[来歴]
この世界には、神と呼ばれ、支配階級に君臨する種族が存在している。
更に、それは大別して下記の五種族に区分される。
すなわち、アスガルズを統治するアース神族、ヴァナヘイムを統治するヴァン神族、ムスペルヘイムを統治する巨神族、ヘルヘイムを統治する混血神族、そして、ミドガルドを統治する堕天使族である。
更に、それは大別して下記の五種族に区分される。
すなわち、アスガルズを統治するアース神族、ヴァナヘイムを統治するヴァン神族、ムスペルヘイムを統治する巨神族、ヘルヘイムを統治する混血神族、そして、ミドガルドを統治する堕天使族である。
彼らは、かつて、神界、魔界、天界、地獄などと呼ばれる世界に存在していた。
しかし、それらを統治していた古き神々が、世界との合一を果たしたとき、彼らの世界もまた、呑まれるかの如く消滅した。
古き神々は、今や大地に、その力を名残として残すのみである。
しかし、それらを統治していた古き神々が、世界との合一を果たしたとき、彼らの世界もまた、呑まれるかの如く消滅した。
古き神々は、今や大地に、その力を名残として残すのみである。
消滅した故郷と古き神々に取り残された、彼ら新しき神々は、人間界という大地に降り立ち、その地を第二の故郷とするために、人々に牙を剥いた。
その闘争こそが、人間たちのあいだで言う〝明の終焉〟戦争である。
だが、この戦争は人間たちの側から語られるような、人間対神という単純な構図ではなかった。
神は、人と相対すると同時に、それを遥かに凌ぐ敵をも相手取っていたのだ。
それこそが、〝明の終焉〟の裏で勃発した闘争、神対神の争い〝宵の幕明け〟と呼ばれる戦乱であった。
その闘争こそが、人間たちのあいだで言う〝明の終焉〟戦争である。
だが、この戦争は人間たちの側から語られるような、人間対神という単純な構図ではなかった。
神は、人と相対すると同時に、それを遥かに凌ぐ敵をも相手取っていたのだ。
それこそが、〝明の終焉〟の裏で勃発した闘争、神対神の争い〝宵の幕明け〟と呼ばれる戦乱であった。
人間世界には、異なる神世界から複数の神族、魔族が大挙して押し寄せていた。
その数は、とても西方九国の大陸におさまるものではなく、更に、彼ら自身も支配する土地を分け合うのではなく、他種族を排斥するための闘争を始めていた。
人との争いは、主要な大国家を壊滅させ、六十日の後に決着する。だが、神は人と戦争をしているつもりなど無かった。
自分たち神が降り立った以上、支配するのは人間ではなく、自分たちであるはずだ。そうした意識が彼らの中にはあったのだ。
そして、人間の反撃は、彼らにとっては児戯にも及ばぬ拙いものに見えていた。
その後、九つの大国と数多の小国を支配下においた神々は、ついに、全面的な神対神の闘争期へと遷った。
その数は、とても西方九国の大陸におさまるものではなく、更に、彼ら自身も支配する土地を分け合うのではなく、他種族を排斥するための闘争を始めていた。
人との争いは、主要な大国家を壊滅させ、六十日の後に決着する。だが、神は人と戦争をしているつもりなど無かった。
自分たち神が降り立った以上、支配するのは人間ではなく、自分たちであるはずだ。そうした意識が彼らの中にはあったのだ。
そして、人間の反撃は、彼らにとっては児戯にも及ばぬ拙いものに見えていた。
その後、九つの大国と数多の小国を支配下においた神々は、ついに、全面的な神対神の闘争期へと遷った。
しかし、神は考えていた。大規模な戦争を起こせば、この世界も自らの故郷と同様に、容易く砕け散ってしまうだろうと、実を言えば、彼らの世界が消滅するときにも、兆しは確かにあった。
故郷と古き神々が消え去る数百年ほど前のことだ。今や、その始まりを正確に知る神はいない。
だが、神の世界は、静かに、だが確かに震えていたのだ。
そして、それが世界の終わりなのだと神々が理解した頃には、大地は鳴動するに至っていた。
神々は疑心暗鬼に陥り、他の神族、魔族による陰謀説をそれぞれに唱えた。
確かに、神の住まう大地が、自らの意思で消え去ろうなどとは、誰一人として夢にも思うまい。
いつの時代も、世界を滅ぼすのは誰かの意図的な意思であるはずだ。
そういった意味では、神々の思考が陰謀という帰結に辿り着いたことは、当然であるともいえた。
そして、その後、大地の消滅を待つことなく、神世界での開戦の口火は切られ、神同士の八十年に及ぶ戦争が幕を開けた。
そして、その戦争は終結を見ることなく、舞台は人間界へと遷された。難しくは無い、ただ、それだけのことだ。
神にとって難しかったのは、人間世界での戦い方だ。
この狭い世界を、分け合うなどという気は毛頭なかったが、同時に各々の種族が死力を尽くして戦うならば、この世界は形を止めないまでに破壊されるだろう。
そこで神々は、あらゆる場合においても、常に一騎打ちによる闘争を提案した。
あらゆる種族がこれに賛同することとなり、今後、いかな事態に陥ろうとも、神は一対一の戦いを行うことを世界と自らに誓った。
そうした、支配権争いの闘争が百年余り密やかにつづき、多くの種族が断絶し、離散し、神でない者が統治する国が建国され、世界は今の形を成すに至った。
故郷と古き神々が消え去る数百年ほど前のことだ。今や、その始まりを正確に知る神はいない。
だが、神の世界は、静かに、だが確かに震えていたのだ。
そして、それが世界の終わりなのだと神々が理解した頃には、大地は鳴動するに至っていた。
神々は疑心暗鬼に陥り、他の神族、魔族による陰謀説をそれぞれに唱えた。
確かに、神の住まう大地が、自らの意思で消え去ろうなどとは、誰一人として夢にも思うまい。
いつの時代も、世界を滅ぼすのは誰かの意図的な意思であるはずだ。
そういった意味では、神々の思考が陰謀という帰結に辿り着いたことは、当然であるともいえた。
そして、その後、大地の消滅を待つことなく、神世界での開戦の口火は切られ、神同士の八十年に及ぶ戦争が幕を開けた。
そして、その戦争は終結を見ることなく、舞台は人間界へと遷された。難しくは無い、ただ、それだけのことだ。
神にとって難しかったのは、人間世界での戦い方だ。
この狭い世界を、分け合うなどという気は毛頭なかったが、同時に各々の種族が死力を尽くして戦うならば、この世界は形を止めないまでに破壊されるだろう。
