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白夜に輝く堕天の月 > 7


「フェイタル・スクリーマー、ねぇ……よく意味はわからないけど、でもちょっとかっこいいかも
しれないな」
 背後から2人の小さな少年少女の姿がなくなってから、私は一人そう呟いた。
 子どもたちを逃がして、自分は残る。美しき自己犠牲。
 自分自身、少し格好をつけすぎたかなと、なんだかこっ恥ずかしくなっているところだ。
「私はそんなキャラではないはずなんだけどな。そんな善人ではない……はずなんだが」

 岬陽太。彼は『月下』を名乗り、自らを神に叛く者とのたまう。
 朝宮遥。彼女は『白夜』を名乗り、夜の闇を祓う者を自称する。
 あの子たちは『厨二病』という病に罹患しているんだと、こないだ助手くんが教えてくれた。
 その病は、自らをヒーロー、あるいはアンチヒーローと思い込んでしまうという病態を示し、積
極的にそういうものに準ずる行動を取らせようとするという。

「ならば、今の私はどうなんだろうな。私はもちろん死ぬ気なんてないが、この能力が私に苛烈な
苦痛を生むことは確かだ。それがわかっていてあえて、私はこの方法を選んだ。この自己犠牲の精
神は、ヒロイックと呼んで差し支えないものじゃないだろうか」

 助手くんは言っていた。厨二病患者は世間的には可哀想な子、変な子という扱いを受けがちだと。
 だが、今日岬陽太と会って思った。確かに彼らの発言や行動は不可解なところもあるのだが、そ
の病ゆえに彼らは一生懸命なのだと。
 きっと彼らはわかっている。突然変異を起こして、ある日偶然能力などというものが使えるよう
になったところで、本来人間はか弱い生き物だということを。

 自分自身もまたか弱い人間だということを、きっとわかっている。その弱さをなんとかして否定
したい。自分こそはと、せめて自分だけは弱者ではないと主張したい。
 人間はどこまでも弱いという、その動かぬ理を覆したい。
 だからこそ、彼らは自分の能力を研鑚する。その努力が報われるのか、意味があるのか。そんな
ことは度外視して。ただ『強く』なるために。

「はは、これはどうやら……重症の厨二病患者2人と触れ合ううちに、私も厨二病に感染してしまっ
たと見える」
 わかっていた。私がこの方法を選んだ時から。彼らの一見ひねくれているようで、その実純粋な
心に接して、私の中に眠っていた何かが目を覚ましていたのだ。

「ん? おっと、キメラくん、もうこんな近くまで接近してたか。しかしのんびりしたキメラくん……?」
 感傷に浸っていられる状況ではなかったのだった。敵の接近を感じて、私は気持ちを切り替える。
 だが、何かがおかしい。前方おそらく50メートル先くらいにいるだろうそれは、私の記憶にある
キメラという種類とは少し異なっている気がする。

 だが、もうそんなことは関係ない。私のフェイタル・スクリーマーは、眼前に立つ者の生殺与奪
権を完全に手中に収めることができる。相手がどんな化け物であっても、そいつに心臓がひとつあ
れば、私は必ず勝てるのだ。

「岬陽太は、月下。朝宮遥は、白夜。そしてこの私は……」
 敵はもう十分に視認できる距離まで近づいている。そしてその姿を見て、私は思わず顔をしかめ
た。

 あまりに醜悪だ。キメラはまだ顔付きなどが凶悪である以外、犬の姿を留めていた。
 だが今私に迫るこいつは違う。何の意味があるのか、まったく同じ顔をした頭が3つついている。
 それぞれの頭の目はどれも正気を失い、私を認識しているのかさえ定かでない。
 その口から絶えず漏れるよだれが、生理的嫌悪感をさらに増大させる。

 ケルベロス。どうせそんなベタな名前で呼ばれてるんだろう。だがもうそんなことはどうでもいい。
 私は、負けない。この能力がある限り。
 能力を使うことによるリバウンドに、恐怖がないと言えば嘘になる。だが、私の能力は相手をほぼ
確実に死に至らしめるもの。相応の罰を受けなければならないのだ。
 最後の覚悟を決める。そのために私にはするべきことがあるはずだ。

「ようこそ、と言ってやりたいところだが。私の前に現れたのが、お前の運の尽きだ。私の名は……
ドクトルJ。今この瞬間お前の儚い命の灯火は、完全にこの私の掌中にある」
 ……何を言っているのだ私は。猛烈に恥ずかしくなってきたじゃないか。この発言、なかったこと
にできないか。
 私の自己紹介に反応したのかどうなのか、ケルベロスは3つの頭全部を私の方へ向けて、「グゴゴゴ」
とひと唸りしてきた。

 その低く獰猛な唸り声にも、もはや私は微塵の恐怖も覚えなかった。今この時、私はただの中年眼
鏡ではなくなったのだ。羞恥心を抱こうとも、やはりさっきの名乗りを取り消すことはできない。
 今にも私にとびかかり、喉笛を食いちぎらんと構えているケルベロスに向かい、私は静かに右手を
かざした。
「フェイタル・スクリーマー、発動」

