返信元コメント
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最初に断っておくが、推論ベースで、完全な科学的根拠があるわけではないことを留意してほしい
あと前置きが非常に長く、個別具体的な話もあまりない
結論から言うと、文明的産物の殆どは必要ではない(これを言いたくなかった、単純で元も子もない主張だし、おまけに抽象的。しかしこう言わざるを得ないので、本題に入るまで少し耐えてほしい)
というのも、ヒトはほんの数千年前に文明化した(諸説あり)ものの、神経的・肉体的にそれに適合しているわけではないからだ(特にここ1-2世紀の発展に適合できるとは考えづらい)
ここで、「文明化して便利になったのであれば、それを利活用すればいいだけじゃないか」という進歩史観的批判が来ると思うのだが、そう簡単な話ではないと考えている
なぜなら、ヒトは相変わらず粗野な環境に最適化された生物であるからだ。例えば、ヒトは簡単には食料が手に入らない環境、保存の効かない環境で生活してきた。狩猟や採集に成功すれば大量の食料にありつけるが、常にそれにありつけるわけでも、それを持ち越すこともできない。このような環境における生物の神経的適合戦略は、獲物を見逃さず、なるべく消費しきる、であると考えられる。
勿論、我々はモノを「なるべく後に取っておこう」と考えるが、同時に消費欲求も常に働いているはずである。その証左として、SNSやショート動画などにおける追跡と消費のループを容易に想像できると思う。厄介なことに、脳は欲求が満たされやすい手順ほど好む傾向がある(が、文明以前であれば極めて合理的である)ので、それらが何ら生存に寄与しないにも拘わらず、我々は構造的にこれに依存しやすい。
なぜ、このことが問題になるかといえば、神経・身体は文明を想定していないからだ。先に挙げたSNS・インターネット中毒も、ヒトが文明に適合していれば、そもそも起こらない可能性があると考えられるし、飽食しても過度な肥満にはならないと考えられる。ヒトは何か用事があれば、自分の足で向かうことを想定されているのであって、車で向かうことを想定されていない。
寧ろ、満たされない環境に適合しているのであって、適度な飢餓状態のほうが健康的であると考えられる。
続く
106.155.2.141