そこで神々は、あらゆる場合においても、常に一騎打ちによる闘争を提案した。
あらゆる種族がこれに賛同することとなり、今後、いかな事態に陥ろうとも、神は一対一の戦いを行うことを世界と自らに誓った。
そうした、支配権争いの闘争が百年余り密やかにつづき、多くの種族が断絶し、離散し、神でない者が統治する国が建国され、世界は今の形を成すに至った。
その中で最後まで苛烈なる〝宵の幕明け〟を生き抜いた者たちこそが、オーディンの末裔スウァフルラーメ率いる闘争の神アース神族。
かつてオーディンが従えたエインヘルヤル(戦死者の軍勢)をはるかに凌ぐ〝不死の英雄軍〟を従えるニヨルドの血統ヴァナディース率いる豊穣の美神ヴァン神族。
灼熱の神ムスペルの傍らに仕え、現在は盟主として種族を束ねる炎の軍神ズールト率いる巨神族。
魔界最高峰の呼び声高いメルニボネの冥王軍を従え、ロキの娘として現界最古に名を連ねる冥界の女神ヘル率いる混血神族。
そして、七十二柱の魔神、堕天使の王として君臨し、地獄という檻に囚われていたことで世界との合一を成すに到らなかった現界最古の堕天使ルシファー率いる堕天使族。
この五種族がアスガルズ、ヴァナヘイム、ムスペルヘイム、ヘルヘイム、ミドガルドを建国するに到り、現在の神々が統治する『九国』という体制が形を成すこととなった。
かつてオーディンが従えたエインヘルヤル(戦死者の軍勢)をはるかに凌ぐ〝不死の英雄軍〟を従えるニヨルドの血統ヴァナディース率いる豊穣の美神ヴァン神族。
灼熱の神ムスペルの傍らに仕え、現在は盟主として種族を束ねる炎の軍神ズールト率いる巨神族。
魔界最高峰の呼び声高いメルニボネの冥王軍を従え、ロキの娘として現界最古に名を連ねる冥界の女神ヘル率いる混血神族。
そして、七十二柱の魔神、堕天使の王として君臨し、地獄という檻に囚われていたことで世界との合一を成すに到らなかった現界最古の堕天使ルシファー率いる堕天使族。
この五種族がアスガルズ、ヴァナヘイム、ムスペルヘイム、ヘルヘイム、ミドガルドを建国するに到り、現在の神々が統治する『九国』という体制が形を成すこととなった。
翻って、国を築くことができなった他の神族は、それぞれの血の繋がりや在りし日の種族の結束を重きとして、クラン(血盟)を形成し今も人間世界になりを潜めている。
かの【雨月の幽帝】ガープも、かつて魔界にて貴公子の位階を持つ魔神の一柱であり、一騎打ちを一実にして絶対の法と定める〝宵の幕明け〟に参戦するほどの高き魔王であった。
しかし、自国を築くには至れず、その後は自らが盟主を務めるクラン、【デュナミス】をもって大陸全土を一陣の風が如く駆け抜けたが、九年前、ミッドナイトの手により討滅されている。
かの【雨月の幽帝】ガープも、かつて魔界にて貴公子の位階を持つ魔神の一柱であり、一騎打ちを一実にして絶対の法と定める〝宵の幕明け〟に参戦するほどの高き魔王であった。
しかし、自国を築くには至れず、その後は自らが盟主を務めるクラン、【デュナミス】をもって大陸全土を一陣の風が如く駆け抜けたが、九年前、ミッドナイトの手により討滅されている。
余談だが、かつての〝宵の幕明け〟によって、多くの神々がその命を散らしたことで、現在の九国に神という存在の数は、それほど多くない。
よって神々の常識では、どれほど神格が劣る神であろうが、忠誠を誓う者を臣下とすることはあっても、駒として使うという概念は薄い。
逆に、神々にとって自身に忠実な兵というものは、それぞれの神が己の力により創りだした〝天使(エンジェル)〟や〝悪魔(デビル)〟を指すことの方が、より一般的である。
前者は聖神より創りだされた者たちであり、かつての上位神格級天使(ルシファーやベリアルなどの堕天以前の姿)とは異なる存在だ。
現在で使われる〝天使〟とは、〝御使い〟を意味し、完全なる聖神の使いである。
後者は魔神が創りだした者たちであり、〝天使〟と同じく、魔神にとっての〝御使い〟的な存在である。
両存在とも、かつて天界の至高神が行なった〝人間の創造〟の奇跡と原理を同じくする〝生命の創造〟を基礎とした奇跡、あるいは魔法により創りだされた存在である。
上位の神格を有する神が創るほど強大な〝御使い〟が誕生するといわれ、場合によっては、純粋な力において中位神格者を凌駕する者も存在するほどだ。
ただし、どれほどに力の強い〝御使い〟であろうとも、神族とは明確な区分がなされ、殺害に関してのみ言えば、〝神殺し〟よりはるかに容易だといえる。
現在の神の神たる所以は、〝奇跡〟に等しい不死性にあるが、〝御使い〟にはこれが存在しないため神と同格とは認められないのだ。
また、オーガなどの鬼神たちは、古くは巨神族が創りだした存在であり、〝御使い〟の一つとして数えられることもある。
(神の不死性については、下記の項目を参照)
ミッドナイトが九年前に行なった【七七七人殺し】も〝御使い殺し〟であり、〝神殺し〟には数えられなかった。
因みに、〝御使い〟は一人一人を〝人〟と数えるが、神々は〝柱〟と数える。このあたりも明確な区分けの結果だろう。
よって神々の常識では、どれほど神格が劣る神であろうが、忠誠を誓う者を臣下とすることはあっても、駒として使うという概念は薄い。
逆に、神々にとって自身に忠実な兵というものは、それぞれの神が己の力により創りだした〝天使(エンジェル)〟や〝悪魔(デビル)〟を指すことの方が、より一般的である。
前者は聖神より創りだされた者たちであり、かつての上位神格級天使(ルシファーやベリアルなどの堕天以前の姿)とは異なる存在だ。
現在で使われる〝天使〟とは、〝御使い〟を意味し、完全なる聖神の使いである。
後者は魔神が創りだした者たちであり、〝天使〟と同じく、魔神にとっての〝御使い〟的な存在である。
両存在とも、かつて天界の至高神が行なった〝人間の創造〟の奇跡と原理を同じくする〝生命の創造〟を基礎とした奇跡、あるいは魔法により創りだされた存在である。
上位の神格を有する神が創るほど強大な〝御使い〟が誕生するといわれ、場合によっては、純粋な力において中位神格者を凌駕する者も存在するほどだ。