 刹那、視界が揺らぐ。色は失われる。その中に、ただひとつ明確な色を持って存在する赤。
 私はそれを視認できる。犬であることを忘れた醜い化け物の胸に残る、生物の証を。
 聞こえてくる。この邪悪な怪物の命の拍動が。心地よい規則的なリズムを刻んで、とくんとくんと
私の手のひらを通して、はっきりと伝わってくる。

 私はその音に対して、命令を下すことができる。
「もっとゆっくりでいい」
 命令はたったそれだけ。後は私が具体的にどれくらい遅くするのかを決定するのみ。
 一分間の拍動回数、一回。私はそのように、音に向かって念じた。

 ふっと、小気味良いリズムが止んだ。

 その見るからに強靭そうな四肢で姿勢を低く構えていたケルベロスの体が、小刻みに震え始める。
 震えはやがて激しくなっていき、立っていることもままならなくなって地面に崩れるように倒れ伏
した。
 それから間もなく。その体は激しく痙攣を起こして暴れ、真ん中の頭が断末魔の唸り声を上げたと
思うと、ぴくりとも動かなくなった。
「あっさり、だな。相手は化け物とはいっても、やはり多少申し訳なさを感じるな」

 私の手の中で、一つの命の光が消えたのだ。あまりにも簡単で、無情なほどにあっけなく。
 だからこそ、私は天罰を受けなければならない。手軽に命を弄ぶ権利を得た、代償を払わなければ
ならない。

「ぐうぅ……うがああぁあぁぁぁああぁぁぁあぁあぁぁああぁぁぁあぁあぁぁああぁ!!」

 割れる。頭が割れる。私の頭が割れる。左右に上下に前後に斜めに輪切りに真っ二つに西瓜のよう
に木端微塵にああ私の頭が割れる。痛い。もう早く割れてしまってくれ。痛いのは嫌だ。
 溶ける。溶けていく。脳が。私の脳が溶けていく。どろりどろりと心地よい音を立てて崩れ崩れて
西瓜のように派手に割れた私の頭から流れ流れて溶けだしていく。
 だから私は世界と一体となるのだ。だって私の脳は今私の外へと溶け出て世界と直に触れ合ってい
るのだから。だから私の意思は世界の意思なのだ。
 ああそれにしても熱い。せっかく脳を溶けださせてまで直接涼ませてやっているというのになんの
効果もありはしない。しかし世界と一体となるこの感覚は何物にも代えがたい愉悦快感だ。私は世界
なのだ。

「ち、がう……。私は『世界』じゃない。私は、私は……『ドクトルJ』だ」
 激しい、などという言葉が陳腐に思えるほどの激しい頭痛で別世界へ連れて行かれかけていた意識
を、私はすんでのところでたぐり寄せた。
 いつの間にか私は道路のど真ん中に寝そべっている。まあいつの間にかも何も、この能力のリバウ
ンドを受ける時はそうなるのが常なのだが。

 少しマシになったものの、頭痛と全身の筋肉が軋むような痛みは変わらず続いている。だが峠は越
え、今回も私は最後の砦をくぐることはしなくて済んだようだ。すなわち、『命の償いは命でする』
ことは回避できたということ。
 そう思うと、少し心が安らいだ。そのまま、あの厨二病患者たちのことを思い浮かべる。

「無事に逃げていればいいんだけど……犬が一匹だけってことは考えにくいからな」
 この結界空間に複数頭の改造犬が放たれている恐れは高い。それならば彼らも遅かれ早かれ遭遇し
てしまう危険は大いに考えられる。
 岬陽太は夜間能力を巧みに使いこなすことで、一度キメラを退けている。しかしあの時は、同行し
ていたボーイッシュな少女の能力がキメラに影響を与えていたという隠し要素があったらしい。

 大丈夫だろうか。あの元気で不遜、いつも余裕綽綽な少年と、なぜか常に上から目線だが素はかわ
いいところもある少女の顔がふっと頭をよぎる。
 彼らに何かあったら、私はどうすればいいのだろう。今回のことは完全に私の想定外だ。読みが甘
かったと言わざるを得ない。その不始末のツケを、何の非もない子どもたちに負わせることになる。
 そして私はまた生き残る。たった一人のうのうと。
 「はは。私は少しマイナス思考すぎるな。昔からそうだが……」

 もしかしたら別のキメラ、あるいはケルベロスは、今こうしてくたばっている私のもとへひょっこ
り現れるかもしれない。そうなったら――
「その時は、できるだけ優しく噛み殺してもらうとしよう。逢いたい人もいることだしな」
 どのみち、私の体はしばらく動かない。脳みそだってあまり動かしたくはない状況だ。
 どうせ周りに人はいない。今日は何かと濃い一日で、いつにない疲れを感じる。
「……少し眠るか」
 言いながら目をつむる。私の意識はそれから3秒と待たず、眼鏡外すの忘れたななどと思ったそば
から閉じていった。


 つづく

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最終更新:2010年07月08日 03:30
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