ。
当然最初は「そんな物をもらう訳にはいかない」と遠慮していたのだが、あれよあれよと言う間に準備は進んで
気が付けば元々そこに生えていたかのようになってしまった。
植物というのは環境や土が変わると枯れてしまったり、駄目になってしまうものも多いのだが
幸いにしてこの桜はそんな事にはならず毎年こうして見事な桜を咲かせてくれている。
「ねぇキョン、毎年と僕と桜を見るって約束だったじゃないか。
僕は桜を見てるのに今キミは傍に居ない、これは一種の契約違反じゃないだろうか」
思わずそんな呟きがもれてしまう。
あぁ、今まで意識しなかっただけで自分はこんなにも彼を想い、惹かれ、愛していたのだと理解する。
なのにそれでも―――それでも涙は出なかった。
元々自分が涙を見せるような人間でないのは判っていたが、彼が亡くなっても涙は出なかった。
何故だろう? 彼がもうこの世界にいないのは理解しているのに……
もしかして私は彼の事を本当は愛してなどいなかったのだろうか? そんなありえない考えまで浮かんで来てしまう。
「佐々木さん」
いきなり自分の旧姓を呼ばれてドキッとした。
今日は誰かが訪ねてくる予定は無いし、備え付けのチャイムが来客を告げる音を聞いた覚えも無い。
仮に訪ねてきたとしても今の私は結婚して彼の姓を名乗っている。間違っても旧姓では呼ばれないはずだ。
一体誰が、何処から? そう思って視線を巡らせると桜の木の下に一人の女性が不安気な様子で立っていた。
「あなたは……朝比奈さん?」
そう、彼女は朝比奈みくるに良く似ていた。
私は高校を卒業するまでの彼女しか知らないが、彼女が成長したらきっとこんな美人になったに違いない。
「あっ嬉しい! 覚えててくれたんですね!」
そう言う彼女には先ほどまでの表情は既に消え、とても嬉しそうだった。
「あの人がよく話してくれたわ。美味しいお茶を入れてくれる未来人の先輩がいる、と」
そうですか。と言って懐かしそうに微笑む彼女は見る者全てを魅了するような可憐な笑顔を浮かべていた。
同性の私から見ても可憐な女性だと素直に思える。
「未来からわざわざお茶の話しをしに来た訳でもないのでしょう?」
「えぇ……佐々木さんは最近寝て過ごしてばかりいるんですか?」
「あら? 未来ではそんな事も判ってしまうの?
そうね、寝ている最中は―――夢の中ではあの人と一緒に過ごせるから……」
「そうですか……私は今仰ったように未来から―――ある物をあなたに届ける為にやってきました」
「わたしに?」
さて、わたしにも未来人の知り合いは二人の男女がいたが、男性の方はそんなに協力的とは言えなかったし
勿論彼と朝比奈さん以外に未来人の知り合いはいない。では一体誰が、何の為に?
「全てはコレに入っている映像が答えをくれる筈です」
そう言って彼女はポケットから一個の小さな箱のような物を手渡してきた。
ただその箱は鈍い銀色をしていてどこにも溶接したような後がなく、また蓋も無かった。
「これは一体どうすれば?」
「そのまま持っていてくれればすぐに判ります……それでは三十分ほどしたらまた伺いますね」
えっ? と思い顔を上げるとそこにはもう朝比奈さんの姿は影も形も無かった。
姿を見えないようにしたのか、それとももうこの時間世界から消えてしまったのか知らないが……なるほど
未来の科学技術は大した水準に達している様子だ。
「さて、問題はこのシルバーボックスかな?」
中身は何なのか?
どういう使用法なのか?
どうやって開けるのか?
そもそも中身が入っているのか?
解らない事だらけだ。
そうしてなにか手がかりは無いかと手探りで弄っているとカチッとスイッチが入るような音が聞こえたかと思うと
突然目を開けていられないほどの光が辺りを覆った。
光が収まった時に目の前にいる人物を視界に納めた時、私は自分の目が今の光でおかしくなってしまったのではないかと思った。
―――だってそれは
「な、なん……で」
―――私が一番会いたくて
「きょ―――ん?」
―――もう二度と会えない人だったから
そう。目に前には昔の―――結婚してから5年目くらいの―――彼が立っていた。真っ直ぐに此方を見つめている。
「本当に……キョン、なのか?」
そっと手を伸ばすがその手は何も掴む事無く空を切り、彼の身体も通過してしまった……つまりコレは幻の一種なのだろう。
「は、はは……そうだね。キミはもう……この世界には居ないんだもの」
自虐的な笑いが浮かんで、そんな顔を彼に見られたくない。そんな事を思って思わず俯いてしまう。
でも―――それでも、こうしてキミを見る事が出来て嬉しい。そう思える自分も確かに居たのだ。
『えっ!? これもう始まってるんですか!?』
いきなり彼が驚いたような声を上げたので、顔を上げてそちらを見てしまう。
そこには少し困ったような顔をした彼がいた。
『あー、えっとだな……佐々木、見えてるか?』
―――あぁ……見えてるよ、キョン。
『あまり想像したくないが、これをお前が見てるって事はおそらく俺はお前より先に死んじまったって事だと思う。
お前を幸せにするって約束だったのに、お前より先に逝っちまったって時点でお前はもう不幸だと思ってるかもしれない』
―――全くだ、ひどい男だよキミは。
『これは予想でしか無いんだが、お前は俺が死んでも泣かないと……いや、少し違うか。お前は『泣けない』と思う。
自惚れさせてもらえるなら俺達は互いが互いを大事にしていた。
だからお前は俺の死って事実を『理解』はしても『納得』はしないだろうと思う。
そして今の家から離れずに俺との思い出ばかり追ってるんじゃないか?』
―――そう……だね。キョンの言う通りだ。僕はキミの幻影を追ってばかりいるよ……
『それ自体は俺も嬉しいと思う。お前にそれだけ想われてるって事だからな』
―――当たり前さ。キミは僕が愛したただ一人の男性なんだぞ?