ただし、どれほどに力の強い〝御使い〟であろうとも、神族とは明確な区分がなされ、殺害に関してのみ言えば、〝神殺し〟よりはるかに容易だといえる。
現在の神の神たる所以は、〝奇跡〟に等しい不死性にあるが、〝御使い〟にはこれが存在しないため神と同格とは認められないのだ。
また、オーガなどの鬼神たちは、古くは巨神族が創りだした存在であり、〝御使い〟の一つとして数えられることもある。
(神の不死性については、下記の項目を参照)
ミッドナイトが九年前に行なった【七七七人殺し】も〝御使い殺し〟であり、〝神殺し〟には数えられなかった。
因みに、〝御使い〟は一人一人を〝人〟と数えるが、神々は〝柱〟と数える。このあたりも明確な区分けの結果だろう。
[言語]
神々の言語は、実のところほぼ統一されており、人間や妖精の言葉ほどには細分化されていない。
アース神族、ヴァン神族、巨神族、混血神族の公用語は同一のものであり、すべての種族がノルド語を用いる。
アース神族、ヴァン神族、巨神族、混血神族の公用語は同一のものであり、すべての種族がノルド語を用いる。
唯一、ミドガルドを統治する堕天使族のみが、他の言語を話すのだが、これは、そもそも天使族と呼ばれる面々が、単純に天界で天使として生を享けた者と、古くから古代の神として他の神世界で栄華を極めていた者の二種類が存在するからだ。
このことからも、天使が存在した神世界は、他の神世界に比べ、比較的に新しい世界であり、古き神が役目を終えることで、新たに天使として生を享ける場所とも考えられている。
そうした世界の中では、それぞれに使用する言語が異なるという弊害が存在するものの、堕天使族は、皆が共通の公用語をイブリート語に定めることで落ち着いており、現在ミドガルドを己が領域とするすべての堕天使、魔神はイブリート語を解することができる。
このことからも、天使が存在した神世界は、他の神世界に比べ、比較的に新しい世界であり、古き神が役目を終えることで、新たに天使として生を享ける場所とも考えられている。
そうした世界の中では、それぞれに使用する言語が異なるという弊害が存在するものの、堕天使族は、皆が共通の公用語をイブリート語に定めることで落ち着いており、現在ミドガルドを己が領域とするすべての堕天使、魔神はイブリート語を解することができる。
結論としては、西方九国のうち神が治める国は五つ、その中で神が使う言語は実に二種類しか存在しないのだ。
[職種]
神の職種に特筆すべきことはないが、簡単に纏めるならば、各地域の統治を行うことであり、大抵の国においてはその役目を貴族、あるいは王族といい、土地と爵位を与えて統治する手法が一般的だ。
その他は、すべて政治的なものであり、軍部の管理や国庫の管理などが主であるが、それほど幅の広い政治展開は成されていない。
ただし、ヘルヘイムだけは、少女王ヘルの意向により、貴族制度を廃止し、完全に政治的主眼からの治世を目指している。
その他は、すべて政治的なものであり、軍部の管理や国庫の管理などが主であるが、それほど幅の広い政治展開は成されていない。
ただし、ヘルヘイムだけは、少女王ヘルの意向により、貴族制度を廃止し、完全に政治的主眼からの治世を目指している。
[寿命と不死性]
神は、本来無限の命と永遠の不老を有する一族である。
だが、その実態は、決して外的要因に対し不可侵であるというわけではない。
時を遡り、古く神々が存在したかつては、神の存在は不可侵ではなく、外的要因に対して人や獣よりもはるかに強固であるものの、その魂は有限であった。
だが、その実態は、決して外的要因に対し不可侵であるというわけではない。
時を遡り、古く神々が存在したかつては、神の存在は不可侵ではなく、外的要因に対して人や獣よりもはるかに強固であるものの、その魂は有限であった。
しかし、四百余年前、神の世界が崩壊し、古き神々が世界と合一を果たしたその時以来、神々の在り様は一変し、現在に至る。
そもそも、神の世界の崩壊は、古き神の所業に最たる原因があるのだが、これは他項目の年表を参照していただきたい。
だが、結論を述べるならば、神世界の崩壊を望んだのは、世界そのものであり、この世のすべてを根幹から成したとされる〝大いなる意思〟によるものだった。
そもそも、神の世界の崩壊は、古き神の所業に最たる原因があるのだが、これは他項目の年表を参照していただきたい。
だが、結論を述べるならば、神世界の崩壊を望んだのは、世界そのものであり、この世のすべてを根幹から成したとされる〝大いなる意思〟によるものだった。
〝大いなる意思〟は、その本能をもって、古き神々が意思に成り代わり、権勢を揮い、いずれ世界を脅かす要因となるだろうことを危惧していた。
その結果として、〝大いなる意思〟は神世界の崩壊を望んだと伝えられている。
事ここに至り、神という種は世界から修正を受ける追放者となる。それは、神世界が消滅した時点で、すでに用意された帰結であった。
その結果として、〝大いなる意思〟は神世界の崩壊を望んだと伝えられている。
事ここに至り、神という種は世界から修正を受ける追放者となる。それは、神世界が消滅した時点で、すでに用意された帰結であった。
本来ならば、すべての神が世界から消え去り、神が内包した力のみが世界にわずかな爪痕として残るはずであった。
しかし、新しき神々は、この結果をよしとせず〝大いなる意思〟に反して、存在を永らえることを考え始める。
そして、それからわずかに数年の後、古き神々が消えゆく恐怖を己が身に感じる傍らで、彼ら新しき神々は、自らの存命の方法を確立する。
その結論こそが、かつて地獄や箱庭を生みだした至高神の奇跡を起源とする因果否定の法〝世界創造〟であった。
彼らは、この法を用い、地獄、箱庭に次ぐ、自らの存命に適した世界〝神霊界(アストラル界)〟を構築するに至る。
この世界を構築することは、それほど難しくはなかった。
なぜなら、古き神々が〝大いなる意思〟によって創られたとされる世界から消えてゆくさなかにあり、それを否定するかの如く存在しつづける古き神々がいたからだ。
それこそが、地獄に存在した魔神と堕天使だった。
新しき神々は、それが〝大いなる意思〟以外の力、すなわち至高神によって創られた擬似的世界であるために、世界の干渉を遮断しているのだということに気づいたのだ。
