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何時の時代だろうと関係ない
これは一般人と権力者という非対称的な力関係や構造に問題がある
一般人に向ける罵倒や批判等の否定的な発言と、権力者に向ける否定的な発言には構造的に致命的な差がある
権力者はその気になれば一般人をその強権でもって排除や弾圧することが可能であり、これらはハッキリ分けて考えなければならない
そして我々の生活、言うなれば我々の命に大きな影響力を持つ政権与党・行政府の権力者、もっと言えば権力分立を蔑ろにせんとした聖帝のような、権力はガンガンガンガン使うものなんですよなどと言ってしまう人治政治権力者に向ける罵倒こそ保護されるべきと私は主張する
権力を持たない個人でしかない一般人の言論の自由を保障するならば、権力者に対して向ける場合に限っては罵倒と批判を区別せず罵倒まで含めて保障すべきだろう
罵倒と批判の線引きというものは曖昧なところがあり、線引きを決めるのは受け手側になるが、権力者がその線引きを決定するということがどれほど恐ろしいかわかるだろうか
権力者の受け取り方次第で一般人が攻撃される事態が起こりうるのである
もしそれが罪に問われるならば刑事罰で裁判になるかもしれないが、判検交流による癒着や国側に有利な判決を下す裁判官が出世するような司法の有様での裁判となるのだ
それに刑事罰に問わなくとも弾圧方法は他にあるだろう
翻って「権力者に向かって一般人が罵倒をしても咎められることがない構造には公益性がある」と考える
どのような公益性があるか。それは表現の自由・言論の自由が保障されるということである
例外として罵倒が完全なるデマであればそれは保障しなくて良いとは思うが、「公益性のあるデマ」などという奇怪な判例もあるためデマすら時と場合によっては保障されるのだろう
あなたは『政治家に対する中傷まがいの行為の容認』を問題として主張しているが、それを容認しない方が問題だろう
それは民主主義社会において避けなければならない検閲、言論弾圧への道だ
権力者が行わなくとも検閲や言論弾圧は問題だ(それは戦前戦中から得られた教訓である)
権力者に向けるものであるならば、意味の無い罵倒ですら「意味の無い罵倒だよ」程度の態度で"容認"することが言論の自由の保障された民主主義社会では肝要なのだ
故事の理屈を理解できていたのか非常に疑わしいと言わざるを得ない
222.231.71.199