『だから俺を忘れろ、とは言わん。『俺への想い』に縛られないでくれ』
―――…………。
『俺はもうお前の傍にはいられない、死んじまったんだ』
――― ―――ッ!
『でも陳腐だと思われるかもしれんが、俺はお前を見守り続けて行きたいと思ってるからな。
いつまでも俺に拘ってるお前は見たくないんだよ』
―――あぁ、そうかも知れないね。
『だからな佐々木、思いっきり泣け。泣けば多少はスッキリする。人目なんざ気にするな。
俺はお前を抱きしめてやる事はもう出来ないが、お前はお前の納得出来る人生だった、と。
俺と結婚して幸せだったと胸を張って言えるような人生を送ってくれ』
―――もうキミの姿が滲んで見えないよ……キョン
『あー、色々御託を並べてみたがお前と桜が見たくてこの映像を撮ってる。
しばらくは何にも喋らないからお前の横でお前と桜を見させてくれ。
最後に……佐々木、俺はお前と結婚して幸せだ。今もそして死ぬ瞬間も、死んでからもその思いは変わらないと確信を持って言えるよ』
―――えぇ、私もよ。
『じゃあな、愛してるよ―――』
そうして私のいつもの「佐々木」ではなく、下の名前を彼に呼ばれた瞬間が限界だった。
私は泣いた。人目をはばからず、彼が死んでから今まで、溜め込んでいた悲しみを吐き出すような慟哭だった。
目の前に彼がいてくれる。例えそれが実態の無い映像だとしても彼が傍にいてくれるだけで私は幸せだった。
私は彼の死を理解はしていたかもしれない。でも、心の中ではそれを納得していなかった。認めていなかった。
だから泣けなかったのだと思う。
そして桜の木が静かに枝葉を揺らし、私の姿を隠すように桜吹雪を舞わせていた。
「ふふ、男の子に泣かされたのなんて何年振りだろう、なんだか泣き疲れちゃったよ」
涙を拭ってウトウトして独り言を呟いたつもりだった。
「俺の肩でよけりゃ貸してやるぞ?」
だからその言葉が聞こえた瞬間は幻が喋ったと思った。
「失礼なヤツだな。幻でも夢でもこうしてお前を想ってやって来たんだぜ?」
えぇ、そうね。それでこれはあなたの夢? それとも私の夢かしら?
「別にどっちでもいいだろ? 大事なのは俺がいてお前がいるって事だけさ」
ふふ、そうね。さて、それじゃあ改めて桜を見に行きましょう。
「家の桜じゃ駄目なのか?」
せっかくだもの。あなたにプロポーズされた桜を見に行きたいわ。
「あそこまでか? かなり距離があるんだが……」
いいじゃない。どうせ夢なんでしょう?
夢の中でくらいあなたとデートを楽しみたいわ。
「やれやれ」
さ、行きましょう。
そう行って彼の腕に抱きつき、体重を預ける。
あぁ、彼の体温だ。彼の匂いだ。コレが夢ならば、永遠に覚めないで欲しい。
「ま、これは夢だからな。お前が望めばそれも出来るんじゃないか?」
それは良い事を聞いたわね。じゃあずっとここに居ようかしら?
「お前がそれを望むならな」
そうして私は愛する人と歩き出す。
一歩一歩を踏みしめる様に、歩き出す。
そうして彼女が再びやって来るとそこには風に揺られてざわめく一本の桜の木と縁側に腰掛けて静かに眠る彼女の姿があった。
「佐々木さん、起きてください風邪を―――」
風邪をひいてしまうと思い声をかけ様として、彼女はそれを止めた。
彼女はとても安らかな、幸せそうな顔をして眠っていた。
その眠りは二度と覚める事は無い。けれど愛する人と本当の意味で永遠になれたのだから、彼女はきっと幸せなのだろう。
夢の中できっと二人は幸せに暮らすのだろうから。
「おやすみなさい佐々木さん―――どうか……良い夢を」
桜の木がその言葉に答えるように微かに揺れた。
~Fin~
最終更新:2007年10月10日 21:48