その後の新しき神々の行動は迅速だった。
神世界全土で、疑心暗鬼の闘争が繰り返される現状を尻目に、現在に残るわずかに思慮深き神々は、目的を同じくし〝アストラル界〟の構築原理を模索し始め、わずかな時のなかで新たな世界を創造するに至った。
新しき神々は、〝世界創造〟の法則により創りだされた擬似世界を〝第二世界〟と呼んだ。
しかし、新しき神々は、この結果をよしとせず〝大いなる意思〟に反して、存在を永らえることを考え始める。
そして、それからわずかに数年の後、古き神々が消えゆく恐怖を己が身に感じる傍らで、彼ら新しき神々は、自らの存命の方法を確立する。
その結論こそが、かつて地獄や箱庭を生みだした至高神の奇跡を起源とする因果否定の法〝世界創造〟であった。
彼らは、この法を用い、地獄、箱庭に次ぐ、自らの存命に適した世界〝神霊界(アストラル界)〟を構築するに至る。
この世界を構築することは、それほど難しくはなかった。
なぜなら、古き神々が〝大いなる意思〟によって創られたとされる世界から消えてゆくさなかにあり、それを否定するかの如く存在しつづける古き神々がいたからだ。
それこそが、地獄に存在した魔神と堕天使だった。
新しき神々は、それが〝大いなる意思〟以外の力、すなわち至高神によって創られた擬似的世界であるために、世界の干渉を遮断しているのだということに気づいたのだ。
その後の新しき神々の行動は迅速だった。
神世界全土で、疑心暗鬼の闘争が繰り返される現状を尻目に、現在に残るわずかに思慮深き神々は、目的を同じくし〝アストラル界〟の構築原理を模索し始め、わずかな時のなかで新たな世界を創造するに至った。
新しき神々は、〝世界創造〟の法則により創りだされた擬似世界を〝第二世界〟と呼んだ。
しかし、この世界も彼らの安住の地とは成りえなかった。
その理由は至極簡単なもので、形として世界を創造することはできたが、至高神が行なったほどに完璧な世界は創れなかったのだ。
結局、〝アストラル界〟は、それぞれの神が己が存在を隔離する個室のような空間を作りだすことしかできなかった。
そこは、他者の部屋へとつづく扉も無ければ、外界へと至る出口すらない。
ただただ、神が真の姿を晒す檻が如くありつづけた。
その理由は至極簡単なもので、形として世界を創造することはできたが、至高神が行なったほどに完璧な世界は創れなかったのだ。
結局、〝アストラル界〟は、それぞれの神が己が存在を隔離する個室のような空間を作りだすことしかできなかった。
そこは、他者の部屋へとつづく扉も無ければ、外界へと至る出口すらない。
ただただ、神が真の姿を晒す檻が如くありつづけた。
その後、新しき神々は、本能とも呼べる感覚のなかで、かつて神や魔が人間界へと降りるために用いた法を使用するようになる。
それこそが、アストラル体(神霊体)による具現化であった。
この方法は、かつてのミカエルやサタン、ベルゼベルなどが時折用いており、天界、あるいは地獄から抜け出すのに使用していた。
それこそが、アストラル体(神霊体)による具現化であった。
この方法は、かつてのミカエルやサタン、ベルゼベルなどが時折用いており、天界、あるいは地獄から抜け出すのに使用していた。
彼ら神々にとって僥倖だったのは、〝アストラル界〟に存在する個室という概念が、それぞれの神に用意された小世界として作用したことだ。
それにより、彼らはどれほどアストラル体の密度を高めたとしても、消滅する危険がなくなったのだ。
本来、この行為を外界で行なうならば、世界の規模にもよるが、幽霊の体に自身を移すようなものであり、そちらに力を注ぎ込んだ結果、本体は希薄となり、最終的には消滅してしまうだろう。
これは、地獄はおろか〝大いなる意思〟が創りだした世界では絶対の法則であり、密度を薄めた本質は、世界から存在を完全に否定されることとなる。
それにより、彼らはどれほどアストラル体の密度を高めたとしても、消滅する危険がなくなったのだ。
本来、この行為を外界で行なうならば、世界の規模にもよるが、幽霊の体に自身を移すようなものであり、そちらに力を注ぎ込んだ結果、本体は希薄となり、最終的には消滅してしまうだろう。
これは、地獄はおろか〝大いなる意思〟が創りだした世界では絶対の法則であり、密度を薄めた本質は、世界から存在を完全に否定されることとなる。
だが、〝アストラル界〟にはそれがない。
なぜなら、〝アストラル界〟に用意された個室そのものが、それぞれの神の小世界であり、同時にそれだけのためにある小世界だからだ。
これにより、いかに個室内で密度を薄めようが、侵食してくる世界の要素が自身以外皆無であるために消滅することがないのだ。
なぜなら、〝アストラル界〟に用意された個室そのものが、それぞれの神の小世界であり、同時にそれだけのためにある小世界だからだ。
これにより、いかに個室内で密度を薄めようが、侵食してくる世界の要素が自身以外皆無であるために消滅することがないのだ。
この〝第二世界〟アストラルに産まれた新たな小世界を、神々は〝泡沫夢幻の世(the transient world)〟の理、と名づけた。
この法則を用いることで、新たなる神々は、期せずして真の意味での不老不死と無限の命と絶対的な不可侵を手に入れた。
なぜなら、この世界に存在する神々は、〝アストラル界〟から投影され、マナにより構成された擬似的肉体であり、そこには質量すらなく、マナが存在しつづける限り永遠に形を留めた不思議の塊なのだ。
中身は神の精神、幽霊ともいえるアストラル体であり、その器は壊すことはおろか触れることすら困難を極める。
この法則を用いることで、新たなる神々は、期せずして真の意味での不老不死と無限の命と絶対的な不可侵を手に入れた。
なぜなら、この世界に存在する神々は、〝アストラル界〟から投影され、マナにより構成された擬似的肉体であり、そこには質量すらなく、マナが存在しつづける限り永遠に形を留めた不思議の塊なのだ。
中身は神の精神、幽霊ともいえるアストラル体であり、その器は壊すことはおろか触れることすら困難を極める。
かくして、〝大いなる意思〟より忌避され、世界より修正を受けた種族、追放者たる神々は、自らの知と力をもって真の自由を手に入れたのだ。
