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また、ヒトの脳はよく慣れるように設計されている。毎日同じことをして同じ反応をしているヒトを見たことはないと思う。どれだけ満たされても、快楽閾値は上がり続ける。でなければ、億万長者が「もっと、もっと」と追求するわけがない(故に、別に貧乏だろうが食えればどうでもよいのであると私は認識している)。逆に、どれだけ不幸があろうとも、毎日泣き続ける人もそうはいないだろう。一般的に生活水準が下げられないと言われるのは、強い神経的制約があるわけではなく、単に快楽に引きずられやすいだけなのだろう。
即ち、文明以前までの水準に下げようと思えば下げられるし(外圧でも関係なし)、それに適合することは可能である。
と、ここまで雑に述べてきたが、「色々削っても対して変わらんし、心身ともに健康になるんじゃね」という非常に雑な仮説を提唱したい。個人的には車は勿論、文明産物の多くが必要ではないと思ってる。インターネットだって無くなっても別にいいかとなる(ゴミだらけだし)し、スマホ無しで生活してもまあ困りごとはないなとなっている(ゴミ収集をしなくて済む)。
勿論原理主義的にする必要はなくて、自分がしたいと思えることは許容してもよいと思う。自分は創作のためにPCだけは手放したくない。
消費主義批判の側面から語られがちだが、このような側面から考えると、案外、「消費しなくてもいいか」と気楽に考えやすいのではないかと思う。勿論、最初の一歩が難しいのは変わらないが。
あとは自分で考えてください(スパルタ)。
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