「白夜…………フン、そういうことか。月の落とし子であるこの俺にとっては、仇敵と呼ぶべき
相手ってわけだ」
「絶対者たる太陽の光に、卑小な存在である月がなす術もなくその膝を屈する夜、それが白夜。
それこそが私の名前なの。そんな名前を持つ私と、貴方は出逢ってしまった。そのことが持つ
意味、月の落とし子である貴方ならわかるわよね」
相変わらず不穏な言動と一致しない可憐な笑顔のまま、名前とは裏腹に真っ黒の少女は、ボソ
ボソと聞き取りにくい小声でそう語る。
わざわざ聞かれるまでもなく、陽太は理解していた。
今自分の頭上で太陽の眩しさに力を奪われ、白くやせ細っている彼の守護者。太陽の光が届か
ない夜になれば、それは太陽から力を奪い返し、妖しい輝きを纏って濃紫の空に君臨する。
これはつまり、月が夜空を支配できるのは、太陽が姿を消すからこそだということ。
なら、太陽が夜になっても空気を読まずに図々しく居座り続ければ、月は――
「うふふ、今の貴方みたいな表情、私たまらなく好きよ。そんな追いつめられた小動物みたいな
顔されたら、私、少し躊躇ってしまうわ」
「追いつめられている? この俺が? ハッ、寝言は寝てから言うんだな。確かに、お前は俺に
とってかなり分の悪い相手らしい。それは認めてやる。だがな」
正直なところ、陽太は図星をつかれている。その動揺を悟られまいと、彼は一際声を大きくし、
大げさな身振り手振りを交えて反論、そして締めとばかりに
「戦う前から追いつめられなんかしねえ。あきらめもしねえ。それこそが俺、岬月下の流儀だぜ」
と、大見栄を切った。
「流儀、ね。貴方ってほんとにかわいいわ。そして、同時に哀れね。そんな妄執、棄ててしまえば
楽になれるのに。でも安心して。私が貴方を解き放ってあげる。悪しき妄念、その咎なき虜囚とな
り果てた貴方の心を。死はきっと苦しいけど、その先には安寧の光が見えるはずだから」
くすっと上品に微笑みながら、朗らかな声でそんなことを語る白夜。自分の精いっぱいの虚勢も
この少女には軽く流されてしまったらしいことが、陽太の焦りを加速させた。
「貴方の妄執は、貴方の心の深層に根付いて、すっかり凝り固まってしまっているみたい。相当に
苦しい思いをすると思うけど、どうか私を恨まないで。そんな澱みをそこまで育ててしまったのは、
他でもない貴方自身なのよ」
陽太を見る白夜の眼光が、猛禽類のように鋭く研ぎ澄まされていく。
能力が来る。直感した陽太は、その行動に意味があるのかどうか迷いつつも、本能的に身構えた。
そして、その異変は訪れる。
「うっ、ぐぐっく……うぅああぁあぁぁあぁっ!?」
突如として頭の中に大音響で鳴り響く強烈な不快音に、陽太はたまらず叫び声を上げた。上げたの
だが、その自分の叫び声さえまったく聞こえてこない。陽太の聴覚は、この謎の不快音に完全に支配
されてしまっていた。
たまらず耳をふさいでうずくまるが、聞こえる音の大きさが緩和されることはまるでない。
どこかで聞いたことのあるようなその不快音は、拷問にも等しい辛苦を伴って、確実に陽太の精神
を蝕もうとしていた。
自分はきっと叫んでいる。叫び続けている。ありったけの大声を上げて、無様に、恥もプライドも
忘れて。
それでも聞こえてくるのは、ひたすらに無慈悲な不快音のみ。鼓膜の内側にイヤホンを突き刺ささ
れて聞かされているような、ダイレクトなノイズ。
もうやめてくれ。助けてくれ。そう思い始めた矢先、ふっと音が止んだ。
「ううっ……く……な、なんなんだよ、これは……」
「これが私の能力。『天導者の詩【エコーズ・オブ・フォールン】』よ。聞こえたでしょう? 貴方
を安息の地へ導く者が紡ぐ、壮大で荘厳な歌声が」
「う、歌声だと? 今のが? ハッ、随分音痴な歌声だったがな。こんな音痴な奴に導いてもらうな
んざ、俺はごめんだぜ」
「……そうして我を張って抗うほど、私の能力は貴方により強い苦痛を与えるだけよ。まあ私は一向
に構わないけど。さあ、もうお喋りは終わり。次で貴方の心は崩壊(おわ)るわ。さっき以上の素敵
な絶叫を私に聴かせて。貴方の末期の声として、鼓膜に焼き付けておいてあげるから」
ここにおいて陽太は、自分が思っていた以上にやばい状況に立たされていることを認めざるを得な
かった。そして同時に、自分の不甲斐なさに憤りを覚えた。
自分はまだ、この少女相手に能力を発現させることさえできていない。だが、たとえ能力を発現し
たところで、彼女の能力を凌駕できるのかと言えば若干怪しい。
太陽の光の下で、自分はこうまで非力な存在だったのか。月の光ごときが太陽に打ち勝とうなんて、
所詮叶うはずのない絵空事だったのだろうか。
「……違う。こんなのは俺の考えることじゃねえ」
「へ? なんですって?」
この状況で陽太がしゃべるとは思っていなかったのだろう。妙に抜けた声でなんとか反応した白夜
に構わず、陽太は続けた。
「白夜。俺の名前を教えてくれないか」
「……は? な、何を言い出すのかしら。岬月下、でしょう? かわいそうに、さっきので既に脳に
深刻なダメージがあったようね」
「岬月下……そう、そうだ。俺は……」
目を閉じて、自分の名を噛みしめるように何度もうなずく陽太。
ゆっくりと開かれたその目は、憎らしいほどの自信に満ちた、いつもの輝きを取り戻していた。
「俺は、俺の名は岬月下! 神に、この世の理に叛く男! 今日俺がここで死ぬことが、神の定めた
理ならば! 叛いてやるさ! その理にも!」
つづく
登場キャラクター
最終更新:2010年07月06日 23:39