だが、それすら本質を、永遠に解き放たれぬ狭き檻に閉じ込めることで得た夢幻であり、しかして、故に無限である自由だったが。
だが、それすら本質を、永遠に解き放たれぬ狭き檻に閉じ込めることで得た夢幻であり、しかして、故に無限である自由だったが。
以上が、神々が不可侵となり、現在に至る不死を確立した概略的な話となる。
しかし、この世には、その神々すら葬り去る行いが存在する。
それこそが〝神狩り〟と呼ばれる行為であり、それを実行しうる者を〝神殺し〟と呼んだ。
しかし、この世には、その神々すら葬り去る行いが存在する。
それこそが〝神狩り〟と呼ばれる行為であり、それを実行しうる者を〝神殺し〟と呼んだ。
上記の理由により、本来神は不可侵だ。だが、それを覆す術は存在する。
それこそが、アストラルの肥大化現象だ。
神々は、自らのアストラル質量を調節することで、不可侵化を成している。
人間界での密度が薄ければ、それだけ存在は〝アストラル界〟に傾いている図式となり、外界との関係はその分希薄で、それ故に不可侵であり、死線が現れない。
これとの戦闘行為は、投影された遠方からの映像に向かって、剣を振るに等しい行為であると理解してもらえれば、それがどれほど愚かなことかは解っていただけると思う。
しかし、逆にアストラルの密度を高めていけば、その分存在の在り場所は外界に傾いてゆき、最終的には、幽体に等しいアストラル体にも死線が現れ始める。
これは、本来仮初であったはずの肉体に、アストラルの密度を高めることで、魂が移ってゆく結果、現れるものである。
それこそが、アストラルの肥大化現象だ。
神々は、自らのアストラル質量を調節することで、不可侵化を成している。
人間界での密度が薄ければ、それだけ存在は〝アストラル界〟に傾いている図式となり、外界との関係はその分希薄で、それ故に不可侵であり、死線が現れない。
これとの戦闘行為は、投影された遠方からの映像に向かって、剣を振るに等しい行為であると理解してもらえれば、それがどれほど愚かなことかは解っていただけると思う。
しかし、逆にアストラルの密度を高めていけば、その分存在の在り場所は外界に傾いてゆき、最終的には、幽体に等しいアストラル体にも死線が現れ始める。
これは、本来仮初であったはずの肉体に、アストラルの密度を高めることで、魂が移ってゆく結果、現れるものである。
こうして死線の現れた神々は、密度が高ければ高いほど殺すことが容易になるが、同時に密度が薄い状態に比べ、はるかに強大な力を有することとなる。
最終的に密度を全開まで高め、〝アストラル界〟の小世界に存在する己がすべてを注ぎ込めば、神々の真の姿を顕現させることも可能と言われているが、これを行なった場合、神々の魂は完全に人間世界に定着したこととなり、即座に世界からの修正を受け、消滅すると考えられている。
最終的に密度を全開まで高め、〝アストラル界〟の小世界に存在する己がすべてを注ぎ込めば、神々の真の姿を顕現させることも可能と言われているが、これを行なった場合、神々の魂は完全に人間世界に定着したこととなり、即座に世界からの修正を受け、消滅すると考えられている。
神が、自身の密度を高める理由は大まかに二通り、一つは、密度が薄いままなら不可侵だが、弱体化していることに変わりがないため、単純に力を強める理由で密度を高める場合、もう一つは、油断や驚愕などの感情が引き起こすパス(アストラルを流す道、魔術を行使する際のマナやオドの流れもパスと呼び、〝軌道〟を意味する)の乱れにより、アストラルの流入が増大する場合がある。
この現象は、流れだす方向に傾く性質を持ち、意図ぜず増大することはあっても減少することはない。
坂道に球を転がし、下ることは在っても、上ることが在り得ないのと同じである。
ただし、自身の意思で擬似的肉体を捨て〝アストラル界〟へ〝逆流〟することは可能とされる。
もっとも、これは〝逆流する〟という明確な意思が働いた場合のみで、普段の力の流れは流出するだけの一方通行なものだ。
それ故に、感情が乱れることで流出を留めるたがが外れ、アストラルの密度が増すという現象が起こってしまうのだ。
この現象は、流れだす方向に傾く性質を持ち、意図ぜず増大することはあっても減少することはない。
坂道に球を転がし、下ることは在っても、上ることが在り得ないのと同じである。
ただし、自身の意思で擬似的肉体を捨て〝アストラル界〟へ〝逆流〟することは可能とされる。
もっとも、これは〝逆流する〟という明確な意思が働いた場合のみで、普段の力の流れは流出するだけの一方通行なものだ。
それ故に、感情が乱れることで流出を留めるたがが外れ、アストラルの密度が増すという現象が起こってしまうのだ。
ただし、完全にパスを通し、安定したアストラル供給を行なえる神は、聖魔でも上位の存在だけだとも言われ、神格の低い者ほどパスが安定せず、常にわずかばかり死線を晒している者も多い。
もちろん、死線というのは例えであって、まして人間の眼に見えるような代物では決してないため、〝多少死に易い〟程度であり、依然として人間に神を殺す行為が困難であることに変わりはない。
もちろん、死線というのは例えであって、まして人間の眼に見えるような代物では決してないため、〝多少死に易い〟程度であり、依然として人間に神を殺す行為が困難であることに変わりはない。
力を高めるための密度上昇と、感情を乱した過多流出を逆手にとって神を殺すことこそが、上記で述べた〝神狩り〟行為である。
ただし、もう一方の〝神殺し〟には、やや条件があり、こちらは何ら特別の付与がなされていない人間の武具で神を殺した者をあらわす。
その行為は困難を極め、人間の武具が神を殺傷するには、その密度が顕現に迫るほどに高まっていなくては不可能であるとされる。
未だ、この条件下で神を打倒した人間は、長い歴史のなかでもミッドナイトただ一人と言われている。
ミッドナイトの異名が【殺神貴】として崇められるのも、その所業故のことであった。
ただし、もう一方の〝神殺し〟には、やや条件があり、こちらは何ら特別の付与がなされていない人間の武具で神を殺した者をあらわす。
