白夜に輝く堕天の月 > 6


「いやいや、なんだか私、一人で熱くなっちゃってたね。ごめんごめん」
「全くだ。昼飯をご馳走されてたと思ったら、もう晩飯の時間になってるじゃねえか。よくあれだけ
一人で語れるもんだな。店員さんになんべん舌打ちされたことか」
「はは、お恥ずかしい限りだ。でもそれだけ興味深いものなんだよ、あの日を境に私たちが手にした
この『能力』というものはね」

 陽太が自分の能力をドクトルと白夜の前で披露したその後は、ただひたすらドクトルの能力講義が
続いた。そうしてすっかり日暮れまで、3人仲良くレストランに居座ってしまったのだった。
 ドクトルの研究は『なぜチェンジリングデイ以降、人間は特殊能力を身につけたのか』という根本
的なところから始まり、そこから芋づる式にさまざまな研究に手を出すようになったらしかったが、
正直陽太には彼が何を言っているのかほとんど理解できなかった。

 そんな中で、2つだけはっきりとわかったことがあった。
 1つには、ドクトルは『訓練を重ねることによる能力の強化、操作』を研究の柱にしているらしいこと。
 もう1つは、能力を研究する事に対するドクトルの情熱の深さ。
 素性は明かせないと言う割に、素性がバレかねないようなことをペラペラと喋るその矛盾こそ、ド
クトルの思いの強さの表れなんだろうと、陽太は感じたのだ。

ドクトルJ! 岬月下! ああ、よかった……2人ともちゃんとそこに存在しているわよね。私の
世界と貴方たちの世界が、途切れてしまったりしていないわよね。よかった。よかったわ……」
 2人より先にデパートの外に出ていた白夜が、そんな意味不明の言葉を投げかけながら戻ってきた。
だが、陽太とドクトルの姿を見て心底安堵しているようなその顔、少し潤んでいるようにも見える瞳
を見て、陽太は小さな違和感を抱いた。
「白夜、どうかしたか? 何かあったのか?」

 そんな言葉をかけてみてから、陽太は心の中で自分を嘲笑った。
 つい数時間前、こいつは自分を拷問にかけた相手だ。そいつがこんなしおらしい顔をしたからって、
何を優しくなってるんだろうな。
 そんな風に思った。それでも、不思議と悪い心地はしなかった。

 そんな複雑な思いのつまった陽太の声が聞こえているのかどうなのか、白夜はただ俯いて眼を伏せ、
困ったように眉を寄せて、
「外、誰もいない。人間が、いない。唯の一人さえ、いない。こんな世界、私は知らないわ……」
 蚊が鳴くような声で、独り言のようにそう呟くだけ。

 人間が、いない。休日の夜の繁華街に。唯の一人さえ。
 その言葉の意味を少し遅れて理解し、脳で反芻できた時に抱いた身震いするほどの戦慄は、陽太
の中にぼんやりと不定形な恐怖を芽生えさせようとしていた。

 急ぎ足で外に出た彼らを待っていたのは、生気の失せた街並み。
 それはまるで異界だ。そこに普段あるだろう喧騒さえも嘘だと言うように、ただ沈黙のみが支配
する異界だった。
「……嘘だろ? なんだよこれ、ほんとに誰一人いねえじゃねえか。どういうことだよこれ」
「ドクトルJ、これはもしかしたら……」
「ああ、間違いないだろうね。能力だ。相当大がかりな結界型能力者の仕業と見える。しかもあり
がたくないことに」
 そこまで言ってドクトルは、眉間に指を添えて何事か考え始めた。
 次の言葉が気になって仕方ないのだが、いかにも全力で悩んでいる風なその姿に、陽太は声をか
けるのを躊躇う。
 だが、構うことなく声をかける空気を読めない少女がいた。

「ドクトルJ、話は聞いているわ。貴方がその姿勢で悩んでいる時は、実は何も考えていないらしい
わね。でも今は貴方の戯れの相手をしてあげられる状況ではないのよ。窮屈な容器に閉じ込められ
た砂が、唯虚ろな顔でさらさらと零れ落ちていくのを何者も止めることがかなわないのは、それが
囚われた砂に神が赦した唯一の抵抗だから。私の言いたいこと、理解できるわね?」
「時間は止められないんだから無駄にするな、と。手厳しいなあ。まあ正しいけどね白夜ちゃんの
言うことは」

 演技だと認めつつ、たいして悪びれもせずへらへらしているドクトル。空を見る限り、もう能力
は切り替わっているだろう。陽太はレイディッシュを出してこの中年の頭を全力で殴ってやりたく
なったが、能力の無駄使いを避けるために断念、代わりに罵声を浴びせておくことにする。

「くだらねえ演技してる暇あったらさっさと続きを話せよ! 気になってしかたがねえ」
「そうだよね。で、なんだったっけ? えーっと、あーそうだ! しかもありがたくないことに、
この能力者のターゲッティングは明らかに私たちに向けられてるね。この『人払いの結界』は私た
ちのために張られた。そう考えて差し支えないだろう」
「どうしてそう言い切れるんだ?」

 陽太の疑問にドクトルは答えない。その代わりに、ただ無言でピッと指をさした。その先には、
さっき彼らが出てきたデパートの入り口。
 目を凝らしてそこを見た時、陽太はまたしても戦慄を味わった。
 ついさっき自分たちが出てくる前、そのドアの向こうは子どもから老人まで、これでもかという
ほどの人人人だった。
 白夜が険しい面持ちで戻ってきた時も、そこにはまだ人がうんざりするほどいた。