その行為は困難を極め、人間の武具が神を殺傷するには、その密度が顕現に迫るほどに高まっていなくては不可能であるとされる。
未だ、この条件下で神を打倒した人間は、長い歴史のなかでもミッドナイトただ一人と言われている。
ミッドナイトの異名が【殺神貴】として崇められるのも、その所業故のことであった。
それ以外の神を消滅させる方法として一般的なものは、神対神の闘争だろう。
神々は、その身に宿すアストラルの流れを、自身の感覚を持って知覚することができるため、どれほど密度を薄めていても殺すことは容易い。
その他にも、アストラルを知覚できる特殊な存在がある。それが魔術師と呼ばれる人種であり、その最たる者が魔法使いである。
彼らは、普段の魔術でパスを通す行為に慣れており、同時に他者のパスには敏感であるため、アストラルを感知することができるのだ。
ただし、その流れは、アストラルを無条件で知覚しうる神々とは異なり、通されたパスを感知し、その流れを理解した上でアストラルを知覚するという工程をふんでおり、集中力を乱すとそれすら感じ取れなくなるという。
しかも、希薄な状態のアストラルを感知できるほどに鋭敏な人間は存在しないと言われ、例え密度上昇によりアストラルの流れを知覚できたとしても、人間の身で神を打倒することは困難を極める。
だが、並みの人間よりは、魔術師である方が有利であることは確かであり、彼ら魔術師が〝明けの終焉〟において最後まで抵抗をつづけることができたのも、アストラルを知覚できる力に理由がある。
神々は、その身に宿すアストラルの流れを、自身の感覚を持って知覚することができるため、どれほど密度を薄めていても殺すことは容易い。
その他にも、アストラルを知覚できる特殊な存在がある。それが魔術師と呼ばれる人種であり、その最たる者が魔法使いである。
彼らは、普段の魔術でパスを通す行為に慣れており、同時に他者のパスには敏感であるため、アストラルを感知することができるのだ。
ただし、その流れは、アストラルを無条件で知覚しうる神々とは異なり、通されたパスを感知し、その流れを理解した上でアストラルを知覚するという工程をふんでおり、集中力を乱すとそれすら感じ取れなくなるという。
しかも、希薄な状態のアストラルを感知できるほどに鋭敏な人間は存在しないと言われ、例え密度上昇によりアストラルの流れを知覚できたとしても、人間の身で神を打倒することは困難を極める。
だが、並みの人間よりは、魔術師である方が有利であることは確かであり、彼ら魔術師が〝明けの終焉〟において最後まで抵抗をつづけることができたのも、アストラルを知覚できる力に理由がある。
ただし、死という概念は、密度が大きい世界に基因するため、人間界で殺された神の密度が〝アストラル界〟に存在する本体の密度と比べ
薄かった場合は、死という結果そのものが否定され、人間界の肉体は消滅するが、本体が消えることはない。
これは、もし人間界のアストラル体が〝死〟という事象に遭遇した場合、そのまま死んでしまうと『彼という存在は死んだ。だが、アストラル界には、なぜか彼の魂が多大に存在する。』という矛盾が生じてしまうため、アストラル密度の高い方向に結果が流れてしまうのだ。
逆に、アストラル密度が人間界の方に多く傾いていた場合に〝死〟を体感してしまうと『彼という存在は死んだ。』という結果だけが残り、〝アストラル界〟に希薄ながら存在した本体は、その結論に引きずられるようにして消滅してしまう。
薄かった場合は、死という結果そのものが否定され、人間界の肉体は消滅するが、本体が消えることはない。
これは、もし人間界のアストラル体が〝死〟という事象に遭遇した場合、そのまま死んでしまうと『彼という存在は死んだ。だが、アストラル界には、なぜか彼の魂が多大に存在する。』という矛盾が生じてしまうため、アストラル密度の高い方向に結果が流れてしまうのだ。
逆に、アストラル密度が人間界の方に多く傾いていた場合に〝死〟を体感してしまうと『彼という存在は死んだ。』という結果だけが残り、〝アストラル界〟に希薄ながら存在した本体は、その結論に引きずられるようにして消滅してしまう。
だが、大半の神は、この緊急回避的手段である〝アストラルの逆流〟を行なうことがない。
なぜなら、もしこの世界に創りだした仮初の肉体が死んでしまうと、もう二度と人間界に姿を現すことができなくなってしまうからだ。
この原理ばかりは神にも覆せないもので、これを適用しているのが〝大いなる意思〟であるとされる。
〝大いなる意思〟は、およそ自我というものを持たない本能のみの存在であるとされるが、この意思は、世界中にあまねく存在たちの生死をも管理しており、〝死〟が訪れると、その後、魂はマナ(大源)へと還り、それによって世界は、その存在の死を理解する。
魂の回帰までに要する時間は、半日とも丸一日とも言われているが、正確なところは、神も人も解ってはいない。
ただし、魂のなかには、怨念や情念などが残り、マナへと還らない者も存在する。
例えそのような場合であっても、魂の何割かは確実にマナへの帰還を果たしてしまうのだが、その後に残るものが死霊の源であったり、霊魂(『ディランダル』の内部にある自我もこれにあたる)であったりする。
余談だが、【ニュクス】の幹部筆頭たるラウンドの蘇生術は、人が死に、魂が回帰する時間の間隙をぬうようにして行なわれる術であり、時間制限が存在するのはこのためである。
なぜなら、もしこの世界に創りだした仮初の肉体が死んでしまうと、もう二度と人間界に姿を現すことができなくなってしまうからだ。
この原理ばかりは神にも覆せないもので、これを適用しているのが〝大いなる意思〟であるとされる。
〝大いなる意思〟は、およそ自我というものを持たない本能のみの存在であるとされるが、この意思は、世界中にあまねく存在たちの生死をも管理しており、〝死〟が訪れると、その後、魂はマナ(大源)へと還り、それによって世界は、その存在の死を理解する。
魂の回帰までに要する時間は、半日とも丸一日とも言われているが、正確なところは、神も人も解ってはいない。
ただし、魂のなかには、怨念や情念などが残り、マナへと還らない者も存在する。