 それが今は――

「納得してくれたかな、さすがに。この結界能力の有効範囲がどんなものかはわからないけど、今
この付近に人はいない。私たち3人と、おそらくこの能力の使用者以外は、ね」
「一体何が目的なのかしら」
「それはさっぱりだけど、少なくとも私たちにとってハッピーな目的じゃないだろう。となれば私
たちがやるべきことは自然と決まってくる」
「術者を探し出して締めあげる、だな?」
 その目に自信の光を宿らせ、不敵な笑みを浮かべてそう言う陽太。

 すでに日は暮れている。忌まわしき太陽は姿を隠し、彼の守護者が空を統べる夜が来た。当然彼
の能力もまた、その真価を発揮することができる。
 モチベーション十分の陽太だったが、ドクトルの答えはそんな彼の予想を見事に裏切るものだった。
「そんな物騒なことはしないさ。逃げるんだよ、アンハッピーなことが起きないうちにね」

「いえ。ドクトルJ、残念だけど……運命は私たちを見放したわ。私たちは業を負わされているみた
いね。断じて逃げることの赦されない宿業を」
 白夜が、一本道のはるか向こうをぼんやりと見つめながらそう言う。
 何かが見えるのか。陽太は白夜の視線をたどってみたが、すでに暗くなりかけた路地の向こうに、
恐れるような存在を確認することはできない。

「私、凄まじく視力がいいのよ。それはもう凄まじいとしか表現しようがない程に凄まじくね。こ
の道の彼方に間違いなく『居る』わ。汚らわしくて醜い魔界の猛犬がね」
「ちょっと待って白夜ちゃん、それってキメラのことだね? わざわざ結界能力者まで引っ張り出
してキメラを投入、か……。これはちょっと計算外だな」
「ドクトルJ、どういうことだ? あんた何か知ってるのか?」
 計算外。ドクトルが言ったその言葉を、陽太は聞き漏らさなかった。

 『ここまで事態がひどくなるとは計算外だった』ということは、何かしらよくないことが起こる
かもしれないとは予想していたということのはず。
 やはり、この中年は信用できない。自身の研究について語る時の少年のような表情を見て、少し
ドクトルを好きになりかけていた陽太だったが、その思いも霧消してしまう。

「……すまない。詳しく話すことはできない」
「またそれだ。あんたを少し信用しかけてたんだがな。残念だよ俺は」
「そうか。嬉しいね。何が君の心に響いたのかは分からないけど……。ただ、今君をこの奇禍に巻
き込んだ原因は私にある。それだけははっきり君に言える。だから言わせてもらう。すまないと。
そしてもちろん、責任は私が負う」

 ドクトルのこれほど真剣な声色と表情を、陽太は今日初めて体験した気がした。
 銀縁の奥の瞳は穏やかながら、何も譲る気はないと言うような強い意志を持って、まっすぐに陽
太の目を射ぬいてくる。

「君たちは先に行くんだ。キメラは私が処理する」
「何を――」
「ドクトルJ! それは容認できないわ! 貴方、能力を使うつもり!? あれは禁忌よ……。使え
ば貴方は逃れられない罪過を背負い、黒き獄炎にその身を焦がすことになるわ」

 言い返そうとした陽太の声は、より大きい声で鋭く反論した白夜にかき消されてしまった。
 白夜がここまで声を上げることに、陽太は面食らう。
 確かに、今迫っている魔界の猛犬とやらが以前自分が戦ったアレのことなら、能力を使わなけれ
ば危ういだろう。ドクトルJもきっとその気でいるはず。それを白夜は止めようとしている。
 あの白夜が必死になって。それだけドクトルJの能力はリスキーなものなんだろうか。
 それをおしてまで、彼は自分たちを先に逃がそうとしている。
 彼は善なのか、悪なのか。陽太の中で、再びの葛藤が芽生えていた。

「大げさだなあ。さあ、早く行くんだ2人とも。キメラくん、もう私でも確認できるくらい接近して
きているようだ」
 そう促されてもなおもぐずろうとする白夜に、ドクトルは満面の笑顔を向ける。
 その笑顔を合図に、陽太は覚悟を固めた。
「行くぞ白夜。ここはドクトルJに任せるんだ」
「ああ、それでいい。岬月下君、白夜ちゃんを頼むよ。この子、夜はあんまり強くないからな」
 そんなことを言われても、白夜はドクトルに噛みつくことはなかった。ただきつい眼差しで、長
身のドクトルを見上げていた。

「白夜ちゃん。君がつけてくれた私の能力の名前、なんていったっけ?」
「今更そんなこと……。ドクトルJ、貴方は救いようのない愚か者ね。ちゃんと心に深く刻んでおか
ないから忘れてしまうのよ」
 陽太たちに背を向け、宵闇の向こうからやがて現れるだろう改造犬の方を見て、ドクトルは白夜
に語りかける。
 背中、でかいな。今日この中年の後ろ姿をずっと見ていた陽太だったが、今ほどその背中が大き
く見えたことはなかった。

「心音玩弄【フェイタル・スクリーマー】。それが貴方の能力。眼前に立つ者の生殺与奪を、貴方
はその手で完全に掌握できる。今度こそ、刻みなさい。貴方の心に深く。裂けるほど、いえいっそ
抉(えぐ)れるほどに深く、刻みなさい」
「ふぇいたる……了解だ。また今度、テストしてくれ」
「白夜、急ごう。とりあえずまずは駅に向かうんだ」
 白夜の手を引いて、陽太は歩き出す。ドクトルの背中に背を向けて。別れの言葉などいらない。
今はそれを言うべき時じゃない。そう信じた。


 つづく

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最終更新:2010年07月08日 03:23
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