例えそのような場合であっても、魂の何割かは確実にマナへの帰還を果たしてしまうのだが、その後に残るものが死霊の源であったり、霊魂(『ディランダル』の内部にある自我もこれにあたる)であったりする。
余談だが、【ニュクス】の幹部筆頭たるラウンドの蘇生術は、人が死に、魂が回帰する時間の間隙をぬうようにして行なわれる術であり、時間制限が存在するのはこのためである。
この原理は、神が有する仮初の肉体にも適用されており、肉体から神の精神たるアストラルが離れると、その肉体は魂が消滅した器であると理解される。
更に、神の肉体は本来世界には存在しない〝奇跡〟によって編み込まれたマナの集合体であるため、制御するアストラル体が離れてしまえば、後は魔術などと同様、世界に長くは形を保てない異物として、数分の後に分解され、もとのマナへと戻されてしまう。
その後は、どれほど人間界(正確には〝大いなる意思〟が生みだした世界すべて)への復活を試みても『今、世界へ侵入しようとしている存在は、既に死んでいる。』と理解されるため、当然矛盾を許さない〝大いなる意思〟は、この行為を排斥する形で無効化する。
更に、神の肉体は本来世界には存在しない〝奇跡〟によって編み込まれたマナの集合体であるため、制御するアストラル体が離れてしまえば、後は魔術などと同様、世界に長くは形を保てない異物として、数分の後に分解され、もとのマナへと戻されてしまう。
その後は、どれほど人間界(正確には〝大いなる意思〟が生みだした世界すべて)への復活を試みても『今、世界へ侵入しようとしている存在は、既に死んでいる。』と理解されるため、当然矛盾を許さない〝大いなる意思〟は、この行為を排斥する形で無効化する。
その後の神の生き方は、神に言わせるならば地獄の日々だ。
他者もない、外もない、出られない、何もない、そんな世界で永遠に命が尽きることもなく生きつづける。
だからこそ、神は〝アストラルの逆流〟を使用しない。
使用するくらいなら、全力を持って抗い、死んだ方がマシだからだ。
逆に人間は、そこを逆手に取り、自身を殺すには密度が足りないぞ。と挑発することでアストラルを高めさせ、隙を突いて殺すのだ。
それを補助するのが『宝具』という存在である。
他者もない、外もない、出られない、何もない、そんな世界で永遠に命が尽きることもなく生きつづける。
だからこそ、神は〝アストラルの逆流〟を使用しない。
使用するくらいなら、全力を持って抗い、死んだ方がマシだからだ。
逆に人間は、そこを逆手に取り、自身を殺すには密度が足りないぞ。と挑発することでアストラルを高めさせ、隙を突いて殺すのだ。
それを補助するのが『宝具』という存在である。
枝話ではあるが、『宝具』による攻勢が神に及ぼす効果について、簡単に纏めておこう。
神に対して優位に働く『宝具』の序列は、複雑な付与でも施されていない限り、一位に『神具』二位に『聖具』(ただし『聖具』の存在自体が、世界的にあまり知られていない)三位に『霊具』そして最後に『魔神具』となる。
『魔道具』に関しては、先に語ったように付与された能力で効果を左右するものが多く、一概に何位と決めることができないため、除外する。
まず、一位の『神具』についてだが、これは相手とする神の性質が聖であろうと魔であろうと及ぼす効果は同じである。
その理由は、『神具』の発する力が、神霊(アストラル)の存在にもっとも近く、対象に同調する形で、反発されることなく存在に干渉できるため、もっとも効率よく神を殺せる道具とされるが、それは『神具』の大半が神対神の闘争に用いるために作られた道具であるからに他ならない。
第二位に位地する『聖具』も『神具』に近く、放たれる力の大半が神霊に基因した神聖の加護を付与したものであるため、『神具』に次いで反発なく神霊に干渉できるといわれる。
『霊具』は『聖具』同様、人間が作りだした物であるが、及ぼす効果は、『聖具』とはやや異なる。
その効果は、『霊具』に納められた無機物の精霊〝神威〟によって発現するもので、その霊威により、神霊が及ぼす反発力を断ち切る形で干渉する効果を持ち、この効果は単純に神霊という盾と『霊具』という剣のぶつかり合いと思ってもらえれば解りやすい。
最後に『魔神具』だが、これはもっとも神霊と反発する性質を持ち、アストラルを断ち切ることを不得手としている。
この性質は、相手とする神が聖魔のどちらに属していても不変である。
ただし、『神具』とは逆に『魔神具』の場合は、人間(神以外の生物とも)を効率よく殺せるように作られた物が多い。
神に対して優位に働く『宝具』の序列は、複雑な付与でも施されていない限り、一位に『神具』二位に『聖具』(ただし『聖具』の存在自体が、世界的にあまり知られていない)三位に『霊具』そして最後に『魔神具』となる。
『魔道具』に関しては、先に語ったように付与された能力で効果を左右するものが多く、一概に何位と決めることができないため、除外する。
まず、一位の『神具』についてだが、これは相手とする神の性質が聖であろうと魔であろうと及ぼす効果は同じである。
その理由は、『神具』の発する力が、神霊(アストラル)の存在にもっとも近く、対象に同調する形で、反発されることなく存在に干渉できるため、もっとも効率よく神を殺せる道具とされるが、それは『神具』の大半が神対神の闘争に用いるために作られた道具であるからに他ならない。
第二位に位地する『聖具』も『神具』に近く、放たれる力の大半が神霊に基因した神聖の加護を付与したものであるため、『神具』に次いで反発なく神霊に干渉できるといわれる。
『霊具』は『聖具』同様、人間が作りだした物であるが、及ぼす効果は、『聖具』とはやや異なる。
その効果は、『霊具』に納められた無機物の精霊〝神威〟によって発現するもので、その霊威により、神霊が及ぼす反発力を断ち切る形で干渉する効果を持ち、この効果は単純に神霊という盾と『霊具』という剣のぶつかり合いと思ってもらえれば解りやすい。
最後に『魔神具』だが、これはもっとも神霊と反発する性質を持ち、アストラルを断ち切ることを不得手としている。
この性質は、相手とする神が聖魔のどちらに属していても不変である。
ただし、『神具』とは逆に『魔神具』の場合は、人間(神以外の生物とも)を効率よく殺せるように作られた物が多い。
『神具』にしても『魔神具』にしても、前者を聖神が、後者を魔神が作るとは必ずしも決まっておらず、『神具』を作りだす魔神もいれば『魔神具』を作りだす聖神も存在する。
神によって作り出された『宝具』が『神具』『魔神具』のどちらに属するかはその性質にもよるが、詳しくは、武具、装具の項を参照していただきたい。
神によって作り出された『宝具』が『神具』『魔神具』のどちらに属するかはその性質にもよるが、詳しくは、武具、装具の項を参照していただきたい。
因みに、人間界での神の容姿は、それぞれの本質に基因しており、自身が望む姿をとることはできない。
主に人間と同じ姿で現界するが、これは、存在する世界が人間界であるために〝大いなる意思〟の修正が働き、容姿が人間のものになると考えられている。
だが、なかには、獣などの姿をとって現れる神も存在し、これらは、聖神ならば聖獣、魔神ならば魔獣となるが、どちらも一括りに『神獣』と呼ばれる。
これらは本来から人間界に存在した魔獣や聖獣と明確な区分がなされておらず、討伐しようとした存在が、実はアストラル体として存在する神としての、いわゆる神獣だったという話も稀に聞かれる。
逆に、昔から存在する聖魔の獣は、人間界の生物として定着しており、他の生物と同じように死線が存在する。
ただし、獣の姿で世界に現れるのは、もっとも神格が劣る神であるといわれ、それ以上の神は人間の姿であることが一般的だ。
主に人間と同じ姿で現界するが、これは、存在する世界が人間界であるために〝大いなる意思〟の修正が働き、容姿が人間のものになると考えられている。
だが、なかには、獣などの姿をとって現れる神も存在し、これらは、聖神ならば聖獣、魔神ならば魔獣となるが、どちらも一括りに『神獣』と呼ばれる。
これらは本来から人間界に存在した魔獣や聖獣と明確な区分がなされておらず、討伐しようとした存在が、実はアストラル体として存在する神としての、いわゆる神獣だったという話も稀に聞かれる。
逆に、昔から存在する聖魔の獣は、人間界の生物として定着しており、他の生物と同じように死線が存在する。
ただし、獣の姿で世界に現れるのは、もっとも神格が劣る神であるといわれ、それ以上の神は人間の姿であることが一般的だ。
ここで、別項目にて語られた天使、悪魔といった〝御使い〟の死について触れておきたい。
彼ら〝御使い〟の生命という概念は、聖、魔の獣となんら変わりのないものだ。
〝御使い〟は、神々が生みだした存在だが、その構成には、人間界のマナを使用しており、肉体と魂は人間界に定着した存在であるため、確固たる死線が存在している。
故に、どれほど強力な〝御使い〟を殺したとしても、〝神殺し〟に数えられないのはこのためである。
彼ら〝御使い〟の生命という概念は、聖、魔の獣となんら変わりのないものだ。
〝御使い〟は、神々が生みだした存在だが、その構成には、人間界のマナを使用しており、肉体と魂は人間界に定着した存在であるため、確固たる死線が存在している。
故に、どれほど強力な〝御使い〟を殺したとしても、〝神殺し〟に数えられないのはこのためである。
余談だが、ビートが葦原中国にて退治した神獣は、神の一柱であった。
ビートが〝神殺し〟と呼ばれない理由は、殺す際に『霊具』である『雷切』を使用したためである。
ビートが〝神殺し〟と呼ばれない理由は、殺す際に『霊具』である『雷切』を使用したためである。
[名前]
神の名は、基本的に〝ギブン〟と、真名である〝ベリティ〟で構成されており、〝ギブン〟は人間たちにも広く知られる表の名前という扱いだろう。
逆に、〝ベリティ〟の方は、神々の力そのものを意味しており、例え自身のアストラル密度を極限まで希薄にしていたとしても、〝ベリティ〟を名乗ることで他の神に自身の神格を伝えることができる。
逆に、〝ベリティ〟の方は、神々の力そのものを意味しており、例え自身のアストラル密度を極限まで希薄にしていたとしても、〝ベリティ〟を名乗ることで他の神に自身の神格を伝えることができる。
七大魔王の一柱ベルゼベルなどは、地獄へと堕とされた際に至高神により〝ベリティ〟を書き換えられ、その力の大半を失ってしまった。
それほどに〝ベリティ〟は神々にとって重要であるが、現在の神に〝ベリティ〟を書き換え、他神の存在を変質させる力を有した神は存在しないとされ、あくまで自身の神格を伝えるための名刺代わりと思っていいだろう。
だが、この神格晒しの〝ベリティ〟が在るからこそ、神々は、互いのアストラル密度に翻弄されず、神格の上下を明確にして、無用な争いが避けられているのだ。
それほどに〝ベリティ〟は神々にとって重要であるが、現在の神に〝ベリティ〟を書き換え、他神の存在を変質させる力を有した神は存在しないとされ、あくまで自身の神格を伝えるための名刺代わりと思っていいだろう。
だが、この神格晒しの〝ベリティ〟が在るからこそ、神々は、互いのアストラル密度に翻弄されず、神格の上下を明確にして、無用な争いが避けられているのだ。
ラストネームにあたる〝サー〟は、現在では領地を持つ王侯にのみ使用されている。
すなわち、上記項目で語った五種の神族が名乗っているもので、領地となった土地の名を冠する者と、本来自身が持つ知名度の低い名(神の場合ファミリーネームという概念は存在しない)を名乗る者の二通りが存在する。
例えば、アガレスが有する〝プセウドモナルキア=ダエモヌム(悪魔の偽王国)〟の〝サー〟は、領地を授かった際に、自身を皮肉って領地と己に冠したものであった。
翻って、ルシファーが有する〝シャハル〟の〝サー〟は、あまり知られてはいないルシファーの古い名である。
すなわち、上記項目で語った五種の神族が名乗っているもので、領地となった土地の名を冠する者と、本来自身が持つ知名度の低い名(神の場合ファミリーネームという概念は存在しない)を名乗る者の二通りが存在する。
例えば、アガレスが有する〝プセウドモナルキア=ダエモヌム(悪魔の偽王国)〟の〝サー〟は、領地を授かった際に、自身を皮肉って領地と己に冠したものであった。
翻って、ルシファーが有する〝シャハル〟の〝サー〟は、あまり知られてはいないルシファーの古い名である。